高い壁
「それじゃあまず『カイルベルト建国紀』が良いと思う者は挙手を」
隣のコットンがすっと高く手を挙げる。その他にも前の席のフルートが2人、クラリネットからコットンの他に2人も手を挙げている。後ろの様子は振り返らないと見ることができないが、カミーユの隣で数を数えているメアリーを見るに、相当の数が手を挙げていることが予想できた。
「次に『ファンタジア序曲』が良いと思う者」
フルートから1人手を挙げた。数を数えているメアリー自身も手を挙げている。しかし、『カイルベルト建国紀』よりは早く数え終わったように思えた。
「では最後。『森の精霊』が良いと思う者」
私はすっと挙手をする。クラリネットからも他に2人挙手をしている。さらにカミーユからも手が挙がり、コットンが小さく息を飲んだのがわかった。メアリーが数を数え終え、カミーユが手を下げさせた。
「ではメアリー。結果を」
「はい」
カミーユに促されたメアリーが一歩前へ出る。
「三位『ファンタジア序曲』」
私はぎゅっと自分のクラリネットを握った。もう一度、もう一度『森の精霊』を……!
「二位『森の精霊』」
ハッと顔を上げる。ダメ、だった。
「一位『カイルベルト建国紀』」
「ありがとう、メアリー」
カミーユが私達を見回した。
「投票の結果、『カイルベルト建国紀』に決まった。楽譜はこれから僕が作るので、みんなはしばらく待っていてほしい」
「はい」
ダメだった。せっかくのチャンスを逃してしまった。私は呆然とする。
「これで今日は終わりだけど、最後に『グローバル・トリップ』のソロについて言っておくね」
カミーユは淡々とこう切り出した。
「今は仮でソロをやってもらっているけど「自分がソロをやりたい!」と、考えている人は次回の合奏後に申し出てほしい」
隣のコットンを横目で見ると真剣な表情でカミーユの言葉を聞いている。
「一つの楽器で複数の希望者がいた場合は試験をする。ソロの部分をみんなの前で一人づつ演奏してもらう。そこで、誰がソロを吹くかを決めよう」
カミーユは全員を見渡して、何か質問がないかを確認する。
「じゃあそういうことで、よろしくね」
コットンは得意気な顔を一瞬私に向けてから席を立って去っていった。何も考えられない私は目の前の楽器をノロノロと片付ける。
確かにコットンの演奏はとても素敵だった。『カイルベルト建国紀』、きっと演奏会のメインの曲になる。
「ソロ、どうする?」
目の前に座るフルートの人達が楽しそうに話している。
「私、挑戦しようかな」
「本当! 頑張って!」
ソロ、か。私もソロにチャレンジするつもりだ。この曲のソロを吹きたいし、演奏会で一番のメインであるこの曲のソロを獲得すれば、クラリネットの首席奏者に一歩近づける。
だけど、コットンは上手い。『カイルベルト建国紀』だって、魅力的な演奏をしたからこそたくさんの票を集めたのだ。私が挑戦して敵うのだろうか。『森の精霊』みたいにソロも──
「おい、シエラ」
ごつん、と頭を叩かれる。痛くはないその力加減。見上げると、アルフレッドが見下ろしている。
「帰るぞ」
「う、うん」
今日はもう夜なのでお店は開けないはずじゃなかったっけ?
それでも私はノロノロと立ってアルフレッドの背中を追う。アルフレッドはいつもよりも緩い歩調で、私はすぐに追いつくことができた。
「アルフレッド、今日お店は……」
「開けねえな」
「なら、何で……」
アルフレッドは口をへの字に曲げて私を見る。もしかして、一緒に帰ろうって誘ってくれたってこと?
わかりにくいアルフレッドの態度に、少しだけ心が温かくなる。だから私は、
「『森の精霊』ダメだった」
と、素直な言葉を口にできる。
「ごめんね、演奏で協力してくれたのに」
「別に演奏がダメだったわけじゃねえだろ。俺も吹いたんだぞ?」
「でも……」
「選ばれなかった理由は、『カイルベルト建国紀』が演奏会に合った曲だったのと、お前の人望のなさのせいだろ」
「うっ」
率直な意見に耳が痛い。
「そんな顔すんな。お前がそんなんだと気持ち悪い」
アルフレッドは私の頭の上にボンッと手を置く。
「いつかできるだろ。定期演奏会は今回で終わりじゃない」
「アルフレッド……」
不器用だけど励ましてくれてる。それがわかって、心がだんだんと熱を取り戻りしてくる。
「それに、凹んでる暇なんてないだろ? 次の合奏でソロが決まる」
「でも、クラリネットにはコットンが……」
「お前、まだそんなこと言ってんのかよ」
アルフレッドに呆れ顔を向けられる。
「ソロは実力で選ばれるって言ったろ?」
「『森の精霊』は選ばれなかったから……」
「だーかーら! それはお前の実力が足りなかったせいじゃねえだろ」
「でも、今日の私は合奏だってボロボロだった。上手にできてたのはコットンの方」
「そうだな。実力で言うならお前よりコットンの方が上だろうな」
肯定されて、私の心はしゅんっと萎む。
「ソロは完全な実力だ。それは技術だけじゃねえ。表現力だって必要だ」
「表現力……」
今日のコットンのソロ。完璧に演奏できてはいたけれど、少しの物足りなさを感じたことを思い出す。
「お前がこの街中の人間に嫌われていても、楽団のクラリネットの中で一番心に残る演奏ができればソロに選ばれる」
真剣な瞳に見つめられて、なくしかけていた自信と熱意が戻ってくる。
「お前は首席奏者になるんじゃなかったか?」
「……うん」
「じゃあ、黙って練習するんだな」
こくり、と頷く。
「俺はソロを吹くぞ」
「うん」
「俺の後に続いてソロを吹いてみろよ。最高の音でお前に繋いでやる」
「……うん」
そうだ、私は誰よりも上手いクラリネット奏者になりたい。アルフレッドと肩を並べられるような。
「アルフレッドの後でソロを吹きたい」
「ああ」
「アルフレッドに負けないくらいの音を出して、会場の人がアルフレッドのことを忘れるくらいの演奏がしたい!」
「……お前、俺に向かって、言うじゃねえか」
アルフレッドは目を眇めて微笑んだ。
「私、頑張る! ありがとう、アルフレッド!」
胸が高鳴る。アルフレッドと一緒に演奏したい。そのためにも、コットンには負けない!
「よし! 帰ったら練習だ!」
「近所迷惑になるぞ」
呆れた表情をするアルフレッドを見つめる。私、アルフレッドのことが大好きだ。そんなアルフレッドに認められるようにも、頑張りたい!




