演奏会の準備です
「カミーユ!」
オズ楽器店に戻るとカミーユがアルフレッドの定位置に座って店番をしていた。
「やあ、シエラ。無事みたいだね」
「おかげさまで。ありがとう」
「アルフレッドがシエラの心配をして鬱陶しいったらなかったよ。店の中をウロウロしてみたり、時計を見た……ぐえ」
カミーユの言葉はアルフレッドが締め上げたことで途切れてしまった。アルフレッドは誤魔化したつもりみたいだけど、私のことを心配してくれたってことだよね。
「アルフレッドもありがとう」
「ふん。俺はただ、店員を失うことになったら俺が困ると思っただけだ」
アルフレッドは可愛くないことを言うけれど、今までの付き合いから照れ隠しなんじゃないかって思う。
「ふふふ」
「笑ってんじゃねーよ」
カミーユから手を離したアルフレッドは今度は私の頭を叩く。痛くはない、優しい手つきで。
「あーあ。僕は二人がいちゃいちゃしてるところを見に来たわけじゃないんだけど」
「そんなことしてねーよ!」
「はいはい」
苦笑のカミーユが私の側までやってくる。
「『シエラ・ウィドウのごめんなさい演奏会』、これから練習するんでしょう?」
カミーユは面白いおもちゃを見つけたかのような笑顔を向ける。
「そうよ」
「僕にも何か手伝えることがあったら言ってよ。シエラのためでもあるし、純粋にシエラの新しい曲を聴くことを楽しみにもしているんだ」
「そう言ってくれると嬉しいわ。練習はこれからだから、急がなくちゃ」
「おい、カミーユ」
アルフレッドがカミーユの後ろから肩を軽く叩く。
「お前、暇なら俺を手伝え。凱旋パレードに関わってる軍の関係者をなるべく演奏会に連れてきたい」
「へー、アルフレッドも手伝ってあげるんだね」
カミーユは笑みを深くし、アルフレッドの眉間の皺が深くなる。
「私が頼んだの。私、人脈がないからどう誘ったらいいかわからなくて。アルフレッドにお願いしたの」
「ふーん」
「うるせえな」
「僕は『ふーん』としか言ってないけど?」
「顔がうるせえんだよ」
アルフレッドがカミーユの頭を叩く。微笑ましい光景につい笑みが溢れるけれど、私は練習をしなければ。
「わかった、軍の関係者には僕も当たってみる。軍の凱旋パレードにシエラが出演できるように、席は空けてあるからね」
「ありがとう、カミーユ」
「あと、どうせならもう少し参加したいのだけど」
カミーユの提案に私は目を丸くする。
「どうして? せっかくの好意だけど、これは私の問題なのに……」
「だってこれはシエラが楽団の演奏に参加するためのものでしょう? シエラがいてくれないと音のバランスが崩れるし、できたらいてくれた方がありがたいからね」
「カミーユ……」
「それに、僕は君のコンサートを楽しみにしているんだよ。迷惑をかけた人に音楽でお詫びを、なんて粋なことを思いつくなんて、面白いよシエラは」
「ありがとう」
褒められているのかわからないけれど、素直にお礼を言っておく。
「だけど、私一人で演奏するのだから指揮は必要ないし……」
「折角だから、アルフレッドも特別ゲストで参加すればいいと思うんだけど」
「俺が?」
突然話を振られたアルフレッドは眉を潜める。
「ほら、この前シエラの『森の精霊』の譜面を少し書いたろう? あれを完成させて、二人で演奏するっていうのはどうかな?」
「え!? できるの!?」
思わず私は目を輝かせてしまう。
「シエラがトランペットパートを歌えるなら、それを譜面にしてみせるよ。練習期間は短くなってしまうけれど、アルフレッドは演奏できるだろう?」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってる」
アルフレッドは胸を張る。カミーユもアルフレッドの扱いがわかっているのだな、と瞬時に理解する。カミーユと目が合うと、アルフレッドに見えないようにウインクされたし。
「他の曲はシエラが一人で演奏するとして『森の精霊』くらいは一緒に演奏したらどうだい? あ、時間が余っているのならビリク連隊も一緒に演奏したら?」
「そうだな。まあ俺は付き合ってやってもいい」
「本当!?」
お詫び演奏会なのだから一人で演奏するのが筋なのかもしれないけれど、お客さんに楽しんでいただくためには音は多いほうがいい。
「それじゃあ二人共お願いします。ありがとう!」
私は二人にも頭を下げてから笑顔でお礼を言う。アルフレッドには何故か目を逸らされてしまったけれど、カミーユは「任せて」と、言って笑顔を返してくれた。
やっぱりカミーユは天才だ。私の下手な歌を聴いてちゃんとした譜面を作ってくれる。記憶が曖昧なところは、前後のメロディから推測して音を作ってもくれた。それを、アルフレッドと一緒に演奏しながら修正していく。
カミーユに「シエラの記憶力はすごいね。譜面を見たわけじゃなくて、実際にこの曲のバンド演奏を聴いたことがあるみたいに思えるね。むしろ、シエラもそれに参加していたようだ」と、鋭い指摘があったけれど、それは何とか誤魔化せたと思う、たぶん。
私を吹奏楽にハマらせたきっかけである『森の精霊』は私にとって大切な曲。コンクール前は通学の時にいつも聴きながら通っていたし、演奏が終わった後でもたびたび聴いていた。だから、こんなに覚えているのだと思う。
譜面は演奏会の二日前に完成した。確認しながら完成させた譜面だったので、アルフレッドの演奏も完璧だ。私は誰かとまた『森の精霊』を演奏できることが嬉しくてたまらない。
他の曲の練習も進め、いよいよ演奏会前日。私は閉店後のオズ楽器店でアルフレッドとの最終確認を終えた。
「大丈夫かな、明日」
「んだよ、珍しく弱気だな。らしくねえ」
帰り支度を終えた私の頭をアルフレッドが軽く叩く。自分もしっかりとジャケットを羽織っている辺り、今日も家まで送ってくれるつもりなようだ。
「何だかんだ言って、一人きりで演奏したことってないからね……」
アルフレッドと一緒にお店を出ながらそんな不安を零す。日本でもアンサンブルと言って、少人数での演奏はしたことがあるけれど、それでも私の他に3人はいた。
明日はアルフレッドと二人で演奏する曲もあるけれど、一人で演奏する曲もある。一本のクラリネットでどこまで音楽を伝えられるのか、不安はある。
「失敗したらダイレクトに伝わっちゃうし……」
私を憎んでいる人達に届く演奏ができるかどうかも、本当を言うと不安だ。一言不安を口にすると、その気持ちがどんどんと膨らんでくる。楽器にブランクがある私が、どこまでやれるのか──
「ふにっ!?」
突然アルフレッドに両頬を摘まれて、思考が遮断される。
「ふぁにふるのよ、はるふへっど!」
「グチグチグチグチ、鬱陶しいんだよ」
眉間に皺を寄せながら私の頬をむにむにと摘むアルフレッド。
「お前はもうその存在自体が変なんだから、今更何も失うもんはねーだろうが」
「ひ、ひど……」
「それに」
真剣な顔のアルフレッドが私のことを覗き込む。
「入団試験の時、お前はクラリネット一本で『森の精霊』の世界をみせやがった。俺達にもっとも強い印象を植え付けたのはお前の吹いた『森の精霊』だ」
「……そうなの?」
入団試験の後もアルフレッドは私の演奏について何も言わなかったし、そんな風に思っていてくれたなんて知らなかった。
「お前の音楽が好きだって気持ちが馬鹿みたいに伝わってきやがる。逆に、お前からそれを取ったら何が残る? ただの下手くそだろうが」
酷いことを言われているのか、褒められているのかわからなくなる。だけど、アルフレッドからの応援の気持ちは確かに伝わってくる。
「だから、お前はいつものようにお前の音楽を伝えりゃいいんだよ」
「うん……」
そこまで言うとアルフレッドは私の頬から手を離してふいっと前を向いてしまう。その照れたような横顔を見ながら、
「ありがとう」
と、伝えた。
「ふん、最後は俺が一緒に演奏してやるんだ。せいぜいそこまでしっかりやるんだな」
「……うん」
私のことを嫌いな人間ばかりがいるこの世界で、アルフレッドの優しさが身に沁みる。その横顔を見ているとトクンと胸が鳴った。
「……ねえ、アルフレッド?」
「んだよ」
「アルフレッドもやっぱり髪の長い女性が好き?」
「……はあ?」
突然何言ってんだって顔でアルフレッドが私を見るけれど、私が答えを求めて真剣に見返したら、困ったように頭を掻いた。
「んだよ、突然」
答えてくれるまで逃さない。私はじーっとアルフレッドを見つめる。
「……」
「……まあ、別に、俺は」
「……」
「……どうでもいい」
答えをくれるとふいっと顔を逸らされる。どうでもいいってことは、短くても気にしないってことかな?
「ふふっ」
「何笑ってんだよ」
アルフレッドが私の頭をぐりぐりと押す。
「さっきまでじめじめした顔してたくせに」
「へへ」
私は見上げて微笑む。
「明日、頑張る!」
「……ああ、せいぜい頑張れよ」
「いろいろとありがとね、アルフレッド」
「ふん、礼は成功させてからにしろ」
「任せて!」
私がそう言って笑うと、
「調子出てきたじゃねーか」
と、言ってアルフレッドもニヤリと笑ってくれたのだった。




