私の大切な相棒、おかえりなさい
「ふわー、今日も疲れたー」
初めての合奏練習を前日に控えたこの日。私は閉店までになんとか譜読みを終えることができた。行進曲は同じメロディが何度も続くことが多いので、一度吹ければ合奏にもついていけるはずだ。
「シエラ」
閉店作業を終えた私の元へアルフレッドがやってきた。
「ほら、クラリネット。修理終わったぞ」
「! ありがとうございます、アルフレッド!」
私はアルフレッドから楽器のケースを受け取る。机の上に置いて蓋をパカっと開けると、私のクラリネットが収まっている。
「吹いてみてもいいですか?」
「好きにしろ」
アルフレッドに断りを入れてからクラリネットを組み立てる。タンポも真っ白で綺麗なものに変わっているし、キーの錆も取れている。組み立てて構えると、しっくりと手に馴染む。
やっぱり自分の楽器がいいなぁ。
今までオズ楽器店の予備のクラリネットを借りていたけれど、肌触りが全然違う。同じクラリネットだけれど、自分の楽器には慣れ親しんでいるし愛着もある。
音を出してみると、これまたしっくり。他人にはわからないレベルだと思うけれど、音もいつもの音に戻ってくれた。
そのまま明日の合奏で演奏する行進曲を軽く吹いていると、奥に引っ込んでいたはずのアルフレッドがいつの間にか側で私の様子を見ていた。
「とてもいい調子です! ありがとうございます、アルフレッド!」
「そりゃよかった。これからは定期的にメンテしろよ」
「はい!」
私はもう一度すべすべと自分のクラリネットを撫でてからケースに仕舞うために解体していく。しばらくぶりのマイ楽器との再会に自然と笑みが零れた。
「そのクラリネット、随分古そうだな」
アルフレッドが私の様子を眺めながらそう声をかけてくる。
「中古か?」
「ええ、まぁ……」
本当はこれは中学校一年生の時に新品で買ったものだ。それから14年も経っているので、シエラが新品で買ったと言ったら変な目で見られてしまうだろう。だから、私は中古だと言うことにした。
「見たこともないロゴが入ってる。親が買ったやつだったか?」
「はい」
私の楽器は、吹奏楽を始める時に今まで貯めてきたお年玉を全額叩いて買ったものだ。お値段、25万也。中学一年生にしてあの値段のお買い物はかなり勇気のいるものだった。だけど、新入生の部活勧誘で吹奏楽の演奏に惚れ、クラリネットの音色に惚れ込んでしまった私は思い切って買ってしまったのだ。
日本のメーカーと悩んだけれど、海外メーカーのクラリネットにした。地球のクラリネットメーカーではかなり有名なところだ。この世界にはもちろんないと思うので、アルフレッドは知らなくて当然なのだけれど。
「カイルベルトの職人が作ったクラリネットじゃねえのかな……」
アルフレッドはぶつぶつと呟いて頭を悩ませている。楽器のことになると途端に夢中になるアルフレッドは流石楽器屋さんだ。
初めて自分の楽器を手にした時の喜びは今でも鮮明に覚えている。それから6年間、私はたくさんの曲をこのクラリネットで演奏してきた。
ケースにしまったクラリネットを私はもう一度撫でた。今まで押入れの中に仕舞っていてごめんね。これからは、毎日よろしくね。
「そろそろ出るぞ」
「今日も送ってくれるんですか?」
「……ついでだ」
ふいっと顔を逸したアルフレッドは私より先にお店を出て行く。何だかんだと毎日送ってくれるアルフレッドには迷惑をかけてばかりいる。
この前も『森の精霊』を吹いて、いろんな感情が湧き上がってきて泣き顔を見せてしまったし。あれは少し恥ずかしかった。人前で泣くなんていつぶりだろう?
頭の中で覚えていただけだった音が現実のものとなって耳から身体に入ってきた時、日本での思い出がぶわっと蘇ってきた。なるべく考えないようにしてきた、遺してきた人達のことも。
その感情にはまた蓋をしている。考えてしまったら、立ち止まってしまうかもしれないから。抱えきれる自信がない今はまだ、逃げさせてほしいと思うのだ。
「そういえば、そろそろまた新しいリード、買おうかなと思います」
帰り道、私はアルフレッドにリードが欲しい旨を伝えた。
「もうか? 最近買ったばかりじゃなかったか?」
「練習で潰してしまいまして……」
入団試験と合奏に向けての練習でかなりリードを酷使してしまった。でも、そのおかげで現役時代に近い感覚を取り戻せつつあるので、良しとしよう。
「そういえば、オズ楽器店のリードってアルフレッドのお爺さんが作ってるって言ってましたよね?」
「そうだな」
アルフレッドと初めて会った日にそんな話をしたことを思い出す。まだ半月前くらいの話なのに、随分前のことに思えるのが不思議だ。
「お爺さんはどこに住んでいるのですか? 一度お会いしてみたいです」
あんなに素敵なリードを作ってくださる方だ。きっと、素敵な人に違いない。それに、リードを作っている様子を見てみたい気持ちもある。
「それは無理だな」
「そうなのですか?」
「ああ、爺さんは王都に住んでる」
「王都、ですか」
カイルベルト王国の王都はリンドブルムの街から馬車で5日程かかるらしい。遠すぎてなかなか行けない距離だ。
「じゃあ、王都から送っていただいているんですね」
そういえば、この前オズ楽器店にお届け物が届いていたっけ。あれは、もしかしたらお爺さんからのリードだったのかもしれない。
「王都にも店はあるからな」
「!? オズ楽器店ですか!?」
「そうだ。一応、そっちが本店」
オズ楽器店の店員だというのに知らなかった! リンドブルムのお店は支店だったということか。
「王都の店は親父がやってる」
「じゃあアルフレッドのご家族は王都にいるのですね」
アルフレッドが一人暮らしをしている理由がわかった。そもそもアルフレッドは王都出身だったわけだ。
「今の店は叔父さんがやってたんだが、病気になってな。閉めるって言い出したから、それはダメだと思って俺が継ぐことにしたんだ。もう6年前になるか」
アルフレッドは今22歳だから、16歳の時に一人暮らしを始めたということだ。
「楽器の部品とかは親父から送ってもらってる」
と、いうことは、ウィドウ商会とは関係がないところでやっているということだ。リードもお爺さんが作っているとのことだし。
「お爺さん、すごいですね。あんな素敵なリードを作れて」
「そうだな。俺もあんなリードを作れるようになりゃいいんだが……」
「アルフレッドもリードを作るんですか?」
私が尋ねると、アルフレッドはしまった、という顔をした。どうやら言うつもりはなかったらしい。
「作ってはいるが、売り物になるようなもんじゃねえ。まだ練習中だ」
「そうなんですか。でも、いつか吹いてみたいです!」
アルフレッドが作るリード。純粋に興味がある。
「まだ吹けるようなもんじゃねえよ」
「やっぱり難しいんですね、リード作るのって」
「そうだな」
「でも、いつか売り物にするために練習しているんですよね?」
オズ楽器店にアルフレッドの作ったリードが並ぶ日が来るかと思うとワクワクする。
「アルフレッドのリード、楽しみにしていますね!」
「……ふん、まあいつかな」
アルフレッドは少し照れたような顔をした。知らなかったアルフレッドの話が聞けて、何だか嬉しい気持ちになるのだった。




