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閑話 気まぐれの理由

※アルフレッド視点です

「それでは、明日からよろしくお願いいたします!」


 シエラは深々と頭を下げてから店を出ていった。その姿が消えると、俺はため息をつく。



 何で俺はシエラを雇う、などと言ってしまったのだろう。



 カミーユにバレたら散々からかわれそうだ。それを考えただけで、既に頭が痛い。


 楽器一筋で生きてきた、人付き合いが面倒な俺だ。仲の良い友人もカミーユくらいしか思いつかない。そんな俺が、一体何故。


 シエラに言った、人手が欲しいと思っていたことは嘘じゃない。だけど、他人がこの店に常にいることを思うと、それなら多少大変でも一人でやっていこうと思っていたのに。


 はあ、とまたため息をつく。今からでも遅くない。明日シエラが出勤してきたら、早速断った方がいいだろうか。


 店の奥に引っ込み、シエラが置いていったクラリネットのケースを見つめる。


 登場から変なやつだった。リンドブルムで楽器をやってるやつは、全員が俺の店に来る。人の顔の覚えが悪い俺であっても、この街で楽器をやっているやつの顔は全員覚えているつもりだ。だから、初めて店に来た客が「リードが欲しい」と、言って、慣れた様子で楽器を吹いたことが未だに信じられなかった。


 それだけじゃない。俺はケースを開ける。


 このクラリネットは年季が入っているように思える。シエラの言う通り6年、もしくはそれ以上に。


 金属でできたキーには指の跡、マウスピースにもくっきりと歯型がついていて、吹き込んでいるのがわかる。シエラの実力もそうだ。入団試験では変な曲を吹いてみせたが、実力はそれなりにあるようだ。一回、楽団の演奏を聴いただけでクラリネットの音程が合っていないことを言い当てたのもそう。


 そんなに楽器を吹いてきて、俺やカミーユが知らなかった、というのは不思議でしかなかった。


 それに、シエラ・ウィドウという女は有名人だ。俺は直接見たのは初めてだが、近所の店主からは愚痴をよく聞かされていた。


 洋服に金を惜しまない、派手好きの女。楽器とは無縁に感じる噂を数々聞いた。少なくとも、真剣に楽器を練習をするような女ではないはずだ。


 だけど、目の前に現れたシエラは、ただの楽器好きの真面目な女にしか見えなかった。入団試験の演奏、誰よりも楽しそうに吹いていたのはシエラだった。楽器が好きなやつの顔だとすぐにわかった。


 試験後に誰を通すか三人で話し合った時、カミーユも、


「シエラは面白いね」


 と、言った。あのカミーユが「面白い」って言うなんて、とても珍しいことだ。メアリーは、


「技術にまだ拙い部分があるわ」


 と、冷静に分析していたが、現楽団員との差は大きくないと判断し、シエラを入団させることに難色を示すこともなかった。


 俺だって、絶対に本人には言ってやらないが、あの入団試験の演奏で一番印象に残ったのはシエラの演奏だった。突然歌いだしたインパクトもあったが、何よりも楽しそうだった。自分も演奏したい、そう思わせるような力があった。


 聞いていた噂と実物が一致しない。記憶喪失って言うのは人格まで変えてしまうものなのか?


 意味のわからない謎の部分が多いからこそ、俺はここで雇うと決めたのだろうか。それとも、金がないと悲しそうに嘆くのを放っておけない、お節介な部分が俺にあったというのか。


 俺は明日、シエラがここへ出勤してくることを思い浮かべる。


 うちの店は客が多く来るわけではない。空いた時間、シエラはここでクラリネットを練習することになるのだろう。


 入団試験では俺の知らない曲を吹いていたが、俺が知っている曲を吹いたらシエラの本当の実力を計れるかもしれない。それだけじゃなく、また俺の知らない曲を吹いたりすることもあるかもしれない。


 どんな演奏を聴かせてくれるのか。認めたくはないが、気になる気持ちはある。


 まぁ、俺の珍しい気まぐれだったとしても、このまま少し様子を見てもいいか。もし、噂に聞いたようなわがまま放題な振る舞いを始めたら店から叩き出せばいい。それまでは、置いてやってもいい。


 俺はシエラの楽器のメンテナンスをしようと、クラリネットを取り出す。少し口角が上がっているような気がするのは、そう、たぶん気のせいなのだ。

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