第七章 最強とは
アヤメ達と別れた宗助と時雨は、出雲へ入っていた。
「ようやく出雲か。緊張するなぁ……」
宗助が着物を正した。
出雲に向かっていたのは勿論、白蓮と再戦し、清刀・叢雲を手に入れるためだ。
相手は剣神と言われた白蓮だ。まさしく神技とも呼べる剣術で他者を圧倒する。誰もが認める日本最強の剣士。そんな男と闘うのだ。緊張しない方がおかしい。
「宗助、そう緊張するな。主はここまで天下七刀を五本まで集めたんだ。アヤメと渡り合った時点で少なくとも主は白蓮とやりあえるだけの実力を付けておる。後は実力を最大限発揮できるかどうかだ。赤虎も言っておったろう。『自信を持て』だ」
時雨は宗助の背中を叩いた。宗助はバランスを崩しかけたが、数歩進んで何とか倒れるのを阻止した。
「白蓮は出雲大社で俺達を待ってるそうだからな」
「ああ。奴の事だ。既に我々の気配に気付いておるだろう。最強に相応しく、孤独の中、出雲大社の前で待ち構えておるのではないか?」
「そうだな」
〝グ~〟
その時、時雨の腹の虫が鳴った。
「そうか。隠密に生きる忍者はそういう合図で仲間に真意を伝えるんだな」
「――なわけなかろう!」
顔を赤くした時雨が宗助をポカポカ叩いた。
「痛い痛い! 分かったって! そんな自己主張しなくても、俺も昼飯にしようと思ってたところだ!」
宗助達が昼飯を食べようと、近くの蕎麦屋の暖簾を潜った。
「満席だな」
「まぁ昼時だしな」
宗助達が入った蕎麦屋は満席だった。お昼時だったのも理由の一つだが、客達の会話を聞く限り人気店だったようだ。座る所が無さそうなら時雨の腹の減り具合を考えて別の店を探そうとしたが、運よく空いている席を二つ見つけた。
「隣、いいか?」
宗助が隣の席の人物の背中に語りかける。
「ああ。良いでござるよ」
「すまん。私達は長旅で疲れていてな」
「それはご苦労なことでござる。観光に来たのであれば、拙者が出雲を案内するが?」
「そいつはあり難い話だ」
宗助と隣の席の男が顔を見合わせる。
そこには見知った顔があった。
「「あー!!」」
互いに指を差し合って驚いていた。
「主は白蓮! なぜこのような場所に!」
「なぜって、昼食を食べているのだが……」
「ま、まぁそうだな」
白蓮のもっともな回答に頷かざるを得ない。
その時、店員が宗助達の下にやってきた。
「注文はいかがなさいますか?」
「う~ん、どうする宗助?」
「まぁ腹が減っては戦は出来ぬと言うし……」
「一時休戦でござるな。ちなみにこの店の看板は鯡蕎麦でござる」
「あ、ご丁寧にどうも……」
宗助が思わず頭を下げた。
結局三人横に並んで仲良く蕎麦をすすった。
昼食を食べた宗助達が店を出る。
「時雨、満腹になったか?」
宗助が時雨の腹に目線を合わせて語りかけた。
「主はどこに向かって話しかけておる!」
バシッ! と頭を叩かれる。
「それにしても、お主達がこうも早く出雲に来るとはな。まぁ背中の五本の天下七刀から見て、近道をしてきた訳ではなさそうでござるな」
「まぁな。アンタとやり合うために強敵と闘ってきたんだ」
「結構なことでござる。では、出雲大社に向かうとするか」
「え? 敢えて出雲大社に行く必要があるのか?」
宗助の顔の方に時雨が顔を近づけて内緒話をする。
「〝出雲大社にてお主を待つ〟と言ったのだ。今さら違う場所で戦えばあの時の格好良さが台無しだろう?」
「そこ! 聞こえているでござるよ! 拙者は出雲大社がお主との決闘に相応しい場所だと思ったからそう言ったのだ。決して、決して! 今さら引っ込みがつかない訳ではないでござる!」
指をさしながら言い切った。
「そ、そうか」
宗助は苦笑いした。
(しかし今から闘う者同士が足並み揃えて向かうのは客観的に見て凄く間抜けじゃないか?)
宗助は敢えてその疑問をのみ込んだ。
白蓮に案内され、宗助達は出雲大社に着いた。
白蓮が宗助達に向き直った。
「さぁ、始めるでござる」
宗助が愛刀の柄を握る。その時だった。
「ふっざけんな―――――!!」
白蓮が何者かにドロップキックを食らわされたのだ。頭に喰らって白蓮が林の方へ転がって行った。
「な、何が起こった?」
「わからん」
宗助と時雨が突然の介入者に驚いていると、吹き飛ばされた白蓮が帰ってきた。
「いきなり何をするでござる」
白蓮が自分を蹴り飛ばした煌びやかな衣装を着た女性に語りかける。
「それはこっちの科白よ! 馬鹿白蓮! 貴方、今闘おうとしたでしょう!」
綺麗な女性が眼を吊りあげて怒りをあらわにしていた。
「いかにも。その今川宗助と決闘の約束をしたでござるよ」
「今川宗助って貴方が本気で闘いたいって言ってた奴でしょう!」
「そうだが」
「貴方が本気で戦ったら出雲大社が壊れるっての! ここは出雲の民の神聖な場所よ! それを壊そうっていうの!」
「す、すまんでござる」
「わかればよろしい。決闘の場所は後日私が決めるわ。それまで貴方は寺子屋で子供の面倒見てなさい」
「しかし!」
「い・い・わ・ね?」
「わかったでござる」
ショボーンとなった白蓮が寺子屋の方へ歩いていった。
「信じられん。あの白蓮をこうも容易く操るとは」
「日本最強は彼女なのではないか?」
宗助と時雨は華やかな衣装の女性を見て呟いていた。
その女性が宗助達に向き直った。
「貴方達が今川宗助と無影時雨ね。はじめまして私は出雲国の姫、出雲日和よ」
さっきまでの粗暴さはどこへやら、丁寧に挨拶してきた。
宗助と時雨も恐縮しながら挨拶をした。
「出雲の姫さんって、俺の偽物に脅迫されて怯えてた人じゃなかったっけ?」
「そうとは思えんが、もう一人姫君がいるのかもしれん」
宗助と時雨が話していると、その会話を聞いた日和姫が答えた。
「ああ、それは私よ。別に怯えてなかったけどね」
「でも、白蓮は姫が怯えていると……」
「そう言った方が面白いでしょう。あの馬鹿がどうするのか見て見たかったの!」
宗助と時雨は若干弾いていた。そして少し白蓮に同情した。
宗助達は出雲城に案内された。
「白蓮が戻ってくるまでゆっくりしておいて」
「ふむ。それにしても出雲は幕府の管轄する一地方だと思っていたが」
「そうだな。どう見ても一国の城主だ。そこかしこに松江藩の偉い方の顔もチラホラ見受ける」
宗助と時雨が出雲城内部をキョロキョロと見渡しながら言った。
「貴女達は外から来たから知らないのね。出雲国は独立国家よ。ずっと昔、チンケな将軍家が棚ぼた天下を取るよりも昔から私の一族が支配しているの。朝廷や幕府等の権力者達は、出雲を恭順させられなかったと言えば恥になるから隠しているのよ」
「では古代出雲族の生き残りと言うのは本当なのか」
「ええ。出雲族と時の権力者との間で密約が交わされていてね。表上は出雲は彼らの傘下にあるけれど、実情は私達出雲族が支配しているわ」
姫様がしたり顔で話した。
「しかしそんな機密を私達余所者に話してもいいのか?」
「構わないわ。白蓮が認めた人間に悪い人間はいないし、仮に貴方達が話したとしても誰も信じないわ。今や徳川一門が天下人であることは公然の事実だからね。彼らの支配が及ばない地なんて言っても信じない」
「成程」
「まぁ、書類とかも出雲が独立国家である事は伏せられて私が作成した偽物の自治情報が載せられてるから、後世の学者達は揃って騙されるでしょうね。愉快だわ」
「「アハハ……」」
宗助と時雨は乾いた笑いで応対するしかなかった。
「ついたわ。白蓮が寺子屋から帰るまでの間此処でくつろいでおいて」
「あ、ありがとう。所で主は白蓮とはどんな関係なのだ?」
「ああ。私と白蓮は幼馴染なのよ。私は王族の〝表出雲家〟、白蓮は貴族の〝裏出雲家〟の出身でね。まぁ、政治を行う表と、邪魔者を消す裏ってところかしら」
「なぁ、時雨、俺的にはこのお姫さんの方が邪魔者を消す裏って感じなんだが」
「奇遇だな。私もそう思っていた所だ」
宗助と時雨が姫様に聞こえないように小声で話す。
手持無沙汰になった宗助は姫に話を振った。
「そういや、アヤメの話では土蜘蛛族と出雲族は元々一つだったって聞いたんだが、こっちは栄えてるんだな」
「あー、アヤメに会ったのね。土蜘蛛は運が悪かったのよ。お爺様の話では当時の朝廷には腹黒い文官がいてね。その時表出雲には歴代一の手腕を持つ王がいたから上手く立ち回れて今や権力者と融和しているわ。一歩間違ってたら土蜘蛛と同じ運命だったでしょうね」
当時の朝廷には余程厭らしい人物がいたらしい。まぁ土蜘蛛の民の惨状を見ればそれは理解できるが。
「白蓮はどれくらいかかるのだろうか」
「さぁな。忙しそうだったからまだ掛かるだろう」
宗助と時雨が話しあっていると、その会話を聞いた姫の方が話しかけてきた。
「別に私が呼べばすぐに来るわよ?」
「え? 忙しいんじゃ」
「あんなの只のでっち上げの嫌がらせよ」
姫様の科白に、宗助と時雨は口を開けたまま阿呆の様な顔で固まってしまった。
そこへ噂の張本人の白蓮がやってきた。
「今日は出雲の歴史を知る為に特別に城の中まで案内するでござるよ」
「わ~い」
「白蓮先生、教え方上手だから好き~」
「白蓮先生、私、先生のお嫁さんになるー」
白蓮の腕に複数の子供達がひっついている。男の子は先生として、女の子はそれに加えて淡い恋慕を抱いているようだった。
「こらこら離すでござる」
白蓮も笑っていた。そんな様子を見て不服そうな日和姫が白蓮の元へやってきた。
「白蓮、ちょっとひっつきすぎじゃない? 女の子を贔屓にしては駄目よ」
「わかっているでござるが……」
困った顔をする白蓮を抱き寄せてその耳元に小声で言った。
「貴方はいつも頑張っているからね。労ってあげるわ。授業が終わったら私の部屋へ来なさい」
「わかったでござる」
白蓮は赤面している。その表情から白蓮が姫に恋心を持っているのは想像がついた。
日和姫は白蓮には見えない位置で女の子に勝ち誇った表情をしていた。
そんな姫様の腹黒さは知らずに白蓮はデレデレしていた。
「見ろよ。あのニヤけた面」
「とても最強の男とは思えんな」
「白蓮……意外とわかり易い奴だったんだな」
「それにしても、あの姫様は白蓮が好きなのか嫌いなのかわからんな」
時雨は理解できなかったが、日和姫は現代で言う所の究極のツンデレ。好きな子に意地悪がしたい小学生男子の心情をそのまま持った女性だった。
宗助達は、生徒に授業中の白蓮とは別れて再び客間に腰を据えた。
「そういや出雲のお姫様は、アヤメと顔見知りなのか?」
「ええ。同じ姫の身分だし。女の子同士だからね。過去にアヤメの伯父様が彼女を出雲まで連れて来ることが数回あって。あっちは同年代の子がいないから直ぐに打ち解けたわ。それをあの剣術馬鹿の白蓮が連れ回して……」
どうやら日和姫の白蓮への風当たりの強さは、生来の性格に加えて、気の合う友人と過ごす時間を奪われた事によるものらしい。白蓮としては同じ強さの同年代の子がいたことで嬉しかったのだろうが。
夕暮れ時までマッタリしていると、白蓮がやってきた。
「日和姫、此処にいたでござるか。姫の部屋に来いと言うから行ったのだが」
「いやぁ、ちょっと宗助さんと時雨さんに外界の話を聞いていてね。と・く・に、宗助さんの話は面白くてね。思わず惚れてしまいそうだったわ」
姫様が冗談まじりに言う。その台詞も白蓮への意地悪であった。時雨は少し嫌な顔をしたが、それよりも早く白蓮が宗助に肉薄していた。
「宗助……表へ出るでござる」
宗助の胸倉を掴んで怖い顔をする白蓮。
「ん? 決闘か?」
「ああやろう、今すぐやろう」
白蓮を諌めるために、日和姫は爆弾を投下した。
「落ち着きなさい、白蓮。私は女の子にしか興味はないわ」
その言葉を聞いた三人は面白い表情をした。時雨はバッと自分の胸を隠すように手を交差して青い顔をし、宗助は口を開けたまま硬直し、白蓮はどうしたらよいか分からず迷っているようだ。
「そんな、いやアヤメと仲が良かった気がするが……まさか……」
困惑する白蓮に姫は告げる。
「まぁでも、女装した男の子はイケるかなぁ~。女装した男の子は恋愛対象かも?」
「拙者急用を思い出した」
そう言うと白蓮は一瞬で消えてしまった。
「アハハハハハ! おかしー! アハアハハハ! ……ケホッケホッ……ゴホッ」
日和姫は床をドンドンと叩いて咳き込むまで笑い転げていた。
日和姫は、笑い終えると宗助達に向き直った。
「宗助さん、時雨さん、お食事を用意しているからお召しになって」
「どうも」
「有り難く頂こう」
「あ、でもまだ時間かかるから、先にお風呂をどうぞ。男女は別れてるから安心して」
「男女別か……」
時雨が若干不満そうな顔をする。それを寂しがっていると勘違いした日和姫が一つの提案をした。
「時雨さん、一緒に入りましょうか?」
「全力で遠慮する!」
時雨が再び青い顔をして拒絶した。
「さっきの冗談だから」
呆れた表情で日和姫が言った。
「あー良い湯だった。隣に時雨がいないのは残念だったが……」
宗助が手拭いで頭を拭きながら襖を開けて客間に入った。
すると、三つ指をつく白髪の美女がいた。煌びやかな衣装に身を包む〝彼女〟にはどこか見覚えがあった。
「拙者決めたでござるよ! 姫が望むなら女の子として生きると!」
〝彼女〟は花束を宗助に掲げていた。
「……お前、白蓮か?」
「む、お主は宗助?」
「俺に……そう言う趣味は無いのだが」
二人の時が止まる。
「へー、面白い話ね」
「だろう? それでなー」
その時、別の襖が開いて日和姫と時雨が入ってきた。
入ってきた二人は、愛の告白をしている絵面になっていた宗助達を見てそのまま後ろに下がった。
「「お邪魔しましたー」」
「「誤解だ!」」
追いかけようとするが、宗助が白蓮が着ていた着物の裾に躓いてしまう。
「うわっ!」
「ちょっ! この体勢はまずいでござる!」
男連中が馬鹿をやっている間、女性達はとてつもないショックを受けていた。
「宗助、私では根本的に駄目だと言う事か……」
「白蓮をからかい過ぎたかしら。本当にその道に目覚めていたらどうしよう」
結局、宗助達が誤解を解くのに一時間かかった。
夕食を食べていると、時雨が呟いた。
「にしても、先程は主が本当に男色に目覚めたのではないかと気が気ではなかったが」
「馬鹿を言うな。アレは白蓮が自分の趣味を披露していただけだ」
「聞き捨てならんでござる。拙者に女装趣味はない」
元の衣装に戻っていた白蓮がツッコンだ。
「まぁまぁ、白蓮の女装趣味は置いておいて」
「置いておかないで欲しいでござる! そもそも姫が――」
尚も話そうとする白蓮を手で制しながら日和姫が話し出した。
「宗助さん、貴方と白蓮の決闘の場所が決まったわ」
姫の発言に皆真面目な表情になった。
「決闘は明日。雲流島で行うわ」
「雲流島?」
「出雲の海の向こうにある島でござる。出雲の海岸からも少し見える。小さな島でござるが、そのまた小さな小島に囲まれている場所でござる」
「複数の雲が流れているような地形だから雲流島って呼ばれているの。無人島だから白蓮が暴れても問題ないし、思う存分戦いなさい」
「ほー。明日に雲流島だな」
「宗助、戦えるか?」
「ああ。そのために出雲に来たんだからよ」
心配そうな時雨に宗助は明るく言った。
宗助達は明日の決闘に備えて眠ることにした。
翌日、日和姫に案内されて宗助達は決闘の地、雲流島に向かっていた。舟を漕ぐのは当然白蓮と宗助である。
「確かに一日で回れそうな直径の島の周囲に小岩の様な島があるな」
「小岩が島と呼べるかは微妙だが、空から見れば確かに雲のようでござるよ」
「中々良い所ではないか。だが日和姫は共を連れなくて良かったのか?」
いくら国内といえども一国の姫君が従者も連れずに遠出してよいのだろうか疑問だった。だが日和はケタケタと笑った。
「ふふ、大丈夫よ。白蓮がいるもの」
「そ、そうか……」
普段は憎まれ口を叩いていても、日和姫は白蓮の実力は認めているようだ。
「着いたな」
小船を砂浜に乗り上げさせると、流されないように木に紐をくくりつけた。
島の中央まで行くと、宗助と白蓮は相対し、時雨と日和姫は二人の闘いが見えるが離れた場所まで移動した。
「何も無い島だな。木々と岩くらいしかねえ……」
「だからこそ、姫がここを選んだでござるよ」
お互いに剣の柄を握る。
そこに忍術で瞬間移動した時雨が現れた。
「合図は私がしよう。直ぐに移動できるからな」
「ああ。頼む」
睨みあう両雄。
白蓮の醸し出す雰囲気が一流のそれに変わった。
一陣の風が吹いた時、時雨が合図を取った。
「では……尋常に、はじめ!」
宗助と白蓮が斬りかかると同時に時雨が日和姫の元に戻った。
剣を交えただけで凄まじい衝撃が起こった。
キン、キンキンキンっと剣を叩き合う音が響き渡る。
「へー凄いわね彼。白蓮とこれだけ打ち合えるなんて、アヤメ以来ね」
「宗助は今まで強敵と闘い、経験を積んでおる。白蓮と闘う技量は十分にあるはずだ」
「闘う技量は……ね」
姫と時雨が両雄の決闘を話しあっていた。
「やるでござるな」
「アンタこそ、こんなもんじゃないだろう」
「そうだな」
白蓮が納刀した。
(来るか? 抜刀術!)
「天照流・薄命光閃!」
白蓮が抜刀する。それは、とても速くとても重い抜刀術だった。宗助の立っていた場所を斬撃が呑みこみ、その背後の林の方まで飛んでいった。地面には深い亀裂が出来ていた。
「見事。前回は当っていたが、今回は完全に見切ったでござるな」
「アンタこそ、前回は周囲に気を使って力を押さえていたな?」
白蓮は不敵に笑った。
(ヤッベ―! 前回よりも速くて重い。アレで手加減してたのか? やっぱ幻界と先にやり合っといてよかったー!)
最強相手に余裕を崩さないように宗助は、自身の心の声を決して漏らさなかった。
宗助が次の手を考えていると、一瞬きの間に刀を構える白蓮が肉薄していた。
「どうしたでござる? 拙者との決闘の間でのんびり考えている時間はないでござるよ!」
「っち!」
宗助は出来る限り剣をかわし、かわしきれないものを剣で捌いた。
(成程。こちらの剣を受け止めれば体力を削る。故にこちらだけ消耗させるために拙者の剣を可能な限りかわすでござるか。やはりコヤツの剣は防御の剣!)
宗助の剣が防御に主眼を置かれている事を看破した白蓮は、防御を崩せるように対応すし始めた。
(やはり天照流。柔軟性に主眼を置かれた剣だな。すぐにこちらの剣に対抗してきやがった。だが此処で終わるようなら俺は一戦目で既に死んでいる!)
宗助の剣に対応し始めた白蓮の剣の動きを先読みして完全に防御をする。ここまで激しい戦いなのに双方共血を流していなかった。
キンキンキンキンと剣を弾き合う音が響く。宗助は白蓮に重い一撃を与えられた時、敢えて自分も地面を蹴って後退した。そのまま林の方へ逃げていく。
「あれー? 逃げちゃったわよ?」
「……ふむ。何か策あってのことだと思うが」
無様にも逃亡する宗助を時雨が不安そうに見ていた。
「決闘で逃亡とは剣士の恥でござる!」
白蓮は縮地によって宗助にすぐに追いつき斬撃の嵐を繰り出してくる。
白蓮は乱打で宗助を襲う。その攻撃の防御に必死になっていた宗助の腹に蹴りを入れて林の奥へ蹴飛ばした。
「!」
宗助の着地点に追撃しようとした時、彼の気配が消失した。
「我流・消失剣」
「ふむ、気配を消す剣でござるか」
白蓮が眼を瞑って剣を構える。
刹那、斬りかかる宗助の攻撃を受け止めた。
「何!?」
「どれだけ気配を消そうが、斬りかかる瞬間だけは気配を消すことは難しい」
(幻界に当らなかったのはそう言う事か……)
宗助が林の奥に駆けていく。ただ逃げるだけでは直ぐに追いつかれるので逃げながら木々を切断し、追手である白蓮の進路を妨害する。
「はっはっは! 我流・妨害剣だ。格上に挑むにはこれくらいしないとな」
白蓮が忌々しげに進路を妨害する丸太や木々を切り倒した。
「まんまでござるな。だが恨みはしないでござるよ。それは無駄な徒労でござる」
「何だって?」
「天照流・逆さ虹!」
白蓮が恐ろしい速さで七斬の斬撃を繰り出した。
宗助が斬り倒した大木は元より周囲の木々をも斬り倒していき、その内一斬が宗助の背中を斬った。
「っぐ!」
(浅いか!)
宗助が背後の白蓮に向き直ると、丁度白蓮が下から剣を振り上げる所だった。宗助は何とかその剣を捌いた。
周囲を見ると、雑木林が只の切り株林になっていた。
白蓮が全て切断してしまったらしい。
「おいおい、マジか」
冷や汗を流しながら宗助が剣を構えなおした。
両者が瞬時に加速し剣をぶつける。
再び剣戟が始まった。
(白蓮、やっぱ強いな。最強の名は伊達じゃねぇ。気を纏わせて刃渡りを変えてきやがる)
(ふむ。この速度についてくるか。剣速だけではなく、縮地も体得してきている。まだ未完成でござるが……)
二人は互いに距離を取った。
「凄い凄い。本当に頑張ってるわ。私応援しちゃう」
「宗助、頑張れ」
余裕ではしゃぐ姫と反対に、時雨は険しい表情で祈っていた。
宗助が白蓮を睨みながら走り出していく。
白蓮も宗助を睨み、一定距離を保ったまま走って行くが一瞬で消える。
白蓮は己が剣で、宗助の身を隠していた大岩を粉々に粉砕した。
「いない!? また消失剣でござるか」
白蓮が気配を探るが、自分の周囲にはいなかった。
「おーい。此処だぜー!」
宗助が手を振る。彼が立っているのは雲流島の一部に含まれる離れ小島だった。三人が立つのがやっとの直径の島で宗助が剣を肩に担いでいる。
「いつの間に移動したのだ?」
「本当に凄いわね。けれど白蓮からは逃げられないわ」
宗助のいる小島は、雲流島本島から結構離れていた。目視できない距離ではないが、時雨と日和姫からは宗助の姿が辛うじて人影に見えるくらいだった。
(どうする白蓮? 縮地でここまで来るか? だがこの小島の全てが俺の間合いに入っている。お前が縮地で斬り込んできた瞬間、俺の剣で斬ってやるぞ)
(ふむ。誘っているな)
待ち構える宗助を見て白蓮はその狙いを察した。
白蓮は縮地で跳んでは来なかった。
「宗助! 地の利は得るものではない! 作るものでござる!」
白蓮は大きく跳び上がった。
剣を握る彼の構えは、剣術の基本技の一つ唐竹割だった。
白蓮はそのまま剣を海に向かって振り下ろす。
「天照流・奥義! 天災武斬!」
「いっ!?」
斬撃が宗助の立っている離れ小島まで届いた。宗助は間一髪で避ける事が出来たが、驚きはそれだけではなかった。海が二つに割れたのだ。
宗助は戦慄した。どうやったら此処まで出来るのか、この領域に到達するのか、宗助は改めてその規格外の強さを実感した。
白蓮の奥義はただの唐竹割を極限まで鍛えたものだった。単純が故に強い。そんな技だった。そして奥義をいとも簡単に使用し、次の攻撃に生かす異端さこそが彼が最強と言われる所以だった。
白蓮は素早い足運びで、割れた海に出来た道を奔ってくる。
(このままここにいても斬られるだけ! なら俺も向かっていって奴の剣に答えてやる!)
宗助も海の間にできた一本道を奔り出した。
白蓮の柔軟な剣を時に受け、時にかわしながら、海間の道が波に消える前に両者は再び雲流島本島まで闘いながら戻ってきた。
「なんて強さ! 流石日本最強の名は伊達ではないな」
時雨は先程の攻防を見て改めて白蓮の強さに感心した。
「奥義をかわしただけでなく怖気づかずに向かってくるなんて、白蓮が認めるだけはあるわ」
姫も白蓮に着いてくる宗助の感心しているようだった。
両者は鞘と刀を駆使して攻防を続ける。
(海を斬るって、どういうことだよ! ありえねぇぞ! あんなの食らったら肉片しか残らんぞ! 何とかして持久戦に持っていく。体力勝負なら負けはない!)
(ここまでついてくるか。長期戦になればこちらが不利になるでござる。一瞬で決めに行く!)
白蓮は宗助の防御に誘導し体力を削らせる、我流・誘防剣を崩し、重い斬撃で宗助を弾き飛ばした。彼としては宗助のペースに呑まれず自身の流れに持っていきたかったのだ。それはどんな攻撃にも柔軟に対処する天照流が対処しきれなかったことを意味した。
「天照流・影楼終式・万里死天!」
白蓮の姿がぼやけた。そして四人に分身した。
四人の白蓮が遅いか速いか分からない動きで宗助の周囲を奔る。その動きを見切るのは困難を極めた。
(影分身? いや、これは忍術ではない)
それは縮地に独特のステップを加えた疑似分身を生み出す技だった。宗助との一戦目で使用した影楼の派生技のようだった。縮地と気を併用して残像の分身を作りだす技だ。どことなくアヤメの大神実命に似ている。
宗助は四人の動きをつぶさに観察し、攻撃に備えた。
(大なり小なりの傷は全て無視だ。本気で殺しに来る一撃だけ防ぐ)
宗助が四位一体の攻撃を致命傷だけ防ぐ。
最後に四人の白蓮が重なった一撃だけ受け止めた。
「見事! 良い眼でござる!」
白蓮の急所を狙った攻撃を宗助は正確に見切っていた。
白蓮は数歩距離を取ってから飛び上がった。
それは先程海を割った奥義の構えだった。
「天照流・天災武斬!」
凄まじい衝撃と共に尋常ではない砂煙が立ち上る。
バァァアア――――ン!!
凄まじい轟音。二人の闘っていた足場が一瞬で崩れた。
白蓮の奥義に耐えきれず、雲流島は完全に割断され崩壊を始めた。
「何という一撃! これが剣術なのか!?」
時雨は驚嘆した。姫も一言も言わずに只驚いていた。しかし、彼女が出雲大社で戦うなと言っていたのだから、ある程度は予想していたようだ。白蓮が加減したのか、姫と時雨が観戦している場所までは崩れなかった。
「オラァ―――!!」
砂煙の中、舞い上がった大岩を蹴って宗助が白蓮に接近した。そして彼の腹を斬った。そのまま弾き飛ばされる白蓮。
空中から地面に向かって落ちていく白蓮がニヤリと笑った。
「――惜しかったでござるな」
その刹那、宗助は腹に痛みを感じた。
見ると、瞬間移動した白蓮が自分の腹を貫いていた。
「畜生、また負けかよ……」
宗助は薄れゆく意識の中、自分の敗北だけは悟った。
「宗助、大丈夫か!」
宗助が瞼を開けると、険しい顔の時雨の顔がそこにあった。
「ん? 俺は……」
起き上がった宗助がいたのは出雲国の砂浜だった。船で運ばれたのだろう。砂浜から見える雲流島は白蓮の一撃で只の岩場と化していた。
「よかった。回復したか……」
時雨が宗助に抱きつき涙を流した。
近くに白蓮も立っていた。
「急所は外れていたからな。それに拙者とここまでやり合った男がこれしきで死ぬはずがないでござる」
「いやー、白蓮をここまで追い詰めるなんて驚いたわ」
姫が宗助を賞賛した。
「そうか、負けちまったか……。白蓮、悪いがまた再戦してくれ」
宗助は素直に自身の敗北を認め、潔く身を引こうとした。
「再戦の約束なら受け入れるが、お主はこれを持っていくがよい」
白蓮は清刀・叢雲を差し出したのだ。
「俺負けただろ? 受け取れねぇよ」
「お主に七刀を譲った剣豪たちは勝ち負けで譲ったでござるか?」
「それは……」
「皆お前を一流の剣客と認めて渡した筈でござる。そしてそれは拙者も同じこと」
白蓮が宗助に清刀を無理やり渡して言った。
「アンタが俺のどこを認めてくれたんだ?」
「第一に拙者の剣と互角に討ち合ったこと、第二に拙者の奥義を二度もかわした事、第三に、最後の攻撃だ」
「?」
「お主の胸を貫いた技は朧月と言う。縮地で加速して相手の心臓を貫く技でござる。拙者はお主の心臓を確かに狙った。だがお主は無意識に急所をそらした」
「アレは白蓮が敢えて急所を外したのではないのか?」
時雨が解せないと言う表情で尋ねた。
「いや、拙者はお主と本気でやり合った。命を気遣う余裕はなかったでござる。お主が見切って急所からそらしたのだ。しかし、そうだとすればお主の〝見切りの眼〟は少しオカシイでござるな」
「おかしい?」
「左様。拙者、以前見切りに長けた者と闘ったが、そやつは持って生まれた〝見切り〟の才に頼り過ぎて、一度崩れれば脆いものだったでござる。故にお主の見切りもそのようなものだと思っていた」
「何か違ったの? 白蓮?」
お姫様が興味本位で尋ねると、白蓮は自分の推測を混ぜて答えた。
「断言はできんが、その〝見切りの眼〟。先天的に生まれ持ったものではない。命の危機に際し、後天的に目覚めたものだろう」
「どう違うのだ?」
「先天的な方は一度崩れれば脆い。後天的な方は、後から目覚めたのだから慢心が無い。そして、体が見切りの感覚を覚えているから眼で見えなくとも無意識で見切れる」
「ん~、よくわからんが……」
「簡単に言えば、〝才覚に頼った見切りの眼〟と〝体全体が覚えた見切りの眼〟でござる。お主はいつ見切りが上手くなったでござるか?」
「言われてみれば、いつだろうな。少なくとも十歳くらいまでは相手の剣が見えずに連敗してたな。おかげで藩で一番弱い剣士と言われてた」
「ふむ。おそらくその後、お主が命を賭ける闘いをしたでござるよ」
「そうなのか? まぁ覚えてねぇしいいや。その眼のおかげで生き残れてきたんだ」
「そうだな。肝心なことは今だ。過去に何があったかよりな」
時雨も宗助もあまり関心が無いようだった。
ともかく宗助は七刀の六本目を手に入れたのだった。
数日の間、宗助は出雲の城で療養した。
その間、白蓮が日和姫に振り回される様を何度も見ることになった。
「やっぱり最強の剣士を飼い慣らす姫様が一番強いんじゃね?」
「まったくだ」
宗助と時雨は呆れながらも微笑ましくその様子を見ていた。
そして、二人は出雲を旅立つことになった。
「……今度はお主がそれを持って挑んでくるがよい」
「ああ。もっと腕を磨いてくるぜ」
「ふふふ。貴方、白蓮が清刀に頼らずとも強いって所を見ることになるわ」
「まぁ、それは大体分かっておるがな」
時雨が達観したように言った。
「今度こそ、出雲大社で決闘するでござる」
「だから! 貴方が暴れると地形が変わるの! 雲流島を御覧なさい!」
相変わらず白蓮と日和姫は仲が良いようだった。
そんな二人に見送られて宗助達は出雲を旅立った。
宗助達が海岸沿いを歩きながらこれまでの旅の思い出を振り返った。
左近との闘い、カンナカムイとの闘い、赤虎との闘い、幻界との闘い、アヤメとの闘い、白蓮との闘い。全ての思い出を語っている間に日が沈む頃になっていた。
「みんな強かったなー」
「ああ。七刀の持ち主に相応しいものだった」
二人はいつの間にか手を繋いでいた。
「もしかしたら、こいつらは幕府に献上するよりもアイツらの手にあった方が良かったのかもしれないな」
宗助が自分の背中に背負う六本の剣を見ながら言った。
「まぁ、幕府が持っていた所で豚に真珠だからな。しかし、それなら主の旅の目的が根本から崩れるのではないか?」
「そうでもないさ。仇を探すって目的もあるし、アイツらに会えただけで旅をした甲斐はあったぜ。俺はアイツらと闘って広い世界を知った」
「そうか……」
「それに、何より……旅を始めなかったら時雨に会えなかった」
宗助の突然の告白に耳まで紅くする時雨。宗助としては他意はない発言だったが、時雨としては特別な意味に解釈してしまったらしい。恥ずかしくなった時雨が話題を変えようとする。
「……主の、主の仇はどこにいるのだろうな」
「う~ん、こんだけ強い奴と闘ってて出会わないのはお手上げだな。まぁまだ見ぬ七本目の所持者がホシかもしれんし、諦めるのは早いだろう」
「宗助、その七本目なのだが……」
時雨が何かを話そうとしているが、何か躊躇しているようだった。
「ん? どうした?」
「実はな。七本目は……」
話しかけたその時、周囲に大勢の人影が現れた。
その数は十や二十ではなかった。その全てが忍装束を纏った者達だった。
夕日はいつの間にか沈んでいた。
「おい! 何だこの数は!? 時雨の追手か!?」
「さぁな。ここには〝天下七刀〟も、この〝雨降らしの時雨〟の首もある。狙われる理由はいくらでもあるだろう」
「っち! 戦わざるを得ないか」
「臆するな。二人で組めば全員倒せずとも逃げることは容易だ」
「っへ! お前が一緒なら負ける気がしないぜ」
宗助が時雨と背中を合わせて刀を構える。
「私もだ! 背中は預けたぞ!」
両手にクナイを持った時雨が飛び出した。
それは乱戦だった。しかし、今回の忍達は下忍、中忍ではなく上忍で構成されているらしく、宗助の攻撃も耐えてきた。
「っち! キリがねぇ!」
「水遁・大津波!」
忍の数人で印を結び、海の方から大津波を呼び寄せた。
「土遁・大岩壁!」
時雨が素早く印を結び、地面に手をつく。すると地面が盛り上がり巨大な岩の壁が出現した。津波はその岩壁に阻まれた。
津波の勢いを殺した時雨は次の術の用意をする。
(体力的にきついが、止むを得まい!)
時雨は此処で勝負に出た。
「土遁・底無し流砂!」
足元に流砂が出来、周囲の忍達が呑みこまれていった。
「ハァハァハァ……」
「大丈夫か時雨! 無茶すんな!」
「ここで無茶をせずいつ無茶をするのだ! 私は主の命懸けの闘いを見ている事しかできんかった!」
時雨は宗助の役に立ちたかったが、立てなかった自分を責めているようだった。彼女は既に次の術を発動させていた。
「土遁・土砂崩れ!」
海岸の側のがけが崩れて大岩が傾れ込む。大勢で群れていた忍達は数人が死亡し、残る忍達は対抗する術で生き残っているようだった。しかし時雨の狙いは別にあった。
「どこに消えた!」
忍び達が見渡すとさっきまで戦闘を行っていた宗助と時雨の姿がその場から消えていた。
(土遁・地中待機の術。これで地中に隠れてやり過ごす。宗助も私も気配を断つのは得意だ。大丈夫のはず)
時雨が宗助を胸に抱きながら地中で息を殺していた。宗助も時雨の意図を察して黙っていた。彼女の胸に溺れて何も言えなかっただけかもしれないが。
「逃げたか……」
「近くを探せ!」
忍達の会話が聞こえてくる。
助かりそうだと安心した瞬間、老人の声が響いた。
「ウツケ共! 奴らは地中に身を隠しているぞ!」
「!」
忍達が土遁系忍術で地中を攻める。
そこから逃れるために、時雨達は地上に出ざるを得なかった。
「馬鹿なお前達は!」
地中から出た時雨が見たのは五人の老人達だった。
皆それぞれ雷、火、風、水、土の漢字が書かれた笠を被っていた。
「時雨? 誰だあの爺さん達」
「―――!? アレは五忍達だ!」
「忍の里の長達か!」
宗助達の前に立ちふさがったのは、それぞれ雷、火、風、水、土の忍術を極めた最強の五人だった。それぞれが極めた術系統の忍びの名を名乗る五忍だった。
「そんな……なぜここまで五忍が出張る?」
絶望的な顔で呟いた時雨の一言を老人達は目聡く否耳聡く聞いていた。
「何、追い忍が役に立たんのでな。わざわざ出向いたまでの事」
そう言う雷忍は雷親父と呼ぶにふさわしい老いを感じさせない体躯を持つ豪傑な老人だった。片目は白く濁り、見えていないらしい。
「それも、天下七刀が一か所に揃う機会などまずないからな」
目の吊り上がった火忍が言った。
「確実に勝つ闘いを拾いに行くのがワシの流儀じゃ」
長い髭をいじりながら禿げ頭の風忍が言った。
「しかし、あの人形が七刀を持って行方をくらませた時は肝を冷やしたが、そちを泳がして正解だったな。田舎侍と共に天下七刀を収集するとは」
紅一点である水忍の老婆がつぶやく。
「ふん、ワシは土忍前任者の影響力を排すため土忍の一番弟子だったお前を消しに来ただけだがな……」
負けず嫌いそうな悪人面の土人が言った。
雷忍、火忍、風忍、水忍、土忍の言葉は彼らの立場と心情をそのまま表したものだった。
「時雨、質問がいくつかある」
「後にしろと言っても聞かぬだろうな。端的に言ってくれ」
「あの婆さんが、天下七刀が全部そろったと言っていたが?」
「奴の、火忍の言うとおりだ。最後の一本は私が所持していた。この腰にある二刀一対の刀だ。〝雷刀・麟〟という麒麟の角から作られたと言われる双剣だ」
「何故黙っていたかは、今は聞かん。ここから脱出する策を聞きたい」
「不可能だな。五忍が揃って出張るとは。一人なら私と宗助で対処できたのだが」
時雨が舌打つ。宗助が土の漢字が書かれた老人を見て言った。
「土忍は時雨を逃がそうとして死んだんじゃなかったのか?」
「先生の後釜を据えたのだろう。五忍は欠落すれば新しく選定される」
宗助と時雨が忍達を睨みながら話し合っていると、土忍が怒鳴り始めた。
「おい! 聞き捨てならんぞ! 小娘! それではワシが棚ボタでこの地位にいるみたではないか!」
「事実だろう! 先生程の忍は里にはおらん。先生が御存命ならお前がその椅子に座ることも無かっただろう!」
「ふん!」
土忍が印を結ぶと、時雨が苦しみ出した。
「う、あぁ! ガァァァアアア!」
「どうした時雨!」
駆け寄った所で宗助は思い出した。時雨には呪印術が掛けられていた。それは五忍が念じれば、術が発動できなくなり、また命を奪う事も容易だと言うものだったはずだ。不幸中の幸いなのは呪印術が不完全である事。時雨が完全に術を発動できない訳でも殺される訳でもないことだ。だが、彼女が動けないのは事実だ。その上一対多数。奥には最強の五忍が控えている。匙を投げだしたくなる戦況だった。
「おい、田舎侍。天下七刀と時雨の首を差し出せばお前の命は見逃してやるぞ」
「そうだな! 若者が命の張るようなことではあるまい!」
老忍が浪人を懐柔しようとする。
宗助は五忍の甘言には惑わされなかった。
「普段なら、イの一番で逃げ出すんだがな! 大切な時雨を置いて逃げられるかよ!」
宗助が時雨の周りにいる敵をふっ飛ばして五忍の元へ駈け出した。
(時雨さえ復活できれば逃げ出す算段はある! 五忍を一人でも殺れれば!)
宗助が加速して五忍の三歩前まで近づいていた。彼は老人達に向かって抜刀する。
「土遁・不落岩壁!」
土忍が術を発動すると、大きく固い岩の壁がそびえ立って宗助の剣を止めた。
「水遁・球体水牢!」
水忍が唱えると、海から海水が飛んできて宗助を球体状に包んだ。
(っぐ! 息が!)
水中でもがく宗助に追い打ちが飛ぶ。
「雷遁・雷帝万禁!」
雷忍が術を発動させると、彼の手から出現した電撃が四方から宗助に襲いかかった。水に包めれていた宗助は伝導率が上がり、モロにダメージを受けてしまう。
「ぐわぁぁぁああ!」
激しい電撃が宗助の体を傷つける。膝を地面に着いた宗助は腕一本動かせなかった。ただ剣を握って眼前の敵を睨むことしかできない。
「火遁・十字砲火!」
火忍が印を結ぶと、十字の炎が巻き起こり、動けない宗助を襲った。そのまま彼は火炙りになってしまう。
(熱い! だが全身に気を纏えば俺の忍耐力なら耐えきれる!)
服と肌を焦がしながらも宗助は踏ん張った。
「風遁・爆風発破!」
最後に風忍が術を発動すると、突風が吹き荒れた。辛うじて耐えた宗助が時雨のいる方向まで飛ばされてしまう。岩にぶつかって彼は止まった。
「大丈夫か! 宗助!」
時雨が急いで駆け寄る。
「ああ、なん、とか……な」
ボロボロの宗助が荒い息をしながら答えた。
「我らの術に生きて耐えきるとは感心感心。しかしワシらの攻撃は疾風迅雷。いつまでも耐えることはできん。そして回復させる時間をあたえるつもりもない」
「お前は最早風前の灯」
「一度は情けをかけた。覆水盆に返らず。二度目はない」
「まぁ 貴様の様な若人に何を言っても馬耳東風だろうな」
「愚かな。捲土重来とは言うが、我ら相手に手負いの二人では何もできんぞ」
雷忍、火忍、水忍、風忍、土忍が厳かに言った。
五忍の強さは圧倒的だった。強い忍術を扱うのもそうだが、状況にあった忍術を選んで使ってくる。さらに周囲には上忍がうじゃうじゃいる。
時雨は呪印に抗い闘っていたが、四忍が呪印を発動した影響でその場に倒れて動けなくなってしまった。宗助は傷ついた体に鞭打ち、多勢を相手に戦えない時雨を庇っていた。
そこに五忍よりいくぶんか若いくらいの初老の男性が現れた。
「ふふふ。忌々しい今川一族最後の一人も、此処で滅びるか」
「貴方は!? 藩主殿!?」
宗助は驚愕する。目の前に現れた男は宗助の故郷の藩主だった。賊の襲撃によって負傷し、その責任を今川一族唯一の生き残りの宗助に押し付け、追い出した藩主そのひとだったのだ。
「まぁ、奴の倅が天下七刀を此処まで集めたのだ。奪われた雷刀も我の下に返ってくる。そなたには感謝するぞ。安心して一族の元へ逝くがよい」
宗助は藩主の言うことが理解できなかった。彼がなぜ現場に現れたのか。そして天下七刀を狙う理由はわかるが、なぜ時雨の雷刀に拘るのか。『忌々しい今川一族』とはどういう意味なのか。
ただわかることは、彼が忍達と通じている事。天下七刀を狙う敵である事だけだった。
宗助は満身創痍で忍達の猛攻から時雨を庇っていた。強い五忍達は勝利を確信したからなのか、仕掛けてこず、自分の部下達に宗助がいたぶられ、時雨が呪印で苦しむ様を笑いながら見ていた。
眼前には最強の忍達。後方には戦えぬ仲間。退路は見えず援軍も期待できない。名軍師と言われる者でも覆しようのない、まさに絶体絶命のピンチだった。
その時― 六人の闖入者が現れた。
「お困りのようでござるな」
「なんだ、ちょいとピクニックに出掛けたらとんだサプライズに出くわしちまったな!」
「ふむ。拙僧はたまたま通りがかっただけなのだが……」
「宗助さんと時雨さんに観光名所を聞きたかったんで引き返してきましたが……」
「正解だったようね」
「助けに来たぜ! 宗助!」
宗助と時雨が双眸で捉えたのは、白蓮、赤虎、幻界、カンナカムイ、アヤメ、左近の六人、元天下七刀の所持者達だった。
「お前ら!」
宗助があまりの驚きに叫んだ。
「折角譲った刀を奪われるのは見てられんでござるからな」
「宗助、忍達がお前らを狙ってるって聞いてな。直前で出会った皆を連れてきたんだ」
「左近、お前ってやつは! ありがとう! 流石親友!」
「誰かと思えば、天下七刀を奪われた雑魚たちではないか」
五忍の誰かが呟いた。
「忍のくせに情報収集がお粗末ね。私は負けた覚えはないわ」
アヤメが忍達を見下しながら言う。
「七刀なしで、お前達に何が出来る?」
五忍は馬鹿にしたように言った。
「わかってねぇな。ボンクラ共」
赤虎が不敵に笑う。
「やれやれ歳を重ねた老人に説法が必要なのか」
幻界が笠を深く被る。
「俺達は天下七刀を持ったから強くなったんじゃない」
左近が珍しく自信満々で答える。
「強いから天下七刀を手に入れたでござる」
白蓮が毅然と言った。
「これから、それを証明しましょう」
カンナカムイが可愛い顔に似合わない台詞を言った。
次の瞬間、六人の剣客が一斉に消えた。
そして忍達は斬り刻まれていた。
「何!?」
しかしそれだけではなかった。剣豪達の攻撃を退けた忍達が何者かに攻撃され、暗殺されていたのだ。
「忍が多数で集まって馬鹿じゃないの? 隠密の役割を忘れたようね」
淡雪が木陰から氷柱千本で忍達の急所を突いた。
形勢は完全に逆転し、忍勢が押され出した。
「何をしておる! 高い金で貴様らを雇ったんだぞ!」
雷峰が叫ぶ。
(うるさい奴だな。まぁ天下七刀を手に入れればコイツも幕府もどうにもできる)
雷忍は野心を隠していた。
(落雷藩と幕府の双方から金を引っ張れるのは実に旨いものだわ。千両箱が何個になるのかしら)
水忍は取らぬ狸の皮算用をしていた。
(ふん、ワシの地位を脅かす若者がこの戦いで消えるのだ。ワシの命に従う賢き忍だけ生き残ればよい)
火忍は卑劣な考えを腹の内に秘めていた。
(取り合えず有利な方に従ったが、もしかして負け組だったか?)
風忍は焦りだした。
(ふん、この戦いでワシの土忍としての地位を築く。そして前任者の影響を排してやるわ)
新土忍は手柄を立てようと必死だった。
しかし五忍達には大きな誤算があった。それは天下七刀元所持者達の実力である。彼らは、驚くべき速さで上忍達を切り捨てていった。
左近は鋭い突き技で相手の胸と顔面を砕き、カンナカムイはアイヌ刀と体術を駆使して自分を舐めきった敵を殴殺、斬殺していった。赤虎が即席で拵えた大剣をクルクルと振り回して忍者達の胴体を斬り離していき、幻界は仕込刀ではない日本刀から繰り出される居合で長距離にいる敵すらも切り捨てていった。アヤメは最小限の妖艶な動きで相手の急所を裂いて絶命させていき、白蓮が剣神の名に相応しい神技で術を発動しようとした忍達を斬殺していく。
「す、すげぇ……」
既に戦える状態ではなかった宗助が彼らの激闘ぶりを見つめていた。
「何をしておるのだ! 一斉にかかれ!」
五忍達が部下達に命令する。
忍達も無抵抗に殺されている訳ではなかった。忍術を発動する前に殺される者もいたが、仲間の死体を盾にして術を発動する者もいた。火遁、水遁、風遁、土遁、雷遁。様々な属性の上級忍術や影分身や金剛力士等の援護系、身体強化系の術を発動させる者もいた。中には見たことも無い高等幻術を発動する者もいた。だが、六人の剣士にはどれも通じなかった。忍者達が使用した全ての忍術をことごとく払いのけたのだ。
「こいつら!? 全員〝忍術払い〟を心得た〝忍び殺し〟か!?」
動揺する忍達に五忍に怒号が飛んだ。
「阿呆共! 忍術払いがどうした!」
「払われるならば、それより強い術で攻撃すれば良かろう!」
「我ら忍の方が気の扱いに長けておるのだ!」
「貴様ら! 何のために修業をしてきたのだ!」
「まずい! まずい! この流れは非常にまずい! 何をしておるのだ!」
怒る五忍達に若い忍が意見する。
「しかし! 五忍様! 尽く払われます! 強力な術は発動に時間がかかり! その間に殺されてしまいます!」
「いい訳等聞きとうない!」
「最近の若者は情けない!」
「我らが見本を見せてやろう!」
痺れを切らした五忍達が複数人で行う合体忍術を使った。
「禁術・骸兵団!」
彼らが印を結ぶと、斬り伏せられた忍達の体が再生し、虚ろな目で立ち上がった。
「これは!? 確かに斬ったはずだが?」
「死人が蘇るのか? なんとまぁ卑劣な術だなァ」
「死者は土に眠らせるもの。冒涜的な……」
「完全な蘇生ではなさそうでござる」
六人の剣士は復活した忍びを攻撃するが、傷を再生させて直ぐに蘇ってきた。
「この人達、斬った傍から再生してきますよ!」
「駄目ね。これでは生きた忍の方を殺めても殺せない兵士として復活するだけよ」
六人の剣客達が一様に表情を歪めた。
「わはははは! 所詮侍等、我ら忍の敵ではない!」
「好きなだけ足掻け! 死んだ奴から一人一人骸兵団に加えてやる!」
「この術に〝忍術払い〟は効かぬぞ!」
「よかった。我らの勝ち筋だったか」
「フォフォフォ! 足掻く若人を見るのは何よりの愉悦よ!」
五忍達は余裕綽々と言った様子で、高所から六人の剣士を見下していた。
「っち! どうすりゃいいんだよ!」
時雨を抱えながら六人の闘いを見ていた宗助が舌打った。
その時、背後から一人の忍が現れた。蝦夷地へ向かう時に戦った淡雪である。宗助が剣を抜き構えるが、彼女の方には戦う意思はなかった。
「落ち着いて。今は貴方の味方よ。殺すつもりなら既に殺っているわ」
「お前は忍側だろう?」
「嘘だと思うなら、左近に聞いてみなさい」
問答をしていると、苦しそうな時雨が仲裁した。
「落ち着け宗助。そやつの言うとおりだ。そやつが本気なら手負いの私達は簡単に殺せている。それに、先程から忍達が襲ってこなかったのはその淡雪が私達に近付く忍を排除していたからだ」
時雨が周囲の敵に氷の刃が刺さっているのを指差して言った。死んだ忍は骸兵団になっていたが、確かに氷柱が刺さって殺されていた。宗助も納得したようで剣を納めた。
その時、左近が淡雪に向かって言った。
「淡雪! こいつら凍らせて動きを止められないか?」
「既にやってみたけど、無駄よ」
「どういうことだ?」
「私が氷遁で凍らせようとしても五忍達が術で相殺してくるの。ただ観戦してるだけってわけじゃないみたい。既に凍らせたのも火遁で解凍してくるわ」
「そうか。じゃあ術の使い手を殺るしかないか……」
「左近、適切な判断だけどそれは無理ね。骸人形が盾になるわ」
「厄介だな。その間に連中は強力な術を撃ってくるってわけか」
左近と淡雪は、情報分析と作戦会議を行った。そのかけ合いから二人が懇意の仲だということを宗助と時雨は大体察した。二人にどんな出会いがあったかは知らないが。
「それで淡雪の嬢ちゃん。対策は皆無なのかい?」
「いいえ。一つあるわ」
「手短に教えて欲しいでござる」
「流石に疲れてしまいます」
「で、どうすればいいの?」
五人の剣士が骸兵団を切り捨てながら尋ねた。
「骸兵団の術は禁書書庫に収められてる本に載っていたわ。練り上げた〝特殊な気〟で死者を骸人形として蘇らせ操る術。だから並大抵の忍術払いでは消すことが出来ない」
「ふむ。ならばどうする?」
左近が尋ねると、彼女は解決策を手短に言った。
「〝特殊な気〟で練られた術なら〝特殊な気〟で払えばいい」
「しかし、あの偉そうな爺さん達は忍術払いでは払えないと言っていたが?」
「忍者は隠密よ。詐術を用いるのも常套手段。敵に能力を全て解説する馬鹿はいないわ」
「……なるほど」
左近と淡雪が話している内容を聞いていた宗助の脳内に一筋の光明が差した。
「特殊な気! そうか! 左近! カンナ! 赤虎! 幻界! アヤメ! 白蓮!」
宗助が六人の名前を呼ぶと同時に、彼らに向かってあるものを渡した。
「これは天下七刀!?」
左近は妖刀・才を、カンナカムイは帰刀・イワエトゥンナイを、赤虎は斬馬刀・大太法師を、幻界は仕込刀・無を、アヤメは毒刀・地蜘蛛を、白蓮は清刀・叢雲をそれぞれ受け取った。
天下七刀は持ち主の元に返ってきたのだ。
「淡雪の話が本当なら、特殊な気を宿らせて製作された天下七刀ならば、骸人形を完全に殺せるはずだ!」
「「!!」」
宗助の言葉を理解した六人は手にした刀を持って一斉に駈け出した。
「ハァハァ……しかし、よく知っていたな、淡雪」
苦しそうな時雨が感心したように淡雪に言った。
「貴女は天才だから教えられたら直ぐに学んだのでしょうけれど、凡人の私は古書を読み漁ってでも力を付けるしかなかった。こんな所で役立つとは思わなかったけれど」
「そうか……」
宗助と時雨は戦場の端で体を休めて六人の闘いを観戦していた。淡雪はそんな二人を得意の氷遁で守っていた。
「俺はな。いつか本当の意味でこいつを使えるように修業してきたんだ!」
左近が妖刀・才を抜いた。
以前は刀の妖気に呑まれていたが、今の彼はその妖気を手なずけているように見えた。
「鬼角一砕流・妖鬼幻刃!」
彼が自ら妖刀の邪気を刃に纏わせて薙ぎ払った。刀から伸びた邪気で出来た禍々しい刃が骸人形を一振りで十体以上両断した。妖刀に斬られた骸兵団は沈黙していた。宗助の予想は当りのようだった。
続いてカンナカムイも激しい戦いを繰り広げていた。生きた忍達を憑気聖獣拳で殴殺し、帰刀で骸人形を斬り裂いていく。頃合いを見て密集した忍達の方へ帰刀を投げた。帰刀が帰ってくるタイミングで手に受け取らずに骸人形の方へ駈け出して行く。骸人形ではなく生きた忍達を攻撃して倒していく。帰刀はカンナの後を追って骸人形を斬り裂いていった。
「名付けて送り狼!」
彼自身も蝦夷を出て内地に入り力をつけたようだ。
「ハッハ―! 年長者組も活躍しねぇとな。即席の剣は壊れちまったし」
赤虎が大太法師を大剣化させて片手で廻し始める。そのまま前進し、骸兵団を斬り刻んでいく。骸兵団が雷遁忍術で攻撃してきた時、赤虎は跳び上がってその攻撃をかわした。そのまま技に入る。
「螺旋虎王流・翔虎顎砕!」
遠心力を高めた大剣で骸兵団に斬りかかろうとする。しかし空中で大剣を振りまわす彼に骸兵団の忍術が襲った。
「まともな判断が出来なくなってんのか、そもそも馬鹿なのか知らねぇが、判断ミスだぜ!」
赤虎は空中で自分の大剣を足場にして蹴り、斜め下に加速した。それによって忍術をかわし、自分の蹴りで遠心力が高まった大太法師を振り下ろした。
「螺旋虎王流・跳段抜虎!」
骸兵団が巨大な剣に斬り潰された。
「すげぇ、あの時俺がかわすか、空中の赤虎を攻撃してたらコイツで殺されてたのか!」
宗助は改めて赤虎の実力を再認識した。
さらに幻界が〝無〟を握ったかと思うと、周囲の敵が斬れていた。それは彼の居合が速すぎたのか〝無〟の透明化能力を使ったのかすらわからなかった。幻界が再び無を握る。
「あ、あつ……い」
またしても瞬速の居合を行っていた。
「獄門流・大焦熱!」
彼の技で斬られた断面図は焼け焦げていた。
アヤメも的確に骸兵団の急所を斬り裂いていた。
「紅花流・朝霧桜」
アヤメが先に斬った敵の血飛沫が斬りの様に霧散し、彼女の姿を隠した。そして奔り蜘蛛の足運びで加速し、血霧に紛れて斬りつける彼女の凶刃によって多くの骸兵団が斬り刻まれていた。
彼女は驚くべき速さで急所を突き、生きる忍も屍も彼女の剣技によって紅い花を咲かせていった。
そして、白蓮は縮地による加速で忍達を斬り伏せていた。その勢いは留まる事を知らない。選りすぐりの上忍達、骸兵団が泥人形であるかのように簡単に倒されていった。
「天照流・彩雲!」
彼の姿がぶれたと思った時には周囲の忍達は既に斬られていた。白蓮の白髪と鮮やかな着物が残像として残り、彼が移動した後は虹のように美しくなっていた。
最早骸兵団は総崩れになっていた。五忍達は目の前で起こった信じられない出来事に驚き、動けなくなっていた。
「こんな馬鹿な事があるか!」
「天下七刀で骸兵団を無効化するだと!? 理屈でできても実行などできんはずだ!」
「ど、どうする? どうすればいいんだ?」
「攻撃だ! とにかく攻撃するしかない! 奴らは疲弊している!」
「こんな! 芋侍共に我ら忍が破れてなるものか!」
パニックに陥る五忍達に対して宗助の故郷の藩主、雷峰が怒鳴る。
「おい! どういうことだ!? アンタらが今ならやれるっていうからここまで来たんだぞ! 雷刀だけでも奪うのだ!」
彼らが揉めている間に、六人の剣士達が接近していた。
「まずい! 雷遁・轟雷電波!」
「水遁・水龍瀑布!」
「風遁・台風暴破!」
「火遁・炎熱焼殺!」
五人の内四人がとにかく抵抗しようと己の雷遁、水遁、風遁、火遁系忍術の内、強力な術を繰り出してきた。
しかし、いかなる猛者であっても殺してきたそれらの術は、忍術払いを心得、天下七刀を所持する六人の豪傑達には効かなかった。
「鬼角一砕流・奥義! 百鬼幻角!」
「憑気聖獣拳・奥義! 竜蛇・刀夜粉災砕!」
「螺旋虎王流・奥義! 万砕白虎!」
「獄門流・奥義! 閻魔裁き!」
「紅花流・奥義! 大神実命!」
「天照流・奥義! 天災武斬!」
六人の剣豪達はそれぞれの奥義を五忍達に放った。五忍達とその近くに侍っていた上忍達は彼らの奥義によって無残にも斬り刻まれた。彼らの近くにいた藩主雷峰も、流れ弾ならぬ流れ刃によって死亡した。
唯一初めから逃げの姿勢を見せていた土忍だけは、早めに逃げた事と防御系の土遁忍術で生きながらえることが出来ていた。
「五忍とは最強の忍と聞いていたが、強いのは忍術だけだったでござるな」
最強の剣士白蓮が呟いた。
それは事実だった。全盛期の五忍達の実力はこんなものではなかったが、長らく高い地位に居座り、己が権力と名誉を守ることに執着するあまり、堕落してしまっていたのだ。それは周囲から最強と称されても尚、己の剣を磨き続けた白蓮とは対照的だった。
「何なんだ!? ワシがこの地位に着いた瞬間こんな面倒なことになって! だが最早どうでも良い! 天下七刀や時雨の首に拘るよりも! 他の五忍亡き今! 里に戻ってワシが忍達の頂点に立つのだ!)
土忍は野心を胸に、残った部下達と共に地中に隠れていた。
その時、何者かが土遁系忍術を使った。
「土遁・大地裂壊!」
その術により、大地に亀裂が走り土が盛り返された。地中に隠れていた忍達も地上に引きずり出されてしまった。本来なら足場を破壊し、敵を岩壁に埋め潰すために使用される術だが、今回は土遁で隠れた忍達を引きずり出すために使用された。
「よくも、私が呪印で動けない間に好き勝手やってくれたな! 五忍が死んだ今! 私を押さえつける者は誰もいない!」
時雨が腰の二刀を引き抜いた。
「無影時雨! 参る!」
時雨が忍の残党達に向かって走り出した。
「天秤二刀流・万邦無比!」
時雨が双剣を握って斬り裂いたり、刀の柄を回転させて逆手に握って振るったりして忍達を薙ぎ倒していた。
「あの剣術は!? 親父の!」
宗助は時雨の剣技を見て驚いた。彼女が剣技に優れていたことにも驚きだが、その剣技が自分の父が使った流派と同じだったのだ。
時雨の勢いは留まる事を知らない。彼女は両手に持つ雷刀に稲妻を纏わせた。それは忍術ではなく、剣そのものから雷が出ていた。それこそが雷刀たる所以だった。
「我は土忍だぞ! 目障りなアイツが死んでようやくこの地位に着いたのに!」
「お前が! 土忍を名乗るなァ!」
時雨は双剣の斬撃と雷撃で新土忍の命を奪った。彼女は空虚な目で忍びの残党達を見つめた。残党達はもう判断がつかなくなっていたのか、上司の仇を取ろうとしたのか時雨に向かって攻撃してきた。
その姿を見ると、時雨は素早く双剣で彼らを斬殺した。彼らの切り捨てられた四肢や首が宙を舞い、紅い雨が戦場に降り注いだ。
血の雨が戦場に降り続けた。尚も時雨が戦場を蹂躙する。二刀で駆け巡るその姿は羅刹とでも言おうか。他の天下七刀の所持者達に勝るとも劣らない圧倒的な強さだった。
「雨? どこかで……」
宗助は掌に落ちてくる血の雨を見た。
空を見上げると、満月が輝いている。
(そうだ。満月の夜、屋敷が襲撃された。それ故に俺は満月の夜は寝れなかった)
穏やかな夜だった。賊が襲撃する直前までは。空に浮かぶ満月がはっきり見えるくらいに雲一つない夜だった。
(だが、まっげつが見えるならば……なぜ俺はあの晩に雨を見たんだ?)
いつか時雨に諭されて意識的に不明瞭な記憶を思い出そうとした事があった。その時に、宗助は確かに雨が降っているのを見ていたのだ。
突然頭痛が宗助を襲う。降り注ぐ雨、圧倒的な強さ、宗助の眼が捉えた光景が霞がかった彼の記憶を刺激する。白黒映像の記憶の場面が、激しい速度で宗助の頭を駆け巡った。激しい頭痛に耐えて再び時雨の方を見た。
そこには血の雨で白髪を赤髪に変えた時雨の姿があった。
宗助は戦慄した。そこにあったのは見慣れた相棒の背中ではない。あの夜、一族が皆殺しにされた夜に見た仇の姿がそこにはあった。
全てを理解した宗助は時雨に斬りかかった。
「な、宗助? どうした? 何故私に斬りかかる!」
宗助の剣を弾きながら時雨が質問した。
おかしいと思っていた。宗助自身も修業で鍛えていたとはいえ、自分の父に「一族の剣は継げない」とまで言われ、藩で最弱だった自分が、なぜ六人の剣豪と互角に渡り合えるほどになったのか。
宗助が今まで勝ち抜けていた理由は、赤虎の言葉を借りるなら並はずれた洞察眼と常軌を逸した忍耐力だった。だが疑問はあった。そんな特異な力を持っていたなら、なぜ彼は藩最弱だったのか。宗助は幼い頃、相手の攻撃を見切れていなかった。
白蓮も言っていた。〝お主の見切りの眼は後天的に得たものだ〟と。〝命の危機に際し目覚めたもの〟だと。時雨は言っていた〝鬼の様な童が自分の攻撃を見切り、耐えて襲ってきた〟と。それらが導き出す答えは一つだった。
時雨が恐れを抱いた童こそが宗助だったのだ。
それこそが、あの夜の真実であり、宗助の力の源だった。
あの夜の光景が鮮明に蘇る。
宗助は時雨と闘っていたのだ。そして凡才だった宗助は怒りのままに時雨を攻撃した。一流の忍と討ち合うという限界を越えた死闘の中で、宗助は見切りに長けた眼と並はずれた忍耐力を手に入れた。手に入れなければ、そこで彼は死んでいたからだ。
死闘の果てに宗助は時雨に敗れた。時雨の攻撃の前に宗助は瓦礫の中に吹っ飛ばされた。宗助は、急所を狙ったその攻撃を宗助は辛うじて受け止めていた。しかし、血の雨で濡れた時雨の髪と空虚な眼を見て一瞬意識がとんでしまった。時雨の方も宗助との戦闘に疲弊し、十数秒ほど意識を失った。
その時、たまたま二人の戦闘を観戦していた黒土水仙が宗助を死なせるのを惜しみ、毒刀で宗助を仮死状態にしたのだ。アヤメが言った〝かつて毒刀をくらった者はある程度の耐性が出来る〟とは真実だった。宗助はこの時毒刀を受けていたのだ。
一瞬だけ意識が回復した宗助は男がそう言うのを聞いた。
「坊主、お前はここで死ぬのは惜しい。生き残ってみろ」
時雨が意識を失っていた僅かな時間の間に、彼は奔り蜘蛛で駆け付け、宗助を仮死状態にしていた。
「少し落ちていたか。……恐ろしい奴だったが流石に心臓は止まっているな」
時雨は宗助の脈が止まっているのを確認した。
そして、その場を離脱したのだ。
「それが、あの夜の真実だ。お前こそが俺の一族を皆殺しにした仇だったんだよ! 時雨!」
宗助が苦しそうに言った。
「そんな、馬鹿な……」
時雨は絶望した表情を見せながら宗助の剣を受け止める。
斬り結ぶ宗助と時雨。左近が闘う二人に呼び掛けた。
「宗助、何かの間違いじゃないか!? 二人が仇同士なら今までなぜ気付かなかった?」
「俺は、仇の事を眼前の敵としか認識していなかった。それにあの時眼に入ったのは特徴的な赤い髪と空虚な瞳しか覚えられていなかった。あまりにその特徴とかけ離れている現在の時雨を俺は仇だとは思えなかったんだ!」
宗助が横眼で左近を見ながら言った。
左近は頭に血が上っている宗助にそれ以上何も言えず、時雨の方を説得することにした。
「時雨! お前からも宗助に言ってやれ! 自分は仇ではないと! 宗助の仇なら宗助の顔を覚えているはずだ!」
「……いや、私が見たのは怒りと憎悪に満ちた鬼の様な顔の童だ。アレが宗助だったと言われれば否定はできない!」
「おい!」
「時雨、お前は言ったな? 任務で将軍の隠し子を誘拐した一味を殺しに行ったと、その一味のアジトは落雷藩の藩主屋敷だろ?」
「!」
時雨の眼が見開かれる。その驚きが宗助の言葉を肯定していた。
「俺達一族は落雷藩を襲った賊と闘うために、お前は将軍の隠し子を誘拐した賊共を殺すために、俺達は互いに相手を悪党だと思って闘ったんだ!」
時雨が苦しそうな表情をした。
何度か打ち合った二人だったが、互いの剣撃で後ろに吹き飛ばされた。
すかさず時雨は煙玉を使用し、その場から離脱した。
「待て!」
宗助が叫ぶが、その姿を見失っていた。
虚空を眺める宗助は涙を流していた。
また逃亡した時雨も涙を流していた。
茫然と虚空を眺めて涙を流す男は痛々しかった。
その場にいた者は、誰もかける言葉を思いつかなかった。
後で分かった話だが、今川一族は落雷藩主の謀略によって滅亡した一族だった。気力を失った宗助に代わって左近と淡雪が収集した情報によれば全ては落雷藩の二つの一族の立場から始まっていた。
藩主である雷峰一族は古くからその地方を納める一族だった。今川一族は剣士として雷峰一族に仕えていた。元々が一つの一族だったのか、単に仲が良いだけだったのかは分からないが、常に主従関係が出来上がっていた。それは江戸幕府が誕生した後も同じだった。
しかし、雷峰一族と今川一族は次第に対立するようになった。遥か昔には、今川一族が使う〝天秤二刀流〟と〝ある名刀〟がそもそも雷峰一族のモノだったのではないか、という話が火種だったという説がある、が真偽は不明だ。
確実に分かっている事は、今川一族が藩内での人望を築いており、他の藩士達が能力の無い雷峰一族を排斥しようとすることを雷峰一族が危惧したという話だ。そこで手柄を得るため、将軍の隠し子の存在を知った雷峰一族が幕府の乗っ取りを企てた。
しかし、幕府の動きが早かった。直ぐに落雷藩が隠し子を誘拐したことを突きとめてしまった。さらに凄腕の忍者を雇ったという。
雷峰一族は焦った。このままでは一族は斬首になる。そこで彼らは真面目な今川一族を利用することにした。他の藩士達に休暇をやり、屋敷外へ出し、今川一族だけに〝賊が来る〟と言って警護をさせた。無論、彼らを身代わりにするためである。元々今川一族を鬱陶しく思っていたからこそ、彼らに白羽の矢が立ったのだ。
そして、自分達の保身のために、幕府の信頼を得るために、落雷藩は藩士一族に乗っ取られたと告げた。さらに、将軍の子は藩主である自分が保護していると幕府側に言ったのだ。幕府側も本来なら裏を取るのだが、将軍の子の無事を安堵し、普段から今川一族が藩内での人望を築いている事を知り、藩主の言う事が事実だと断定した。
その後、落雷藩主を間者と認めて警護が手薄な所等を聞き出した。
そしてあの夜に繋がる。
この出来事を知った藩士達もいたが、藩がお取り潰しになり、自分達が浪人になることを恐れて黙認した。しかし宗助のことを不憫に思った彼らは黙認する代わりに、十五歳になるまで彼の面倒を見ることにしたのだ。
左近と淡雪は分かったことを宗助に告げたが、彼は反応しなかった。
天下七刀についても彼はただ「返す」と言っただけだったので、なし崩し的に元の所持者の下に戻った。
宗助はただぼ~としていた。一族滅亡の理由となった雷峰一族の謀略は、左近達によって暴露され、落雷藩はお取り潰しとなった。しかし、宗助の顔が晴れることはなかった。一族滅亡の要因となった藩と藩主が消えても、彼の心に残った不快感は消えることはなかったのだ。