第六章 一人ぼっちの姫
城の奥で寝転がるアヤメ。彼女の煌びやかな着物を見るものもこの村には誰もいない。
アヤメは過去の剣術修行を思い出していた。
廃村の中心にある城の中庭で三十代後半くらい男と十代前半の少女が剣を交えていた。
「あやめ、お前は才能の塊だ。我が一族と共に廃れるはずだった紅花流もお前のおかげで次の世代へ繋げる」
「そうですか。ありがとうございます」
アヤメの修業についていたのは、先代紅花流のアヤメの伯父だった。数時間の修業を終えると、二人は縁側で休むことにした。
お茶を一口飲むと、アヤメは伯父に語りかけた。
「伯父様、お嫁さんは貰わないのですか?」
「この村にはもう若い娘はお前だけだ。それに俺は亡き妻の他に嫁を貰うつもりはねぇのよ……」
伯父はそう言った。彼は幼馴染と結婚していたが、子を産む時に妻は死んでしまい、生まれた子も間もなく死んでしまった。それ以来、彼は『愛する妻は生涯一人』と決めていた。少子化を危惧した老人達が外界からの縁談を持ってきたこともあったが、彼は頑なに縁談を断っていた。
悲しい話題を振ってしまったと反省したアヤメは、話題を変えた。
「そういえば、ここ一年の旅はどうでした?」
「色々あったぜ?」
アヤメの伯父は紅花流を大体教えると、「後は自分でモノにしてみろ」と言って一年の旅に出掛けてしまったのだ。伯父が日本中をまわっている間に、アヤメは伯父に教授された剣技をいっそう磨いていた。 そして丁度一年後、彼がひょっこり帰って来たのだ。
「外界には強い奴がいっぱいいる。例えば武蔵の赤い虎だ。殺す気で撃った毒刀の〝毒〟を耐える奴なんて初めてだ」
「虎ですか? 虎も絵巻でしか見たことはありませんが、赤い虎なんているんですね」
アヤメが赤い虎を想像しながら言った。
「他には、京都の破戒僧は強かったぞ。俺より居合が速い奴を初めて見た。元々幕府の剣客だったらしいが、奴を追い出した幕府は大きな戦力を失ったな。今なら俺一人でも落とせるぜ? まぁ天下なんて興味ねぇが……」
彼は大層面白そうに話した。アヤメは伯父の話を聞くのが好きだった。彼が自分の伯父であり、師であるのも理由の一つだが、彼はどんなにつまらない話でも面白くして聞かせるくらい話が上手かったのだ。父が伯父を指して〝女は彼の言葉に惚れ、男は彼の剣に惚れる〟と言っていたことには納得だった。
「そういやぁ、出雲に行った時は羽白とやりあってな。滅茶苦茶強かったぜ? アイツが途中で吐血したから勝負は中断になっちまったがなぁ……全く残念だぜ? 病さえなきゃ奴は間違いなく日本最強だろうさ……ゴホゴホッ……」
「それは伯父様にも言えることだと思いますが……」
「はっ! 違ぇねぇ!」
伯父は自分の掌に着いた血を見ながら言った。
「だが悲観するこたぁねぇ! 奴の息子白蓮も親父の剣と才能を継いでる。ありゃ原石だぜぇ? 将来が楽しみだ」
「また白蓮に会ってきたのですね。それにしても伯父様は子供が好きですね」
「あぁ! 強い子供! 才ある子供は大好きだぜぇ!」
アヤメの伯父は、強い子供が大好きだった。現代ではおっさんが子供が好きと言えば危無い意味に捉えられてしまうが、彼は純粋に強い子供が好きだったのだ。
「他にもお前に並ぶ原石を幾つか見つけたな」
「原石? 例えば?」
「蝦夷に獣みたいな拳法使うガキがいた。お前より五つ位年下で、技はまだ未完成だったが、ありゃ強くなるぜ?」
「獣の様な拳法? それは見てみたいですね」
アヤメは蝦夷にいると言う獣の様な拳法を使う少年に興味を持った。そんな拳法は見たことがない。彼女の伯父は、妻を亡くしてからほとんど笑わなくなったが、強い子供を見る時はかつての様に大きく笑った。
彼は茶を全て飲み干すと、また強い子供について語りだした。
「東の方には、羅刹と修羅がいた」
「羅刹と修羅?」
アヤメは二匹の鬼が争い殺し合っている様を想像した。
「一匹がもう一匹を喰おうとしておった。若い芽を摘むのは紅花流の流儀としても、俺個人としても見過ごせなかったからな。少しばかり介入した」
「?」
アヤメは伯父の言う意味が分からなかったが、楽しそうに笑う伯父を見ているだけで満足だった。
「さて、そろそろ修業を再開させるか。俺の命が枯れる前に、お前に紅花流の全てを教えなきゃなんねぇ」
その時、立ち上がった伯父を止める者がいた。
「兄上、もう休まれては……? お体に障ります」
それは部屋の奥から出てきたアヤメの父だった。
彼もまた、顔色が悪い。
「休むわけにはいかねぇよ。この紅花流を後世に伝えなければならん」
「己が身を削ってまで伝えることですか? それにアヤメは女の子です。こんな殺人剣を教えるなんて……」
「強い奴に男も女のもねえよ。俺は才ある子供に技術を教えないことは虐待だと思ってる。アヤメに才能がなければ紅花流は俺の代で終わりにしてた」
「しかし……」
「しかしも案山子もねぇ。第一、純血の土蜘蛛の民はもう俺達しかいねぇんだ。その俺達も滅ぼうとしている。お前も長くない。どのみちアヤメが土蜘蛛最後の一人になるだろう。そうなれば誰がアヤメを守る? 誰もいねぇ。だからこうやって身を守る術を教えてんだ」
アヤメの父はそれ以上何も言わなかった。
彼の言うとおり土蜘蛛の民は滅ぶ寸前だった。何人かは村を出て行き、もう老人ばかりになっていた。老人達も毎年のように死んでいく。数は減る一方だ。増えることはない。
残った若い者もいたが、皆一様に体が弱かった。その理由は濃すぎる血だった。土蜘蛛の民は古の時代、朝廷から逃げ延びた時は、同じ民族というだけで全く血のつながりがなかった。彼らは〝朝廷に排斥された土蜘蛛の民〟という共通意識の下、大勢で助け合って生きていた。だが隠された村という閉鎖空間の中で長い時間を過ごしている内に彼らの血が濃くなっていったのだ。
濃すぎる血は欠陥を生む。彼らの中には夭折する者も多くなり、簡単に病気に罹る者も多くなった。奇跡的に健康に成長しても、不治の病に罹ったり事故死したりして数を減らしていった。
そんな中にあって、アヤメは奇跡のような存在だった。幼い頃から体が丈夫で、病気に罹ることは一度も無かった。同年代の子供が生まれなかったのは、彼らの分の健康を持って生まれてきたからだと言われたくらいだ。
「バラバラだった土蜘蛛は、今やまとまり過ぎた。王族である黒土一族とそれを支えてきた剣士の赤土一族まで混ざっちまった」
「確かに王族と剣士の一族が交わることは禁忌とされてきましたが、その禁を破ってでも子をなさなければ、我々は滅んでいました」
「いんや、もう手遅れさ。土蜘蛛は終わりだ。純血主義のジジイ共が里の外から新しい血を入れることを拒んだせいだ。そのくせ今頃になって、俺に外界から嫁を貰えというんだ。へそが茶を沸かすぜ」
アヤメの伯父は馬鹿にしたように言った。
「血を敬った我々が、その濃すぎる血に殺されるとは皮肉なものですね」
「まったくだ。だが……アヤメには幸せになってもらいてぇ。そして血ではなく、土蜘蛛の一族が生きた証のこの剣術だけは、未来に継いで欲しいのさ」
黄昏ながら言う彼の姿は哀愁に満ちていた。
「大丈夫です! お父様、伯父様! 私は立派に紅花流を継いで見せます!」
少女は言いきった。その言葉を聞いて伯父は満足そうに頷いた。
「ハハハ! ……ゴホゴホッ! 頼りにしてるぜ。俺の剣を全部学んで、この〝毒刀〟を振るえるくらいに強くなってくれ」
「はい!」
アヤメは目を覚ました。
思い出に浸っているうちに眠ってしまっていたらしい。
「昔の夢……」
そこで彼女は人の気配を感じた。何人かが村に近付いている。
「しまった。忍者に結界を破られたことを忘れていたわ」
アヤメは気配の元まで走った。もう何もない村だが、思い出がつまったこの村を荒らされる訳にはいかなかったからだ。
アヤメの村の入口に多数の男達が入ってきた。その風貌からして彼らは山賊だった。
「っち! シケタ村だなぁ! 何もねぇ」
「だが地図にも載っていない村だぞ? 絶対何かあるだろう?」
「そうだなぁ。ゴンタがこの辺りに廃村があるなんて言った時は、ついに阿片で頭がいかれたかと思っちまったが。本当だったんだなぁ」
「アニキに嘘はつきませんよ。ぶらついてた時に見つけたんです」
「前に来た時は何もなかったはずだが……」
武装した男達の中に一人だけ場違いな少年がいた。彼は山賊が襲った旅人一向の中にいた少年だった。女目当てで襲った彼らだったが、男しかおらず、腹いせに皆殺しにしたが、少年だけは生かしていた。
「あの、僕、お役に立てそうもありません」
「あ? テメェは俺らの戦利品なんだよ。テメェを餌に釣られた馬鹿から金品を奪う。テメェも直に盗みと殺しを覚えるんだぜ?」
「まぁどうしても嫌というなら別の方法で俺達の役に立ってもらうがなぁ」
少年をいやらしい目つきで見ながら言った。こんな所にも衆道趣味の変態がいたようだ。
適当に廃村を物色しながら歩いているが、何も見つからなかった。
「アニキ、城みてぇなのがあります」
「ああ。まぁ城くらいなら、まともなもんがあるだろ……」
男達は村の中心にある城に目を付けた。
だが、それを阻む者がいた。
「これ以上、この村で好きにはさせない……」
そこには一人の女が立っていた。
「ひゅ~、べっぴ~んさ~ん、み~け!」
「おいおい上玉じゃねぇか」
「ようやく女か、何もなきゃこのガキで我慢しようかと思ってたが……」
山賊達のテンションが上がっていた。彼らは下卑た考えをしていたが、それが達成されることはなかった。
「紅花流・八重葎」
剣を抜いたアヤメが賊達を斬り刻んだからだ。血が周囲に飛び散る。賊達は真っ赤な花を咲かせてその場に倒れた。
「あ……あぁ……」
その様を見た唯一の生き残りの少年が、恐怖に怯えて漏らしてしまっていた。
「あの、僕は、誘拐されてただけ、で……こいつらの仲間じゃありません。い、命だけは……」
少年はバラバラ死体とアヤメを交互に見てガタガタ震えながら命乞いをする。
その様子を見たアヤメが剣を鞘に納めて、彼の頭を撫でた。
「子供は殺さないわ。それがどんな悪童でもね。万人は殺めても子を殺めないのが暗殺剣紅花流の流儀だから……」
アヤメはそれだけ言うと、踵を返した。
少年は体の震えが収まると、脱兎のごとく逃げ出した。
*
全許寺では、宗助と時雨が子供達と花一門目をしていた。
「か~てうれしい~はないちも~んめ~」
「まけ~てくやしい~はないちも~んめ」
完全に子供達と馴染んでいた。
「なんだ。其方達、子供の世話が上手いではないか」
「うっせ! 好きでうまくなった訳じゃねぇ。赤虎の子をあやしてたんだよ」
「まったくだ。あの虎の子と比べればこの童達可愛いものよ」
宗助と時雨が愚痴を言う。赤虎の子は見た目は可愛いが、父親譲りの体力で遊び回るので、二人は大変苦労したのだった。
二人の愚痴を聞いた幻界が笑いだした。
「ハハハハ! 赤虎は子をもうけておったか。まぁ奴の子をあやすのは大変だろう。苦労したな」
「笑いごとじゃない!」
「オッサン、初めて会った時と印象が大分違うぞ!」
「すまんすまん。だが将来のために慣れておいた方がよいぞ?」
幻界が片目だけで宗助達を見ると、時雨は赤面してしまった。宗助は幻界の言葉の意味が分かっていないようだった。
子供達と遊んでいた宗助達は途中で離脱し、仏の間で話しあう事になった。
「いてて、まだ傷が痛いな」
「それはそうだ。拙僧の居合をその身に受けたのだからな。その程度で済んだ幸運を御仏に感謝するのだな」
「まったくです。ゴキブリ並の生命力です」
「小春ちゃん、意外に毒舌なんだね」
幻界に勝った宗助に彼女は敵意を抱いているようだった。
幻界は宗助に己の持つ錫杖を差し出した。
「今川殿、いや宗助、これが天下七刀の一つ、〝隠刀・無〟だ。受け取ってくれ」
「ああ。確かに」
宗助は〝隠刀・無〟を受け取った。
時雨が宗助の背中をバシバシと叩き、激励する。
「やったな! 宗助! これで天下七刀は四本目だ。後三本だな!」
「ハァ~、ようやく終わりが見えてきたって感じだな」
「ああ。だが残りの七刀の一つ、〝清刀・叢雲〟は、あの白蓮がもっておるのだ。いずれはあの最強に挑まねばならん」
「次は勝てるかなぁ~」
弱気になっていた宗助に活を入れたのは以外にも小春だった。
「貴方は幻界様に勝ったんですよ! 何弱気な事をおっしゃっているのです!」
時雨も宗助を元気づけた。
「主は赤虎にも言われただろう。〝自信がなきゃ何もできん〟と。主は強い、主は最強! これを百回唱えて頭に刷り込め」
「励ましてくれるのはありがたいが、それは遠慮しておく」
宗助は丁重に断った。
時雨と宗助を微笑ましく見ていた幻界が質問してきた。
「ところで、その白蓮の持つ叢雲以外の七刀の所在は分かっておるのか?」
「勿論だ。こっちには最強の情報通様がいらっしゃるんだ! なぁ! 時雨!」
宗助が自信満々に言った。しかし話を振られた時雨は衝撃の一言を言った。
「知らん」
「はぁ!?」
「私が知るのはこの仕込刀が最後だ。後は知らん」
「お前、『天下七刀の事は私に任せろ』ってドヤ顔でいってたじゃねぇか!」
「知らんものは知らん。出雲の白蓮が七刀を所持していると知ったのも、奴と出会う少し前だった」
「ハァ!? 何でもっと早く言わねぇんだ! その情報を早く知っていたら、アイツに斬り刻まれずに済んだかもしれんのに!」
「言えば! 主が怖気づくと思ったのだ!」
「俺はそんなに情けなくねぇぞ!」
「何を言う! 『俺は駄目な奴だぁ』と鬱っておった奴が!」
二人は顔をくっつけて眼飛ばしながら言い争いを始めてしまった。先程まで健闘を讃えて共に喜んでいた二人とは思えない。小春がヤレヤレと言ったポーズを取った。幻界は僧侶らしく二人を諌めようとした。
「痴話喧嘩は余所でやってくれんか」
「「痴話喧嘩じゃない!」」
それは火に水をかけるのではなく油を注ぐ言葉だった。
「幻界様……」
小春も苦笑いしている。
「すまんな。若い二人をついからかいたくなってな。大丈夫。今度はちゃんと止めるさ」
幻界が二人に呼び掛けた。
「お~い、喧嘩はその辺にして一つ有意義な情報を聞かぬか?」
頬っぺたを引っ張りあっていた二人が幻界の方を見た。
「「有意義な情報?」」
「ああ。天下七刀の所在だ」
幻界がそう言うと、二人が食いついた。
「幻界のオッサン! 知ってんのか!?」
「早く言え! 隠すと為にならんぞ!」
喧嘩の勢いのまま二人は尋ねてきた。
「そう慌てんでも教えてやる。……あれは五年前だった……」
「え? 回想入るのか?」
「これだから、年寄りは……」
文句を並べる宗助と時雨。
幻界は『年寄り』という言葉に若干のショックを受けながらも咳払いし、話を始めた。
幻界が寺を乗っ取ってから三年目くらいたった時、その男が急に現れた。
「強い奴と喧嘩に来たぜ」
その男はそれだけ言うと、幻界に襲いかかってきた。
そのまま決闘になり、一進一退の攻防が続いたがこの決闘は思わぬ幕引きとなった。途中で彼は吐血して倒れてしまった。
「自ら決闘を挑んだのに、勝手に倒れたから何事かと思いましたよ」
小春も当時二人の観戦していたようだ。
「そやつの名は黒土水仙といった」
「黒土水仙だと!? 花剣のか!?」
「知ってるのか時雨?」
「馬鹿者。有名人だぞ。と言っても通な人間しか知らんか。主は出雲羽白を知っておるか?」
「ああ。白蓮の親父だろ? たしか〝剣聖〟と呼ばれて最強に最も近い男だった」
「そうだ。その〝剣聖羽白〟と並び称されたのが〝花剣の水仙〟だ」
水仙はどこからともなく現れ、強者に挑んで倒して行った。だが決して子供は殺さなかった。彼は日本中を旅し、ある程度強者を倒すと、いつの間にか消えている。そして数年後にまた現れる。そんな神出鬼没の男だった。
当時、身の程知らずしか喧嘩を売らなかった羽白と互角に討ち合ったのは水仙だけだったという。互いが病持ちだったため、ついには決着がつかなかった。
「その水仙が七刀を持っていると?」
「うむ。拙僧がやりあった時は確かに所持していた。奴は腕の立つ剣士だったが、それに加えて奴の持つ七刀も厄介だった」
「どんな刀なのだ?」
「〝毒刀・地蜘蛛〟という」
幻界の言葉を聞いた宗助と時雨が首を傾げる。
「「毒刀?」」
「拙僧も詳しくは知らん。だが、その刃に斬られた連中は致命傷でなくとも死んだという話だ……」
「恐ろしいな」
呟く時雨だったが、宗助の方は何か解せないようだった。
「……だが一撃必殺の刀なら何で幻界のオッサンが生き残ってるんだ? 強者がやりあえば大なり小なり負傷するだろう」
「……言われてみればそうだな。何かカラクリがあるのやもしれん」
幻界が顎をさすりながら言った。
「まぁ、その黒土水仙の元へ行けばわかるだろう」
時雨が結論を述べる。確かに、毒刀がどのような物でも本人に会えば分かるはずである。
「出雲白蓮が所持している〝叢雲〟と黒土水仙の所持する〝地蜘蛛〟か。残りの一本のありかは知らないか?」
宗助が情報を咀嚼しながら尋ねた。
「すまんな。最後の一本の所在は拙僧も知らん。まぁ六本まで集めれば其方の下に七刀所持者が現れるやもしれんぞ。なにせ、天下七刀を六本まで集める猛者ならば、剣士たる者闘ってみたいと思うだろう」
「そうか? できれば白蓮とやりあうまでに六本目までは集めたかったんだが……」
宗助としては、実力差を埋めるために六人までの猛者と闘って経験を積み強くなりたかったのだ。その考えを察した幻界が宗助に朗報を告げる。
「宗助よ。白蓮とやり合うなら、その前に彼と闘うのは行幸だぞ?」
「ん? なぜだ?」
「白蓮が自分の父を越えたかは未だ分からん。何せ、彼の父は白蓮に奥義を教えると、病没してしまったからな。しかし……」
「その父、羽白と互角だったのが水仙。水仙と闘い互角以上に立ちまわれば、白蓮と同じ最強の舞台には立てると……?」
幻界の言葉の続きを時雨が言った。
彼女の言葉に幻界は頷いた。
「うむ。だがそれだけではない」
「……というと?」
宗助の質問に幻界が腕を組みながら答えた。
「出雲式剣術の天照流と水仙の紅花流は、元々は同じ剣術を源流としているそうだ。拙僧が剣客だった時代に読んだ『剣客浪漫』という書籍に書かれてあった。名も無き未完成の剣術だったものが、一方は天照流に、他方は紅花流になって完成されたと……」
「あぁ、その書籍なら俺も読んだぜ」
宗助は自分に合う剣を探すために剣術の書籍を読み漁っていた。
「おぉ宗助、そう言えば主は、見た目の割に努力家だったな」
「見た目の割にってのは余計だ。……確か、出雲の剣はその源流から、あらゆる武術に対抗する柔軟な剣となり、紅花流は殺人に特化した暗殺剣になったと」
「それが誠なら恐ろしいではないか」
「ああ。紅花流の由来となった『紅花』は別名『末摘花』と言う。人の残命を摘み取るからその名が冠せられたという説がある、と本で締めくくられてたな」
「必殺剣の使い手が毒刀〝地蜘蛛〟を所持しているか……。して、その居所は?」
腕を組む時雨が尋ねる。
「詳細までは知らなんだが、酒に酔った奴が言っていた。自分は土蜘蛛の民の生き残りで、摂津国を根城にしていると……」
「土蜘蛛の民? 時雨知ってるか?」
「ハァ~、主は剣術以外は知らないことが多すぎるな。土蜘蛛は、幕府など無く朝廷が国を支配していた時代に排斥された民族だ。出雲族に並ぶ古い民族で、朝廷への恭順を拒んだ彼らのほとんどが討伐されてしまった」
「へ~、可哀想な話だな。で、水仙はその土蜘蛛の生き残りだと?」
宗助が呟くと幻界が頷いた。
「本人がそう言っていた。滅亡寸前の民族だと……」
幻界の話を聞いた時雨が少ない情報から分析した。忍である彼女はそう言う情報の整理が上手かった。
「ふ~む。土蜘蛛の生き残りということ、水仙の神出鬼没さからして、結界でも張って住処を隠し生き残っていたのだろう。摂津国の山奥か。地図に村が載っていない場所が怪しいな。人気のない林と山の中を探してみるか」
取り合いずの進路が決まった宗助達は話し合いを終えた。宗助は傷の療養をし、その間に時雨が摂津の地図を見ながら怪しい場所にしるしを付けていった。
宗助の傷がいえると、二人は再び旅立つことになった。いつもながら旅の別れは悲しいものだった。幻界と小春が二人を見送ってくれた。
「強くなれよ。小僧」
「幻界様に勝ったのだから負けることは許しませんよ」
幻界と小春が二人を激励する。
「ああ」
「心配するな。この私がついておる」
時雨が胸を叩いて言った。
別れる前に宗助は疑問の答えを幻界に聞いておくことにした。
「そういや、幻界のオッサン、聞きたいことがあるんだが」
「ん? 何だ?」
「なんで将軍様を殺さなかったんだ? アンタ程の腕なら幕府の守りなんて障子紙の如しだろう?」
彼は自嘲気味に笑ってから、その質問に答えた。
「ふ、あのような男でも姫様が愛しておられたからな」
「姫が愛した男を斬れないか……」
宗助は納得した。彼が本気になれば幕府を落とすことなど容易いだろう。姫を殺した幕府を潰さなかったのは、その姫の遺志を最大限尊重したからだった。
「もう一つ聞いていいか? なんで奥義の時、一瞬手を止めたんだ?」
「!」
「あれが決まってたら頸動脈が逝ってた。アンタの勝ちだったはずだぜ?」
宗助の質問に笠を深く被りなおして幻界が答えた。
「実戦を離れておったからな。体が鈍って止まってしまったのだ……」
「本当か? まぁいいや」
幻界が長らく実戦を離れて体が鈍っていたのは嘘ではない。しかし剣を止めた本当の理由は、その命を刈るのが惜しくなったからだ。類稀なる剣の腕と自分の剣に憧れて強くなってくれた者を殺すのは忍びないと思ってしまった。それで無意識に剣を止めてしまったのだった。しかし、それを言えば本気で挑んできた宗助への侮辱になる。そう考えた彼は真実を言わなかった。
「水仙の気持ちが分かった気がするな。だが宗助よ。ここから先は拙僧のように甘くはないぞ」
時雨と宗助を見送る彼はそう呟いた。
「小春、そろそろ戻ろうか?」
「はい! 源信様!」
幻界はかつての名で自分を呼ばれ、一瞬たじろいだ。自分の隣りの少女の横顔が、かつて自分が仕えた姫の顔に重なって見えた。
「……ああ」
短い返事をした後、寺の中に二人は戻っていった。
全許寺を去った宗助達は摂津国に着くと、怪しい個所を虱潰しにしていった。幽鬼・左近の時と同じだ。ある程度、怪しい個所を周り、地図に×印を付けると、不自然な空間が浮かび上がった。
「見えたな。此処が土蜘蛛の根城だ」
「へ~、怪しい個所を全部周らずに場所を特定するなんて時雨は頭がいいな」
「褒めろ褒めろ。私は情報収集には長けてると言ったはずだ」
したり顔で笑う時雨。
「これでドヤ顔で格好付けてた割に、七刀の所在を知らなかった汚名は返上だな」
「うるさいっ!」
二人は、話しながら地図の×印に囲まれた怪しい山奥まで来た。
「当りだ。結界が張られておる」
「破れるのか?」
「見くびるな。これでも私は神童と呼ばれておったのだ。結界破りくらい心得ておる」
時雨が長い印を結び、結界に手を触れると、硝子が割れるように結界が破れた。そこには荒れ果てた廃村が見えた。
「行くぞ! 宗助! かつて出雲の羽白と並び称された黒土水仙の元へ! ここから先は思いもよらないことが我々を待っていよう!」
時雨は力強く廃村の方を指差し、宗助の手をひいて走っていった。
そして、黒土水仙を見つけた。正確には彼の墓を。
「……本当に思いもよらないことが待ち受けていたな」
時雨は顔を真っ赤にしてプルプル震えていた。
「〝行くぞ! 宗助! かつて出雲の羽白と並び称された黒土水仙の元へ!〟 だっけ?」
宗助が馬鹿にしたように、時雨の下手くそな真似をする。
「言うなぁ!」
時雨が先程の自分の発言を恥ずかしがっていた。
「ど~すんだよ。骨折り損のくたびれ儲けじゃねぇか。折角やる気を出してたのに、人っ子一人いない」
宗助が近くの廃墟を見ながらぼやいた。
その廃村は不気味だった。人気のない廃れた家屋もそうだが、村のあちこちに案山子が立っていたからだ。案山子は本来畑の獣避けとして置かれるものだが、村の道や廃屋の前にいくつも立っていたそれは、 今にも動き出しそうで不気味だった。
*
「結界が破られた?」
城の中にいたアヤメが侵入者に気付いた。結界を破って侵入したと言う事は、興味本位の盗賊ではない。以前の様な忍達である可能性もある。
しかし、アヤメは動かなかった。
「ふ~、一体どんな人が侵入してきたのかしら? たまには迎えに行かずに城主らしく待ちましょうか……」
アヤメは侵入者の登場を何故か喜んでいた。ここ最近はいつもそうだった。忍が襲撃してきた時も、盗賊が現れた時も、土蜘蛛の村を襲撃される怒りよりも、変化を期待する心情の方が大きかった。彼女自身、変わり映えのしない廃村で一人、暮らすことに疲れていたのかもしれない。
*
宗助が廃村を見渡していると、時雨は墓に供えてあるアヤメの花を見て呟いた。
「宗助、諦めるのはまだ早いぞ。墓に花が供えてある」
「たしかに供えてあるな」
「そうだ。これが意味するのは水仙の縁者が近くにまだ住んでおるという事だ。廃村に結界が張ってあったのもそれを確証付けておる」
「言われてみればそうだが……。こんな何もない所に誰か住んでいるってのか?」
「まぁ、住んでいるとしたらあの中央の城だな」
時雨と宗助が廃村の中央にある城を見つめた。
宗助達は城の内部に入った。内装は所々朽ちていたが、埃に付いた人の足跡など僅かに生活感があった。城の奥へ入ってくると、急に矢が飛んできた。宗助は刀で時雨はクナイでその全てを撃ち落とした。
「用心しろ! 宗助!」
「ああ。所々に罠が仕掛けてあるな」
「それだけではない。飛んできた矢に毒が塗ってあった」
時雨は矢をを拾いその先に付いた毒を見せた。
「成程、毒刀の所持者に相応しいな」
冷や汗を流す宗助。二人は罠に注意しながら先へ進んだ。
環菜は他にも仕掛けてあったが、先に気付いた時雨が、罠が発動する前にその装置を破壊して回った。
「そういえば、時雨は忍だったな」
「忘れておったのか。しかし、私が忍でなくとも死ぬことはないだろう。この罠、当れば脅威だが仕掛けがお粗末すぎる」
時雨は忍として城に潜入することもあった。罠を看破し破壊する術にも長けていたのだ。二人はそれからほとんど罠にかかることなく、どんどん進んで行った。
「妙だな。城の割に警護の一人もいねぇ。罠もあらかじめ仕掛けてあったものだけだった」
宗助が首を傾げた。
「まぁ、土蜘蛛の民は滅亡寸前らしいからな。よっぽど人材不足なのだろう。流石に城の上階には何人かおるだろうが」
宗助達はこれまで人一人にさえ会わなかった。罠も三流の者なら即死するだろうが、一流相手には足止めにさえならないものだった。
宗助達は人がいそうな部屋を片っ端から開けながら進み、住人を探したが一人も会う事はなかった。
そこで、城の最上階には誰かいるだろうと考えた二人は、とにかく上に進むことにしたのだ。
最上階の階段を上った二人は、その前にあった豪華な襖を見つけた。
「いよいよ、最後の部屋だな」
時雨が呟く。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
「出るとすれば、……幽霊だろうな」
「怖いこと言うなよ。ただでさえ出そうな雰囲気なんだから」
怯えながら宗助は最後の部屋の襖を「す~」と開けた。
そこにいたのは、鬼でも蛇でもまして幽霊でもなかった。
とても美しい女性がそこにいた。烏の濡れ羽色の髪は昔の姫様の様な髪型にしており、紫の瞳は朝焼けの様である。年齢は宗助達と同じか一つ位上だろうか。まさに城の主に相応しい艶やかな姫だった。
「……美しい」
思わず呟いた宗助の腹部を痛みが襲った。見ると、時雨が不機嫌そうに宗助の腹をパンチしていたのだ。
「何すんだ時雨!」
「敵かもしれん奴に見惚れておった阿呆の目を覚まさせただけだ」
宗助は腹を擦りながら前に進み、姫に尋ねた。
「あんた、誰だ?」
座っていたお姫様は宗助を見つめて行った。
「野蛮な人。誰がいるかも分からない城に土足で踏み込んできたの?」
美しいお姫様に見つめられて頬を染めながら視線をそらせてしまう。
「……育ちが悪くてな。……て! イテテ!」
宗助は背中に痛みを感じて振り返ると、笑顔の時雨が自分の背中を摘まんでいた。彼女は前に出てくると姫に話しかけた。
「私達は、黒土水仙殿を尋ねてここへ来た」
時雨が言うと、姫は目を見開いて驚き、悲しそうに呟いた。
「伯父様は昨年死んだわ。病が悪化してね」
「ああ、奴の墓を尋ねてそれは知って……って伯父様だと!?」
時雨は馬鹿みたいに驚いていた。固まる時雨に代わって宗助が尋ねる。
「姫様は、水仙の姪なのか?」
「ええ。私は黒土あやめ。黒土水仙は私の伯父で、私の師よ」
「師? ならアンタも紅花流を?」
宗助が尋ねると、アヤメはいつの間にか着物の中から出した刀を抜刀して斬りかかった。
「やれやれ、可愛い顔して殺る気満々で斬りつけてきやがって」
宗助は自身の愛刀でアヤメの剣を止めていた。
「私の一撃を防いだという事は、身の程知らずの阿呆ではないわね」
「いきなり斬りつけるとは、見た目の割に好戦的な奴だな」
「貴女の連れの彼が紅花流の使い手かと尋ねてきたから見せただけよ。〝百聞は一見にしかず〟でしょう?」
「宗助が死んでいたらどうしていたのだ!?」
時雨が珍しく怒りをあらわにする。
「ここまで上ってくる者がこの程度で死にはしないでしょう」
「大したお姫様だ。暗殺剣紅花流の使い手ということは間違いないらしい」
「確かに私は紅花流の使い手よ。でも私は無闇に人を殺めないわ。殺す時は、私の命を狙う者がいる時と、私の刀を欲する者が眼前に立つ時」
アヤメが剣を納めながら言った。
「ふ~ん、成程ね。それなら俺は君と殺し合わなきゃいけないって訳だ」
「宗助?」
無闇な戦闘を避けられそうだったのに、宗助が挑発的な事を言うので時雨は首を傾げた。
「その刀、毒刀〝地蜘蛛〟だな? 禍々しい気を感じる。俺は四本まで天下七刀を集めたからな。流石に分かってきたぜ」
「まさか!? いや、水仙から紅花流を継いだなら、刀も継いでいても不思議ではないか」
時雨も納得したようだ。
「まさかはこちらの科白よ。その背中の四本の刀。まさかとは思ったけど、全部天下七刀。四本まで集める者がいるなんてね。伯父様に聞いているわ。この〝地蜘蛛〟と並ぶ名刀が他に六本あると……」
アヤメは顎に手をやり、何かを思い出すように天井を見た。
「たしか、この〝毒刀・地蜘蛛〟の他にある刀は、妖刀・才、帰刀・イワエトゥンナイ、変刀・大太法師、隠刀・無、清刀・叢雲、雷刀・麟だったわね。そう、だから私の地蜘蛛を狙ってきたのね」
アヤメは煌びやかな着物を脱ぎ棄てた。そこには動きやすく花の模様が描かれた着物を着た彼女の姿があった。
「考えて見れば当然よね。友達がいない伯父様に尋ねてくる人なんていないわ」
「どんだけ、寂しい奴だったんだよ!」
思わず宗助がつっこんだ。
次の瞬間にはアヤメが斬り込んできた。
「命知らずにも仕掛けてきたお馬鹿さん達。貴方は一体どんなお花を咲かせるのかしら!」
急所を狙った攻撃。常人なら首が宙を舞っていただろう。しかし、眼で完全に見切った宗助にはかわせる範囲だった。
「速いな」
「今度は本気で狙ったのに。私の攻撃を完全にかわしたのは子供の頃に闘った白蓮以来ね」
「白蓮? あんた闘ってたのか?」
「まぁ、伯父様が生きていた時代に数回、出雲に連れられてね」
「へー、どっちが勝ったんだ?」
「三日三晩やりあったけど、決着がつかなくてね。滞在期間が過ぎそうだったから、伯父様と彼の父が止めに入ったわ。以来会ってないけどね!」
アヤメが素早く左手で脇差を抜き、攻撃してきた。
「おっと! あぶねぇ」
宗助の服が斬られたが、肌には届いていなかった。
観戦していた時雨はガッツポーズをした。
「よし! 宗助は強敵との闘いで見切りの眼が冴え渡っておる。そしてその眼を使いこなせるように体もつようなった。やはり赤虎と幻界とやりあったのが良かったな」
(ここで負けるようなら、俺は白蓮に挑む資格すらないってこった!)
畳返しをする宗助。
その畳はアヤメの剣に斬り刻まれる。
「いっ!」
アヤメの斬術の前には時間稼ぎにもならなかった。
「終わりよ! 紅花流・鈴蘭!」
宗助の胸を正確に狙った突きだった。
(鋭い突き技だ。だが突き技なら左近の方が速い)
宗助は彼女の剣を捌き、受け流しながら進む。
「ここだ! 我流・流水剣」
そのままアヤメに斬り込もうとするが、アヤメは左手の脇差で受け止めた。
「お前、それ受け止めるか!?」
宗助が反撃してくるアヤメの刃を避けながら叫んだ。
「紅花流は暗殺剣だけど、無防備の敵を殺す剣ではないわ。鎧を纏った者でも一流の剣豪でも殺せる剣。当然受け技も沢山あるわ」
宗助が中で回転し、片手で畳を蹴って後ろに下がる。
「へぇ、流石。 白蓮の天照流と並ぶ最古の剣だな」
両者は斬り結ぶ。周囲に火花が散り、剣がぶつかる音が響いた。
アヤメの剣は急所を狙う鋭さと共に妖艶な美しさがあった。
剣戟の嵐の中、互いに互いの力量に感心した。
(確実に急所を狙ってくる。流石は紅花流。一呼吸も油断できねぇ)
(これだけ急所を狙っているのに、全て見切って捌いてくる。とてつもない技量ね)
一流同士の剣戟は見ていて圧巻だった。
「……凄い。全盛期の私もこやつらに着いてこれたか怪しいな」
(まずいな。急所を狙う殺人剣に、一撃必殺の〝毒刀・地蜘蛛〟とは鬼に金棒だ。急所を外しても体にあたれば終わり。毒刀の所持者がその能力に奢った奴ならやり易かったのに! 感覚をもっと砥ぎすませるしかねぇ!)
(持久戦は不利。花の刺で殺すか、蟲の毒で殺すか、いずれにしても早く蹴りを付けなきゃ。この手の防御の剣は速攻で方を付けろと伯父様も言ってた……)
アヤメは敢えて剣の速度を落とした。
「!」
宗助は防御しようとしたが、間に合わなかった。
「終わりよ! 紅花流・彼岸花!」
彼女の剣が宗助の首を狙う。宗助は辛うじて頸動脈を守ったが、首筋に刃がかすった。
「宗助ぇ―――!」
時雨が涙ながらに叫ぶ。
毒刀・地蜘蛛は一撃必殺の刀だったはずだ。
その刃に斬られたと言う事は死を意味する。
「ハァハァハァ……」
宗助は膝をついた。彼の息が荒くなる。
「殺せる毒を注入したわ。もう終わりね」
宗助は地面に倒れた。
「宗助起きろ! 死ぬぞ!」
「いいえ。もう死んでるわ」
アヤメは倒れる宗助に近づいた。
その時、彼女の胸元の着物が切り裂かれた。
それは鋭利な刃物に斬られたようだった。
「!」
「あ~あ、死んだふりして攻撃しても避けられちまうんだな」
宗助がゆっくりと立ち上がった。その姿を見たアヤメは幽霊でも見たかのように眼を丸くしていた。
「どうして生きてるの?」
「どうしてだろうなぁ?」
宗助はすっとボケたように言った。彼自身にも毒刀で死ななかった理由は分かっていないのだろう。
時雨は宗助が生きていた事に安堵したが、それは不可思議でもあった。その時、幻界との会話が思い起こされた。幻界は先代紅花流の水仙と闘い、無事だった。その理由を考えた後、合点が言ったように一人頷き、宗助に向かって言った。
「宗助! 〝毒刀・地蜘蛛〟のカラクリが分かったぞ! それは一撃必殺の刀ではない! 主や幻界が生きている事が何よりの証拠だ!」
「そうだな。じゃあ、毒刀の意味は一体何なんだ?」
宗助が眼前のアヤメを見ると、彼女の方から親切に解説してくれた。
「そう毒刀は完全な一撃必殺の刀ではないわ。正確には〝毒の濃度を操作する刀〟よ。使用者が練った〝気〟の量次第で毒の濃度を自在に変えられる刀。濃度によっては痺れ状態から仮死状態にもできるわ」
「やはり! 紅花流の必殺剣と併用することで誤解が生じていただけだ!」
時雨は自分の考えが正しかったと納得した。
しかし、アヤメは再び口を開いた。
「確かに、この刀は完全な一撃必殺ではない。でも、一撃必殺の刀であることは間違ってはいないわ」
「何だって?」
「この刀に練る気によって効果は変わる。第一段階は斬った敵を痺れさせる。第二段階は斬った敵を仮死状態にする。そして第三段階は斬った相手を必ず殺すの」
「!?」
「元々は、土蜘蛛の民が朝廷の追撃から逃れるために作った刀よ。敵を痺れさせたり、仲間を仮死状態にして敵を欺かせたり、実力差のある敵を一撃で仕留めたりするために呪毒を宿らせて打たれた刀。紅花流の使い手である赤土一族に渡ったのはその随分後よ」
アヤメが丁寧に説明する。
「へー、合点がいったぜ。アンタ随分お喋りなんだな。自分の手の内さらしていいのかよ」
「人と話す機会なんて滅多にないから、私は話すことは好きなのよ。そんなことより、貴方の体は明らかにおかしいわ」
「俺がおかしい?」
「ええ。私は確かに先程殺すつもりの呪毒を刃に宿らせて貴方を斬った。普通なら即死の筈よ。なのに、どうして生きてるの?」
「その刀は毒の濃度を操作するんだろ? 俺との剣戟に必死で殺す呪毒にするための気が足りなかったんじゃないか?」
(いいえ。そんなはずはない。私はこの刀を受け継いでからその扱い方を細部まで習っている。極限の状態でも呪毒は操作できる自信があるわ。それなのになぜ?)
疑問を反芻していると、その虚を突いて宗助が攻めてきた。
「やっぱ、かわすか!」
「防御の剣が攻めに来たら簡単に避けられるでしょう? 紅花流・吊花!」
アヤメが柄頭で宗助の顎下を狙う。その意図を察した宗助が咄嗟に顔を守った。顎下を狙うのは難しいと判断したアヤメは宗助の水月を打った。
「グヴァァ!」
あまりの痛みに悶絶する宗助。何とか立ち上がろうとする。しかしアヤメは容赦しない。
「紅花流・都忘れ!」
唐竹割で宗助の頭部を狙う。
宗助は横に転がりながらその攻撃をかわした。
「奔り蜘蛛!」
アヤメの姿が消える。それは縮地の別名である高速歩法だった。宗助の異動した場所に。瞬時にアヤメが現れ剣を振り下ろす。何とか倒れたまま自身の剣受け止める。
アヤメは脇差を左手に抜き、宗助の心臓を刺そうとした。
「俺の剣は防御の剣って知ってんだろ!」
「これは鞘!?」
宗助が力任せにアヤメの剣を押し返した。アヤメは宙で回転し、再び剣を構える。その間に宗助は何とか体勢を整えた。
宗助は障子戸を蹴破り城の外部の瓦に逃走した。
(この人、案外速い。奔り蜘蛛には及ばないまでも私の速さに対応しようとしている。今まで余程の早技を捌いてきたのね)
アヤメは屋根の方に逃亡した宗助の後を追った。時雨も忍として二人の後を追うのは簡単だった。
屋根の上では激しい戦闘が繰り広げられていた。
両者は互いに刀傷が体に出来ていた。
(ふむ。アヤメの急所を狙う連撃を宗助が見切って捌いている。今まで強敵と闘ったことで剣の速さも身のこなしも見切る眼も磨かれているな。これなら或いは!)
時雨は、宗助とアヤメの剣戟をほとんど瞬きせずに見つめていた。
(まずいな。さっきの毒刀の一撃、死にはしなかったが、体が少し痺れてきやがった。得意の長期戦も難しいか……)
宗助はアヤメの剣を細かく見つめる。脇差しと毒刀での攻撃。その攻撃を見切って、今までの戦闘で一番ダメージを受けていると思われる脇差しの一部分を鞘と柄頭で脇差しの腹を挟むように叩きつけた。
「な!? これは武器破壊!?」
アヤメの脇差しに罅が入り刃が砕け散った。
流石に一流の剣士。動揺したのはほんの一瞬で、直ぐに宗助の体を蹴り飛ばし毒刀で攻撃を仕掛けた。宗助は全身を使ってその刃をかわす。両者は剣戟を繰り返しながら天守閣を下りていく。最後の瓦から飛び降り廃村まで到達した。
「紅花流・飛び梅!」
「我流・剣撃流し!」
アヤメが飛ばした斬撃を宗助は刀で弾いた。
そのまま流された斬撃は案山子を切り裂いた。
「っく!」
宗助の剣がアヤメを切り裂いた。しかし、アヤメはすぐに体勢を立て直して攻撃に出た。
再び剣戟が始まる。
二人は剣戟の最後の一撃で互いに弾き飛ばされた。
「はぁはぁ、はぁ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「なんて剣戟だ。このような闘いは見たことが無い……」
時雨も息をのんで二人の剣を見ていた。
アヤメの殺気を敏感に感じ取った宗助は、素早く回避の体勢をとる。すると、アヤメはとても速い抜刀術を繰り出した。
(っち! 白蓮の薄命光閃に勝るとも劣らない抜刀術だな!)
宗助の右腕にアヤメの抜刀術が掠っていた。
そのまま斬撃は宗助の後ろまで攻撃し、廃村の家を二、三件割断していった。
(……おいおい。幻界とやり合っといてよかったぜ。まぁ、あのおっさんもこんくらいできただろうが……)」
宗助は冷や汗を流した。
「へぇ、この鳳仙花を見切るの……。体を縦に切断したつもりだったんだけど」
「怖いこと言うな。……にしてもアンタの剣、本当に白蓮の剣と似た部分があるな。その鳳仙花や奔り蜘蛛とか。白蓮の薄命光閃や縮地に酷似している。……源流が同じっていうのは本当かもな」
宗助が呟くとアヤメがその言葉を肯定した。
「貴方の言うとおりよ。白蓮の天照流と私の紅花流は同じ源流から民族と共に別れた剣よ」
「民族と共にだと? 土蜘蛛族と出雲族は元々同じ民族だったのか?」
観戦していた時雨がアヤメに尋ねる。
アヤメは時雨を一瞥して質問に答えた。
「そうよ。元々は同じ〝くもの民族〟だった。それが〝雲〟なのか〝蜘蛛〟なのかは今となっては分からないけれど、何かの拍子に王族が二つに分かれてね。それと同時に剣士の一族も別れたみたい」
アヤメが自分の髪を手ぐしで流してから話を続ける。
「一方が〝そらくも〟に、他方が〝つちぐも〟に分かれたの。気の遠くなるくらい昔の話だから、他称されたのか自称したのかも分からないわ。大昔にそらくもの民は流れ着いたある地で出雲と名乗った。その地も同じ名前になったの。今の出雲にね。私達はそのまま土蜘蛛の民だったけれど……」
「そこで天照流と紅花流が完成したのか」
「ええ。元は同じ民族なのに、出雲は栄えて土蜘蛛は滅亡しかけてるっていうのは皮肉だけどね。土蜘蛛の純血もこの村の住人も最早私一人しかいない!」
アヤメが話し終えると同時に斬りかかってきた。
剣をかわしながら、宗助が質問した。
「アンタ、なんでこんな所に一人でいるんだ?」
宗助は純粋に、ただ一人この村に残るアヤメの真意が分からなかった。自分が同じ立場だったら寂しいに決まっている。宗助も刀集めの旅を始めた頃は、一肌恋しくなったものだ。時雨に会ってから寂しくはなくなったが、ずっと村にいるアヤメは寂しくないのかと疑問だった。
「私が守らなきゃ、誰がこの城を、里を守るっていうの! 私しかいないじゃない!」
それはもう意地だった。彼女を此処に留めていたのは土蜘蛛の民の残留思念だった。
「誰もいない此処を守って何になるんだ!」
宗助は思わず声を張り上げた。土蜘蛛最後の一人としてのプライドだけでこの廃村に留まり続ける彼女を見ていられなかったからだ。
「土蜘蛛の民は貴方の人生より遥かに長い時間ここを守ってきたの! 私が簡単に捨てられる訳ないじゃない!」
「土蜘蛛の誰かが、アンタにここに残れと言ったのか!?」
「!?」
驚愕するアヤメに宗助は続けた。
「……アンタは結論を出さなきゃいけねぇ。こんな誰もいない村で老いて死んでいくか、まだ見ぬ世界へ旅立つか」
宗助の言葉を切っ掛けにして、彼女の脳裏に伯父の顔が浮かんだ。
「アヤメ、お前には広い世界を見てきて欲しい」「お前は此処と出雲しか知らんだろうが外の世界には面白いものが沢山ある。」「土蜘蛛の民としてではなく、黒土あやめとしての幸せを掴め」「アヤメ、紅花流と共に好きなように生きろ」
彼女の頭に亡き伯父の言葉が反復した。
そのどれもが彼女を気遣う優しい言葉だった。
嗚呼。なぜ自分は頑なにここを守ってきたのだろうか。
「……そう、そうだったわ。私は、私として生きていいんだ……」
アヤメが独り言を呟いた。アヤメは伯父の言葉を思い出し、自分自身の気持ちも自覚した。アヤメは里の外に出たかった。もっと広い世界を見たかった。
心の整理がついたアヤメは、とても良い表情で宗助に向き直った。
「礼を言わせてもらうわ。貴方、名乗りなさい」
剣士が改めて名乗れと言う事は相手の力量を認めることだった。殺すにしろ、殺されるにしろ、相手の名前を覚えておきたいと言う意思表示だった。
「俺はてんび……否、我流の今川宗助だ」
「紅花流伝承者、黒土あやめよ」
名乗り上げを終えると、二人は剣を構えて互いを見つめた。
「貴方を対等な剣士と認め、奥義を見せてあげるわ」
「そいつは光栄だね」
「貴方も奥義で来なさい」
「格好良くそうしたいところだが、俺の我流に奥義はねぇ」
「ハァッ!? では今までどうやって生き残ってきたの?」
「俺の剣は守りの剣だ。攻めの奥義は存在しない。だからありのまま、アンタの剣を受け切ってやるぞ!」
宗助は啖呵をきった。
「大した自信ね! いいでしょう! 全力で抗ってみなさい!」
「来い!」
アヤメが剣を納める。それは抜刀術の体勢だった。
「紅花流・奥義! 優曇華!」
彼女が凄まじい速さと重さを兼ね備えた抜刀術を繰り出した。最初の抜刀術に剣の横薙ぎを加えた二段抜刀術だった。斬撃が爆風となって周囲を襲う。その奥義をまともに剣で受けようとした宗助は受け切れず剣ごと跳ね飛ばされてしまった。辛うじてかわす事が出来たが、宗助の後ろにあった土蜘蛛の城は屋根から十時に斬られ、凄まじい轟音と共に一瞬で崩壊していった。
自ら土蜘蛛の城を壊すその奥義による攻撃は、アヤメの、土蜘蛛の古き因果を断ち切る意思表示でもあった。
「ひぇ~、オッソロシイ!」
「城を斬るだと!?」
宗助と時雨は目を丸くしていた。
城を刀で斬れると言う事実とそれを実行するアヤメの腕に驚嘆した。
「これは大軍勢相手にする時の技なんだけど、かわすのは凄いわね。今までは誰もいない里を守るために使わなかったけれどもう守る必要はないからね」
「そうか。その剣をかわしたってことは俺の勝ちでいいのか?」
「まだよ! もう一つの花を見せてあげる!」
剣を構えたアヤメの姿が消えた。
「紅花流・奥義! 大神実命!」
彼女が美しく妖艶な動きで宗助を翻弄する。奔り蜘蛛を加えた足運びで複数に分身しているかのように錯覚する。 そしていきなり肉薄するかと思ったら急所を狙って斬ってくる。独特な動きと速さで翻弄し急所を突く連続技のようだ。先程の優曇華が力に頼った奥義なら、この大神実命は技を魅せる奥義だった。
「……美しい」
観戦していた時雨は完全にアヤメの奥義に魅せられていた。
(なんて技だ。美しく思わず見惚れちまいそうになるが、そうなれば殺られる! 一撃も取りこぼせねぇ!)
宗助はより一層感覚を研ぎ澄ませて奥義に対抗した。
一進一退の攻防が続く中、突然闖入者が現れた。
「宗助さん! 時雨さん! こんな所にいたんですね!」
現れたのは蝦夷にいたはずのカンナカムイだった。アヤメも突然の闖入者の声に気を取られて思わずそちらを見てしまった。
そして一言つぶやいた。
「か、かわいい!」
アヤメは視界の端に映るカンナカムイの愛くるしさに気を取られてしまう。その隙を宗助は見逃さなかった。
「我流・周防制攻!」
宗助が防御の体勢から攻勢に出た。これはひたすら敵の攻撃を耐えて隙を見つけて斬り込む技だった。
「っく!」
宗助とアヤメが互いの腹部を剣で貫いた。
「宗助ぇ―!」
「宗助さん!」
時雨とカンナカムイが相打ちとなった二人に駆け寄っていった。
二人の腹に深く剣が刺さっていたが、命に別状はなかった。
時雨とカンナカムイが宗助とアヤメの手当てをした。
「やるわね。私をここまで追い詰めたのは白蓮以来だわ」
「隙をついたのに相撃ちかよ。こんなんじゃ白蓮に挑めねぇな」
地面に寝転がって手当てを受ける二人が呟いていた。
「いや、宗助、ここまで出来れば上出来だろう」
時雨は宗助の健闘を讃えた。客観的に見ても宗助は十分闘った。最強の剣士と言われる白蓮に挑む資格は十分にあるだろう。
そんな話をしていると、カンナカムイが宗助に語りかけてきた。
「それにしても驚きました。宗助さん天下七刀を五本まで集めたのですね」
「ははは、ここまで苦労したんだぜ?」
親しそうに話す二人を見てアヤメが時雨に問いかけた。
「ねぇ、あの子、誰?」
「カンナカムイのことか? 蝦夷のアイヌ民族の子だ。ああ見えて男だぞ?」
「!」
アヤメは一瞬驚いたそぶりを見せが、平静を保つように咳払いして自分を治療するカンナの方を見た。
「あの、あなた……」
「あ、痛かったですか? ごめんなさい。時雨さんの忍術で応急処置はしてもらったのですが、手荒くてすみません」
カンナカムイはアヤメに丁寧に包帯を巻きながら言った。
申し訳なさそうな表情も愛くるしい。
「いえ、ありがとう。貴方優しいのね」
「そうですか? ……あの、貴女の名前を教えてもらえませんか?」
「へ?」
「いえ、こんな綺麗な人見たことないなと思って……」
モジモジしながら上目遣いで尋ねるカンナカムイは犯罪的に可愛かった。カンナの方もアヤメに興味をもったらしい。
現代の少女漫画なら『ズキュ~ン』と言う効果音が出てもおかしくないようにアヤメが胸を押さえながらのけ反った。
「わ、わたしは土蜘蛛の、黒土あやめよ」
アヤメとカンナカムイは、互いが互いの美貌に見惚れているようだ。漫画ならシャボントーンが付けられてもおかしくない程温かい雰囲気になっていた。
二人が淡い雰囲気になっていたのを放っておいて時雨は宗助を肩に担ぎ、まだ残っていた廃屋の屋内に運んだ。
「お~い、カンナもアヤメを運んで治療してやってくれ」
「はい。承りました」
カンナカムイもアヤメを別の廃屋に運んだ。やはり、彼は見かけによらず力持ちのようだった。
時雨は薬草を周囲から取ってきて薬にして宗助に与えた。薬草はアヤメの方にも渡し、カンナカムイに介抱を頼んだ。
三日経つ頃には、二人とも大分動けるようになった。
何より驚いたのはアヤメとカンナカムイが驚くべき早さで打ち解けたことだ。互いに一目で相手の美貌に見惚れたことから始まり、介抱し介抱されている間に情が移っていった。そして二人には共通点がいくつもあった。お互い政府に排された民族である事、天下七刀を所持していた強者である事、家族を失っている事などである。話せば話す程、互いに惹かれていったようだ。二人の様子は見ていて微笑ましかった。カンナカムイの方は異性に対する好意というより年上のお姉さんに対する憧れに近かったようだが。
宗助とアヤメが完全に回復したある日、アヤメが宗助に毒刀を差し出してきた。
「今川宗助、貴方に〝毒刀・地蜘蛛〟を託すわ」
「いいのか?」
「ええ。ここまで闘えた人間は白蓮を除けば貴方が初めてよ。この毒刀は大好きな伯父様の形見ではあるけれど、伯父様は強い子を気に入るから、あの人が生きていても同じことをしたと思う」
「……そうか。ありがたく頂戴しよう」
宗助はアヤメから〝毒刀・地蜘蛛〟を受け取った。
大切な形見を認めた相手に託すところまでも、アヤメとカンナは似ていた。
傷が回復し互いに目的がはっきりした所で、宗助と時雨は出雲へ、アヤメとカンナカムイはまだ見ぬ地へ旅立つことになった。
「それでは、宗助さん、時雨さん、またご縁があればお会いしましょう」
「ああ。またどこかで会おう」
「アヤメもカンナと一緒に行くんだな」
「ええ。もうあの村には守るべきものもないし、誰もいない。私はこの子と広い世界を見に行くわ」
アヤメはカンナの手を握りながら答えた。
「そうか……」
途中まで一緒に歩いた四人だったが、別々の方向へ逝くことになった。
別れる間際、アヤメが宗助の方に振り向いていった。
「今川宗助、貴方に言っておかなければならない事があるわ」
「なんだ?」
「この〝毒刀・地蜘蛛〟は確かに毒の濃度を変えられる。でも殺す気で仕掛けた本気の毒には抗えないわ」
「毒刀の殺す毒で死なない例外は、特異体質のあるものか、一度毒刀の呪毒を浴びたものだけよ。普通は毒刀を一回受けていなければ、〝地蜘蛛〟の本気の毒には抗えない。そしてわたしは貴方の首を斬った時、確かに本気の毒を刃に宿らせていたわ」
「……何が言いたい?」
「つまり、貴方は以前どこかで毒刀の毒を受けていたという事よ」
それだけ言うと、彼女はカンナカムイの方へ逝ってしまった。
「アヤメさん、次は日本のどこを廻りますか?」
「貴方と一緒ならどこへでも……」
アヤメとカンナカムイは楽しそうに旅の域い先を決めていた。
宗助はアヤメに言われた事を特に気にしなかった。
「宗助、いよいよ次は出雲の白蓮だぞ」
「ああ。今度は前みたいにはいかない。俺は奴に勝って〝清刀・叢雲〟を手に入れるぞ」
「その意気だ。では出雲に行くぞ!」
「ああ」
宗助と時雨は出雲に向かって歩いて行くのだった。