表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天下七刀  作者: 微睡 虚
6/10

第五章 咎人を裁く者

 赤虎一家と別れた宗助達は、次なる七刀の所持者を探して関西地方を目指して下っていた。ここ数カ月宗助達は歩き詰めだった。流石に目的の情報が欲しいところだ。時雨は情報収集で七刀の情報を手に入れたようだったが、何も教えてはくれなかった。


「なぁ、時雨。そろそろ教えてくれてもいいんじゃねぇか? 次の刀の所持者は誰なのか」

「そう急ぐな。今まで暇な時はなかっただろう?」

 時雨の言うとおり、天下七刀を三本まで集めて持ち歩いている宗助達を狙う輩は後を絶たなかった。侍に盗賊、忍、仕掛けてくるたびに宗助と時雨で撃退していた。

「まぁ少しは白蓮との再戦の修業にはなったかな?」

「フフフ、そうだな。主は出涸らしの茶の様に魂が抜けておったからなぁ」

「もう言うなよ、時雨」

 宗助は自信を喪失していた自信を思い出して恥じていた。

 琵琶湖が見えてきたあたりで時雨達は宿を探した。そこそこ栄えた宿屋を見つけると、すぐに部屋を借りた。

 旅疲れが出ていた宗助は宿で飯を食べ終わると、すぐに部屋で寝転んだ。時雨は入浴を済ませて部屋に戻ってきた。

「主も一緒に入ればよかったのに……」

 時雨は宗助が寝ていると思って小声で呟いたが、彼はしっかり起きていた。

「時雨? 何か言ったか?」

「な! 主起きて!? いや何でもない!」

 耳まで赤くなった時雨は誤魔化すように話を振った。


「……そうだな。近江に入ったし、そろそろ教えても良いだろう」

「何の話だ?」

「主、自分で振った昼間の会話を覚えてないのか?」

 時雨が呆れながら言った。

「ああ、たしか七刀の話をしていたか……」

 宗助もようやく思い出した様だ。

 咳払いをした時雨が語りだした。

「次の七刀所持者は京都におる」

「京都?」

 京都と言えばかつて都が置かれた古の町だ。他と比べて神社仏閣も多いと聞く。古式ゆかしい者達が住むその町に天下七刀の所持者がいるらしい。

「刀の所持者の名前は幻界という破戒僧だ」

「破戒僧?」

「仏道の戒律を破った僧の事だ」

 破戒僧とは、仏道の戒律を破った僧の事であったが、その多くは不殺生や不淫行を破った碌でもない僧のことである。

「なんで、坊さんが七刀なんかもってるんだ?」

 宗助は疑問に思った。七刀は剣客が欲しがるものだ。幕府や行商人に高く売る為に手に入れたいというならまだわかるが、時雨の話では、そのお坊さんがずっと持ってるらしい。


「詳しいことはわからんが、この幻界という坊主が、七刀が奉納されていた全許寺を襲い、坊主たちを皆殺しにして七刀を奪ったようだ」

「とんでもねぇ坊主だな……」

「まぁ、坊主と言っても所詮欲に塗れた人だからな。あまり神聖視しない方がよいだろう」

 時雨も坊主にあまり良い経験が無いようだ。それも気になったが、話が脱線しそうなので敢えて問わなかった。

「んで? その坊さんは京都のどこにいるんだ?」

「それなのだが……奴は自分が襲った寺にそのまま居を置いたらしい」

「はぁ!? なんだそりゃ? 豪胆なのか、イカレてるのか」

「さぁな。この情報もどこまで信憑性があるのか分からん。古い情報筋を使ったからな。ただ、幻界という破戒僧が天下七刀を所持しているのは本当らしい」

「そうか、まぁ会えば分かるだろう。そいつが持つ七刀はどんな刀なんだ?」

「それも分からん」

「おいおい……」

「呆れるな。忍といえども万能ではない。寧ろ幕府も見つけられなかった七刀の情報をここまで集めている私に感謝せい!」

 宗助は時雨にポコポコ殴られる。

「痛い痛い。本当に何も分からんかったのか?」

「……一つ分かってるのは、その刀が〝()〟という名の仕込刀であるという事だけだ」

 時雨の語る情報を統合すると、その天下七刀は、仕込刀として戦国時代に多くの武士の手に渡ったそうだ。時には旗棒に隠され、時には老人の扱う杖に隠され、時には盲人の白杖として。だが、その七刀は戦乱の中でどこかに紛れてしまったらしい。幻界が襲った寺に奉納されていたことも、幻界が奪うまで誰も知らなかったらしい。

「ふむ。なるほどなぁ」

 話を聞いた宗助は立ち上がった。

「ん? どこに行くんだ?」

「風呂だが……」

「そうか、私ももう一度入ってこようかの」

「お前さっき入ってきただろ? それにいつか泊まった時と同じでこの宿は混浴だぞ?」

「うるさい! 私は風呂が好きなのだ!」

 真っ赤にしながら時雨が叫んだ。そのまま彼女は白髪を振り乱しながら風呂の方へ行ってしまった。

「変な奴……」

 宗助も寝る前に風呂に入りたかったので、時雨に殴られることを覚悟で一緒に入ることにした。


 翌朝、宿から出た二人は京都を目指して畦道を歩きだした。今日は風が強い日だった。宗助の黒髪と時雨の白髪が風にたなびいていた。

「宗助、疑問に思っていたのだが、なぜ白蓮の抜刀術をかわせたのだ?」

「あ? 結局はくらっちまっただろう?」

 宗助は何となしに答える。しかし、時雨の追求は止まらなかった。

「そう拗ねるな。奴の抜刀術〝薄命光閃〟を見切れた者はいないと聞く。ほとんどは即死、生きていた者は白蓮本人が敢えて急所を外した者だけだと言われている……」

 そう、斬撃を食らってしまったとはいえ、宗助はその攻撃をかわそうとしたのだ。おかげで彼の体は真っ二つにならずに済んだ。だがそこで疑問が出てくる。彼の身体能力、動体視力はたいしたものだが、それでも所見である最強剣士の一撃をかわすのは不可能なはずだ。黙って見つめる時雨に観念したのか宗助は空を見上げながら答えた。

「白蓮の抜刀術は確かに速かった。俺が見た中で二番目にな……」

「二番目?」

 時雨は耳を疑った。宗助は最強剣士の抜刀術を世界で二番目だと言ったのだ。にわかには信じられない話だが、仮に一番の抜刀術を見ていたら、宗助が白蓮の抜刀術を見切れたことが説明できる。

「俺が三つか四つの時だな。詳しくは忘れちまったが、オヤジに連れられて幕府の近くまで行ったことがある。その時だ。」


 宗助は幼い頃、父に連れられて幕府の近くまで行った。それは自分達侍が守る将軍の城を見せたかったのか、ただ観光に連れて来たのか、今となっては分からない。だが今川親子が江戸城の近くに差し掛かった時だった。

「美しいお姫様がいてな。たぶん将軍お抱えの大奥の人だろうな。あんまりの美しさに見惚れちまったのを覚えてる」

 そう言うと、横で聞いていた時雨がむすっとした。それには気付かずに宗助は話を続ける。

「その姫様は、沢山の従者を連れてた。たぶん堅苦しい城から出て散歩してた途中だったんだろう。だがそんな好機を逃す奴はいない。急に影から出てきた賊が姫様に襲いかかったんだ」

 何人かの賊が姫君に襲いかかった。当然従者達が賊を討伐しようとするが、泰平の世、徳川一門に喧嘩を売る輩などいなかった事に安心しきっていた彼らは、次々と姫の盾になって死んでいった。そして近くにいた宗助の父が思わず助太刀しようとした時だった。

 姫の隣りに侍っていた十代くらいの若い男が賊の前に出てきた。そして次の瞬間、賊共はバラバラに斬り刻まれていた。

「それが、抜刀術最速の男か?」

「ああ。俺は目の前で起こった衝撃的な事態を瞬きせず見ていたが、奴がいつ抜刀したのか鞘に納めたのがいつなのか、全く分からなかった。全く見えなかったんだ」

 若い男は、姫を守ろうとした宗助の父に頭を下げると、何事も無かったかのように姫を連れて江戸城へと帰って行った。


 宗助の話を聞いていた時雨が眼を瞑って唸っていた。

 そして何かを思い出したかのようにつぶやいた。

「……そいつは恐らく、林崎(りんざき)源信(げんしん)だろうな」

「林崎源信?」

「私も当時幼かったから、詳しいことは分からん。だが当時、将軍の座を狙う御三家の一角が、我ら忍に現将軍暗殺を依頼したことがあってな。その目論見を失敗させたのが、その林崎源信だったという話だ」

「やはり強かったのか?」

「うむ。奴に切り裂かれた同胞を見た忍は、はじめ剣術で斬られたのが分からなかったそうだ。忍術を使われたのではないかと錯覚したほどに林崎の居合は速かった。それ以来、幕府内のゴタゴタに忍は関わらない、というのが暗黙の了解となった」

「一度失敗したからって、えらく弱気だな。俺達の事は諦めねぇのに……」

「仕方あるまい。当時五忍に最も近いと言われていた忍達がやられてしまったのだからな」

 五忍というのは忍の隠れ里を治める最強の忍達だったはずだ。それぞれが雷、火、水、風、土、炎属性の忍術を極めているという。その次期後継者と目されていた人物が軒並みやられてしまっては二の足を踏むのは当然だろう。


「まぁ、程なくして当の本人は行方不明になってしまったのだがな……」

「そうなのか……? それは残念だな」

 林崎源信は行方不明となっていた。誰も彼の行方を知らなかった。宗助は残念そうに肩を落とした。それほど林崎の剣は宗助を魅了したのだろう。


「だが、宗助よ。主は林崎の剣を見ていたから白蓮との闘いに生き残ったのだ。父上に感謝しろよ」

「ああ。そうだな。……だからこそ、仇を討たねばな……」

 宗助は七刀を集めている。だが、それは一族を復興させるための足掛かりだ。本来の目的は、一族を皆殺しにした下手人を討つことだった。

「そういえば、主はなぜ仇の情報を集めんのだ?」

 宗助は出羽国に行った時も、蝦夷地に行った時も、武蔵に行った時も、それらに行くまでの道中も全く仇についての聞き込みをしていなかった。時雨にはそこが疑問だった。

「前も言ったが、俺は下手人の特徴をあまり覚えていない。そんなんじゃ、人に尋ねてもわからんだろ?」

「確かにそうだが、ならどうやって仇を探すのだ?」

 特徴が分からず、人に聞けないのでは探しようが無い。そう思った時雨は自然に尋ねた。

「時雨も言っただろ? 強い刀は強い奴の下にあると。だったら、天下七刀を集めていれば、そいつに会えるかもしれん。もしかしたら七刀全部集めたら俺から奪いに来るかもな」


 宗助は幕府に献上するため、出世のためだけに七刀を集めている訳ではなかった。天下七刀を集めることが一族の仇を探すのに最適だったからだ。

「宗助、本当に何も覚えておらんのか? もう少し情報があれば、私の情報網を使って探してやるぞ?」

「ありがとうよ、時雨。だが俺が覚えてる事はほとんどないんだ」

「もっとよく思い出せ! どんな些細なことでもいい!」

 時雨は宗助の力になろうと必死だった。その勢いに押された宗助が頭を捻る。脳細胞の一つ一つを刺激して、霞みかけていた過去の記憶を呼び覚ます。宗助の頭の中で当時の状況が白黒映像で再生された。

「……雨が降っていた。皆が賊に斬りかかったが、簡単に殺されちまった」

「それで?」

 相棒は辛そうにしていたが、時雨は敢えて追求する。ここで思い出さなければどうにもならない。手掛かりは宗助の頭の中にしかないのだから。

「……俺は、死んだ従兄の刀を拾って奴に斬りかかった。……それから……」

「それから?」

 宗助の記憶にノイズが走る。

「……一瞬で勝負がついたのか、長いこと斬り結んでいたのか、思い出せない。俺は最後に一撃もらって意識が薄れる直前、奴の顔を見た」

 彼の記憶の光景が色付いていく。白黒映像が鮮やかになった。下手人の衣装がボロボロになって少しだけ顔が見えた。宗助が見たのは真紅の髪にどこを見つめているかわからない空虚な目だった。

「悪い、やっぱりそれ以上思い出せない……」

「私こそすまない。嫌な記憶を思い出させた」

 時雨は、汗びっしょりになっていた宗助を労り少し休むことにした。

「現場に行って過去視の術が使えればよいのだが、見たい過去から一年以上時間が経っていると術が使えないんだ」

「そうか。いやかまわない。どのみち、あの惨劇が起きた藩主の屋敷には俺は入れないようになってる。〝藩主を守れず怪我を負わせた罪〟でな」

 宗助が自嘲気味に笑った。



 一方その頃、蝦夷地から一人の少年が旅立とうとしていた。

「カンナ、やはり行くのか……」

「はい。僕も広い世界を見てみたくなりました。大丈夫です。必ず帰ってきますから」

「お前の事だ。大丈夫だとは思うが、あの二人の話では内地には強い者が大勢いるらしいからな。気を抜くなよ」

「はい!」

 元気よく返事をして長と別れる。

 カンナカムイは船に乗って日本内地を目指した。

「もしかしたら、また宗助さんと時雨さんに会えるかもしれませんね」

 カンナは希望に溢れた眼で進路を見ていた。



 同じ頃、左近と淡雪は、飛騨まで来ていた。

「これで何人目よ」

「さぁな。もう数えてない」

 二人も目の前には忍の集団が来ていた。無論淡雪の追手だった。二人は此処まで来るまでに様々な集団に何度も進路を阻まれていた。

 信濃の国では盗賊団に襲われた。

 それ以前は侍達に囲まれた。

 彼らは七刀を狙って襲ってきた。もう手放したと言っても信じてもらえず、彼らは襲ってきた。勿論、淡雪の忍術と左近の剣術で退けてきた。

「はぁ、蹴散らすか……」

「それしかないわね」

 左近は愛刀を抜いて忍達に向けた。淡雪も印を結ぼうとする。だがそれよりも早くいつの間にか左近達を囲んでいた忍達が術を発動させていた。

「土遁・底無し流砂」

 瞬間、左近達は地面に飲まれてしまう。

「念には念を入れる」

 一人の指示で土に肩まで浸かってしまった二人に対して火遁系の術が降り注いだ。

「終わりだ」

 炎が土に埋まっていく二人を包んだ。彼らは炎に包まれて溶けだした。

「ん? おかしい。人体が溶けるほどの火力ではないはずだが……」

 見ると、それは溶けるばかりか色まで抜けおちた。

「これは氷分身!?」

 忍達が左近と淡雪だと思ったものは、淡雪が作り出した氷分身だった。

 驚いていた忍達の虚をつき、全員の心臓が左近に貫かれていた。

 二人の連携によって忍達は息絶えていた。

「……氷分身と変化を併用したのか……。何時入れ替わった?」

「最初からよ。貴方達が私達を追い掛けてたのはわかってたからね」

 忍達を仕留めたことを確かめて、左近達は再び歩き出した。

「左近、巻き込んでごめんね」

「今さら気にするなよ。俺が持ってた七刀を狙ってくる輩もいたからな。それに強い奴と闘うのは修業になるから望むところだ」

 左近と淡雪は再び歩き出した。

「貴方、強いわね。もう宗助って奴に勝てるんじゃない?」

「いや、あいつは天下七刀を集めてる。俺と闘った後も色んな猛者とやり合ってもっと強くなってるはずだ。もっと強くならなきゃな」

 左近は、歩きだしながら語った。

 淡雪は、自惚れずに向上心に溢れる彼に惹かれた。



 京都の林道では、笠を被り、左手に錫杖を持った幻界が一人で歩いていた。その装束は袈裟を着た坊主そのものである。彼は葬式を上げた帰り道だった。そろそろ帰路の半分くらいを進んだかと思えた時、彼の目の前に大男が立ち塞がった。忍装束から考えて忍者だろう。

「すまんね。そこをどいてくれないか? 寺に返らなければならないんだよ」

「断る」

「なぜ?」

 幻界の問いには答えなかった。

 その時どこからか男の声がした。

「土遁・土砂崩れ!」

 幻界の右側に合った土砂が崩れて大岩が落ちてくる。

「ここで術を使えば其方も巻き添えだぞ?」

「残念だったな。俺は影分身だ」

 言ってから、男は煙のように消えてしまった。目の前にいた男は幻界の気をひくための囮だったようだ。忍び装束を纏っていた割には隠密性が無いなと感じていた幻界は妙に納得した。

(ごく)門流(もんりゅう)衆合(しゅうごう)!」

 幻界が左手に持っていた錫杖を構えると、彼を襲ってきた沢山の大岩は粉々に砕かれた。幻界の周りに小石が転がる。彼は何事もなかったかのようにい歩きだし、一本の木の前で立ち止まった。

 いつの間にか彼の目前の木が斬り倒されていた。

 そこには、先程見た大男が立っていた。

「何故我の場所が分かった?」

「……気配で分かる」

何のけもなしにそう答えた。

「消したつもりなんだがな……」

 今度は幻界の方から質問した。

「其方はなぜ拙僧を襲う?」

「天下七刀の一本、お前はそれを持っているはず」

「拙僧はこの通り錫杖しか持ち合わせておらんが……」

「では、その錫杖をもらおう」

「断ると言ったら?」

「首ごともらう」

 大男はクナイを構えた。

「やれやれ……其方も咎人か……。いったい幾つの罪を重ねた?」

「知らんな。我は忍故、物品の奪取も暗殺も行ってきた」

「ふむ。それで今度は拙僧の命ごと、この天下七刀〝(いん)(とう)()〟を奪おうと言うのか」

 幻界は自分が持つ錫杖を強く握った。彼の手に持っていた錫杖こそが天下七刀だったのだ。

「素直に差し出さなければそうなる」

 大男は殺気をむき出しにして言った。

 その殺気を涼しく受け流した幻界は短く言った。

「其方の落ちる地獄は決まった」

「……渡す気はないようだな」

 大男が印を結ぶ。

「忍法・金剛力士」

 男の体が凄まじい速度で高質化していく。それは自身の肉体を金剛石と同じ強度にする術だった。固い体は盾になり、固い拳はハンマーにもなる。防御力と攻撃力を備えた術だ。彼はこの術で多くの剣と拳を砕いてきた。物理攻撃はこの硬い体に全て弾かれてしまうのだ。まさに武人殺しと形容できる技だった。

「お前はこの防御の前に為す術も無く、我は一方的に貴様を嬲り殺せるのだ!」

大男は拳を握って、幻界を殴殺しようとした。殴りかかる直前、彼の瞳には幻界が錫杖の上部分を右手で握ったのが見えた。

「獄門流・黒縄(こくじょう)

 金剛石と同じ強度になっていたはずの大男の体が十字に切り裂かれていた。

「おま、え、今、何をし、た……?」

「其方を地獄に送っただけだ……」

 ブロックのように体を斬りおとされた大男は、自分がどうやって殺されたかも分からずに息絶えてしまった。

「拙僧の客ではないのだから念仏は必要なかろう」

 幻界が立ち去ろうとした時、彼の進行方向に少女が立っていた。

「幻界様。遅いのでお迎えに参りました」

「小春か。わざわざすまない。咎人が拙僧の歩を邪魔してな」

「では、〝地獄送り〟を?」

「ああ。〝黒縄〟へ送ってやった」

「そうですか。子供達が待っています。急いで帰りましょう」

 小春が幻界の手を引いて寺に向けて走っていった。



 あれから歩き続けた宗助達は京都へ入っていた。

「雅やかな京の町か」

「宗助、とりあえず宿を取るぞ」

「ああ。適当に決めてくれ」

 観光名所だからなのか。町には宿屋も沢山あった。中には『按摩呼び放題』『豪華京料理』等の自己主張が成されている。時雨は宿屋の規模とサービス、値段を総合的に見て吟味し、二つまで宿を絞った。

「う~む。どちらにしようか、宗助、何か意見はあるか?」

「飯と寝床があれば何でもいい」

「左様か」

 もう一度時雨は思い悩む。値段もサービスも規模も大して変わらなかった宿屋だが決定的に違う部分があった。それは混浴か、男女別風呂かの違いである。それに気付いた時雨が宿屋を決めたようだ。

 彼女が暖簾をくぐったのは混浴の宿屋だった。


 宗助は振舞われたご飯を喉に詰まらせる勢いでかきこんでいる。

「時雨、お前目利きだぞ。この宿の飯は上手い!」

「そ、そうか? そうだろう」

 時雨は苦笑いしながら箸を進める。確かにご飯は美味しかった。旅の疲れと空腹がさらに箸を進めることになった。宗助はガツガツと平らげて行き、すぐに料理皿を空にしてしまった。

食後、時雨が頃合いを見て言った。

「宗助、そろそろ風呂にいかんか?」

 宗助は腹をさすりながら言った。

「あ~、食い過ぎて無理。先に入ってくれ」

「そ、そうか。確かに美味いが量もあったな。私ももう少し後にしようかな」

「ん? そうか?」

 結局、宗助が風呂に入るまで時雨は何かと理由を付けて風呂に入らなかった。


 適当に時間が経ってから、誰も入っていない時間を見計らって宗助が風呂に入ろうとしたら、時雨も「風呂に入るのを今まで忘れていた」と言ってついてきた。風呂で時雨の裸体をガン見する訳にもいかず、目のやり場に困った宗助は話を振った。


「時雨、共に長旅をしてきたお前の事を俺はほとんど知らない」

「急にどうした?」

「いや、せっかく裸の付き合いなんだから、相手の事をもっと知りたいと思っただけさ」

「そうか」

 時雨は赤面した。宗助も今度は気付いたが、少しのぼせただけだろうと大して気にしなかった。

「なぁ、そろそろ時雨のことも教えてくれよ」

「そうだな。別に隠すことでもないだろう」

 時雨は己の半生を語りだした。時雨は生まれつき、感情が薄弱だったが、才能に溢れた子供だった。忍術を驚くべき早さで習得していき、教えた武術もすぐに体得していった。

「私は感情の起伏が少なかったが、それ故私情をはさまず任務をやれた」

「まぁ忍なら、そっちの方が便利だよな」

「……だが人として生きるからには、時に感情も必要だと土忍様に叱られた」

「土忍? 里を治める五人の強い忍の一人だっけ?」

「ああ」

 時雨にとって土忍は恩師であった。彼は実力者でありながら人格者でもあった。強硬派過激派の火忍と雷忍を諌め、風忍と水忍を上手く味方につけて里を平穏に治めていた。何でも器用にこなし、喜怒哀楽の感情が乏しく可愛くない時雨を、唯一眼にかけてくれたのが土忍だったのだ。時雨も土忍を先生と呼び慕っていた。


「私はどのように笑えば良いのか、怒ればよいのか、泣けば良いのか、まったく分からなかった。『どうやって泣けばいいの? 笑えばいいの?』と尋ねては先生を困らせていたよ」

 時雨は自嘲気味に笑う。こんな笑いが出来る彼女が笑い方を知らなかったというのは驚きだ。

「私はそれから様々な任務をやった。単なる情報収集から機密文書の奪取、要人護衛、要人暗殺まで、多くの任務をやった。だがどんな任務を行う時も私の感情は揺れなかった。人を殺める時でさえも……」

「なぁ、今のお前は感情豊かだと思うが、どうしてそう……変化できたんだ?」

 宗助が尋ねると、時雨は空を見上げて言った。

「ある任務が私を変えたのだ」

「ある任務?」

「その任務は、……暗殺と、特定人物の保護だった」

 時雨に下った任務は、将軍の隠し子の保護とその子を誘拐した一味の抹殺だった。将軍が出来愛し、秘密裏に育てていた子が何者かに暗殺されてしまったというのだ。誘拐犯一味は、その子を使って倒幕を目論んだ。事態を重く見た将軍が危険人物の抹殺と我が子の保護を忍に依頼したのだ。

「そんな事件があったのか。全然知らなかった」

「それはそうだ。将軍に隠し子がいた事、その子が誘拐されたことなんぞ、世間に公表したら不味いなんてものじゃない。だからこそ私達忍が雇われ、秘密裏に処理されたのだ」

 時雨の説明に宗助は納得した。確かにそんな大事件は隠すのが当然だ。


「あれは満月が綺麗に見える晴れた晩だった。既に内部に間者がおったから屋敷の構造も全て筒抜けであれ程楽な仕事はなかった。途中まではな……」

 将軍家に不届を行った賊共を殺すのは簡単だった。彼らはその大胆な計画に関わらず弱い部類だった。賊の頭目には若干苦戦したが、命が危ないほどの事ではなかった。

「途中まで? 何か起こったのか?」

「ああ。それこそが私に感情が芽生えた原因だ」

「強い用心棒でもいたのか?」

「いや、そこにいたのは童だった」

「わっぱ?」


 時雨の眼前に立ち塞がったのは子供だった。子供と言っても当時の時雨と同じぐらいではあったらしい。

「その童は、鬼や修羅とでも形容しようか。おおよそ人とは思えぬ表情で私に襲いかかってきた。直線的な動きで最初は弱いと思ったが、何度攻撃しても、何度吹き飛ばしても、立ち上がっては私に襲いかかってきたのだ」

「それは恐ろしいな……」

「そうだろう? 私もはじめて恐怖という感情を知った。今まで遅れを取らなかった同年代に追い詰められる恐怖。何度殺意ある攻撃をしても何度も立ち上がってくる恐怖。一度受けた私の技を確実に見切って私を殺そうとする恐怖……」

 湯船に水紋がたっていた。時雨が震えていたからだ。

 宗助は時雨の肩を抱いて質問した。

「それで、どうなったんだ?」

「童は私が殺したよ。確実に急所を突いた。脈も止まっているのを確認した。それから私はすぐに離脱した。元々凶悪犯一味の抹殺と隠し子の奪還が任務だったからな」

 任務は成功した。間者も将軍の隠し子も無事で、賊共は皆殺しにできたのだ。

「だが、この一件で私に感情が芽生えた。あの童と相対することで恐怖を知り、同年代で自分を追い詰める者がいるという喜びを知り、体を傷つけられたことで怒りを知り、そこまでして生き残ろうとする童の人生を推察して哀しみを知り、そんな童と命懸けで闘う事で楽しみを知った」


 感情が芽生えた時雨は、忍の里に留まることに疑問を抱いた。自分に様々な感情を教えてくれた〝あの童〟のような人間が外の世界にいるかもしれない。そう思うと時雨は里を出ることを夢見るようになった。

「里にとって神童と呼ばれた私が外界に出ることは大きな損害になる。そう考えた五忍達は許可を出さなかった。だが里に留まっている間中、私はあの童に対する憧れ、外界への憧れが強くなっていった。そして数年後、里を抜けることを決意した」

 当然、その動きを察知した五忍が行く手を阻んだ。五忍は時雨に呪印を掛けて忍術を封じ完全にコントロール下に置こうとした。

「だが待てよ。現に時雨は忍術を使えているじゃないか?」

「それは五忍が掛けようとした呪印が不完全だったからだよ」

「不完全?」

 五忍が時雨に掛けようとした五行呪印は、最高クラスの忍が五忍で掛ける呪印術だった。これに掛けられた者は殺生与奪を完全に握られてしまう。どんな忍術を発動しようとしても呪印を掛けた者が念じると術は発動できなくなり、殺そうと思えば簡単に殺せるものだそうだ。

「呪印が不完全だったのは、一人の五忍が裏切ったからだ。私の先生、土忍様がな」

「!」

 土忍は時雨を娘のように可愛がっていた。里のため、忍のために尽くし、任務を全うしてきた時雨が唯一口にした〝里を出たい〟という我儘を彼は叶えてやりたかったようだ。

 彼は呪印術を発動しなかった。そのせいで時雨にかけられた五行呪印は不完全になってしまったのだ。

「本来五人で行うはずが一人欠けたのだ。どれだけ強い呪印でも不完全になる。だから私は術を使える。例えるなら水を封じた壺の底に一つの穴が空くようにな……」

 壺に空いた穴から水が抜け出すように、時雨は忍術を使用できた。呪印を掛けられる以前のように自由にいくつも使える訳ではなかったが、それでも彼女は忍びとして殺されることはなかった。


「その五行呪印のもう一つの効果、念じれば殺されるっていうのは大丈夫だったのか?」

「ああ。呪印術に土忍の〝気〟が入ってなかったからな。他の四忍が近くで念じれば全身に激痛が走るが、死ぬようなことはない。だから私は今生きている」

 時雨は呪印を掛けられた時、その場を逃げ出そうとした。五忍の内四忍が時雨を封じようとしたが、不完全な呪印では彼女を止められなかった。彼女が敵対勢力の手に渡ることを恐れた四忍は、時雨を実力で殺そうとしたが、それは叶わなかった。

「土忍様が私を庇い逃がしてくれたのだ」

 呪印の激痛で動けなくなっていた時雨を殺そうとした火忍雷忍水忍風忍の前に土忍が立ち塞がった。彼は命がけで足止めをし、時雨は難を逃れることが出来た。

「それから追い忍に追われて難儀しておった時に、主に出会ったのだ」

「そうだったか。それで……土忍はどうなったんだ?」

 宗助が聞きにくそうに尋ねた。

 時雨は少し言葉を詰まらせたが、自分の見解を述べた。

「……折角先生が逃がしてくれたのに、また隠れ里に踏み込めば本末転倒だ。直接確かめたわけではないが、おそらくは……」

 彼女は最後まで言わなかった。宗助はそれ以上尋ねなかった。そして彼女を強く抱きしめた。


 夜が明けると、宗助達は幻界が住む全許寺に向かった。聞き込みによると、もう少し西へ行った所にある寺に住んでいるようだ。二人は西に向かって歩を進めた。


 夕日が空を赤く染める頃、宗助がため息をついた。

「はぁ~、破戒僧が相手か……」

「何だ? 臆しておるのか?」

「いやぁ~、だってよぉ、寺の坊主を皆殺しにしてその寺乗っ取るような危険人物だぞ?」

「まぁそうだな。だが町人達も幻界について悪い反応ではなかった。今は改心しておるのかもしれん。少なくとも、辻斬りの様に、眼があった瞬間斬りつけてくることはあるまい」

 その時、『ボ~ン、ボ~ン』と鐘を鳴らす音が聞こえた。見ると、長い階段の頂上に寺らしきものがあった。

「どうやら着いたようだな」

「ああ」

 意を決した二人は寺を目指して階段を上って行った。

「か~ごめ~か~ごめ~、か~ごのな~かのと~り~は~……」

 頂上に着き門を潜ると、そこには子供達が遊んでいた。

「子供?」

「子供だな……」

 二人が困惑していると、気付いた年長の少女が宗助達の元へ駆けよってきた。

「私は小春と申します。この寺に何か御用ですか?」

 物腰の柔らかい大人しそうな少女だった。年頃は宗助と時雨と同じようだ。宗助達はどう切り出したらいいか悩んでいた。まさかこの少女に「寺の主の人殺し破戒僧はどこですか?」と聞く訳にはいくまい。言葉を選んでから時雨が彼女に尋ねた。

「ごほん。あ~、この寺に幻界という和尚がいると聞いたのだが?」

「幻界様ですか? いらっしゃいますよ。今は座禅を組んで黙想しておられる頃だと思います」

「その幻界和尚に会いたいのだが……」

「……少々お待ち下さい」

 少女は宗助達にお辞儀をすると、寺の奥へ引っ込んでいった。

「聞いたか時雨? 座禅だってよ」

「ああ。黙想とも言っておったな。幻界は本気で坊主をしておるのか?」

「おかしくねぇか? 寺の坊主を皆殺しにした殺人鬼だろ? そんな奴の根城にあんな子供達が『かごめかごめ』やってるって……」

「う~む。どうなっておるのだ?」


 小春は幻界を呼びに仏の間に入っていった。

「幻界様」

「小春か? どうした? また茂吉が太郎を泣かせておるのか?」

 座っていた幻界が片目だけを開いて彼女に尋ねた。

「いいえ。お客様です」

「客? また懺悔に来た者か?」

「それが……〝幻界様にお会いしたい〟と……」

 小春の言葉を聞いた幻界はしばらく顎を擦ってた後、錫杖を持って立ち上がった。

「案内しなさい」

「はい」

 小春は幻界を宗助達の元へ案内する。回廊を出た所で幻界は宗助と時雨の姿を見つけた。彼は子供達と戯れていた宗助達の背後から声をかける。

「拙僧に何用かな?」

「あんたが幻界か?」

「思っていたのと違うな」

 時雨は口が裂け、目がつり上がった坊主を思い描いていたので拍子抜けしたようだ。

「込み入った話なのだが……」

 宗助が用件を言おうとした時、多くの人間が走ってくる足音が聞こえた。

 足音の主はすぐにわかった。境内に多数の侍達が入ってきたのだ。

「なんだぁ?」

 宗助が刀を抜き、時雨がクナイを構える。

「和尚様ぁ」

「幻界様」

 怯える子供達を小春が覆いかぶさるように守った。

「やれやれ、今日は千客万来だな」

 幻界は笠を深く被って言った。

「幻界和尚だな。幕府より命が下った。貴様の持つ天下七刀を渡せ」

 侍達は一斉に剣を抜いた。彼らは幕府の使者だったようだ。

「すまんなぁ。先客が来ているのだ。少し待ってもらえぬか?」

 幕府の侍達に臆することなく、彼らに向かって言った。

「上様は待っておられん。早く天下七刀を渡せばすぐに終わる!」

 いきり立つ男の言葉を聞き、幻界は溜息をついた。

「はぁ~、まだ幕府は薄汚い考えを抱いておるのか……」

「薄汚いだと? 上様は戦国時代を巻き起こした邪悪な天下七刀を! 再び世に災いをもたらす前に回収しようという崇高なお考えなのだ」

 彼は、いかにも将軍に取り入ろうとしていた。

 幕閣の言葉を聞いた幻界は一笑に付した。

「崇高? 笑わせるな。天下七刀が邪悪で災いをもたらすと言うなら、わざわざ回収せずとも見つけ次第破壊すれば良い」

「た、たしかに……」

 幻界の指摘に宗助と時雨は頷かざるを得なかった。


「あの馬鹿殿の浅はかな考えはお見通しだ。奴は天下七刀を使って幕府を潰されるのが怖いだけだ。ついでに自分が天下七刀を全て集めればその勇名を全国に轟かせる。あやつは歴代将軍の中でも特に目立つような政策をしておらんからな。実績が欲しいのだろう」

 ぐうの音も出ないほどの指摘をされて幕臣の侍達は言い返せなかった。故に彼らは話題の内容よりも目上の人間を侮辱したことを重点的にとらえて叫んだ。

「……っく! 上様を侮辱するとは! 不遜だぞ!」

「奴は愚かでしかない。奴が有能なら拙僧はお前達側にいたままだったのだから……」

 幻界は錫杖を斜めに構えた。

「無益な殺生は望むところではない。退くか進むか選ぶがよい。……だが一歩でも前へ進む者は自殺志願者だと判断する」

 幻界は敢えて殺気を込めて幕臣達を睨んだ。彼らは流石に幻界の殺気を正面から浴びて委縮しているようだった。痺れを切らした彼らのリーダーらしき男が前に出た。

「貴様ら! それでも上様に忠義を貫く幕臣か! 私が忠義を見せてやる!」

 男が幻界向かってこようとした。

「残念だ」

 幻界がそう言ったかと思うと、空気が一瞬だけ揺れた。そして幻界を襲おうとした男の下半身だけで走っていた。幻界は走る下半身を空虚な瞳で見ると、錫杖の底で突く。

 錫杖で突かれた下半身は力なく地面に倒れた。それと同時に空から男の上半身だけが落ちてきた。

「ひっ!」

 幻界の周りを囲っていた侍達は一瞬で殺されたリーダーを見て怯え始めた。そんな彼らを見つめて幻界は行った。

「同僚だったかもしれないよしみだ。二度目の情けをかけてやろう。侍として忠義を尽くそうという心意気には感心だが、侍が忠義を尽くすべき主君は自分で選ぶものだ」

 幻界がそう言い終わるや否や幕臣達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


 その一部始終を見ていた宗助と時雨は、口をポカンと開けたまま驚いていた。だが二人の驚きの理由は違っていた。

「何だ? 奴は今何をした?」

 時雨は目の前で何が起こったか分からなかった。幻界に向かっていった男の上半身が一瞬で消えたのだ。何度か瞬きをして、男が切断されたことは辛うじて理解できたが、なにで切断されたかが分からなかった。そんな時雨の疑問に答えたのは宗助だった。

「……これは! 抜刀術だ!」

「抜刀術? 何も見えんかったぞ?」

「俺は同じ技を見たことがある……! ガキの頃にな……」

「ガキの頃? まさか!?」

 宗助の言葉を聞いた時雨が、旅路で宗助から聞いたことを思い出した。宗助は幼い頃、江戸城の近くで抜刀術の達人を見たと言っていた。その抜刀術は剣神白蓮を超える速さだったという。

「林崎源信……?」

 時雨がそう呟くと、幻界がピクッと眉を動かした。

「懐かしい名だな。だが既に捨てた名だ……」

 源信が呟いた。その呟きは彼が林崎源信本人であることを肯定していた。

「邪魔が入ったな。其方達、用件は明日聞こう。もう日が暮れる。今日は泊まっていきなさい」

 それだけ伝えると、幻界は寺の本堂へ行ってしまった。宗助達はどうしていいか分からず棒立ちしていたが、小春が寺の居住区まで案内してくれた。遊んでいた子供達も我先にと、寺の中へと入っていった。


 宗助達は子供達が作る夕飯を食べた。ここには十三歳以下の子供達が十二人いた。それに加えて十六歳の小春と十五歳の坊主見習いの少年がいた。彼らは助け合って生きているようだ。

「お寺で作った野菜なんです。気にせず召し上がってください」

 若い坊主の少年が釜飯をよそいながら言った。

「そうか。有り難く頂こう」

 宗助と時雨がご飯を食べていると、途中から少女が入ってきた。小春という最年長の少女だった。

「小春お姉ちゃん、和尚様は?」

「幻界様は仏の間で座禅を組んでいらっしゃったわ」

「え~、また~」

「おしょうさまも、いっしょに、たべればいいのに」

 小春の返事を聞いた年少組が文句を垂れた。どうやら幻界が食事を共にしないのはいつもの事らしい。

「それにしても、幻界が林崎源信だったとは……」

「驚きだな。林崎が行方不明なのは知っておったが、名を変え破戒僧になっていたとはな。宗助、一度見ておるのだろう? 何故気付かなかったのだ?」

「前に見た時は随分昔のガキの頃だし、その時奴は長髪だったから気付かなかった。だがあの剣技は奴以外にあり得ない」

「幕府を守る居合の達人。話には聞いておったが、実際に見ると違うな。……いや見えなかったな」

 時雨は夕方の幻界の戦いを思い出していた。時雨も目が良い方だが、本当に何も見えなかった。宗助が〝抜刀術において白蓮は二番目だ〟と言った理由が分かった気がした。

 宗助は頭を掻き毟った。

「あ~! 分からんことだらけだな! 奴がなぜ幕府を去ったのか。そしてなぜ名を変えて、坊主を皆殺しにして寺を乗っ取ったのか。子供達と暮らしてるのも謎だ」

 宗助の言葉に時雨も共感していた。

「そうだな。幕臣達を睨む奴の眼は憎しみに満ちていた。幕府を怨む何かがあったということか?」

 子供達は騒ぎながら食べており宗助達の会話が耳に入っていないようだったが、二人の会話に聞き耳を立てる者がいた。最年長の小春である。


 食事が終わると、一人一人風呂に入った後、就寝となった。用意された寝床には既に子供達が川の字になって寝ていた。宗助と時雨はなるべく子供達から離れた場所を見つけて寝ることにした。

「宗助、寝られそうか?」

「いや、眠れんな」

 二人が何か話でもしようかと思った頃、障子が開いて小春が入ってきた。

「宗助さん、時雨さん、起きていますか?」

 小春に呼び掛けられて振り向くと、彼女が手招きしていた。宗助達は部屋の外に出た。


「貴方達は幻界様の過去を知っているのですね」

「いや。奴が林崎源信で、かつて幕府に仕えていたことしか知らんが」

「では私がお教えましょう」

 小春の申し出に宗助と時雨は顔を見合わせる。

「何故教えてくれるんだ?」

「貴方達に幻界様を誤解して欲しくないのです」

 幻界についての疑問が頭を埋め尽くしていた宗助達に、小春が幻界について教えてくれるというのだ。願ってもいない話だった。

「幻界様は、貴方達の知る通り、林崎源信という名で幕府に仕えていました」

 小春が昔話を語り始めた。

 元々居合の達人だった林崎源信を諸藩が放っては置かなかった。幕府に近しい藩主に見初められ、藩主の元で仕えていた。彼は驚くべき早さで出世していった。遂には幕府に引き抜かれることとなったのだ。 しかし、彼の出世街道はそこで止まった。

「実力で幕府まで上ったのに何で出世が止まってしまったんだ?」

 宗助の疑問に小春が悲しそうな顔をしながら答えた。

「実力だけでは出世できなかったのです。幕内で出世するには実力ではなく必要なものがありました」

 小春が手で金のジェスチャーをした。

「「なるほど……」」

「一藩で出世するだけなら簡単です。実力を見せればよいだけですから。幻界様の居合はお偉い方々にとっては用心棒として重宝されましたが、〝見世物〟としての要素もありました。故に地方の藩では、あの人は若くして出世できたのです。しかし幕府は違いました」


 幕府まで徴用された源信であったが、幕府ではいわゆる〝菓子箱〟が出世に必要だった。己の剣だけを磨いてきた源信は、そのような器用さを持ち合わせていなかった。同僚が次々と出世していく中、若い源信だけが取り残されていった。

 不器用だった彼はそれでも己の剣を鍛え、その居合を最速の域にまで届かせた。だがそんな彼の努力を幕閣達は一笑に付した。幕内で出世するのに必要なのは実力や優しさではなく、狡猾さだった。

「幻界様は、幕内で出世することを諦めました」

 出世した彼の同僚が汚職に手を染め出したのだ。地位が低かった源信は、国民の血税が腐敗した幕閣達の懐に入っていくのを黙って見ているしかなかった。

「幻界様は、その時点で腐敗した幕府を見限りました」

「それで奴は幕府を抜けたのか?」

「いいえ。この話には続きがあります」

 小春は再び語りだした。

 幕府の腐敗を知った林崎は、それでも幕府を離れなかった。無論地位に執着したからではなかった。

「幻界様には理解者がお一人だけいらっしゃったのです」

 それは一人の姫君だった。将軍の妾として大奥に連れてこられた彼女は、幕内の皆が一笑に付した源信の居合いを唯一人褒め称えた。その居合に魅せられた彼女は、自分の護衛を任せるほど、源信を信頼していた。

「幻界様も彼女を慕っていました。その感情が主君としてのものなのか、想い人としてのものなのかは今でも語られませんが……」

「そんなに姫様を慕ってたのに何で幕府を抜けたんだ?」

「……姫君が亡くなられたのです」

「護衛に失敗したのか?」

 何気なく言った時雨を小春は睨んだ。それは当時姫の護衛をしていた幻界への侮辱だったからだ。彼女はすぐに時雨の言葉を否定した。

「姫君の死因は自殺です」

「自殺?」

「姫君は大奥にいた一人でした。将軍の寵愛を受ける彼女でしたが、大奥には沢山の女性がいます。必然的に一人へ向けられる愛は限られます。しかし、将軍を愛し思い詰めていた彼女は自害してしまいました。その凶報を聞き、姫様のご遺体を見た幻界様は幕府を抜ける決意をされました」

 話し終えた小春は一息ついた。


「そんなことがあったのか」

「幻界が幕府を抜けるまでは分かった。しかし、それで何故破戒僧になったのだ?」

 林崎源信は幻界として現れ、寺の僧侶を皆殺しにして寺を乗っ取っている。しかも彼女の言う事が本当なら、林崎は人格が破綻していた訳ではない。では、なぜそのような凶行に出たのか謎だった。

 小春は咳払いをすると、話の続きを語りだした。

「幕府に絶望した幻界様は、出家され、名を源信から幻界と改められました」


 小春の話によると、幻界は全許寺に行き、和尚に弟子入りしたという。彼がその寺を選んだ理由は、未亡人や行く宛てを失くした若い女も快く受ける善き寺だったからだ。幻界は、侍として多くの人を殺めた自分も受け入れてくれるのではないかと考えた。俗世間に疲れた彼は、仏道を志したのだ。或いは、亡き姫君への弔いのためだったのかもしれない。幻界は兄弟弟子達が感心するほど、毎日修業に明け暮れていた。修業後は疲れて寝入る毎日だった。


 ある日、火事で親を亡くした幼い女の子が寺に引き取られてきた。来る者拒まずだった寺は快く受け入れたのだ。年端もいかない少女は、真面目に修業している幻界の世話を焼いてくれた。幻界も彼女を娘のように可愛がった。


 ある晩、幻界は胸騒ぎがして起きた。厠で用を足した彼が寝室に戻ろうとした時、深夜にもかかわらず寺の本堂に明かりが灯っているのが見えた。何事かと思って本堂を見てみると、そこには驚くべき光景があった。


 あろうことか、寺の坊主達が面倒を見ていた女達と交わっていたのだ。酒池肉林を絵に描いた光景がそこにあった。幻界は目を疑った。だが、耳に入ってくる女達の嬌声が、目に映る光景が現実だと確証づけた。尚もそれを否定したかった彼は耳を塞ごうとした。


 その時、彼の耳が幼い悲鳴を聞いた。それは、修業に明け暮れる自分を労わってくれた幼い少女の声だった。その悲鳴の方を見ると、今まさに坊主達が少女の着物を剥ごうとしていた。信じられないことに、坊主達は初潮も迎えていない少女に手を出そうとしていたのだ。

 それを認識した瞬間、幻界の体は勝手に動いていた。本堂の奥に安置されていた錫杖を見つけると、それを強引に手に取った。手に取った時に、その錫杖が仕込刀だとわかった幻界は、少女を襲おうとする坊主達に向けて抜刀した。

 幻界が気付いた時には坊主達を皆殺しにしていた。坊主と交わっていた女達はいつの間にか逃げ出していた。ただ少女が泣きながら幻界に抱きついていたのだった。

 その後、幻界は寺の和尚として、親を亡くした子や売られた子を引き取り、面倒を見ることにしたそうだ。


「大体分かった。しかし何故主がそこまで知っている?」

「幻界様がこの寺のお坊さんを皆殺しにする要因となった幼い少女というのが……私なんですよ」

 その言葉を聞いた瞬間、宗助達は全てを理解した。

 静寂の夜の中、『ジャラジャラジャラ』と音がした。

 それは錫杖の小環が鳴る音だった。

「小春、お喋りが過ぎるぞ」

 そこに立っていたのは幻界だった。

 相変わらず眼を瞑っている事が多い坊さんだ。

「申し訳ありません」

 小春は素直に頭を下げる。幻界はそれ以上彼女を咎めなかった。

「其方達、名をまだ聞いていなかったな」

「俺は今川宗助」

「私は無影時雨だ」

 二人の自己紹介を聞くと何事か考えた後幻界は口を開いた。

「ふむ。今川宗助と無影時雨か。其方らの目的は分かっておる。天下七刀の一つ〝隠刀・無〟を狙いに来たのだろう?」

 幻界の指摘に黙った。幻界はその沈黙を肯定と受け取った。

「拙僧を訪ねてくる者など、本来おらんからな。それに昼間、今川殿の背中に〝変刀・大太法師〟を見た。あれは蒲生赤虎が所持していたはずだ」

 そう言えば蒲生赤虎が所持しているのは公然の事実だったな、と宗助は思っていた。

「……となると、残り二本も天下七刀と考えてよいだろう」

「夕時の幕臣との一件もそうだったが、大した洞察力だな」

 時雨は素直に感服した。

「子供達も寝ておる。今なら邪魔は入らんか……。今川殿。其方が真に天下七刀を持つに相応しいか否か、確かめさせてもらおう」

「どうしたんだ?」

「あの蒲生赤虎がまさか敗れたとは思わんが、其方が大太法師を所持している以上、奴が其方を認めたことになる。実力を試すことにこれ以上の理由はない」

「……!!」

「実力と資格があれば、拙僧の〝無〟は其方に譲ろう」

「……ちなみに、俺が天下七刀を持つに相応しくなかったらどうなるんだ?」

「その時は、身の丈に合わない望みを抱いた罰として地獄へ落ちてもらう」

「ハハハ、大したお坊様だぜ」


 苦笑いする宗助に時雨が尋ねてきた。

「どうする? 宗助?」

「願ってもねぇ話だ。どうせ満月の夜は眠れないんだ」

 宗助は空に浮かぶ突きを一瞥すると、前に出た。

「その意気やよし。……来なさい」

 幻界は境内の一番広い場所まで宗助達を案内してくれた。戦うに相応しい場所に。そこで彼は宗助に向き直った。

「其方は天下七刀を使わぬのか?」

「ああ。前に一回使って酷い目に合っちまってな。それにこの刀はそんじゃそこらの鈍じゃねぇ。アンタが認める蒲生赤虎が打ってくれた名刀だぜ?」

「なんと。奴はそこまで其方を認めておったか。七刀のみならず自ら打った刀を渡すとは」

「アンタ、やたら赤虎に入れ込むな」

「旧知の中でな。拙僧がまだ林崎源信の頃の話だが……」

 そこまで言うと、また静寂が訪れた。

 二人の勝負の審判役を時雨が買って出た。

「どちらも準備は良いか?」

「ああ」「異存ない」

 宗助と幻界が即答する。宗助は命を賭けた決闘に臨むに相応しい顔で、幻界は両目を閉じた何を考えているか分からない顔で。

二人の答えを聞いた時雨が決闘の合図を言った。

「それでは、いざ尋常に……はじめ!」


 時雨の合図を聞いた宗助がすぐに後ろに跳んだ。

(未だに幻界の抜刀術がほとんど見えねぇ。ここは一旦距離を取る)

 結構な距離まで下がった宗助を幻界が片目を開けて見つめた。

「決闘なのに逃げの一手か。だが正しい判断だったな」

ザシュッという音と共に宗助が先程まで立っていた地面に亀裂が走る。それは刀で斬られたようだった。

「下がっていなければ、其方は獄門流(ごくもんりゅう)(とう)(かつ)に割断されていた」

 幻界の技を見た時雨は目を丸くする。

「全く見えない。アレに宗助は勝てるのか?」

「残念ですが、お連れ様は今日が命日となるでしょう。幻界様に勝てる者などいません」

 二人の勝負を時雨の横で観戦していた小春が言った。

「偉く幻界を慕っておるのだな」

「命と貞操を守られましたから」

「……それだけとは思えんがな」

「何故そう思うのですか?」

 頬を染めながら聞き返すと、時雨が明後日の方向を見ながら答えた。

「私も女だからな」

「左様ですか。……貴方も慕っているのですね」

 二人の女は命懸けで決闘に臨む二人の男を見つめていた。


 宗助は、相変わらず距離を取っていた。

「距離を取って拙僧の居合から逃れようとするか。……が、甘い!」

 宗助は離れた所から幻界が殺気を放つことを感じた。急いで防御の体勢を取る。

「獄門流・叫喚!」

 無数の斬撃が宗助に迫るのを感じた。

 避けようとした時、自分の体に痛みを感じた。

「射程範囲だ」

「なん……だと……?」

 形勢不利と見た宗助が飛び上がって宙返りしながら境内の外の林に逃げた。

「やはり、幻界様相手では逃げるしかありませんね」

 小春が満足そうに言った。

 しかし幻界の方はあまり嬉しそうではなかった。

「……仕留め切れなかった」

 幻界は逃げる宗助を追った。審判の時雨は、小春をお姫様抱っこしながら二人の後を追った。

負傷した宗助は寺の周囲にある林の奥まで逃亡する。幻界は笠を右手で押さえながら宗助を追う。二人の速度が加速していく。

 宗助の姿を捉えた幻界は、右手を笠から離して錫杖の上部を握る。

「獄門流・大叫喚!」

(さっきと同じ技か?)

 宗助は名前から先程と同じ技だと判断した。次こそは、とその攻撃を完全にかわそうとする。宗助は遠方からの斬撃を全て捌いていく。何斬か捌ききれなかった斬撃が宗助を切り刻む。だが、直前で宗助の刀で勢いを殺された斬撃は宗助の体を切断することはなかった。遠方からの最後の斬撃を捌いた宗助が油断した時、眼前に片目だけ開けた幻界が迫っていた。

「カハッ!」

 遠方からの斬撃を紙一重で避けた宗助は、接近していた幻界の最後の攻撃に気付くのが遅れてしまった。宗助は腹から胸にかけて切り裂かれた。

「やっぱり、幻界様が一枚上手です」

 小春は幻界を見て眼を輝かせている。

「小春、幻界を慕うあまり戦況を冷静に見れていないぞ。武人ではない主には無理からぬことではあるが……」

「貴方こそ、今川さんに肩入れしすぎじゃないですか? 幻界様は無傷です。対して今川さんは防戦一方です」

「あれが宗助の戦い方だ。長期戦になれば幻界が不利になるぞ」

「?」

「まぁ見ておれ」

 時雨と小春が再び二人の戦いを見る。幻界は相変わらず表情の変化が少なかったが、僅かに「解せない」といった難しい表情をしているように見えた。

「妙だな。普通なら十三回死んでる。其方には拙僧の剣が見えるのか?」

「……いや、完全に見えてはない」

「では何故避けられる?」

「おれは見切るのには自信がある。空気の流れ、殺気、そして僅かに見える抜刀の瞬間からある程度推測できる」

 幻界は瞑っていた眼をカッと見開いた。

(目視できない拙僧の剣を気配で見切ろうとする輩は今までにもいた。だが完全に見切れる奴はいなかった。それをこの小僧はやってのけたと言うのか?)

 幻界は宗助を見ながら考える。

「……にわかには信じられんが、実際に目の前で起こっている」

「驚くほどの事じゃねぇ。俺は見切りに長けてる。この眼のおかげで今まで生き残ってきたんだ」

「いくら見切りに長けていると言っても、昨日と今日見ただけで拙僧の剣をかわせはせんはずだが……」

「昨日今日だけじゃねぇ。もっと昔に俺はアンタの剣を見てるぜ。……アンタが林崎源信だった頃にな」

 宗助の言葉を聞いて、顎に手を当て俯きながら考えた。そして合点がいったというように顔を上げた。

「……まさか、あの時の童か?」

「覚えててくれたのか。光栄だね」

「……やはり。あの時、二刀流で拙僧に加勢しようとした男の倅だな」

 幻界は宗助の事を覚えてくれていたらしい。古い記憶なのに、よく覚えていたものだ。

「俺はな。アンタの居合に魅せられた。俺が剣士を目指したのは、親父が武士だったのもあるが、アンタの剣に魅せられたからでもあるんだ」

 そう言って宗助は幻界に斬りかかった。

 しかし、錫杖に受け止められてしまう。

「よくもまぁ、拙僧に挑むほど強くなったものだ」

 今まで無表情だった幻界が僅かに笑ったようだった。それは強い者と闘えることの喜びなのか、自分に憧れた子がいたことへの喜びなのか、ただ彼は嬉しそうだった。

幻界は受け止めていた錫杖から抜刀する。

「獄門流・頞部陀(あぶだ)!」

 鞘から抜かれた刃が宗助を斬った。僅かに後ろに跳んだ宗助だったが、深く胸を抉られていた。

傷口を押さえながら宗助が口を開いた。

「その獄門流という剣術。聞いたことがないが、居合の開祖、林崎甚助の剣に似てるな」

「良い洞察眼だ。拙僧はその林崎の血をひいておる。そして拙僧の剣はその居合を自分に合うように鍛えたもの」

「そいつが〝獄門流〟ってわけか」

 やはり接近戦は不利。そう判断した宗助が駈け出した。

「また背を向けるか!」

 幻界は宗助の後を追う。だがそれは罠だった。宗助が右に回り方向転換した時、一瞬だけ幻界が宗助の姿を捉え損ねた。その隙を逃さず宗助は気配を消す。周囲の自然と一体化したように全く宗助を察知できなかった。

「我流・消失剣」

 どこから聞こえるのさえ分からない声で宗助が言った。幻界は音の位置から判断しようとしたが、全く位置を特定できなかった。

「消えた!?」

「忍でも此処まで気配を消せる者はおらんぞ!?」

 観戦していた小春と時雨が驚きに眼を開いた。時雨が初めて宗助に会った時に、姿を隠した忍をいとも簡単に斬って彼はこう言った。「お前は気配を消せていない」と。彼女はその意味がようやく分かった。

「ふむ。気配が読めんというのは不気味だな。名称からして気配を消した後隙をついて相手を斬る技のようだ」

 周囲には風がそよぐ音、動物の鳴き声だけが聞こえていた。幻界は彼がいつも使う見えない抜刀術と違い、腰を極端に低くした抜刀術の構えを取る。

(ごく)門流(もんりゅう)無間(むげん)!」

 刹那、彼の周囲の竹や木々が切断された。これは半径数メートルの周囲の者を斬り刻む剣術のようだ。宗助の姿を捉えられないなら、周囲を一掃してしまおうと考えての行動だった。

「どこに隠れようとも、拙僧のこの技でなら捉えられる」

「上以外はな!」

 刹那、上空から現れた宗助が幻界に向かって剣を上から貫いた。

「幻界様!」

「よしっ!」

 青い顔をする小春と喝采を叫ぶ時雨。両者の反応は対照的だった。

「危ない危ない……」

 上空からの突きによって斬られたのか幻界の笠だった。

 奇襲を避けられてしまった宗助が更に猛攻する。

「我流・七転抜刀!」

 それは剣と鞘による攻撃を七度行い、いつの間にか剣を納めて最後に抜刀術を行う連続技だった。

「ぬぅ! 居合を極めた拙僧に抜刀術で挑むか! 面白い!」

 幻界は宗助の技を捌いていく。彼の袈裟と体が取り漏らした宗助の剣に斬られたが、いずれも軽傷だった。今度は幻界が距離を取る。

「ハァ~、やっぱ仕留められんかったかぁ。俺なりに修業したんだがなぁ」

 宗助が残念そうに溜息をつく。だが幻界の方は、自分が攻撃を食らったのに嬉しそうだった。ほとんど表情に変化がない彼が明らかに笑っていたのだ。

「ハハハ……可笑しいな。其方と闘っておると、捨てた筈の、侍としての情が心の底から湧きあがってくる。強者と闘える悦びが!!」

 そう言った幻界は完全に両の眼を見開いていた。


 互いに何度も何度も打ち合う。

 キンッキンキンっと何度も鉄をぶつける音が辺りに響く。

 幻界の居合はやはり速かった。宗助は己の〝見切りの眼〟と経験から何とか紙一重で幻界の攻撃を受け凌いでいた。相変わらず凌ぎ漏らす攻撃もあったが、その攻撃も宗助は己の剣で勢いを殺していた。


「……信じられない。あの幻界様とこんなに長時間討ち合っているなんて……」

 小春は大層驚嘆した様子で呟いた。

「あれが宗助の剣、〝守りの剣〟だ。敵の攻撃を全て見切って防ぐ。数々の強敵と闘い生き残った剣。奴はこの剣で、あの剣神白蓮の剣からも生き残っておる」


 宗助は討ち合いの中で奇妙な現象を見た。幻界の剣の刃が消えたのだ。

「何だぁ!?」

 驚いた時に宗助の体は幻界の居合で吹き飛ばされていた。

「どうした宗助!」

 観戦していた時雨が叫ぶ。

「今、幻界の剣が消えた」

「消えた? 確かに奴の剣は見えないくらい速いが主はそれを受け切っていただろう?」

 時雨の言葉を聞いて宗助は舌打った。彼の剣は元々見えないくらい速い。一瞬剣の刃が消えてもそれ自体わからない。だが宗助は確かに見たのだ。彼の剣が消えるのを。立ち上がる宗助は重要なことを思い出した。

「そういやぁ、俺は天下七刀を集めるために今闘ってたんだっけ? それがその刀の特性かい?」

「左様。この〝隠刀・無〟は、仕込刀が故に見つけにくくその名がついただけではない。使用者の〝気〟に反応して刃を消すことが出来る」

 幻界が種明かしする。

 刃の消える剣というのは確かに脅威だ。だが大太法師のように大きさを変えられる訳ではない。その刃渡りを知っていれば、透明の刃を見切ることもできる。しかし、こと居合の達人がその刀を扱えば話は変わってくる。ただでさえ見えない程の剣だ。彼がわざとらしく剣を目視出来る速さで抜刀し、敢えてその刃を見せることで見える剣に慣れさせる。そこで刃を急に消せば、相手が動揺してしまうのだ。

「まさに鬼に金棒って訳か。この最終局面で使ってくるとはな」

「ハァハァハァ……(不味いな。ただでさえギリギリ目視できるかどうかの居合に透明な剣なんて。おまけ に左近がやったみたいに気によって刃渡りを調節できたとしたら……。いや、相手は居合の達人。出来ると考えて動かなきゃ首が落ちるぜ……)」

 宗助は肩で息をしながら思考した。だが幻界も消耗しているようだった。

「ハァハァ……(ここまで拙僧の居合を見切るのは赤虎と奴以来だな。実戦を離れ過ぎていたか……。体力が消耗して居合の剣速が落ちてきている。次で終わりにしなければ……)」

 宗助と幻界は互いに相手を真直ぐに見つめる。考えている事は同じだった。

「「次で決める!」」


 幻界は独特な抜刀術の構えを取った。それは常人には並の抜刀術の構えと同じに見えるが、若干異なるものだった。

「行くぞ!」

「来い!」

 幻界が一気に踏み込む。加速しながら彼は仕込杖から抜刀した。

「獄門流・奥義! 閻魔(えんま)(さば)き!」

 それは初めに駆け抜けて最速の抜刀術を行い、遅れて連撃の居合を行うものだった。二人の闘いを観戦していた時雨達からはおかしな光景に見えた。

 即ち、幻界が駆け抜けて宗助を抜刀術で斬った後、背後に位置する宗助を無数の居合で切り裂き続けているように見えたのだ。

宗助の体から夥しい量の血が飛んだ。


 幻界が立ち上がって振り返る。

 眼前に血みどろの宗助が立っていた。至近距離から合う眼は修羅のようだった。

(こやつ、確実に急所にあたる攻撃だけ捌き、他の攻撃は首と手足がつながる程度にその身に受けて耐えたのか……)

 感心した幻界が発した言葉は一言だけだった。

「見事」

 幻界の体は宗助の渾身の攻撃に斬られていた。

「幻界様ぁー!」

 小春が幻界の身を案じ、倒れた幻界を庇うように手を広げて宗助の前に立った。それを見た宗助は刀を鞘に納めた。


 こうして宗助と幻界の決闘は幕を下ろしたのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ