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天下七刀  作者: 微睡 虚
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第三章 蠢く猛者達

 時間は遡り、宗助達が蝦夷地へ向かっていた頃、日本各地では猛者達が蠢いていた。


 日本一の湖がある近江では―


「琵琶湖は本当に大きい者でござるな」

 白髪で白い着物を纏った一人の侍が琵琶湖を眺めていた。

彼こそが、日本最強の剣士と言われる出雲の白蓮だった。彼は出雲から近江まで一人旅をしていた。

「今度旅する時の下見をしてこいとは、うちの姫様の我儘には困ったものでござる」

 彼が今祖国の出雲を離れて、東日本まで廻っているのは彼の主人である出雲の姫君天音が命令したからである。普段出雲に引きこもっている姫君が面白そうな所に旅行に行きたいから見つけて来て欲しいといったのである

「はぁ~、だが近江は中々の絶景でござるな」

 彼は近江を気に入ったようである。

 琵琶湖を眺めた彼が、先を急ごうと畦道を歩いていた。

 すると―

「助けて―!」

 どこから微かに声が聞こえた。周囲を見つめても誰もいない。耳を澄ますと、相当切羽詰まった助けを呼ぶ声が聞こえる。目視が出来ない距離にまで聞こえるという事は、それだけ大声で助けを求めているということだろう。

「どれ、確かめてみるでござるか……」

 白蓮は瞼を閉じて集中力を高める。すると、遥か先の前方に人の気配を感じた。

「この気は男三人に女が一人でござるな」

 彼は最強の剣士であるから気の扱いにも長けていた。遥か先の人の気配も敏感に感じ取ったのだ。

「人気のない畦道、複数の男と一人の女。導き出される結論は一つでござるな。捨て置く訳にも行くまいか……」

 白蓮は足に気を集中させた。

 ―刹那、彼の姿は消えていた。


「へへへへ」

「誰も来ねぇよ」

「上玉だぜぇこれぇ……」

 三人の男が一人の女を追い詰めていた。女の方は所々着物がはだけている。恐らく逃げる過程で刃がされたのだろう。すぐ近くには彼女の上着が落ちていた。

「やめてぇ……」

 男達が女の腕を掴んだ。


 その時―一陣の風が吹いた。

「そのへんで止めておくでござる」

 三人の男達の背後に一人の剣士が現れたのだ。

 彼らは突然の介入者に驚いたようだったが、すぐに白蓮を敵と判断し詰った。

 獲物を狩る寸前で邪魔されたのだから彼らの怒りは相当なものだった。

「だ、誰だてめぇ!」

「ここには俺達と女以外いなかったはずだ!」

「そうだ! 確かに誰もいなかった!」

「確かに、先程までこの辺りに人はいなかったでござるよ。拙者は一里程離れた場所から来たでござるからな」

「一里だぁ?」

「コイツ頭がイカレてるぜ!」

「瞬間移動でもしたっていうのかい!?」

「ああ。〝縮地〟と言ってな。千里の距離も一瞬で移動できる高速歩法でござる」

 白蓮の言葉を聞いた男達は一層憤慨したらしかった。彼の言う縮地が男達をからかっていると思ったのだ。

「こいつぅ馬鹿にしやがって!」

「アニキ、やっちゃいましょう!」

 男達は刀を抜いた。

「拙者に向かって刀を抜くという事は、その命、貰い受けても構わんと言う事でござるか?」

白蓮は男達を見渡すと、腰の刀に手を置いた。

「こいつぁ俺に任せてくだセェ」

 一人の男が前に出た。

「何? お前に?」

「へい! あっしの趣味を知ってるでしょう?」

「そういえば、お前は衆道趣味もあったな。好き者め!」

 修道とは、女装した美少年相手に男色を楽しむもので、武士たちの間で広く浸透していたものだ。今の時代で言う女装男子、男の娘である。この時代からその文化があったというのは日本人の趣味は一貫しているといえる。


「わかった。お前に任せる。その代わり、あの女は俺とアニキでいただくぜ」

 男達の背後で怯える女性を一瞥しながら言った。男色家の男は納得したように頷き、前に出てきた。

「へへへ。白髪の兄ちゃん、俺と楽しもうぜ。さっき女から剥ぎ取った女物の着物もあることだしよぉ」

 白蓮は中性的な顔である。整った顔は女性的でさえある。男色家が好みそうな容姿だった。

「生憎、女装は懲りているでござるよ」

 彼は幼い頃、出雲の姫君に女装させられていたものだ。白蓮が剣術を鍛えたのは、剣士の父に憧れたからというのが誰もが知る理由である。しかし、一方で男色家に貞操を狙われた経験があり、我が身を守る為に剣が必要であったという事を知る者は少ない。


 男が白蓮に襲いかかってきたが、そのまま頭から股下まで綺麗に真っ二つに割れた。

残された二人の男は、仲間が死んだ事実に脳が追いついていなかった。

「は?」

「邪魔でござる」

 兄貴分よりも前に出ていた男の首が宙を舞う。兄貴分が、弟分達が刀で斬り殺されたと気付いたのは、飛んだ首が地面に着地した後だった。

「テ、テメェ! それ以上近づいたらこの女の首掻っ切るぞ!」

 残された兄貴分は自分の背後で腰を抜かしていた女を引っ張り盾にした。彼女の首に刃を向け、人質に取ったのだ。

「仲間の仇を討つより先に、人質を取っての保身か。下衆らしい行動でござるな」

「黙れ! 剣の腕が強くても距離を取れば何もできまい!」

「それは三流の剣士にしか通じない理屈でござる」

「戯言を!」

「それにお主は一つ忘れているでござる」

 その途端、また一陣の風が起こった。

 白蓮は一瞬で男の後ろまで移動していた。その腕の中には人質にされていた女性が抱えられていた。

「「いつの間に―!?」」

 女性と男の声が重なった。

「先程縮地の話をしたでござろう。それと、忘れものでござる」

 白蓮が男に向かって何かを放り投げた。男は投げられたそれが自分の右腕だと認識した時、右腕の切断面の痛みを自覚した。

「ギャ――!!」

 男は痛みに悶絶していたが、ギロリと睨む白蓮の眼光を見て何かを思い出したようだ。

「その日の輪を想わせる金色の瞳、白髪の整った顔立ち、何よりその剣の腕。……お前、まさか出雲の白蓮か!?」

「いかにも」

 白蓮の回答を聞いた時、男は顔面蒼白となった。出雲の白蓮と言えば、剣士の中で知らぬ者はいない。日本最強の剣士だ。そんなバケモノを相手に自分は喧嘩を売ってしまったのだ。それを認識した時、男は雷を怖がる子供のようにガタガタと震えだした。

「戦意喪失か。そのような者を斬っても仕方が無い。拙者が斬った右腕は切断面が揃っているから、腕の良い医者なら縫合してもらえるでござるよ。これに懲りたら悪さは止めることだ」

 白蓮は腰に刀を治めると、前方に歩き出した。その時、彼に助けられた女性が呼びとめた。

「あの、白蓮様。助けていただきありがとうございました」

 顔を赤く染めながら白蓮を見つめて話す女性の感情には、お礼以外も含まれていることが容易に想像できた。

「進路の先にあった塵を掃除しただけ。拙者には惚れないで欲しいでござる。拙者、心に決めた人がいる故……」

 そう言って、白蓮は去っていった。



 白蓮は男達との一騒動以来、観光名地を探して、美濃まで歩いてきた。

「ふむ。どのあたりまで行こうか」

 白蓮はどのあたりまで行くか迷っていた。このまま引き返し、京都を廻って出雲まで戻るか、江戸までは行ってみるか。特に姫からここまで見てほしいとは言われなかったので決めあぐねていたのだ。

「江戸か、京都か……」

 考えている間に、彼の周りを謎の黒装束集団が囲んでいた。しかし、その覆面と隠密衣装から彼らの職は想像できた。

「その装束からして、忍の者でござるな?」

 白蓮が自分を囲んだ男達を睨みながら尋ねた。覆面の男達はその質問には答えずに白蓮に襲いかかってきた。

「お前が行くのは江戸でも京都でもない。黄泉の国だ!」

 忍び達が最早自分達の正体を隠さずに印を結んだ。

連携(れんけい)火遁(かとん)濁炎(だくえん)火柱(ひばしら)!」

 周囲の忍び達が真ん中にいる白蓮を目がけて火遁の術を使った。炎の濁流が白蓮を襲う。四方八方から放たれた火遁は中央にいる白蓮を包み文字通りの天に昇る火柱を立てた。この技は複数人で行う必要がある高等忍術だが、威力は絶大。喰らった者は骨も残らないものだった。

「やったか!?」

「そう言う台詞を言う時は大概ヤレてないでござるよ」

 炎を捌ききり、火柱を斬り消して白蓮が姿を現した。

「馬鹿な!? 何故生きてる!?」

「忍術は気の塊。気を宿した剣術で薙ぎ払うのが、基本でござる」

「お前も幽鬼に並ぶ〝忍殺し〟だったか!?」

「忍術を払う武芸家をそう言うならその通りだな。しばらく拙者に挑む忍等いなかったのは、その〝忍殺し〟を恐れての事だと思ったが、お主らは何も知らぬ新参者らしいな」

 白蓮がそう言うと、忍び達が明らかに焦りだした。

「……師より〝剣神白蓮に挑むべからず〟とは聞いていたが、これほどまでとは……」

 忍達が後ずさりする。圧倒的な力量差を見せつけられて最早どうすることもできなかった。

「さて、そっちの技は見せてもらった。今度は拙者の技を見せてやろう」

 白蓮が愛刀を抜いた。殺気を感じた忍達が、素早く印を結んで土遁の壁を作ったが、それは無意味に終わった。

天照流(てんしょうりゅう)白虹円刃(はっこうえんじん)

 白蓮が円を描くように刀を素早く一振りした。

「ば、か、な……」

 忍び達は土遁の壁ごと胴体を両断されていた。

「白虹円刃は自分を囲んだ敵を両断する技でござる。拙者を何千人で取り囲んでも無駄にござる……」

 白蓮は既に事切れていた忍達に説明した。敵に自分の技を語るのは阿呆ではあるが、白蓮は殺される人間にはせめて自分がどんな技で殺されたかを知りたいだろうと考える独自の価値観を持っていた。


 刀を鞘におさめた白蓮が、木の影に向かって話しかけた。

「先程から、拙者を監視しているお主は何ものにござるか?」

 すると、木の影から忍装束の男が姿を現した。その姿を確かめると、白蓮はすぐに腰の刀に手をのせた。

「待て待て。わしは怪しいものではない」

「黒装束で顔を隠した輩を美濃では怪しくないというのか?変わった価値観でござるな」

「手厳しいな。しかし、それも先程まで命を狙われていたから無理もない話……」

「拙者、今では大分数が減ったが、命を狙われる理由は分かっている」

「わしにはお前さんを狙う理由はないが……」

「どうでござろう? 名声を欲しい者は拙者の首を狙う。名刀が欲しい者は拙者の愛刀を狙うでござる」

 白蓮の言葉を聞いた忍の男は目を見開いた。

「では噂は本当だったか。その腰の刀が天下七刀の一振りだと……」

「左様。これは七刀が一振り。出雲に伝わる宝剣、叢雲。父より受け継いだ愛刀にござる」

「ほう。だが、わしはそれを狙う理由もない。仮にあったとしても、あんな大勢の敵を一瞬で斬り伏せるのを相手にはせんよ」

 男は両手をあげて敵意のないことをアピールする。殺気がなかったので取り敢えず、剣から手を離した。

「食えない男でござる」

「ワシは忠告しに来ただけさ」

「忠告?」

「ああ。お前さんの七刀を狙う者が出雲に近付いておるぞ」

「!」

 男は白蓮の腰の刀を指差し、淡々と言った。

「拙者、剣士の中でも名が知れている。それに出雲は表面上、幕府や朝廷の支配下にあるとされてきたが、実質、連中も手出しできない場所だ。そんな出雲に侵攻し、拙者に喧嘩を売る馬鹿はおらんと思うが……」

「そうとも言えん。命知らずの若者もおる。例えば先程お前さんに仕掛けてきた連中もそうだったろう?」

 男は胴体が別れた忍達の死体を指差しながら言った。

 その事実には確かな説得力があった。

「ふむ。ならば一応聞いておこうか。その男の名は?」

「今川宗助」

「聞かぬ名だ……」

「奴は幽鬼から七刀を奪った。そして間もなく蝦夷で二本目を手に入れている頃だろう。奴は三本目にその出雲刀を狙っている。嘘だと思うなら自分の目で確かめるといい」

 そう言って男は消えた。

 白蓮は、彼が消えた方を見つめながら呟いた。

「……今川宗助か。一応覚えておこう」

 白蓮は、決心して、北に向かって歩を進めた。



 また、武蔵の国では―

 赤髪の筋骨隆々の男が、巨大な魚を背負って走ってきた。

「おーい、マリアぁー、デカイ魚が手に入ったぜぇ」

 男が帰宅すると、金髪碧眼の若い女性が出迎えた。その外見から西洋人だろう。

「あらあら、これは食べ切れないわね」

「パパすごーい」「しゅごーい!」

 優しく微笑む女性の周りに小さい女の子と男の子がはしゃぎ回っていた。金髪の妖精のような少女と、 夕焼けの様な赤髪の少年である。

 彼らは家族のようだった。

「ハッハ―! これはご近所さんにもお裾分けだな! マリア、手頃な大きさに切ってくれ!」

「はいはい」

「パパ―、町はどうだった?」「どうだった?」

 愛する子供達が可愛らしげに尋ねてくる。

 男は二人の子供の頭を撫でて笑った。

「それはなー……!」

「どうしたの? パパ?」

「悪い。話はまた今度な」

「えー!」「僕、おはなし聞きたいー」

 文句を言う子供達を母親が宥めた。

「わがまま言っちゃだめ。お父さんはお仕事だから」

「ちょっくら外出してくる」

「あなた、気を付けて……」

「ああ」

 赤髪の男は玄関に立てかけてあった西洋剣を腰に差すと、家から離れていった。


「確か、この辺りの筈だが……」

 役人風の男が地図を広げながら呟く。

「村外れに住んでいる異国の家族。その父親が七刀を持っているという噂だ」

 彼の隣に侍っていた男が言った。彼ら二人は幕府の賞金に目が眩んだ藩主により遣わされた武士達だった。他に三人ほど浪人を雇っている。

「所帯持ちなら話が早い。ガキを人質にとれば、直ぐにでも七刀を差し出すだろうさ」

「これで千両なんて簡単な仕事だなぁ」

「西洋人は紙の色が違うらしいからなぁ。首を取って土産に持って帰ろうか」

 3人の浪人達はあまり人格者だとは言えなかった。金に目が眩んだものだった。

「言葉を慎め。あくまで任務は刀の回収だ。奴の命は二の次だ」

「そうだ。奴が恐ろしく強いというからお前達を雇ったんだ。油断するな」

「へいへい、わかってますよ」

「それにしても、一体どこに住んでいるんだ?」

「ここにいるぜ?」

「!」

 五人の男達が声のした方に振り向くと、長い赤毛をした筋骨隆々の男がそこにいた。巨躯のその男と侍達の体格差は歴然だった。

「なんだぁこいつ!」

「デケェ……」

「……赤毛で巨躯の男、情報通りだな」

 赤髪の男は武士達を睨むと西洋剣を抜いた。

「待て。お主、蒲生(がもう)(せき)(とら)だな。我々は争いに来たのではない」

「そう言う奴は今まで沢山いたが、結局は戦いになったぜ。コイツを狙ってな」

 赤虎は自分の持つ刀を構えた。

「成程。お見通しってわけか」

「ならば話が早い」

「蒲生さんよ。大人しくその剣を渡しゃあ何もしねぇよ」

 侍達の話を聞いた赤毛の大男が一言だけ言った。

「残念だが、タダで渡すわけにはいかんよ」

 彼がそう言って念じると、その西洋剣の大きさが倍以上の大剣ほどの大きさになった。

「これが、(へん)(とう)大太(だいだら)法師(ぼっち)……」

「ダイダラボッチ?」

「同名の巨人妖怪から名を取った刀。剣の大きさを自在に変えられるという話だったが、誠であったか……」

 この役人は情報通だった。目標の情報を知るのは当然ではあるが、七刀の所持者とその能力も探るとは諜報能力は高いだろう。


「おい! 赤毛! 大人しくその刀を渡せ!」

「そうだ! さもなければ、お前の家族の命が無いとおも……」

 傭兵の男達は最期まで言葉を言えなかった。首が地面に落ちたからだ。

「あ? 俺の家族の命が何だって?」

 今にも血管が切れそうな顔で役人達を睨みつける。

「ひっ!」

「待て待て、お主と言えども、幕府を敵に回す訳には行くまい」

 脂汗を流しながら尚も強気で言う役人達。正確には幕府の命で来た訳ではなかったが、幕府の名を出せば怖気づくと思ったのだ。しかし男は動じなかった。

「俺の家族を襲う奴は、幕府だろうが朝廷だろうが等しく敵だ」

 大剣を担いだ赤虎はまさに敵を威嚇する虎のようだった。デスクワークが中心の役人は情報収集能力には優れていたが、剣の腕は達者ではなかった。

 後ずさりする役人とは反対に、残り二人の浪人が刀を抜く。そして間合いを取りつつも、赤虎を囲んだ。実力差は素人目にも明らかだったが、彼らは命よりも金欲に目が眩んだようだ。

「俺に間合いを取っても意味が無いぞ」

 赤虎は離れた距離から剣を振るった。

 すると刃渡りが変化し、二人の浪人は一振りで胴体を切り裂かれた。

 血濡れた大権を担いだ赤虎が、残った二人の役人に向かって歩いてきた。

「ひっ!」

 完全に戦意を喪失した役人達が腰を抜かしていた。

「お上に伝えな。俺の剣が欲しければ、いつでも来い。だが、俺の家族に手を出すなら直接俺が挨拶に向かうとな」

 赤虎は、刀を元の大きさに戻し、役人の元から去っていった。


 赤虎は、物影に隠れた自身の家に帰ってきた。

「あなた、おかえりなさい」

「パパおかえりー」「おかえりー」

「ああ、ただいま。さて約束通り話をしようか」

 赤虎は、二人の子供を膝に乗せて、町の様子を面白おかしく語りだしたのだった。



 また、古の町京都では―


 コンコンコンコン

「並阿弥陀仏……」

 お坊さんが木魚を叩きながら念仏を唱えていた。

 古式ゆかしい黒い袈裟を着た、丸坊主の男性である。

 彼は大仏の前で唱えていたお経を中断した。というのも、自分の背後にある入口の障子が開かれたからだ。

幻界(げんかい)様、お客様がお越しになりました」

 声をかけたのは、一人の少女だった。

「客? 世捨て人の拙僧に尋ねてくるもの等おらんはずだが……?」

 幻界と言う和尚が振り返ると、少女とその後ろに50代くらいの男性が来ていた。

 少女は客を案内すると直ぐに席を外した。

「このような山寺に何用ですかな?」

 和尚は努めて優しく尋ねた。

「ここには、懺悔に来ました」

「ほう、なにか悪行に手を染めたのですかな?」

「……はい。全て懺悔いたします」

 男は自身の半生を語りだした。それはほとんど犯罪歴だった。小さい頃から盗みを行っていたこと。若い女性を襲っていた事。金に困ると、強盗殺人を行っていた事。それは耳を塞ぎたくなる内容だった。

「なるほど。それでなぜ懺悔をしようと?」

「わしはもう長くない、医者にそう診断されました。そしたら急に地獄に行くのが恐ろしくなったのです」

 男は震えだした。本気で地獄に行くのが怖くなったらしい。

「それで、寺に来て悔い改めようと思ったのですね」

「はい。どうか、わしが極楽へ行けるように経を呼んでほしいのです」

「心配しなくても、ちゃんと送って差し上げますよ」

「ありがとうごぜぇやす」

 男は合掌した手をすり合わせてへりくだる。

 和尚は再び大仏の前に座った。

 しかし、いつまでたっても御堂にはお経や木魚の音は聞こえてこなかった。

 代わりにお堂に響いたのは、ドサリと何かが落ちる音だった。

「お前さんが行くのは極楽浄土じゃありゃせん。地獄だよ」

 和尚の背後には首のない男が座ったままだった。

「悪人を地獄に送るが拙僧の使命……」


 和尚は、錫杖を持って立ち上がった。

 そのまま、首のない咎人の元まで歩き、その亡骸を見下ろしながら言った。

「地獄に逝くのが怖いから、ただ祈るだけで極楽に行ける等とは思わぬことだな……」

 すると、障子戸が開いた。

「幻界様、私が片付けましょう」

 先程の少女が亡骸を見ながら言った。

「いや、拙僧がやろう。お前の様な若い娘が手を汚すことではない」

「左様ですか。では墓の準備だけでも致しましょう」

「ああ、頼む」

 少女は寺が管理する墓の方に歩いて行った。

「やれやれ、我が寺の墓石は増えるばかりだな。これも世に悪人が多い証拠……」

 幻界和尚は男の首を布にくるみ結んだ。

 それを左手に持って右肩に男の胴体を担ぐと、火葬場まで歩いた。この寺の火葬場は墓とは逆方向にあった。

 寺の中庭では複数の子供達が遊んでいた。

「和尚様、また〝地獄送り〟をやっていたの?」

 遊んでいた子供の一人が声をかけてきた。

「ああ。罪人は善人の人生を狂わせるからね。死んだ善人は経を読んで極楽へ送り、生ける悪人は我が手で地獄へ送る、それが仕事だからね」

 和尚は子供の頭を撫でると、優しい声音で言った。

「お前達は遊んでいなさい」

「は~い」

 子供達はまた遊び始めた。

 和尚は焼却場につくと、首と胴体を棺桶に入れて火葬した。

「嫌な匂いだな……」

 灰の中から彼の骨を集めて骨壷に入れると、墓を目指した。

 和尚が墓を目指して歩いていると、寺の畑で仕事をしている娘達が声をかけてきた。

「和尚様、見てください。旬の野菜が採れたのですよ」

「みんな、よく頑張ったね。今夜美味しく頂こうか」

「和尚様は〝地獄送り〟をされたのですね。……お疲れ様です」

「ああ、先に小春が準備をしてくれているからね。埋葬しなくては……」

 そう言うと、和尚はまた墓の方へ歩いて行く。


 墓につくと、既に骨を埋める穴が掘られていた。

小春(こはる)、ご苦労だったね」

「いえこのくらいは……」

 和尚は持ってきた骨壷を穴に埋葬した。

 そして数珠を持ってお経を唱え出した。

「幻界様、もうじき日も暮れます。帰りましょう」

「ああ……」

 小春が和尚の手を引いてお堂を目指して帰っていった。



 ―また、摂津の廃村では若い女性が墓に花を供えていた。

 歳の頃は十代後半だろうか。平安貴族のように切り揃えた長い黒髪が実に美しい。江戸の将軍が見れば確実に側室には迎えたいと思うだろう美しい容姿だ。二刀を差した着物姿のその女性が寂しげに手を合わせていた。

「はぁ……、とうとう私一人になってしまった……」

 廃村の外れに何人か分の墓があった。それはかつてここで暮らしていた者達を弔ったものだった。寂しげに鳴く虫の声が哀愁を誘った。

「これからどうしたらいいの……?」

 誰も答えるはずもない廃村で一人ぼやく少女。しかし、茂みの奥から聞こえるはずのない声が彼女の質問に答えた。

「死ねばいいんじゃない?」

「誰!?」


 茂みの奥から一人の女が現れた。

「あ~怖い怖い。こんなに濃い殺気を飛ばしてくれちゃって。一人が寂しいなら死んじゃえばいいって言っただけじゃない?」

 女の風貌は可笑しかった。露出の激しい扇情的な衣装を纏っていた。

 普通の女子なら着るのも恥じるような衣装だった。一言で言い表すなら痴女だった。

「貴女が結界術を掛けていたせいで長い間発見できなかったわ~」

 高飛車な態度で語るこの女性は人をイラつかせる事に長けていた。

 墓参りをしていた方の女性が感情を殺して尋ねる。

「あなたは何者?」

「私は~生き残った土蜘蛛を討伐しにきた正義の味方よ~」

「!」

 女は頑なに自身の情報を語らなかったが、村の周りに掛けていた結界を解いて侵入してきた事、殺気を放っても涼しい顔をしている事、そして土蜘蛛の事を知っている事からただ者ではないことは分かった。

「土蜘蛛の民っていうのは、旧朝廷に逆らって討伐されたお馬鹿さん達でしょう?死に損ないの生き残りがいるのは聞いていたけど。……ねぇ、土蜘蛛の姫、黒土(くろつち)あやめさん?」

 挑発するように言う女を睨んであやめと呼ばれた女性が後ろに飛んで距離を取った。

 この手の輩は挑発して相手を煽り罠にかけるタイプだと思ったことと、得体のしれない女から距離を取りたかったからだ。

「その死に損ないを殺しにくるなんて余程暇人なのね……」

 ふざけた女に負けず、煽り返すあやめ。すると、女が笑いだした。

「あはははは。私、こう見えても結構忙しいのよ? 普通なら死に損ないなんて捨て置くわ。どうせ、惨めな人生しか送れないんだしぃ」

 馬鹿にしたような瞳であやめを見下しながら言った。

 アヤメは頭が沸騰しそうだったが、情報を聞き出すため敢えて黙って聞いていた。

「私、忍の世界では有名なのよ? 幻術においてこの峠河霞の右に出る者はいないわぁ。凡人には分からないかもしれないけれど……」

 アヤメは、ようやく敵の名前と職を聞き出すことが出来た。おまけに得意忍術は幻術だと暴露してし まっている。完全に馬鹿な女だと認識した。

「おしゃべりが過ぎたようね。私が貴女の言葉を聞いていたのはその達者な口が情報を喋ると思ったからよ。どこの手の者か分かれば最早用無しよ」

 あやめは腰の刀を握った。

「へ~、いきなり刀を使うんだ?これだから育ちの悪い田舎者は……」

「ほざきなさい。貴女も土中に部下を隠してるじゃない」

「すご~い。土遁・地中待機の術を見破ってたんだぁ。じゃあ隠す意味はないわねぇ」

 霞が合図をすると、地中から一斉に忍び達が姿を現した。

 一様に暗い色の忍装束を身に纏った彼らは武器を構えていた。

「大層な口をきく割には、臆病者なのね」

「ふふふ。慎重と言ってほしいわ~」

 武器を構えた忍達があやめに飛びかかった。


 彼らは何らかの術を施したようで、異常に身体能力が良かった。そして、彼ら一人一人がクナイや短刀、鎖鎌等、それぞれの武器の扱いに長けていた。彼らの技術と殺気から既に何人も暗殺した玄人である事が推察できる。

「殺気も武術も中々だけど、私を殺すには足りないわ」

 攻撃をかわしていたアヤメが腰の刀を抜いた。

 一薙ぎすると、彼女の前にいた忍達は首を持っていかれていた。

紅花流(べにばなりゅう)二人静(ふたりしずか)

 首を刈られた忍の体から大量の血が飛び出した。

「貴様、同胞に何をした!?」

 アヤメは刀を振って刃に付いた血を払いながらその質問に答えた。

「二人静は紅花流開祖が編み出した剣よ。彼の前に立った敵二人が一振りで首を刈られて静かになったことから名付けられたもの……」

 忍達はアヤメの説明を聞いて数歩後下がった。

 忍達は合図すると、高速で印を結んだ。

「雷遁・電光蛇流(でんこうだりゅう)!」

 周囲の忍が一斉に同じ術を使った。雷が蛇のようにうねり、アヤメを襲う。

アヤメは自分に襲いかかる雷の光を眩しげに見ると、剣を握る手に力を込める。

「紅花流・紅輪花(こうりんか)

 彼女は踊るように一回りすると、雷の蛇ごと周囲の敵達が斬られていた。

 斬られた忍び達の血液が花弁の様に外側に伸び、アヤメを中心に大きな赤い花を描いた。

 距離を取れば安心だと思っていた忍達は沈黙する他ない。

「これは剣神白蓮と同じ技!?」

 紅花流・紅輪花は出雲天照流・白虹円刃と似た技だった。剣術の中では他流で同じ技もあるが、紅花流のそれと出雲天照流のそれは全くと言っていいほど似ていた。


「紅花流……まさか実在していたとはね……」

「霞様、御存じなので?」

 驚嘆する霞に、部下が質問を投げかけた。

「文献で見た事あるわ。土蜘蛛の民が扱う一撃必殺の暗殺剣だとね。旧朝廷が土蜘蛛の民を完全に征伐できなかったのは、この剣術を扱う者がいたからだとも言われているわ」


 そう語る霞には、今までの余裕のある態度はなかった。部下も唾をゴクリと飲む。土蜘蛛の民は旧朝廷への復讐を拒み、反発した地方豪族であると言われている。反逆者の彼らは当然朝廷の敵として征伐されたが、討伐作戦後も生き残りが確認されていた。彼らが生き残った理由がこの暗殺剣にあるというのだから、その剣術の強さも窺い知れた。


「よく知ってるわね。私の紅花流は出雲天照流と並ぶ最古の剣よ……」

 そう語る彼女の背後の土から忍びが飛び出した。僅かな隙を見つけて襲いかかったのだ。

忍の刃がアヤメの首を斬ろうとした時、アヤメは人間離れした動きで剣を振るった。

彼女が剣を振り切った後、彼の五体は全て切断された。

「紅花流・高嶺弟切(たかみねおとぎり)

 アヤメが脇差も抜いて霞を睨みつけた。

「人が話している間に攻撃するなんて無粋よ」

「戦場で隙を見せる方が悪いわぁ~」

 以前の余裕のある声音で話す霞だったが、脂汗を隠せなかった。雷ごと部下達を斬る上に、確実に急所を狙ってくる剣術の使い手。そんな相手に対してどう戦えばいいのか。考えた彼女は部下達の独断に任せることにした。

「さぁて、貴方達はどんな花を咲かせてくれるのかしら?」

 刀を構えるアヤメから霞は後退した。

 自分が直接戦うには情報が少ない。ならば部下にやらせて、アヤメの動きを把握して疲弊させ、最後に自分が戦えばいいと考えたのだ。

「貴方達ぃ? 好きに彼女を襲いなさい。首を取った子にはご褒美あげちゃうわぁ」

 霞の言葉に部下達は何も返さなかったが、彼らの行動からヤル気を感じられた。ある者は印を結び、ある者は気配を消し、ある者は武器を構えた。その全てがアヤメを殺そうとしていた。


「雷遁!」「風遁!」「土遁!」

 各々印を結ぶ忍達。しかし、彼らは術を発動することはできなかった。

術の発動のための印を結び終わる前に、彼らの首は跳ね飛ばされていたからだ。

「紅花流・彼岸花」

 首を失くした忍達の切断面から飛ぶ血飛沫が空に向かって飛ぶ。

 その様は彼岸花が咲いているようだった。

 確実に急所を仕留めるそれは、まさに必殺剣といえた。

 仲間が何人やられても、忍達は恐怖を抱かなかった。否、恐怖を殺していた。覆面の奥から僅かに見える彼らの瞳には怯えが感じられた。しかし、その怯えを言葉や行動に表さない程には彼らは隠密としての職務を全うしているといえた。

 彼らは、アヤメが剣を反対方向に向けた時、僅かに息を整えた時、僅かな隙を見つけては襲いかかってきた。

 アヤメは彼らの動きを正確に見切ると、正確に彼らの急所を狙って剣を振るった。

 ある者は、首筋を一撃で切り裂かれ、ある者は太股の大動脈を斬られ、ある者は頭を割られ、またある者は胸元を深く抉られた。

「紅花流・八重桜」

 彼女がそう言った時には、彼女に斬られた者達は地面に這いつくばった。無論、彼らの息はなかった。

「急所を一撃で仕留める技。一撃一撃が致命傷になる。接近戦はないわね」

 霞が部下達とアヤメの戦闘を観察しながら分析する。彼女の合図でまた忍達が襲ってきた。今度はある程度の距離を保って。

 しかし、その多くが先に彼女に仕掛けた者達と同じ結末が待っていた。距離を離そうと思っても俊足で追いつかれて首を撥ねられた。辛うじてその凶刃を何とか交わし、掠り傷で済んだ者もいた。彼は再び距離を取って武器を構えた。

しかし―

「ぐはっ!」

 掠り傷を負っただけの忍が急に吐血して倒れたのだ。

「これは―……」

 霞がその部下の脈を確かめると既に死んでいた。

「噂には聞いていたけど、その七刀の効果……」

「私が七刀を持っているというのは知ってたのね。……確かに、この刀は剣士なら喉から手が出るほど欲しいでしょうね」

 アヤメが七刀を構えた。

「天下七刀が一振り、毒刀・地蜘蛛(どくとう・じぐも)。斬られた者は例え掠り傷でも致命傷になり絶命する一撃必殺の刀……」

 アヤメの刀を直視しながら呟く霞。ある程度はその情報を得ていたが、実際に見るまで信じられなかったのだろう。霞は状況を確認する。

 辺りは血の池と化していた。四肢を失くした者、首を失くした者がその血の池に沈んでいた。血の池に沈む全員が急所を攻撃されていた。

 霞は、息を整えている茜にパチパチパチと拍手した。

「すご~い。私の手練達をこんなに殺すなんて」

「そろそろ貴女にも花を咲かせてあげるわ」

 アヤメは、数メートル先にいる霞に剣を向けながら言い放つ。

「怖いわね~」

「部下達がやられたのに余裕ね」

「私達は職業柄、死を覚悟してるわ。それに彼らも無駄死にじゃないわ」

「?」

 首を傾げていると、霞が部下達を下げて前に出てきた。

「貴女は随分体力を消耗した。貴女の動きも見切れた。だから私が前に出たのよ」

 霞が先程までの余裕を消すと、素早く印を結んだ。

「幻術・恐怖権化の術」

 急に辺りに霧が出てきた。辺りは見たこともない渓谷に変わっていた。今までいた廃村ではない。いつの間にか忍達の姿も消えていた。アヤメは「これは幻術だ」と自分に言い聞かせて意識を集中させる。


 その時―

 巨大な鬼が目の前に現れた。アヤメを睨むその鬼が雄叫びを上げながら襲ってきた。アヤメは素早い動きで鬼を翻弄し、その胴体にまで接近し、頭に向かって飛んだ。

「紅花流・都忘れ!」

 彼女は鬼の頭に向かって唐竹割をした。

 すると、頭を割られた鬼が消えて、幻術が解かれた。そこは元の廃村に戻っており、彼女が斬った鬼は頭から股下で斬られた忍の姿に変わった。ようやく幻術が解けたと思っていると、また霞が声をかけてきた。

「中々やるじゃなぁい?」

 アヤメは素早く接近して印を結ぼうとしている彼女の首をはねた。しかし、霞の姿が煙のように消えてしまった。

「ふふふ。私は別の場所に隠れているわよぉ? お馬鹿さん」

 考えてみれば当然だ。幻術使いがわざわざ前線に出てくるなどおかしかった。アヤメが幻術で惑わされている間に隠れる時間等いくらでもあったはずだった。

「暴れたりない貴女のために次の舞台を用意してあげたわぁ」

 幻の霞が素早く印を結ぶと、辺りは合戦場に変化した。莫大な平野の中心にアヤメだけが立っており、その周囲を甲冑に身を包んだ侍達が囲んでいた。

「幻術・四面楚歌の術」

 四方八方から弓矢が飛んでくる。僅かに掠るその矢は幻ではなく本物だった。おそらく矢の攻撃に合わせて、手裏剣やクナイを投げているのだろう。

「っく! これじゃあ、敵の位置も分からない……!」

「ふふふ、どう? 蜘蛛さん? 貴女のご先祖様もこうやって朝廷に討伐されたんでしょう? 子孫の貴女も同じ目にあうなんて滑稽ねぇ」

 武士達は弓矢を放ってくる。幻術で気配を乱されて敵の位置を特定できない。武器の場所から敵の位置を割り出すこともできない。

 となればアヤメがとれる方法は一つだけだった。

「全員やるしかない!」

 アヤメは独特の足運びで加速していく。土蜘蛛族に伝わる〝奔り蜘蛛〟と呼ばれる高速歩法だ。その速さは出雲族の縮地に勝るとも劣らない。

「は、速い!」

 武士達はその速度に付いてこれなかった。アヤメは剣を振るいつつ、円を描くように、時計回りに走り抜けた。彼女が駆け抜けた後には切断された死体しか残らなかった。

「紅花流・(つるぎ)(はな)独活(うど)!」

 それは高速で動きながら剣を振るう技だった。あまりの速さ、あまりの鋭さによって幻は一部だけ解けて、武士の死体は切断された忍の死体に代わっていた。

「ざっと五百はやったと思ったけど、実際は二十くらいなのね……」


 数は減ったものの、戦意を失っていない武士達が闘争心をむき出しにして襲ってくる。幻術なのだから戦意を失わないのは当然だが、戦意を失わない敵というのは厄介だった。一対多数の戦いでは、短期戦に持ち込むのが定石である。個人がどんなに強くても体力的な限界はくる。だからこそ、はじめに実力の差を見せて相手の戦意を削ぐのは基本だった。

「本当に全員やるしか方法はなさそうね……」

 アヤメが両手に持った毒刀と脇差を構えた。それから彼女の姿が消えた。

「紅花流・百花(さるす)(べり)

 数多くの手、足、首が宙を舞った。彼らの傷口から広がる流血は百輪の花が咲き誇っているようだった。

「はぁはぁはぁ……」

 呼吸が荒くなるアヤメ。流石にこれだけの連戦は辛いようだった。

 幻術は解けて忍び達の死体が転がっていた。しかし、先程までとは違って急所を仕留め切れていない者も沢山あった。

「ふ~ん。今の百花紅とかいう技、紅花流の極意に反するんじゃない?」

 仲間達の死体の山から尋ねてきた。その質問にアヤメは眉を動かした。

「よく見てるわね。目聡い女……」

 百花紅で斬られた者たちは、それ以前に斬られた者たちと違って急所への攻撃を仕損じていた。紅花流の極意は、急所を一撃で仕留めることである。本来なら敵を仕留め切れないことはあってはならない。故に百花紅は極意に反する矛盾した技だった。

「お察しの通りよ。この技は敵を殺すよりも場を斬り抜けることに特化した技。多勢に無勢相手に生き残るために考案された技よ。だから四肢を斬り落としただけで殺しきれない敵も当然出てくる」

「……その弱点を補うのが毒刀ってわけねぇ?」

「ご明答」

 百花紅は限られた時間や体力で敵を封殺する技である。仕損じた敵に反撃されることも多い。しかし毒刀で斬りつけていれば、掠り傷でも殺すことが出来る。まさに毒刀あってこそ生きる技だった。


「私も消耗しちゃったけど、貴女の持ち駒ももうないわね」

 霞の周りには五人程度の部下しか残っていなかった。

「本当酷いことしてくれるわぁ。これだけの人材を育てるのにどれだけ苦労するかわかってるのぉ?」

 未だに戦意を失わない霞が印を結ぶ。

「幻術・桃源郷の術」

 彼女がそう言うと、廃村は一気に活気のある村へと回帰した。

「これは……?」

 辺りを見渡すと、自分が幼い頃に死んだ近所のおじさんやおばさん、村を出ていった若者達がそこにいた。彼らは皆楽しそうに笑っている。

「あやめ、おいで」

 今は亡きアヤメの父が手招きしている。

「あやめ、貴女の好きな金平糖よ」

 同じく今は亡き母が大好物のお菓子をアヤメに差し出した。

「お父様、お母様……? どうして?」

 彼らに手を伸ばす自分の腕が自棄に短かった。目線も低い。

アヤメは子供の姿になっていたのだ。

「お~い、あやめ~、今日は南蛮のかすてぃらが手に入ったぞ。美味いぞ」

 笑顔でカステラを渡してくるその男は、アヤメの師である伯父だった。

「あやめ~ちゃん、一緒にあそぼ―」

 呼ばれた方に振り替えると、そこにはアヤメと同年代の女の子がいた。

 アヤメが小さい頃には村は少子化と過疎化が続き、幼い子供はアヤメ一人だったはずだ。だから、いつもおはじきやお手玉等で一人で遊んでいた。稀に村の結界内に迷い込んでくる子供と遊ぶこともあったが、その子は大人たちによってすぐに外の世界に返された。そして、外の世界の子と遊んではいけないと親に怒られていた。

「あやめ、行ってきなさい」

 しかし、今日の両親は注意しなかった。優しく見守っている。

 彼女に手をひかれていった先には同年代の子供達が待っていた。笑顔で迎えてくる少年少女達。そこには確かな幸せがあった。


「ふふふ、堕ちたみたいねぇ……」

 霞が愉悦に浸っていた。

 彼女の数メートル先に地面に座り込んだアヤメを見ていた。

「桃源郷の術は、掛かった者にとって理想的な世界を体現する術よぉ。殺される瞬間まで幸せを味わえる術。私って優しいわよねぇ~。不幸な蜘蛛さんに幸せを上げるなんて」

 霞が手で合図を送ると、残った部下達が遠距離から術をクナイを投げた。

 アヤメに向かって投げられたクナイは彼女の頭を貫く前に真っ二つに割れて地面に落ちた。同時に離れた所からクナイを投げた霞の部下とその後ろにいたもう一人の忍も胴体が切断されていた。

「紅花流・飛び梅!」

 アヤメがいつの間にか立ち上がっていた。

「ど、どうして? 貴女は理想の世界を見ていたはず……」

 彼女は霞を睨むと、その質問に答えた。

「絶対にあり得ない世界だったから、私は惑わされなかった……」

「自らそこにある幸せを放棄したというの? ありえない! この術にかかった者は例え幻術だと分かっていても現実の世界に帰ってこれなかったのに!」


 今まで彼女がこの術を使うと、会えるはずのない死人にあえたり、悲恋に終わった想い人と結ばれていたり、理想的な状況に陥り、現実に戻ることを拒むのだ。現代で言うところの麻薬によるハイ状態に近いのかもしれない。殺されると分かっていても、辛い現実よりも優しい幻術を選んでしまうのだ。


 あやめは剣術が強いのみではなく心も強かった。彼女は幸せな幻術よりも辛い現実を選んだ。

「っく! 蜘蛛には心はないのか!」

 アヤメはその質問には答えずに急接近した。完全に怯えて腰を抜かしてしまった霞を庇うように部下の忍が立ちはだかった。

「紅花流・三椏!」

 アヤメが右手で持った毒刀で左肩口を、左手で持った脇差で右肩口を切り裂いた。斬られた忍がちょうど腹部から上半身にかけて三又に分かれた。その瞬間、背後からもう一人の忍がアヤメに斬りかかった。

 忍達はもう戦法にこだわって等いられなかった。接近戦を避けても幻術は破られ、遠距離にいても斬られてしまう。となれば自分が最も得意とする戦術で挑むしかない。気配を消していたが、アヤメはその気配を敏感に察知し、柄頭で背後の忍の顎を撃ち砕いた。その忍は、何かに吊るされたように上空に持ち上げられた。

「吊花」

 ドサリと頭から地面に落ちた忍は首の骨が折れていた。五人残っていた忍は早くも四人殺されてしまった。しかし、アヤメの勢いは止まらない。脇差を鞘に納めると、毒刀を突きの体勢で構えて霞に向けて走り抜けた。

 咄嗟に体格の良い霞の最後の部下が前に出てきた。

「鈴蘭」

 男の胸部を正確に貫いた毒刀の先には、心臓が刺さっていた。僅かに鼓動していた心臓は二つに割れて地面に落ちた。

 アヤメは巨体の男の死体を蹴り飛ばして再び霞に接近する。ようやく我に返った霞が踵を返すが、アヤメの凶刃が彼女を斬りつけた。

 霞は毒刀に手の甲を斬りつけられてしまっていた。毒刀に斬られることは死を意味する。自分が斬られた事を悟った霞が瞬即座に自分の左手を斬りおとした。

「瞬時に自分の腕を斬り落として毒が心臓に達するのを防ぐとは、敵ながら天晴れね……」

 逃げる霞はまきびしと煙玉を放った。

「幻術・姿隠しの術」

 基本的な幻術と忍び道具を併用して、霞は逃亡したのだった。

「逃げたか……」

 アヤメは毒刀を鞘におさめた。

「幻術、もう少しかかっていたかったな……」

 アヤメは白い霧のかかる廃村へ戻っていった。




 ―場所と時間は変わって、出羽国から旅立った一人の男が越後に来ていた。


「迷ったかな? 先程尋ねた時は道を左に行けばいいと言われたが……。横にそれてしまったのか?」

 今道に迷っている男こそ、宗助が始めに戦った七刀の所有者であり、鬼角一砕流の継承者、六角左近だった。

 かつては自分の顔を般若の面で隠していたが、今は般若の面を左頭に付けて素顔を晒している。変わった出で立ちだった。彼の長髪を風が撫でる。


 彼は宗助と別れた後、故郷に帰りながら武者修行をしていた。かつての七刀の所有者であるから、未だに彼が妖刀を所持していると勘違いした輩が襲ってくることもあったが、彼は鬼角一砕流で挑んでくる猛者達を下していった。

「それにしても、俺は本当に強くなっていたようだな。挑んでくる奴が弱く見える。……っていかんな。慢心は駄目だ。宗助のような強者に出会うかもしれん」

 自分を戒めながら山道を歩いていると、少し先の方に人影が見えた。左近はちょうど道を聞こうと、人影の方へ歩いて行った。


「っく! 私は逃げてなどおらぬというに!」

 雪山淡雪は追手から逃げていた。彼女を追う者は同じ忍者だった。

時雨の忍術で加賀の国に飛ばされた淡雪は、丁度隠れ里から時雨を暗殺するために出発する抜け忍狩りとはち合わせたのだ。


「お前は淡雪? 蝦夷地へ向かう時雨を暗殺するために先に出発していたはず!なぜこんな所にいるのだ!」

「その時雨の忍術でここまで飛ばされたのよ」

 淡雪は自分の身に起きた状況を説明した。陸奥国で時雨達を迎え撃ったが、戦闘中に見たこともない術で天にさせられてしまったと。だが、忍び達は彼女の言葉を信じなかった。

「そんな忍術聞いたこともない。さてはお前、時雨に臆して逃げ出したのだな!」

「え!? 違うわ!」

 否定しても遅かった。彼らは時雨に向けるべき武器と殺意を淡雪に向けたのだ。こうして盛大な勘違いによって淡雪は【任務を放棄し逃亡した裏切り者】として追われることになったのだ。


「裏切り者には死を!」

「はぁはぁ……。全く人の話を聞かない連中ね。忍なら情報の裏を取りなさい!」

 逃げながらも印を結ぶ。

「水遁・集積滝壺!」

 彼女が術を発動すると、横に流れていた滝から莫大な水が飛び出し、何人かの忍びを飲みこんだ。そしてそのまま滝の中に引きずり込んでいった。

「流石は上忍。氷遁使いの淡雪だな……。忍法・影分身」

 タダでさえ多い追手の数がさらに増えていく。

「鬱陶しい!」

 素早く印を結ぶ。

「氷遁・落下雹!」

 雹の霰が忍び達に降り注いだ。影分身は雹に押し潰されて消えていく。他の忍達も大なり小なり手傷を負った。

「はぁはぁはぁ……」

 淡雪は息が荒くなる。ここ数日追手に追われてそれを退け続けている。流石に体力気力の限界である。もう忍術は発動できない。

 これで仕留め切れていなければ―

「危ない危ない。いきなり氷の塊を降らせるとは」

 一番厄介な上忍達は無傷だった。淡雪は絶望に顔を歪める。もう抵抗できるものがない。どうすることもできない。絶体絶命の危機に、淡雪は「時雨もこんな大変な経験をしていたのか」とぼんやり考えていた。

「もう疲れただろう? せめて楽に葬ってやろう。消えろ淡雪!」

 追い忍部隊を率いていた忍頭が印を結ぶ。

「火遁・火達磨!」

 淡雪を紅蓮の炎が襲った。自分を襲う揺らぐ炎を直視しながら氷術師の淡雪が炎に焼かれるのは実に相応しい最期だと思い、淡雪は目を閉じた。


 しかし、淡雪はその炎に焼かれることはなかった。恐る恐る眼を開けると、先程まで眼前に迫っていた炎は掻き消されていた。

「何者だ!?」

 忍頭が見ていた方向に目をやると、そこには鬼の面を左頭上にかけた奇妙な出で立ちの侍が立っていた。

「名を聞かれたのなら名乗っておこうか。俺は六角左近だ」

「左近? ああ、佐助を殺った奴か……。貴様は今川宗助に敗北し、七刀を奪われたはずだが。何故邪魔をする?」

「別に、女の子を囲んでいる男がいたら止めに入るだろ普通……」

 左近は、何を当然なことを聞くんだとばかりに質問に答えた。忍頭その答えに納得できなかったのか、左近を睨み続けながら更なる質問をした。

「もう一つ聞く。我の術を掻き消したな? どうやったのだ?」

「剣を振るっただけさ」

「どうやら真面目に質問に答える気はないようだな。例え〝忍び殺し〟でも上等忍術を一瞬で払えるわけが無い!」

 苛立ちを隠せない忍頭が素早く印を結ぶと、大きく息を吸って左近に向けて吐いた。

「火遁・焼却業火!」

 彼が吹いた息が業火に変わって左近に襲いかかった。左近は迫りくる業火を一瞥すると剣を振るった。

「鬼角一砕流・鬼斧神工!」

 彼が剣を薙ぐと、炎は風に扇がれた様に進路を変えて忍び頭を襲った。忍頭が、自分が放った炎を返されたのだと理解した時には、既に火達磨になっていった。

「自分の技で死ぬのは惨め過ぎるからな」

 左近は、高速で刀を振るった。

「鬼角一砕流・鬼開き!」

 火達磨になった忍頭は、その斬撃によってバラバラになって崩れ落ちた。

「貴様! よくも頭を!」

 激昂する忍達に対し、左近は冷静だった。

「残念だったな。お前らも終わりだよ」

 左近は右に左に高速に移動しながら剣を振るう。斬撃の結界が出来上がり、その内部にいた忍達がサイコロステーキのように斬り刻まれた。辛うじて難を逃れた者もいたが、彼らは左近の突きによって胸や頭を貫かれた。

「鬼角一砕流・鬼瞰之(きかんの)(わざわい)……。勝利を確信した時こそ油断するなってことだ」

 左近は左足に痛みを感じて体勢を崩しかけたが、剣を地面に突き刺して倒れることを防いだ。

「やれやれ、出雲の縮地を体得しようと思ったが、まだ扱いきれてないらしいな。鬼角一閃の加速力が持続すれば理論上は可能なはずなのだが……」


 左近は周囲に敵がいないことを確認すると、襲われていた女性の方に歩み寄った。体力と気力を消耗して気を失っているようだ。左近は、その女性をお姫様だっこのポーズで抱え上げた。その白い肌の美人を見つめて左近がポツリと呟いた。

「美しい……」

 左近は一瞬淡雪に見惚れてしまった。

 淡雪を抱えた左近は、宿に向けて歩き出した。



 左近が宿で淡雪を介抱していると、翌日の朝に彼女は目を覚ました。

「ここは……?」

 見慣れぬ天井がそこにあった。

 彼女が目覚めた事に気付いた男が話しかけてきた。

「山の近くの宿だ。忍に襲われてた君を連れてきた。覚えているか?」

長髪の男にそう言われた淡雪は、自分が追い忍に追われていた事と絶体絶命の時に目の前の男が助けてくれた事を思い出した。

「他の忍は?」

「全員殺しちまったが、友達でもいたか?」

「……いいえ」

 淡雪は、あれ程の手練を皆殺しにした、と簡単に言ってのけてしまう男に呆気にとられてしまった。

 意識を取り戻した淡雪に、男が自己紹介した。

「俺は六角左近。故あって武者修行の旅をしている者だ」

「六角左近?」

 その名前に聞き覚えがあった。自分を殺そうとした忍頭が口にしていたのもそうだが、時雨暗殺の任務に向かう時に上層部から知らされて情報にあった名前だ。確か、妖刀・才の所持者だったはずだ。忍頭の言を信じるなら彼は破れて妖刀を奪われたそうだが……。

「キミの名前は?」

 考えていた淡雪に左近が話しかけてきた。彼が名乗ったのに自分が名乗らないのは不義理だと捉えた淡雪は自身の名前を教えた。

「私は雪山淡雪。忍の里の上忍だったけど、今は抜け忍よ」

「へ~、興味本位で尋ねるが、なんで抜け忍になったんだ?」

「無影時雨と今川宗助を襲撃した時に、時雨の術で遠い場所に飛ばされてね。それを仲間達は職務放棄したと勘違いしたってわけ……」

 宗助と時雨の名前を出した時に、左近は喰いついてきた。

「宗助達と戦ったのか? アイツら強かっただろう?」

「今川宗助の方は知らないわ。時雨の方も実質引き分けだったし……」

 実際に彼女は時雨に負けたわけではなかった。ただ強制的に勝負を投げだされただけだ。例えるなら将棋の勝負で拮抗していた時、盤上をひっくり返されたに等しかった。


「そうかそうか、それにしても災難だったな。勘違いの上、裏切り者扱いなんて。これからどうするつもりなんだ?」

 彼女の境遇に深く同情した左近が身の振り方を尋ねた。

 少し考えた後、淡雪は答えた。

「……まず隠れ里には戻れないわね。裏切り者扱いされたままだし。第一、裏を取らずに咎人扱いする危ない所に身を置くつもりもないわ」

「懸命だな。それなら、俺と一緒に旅しないか?」

「貴方と?」

「ああ。地図が無くて大変なんだ。俺、方向音痴だし。忍者なら地形に詳しいだろ?」

「……私は地図扱い?」

 脱力する淡雪。しかし、断るにしても行く宛てはない。それに、追手が狙っている以上一人でいるより二人で行動した方が良い。利害の一致の上でとりあえず左近という男に同行することにした。

「そうだ、お礼を言っていなかったわね。助けてくれてありがとう。」

 淡雪は素直に頭を下げた。命の危機を助けてくれたのは目の前の男に違いなかったのだから感謝するのがとうぜんだった。

 左近は恐縮したように言った。

「お礼なんていいよ。襲われてる女の子を助けるのは当然だからね。まして女の子が上玉だったら俄然やる気が出てくる」

 彼の言葉を聞いた淡雪は赤面して黙り込んでしまった。


 その宿でもう一晩休んだ後、二人は出発した。追手が迫ってきている以上、長時間同じ場所に留まらない方が良いとの淡雪の助言を信じて、体力の回復次第出発したのだ。


 道中、手持無沙汰になった淡雪は左近に話しかけることにした。それは情報の共有という意味で大事なことだったが、

「左近、聞いてもいいかしら?」

「何だい?」

「……貴方は本当に宗助に負けたの?」

「ああ。コテンパンにされちまったよ」

「その割には凄く強かったよ? 貴方が戦ったのは上忍ばかりだった。それをあんなに簡単に……」

 淡雪の疑問に左近はすぐに答えた。

「俺は、宗助に負けた後も修業を続けてるからな。負けて諦めればそこで終わりだが、諦めずに自分を磨けばさらに強くなれるはずだから……」

 空を見上げる彼の眼はとても輝いていた。

 淡雪はこの話には納得して、もう一つの質問を投げかけることにした。

「貴方、今川宗助に負けたのよね? なのになんでそんなに旧来の友のように親しそうに語るの? 妖刀も取られたんでしょう?」

 淡雪は勝負の果てに負けて愛刀を奪われたのに、親しそうにする左近が解せなかった。普通は恨みこそすれ、親しみを覚えるはずはないからである。少なくとも、淡雪はそうだった。

「俺の妖刀は奪われたのではない。自ら差し出したんだ。それにアイツとの勝負はお互いの全てをぶつけて戦ったんだ。剣で語り合えば友情も生まれるもんさ。キミら忍には分からないかもしれないが……」

 そう言う左近の横顔は妙に清々しかった。彼の態度から見て本当に友情が生まれたのだろう。

 左近の話に納得した直後、アヤメは氷で作ったクナイを構えた。左近も腰の刀の柄を握り締めた。

 眼前に沢山の浪人達がいたからだ。


「なんだ。忍の追手かと思ったが、侍の方だったか」

 興味なさげに呟く左近。そんな彼に対し、一番体格の良い中心に居座る人物が口を開いた。彼が親玉らしい。。

「六角左近だな?」

「そうだが?」

「妖刀・才を渡してもらおうか!」

 彼らの狙いもやはり天下七刀だった。しかし当ては外れている。

「妖刀才は人に譲っちまってもうねぇよ」

 左近は自身の持つ刀を抜いて彼らに見せた。

「こいつは質屋で買った鈍さ。できるならお前達のと交換して欲しいくらいだ」

 左近がそう言うと、浪人の一人が刀を投げてよこした。どうやら本当に交換して確かめたいらしい。左近も願ったりかなったりと自身の刀を浪人の大将に投げてよこした。

「確かに、天下七刀ではないな。他に刀を持っている様子でもない……」

 左近の刀を鞘から抜いてその刃毀れした刀身を見て確信したようだった。

「用も済んだようだし、その道通らせてもらおうか」


 左近が彼らの前に進もうとした時、浪人達は一斉に刃を向けた。

「だが、お前の持つ刀に価値はなくともお前の首に価値はある」

「――!?」

 浪人達の大将がそう言うと、今まで発言を我慢していた下っ端達が血気盛んに話し出した。

「幽鬼・左近。数多くの武芸家達を斬った突き技の達人。お前の首を持ちかえれば、士官の口等山程あるわ!」

「それになぁ! お前の横に侍るその女も上玉だぜぇ? タダで見逃すなんて出来やせんよぉ? うひひひひ!」

「心配せずともその白い姉ちゃんは俺達が可愛がってやるぜぇ!」

 浪人達は一斉に臨戦態勢になり、左近達を囲んでしまった。

 左近と淡雪は冷めた目で彼らを見ていた。

「下衆が……」

「はぁ、力量差もわからないなんて侍も上下の差が段違いね」

 刀を構えた左近が淡雪の前に立った。

「これは侍の俺の喧嘩だ。キミが巻き込まれることはない」

「前は私達忍の内輪揉めに介入してきたでしょう? 今度は私が貴方を助けるわ」

 言いながら印を結ぶ淡雪を見た左近は、もう手出しするなとは言えなかった。

「氷遁・瞬間氷結!」

 突然現れた冷気が瞬間的に氷へと変わっていく。周囲を囲んでいた浪人達は、氷漬けにされて氷中に囚われてしまった。彼らは何が起きたのかもわからなかっただろう。或いは氷の中で尚戦おうとしているのかもしれなかった。

「ヒュ~、恐ろしい。まるで雪女だな。先程の言葉を返すが、なぜ君程の忍が追い詰められていたんだ?」

「あの時は消耗していたから術が使えなかったの。抜け忍狩りの基本は、人海戦術と連続戦闘によって標的の消耗を誘う事。だから標的より格下の中下忍も狩りだされる。暗殺成功なら出世だし、失敗しても標的の体力を削れるからね」

「成程。忍の世界も奥が深いな……」


 二人が話していると、氷の向こうで物音がした。その方向を見ると、浪人達の大将がギロリと睨みつけていた。

「そんな……私の氷遁は外れていなかったはず……」

「君の攻撃は当っていただろう。が、奴の剣を見てみろ」

 左近が指さす方を見ると、浪人大将の剣が気を帯びていた。彼はその気で淡雪の冷気を弾いたらしい。

「〝忍び殺し〟か。でも体に凍傷が出来てる。完全に忍術を殺せていない。次で仕留められるわ」

「待った。これ以上女の子の手を汚させる訳にはいかない。俺がやるよ」

 左近があまりに臭いセリフを言いながら前に出たものだから、氷使いの淡雪でも肌寒さを感じてしまった。彼の狙いが読めた淡雪は意地悪な声音で尋ねた。

「……本音は?」

「雑魚がやられてしまって出番が無かったから活躍したいです」

「よろしい」

 珍コントを終えると、左近が浪人大将と相対した。


 次の瞬間、浪人大将が襲いかかってきた。横に薙がれた刀を交わし、左近は大将の脇腹を突き刺そうとする。しかし、大将は瞬発力でその突きをかわすと、脇差を抜いて顎下を差そうとしてきた。

左近はその攻撃をかわす瞬間に剣を振るい、相手の腹部を傷つけた。内臓を傷つける意図で斬ったその一撃も男が瞬発力でかわしたのだ。

「ふむ。悪くはないが、雑だな」

「何だと!?」

 浪人大将は憤った。自分の剣術を批判されて冷静でいられる剣士は少ないだろう。まして、人に強いとはやし立てられてきた人間にとってはそのプライドを抉る行為だった。

「アンタ、瞬発力が優れている。それは転生のものだろう? だから淡雪の攻撃にも対処できた。だがあんたは、その天性の瞬発力に頼りきっている」

「!」

「その剣術がどんなものかは知らないが、もう少し動きを小さくまとめるもんだろう? アンタは大振りにしすぎて敵に反撃を許してしまってる。そうしてできた隙を持ち前の瞬発力で補って防いでる。違うか?」

 男は答えなかった。その代わり、八相の構えで襲いかかってきた。

「ガキがぁ! 図に乗りやがって! 俺の扱う流派はなぁ!」

 男が何事か言おうとした時、左近は剣を構えた。後の時代に平突きとされる技を行うための構えだった。そして5歩先程度まで近づいてきた時、剣を突き出した。

 すると、男の額当てが砕けて頭から流血し、一瞬遅れて左近の手から離れた真剣の刃が男の頭を貫いた。

「鬼角一砕流・突貫二角」

 左近の技を食らった浪人大将は見るからに絶命していた。その様子を見ていた

「今の技は、刃に宿らせた気による突きを射出して一撃を叩きこみ、次いで二撃目を真剣で当てたの?」

「よく見てるな、淡雪。こいつは一撃目で敵のガードを砕き、二撃目を確実に当てる技さ」

左近は、男の近くまで歩いて行くと、男の顔面に突き刺さっていた刀を引き抜いた。

「アンタの流派なんて知りたくないよ。才に奢って努力を怠った奴なんかに、その剣術も使い手を名乗ってほしくないだろうからな」

剣を収めた左近は淡雪の元へ歩いて行った。


 その晩、左近達は、適当に見つけたアバラ家で一夜過ごすことにした。

「ねぇ、左近」

淡雪が隣で寝そべる左近に呼びかける。

「ん? なんだ?」

「さっき、才ある者を憎んでいるようだったけど、何かあったの?」

「ああ。君には話してもいいか……」


 左近は語りだした。自分の半生を。

 才に恵まれず、藩最弱の剣士だったこと。

 修業しても自分を見下す奴に勝てなかったこと。

 強くなるために武者修行の旅に出たこと。

 多くの武芸者達と戦ったこと。

 その過程で妖刀・才を手に入れたこと。

 妖刀の魅力に取りつかれて人斬りになったこと。

いつの間にか戦っていた今川宗助に諭され、自分を取り戻して闘い破れたこと。

そして今に至ること。


 途中、詰まりながらだったが、自分の過去を話し終えた。

「だから俺は才ある者で奢っている者がいると、我慢ならないんだ。才ある者、飲み込みが早い者は、少ない努力で結果を得られるが、才が無ければ更に努力が必要になるからな……。天が与えた機会を無駄にしていると思ってしまう」

 左近は一呼吸した。

「馬鹿だって思うかい?」

 自嘲気味に尋ねると、淡雪は首を横に振った。

「私も分かる気がする。私も周囲から、とある才女に比較され続けてね。その子は幼年であらゆる術を使いこなす天才だった。私は彼女に負けてる自分が悔しくて五属性忍術の外にある氷属性忍術を編み出したの」

「そうか……。キミも苦労したんだな」

 穴が開いた屋根から見える星空を眺めながら、二人はお互いの手を握った。


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