第二章 北の大地
左近との激戦後、数か月。宗助達は蝦夷地を目指して、ひたすら北に向かって歩いていた。辺りは白い雪で覆われ、どんどん肌寒くなっている。
「時雨よぉ、本当にこんな所に七刀があるのか?」
「ああ。確かな情報だ。所有者もはっきりしておる」
ザックザックと雪を踏みながら歩いていた。もうすぐ船着場につく。そこから蝦夷地へと船で向かうことになっていた。とそこに、素早く手裏剣が飛んできた。宗助は愛刀を抜き、手裏剣を弾く。
「手裏剣? 忍者の追手か?」
宗助と時雨はここまで来る最中に何度か忍と遭遇した。彼らは抜け忍である時雨の命と宗助の持つ刀を狙ってきていた。二人で撃退していたが、またしても現れたらしい。
「最近忍が多いな」
「過去視の術で見た通りだが、幕府が本格的に七刀集めに駆り出したらしいからな。私の首だけでなく、主の持つ妖刀を狙ってきておるのだろう」
四方八方から飛ぶ忍具を時雨もクナイで弾き飛ばした。白い忍び装束に身を包んだ女が立っていた。雪の結晶のような髪飾りを付けた黒髪の女は一見すると雪女のようだった。
「なんだ……? あの色っぽい姉ちゃんは? 時雨、知ってるか?」
宗助が時雨に尋ねる。
「ああ。いよいよ上忍がきおった……!」
時雨が焦っているようだった。今まで旅路で襲ってきた忍は、忍術をほとんど使えない下忍か、忍術は使えるがまだ対処可能な中忍だった。しかし、いよいよ上忍が現れたのだ。確かに醸し出す闘気が今までの忍と違った。
「剣士・今川宗助、抜け忍・無影時雨だな。恨みはないが、死んでもらうぞ」
女性が気を練り始めた。何らかの忍術を発動する魂胆だろう。
「今までの奴とは違うな」
「あやつは雪山淡雪。上忍の中でも特に強い奴だ。宗助、主は左近の戦いの傷が癒えていない。その上、忍との戦いで消耗しているだろう?私がやろう」
時雨がクナイを両手に構える。
「時雨! 無茶すんな!」
「私も里では有名だった。奴の手の内は分かっている。万全ではない主よりは戦えるさ」
時雨が言った後、淡雪が仕掛けてきた。彼女が素早く印を結び術を発動する。
「氷遁・猛吹雪!」
時雨の方に視界が見えなくなるほどの吹雪が襲ってきた。時雨の方も印を結んで彼女の術に対抗する。
「風遁・追い風!」
時雨を襲っていた吹雪は強風によって風向きを変えられ、術を発動した淡雪に襲いかかった。
「っち! 氷遁・鎌倉!」
印を結ぶと、淡雪の周りに雪の壁が現れて吹雪を防いだ。一連の様子を見ていた宗助が感想を述べる。
「凄いな。氷を扱う忍者は初めて見る」
今まで何度か忍びと戦ったが、宗助達を襲ってきた忍が使っていたのは幻覚系の術か、武術補助系の術か、火風土水雷系統の忍術だった。
「氷系の術は、こやつが編み出した術だ。本来属性系の術は火風土水雷しか存在しない。だがやつは新しく氷属性を作った。故にこやつは上忍の中でも恐れられている」
「よく知ってるわね、裏切り者。私もあんたを知っている。隠れ里きっての神童で、〝雨降らしの時雨〟と恐れられたくノ一だと……」
淡雪は印を結ぶと新しい術を発動させる。
「氷遁・結晶手裏剣」
巨大な氷の結晶体が彼女の手に握られていた。そのまま大きな手裏剣を時雨に向かって投げつけてくる。
「この程度、避けられる!」
時雨が手裏剣をかわすが、影から現れたもう一つの手裏剣に左腕の表面を斬られた。
「これは、影手裏剣の術……!?」
淡雪は手裏剣を始めから二枚召喚し、重ねて投げつけていたのだ。飛んでいる最中に二つに分かれ、死角から二枚目の手裏剣が時雨を攻撃したのだった。腕の表面を切り裂かれる時雨。だが痛みに悶えている暇はなかった。
「氷遁・氷柱千本!」
淡雪がまたしても印を結び術を発動する。今度は氷柱の針が無数に出現し、時雨に襲いかかった。時雨も印を結び、術を発動する。
「火遁・焼却業火!」
時雨が吐いた息が炎になり、前方を焼き尽くす。淡雪が作成した氷柱針も炎に焼かれて溶け落ちた。
「危ない、危ない……。肝を冷やしたわ」
術は破ったが、淡雪は無傷だった。
「っく! やはり、呪印の影響か、力が半減している……」
時雨は里を抜ける時、五忍により呪印を掛けられ、力を押さえられていた。硬直した二人だったが、隙を見て斬りこんだ宗助の存在によって戦局は一変した。彼の唐竹割りの攻撃はかわされてしまうが、僅かな隙が生じた。その隙を見逃す時雨ではなかった。
「やむをえまい! 忍法・迷世棄邨の術」
時雨が術を発動すると、黒い円が現れて淡雪を吸いこみ消えていった。その途端に、時雨はその場に倒れてしまう。
「おい、どうした時雨!」
宗助は、急いで彼女の元に駆け寄りその身を抱き寄せる。「はぁはぁ……」と荒い息をして見るからに消耗していた。
「ずいぶんと力を使ってしまった。呪印を受ける前はもう少し戦えたのだが……」
「お前、何したんだ? さっきの姉ちゃんは消えちまったが……?」
「あれは敵を異空間に飛ばす術だ。奴は今頃日本のどこかに飛ばされているはずだ。本来なら格上の敵から逃げる時に使う故、気を大量に消耗する」
「確かに強そうだったが、そんな消耗する術を使う必要があったのか? 俺と二人がかりなら、あの姉ちゃんも倒せただろう」
宗助の言うとおり、時雨と淡雪の実力は伯仲していた。否、火遁を使える時雨が若干有利だった。それに宗助が助太刀すれば、確実に倒せていただろう。宗助の疑問に時雨が答えた。
「奴の実力はこんなものではない。それに恐らく奴の後に追手が何人も来ている。消耗した所を囲まれる可能性があった。長期戦は危険だと判断した。宗助、悪いが私は少し落ちる」
「ああ、ゆっくり休みな。俺が運んでやるよ」
時雨は宗助の返事を確認すると、そのまま気を失ってしまった。宗助は気を失った時雨をおぶって、七刀があるとされる蝦夷地へ向かった。
強烈な寒さが宗助を襲うが、背負った時雨の温もりで何とか寒さをこらえることが出来た。雪の丘を下り、しばらく歩くと、海岸についた。
「ようやく、陸奥の北端についたか。蝦夷地へ行くには船が必要だな」
海を見てみると、既に漁師が船を出していた。船着き場にはちょうど帆船があった。どうやら蝦夷地へ向かうようである。宗助は急いで帆船の元に行き、船長と交渉の末、乗せてもらえることになった。無論、彼の懐が少々軽くなったことは言うまでもない。
「時雨はまだ目覚めないか……」
先の戦いで消耗したらしい時雨の意識は戻らなかった。宗助は時雨の身を案じながら
船が蝦夷地へ着くまで待った。
蝦夷地へ着くと、長く泊まれる場所を探した。しかし、中々泊めてくれる人はいなかった。この時代、蝦夷地はアイヌが住む北側と幕府の影響下にある和人の松前藩とで支配領域が別れていた。宗助は松前藩を訪ねていたが、彼らには中々歓迎されなかったのだ。というのも、松前藩はアイヌと交易している唯一の藩である。獣肉、皮や魚を格安で買い取り莫大な利益を出していた。松前藩が宗助達を冷たくあしらったのは、その独占権を内地からやってきた宗助に奪われるのではないかと危惧したためだった。
「まったく、松前藩はこの蝦夷地よりよっぽど冷たいぜ」
一日程度なら宗助達を泊めてくれる人はいたが、藩の上層部に逆らうのは怖いらしく、長期で泊めてくれる人はいなかった。
「すまん、宗助」
時雨は意識を取り戻したが、今度は風邪をひいてしまったようで、状況は変わらなかった。宗助は時雨を看病しながら天下七刀を探したが、行方はわからないままだった。刀商を訪ねてもみたが、それらしい刀は見つからなかった。
「宗助、天下七刀はアイヌが持っているやもしれん」
いよいよ宗助達を泊めてくれる宿が無くなった時、時雨がつぶやいた。アイヌとは蝦夷地に昔から住む先住民である。
「アイヌが?」
「……ふむ。天下七刀のうちに、〝帰刀・イワエトゥンナイ〟と呼ばれるものがある。どういう刀かは分からぬが、名称からしてアイヌ刀だろう」
熱で苦しそうだった。
「亀頭? 卑猥な刀だな」
「どあほう。……そう言う意味では、ない。帰る刀と書いて、帰刀だ」
(ツッコミに元気がない。相当ヤバいか?)
宗助は時雨の身を案じたが、彼女は刀の情報を語った。
「元々刀の製作者が和人から排斥されたアイヌ人と言う話だ。それなら所有者もアイヌになっていてもおかしくはない……」
「それなら、最初からアイヌの里を目指せば良かったじゃねえか……」
脱力する宗助に時雨は詫びた。
「すまんな。だが、松前藩にある可能性もあった。松前藩の藩士が帰刀を所有していたのが最後に確認されておった。アイヌとの戦闘で奪った戦利品と言う話だったが……」
「……それならば、また戦闘後、再びアイヌの手に渡った可能性もある、か」
時雨が頷く。
元々、アイヌは製鉄技術を持たない民族だった。刀等の刃物は内地から輸入で手に入れていた。それ故アイヌ刀と呼ばれる彼らの刀も刀身は大和製である。しかし、帰刀イワエトゥンナイの作者は、単身で日本内地に旅し、刀鍛冶に師事して自ら刀を作った。それこそが帰刀イワエトゥンナイである。
二人はアイヌの里を目指して雪道を進む。
足場の悪い雪の上を歩くだけで体力が削られる。その上、病人を担ぐ宗助の疲労は尋常ではない。さらに不運なことに、途中で猛吹雪にあってしまった。
「ヒュ~、ゴゴゴォォォ……」と吹雪く音が辺りに響く。
吹きつける吹雪は宗助の視界を遮り、方向感覚を失くしてしまった。
今自分がどこに立っているのかもわからない。
「……おいおい、勘弁してくれ」
宗助はそれでも進み続けたが、いよいよ体力もなくなり、その場に倒れた。
「畜生……まだ俺は死ぬわけには……」
宗助はせめて時雨を極寒の風から守ろうと自分の懐に抱き抱えた。
それっきり、宗助は意識を失ってしまった。
倒れた二人の前に人影が立っていた。
宗助は人の気配と温かさを感じて目を覚ました。
「ここは……?」
耳を澄ませると、聞いたことのない言語を話す声が聞こえる。日本語ではない。身をおこすと、近くにいた人達が一斉にこちらを見た。皆見たことのない独特の着物を着て、その上に毛皮の上着を羽織っていた。
「目を覚ましましたか」
大衆の内一人が話しかけてきた。宗助は聞きなれた日本語を聞き安堵する。言葉が通じなかったらどうしようかと思っていたからだ。話しかけてきたのは十二歳くらいの少女だった。他の大人たちと同じような独特の衣装をしている。足にも毛皮を巻いていた。長い黒髪の先端部分を括っており、とても愛らしい顔立ちをしている。大人の保護欲を刺激する容姿だった。
「ここはどこだい?」
「ここはアイヌの里です。お連れ様も無事ですよ。今、医者が薬草を煎じた粥を飲ませている所です」
少女が宗助に温かい茶を差し出しながら言った。
気を失っている間にアイヌが自分達を運んでくれたらしい。渡りに船だった。彼女に案内されて隣の民家に赴くと、確かに時雨が介抱されているようで、顔に生気が戻ったようだった。
「もう少し休めば、回復されると思いますよ」
「ありがとよ。俺は今川宗助、女の方は時雨ってんだ。世話になるな」
「僕はカンナカムイと言います。よろしくお願いします」
彼女はぺこりと頭を下げた。とても礼儀正しい子のようだ。
自己紹介をし終えると、宗助は腰に違和感を覚えた。腰に刀が無いのだ。寝かせていたから近くに置いたという訳でもなかった。
「カンナちゃん、俺の刀を知らないかい?」
少女は苦い顔をした。
「すみません。貴方の二本の刀は丁重に保管してありますが、まだお渡しできません」
「なぜだい?」
「アイヌの人はシサム(和人)を警戒しています。アイヌとシサムは何度も戦いました。その経験から和人を恐れているのです」
「だが、多少交易があると聞いたが……」
「一言では言い表せない関係なんですよ。アイヌとシサムは……」
それっきり彼女は黙ってしまった。幸い、彼女の好意でアイヌの里にしばらく置いてもらえることになった。その日から魚料理等を振舞ってもらえた。
その夜、アイヌの長と呼ばれる人に呼び出された。三十代後半から四十代前半くらいの貫禄のある男だった。
「……オマエにちょっと話がある」
長は日本語を話した。
「長は内地語話せるんだな」
「ああ。和人とは長く交易しているからな。そんなことより、カンナのことでお前に言っておきたいんだが……」
長は少し俯き、言葉を濁している。そのことから相当言いにくい事を言おうとしているのであろうことは察しがついた。
「何だい?」
「あの子の両親は和人に殺されてるんだ」
「!」
宗助は目を見開いた。自分に親切にしてくれたあの子が親を他民族に殺されている。信じられないことだ。宗助も一族を殺されている。その仇に優しくしろ等と言われても無理だろう。なのに、彼女は自分達を優しくもてなしてくれた。自分が彼女の敵と言う訳ではないが、少なくとも仇と同じ分類にされてもおかしくはないはずなのに。
長は続ける。
「あの子が幼い頃、アイヌと和人は何度も戦争した。お互いを深く憎み合っていたからな。その戦争の最中、アイヌを劣等民族だと決めつけた和人の侍にカンナの両親は殺された。幼かったカンナは攫われて和人に売られた」
「……」
あの可愛らしい容姿のあどけない少女に隠された身の上話に、衝撃する宗助は沈黙してしまった。長はそんな宗助を横目で見ながら話を続ける。
「だが、あの子は運よく逃げ出せた。そしてあの子を守り育ててくれたのが、和人である義父母だった。彼らはカンナがアイヌの者だと知って全てを受け入れた。カンナカムイを神威と呼び、実の息子のように可愛がってくれたそうだ」
「そうだったのか……。ってちょっと待ってくれ! 実の息子のようにって、あの子は男なのか!?」
「そうだ。メノコ(女の子)と勘違いしたか? ハハハ、まぁ、容姿はピリカメノコ(美少女)だからな」
長は勘違いしていた宗助を笑った。よく勘違いされるらしい。最近ではアイヌの別部族の男の子に告白されたらしい。
「それで、その義父母はカンナをアイヌの里まで送ってくれたのかい?」
宗助が尋ねる。当然の推測だった。和人の義父母に育てられた彼女、もとい彼がここにいるという事はそう考えるのが自然だった。ところが、長は顔を曇らせた。
「カンナの義父母は死んだんだ。今度は我らアイヌの手によってな」
「何だって!?」
長は語った。当時アイヌは和人と融和しようとする一派と、シャクシャインのように立ちあがり和人を蝦夷地から追い出そうとする一派に分かれていた。長は穏健派として和人と交易をしていたが、アイヌの品が格安で買い取られていた事、松前藩の人間が影でアイヌを〝物の価値も分からぬ土人〟だと侮蔑していた事を知り、穏健派の者達も怒って、和人との戦争を止める者はいなくなった。
その後、和人とアイヌの些細な喧嘩がどんどん大きくなり、戦争に発展してしまったというのだ。今まで和人とアイヌの戦争はアイヌの里に和人が攻めてくるのが常だったが、怒りを爆発させたアイヌが今度は和人の町を襲った。
「俺も一応幕府に関係のある藩にいたが、そんな戦争聞いてないぞ?」
宗助が日本の内地で暮らしていた時、蝦夷地のアイヌの話は聞いていたが、大規模な戦闘はシャクシャインが起こしたものが最後だと聞いていた。宗助の疑問に長が答えた。
「松前藩は江戸から蝦夷地の管轄を一任されていると聞く。そんな中、シャクシャインに続き、何度も反乱を許したと知れれば、蝦夷の管轄を解任される可能性がある。そうなれば連中が牛耳っている既得権益も奪われると危惧したのだろう」
「隠蔽か。偉い人はこれだから嫌なんだよ……」
松前藩はアイヌの反乱を事細かに隠蔽していた。後の歴史にも残らぬように。思えば、宗助達に彼らが冷たかったのは、情報を知られると危惧したためであろう。町人の態度に納得する宗助。
「その戦争の時、俺は怒りに任せて和人の町を攻撃した。先頭に立って何度も何度も弓矢を引いたんだ」
長はその時の状況を語る。完璧に油断していた和人の兵隊はアイヌの猛襲に倒れていった。兵が倒れても矢を放った結果、逃げ惑う民間人にも攻撃が当たった。その民間人こそがカンナカムイの義父母だった。二人はカンナカムイを守るように矢に撃たれたらしかった。
「俺は、義父母の亡骸を抱きしめて泣きじゃくるカンナカムイを見て、すぐにアイヌの者だと分かった。その愛らしい容姿はアイヌの中でも有名だった。その上、アイヌ語で泣き叫んでいたしな」
カンナが日本語を話せるのは、義父母に教わったかららしい。しかし、義父母が死んだ時、実の両親が殺される光景を思い出し、民族語で泣き叫んでいたようだ。幼きアイヌの涙を見て長は剣を捨て、我を取り戻した。
「俺は当時八つだったカンナに詫び、罪滅ぼしに彼を預かることにした。そして、アイヌの皆を説得しに動いた」
我を取り戻したアイヌたちは、攻撃の手を緩めた。一方の松前藩側もアイヌの攻撃が止んだ事から和平の使者を送った。これにより、松前藩が不法に占拠していたアイヌの土地を返還し、アイヌの品をそれなりの値段で買い取ることが約束された。こうして後の歴史にも残らない戦争は幕を閉じたのだった。
「戦争は片方にだけ原因があることは稀だ。双方に原因があり、憎しみ蓄積され、見解の相違もあり、戦争に発展する。アイヌと和人どちらが悪かったかと言うつもりはないが、その戦争で犠牲になるのは戦争に関係のない人間だ。カンナカムイのようにな」
長の言葉は重かった。長く交易していたが故に和人を憎み切れない部分もあるのだろう。そして長として皆の意思を組まなければならないジレンマもあるのだろう。宗助は彼の内心を察した。
「カンナカムイは六つで実親を和人に殺され、八つで養親をアイヌに殺された。だが、あの子は和人もアイヌも憎まなかった。両民族の愛を受けていたからなのか、あの子は直接養親を殺した私にさえ、憎しみをぶつけたことはない。今は十三だが、あの子はアイヌと和人の問題を全て理解した上で笑っている。聡明な人格者だよ……」
「それぞれの立場を理解し、民族を背負っているアンタも相当人格者だろうさ」
宗助はアイヌ民族に感服した。長は双方の立場をよく理解している。その上、犯した罪から逃げずに向き合っている。そして、幼いアイヌのカンナは、多くの不幸を味わったのに、イタズラに憎しみをぶつけていない。その先の何かを見つめているのだ。日本内地にこのような人間が何人いるだろうか。
その時、入口からカンナが入ってきた。長と宗助が長く話し込んでいたので気になっていたのだろう。長と宗助は目くばせすると、何事もなかったかのように客人とそれをもてなす家主を装った。
「宗助さん、今晩は冷えます。そろそろ僕の家に入ってください」
相変わらず気遣いの出来る優しい子だ。将来は良いお嫁さんに、否、お婿さんになれるだろう。
宗助は長にお辞儀をすると、カンナカムイに連れられて彼の家に入っていった。
ある日、宗助はアイヌの狩りに同行した。祖kる席の弓矢を渡されたが、宗助は弓矢には自身が無かった。
「カンナちゃん、何を狩るんだい?」
「食べ物になるのなら、何でもです。鹿であったり、熊であったり、鳥であったり、山の動物です」
「ユク! ユク!」
前を歩いていた男が前方を指差した。そこには雌鹿がいた。すると、一緒にいた男たちが弓矢を引く。何本かに射られた鹿はその場に倒れた。
「うぉぉぉぉ!」
喜ぶ男達。簡単に狩りが終わり、カンナカムイも嬉しそうだった。しかし、男の一人がいきなり横に弾き飛ばされた。
「フゴ!」
大きな猪が宗助達を威嚇していた。
「しまった! ここは猪の縄張りだ!」
長はアイヌ刀を抜いて突進してくる猪を切りつける。しかし、表皮が気づ付いただけで、猪は再びアイヌ達を襲う。
「やべぇんじゃねえか!? ってか、北海道にも獅子っているのかよ」
宗助も弓矢を撃つが、あらぬ方向へ飛んでいき、猪には全く当らなかった。
「獅子っていうのは、速いもんだな。畜生、刀さえあれば……」
猪の攻撃をかわすことしかできない宗助。猪は真直ぐカンナカムイの元へ突進してくる。
「危ないぞ!」
助けに入ろうとする宗助を長が手で制した。
「黙って見ていろ」
有無を言わせない迫力宗助はその場にとどまった。
「フゴ、フゴォ!」
突進してくる猪にカンナカムイは構える。
「ユクの構え」
カンナカムイは手を鹿の角の様にして構えた。その構えは牡鹿が角を向けて威嚇しているように見えた。突進してくる猪の攻撃を正確に見切り、その下顎を掌低した。
「鹿角・双撃!」
上空に吹き飛ぶ猪。その瞬間、カンナカムイが走り出す。猪が地面に墜落するよりも早くカンナが地面を蹴って飛びあがる。
「カパッチリの構え」
両手を猛禽類のように膝を曲げて手を広げる。それはタカが上空から獲物を狙っているように見えた。
「猛禽・落下爪!」
地面に叩きつけられた猪の腹部めがけてカンナカムイが落下した。凄まじい衝撃と猪の「ヴエッ!」と言う断末魔が辺りに響いた。
「ウォォォ―!」
再び喝采を叫ぶアイヌ達。宗助だけが口をポカンと開けた阿呆面をしていた。そんな彼の様子を見た長が話した。
「驚いたか? カンナカムイは独自であの体術を編み出した。二度と親しい誰かを失わないためにな。六つの頃から技の原型を開発し始め、十二才で完成させた。アイヌは自然や動物をカムイ(神)として捉える文化だ。あの子はそのカムイから強さを学べないかと体術の手本にした。そして完成したのが、あの〝憑気聖獣拳〟だ」
「成程なぁ。だから動物に似た構えを取るのか……」
宗助は感心した。彼も彼なりに必死に努力したのだろう。強さには基本となる〝形〟がある。それは本来師から得るものだが、彼は野生の動物からその強さを得たのだ。
「宗助さん、帰りましょうか」
カンナカムイがにっこりとほほ笑んだ。アイヌ達も何らかの対話を行ったかと思うと、それぞれ、雌鹿と猪を担いで帰路についた。言葉は分からなかったが、皆カンナカムイの手際を讃えているようだった。
里へ帰ると、アイヌ達は肉を切り分け、保存したり、その場で料理したりした。アイヌ達はまたもや料理を振舞ってくれた。
時雨も美味しいにおいに誘われたのか起きてきた。時雨は数日寝ただけでほぼ回復したようだ。彼女の体力が凄かったのか、アイヌの薬草が凄かったのか、はたまたその両方か。普通に出歩けるくらいになっていた。
「治ったか、時雨」
「ああ。戦闘はもう少し控えた方がよさそうだが」
「そいつは良かった。それにしても、アイヌの狩りは凄かったぜ」
二人もアイヌの振舞う温かい料理を食べながらアイヌの狩りについて話し合った。宗助が言うカンナカムイの武術にも驚いていたが、それ以上にカンナカムイが男であることに驚いていた。
その夜、宗助は時雨に長から聞いたアイヌと和人の戦争のことを話した。聡明な時雨はすぐに納得したようだ。
「俺達はあまり長居しない方が良いかもしれん」
「そうだな。七刀の事を聞いたら、早いところ内地へ帰ろう」
翌朝、宗助達は早速、皆に帰刀の事を聞いた。言葉の分からないアイヌたちも長やカンナが訪ねて回ってくれたが、それらしい情報は得られなかった。
「すまないな。皆、七刀とやらのことは分からんそうだ」
「そうですか……」
時雨は残念そうに呟いた。
「すみません。僕らアイヌはエムシ(刀)を使う事は稀なのです。儀式用に使う時はありますが、戦闘や狩りで使う人は数えるくらいしかいません」
宗助はがっくりと肩を落とす。カンナカムイは宗助と目を合わせずに「力になれず、すみません」と詫びた。
「私が蝦夷地に七刀があるという情報を得たのは一年くらい前の話だ。ここまで来る間にその所在が変わっていてもおかしくはない」
「そもそも帰刀の情報があんまりないんじゃ、アイヌの人も探しようがないんじゃないか?」
「確かにな。帰刀というからには、失くしても帰ってくる刀なのかも……」
「その程度の刀が天下七刀に数えられるかねぇ……」
議論しても答えは出なかった。七刀がない以上アイヌの里に留まる理由もない。宗助達は世話になったお礼を言う。ここに帰刀がない以上、長居しても仕方がない。宗助が立ちあがった。その時、外からアイヌ人と思われる叫び声が聞こえた。
「ヱィユク!!」
その叫び声を聞いたアイヌたちは騒ぎ出した。中には怯えているものもいる。長とカンナはすぐに外に飛び出していった。宗助と時雨も彼らの後を追う。
そこには大きな、とても大きな熊がいた。その大きさは三,五メートル程もあった。駆け付けたアイヌの中には腰を抜かしていた者もいた。
「蝦夷の熊は、こんなにデケエのか!?」
「いいえ。こいつは特別です。アイヌを何度も襲った人喰い熊。何人も喰われました」
カンナカムイの話によると、この熊はアイヌの里や松前藩にも現れ、人を襲っていたらしい。銃も中々効かず、武芸者は熊に切り裂かれて殺されたという。
「蝦夷地の特殊な気を浴びた熊は巨大化すると耳にした事があるが、誠であったか!」
時雨もこんな巨大な熊を見たことが無いらしく、驚きを隠せなかった。宗助は腰に手をかけるが、そこには本来あるべき刀が無かった。
「やっべ! 刀没収されてたの、忘れてた!」
重要な事に今更気付く宗助。既にアイヌ達の猛攻が始まっていた。
「ガァ!」
放たれる弓矢を受けても、ビクともしない巨熊に動揺するアイヌ達。アイヌ刀で斬りこむ戦士もいたが、彼らの行動は愚かだった。熊が少し腕をふるっただけで、腸を抉られ絶命した。
「まずいぞ! このままでは里に入られる。里には女子供もいる!」
宗助は焦った。背後の里にはアイヌの非戦闘員が沢山いる。今から逃げても無駄だろう。それどころかこの寒い蝦夷地で長期にわたり外にいるのは危険だ。彼らの敵は目の前の熊だけではない。極寒の大気も彼らに牙向く敵だった。故に安易に里を離れることはできない。
「全員でヱィユクの注意をひきつけろ! 絶対に里に入れるな!」
長がアイヌ語で叫ぶ。彼の合図でアイヌ達は再び弓矢を放つ。大熊が自分を攻撃する者達を睨んだ。確かに大熊の注意は退けたが、あの剛腕に掛かれば、致命傷になる。絶望的な状況は変わっていなかった。鎖鎌を大熊に巻きつける者もいたが、いかんせん体格に差があり過ぎて、逆に熊に鎖ごと投げ飛ばされてしまった。
「ブォォオオオ!!」
咆哮を上げる大熊。このままではジリ貧である。その時、時雨が熊の前に出た。
「何してるんですか! 貴女の武器も今はお預かりしています。丸腰の女性が相手をするにはあまりに危険です!」
カンナカムイが時雨を止めようとするが、宗助が彼絵を制止した。
「大丈夫だ。アイツは忍者だ」
「忍者?」
「ああ。和人の特殊戦闘員とでも言おうか。アイツは忍術を使えるのさ」
「ニンジュツ?」
可愛らしく首を傾げているカンナカムイに「見ていれば分かる」と数助がいった。二人が話し合っている間に時雨は印を結んでいた。
「火遁・焼却業火!」
それは淡雪の氷柱千本を溶かした術だ。大熊は火だるまになったかに見えた。アイヌは驚きながらも、勝利に喜ぶ。しかし、祝杯を上げるには早かった。大熊が体を震わし、己の体を焼いていた炎をかき消したのだ。
「なんだぁ? あいつ全然火に動じないどころか、炎をかき消しやがった!」
この時代の人にとって獣は火を恐れるものだった。(実際には熊は火に驚かない。)しかし、この熊は全く臆さないばかりか余計に興奮しているようだった。時雨はクルクルとバク転宙返りで後ろに下がった。
「こやつ、ただの獣ではない。蝦夷の気を纏い、忍術を弾きおる。少し火傷している所を見ると全く通用しない訳ではないが、病み上がりの私にこれ以上は無理だな」
時雨の分析を聞き、焦りだした。
「おいおい、やばいんじゃないか?」
「安心しろ。骨は拾ってやる」
「全然安心できねぇよ!」
二人の阿呆なやり取りに辟易したのか、大熊が二人のいる方に向かって両腕を振り下ろす。間一髪で二人は横に飛び、攻撃をかわした。
「で、どうするよ、時雨?」
「……詰みだな」
「冷静に言ってんじゃねえよ!」
再び怒鳴る宗助。とそこに、カンナカムイが二人の前に出てきた。
「待ってください! 今度は僕がやります!」
「待て! 主のような童では危険だ!」
先程とは逆にカンナカムイに忠告する時雨。狩りの時の事を思い出した宗助は、何か納得したようだった。
「いや、カンナちゃんならやれるかもしれん」
「宗助……」
「前に話したろ? この子の体術は折り紙つきだぜ」
宗助は時雨と共に後ろに下がった。
一人の少年と大熊の一騎打ちが始まった。
「グォォオオ!!」
雄叫びをあげる大熊。腕を横に薙いだ。地響きと共に雪が大きく抉れる。カンナカムイは飛んでかわし、宙返りで着地した。
「これ以上、里の皆を傷つけさせない!」
カンナカムイの瞳に闘志が宿る。それはただの少年の目ではなく。戦う男の目だった。彼はまた独特の構えをする。
「シシの構え」
掌を開いた右腕を前に出し、拳を握った左腕を引いて構えを取った。それは大きな猪が突進しそうな様だった。彼は一気に大熊まで接近すると、拳を大熊の腹に当てた。
「獅子・威し!」
「グェ!」
鈍い声と共に二歩下がる大熊だったが、攻撃された腹を掻いてカンナカムイを睨んだ。そして両手を合わせて己のように振り下ろした。とてつもない地響きが起こる。熊が手を振り下ろした地面にはひびが入っていた。
「おいおい、あの熊さん中に人がいるんじゃねぇの!?」
「確かに普通の熊の動きではないな。それよりカンナカムイは無事か!?」
当りを見渡すと、雪の地面からカンナカムイが顔を出した。熊の攻撃から逃げる時に近くの雪に飛んだのだろう。それが緩衝材になり、彼は無傷だった。ところが、激昂した大熊が助走を付けて突進してきたのだ。
「エツンキの構え」
カンナカムイは咄嗟に腕を交差させて咄嗟に体を丸める。その体勢はちょうど亀が甲羅に丸まっているように見える。防御の構えのようだ。
大熊の頭突きが彼の交差していた腕にあたり、後ろに弾き飛ばされる。彼の左腕から「ミシッ」と音が聞こえ、また彼は顔を歪めた。そのまま「ボン!」と雪の積もった地面に叩きつけられてしまう。
「カンナちゃん!」
「カンナカムイ!」
宗助と時雨が心配したが、それは杞憂だったようだ。雪から勢いよく飛び出したカンナカムイが大熊に向かって走り抜ける。大熊はそんな彼に向かって地面の雪を抉ってぶつけてくる。
「レプンカムイの構え!」
カンナカムイは流水のような動きで熊の放つ雪の塊を避けていく。それは海水を自在に泳ぎ回る鯱の様な姿だった。彼は大隈の間近に行くと、右足を軸にして回し蹴りをした。
「鯱行・横領狩り!」
鯱が的の横腹に噛みつくような強烈な一撃だった。大熊の横腹に当り熊の肉がへこむ。同時に蹴りつけた彼の左足から「ミシッ」と言う音が聞こえてカンナカムイが険しい表情をしたが、彼は蹴りを振り切った。大熊は木々を倒して吹き飛ばされる。
「「あのお熊を蹴り飛ばした!?」」
同時に驚く宗助と時雨。この一撃で仕留められたかに見えた。
「お二人とも逃げてください! 長くは持ちません!」
カンナカムイが叫んだ。それと同時に煙の中から不動明王の如く大熊が立っているのが見えた。
「あぁ……」
周りのアイヌ達も悲壮感漂う表情をしている。
カンナカムイはここにきて初めてアイヌ刀を抜いた。
「「刀を抜いた!?」」
宗助と時雨は彼の行動に驚く。なにせ今まで体術で戦っていた者が急に刀を抜いたのだから、どんな戦いをするのか興味を惹かれたのだ。しかし、カンナカムイは二人が予想だにしていなかった戦法を取った。
「それ!」
何と刀をブーメランのように投げ飛ばしたのだ。クルクルと回るアイヌ刀は大熊の表皮を裂いて戻ってくる。カンナカムイは帰ってきた刀を受け止めた。
「刀が返ってきた!? 偶然か?」
「いや、まさか!?」
宗助達が驚いている間に再びカンナがアイヌ刀を投擲した。回る刃は大熊の片目を抉ってカンナの元へ戻ってくる。やはり偶然ではなく刀が所有者の元へ帰ってくるようだ。
その時、背後からアイヌ人の女性が走ってきた。風呂敷を抱えた女性は息を整えながら、宗助達に話しかけてきた。
「シサムのお二人、スミマセン。貴方達を警戒してダイジな武器を取り上げていましタ。イマお返しします。ソれで虫の良い話ですガ、アイヌの里を守ってくださいマせんカ?」
片言の内地語で話す彼女の風呂敷の中には四本の刀と小さな忍具があった。時雨の武器と宗助の刀だった。彼女は大熊に劣勢の戦士達を見て、宗助達の武器を持ってきてくれたらしい。本来なら民族の命令に背く行為だが、状況が状況なだけに文句を言うアイヌはいなかった。
宗助と時雨は頷くと、武器を携えて戦っているカンナの元へ駆けつけた。
「宗助さん、時雨さん」
「カンナちゃんには聞きたい事があるが、こいつを倒してからだな」
宗助が隻眼の大熊を睨みつける。
「宗助、何か策があるのか?」
「ああ。一撃で倒せないなら弱らせればいいのさ。二人とも耳を貸してくれ」
何事か密談した後、大熊の攻撃を避けて三人はそれぞれ別方向に散る。先に仕掛けたのは時雨だった。忍具を何個か投げて印を結ぶ。
「忍法・忍具影分身の術」
彼女が投げた忍具がいくつかに分身した。佐助が使っていたのと同じ忍術だ。大熊は咄嗟に両腕でガードした。固い外皮にはじかれて手裏剣やクナイが地面に落ちる。しかし、時雨の攻撃を陽動にカンナが大熊に接近していた。
「レプンカムイの構え……」
この鯱を想わせる構えは敵の攻撃を軽やかに避けて懐に入り込むもののようだった。そのまま大熊の懐に飛び込み両足で攻撃する。現代で言うドロップキックだった。
「鯱行・突入葬叉!」
それは海中で鯱が獲物に突進するような攻撃だった。技の衝撃で後退する大熊。カンナは後ろに宙返りをして手で着地する。そのまま腕を軸にして両足を開脚した。
「鯱行・大取者!」
カンナは、その体勢から体全身を使った回転蹴りを大熊にくらわせた。鯱が群れで囲んで大きな獲物を狩っているような攻撃だった。連続技を腹部にくらい、流石に痛そうな大熊。だが痛みよりも憎しみが勝ったらしく、カンナカムイに牙を向く。
その時、後ろからアイヌ刀が大熊の耳を引き裂いた。カンナがあらかじめ投げていたのだ。大熊は一瞬たじろいだものの、直ぐに体勢を立て直してきた。
大熊がカンナに狙いを定めた時、宗助は刀に手をかけたまま走り出した。熊は宗助の存在に気付き攻撃するが、宗助はその攻撃を飛んでかわし、空中で前転する形で刀を抜き、大熊の脇下から刃を入れて両断した。
「ボトリ」と嫌な音で大熊の右手は地面に落ちた。
「我流・転回抜刀!」
宗助の着地に少し遅れて大熊が悲痛に喘いだ。
「(っち! なんて固い皮膚だ! 普通の剣士なら剣どころか腕まで折れるぞ)」
宗助が僅かに刃毀れした愛刀を見つめた。
「ガァァ! グォォオオオ!」
叫ぶ大熊に向かってカンナカムイが飛び上がった。
「鯱行・頭目潰し!」
それは海から飛び上がって獲物を襲う鯱のような動きだった。強烈な踵落としが大熊の頭上に決まったのだった。
しかし、大熊はヨロヨロトまだ立ち上がる。
「これだけやって、まだ倒れないなんて。普通の熊は即死する技なのに……!」
ノシノシと歩いてくる大熊に戦意を失いかけるカンナカムイ。だが大熊の首がポロリと地面に落ちた。
「我流・首狩り一刀ってな! ……悪いな美味しいところいただいちゃって」
宗助が大熊の首を落とした様だ。ヘラヘラと笑う宗助の顔を見て、カンナカムイは安堵した。時雨はジト目で宗助を嗜める。
「主が大熊の首を落とせたのは、カンナカムイとの戦いで消耗していたからだぞ。あまり天狗になるなよ」
「わーってるって!」
「……それにしてもあそこまで強い童を見たのは〝奴〟以来か」
時雨は、アイヌと何事か話しているカンナカムイを見ながら呟いた。
首を落とされ、動かなくなった大熊を見てアイヌの人たちが勝利に喜んだ。アイヌ達は大層宗助達に感謝した。言葉は通じない者も、手を握って何か労いと感謝の言葉を述べているらしいことは分かった。一部のアイヌに熊の処理を任せて宗助達は里に戻った。戦闘で消耗したのもそうだが、カンナカムイに聞くべきことがあったからだ。
「なぜ、主の持つアイヌ刀のことを黙っていたのだ?」
時雨が単刀直入に切り出した。カンナカムイは先程〝帰刀〟ついて尋ねた時、知らないと言ったのだ。自分の持つ刀に不思議な力が宿っているなら言っても良いのに彼はとぼけた。その真意を尋ねたのだ。
「すみません。僕は嘘をつきました」
彼は素直に認めた。
「それは分かってるが、俺達は何故嘘をついたのか聞きたいのだが……」
宗助が尋ねると、カンナはしばらく沈黙した後、アイヌ刀を握り締めて口を開いた。
「……これは僕の、二人の父、二人の母の形見なのです」
「!」
「僕の父はアイヌでも名のある剣士でした。父は僕が生まれる前に、この帰刀を母から贈られたらしいです。いつも僕に自慢していましたから。父はこの帰刀を使って狩りをしていました」
「そんな名のある剣士の父君がなぜ殺されちまったんだ?」
宗助が尋ねると、カンナは「長から話しを聞いたんですね」と言って質問に答えるように続きを話し始めた。
「父はトノト(酒)に弱い上に無類のトノト好きだったので……。あの夜も母と一緒に酒を飲んで酔っ払っていました。そこに、男がいきなり現れて……」
カンナは話し辛そうに口を噤んだ。瞳から涙があふれていた。両親を殺された晩の事を鮮明に思い出したのだろう。
少し落ち着くと、彼はまた話し出した。
「僕はその後、人買いに売られ、父の形見も仇の男に奪われました。僕は何とか逃げ出せましたが、言葉も通じず、頼れる伝手もなく途方に暮れていました。そこに現れたのがシサムの義両親となる二人の夫婦でした」
カンナの話によると、その夫婦は仲が良かったが、子宝に恵まれなかったらしく、身寄りのなくなったカンナカムイを家に連れて帰ったそうだ。
「日本語もその時に教わりました。しかし、僕はシサムを警戒していました。何せ両親を殺した民族ですから」
義両親は心を閉ざすカンナカムイに対し、献身的に尽くしてくれたという。そして、彼らは何とかカンナカムイの心を開こうとした。
「あの方たちは、僕の事を積極的に調べたみたいです。それで親をシサムに殺されていた事、親の形見のアイヌ刀を奪われたこともつきとめました。義父さんと義母さんは、自分が手にかけた訳ではないのに僕に詫びてきました」
当時を懐かしむように話すカンナカムイ。長は胸を押さえているようだった。
「ある日、義両親は僕に贈り物をくれました。布にくるまれていたそれは、実親の形見のアイヌ刀でした。すぐにわかりましたよ。特徴的な模様がありましたから」
義両親は血眼になってカンナの形見を探したそうだ。そして、二束三文で売られていたそれを見つけたそうだ。なんでも、カンナの仇の藩士が借金の形に手放したそうだ。彼は金銭トラブルで友人に殺されていたらしい。
「僕は義両親に感謝しました。その日から彼らを父と母と呼ぶようになりました。彼らも僕を神威と呼び可愛がってくれました……」
長が再び胸を押さえる。カンナカムイの義両親を手にかけた事を思い出し、罪悪感に苦しんでいるようだった。そんな長の様子を見たからなのか、カンナは話を雑に締めくくった。
「義両親も訳あって死んでしまいました。今となってはこの帰刀イワエトゥンナイだけが双方の両親の形見として残っています」
「そうだったのか」
宗助は七刀を集めて藩士の座に返り咲こうとしている。しかし、幼い子供から親の形見を取り上げてまでそれをしたいとは思わなかった。
「エムシ(刀)は本来モノを斬る為のものです。でもこの帰刀は、僕と二つの家族を繋いでくれた大事な刀なんです!」
カンナカムイが叫んだ。
その瞳を見て宗助は立ちあがった。彼から刀を取ろうという気持ちには全くなれなかったのだ。
「そいつは大事な刀なんだろう? 大切にしな」
「よいのか? 千載一遇の機会だぞ?」
「泣いてる子供から大事な宝物奪おうとは思わんさ。世話になったな」
礼を言って簾を潜って外に出て行こうとする。
「待ってください!」
後ろから聞こえた声に振り替える宗助達。出て行こうとした二人を止めたのはカンナカムイだった。
「確かにこれは大事な形見、簡単にはお譲りできません。しかし、貴方達は今日ヱィユクと戦ってくれました。貴方達がいなければ、アイヌの里は壊滅していたでしょう」
今日大熊と共闘したアイヌと宗助達は確かな友情が生まれた。そして彼は恩義を感じているらしかった。一拍置いてカンナカムイが息を吸って何かを覚悟したように言った。
「宗助さん! 僕と決闘して下さい! 貴方が勝てば帰刀をお譲りします」
「!」
宗助と時雨、そして日本語を分かるらしいアイヌの数人が驚いた。彼が戦いを挑むことも、戦いに勝てば形見を譲るというのも理解できなかったからだ。
「いくらなんでも、それは……」
宗助は決闘には消極的だった。しかし、その場を仕切ったのはアイヌの長だった。
「カンナがここまでいうのは珍しい。宗助、カンナがここまで言うのだ。戦ってみろ」
「だが、俺が勝ったら形見を貰っちまうんだろ? それはあまりにも……」
躊躇している宗助にカンナが言った。
「宗助さん、もう勝った気でいるんですか? 気が早いですね。言っておきますが、僕は強いですよ」
丁寧な物腰の割には自信のある物言いだった。その目力に気負わされて決闘を承諾する宗助。二人は長に促されて外に出る。真っ白な雪の上を決闘場に宗助とカンナカムイが相対した。
アイヌ達は決闘の観戦をしようと横に並んだ。そこに、先程のアイヌの女性がモノ申しに来た。
「ちょっと待っテクダサイ。カンナカムイはまだ子供でス。それなのに決闘ナンテ……」
彼女はカンナカムイと宗助が戦う事に反対だった。確かにカンナカムイは十三歳で、戦うには幼かったかもしれない。しかし宗助が彼女に言った。
「確かに、十三歳っていうのは他じゃただのガキだが、この子は違う。狩りで野生動物と戦い、あの大熊とすら正面から闘った。見てみなよ。その子の顔を、眼を。あれは一流の戦士の面だぜ」
宗助の言葉にまだ何事か言おうとした女性だったが、長に止められて沈黙した。宗助も彼の顔を見て戦う気になったらしい。宗助とカンナは、お互いにじっと相手を見つめる。長の合図を待った。
「はじめ!」
長が決闘の開始の言葉を述べた瞬間、二人は後ろに飛びのいた。それはお互いに先手を掴めなかったからだ。二人はお互いの技を見ている。宗助はカンナの体術を恐れ、カンナは宗助の剣術を恐れたためであった。
(あの熊の腕と首を切断した剣術は凄かったです。アレにどうやって対抗しましょうか……?)
カンナは宗助の腰の刀を睨みながら円を描くように横に歩く。
(カンナちゃんの体術、内地であんな技見たことねぇ。接近戦はやばいか? だが近づかなきゃこっちの剣も当てられねぇ。どうする……?)
宗助もまた、円を描くように横に歩いた。アイヌ達と時雨が息をのんで見守る。直接的な戦闘が無いまま数分が過ぎた。
(臆していても仕方ありませんね。こちらから仕掛けますか……)
カンナカムイが構えを取った。掌を開いた右腕を前に出し、拳を握った左腕を引いて構え。
「アレは確か獅子の構えだったか……」
大熊の時に見せた攻撃的な構えだった。攻撃に備える宗助にカンナが突っ込んできた。近づいている内に左腕を曲げて肘打ちの体制を取るのが見えた。それは突進する猛烈な肘打ちだった。
「獅子・粉塵!」
その攻撃をかわす宗助が刀の柄を握り、抜刀術を繰り出そうとする。
「我流・居合返刀!」
相手の攻撃を体を回転させて避け、その勢いをのせて繰り出される抜刀術だった。だが宗助は刀を持つ右手に痛みを感じ、攻撃の速度が遅れてしまった。宗助の抜刀術はカンナに飛んで交わされてしまった。
宗助が痛みを感じた所を見ると、右腕に切傷ができていた。そして、カンナの左手には逆手に握られた帰刀があった。
「なるほど、先程の肘打ちに入る前に刀を抜き、肘打ちのすぐ後に俺を攻撃していたか」
カンナは肘打ちに入る瞬間、アイヌ刀を抜き、刀を肘打ち体勢でかくして接近したようだった。アイヌ刀は柄が曲がっているので、肘打ちを間一髪で避けてもアイヌ刀による斬撃が待っている
「宗助さん、僕の肘打ちは最初から見切っていたみたいですけど、アイヌ刀までは見切れなかったみたいですね。獅子の突進を避けてもその牙に切り裂かれている事もあるってことです」
「ほう……可愛い顔してエグイ技使うね……」
カンナカムイが宗助に仕掛けていく。彼は体術だけではなかった。片手で持った帰刀で宗助の剣を捌く。
(体術だけじゃねぇな。剣術も強い。アイヌは基本的に剣士はいないという話だったが、アイヌ一の剣士だった親父さんの剣才を継いでる。帰刀で俺の剣を捌いて確実に聖獣拳で攻撃してきやがる)
体術と剣術での連撃を宗助は持ち前の忍耐力と〝眼〟で正確にカンナカムイの攻撃を受け流していく。
「まだまだ!」
カンナカムイが地面を蹴って飛び上がった。腰を曲げて両腕を広げる。
「カパッチリの構え! 猛禽・落下爪!」
それは狩りで猪を仕留めた技だった動物にとっては頭上からの攻撃はひとたまりもないが。一対一の決闘では隙のある技だった。
「それは人間相手なら反撃して下さいって言ってるようなものだぞ! カンナちゃん!」
宗助が迎撃のために刀を構える。そこにカンナが帰刀を投げつけてきた。
「危ねぇ!」
回転しながら切り裂いてくる帰刀をかわす宗助だったが、交わした先には鷹の爪が待ち構えていた。
ボンッと言う音とともに雪煙が立つ。アイヌ達が身を乗り出して二人の姿を見つけようとしている。煙が晴れて二人の戦士が立っているのが見えた。
「すごいですね、宗助さん。今の攻撃をかわすなんて」
「そりゃ、こっちの科白だぜ。見え見えの攻撃法で相手の反撃を誘い、帰刀を投げてその体勢を崩させてから攻撃する。能ある鷹は爪を隠すってか?」
「隠しきれてないから避けられたんですがね!」
カンナが話している間に宗助が距離を取る。
「僕の体技相手では距離を取りますか、しかし無駄なことです! ぺクセの構え!」
両腕を極端に引き、首を垂れた構えを取る。その様は突進しようと角を構える牛に似ていた。
「なんだ? 何が来る?」
動揺する宗助に対し、カンナが高速で腕を突き出した。攻撃の瞬間カンナが顔を歪めた。
「一牛・攻血!」
その瞬間、離れた所にいた宗助の体が吹っ飛んだ。
「あれは! 遠当て!?」
時雨がカンナカムイの技を看破した。それは凄まじい闘気を纏った拳による攻撃だった。遠くの敵にも当る技だ。油断していた宗助は咄嗟に防御態勢を取ったが、衝撃が内臓に伝わり、吐血していた。
「油断も隙もねぇ……。もう少し強く攻撃されてたら胃が口から出てたな」
宗助が雪の中から身をおこして再び剣を構える。
「まだ仕留め切れませんか。では、ケモンカムイの構え!」
虎爪の手を構える。それは熊が獲物を取ろうとしている様に似ていた。凄まじい気が彼の体に漲っていた。
「大した気迫だ。あの大熊を見てなかったらチビッてたかもな」
宗助が土の構えを取る。
刹那―
宗助の体が跳ね飛ばされ、胸から腹にかけて獣に引き裂かれたような深い傷跡が出来ていた。ドサッと地面に倒れ落ちる宗助。受け身も取れない攻撃だった。
だがダメージを受けたのは宗助だけではなかった。カンナカムイも片膝をついたのだ。その胸元ははだけて一閃の切傷が出来ていた。
「ハァハァハァ……痛み分けってところか?」
立ち上がりながら宗助が言うと、カンナカムイが首を横に振った。
「いいえ。すみませんが、もう一撃いただきます」
首を傾げる宗助の左二の腕に痛みが走った。それは刀傷だった。見ると、ちょうどカンナカムイの元に帰刀が返ってきていた。
「そんな! いつ投げたのだ!?」
時雨が叫ぶ。カンナは素直にその質問に回答した。
「宗助さんを攻撃した直後ですよ」
カンナは帰刀を鞘に納めた。彼は体術の前後にうまく帰刀を使いこなしてくる。本当に気を抜く暇はなかった。
「やっぱりすげえな。帰刀っていうのは。投げても必ず持ち主のもとに返って来るんだな」
「ええ。アイヌの巫力が備わっているらしく、対象物を引き裂き、帰ってくるのですよ。イワエトゥンナイとは、アイヌに伝わる妖怪です。どんなものでも突きぬけて飛ぶ妖怪なのでこの刀の名に相応しいと製作者が思ったのでしょう」
「成程。確かに刀の名に相応しいな」
宗助は傷口を押さえて立ち上がった。多くの傷を負っているが、彼はまだ勝利を諦めてはいなかった。
(これだけ傷を負っているのに、闘気は全く衰えていない。やはり油断できないですね、宗助さんは……。早いところ決めないと……)
カンナがまた先程とは異なる構えを取った。大熊との戦いで見たことのある構えだ。敵の攻撃を流水の様に避けて懐に入り込む構えだ。
「レプンカムイの構え」
宗助は無駄な攻撃はせず、刀を構えた。またしても防御を重視した土の構えだった。カンナはそのまま加速し、宗助の間近に接近した。
「鯱行・横領狩り!」
右脚を軸に左足を廻す。大熊の時に使った、凄まじい回し蹴りだった。宗助はここに来て反撃した。カンナの蹴りが入るか否かの刹那、愛刀の柄頭を思いっきりカンナの脛に当てる。「ピキキ」と変な音がした。そしてその衝撃を利用して遠心力を高めてカンナに斬り込んだ。カンナはクルクル体を回させてと後ろに下がっていった。宗助は背後から襲ってきた帰刀を愛刀で弾いた。
「何度も同じ手をくらう俺じゃねぇぜ」
カンナは攻撃の前に帰刀を投げていたが、宗助は今度は見切ったようだ。刀で弾かれた帰刀はそのままカンナの元に帰っていく。
「見事です。一度見ただけの僕の横領狩りを見切って返すとは驚きました」
感服するカンナカムイだったが、宗助は解せないという表情をしていた。
「……妙だな。初めて見た時はもっと速さと切れがあったが……」
「気のせいですよ。一度僕の技を見たから見切れたのでしょう」
両者が闘っている間に吹雪いてきた。双方負傷し、互いにもうあまり長く戦えないだろう。どちらかが次に一撃を入れるかで勝負が決まる。
その時、カンナカムイが笑った。
「宗助さん、本当にありがとうございます。貴方と出会えてよかった。次が最後の攻撃となるでしょう」
「そうか、では俺も全力で答えるしかないな!」
宗助が刀を構える。カンナの気配が変わった。彼は帰刀を逆手に持ち、見たことのない構えを取った。
「オヤウカムイの構え」
それは今までの既存動物を模した構えとは明らかに違う構えだった。その全身に漲る気の流れが全てを畏怖させる。得体のしれないバケモノに威嚇されているように思える構えだった。直接相対する宗助も数々の強敵と渡り合っていなければ、その構えを見ただけで戦意が削がれてしまっていただろう。
「憑気聖獣拳・奥義! 竜蛇・刀夜鼓災砕!」
それはとても速い連撃だった。どこかアイヌの剣舞を思い起こさせる。体術と剣術を同時に行う技だ。いつの間にかアイヌ刀を右に左に持ち替えて斬術と徒手空拳で交互に攻撃してくる。蛇や竜のように繋がった攻撃だった。周りの雪が彼の攻撃で抉れていく。
「こ、これは! 避け切れない!」
防御の型を取っていた宗助は何とか攻撃をかわそうとするが、完全にかわしきることはできず、全身を斬撃と徒手空拳が襲う。
攻撃に隙が無く、技を出す暇が無かった。そこで彼が取った行動は苦肉の策だった。
観戦者達は息を飲んだ。カンナカムイの攻撃が宗助に決まったのだ。腹の当りに膝蹴りが当り、左肩に帰刀が刺さっていた。
「グフッ!」
吐血する宗助にカンナが告げる。
「終わりです!」
「まだだ……。我流……肉薄骨断剣……」
宗助が刀を薙ぐ。カンナカムイは至近距離から斜めに切られて倒れた。よく見ると、宗助はカンナの膝蹴りを刀の鞘で防いでいた。鞘はひび割れてその場に砕けたが、その鞘でカンナの膝蹴りを防ぎ、その身で帰刀をあえて受けてカンナの懐に入り斬り伏せたのだ。
「キミの奥義は避けられない。ならば待ち構えてあえて攻撃を受ければいい。それで相手の動きを止めて、俺の剣を当てる。俺も相当辛いが、この勝負を取るにはこれしかなかった」
宗助は簡単に言ってのけたが、敵の奥義を受けるのは並大抵の者には出来ない。まず奥義を見切れるだけの眼がいるし、敵の攻撃を受ける覚悟と受けてなお反撃する体力もいる。故にそれをやってのけた宗助にカンナカムイは感服した。
「成程……。まさに肉を切らせて骨を断つ技ですね。本当に見事です。参りました」
カンナカムイは素直に負けを認めたのだった。こうして二人の決闘は幕を閉じた。アイヌの皆と時雨がすぐに介抱に向かった。
「獣との戦いで先に見せてもらっていたが、やっぱり凄いな、カンナちゃんの武術は」
「貴方の剣術も見事でしたよ。特に最後の、奥義を受け止めた時なんか驚いて声も出ませんでした」
治療中に宗助とカンナカムイは互いの健闘を讃え合った。ある程度話し終えると、カンナカムイは帰刀を差し出した。
宗助は差し出された帰刀を受け取るのを躊躇った。何か気になることがあったらしく、カンナに質問を投げかけた。
「帰刀を受け取る前に聞きたいんだが、熊と戦う時に奥義を出さなかったのは何故だい?」
「あれだけの連続した体術と剣撃を繰り返すのですから、当然僕の体にも負担がかかります。勿論、宗助さんや時雨さんがいなければ、使っていたでしょうが……」
「そうかい。ついでにもう一つ質問があるんだが……」
「何でしょう?」
「何故、全力を出さなかったんだい?」
「!」
カンナカムイは目を見開いた。その顔を見て宗助は自分の推測が正しかったのだと確信した。
「俺の目は節穴じゃないよ。俺とやったときも凄い動きだったが、大熊と戦った時はもっと動きに切れと速さがあった。もしかして大熊と戦った時に怪我したんじゃないかい?」
宗助に指摘されて黙ってしまうカンナカムイ。図星をつかれたようだった。
「まさか!」
宗助の手当てをしていた時雨が、カンナの体を弄る。絵面的には女の子同士が戯れているようにしか見えないが、実質年頃の娘が少年を襲っている危険なものだった。
「止めてくださいぃ! くすぐったいですぅ!」
抵抗するカンナだったが、時雨が彼の足巻きを外すと、赤く腫れあがっていた。よく見ると腕も腫れてきている。
「右脚と左腕の骨に罅が入っているぞ! 主はこんな状態で戦っていたのか!?」
「やっぱりか。大熊の攻撃をエツンキの構えで受けた時と、横領狩りで蹴飛ばした時だろう? 僅かに表情を歪めたようだった。俺と決闘する時は普通に振舞ってたから見間違いかと思ったが、闘ってすぐわかったよ」
カンナは俯いてしまった。宗助は帰刀を受け取らなかった。全力で戦っていなかった相手に勝って戦利品を受け取る気にはなれなかったのだ。
「宗助さん、帰刀・イワエトゥンナイを受け取ってください」
「しかし、キミは全力を出せていなかったじゃないか」
「全力と言うのは、その時に出せる力を言います。僕が貴方と闘った時はアレが全力だったのです。第一、決闘を最初に提案したのは僕です。怪我の事を承知で戦いに挑んだ以上言い訳はしません」
カンナは潔く負けを認め、帰刀を差し出す。対して宗助が声を荒げる。
「だが!」
「宗助、カンナの言う事には一理ある。戦において常に最善の状態で戦えることの方が少ない。病気や怪我、精神的に不安定の時もあるだろう」
時雨もカンナの肩を持った。彼女達の言う事も分かる。しかし、事実として全力で戦えない以上納得は出来なかった。そこにカンナが更に発言する。
「戦う前にも言いましたが、貴方には感謝しています。それに此度の決闘であなたの実力しかと見届けました。半端な人に刀は譲りませんよ。僕は怪我をしていたからこそ慎重に戦えたのもありますから、万全でもどうなっていたかわからないです」
カンナが再び帰刀を押し付けてきた。これ以上押し問答もできない。それにここまで言う彼の意思を組まないのは逆に失礼だろう。宗助は深く考えた末「わかった」と刀を受け取った。
宗助達は怪我の療養のため、しばらくアイヌの里に留まった。ある程度怪我が治ってくると、リハビリも兼ねて狩りに付き合ったりした。長く暮らしている内にすっかりアイヌの人と打ち解けたのだった。
一月後、宗助と時雨がアイヌの里を出ることになった。アイヌの人達は総出で見送ってくれた。中でも特に別れを惜しんだのはカンナカムイだった。
「もう行くんですか? もう少し留まれては……」
「これでも大分延長したんだ。そろそろ行かないと爺になっちまうわ」
「世話になったな。カンナよ。主の体術には驚かされた」
「長として礼を言わせてもらうよ。キミらのようなシサムに出会えて本当に良かったよ。ありがとう」
前に出てきた村長が頭を下げた。
「こちらこそ、ずいぶん世話になった」
「蝦夷地は寒いが、アイヌの心遣いは温かかったよ」
宗助と時雨は感謝の気持ちを伝えて握手をする。それからカンナとも握手をする。
「アイヌは貴方達を歓迎します。またいつでも蝦夷地へ来て下さい」
「ああ」
「今度は主が内地へ来て見ても良いのだぞ?」
時雨が何気なく言うと、カンナカムイは少し考えこんだ。
「……考えてみます」
「ああ。キミも強いが、内地にも強い奴が沢山いるぜ」
長く話していると、また引き止められそうなので時雨が促した。
「宗助、そろそろ行こう」
旅路に向かう宗助と時雨。背後からアイヌ人の声が良く聞こえた。相変わらず言葉はわからなかったが、彼らが旅の無事を祈っていること、感謝している事、また来てほしいと言っている事は何となくわかった。
宗助達は声援を背に受けながら北の大地を去っていった。
こうして宗助達は七刀の一振り〝帰刀・イワエトゥンナイ〟を手に入れ、所有する七刀は二本となった。二人は、三本目の刀を探して再び日本内地へ向かうのだった。




