第4章 至高VS急造-6
――少しばかり時間を遡る。
「こいつは……まずいね」
《矢笛》西園寺要は、冷や汗を浮かべてつぶやいた。
西園寺の前に立ちはだかったのは、メタルドラゴンと化したセリカだった。
「《矢笛》が通じないとは、ね」
西園寺要の二つ名でもある《矢笛》は、矢に音による魔法をかけて放つ特殊な魔法攻撃だった。
その《矢笛》が、セリカには通らない。
西園寺は初め、音という自身の攻撃の特性が、メタルドラゴンには通じにくいのではないかと疑った。
事実、西園寺の放つ《矢笛》は、メタルドラゴンの表面で跳ね返されているように見えた。
しかし、その程度ならば、打つ手はある。
西園寺とて、異世界で魔王を討った勇者なのだ。
固有振動に干渉し、物質を崩壊させる音波。物質の表面を透過し、その奥へと浸透して暴れ狂う音波。さらには、物質ではなく精神へと直接働きかけ、聴く者に様々な状態異常を付与する音波。
搦め手は、音波という特殊な媒体を使用する西園寺にとっては、むしろ得意とする分野ですらあった。
しかし、そのすべてが通じない。
異世界・夢幻のハーメルンで培ったありとあらゆる搦め手が、メタルドラゴンの表皮に弾かれ、セリカに何の影響も及ぼせないまま霧散する。
「《矢笛》での身体強化……だけで勝てるほど甘い相手じゃないみたいだね……いやぁ、参った。うん、参った」
西園寺はひくひくと唇の端を痙攣させながらそうつぶやく。
西園寺は、笑いたくなっていたのだ。
勇者となり、魔王を倒し、この世界に帰還してからは〈至高神〉に所属して異世界を渡り歩いてきた。
勇者となった当初こそ戸惑ったものの、西園寺の力は右肩上がりの成長を続け、〈至高神〉のメンバーを除けば西園寺を追い詰められる者など見当たらなくなっていた。
「だから、これは貴重な経験だ……。こんな戦いはトポロス以来だよ、まったく」
――種を明かせば、簡単なことだ。
セリカ自身もまた、金属の共鳴を利用した音波魔法の使い手だったのだ。
そもそも、メタルドラゴンの姿勢制御自体を、セリカは音を介して行っているらしい。
だから、「音」という面では、セリカは《矢笛》に負けず劣らずの力を持っているはずだった。
いや、正確には、Sランク勇者である西園寺の方ができることの幅は広いのだが、ことセリカの体内に関しては、セリカの支配力の方が上だった。《矢笛》による直接干渉さえ退けてしまえれば、後はメタルドラゴンの巨体を活かして西園寺を圧倒すればいい。西園寺は音による多彩な強化・弱化こそ脅威だが、身体能力の面では他のSランク勇者には及ばないからだ。
《あなたの技は、わたしには効きません!》
「……みたいだね。仕方ない、僕向きじゃあないんだけど、たまには趣向を変えて殴り合ってみるか」
西園寺は自身にバフをかけ直すと、メタルドラゴンの巨体へと挑みかかる。
が、それはやはり、《矢笛》本来のスタイルではなく、しかも相手側の土俵だった。
――《矢笛》西園寺要は、セリカに徐々に追い詰められていく。
「く……っ」
《言代使い》五辻文はエレナの魔壊衝に手こずっていた。
言代術は詠唱をしないで済む代わりに、術の発動から発生までにわずかなタイムラグがある。とはいえコンマ数秒のラグだから、その間に何かをすることは普通なら不可能だ。
が、たとえコンマ数秒だろうとラグが存在するのなら。
エレナの目でならそこに攻撃を差し込む余地が生まれる。
もちろんすべての術の発動を潰せるわけではないが、安易に術が撃てなくなるだけでも戦況は大きく変わってくる。
「……生意気……っ」
「余計な言葉は使わないんじゃなかったのかぁ?」
エレナは言葉による挑発を交えながら、五辻に対して超高速の乱打戦を挑んでいる。
五辻は冷静なようでいて熱くなりやすい。というか、言葉による挑発に乗せられやすいようだ。
エレナ自身が、五辻の戦いや人となりを分析して、そう結論づけていた。
「青いなぁ、勇者! あんたはこれまで挫折らしい挫折をしてこなかったんだろう。言代術は強力だもんな。たった一言で目の前にいるウザい奴を消去できる」
「在れ――千の剣!」
「当たるか、こんなもん! どうだ、目の前のハエを叩き潰せない気分はよ!」
エレナはさかんに挑発していく。
「ふん、わたしも、だ。搦め手なんて嫌いだった。真正面から拳をぶつけあうだけが戦いなんだと思っていた。いや、そう思い込もうとしていた。それが、わたしにとって楽だったからだ」
「……それが何?」
「あんたもそうなんだろう、《言代使い》。あんたは誰かと言葉を交わすのが面倒なんだ。一方的に言霊をぶつけて、不快な言動をとる他者を排除する――さぞかし、異世界では気分が良かったことだろうな?」
「……っ! 死ね!」
五辻文の口から悪罵が飛び出す。
いや、それは単なる悪罵ではなかった。
相手に死を命じる言葉は、そのまま相手の死という現象となって結実する。
五辻は慌てた。
いくらフルコンタクトの対戦とはいえ、相手を意図的に殺す行為は禁じられている。これはあくまでも試合なのだ。
自分の口から綻びでた悪罵が、一瞬後に現実化し、目の前の嫌な女が死に絶える。
五辻はそう想像したことだろう。
しかし、
「はぁっ!」
エレナは具象化しかけた死の概念を魔撃衝で破壊した。
「なっ……!」
五辻は絶句する。
「この拳はな、もう二度と敵の言葉なんかに誑かされないように――そう思って鍛え上げたもんだ。あんたの言葉とわたしの拳と……どっちが強いか試してみようじゃないかッ!」
「……っのぉ!」
五辻は言葉を費やし、エレナが倒れる未来を引き寄せようとする。
エレナはその言葉をひとつひとつ拳で砕いていく。
「無駄に言葉を費やしてるのはどっちかな、《言代使い》!」
「っるさい! 在れ、打ち下ろす鉄槌、在れ、咆哮する獅子、在れ、炎の絨毯、在れ、降り注ぐ万の銃弾、在れ――」
言葉を紡ぐほどに五辻は疲労し、エレナは傷を増やしながらも五辻を追い詰めていく。
《聖矛の勇者来栖万里は周囲に巡らされた結界を破ろうとするたびに、結界の中を跳ね回るシャーロットの魔法に集中を乱されている。
――魔弾。
それが、近接戦闘能力とともにシャーロットが手に入れた力だ。
シャーロットの導く聖なる魔力を、弾丸とともに射出する。
言ってしまえばそれだけの技だが、ステラの結界魔法と組み合わされることでこの魔弾はその脅威度を飛躍的に増していた。
魔弾は、外側から結界に触れる時は貫通し、内側から触れる時は反射される。
また、弾丸という実体を持ったことでシャーロットの魔力は長い間拡散を免れる。
すなわち、消えることなく結界の中を跳ね回り続ける無数の魔弾。
シャーロットとステラが魔王に対抗するために磨き上げてきた牙が、ここさいたまスーパーアリーナで、異界の勇者を苦しめる。
「くっそ……あたしの貴重な時間をッ」
来栖が元から悪い目つきをさらに険しくしながら唸る。
シャーロットは短い詠唱とともに結界に魔弾を追加する。
魔弾の動きは直線的だ。また、反射時のエネルギーロスによって徐々に速度を落としていく。それでも音速を下回るまでに十数秒はかかる。その間にシャーロットは詠唱を終え、次の魔弾を送り込む。
来栖がいかに反射速度に優れていようとも、弾の増え続けるドッジボールでいつまでも無傷でいられるわけがない。
苛立った来栖が結界に聖矛を叩きつける。
ステラの結界が勇者の一撃に砕け散った。
が、結界が破られるたびに、ステラは結界を張り直す。
シャーロットは次弾を結界の中へと送り込む。
単純だが、やられる方にとっては面倒極まりないルーティンだ。
「くそっ! 姑息な手を使ってねぇで直接戦いやがれ!」
来栖が苦し紛れに挑発する。
「イヤですよ、そんなこと」
シャーロットがきっぱりと答える。
「私もステラも後衛です。前衛の、それもSランク勇者の相手なんてとても務まりません」
来栖が聖矛で魔弾のひとつを叩き落とす。
ほぼ同時にシャーロットが新たな魔弾を送り込む。
来栖のショルダーガードをが吹き飛んだ。
痛みに顔をしかめる来栖万里。
「――ですが、できないできないとばかり言っていては魔王など倒せません。勇者様が何度となく不可能を可能にするのを目の当たりにしながら、私にはそんなこともわかっていませんでした」
シャーロットが絶対神義の光滅殲を放つ。
来栖の重い打撃によって限界に達していた魔力偏向結界が、シャーロットの魔法を内側に散乱しながら砕け散る。
「魔力偏光結界、爆縮!」
ステラがロッドを掲げて短く叫ぶ。
結界の破片が内側に向かって破裂する。
内側に拡散した絶対神義の光滅殲と爆縮する結界。
二波に渡る全方位攻撃が、《聖矛の勇者来栖万里に襲いかかる。
「ぬあああああああっ!」
来栖が聖矛を構え、気合の声を上げた。
来栖がすべての力を注ぎ込んで強化したという聖矛は、使い手たる勇者の要請に応えて、全方位にその力を解き放つ。
「……相殺された……」
ステラが心なしか唖然とした様子でつぶやいた。
それだけ自信のある攻撃だったのだろう。
が、
「ううん……勇者なら、このくらいは当然。リュウトと渡り合える存在なのだから……」
ステラはすぐに気を取り直した。
《聖矛の勇者》が動けないでいるうちに魔力偏向結界を張り直す。
その間にシャーロットは次の魔弾の用意を終えている。
「くっそがあああああッ!」
――《聖矛の勇者来栖万里は、シャーロットとステラの作り出した魔力の鳥籠の中に完全に封じ込められていた。
〈至高神〉に集まったSランク勇者たちが――押されている。
その事実に、弥勒玄魅は驚愕した。
その隙に俺は、先輩の薙刀の切っ先から逃れる。
先輩は追撃してこなかった。ミストルティンにかけられた封神縛も先輩から離れたことで自然に解けた。
それぞれの戦況は、精霊たちに教えてもらっていた。
M/Vによるデータリンクもあるが、今のところギアの戦況予測は参考程度というレベルでしかない。精霊は人の気持ちに敏感だから、心理的な面での戦況予測は的確だ。
ふむ。《矢笛》はともかく、《言代使い》と《聖矛の勇者》に関しては、思ったよりも苦戦しているな。さすがはSランク勇者、分析はしたつもりだったが、こちらの予想を易々と超えてくる。
「ちょっとエレナが危ないか? ――そら、乱我」
俺は《言代使い》と《聖矛の勇者が同一斜線上に並んだ一瞬を捉えて、無詠唱で発動できる中級状態異常魔法を放つ。
《言代使い》はかろうじて避けた。
が、その奥にいた《聖矛の勇者はそうもいかない。
タイミングを合わせてシャーロットが魔弾の軌道を変化させたこともあり、俺の乱我がまともに入る。
もちろん、勇者ともなれば状態異常に対する抵抗は当然のようにやってくる。
とはいえ、一度食らってしまえば、一瞬の隙が生じることは避けられない。
シャーロットの魔弾が来栖の身体に連続して着弾する。
中級の魔物を一撃で吹き飛ばす威力のそれを受けても、来栖はまだ無事だった。
しかしその直後に全方位からの結界爆縮攻撃が襲いかかる。
高圧の魔力の奔流をもろに食らった来栖は、聖矛を握りしめたまま地面に膝をつく。
単純な気絶か魔力酔いか。
来栖はそのままぴくりとも動かない。
ステラが素早く来栖に近づく。
ステラは腰から短剣を抜き、剣の腹で来栖の肩を軽く叩いた。
討ち取ったというアピールだ。
その間に、手の空いたシャーロットが魔弾を放つ。
狙いは、エレナと交戦中の《言代使い》五辻文。
五辻は死角からの一撃をかろうじて避けた。
が、その隙をついてエレナが五辻へと肉薄する。
エレナは五辻のみぞおちに重い肘撃を叩き込む。
五辻の華奢な身体がくの字に折れる。
五辻は気絶せず持ちこたえていた。
が、会場側の人工知能の判定により撃破された扱いとなる。エレナが本気で打ち込んでいれば終わっていたという判定だ。
これでエレナとシャーロットが自由になった。
2人はセリカと戦う《矢笛》西園寺要へと向かい――
「――俺たちの勝ちだな」
弥勒先輩は信じられないものを見る目で、さいたまスーパーアリーナのスタジアムに倒れていくSランク勇者たちを見つめていた。
「こんなの、勇者の基本戦術だろう? 強敵に挑む時は取り巻きから倒せってのはよ」
その取り巻きがボス並みに強いから厄介だったが、なんとかうまくいったようだ。
「あんたらは、確かに強い。全員が勇者なんだからな。
だが、あんたらはただの勇者の集まりであって――勇者のパーティでは、断じてない!」
勝てるとわかっている相手と戦う者を勇者とは呼ばない。
一人では到底敵わないような相手に挑むからこそ勇者なのだ。
一人では到底敵わないような相手に勝つには、仲間を集め、絆を結び、ともに経験を積んで、ただの個人の集合ではない「パーティ」を作り上げなければならない。
――弥勒先輩は、それを怠った。
――かつての俺も、それを怠った。
だから敗れた。
そこに不思議なことは何もない。
「――さあ、ボス戦と行こうぜ、オーソドクスの魔王様!」