第八話 王城
次の日の朝、僕は部屋の扉がノックされる音で目を覚ました。
小鳥の鳴く声が、窓の外から室内まで届いている。
カーテン越しからでも、明るい日差しがベッドを照らす。
日中は暖かく過ごしやすいのだけど、まだ早朝は肌寒さを感じさせ僕は毛布を手放せないでいた。
扉の向こうに声を返す事を忘れベッドの中でもぞもぞしていると、失礼致しますという挨拶と共に、ポニーナさんが室内に入って来た。
「おはようございます。ジン様そろそろお目覚めになって下さい。本日は朝から王城へ向かわれるご予定です。セシリア様もクレハ様も、もうお目覚めで御座いますよ」
その言葉を聞き僕は一瞬で覚醒し、上半身をガバッと一気に起こしてベッドの反対側を確認する。
そこは既にも抜けの殻で、クレハの僅かな残り香が居座っているだけだった。
どうやらクレハは先に目覚めて出ていったみたいだ。
「……ポニーナさんおはようございます。すみませんもう起きます」
「それでは身支度がお済になりましたら、食堂の方へいらして下さい」
まるで忍者のように足音一つ立てず、ポニーナさんは部屋を出て行った。
「焦ったー……」
さっき起き上がったばかりのベッドへ、再度上半身を投げ出す。
寝汗とは違う汗を、背中に感じる。
別にクレハと一緒に寝ていた所で非難される事ではないけど、やっぱりそんなところを見られるのは体裁が悪い。
僕は気持ちを切り替えるために大きく息を吐き出し、居心地いいベッドから断腸の思いで脱出して身支度を整える事にした。
身支度を整え食堂に向かう途中、同じく食堂に向かう銀のポニーテールを見つけた。
「おはようセシリア」
「おはようございますジン君。昨夜はゆっくり眠れましたか?」
「う、うん。おかげさまで」
後ろめたい気持ちを隠しながら、僕が引きつった笑顔を返した所に、タイミングがいいのか悪いのかクレハがやって来た。
「おはようセシリア、婿殿……」
僕の名を呼んで、そっと目を伏せながら頬を染めるクレハ。
典型的な怪しい態度だ。
恋バナが好きな女子がいれば「おやおや~顔を赤くしちゃって~何かあったのかなぁ~?」なんて、お約束な流れになるパターンだ。
「おはようございますクレハ様」
セシリアは意外と女子力低いのかもしれない……。
「セシリア」
挨拶を終えて僕達より先を歩くクレハが、不意に足を止め体ごとセシリアに向き直った。
表情は真剣、だけど若干言いにくそうに顔をしかめている。
「……いつも世話をかけるな。感謝しておるぞ」
クレハはそう捨て台詞のように言うと、一人そそくさと食堂に走って行った。
残された僕達は、お互いに顔を見合わせる。
セシリアは不思議そうに「一体何の事です?」と首を傾げているけど、僕はクレハの感謝の言葉が何を意味するのか、完璧に理解出来ていた。
「セシリア、ありがとう。僕も感謝しているよ」
意地悪な笑みを浮かべている自覚があった僕は、クレハの後を追いかけるようにその場から立ち去る。
その際横目に見たセシリアのぽかーんとした顔がおかしくて、歩きながら口元を押さえるのに必死だった。
「だから何の事ですかー!」
聞こえて来るセシリアの声を背に、僕は共犯者の待つ食堂へ急いだ。
◇◇◇
早朝のやり取りから約二時間後、僕達は王城へと来ていた。
西洋風の城を生で見るのは初めてだけど、日本の城とはまた違う凄みを、このローランド城から感じていた。
ローランド城は過度な装飾が一切なく少し灰色が主張しすぎている気がするけど、それが逆に堅牢さを感じさせて、きっと質実剛健な王なのだろう、なんて勝手な想像を僕は膨らませていた。
王に謁見するのに、兵舎で借りた服ではまずいだろうと、セシリアが(厳密に言えばポニーナさんが)新品の服と装備を用意してくれた。
用意してくれたのは、銀の刺繍が施された長めのシャツに黒のズボン、銀の肩当てと胸当て、そして手甲と銀のショートソードだった。
最初ロングソードを用意してくれていたけど、重くてバランスが取れずふらついてしまう僕を見て、セシリアが急遽ショートソードに変更してくれた。
まぁショートソードでも若干ふらつくのだけど……。
因みに肩当てと手甲は謁見時のみで返却する事になっている。
これも僕には重かったのだ……。
ポニーナさんには「ジン様はもう少し体を鍛えられた方が宜しいですね」と言われてしまった。
セシリアが予め伝えていたので、僕達は待たされる事なくあっさりと王に会える運びとなった。
広い城内をどう進んだのかは覚えていないけど、最終的に通された場所はいわゆる謁見の間といった感じの空間。
謁見の間は横にも広いけど縦にも長い部屋で、天井が三階くらいの高さにあって、床には艶のある白と黒の大理石のような石材が敷き詰められている。
入り口から玉座まで一直線に赤いカーペットが通っていて、カーペットの半ばまでは槍を掲げた兵士が両脇に並び、僕は若干圧迫感を感じた。
玉座の手前二メートル迄進むと、セシリアが静かに膝を付く。
僕もならうべきかと思いクレハに視線を向けると、腕を組んで仁王立ちをしている彼女と視線がぶつかった。
なんでそんな横柄な態度なんだ……。
文句の一つでも言ってやりたかったけど、案外クレハならそれで通るのでは、と不本意ながら思ってしまった。
僕自身はどうしたらいいか分からず、とりあえず背筋を伸ばし直立不動で事の成り行きを見守っていた。
玉座には王冠を被った人の良さそうな、三十代半ばの男性が腰掛けていて、右側には王妃らしき美しい女性が立っている。
反対側には宰相だろうか、好々爺然とした人がこちらを見ていた。
少し緊張していたんだけど拍子抜けだ。
僕の中で国のお偉いさんというは、権力争いでもっとドロドロしているイメージで、人相の悪い人間の集まりだと思っていたから。
特に宰相とかは要注意だ、悪党が多いイメージだし。
そんな不謹慎な事を考えていると、玉座の人物が僕に視線を送って来た。
「ようこそ我が城へ、余がこの国の王アベール・リシュタット・ローランドだ。セシリア、楽にしていいぞ」
セシリアに笑みを向ける王。セシリアはそれを受けて音を立てずに体を起こす。
「大体の報告は聞いている。そこの青年があの光の場所におり、そしてクレハ様のお知り合いというジン殿だな?」
「はい、その通りでございます」
王の問いに、セシリアの良く通る声が広間に響く。
クレハの事を王が敬称付けで呼ぶのを聞いて『ローランド王お前もか』と思った。
「それならば調査等は不要。我が国は一切何も問わない。これで宜しいですかクレハ様?」
軽っ!
僕が言うのもなんだけど、そんなもんでいいの?
そんな意味を込めてクレハに目を向けると。
「心配するでない」
いや何も心配してないから。
ちぐはぐな思いが交差する中、クレハが一歩前に出る。
僕の嫌な予感は全開。
「まずは寛大な王の措置に礼を言おう。そして妾は今までの対価を頂きたいと思うのじゃ」
「対価ですか?」
「うむ。今まで妾がローランドを棲家にしておった事で、大分軍事費も浮いたであろう。その対価としてセシリアを借り受けたい。もっとも、セシリアは妾が紹介したので借りるというのも変じゃな。返して貰う」
上から目線だった。
上から過ぎて天空目線と呼びたくなるくらい。
「そういう事ならば仕方ありません。セシリアよ、今までご苦労であった。これからはクレハ様にお仕えするように」
し、仕方ないんだ……。
宰相らしきお爺さんも、あごひげを撫でながらウンウンと頷いてるし。
「ありがたきお言葉。これからはクレハ様に誠心誠意お仕えする事をここに誓います」
深々と頭を下げるセシリアに、僕は『それでいいのかセシリア』と念を送るが勿論通じるはずもない。
「ジン殿……色々大変だろうが頑張るのだぞ」
王は僕に向かって、苦笑いのサムズアップ。
あ……察し。
クレハはアトラスの民の最上位である竜神族、その中の紅竜姫だ。
竜神族を神として崇める国もあるらしいので、この国でもそれに近い扱いを受けても不思議じゃない。
まぁ要するに、さわらぬ神に祟りなしといった感じで、腫れ物に触るみたいに扱われているのだ。
僕に対しては色々配慮してくれるクレハだけど、周囲からの扱われ方の影響もあってか、周りには非常に態度が大きい。
これから少しずつ矯正していこうと、僕は密かに誓った。