第七話 想いの起点
クレハから説明を受けた後、色々(目の保養とか)あったけど、今僕は与えられた部屋のベッドに潜り込み物思いに耽っていた。
外は夜の帳が下り、室内はランプが淡い光を放っている。
このランプは魔道具の一種で、魔石を利用し蝋燭より少し大きめな明かりを灯す事が出来る。
ちなみに部屋全体を照らす魔道具もあるらしく、やろうと思えば元の世界の夜を再現出来そうだ。
この世界の魔石は小説で得た知識そのままだった。
魔物の心臓に該当する部分であり、魔石を壊せば魔物は即死するし、逆に壊さず倒せば死体から取り出す事が出来る。
魔石は魔道具を動かす燃料や、魔法の媒体として使用する事も出来るらしい。
現物は紫色した正八面体の宝石で、大きさは魔物の強さに比例する。
大きさと純度の度合いによって値段が上下し、両方を兼ね備えた物だと相当な高値で取引されていて、魔物を狩る人の主な収入源になっているそうだ。
今日一日で色々な事を体験したなぁ。
巻き込まれたと言うのが正解かもしれないけど。
異世界に呼び出されて、ドラゴンに掴まれて、子作りを迫られて……。
邪神族の話は僕に直接関係はなさそうだけど、竜力の話は無関係とはいかないと思う。
暴走する事については実感が沸かないけど、今はクレハの言う通りに霊峰フィールズへ行くしかない。
今日一日接してみて感じたけど、クレハは僕に対して好意的だ。
もちろん、僕が子孫を残すのに必要な存在だという事もあるのだろうけど、子孫を残すための道具として見るのではなく、一人の人間として接してくれている気がする。
異世界に来て心細い僕にとって、クレハの存在は非常に心強い。
きっと物理的にも心強い味方なのだと思う。何せドラゴンなのだから。
正確には紅竜といったドラゴンすら歯牙にかけない強者らしいし、きっと僕とは比べるのもおこがましいほど強いんじゃないかな。
僕には子作りチート(笑)しかないみたいだけど、本当のチート仲間が一緒だと思うと少しは不安も晴れる。
ただ見た目が幼女なんだよねぇ……。
目的と手段ならぬ、目的と外見が合ってないというか……。
とりあえず今は、深く考えないでおこう……。
セシリアは面倒見の良いお姉さんという感じがする。
クレハが念のためとはいえ同行を頼むんだし、それなりに腕が立つんだと思う。
普段は礼儀正しく温和で常識人だけど、時々ずれているところもある。
クレハに甘いところも含めて、正しい道へ僕が導いてあげないといけないんじゃないかと、良く分からない使命感を覚えてしまう。
とにかく、これから二人とどれくらい一緒に居るか分からないけど、僕は上手くやっていけそうな気がしている。
そんな事を考えながら天井を見つめ、知らずの内に自分がこの世界で生きていく決意を固めていた事に苦笑いした。
元の世界と違ってこちらの世界の夜はとても静かで、考え事をしているうちにまぶたが重くなってくる。
もう寝ようと、僕がランプの光に手を伸ばした時、部屋の扉が控えめに鳴った。
「どうぞ」
今この家には、僕を含めて四人しかいない。
誰かを確認する事も必要ないと思い、すぐに入室を促す。
静かに扉が開いて、同じように閉まった。
訪問者はしばらく扉の前に佇んでいて、僕からは明かりの関係で足元しか見えていない。
でも何となくクレハな気がする。
「どうした?」
問いかけても返事は無くて、ただそれを合図のようにこちらに足を進めて来た。
ランプの淡い光が、徐々に近づいて来る人物の正体を暴く。
光の範囲に全身を入れそこに佇むのは、薄紅色のネグリジェに幼い体を包み、妖しい色気を放つ幼女。
その表情は光の加減のせいなのか、もしくは羞恥から来るものなのか、朱に染まっているように見える。
なんでだ?
これじゃまるで、夜這いみたいなもんじゃないか。
僕の意見を尊重して『嫌がる男を無理やり手篭めにしようなどと下劣な事はせん』と言ったのは嘘だったのか?
何だかイライラする。
そしてドキドキしている。
体の芯が痺れるような感覚がして、自分の鼓動が煩いくらいに聞こえて来る。
僕は妖しい色気を振りまく幼女に対し、瞬きを忘れて視線を向けていた。
「勘違いしないで欲しいのじゃ……。決して婿殿の気持ちを無視するつもりはない」
そう呟いたのは竜姫という強者ではなくて、見た目通りの幼く弱弱しい存在に感じられた。
「不安なのじゃ……。婿殿が居なくなるのではないかと、これは残酷な夢ではないかと。竜神族という種が滅びるのをただ待つだけの日々、それは妾の心を徐々に蝕んでいった。気丈に振舞えど毎日怯えておった。じゃから今の状況が逆に怖いのじゃ」
手が届く距離まで来たクレハの頬には、一筋の涙の跡が残っていた。
「今すぐ子を成そうなどと言うつもりはない。ただ、ただ今日だけでよい。隣で寝かせて貰えぬか?」
『心まで強いとは限りませんよ』
セシリアが伝えたかったのはこの事か……。
元の世界の感覚で物事を考えていた僕は、冷水を頭から掛けられた思いがした。
人間が滅びる焦りなんて、僕は今まで一度も感じた事はない。
動物や昆虫の種が一つ絶滅したと聞いても「かわいそう」と定型文のような気持ちになるだけ。
だけどクレハは違う、僕とは全然違うんだ。
彼女は今まさに、自身の種族が絶滅する危機に晒されている。
爆弾を背負って生きているようなものじゃないか。
クレハがいくら強者でも、心までが強者とは限らない。
人化した時と同じ、幼い心を持っているのかもしれないじゃないか。
三十年間という時間、紅竜、ひいては竜神族絶滅という爆弾を背負う事には、クレハは耐えられなかったのだろう。
……いや、耐えてはいたんだ。
でも僕という希望が目の前に現れた時、耐えていた心が緩んでしまったんじゃないのか。
「分かった、じゃあ入りなよ。幾ら暖かい季節と言っても夜はまだ肌寒いし。竜神族が風邪を引くか知らないけどうつされたら困るしな」
右手で薄手の毛布を捲り入り口を作る。
自分の台詞が臭すぎて、のたうち回りたい気分だけど何とか耐えた。
「ありがとう」
小さな声だったけど、絞り出したようなお礼の言葉は、僕の耳に確かに届いた。
僕は右手を伸ばして、淡い光を発しているランプのスイッチを押す。
途端に部屋が暗くなり、月明かりだけが視界を照らしている。
スイッチを押す時クレハに覆い被さる形になってしまい、不意に僕の鼻を甘い香りがくすぐる。
慌てて体を戻そうとしたけど、肩を掴まれ鼻と鼻が触れそうな距離に押えつけられた。
「少し話をしよう。婿殿の事がもっと知りたいのじゃ」
「……知りたいって何を?」
月明かりの下、目の前で見るクレハの顔は細部まで整っていて、気を抜くと見蕩れてしまいそうになる。
瞳を見つめるのは恥ずかしいので、視線をクレハの口に移したんだけど、艶かしく動く唇は僕の鼓動を更に早くした。
唇から視線を落とせば綺麗な鎖骨が目に入る。
慌てて視線を顔へ移すと、クレハが意味ありげに笑った。
「歳や家族、あちらの世界では何をしていたか、とかじゃ。些細な事で構わん」
「歳は十八。……そう言えばクレハは?」
「これ、乙女に歳を聞くでない」
仕返しとばかりに、クレハは自身の鼻を僕の鼻にちょんと付けてくる。
僕がそれに驚くと、クレハは悪戯が成功した子供みたいにニヤリと笑った。
「両親と妹の四人家族だよ」
「そうかそうか、いずれご挨拶にいかねばの」
間違いなくただの挨拶という意味じゃないな……。
だけど突っ込んだら負けなので、ここは気付かない振りをしておく。
「向こうでは高校生だった。高校生ってのは学生の事。丁度三年生になったばかりでね……」
脳裏に過ぎったのは、この世界に来たばかりの時に思い出したあの事。
そして何故か、夜の闇と側に感じるクレハの気配がそうさせたのか、僕は独白するように語っていた。
◇◇◇
三年生初日、クラス替えがありそこで僕は仲の良い友人と、最後の高校生活を同じクラスで過ごせる事に喜んでいた。
僕はいわゆるオタクという部類に入る人間で、アニメやゲームの話が出来る友達はそいつしかいなかった。
決して友達が少なかった訳じゃない。むしろ友達は多かった方だ。でもその友達とは表面上の付き合いだったのだけど。
興味のない音楽を聴き、興味のないドラマや映画を見てそれをネタに会話を合わせる。
そんな虚しい努力をしながらオタクという事実を隠し、異端扱いされないよう生きていた。
今思うと本当の友達と呼べる存在もいなくて、つまらない高校生活を送っていたと思う。
そんな時、高校二年のクラス替えで慶介に出会った。
慶介は身長も低くひょろっとしていて、気が弱く大人しい性格だったけど、アニメやゲームの話になると性格が変わったみたいに饒舌になる奴だった。
慶介のアニメやゲームの知識は広く深くて、僕は慶介とよく遊ぶようになった。
もちろん慶介以外の、表面だけの友達とも今まで通り上手くやっていて、僕の高校生活は何の問題もなく過ぎていった。
でも高校三年になったその日、僕の高校生活に、そして僕という人間のあり方に大きな闇を落とす事件が起こる。
親友と呼べる程仲が良くなっていた慶介と同じクラスになり、お互い喜んでいた時の事だった。
学年一素行の悪い、いわゆる不良と呼ばれるカテゴリに入る赤松健二が、席に着いて話し込んでいた僕達の側にやってきて「おい慶介、ちょっと顔貸せ」とドスの効いた声で言い放ったのだ。
慶介と赤松は一年の頃同じクラスで、慶介は赤松にいいように使われていたのは周知の事実だった。
僕は一年の頃その光景を何度か目撃していたけど、その頃は慶介と接点が無く、余計な事に首を突っ込むような事はしなかった。
三年になり慶介と同じクラスになった事で、またその関係を構築しようと赤松はやって来たのだと思う。 慶介は怯え、声も出せず震えていて動こうとしなかった。
痺れを切らした赤松は、腕を掴むと強引に慶介を引き起こして、どこかに連れて行こうとする。
僕は赤松の腕に手を掛け止めようとしたけど、彼の一睨みであっさり意気消沈してしまった。
連れて行かれる慶介。彼はこちらを振り返り、何とも形容しがたい目で僕を見ていた。
軽蔑だったのか、落胆だったのか、それとも憎悪だったのか、答えは分からないままだ。
しばらくして戻って来た慶介の唇からは血が出ていて、目は真っ赤に充血していた。
その後僕はどうやってその日を過ごしたのかを覚えていない。
ただ慶介とは一言も口を利かないままだった事だけは覚えている。
◇◇◇
「僕はそういう人間なんだよ」
僕は懺悔する。
自分になのかクレハになのか、言った僕でさえ分からない。もしかしたら両方かもしれない。
「友達を見捨てるような……護れない男が子供を作るのか? そんな権利あるのか?」
この世界は元の世界ほど安全な世界じゃない。
元の世界で友達を護れなかった男が、この世界で妻や子供を護る事が出来るはずない。
そんな男が『子を成す』なんて、していいはずがない。
妻や子供に、危険が迫ったら僕はどうするのか、また逃げるんじゃないのか。
慶介に向けられた目、あれを妻や子から向けられるのは想像するだけで戦慄する。
「僕に子を成す資格はまだないんだよ……」
考えすぎかもしれない、それとこれとは話が別と言われるかもしれない。
だけど僕にとっては切り離せる事ではないんだ。
それに頭の片隅に【護る】という事に対して、慶介とは別の何か、大きな後悔の念が燻っている。
これが何なのか、どうしても思い出せないのだけど、だからなのかより一層、【護る】という事に固執してしまう。
「婿殿……」
黙って僕の話に耳を傾けていたクレハが、ゆっくりと腕を回して僕を包み込む。
少し苦しいくらいの抱擁だったけど、とても心地よく感じられた。
「今日妾と始めて会った時婿殿は妾の手の中じゃったが、何故セシリアに助けを求めなかったのじゃ?」
それは唐突な問いだった。
質問の意味なんて分からなかったけど、答えは自分の中に既にあった。
「それはどこかの誰かさんに食べられそうになっていたから……。もう絶体絶命って感じだったし。あそこで助けを求めてもセシリアを危険に晒すだけだと思って」
「それはセシリアを護った事にならんか?」
「護った?」
「そうじゃ。あの状況で助けを求めるのは何ら恥でもない。それをセシリアの身に危険が及ぶと思い助けを求めなかった。これはセシリアを護った事に変わりないぞ」
確かに僕の視点から見れば、セシリアを護ったのかもしれない。
まぁ実際種明かしをしてみると、クレハには攻撃の意思がなくて、セシリアもクレハがそんな事をするとは思っていなかったようだし、僕の完全な独り相撲だったのだけど。
「婿殿の中で、何かが変わり始めているのかもしれんの」
クレハは母親が子供を諭すように、優しく静かに囁いた。
僕は静かに、息を天井に向かって吐く。
夜に侵食された自分の心から、その闇を吐き出すように深く。
「変わり始めているかもしれない、か……」
その言葉が、真実なのか慰めなのかは分からない。
だけど僕が変わろうとすれば、もしかしたら本当に変われるかもしれない。
ここは異世界、元の世界とは異なる世界。
「変わり始めているかは分からない。だけど変わるさ……」
世界すら変ったんだ、僕が変るくらいどうって事ない。
「うむ。そう思い至っただけでも、既に変わってきておる」
「いずれ死んで元の世界に戻るんだ。その時あいつに謝って、そしてあいつを護る。護ってやれるくらい強くなる」
力だけじゃない、心もだ。
「死ねば戻れるとはどういう事じゃ婿殿?」
僕が決意を固めている中、クレハが首を傾げる。
どうやらクレハは、僕が死ぬと元の世界に帰れる事を知らなかったみたいだ。
「この世界に来る前に、真っ白な世界があってな、そこで言われたんだ。きっとあの声がユグ婆だったんだろう」
「死ねば戻れるのじゃな、そうか。でも妾が死なせんぞ」
「子作りするまでは?」
「馬鹿を申すな。婿殿が老衰で死ぬ迄、一生守ってやる。それが婿殿を異世界から呼び寄せた竜神族の責任でもあるのじゃ」
「ははは、ありがと」
髪を撫でてやると、クレハはネコのように目を細めた。
その表情が可愛くて……僕は慌てて体を逆に向けた。
「さ、寝るよ。明日朝一で城に行くんだから」
「なんじゃ、もう寝るのか。妾を襲ってもいいのじゃぞ?」
「バーカ」
クレハは僕の背中に寄り添い、小さく「おやすみ」と呟いた。
幼女でも一応女性。
こんな状況で眠れるのか心配だったけど、目まぐるしい一日の疲れと背中に感じる温もりで、直ぐにそれを否定する事になった。