第三話 紅竜
「さて婿殿。それでは妾と子を成そうか」
クレハが言った。
「子を成そう……ですか?」
とりあえず聞き直してみたけど。
「そうじゃ、有り体に言えば子作りじゃな」
でも聞き間違いじゃなくて。
「婿殿も知らぬ訳ではあるまい? 見た所子作りに一番興味がある年頃ではないのか? ククク」
なんて冷やかされた。
確かに僕は健全な男子高校生で、すごくそういう事に興味はある……あるけども!
ドラゴンとの子作りなんて興味ない!
声からして目の前のドラゴンは女性だとは思うけれど……。
いや、この場合は女性というより雌?
と言うか、それ以前に規格が! 体の規格が全然違うだろう!
「お断りしま──」
ガシッ
「まぁ落ち着け婿殿。そう答えを急ぐ必要もなかろう。まずは妾の話を聞くのじゃ。短気な男は嫌われるぞ」
僕はまたドラゴンの拳に拘束されてしまった……。
話し合いではなく完全に脅し状態なのに、どうしてそう平然と話を進める事が出来るんだ、ドラゴンだから神経も図太いのか?
「そうよのぉ、どこから話したものか」
「クレハ様、込み入った話でしたら私の家に行きませんか? あの、ここだとその……人の目が多過ぎますし」
右手の爪で頬を掻きながら思案顔をするドラゴンを見て、やけに人間臭い仕草をするなと思っていた時、セシリアさんが靴を鳴らし近づいて来た。
というかセシリアさん、ドラゴンに敬称なんて付けているし……。
不思議に思いながら、周囲を見渡す。
さっきより野次馬が二倍近くに膨れ上がっていた……。
「わ、分かった、セシリアの家で話をさせて貰う事にしよう。確かにここでは……少しばかり人の目を引きすぎるようじゃしの」
それは自分のせいだろう。
再度僕を解放したドラゴンは、おもむろに巨大な両手の平を合わせた。
「うわっ!」
次の瞬間、眩しい光が合わせた手の隙間から走り、思わず僕は目を硬く閉じる。
数秒後。
恐る恐る僕が目を開けると、ドラゴンの姿はどこにもなかった。
ただ一人、人間が合掌した姿で立っているだけ。
「自己紹介がまだであったな婿殿。妾は竜神族紅竜のクレハじゃ。末永く宜しく頼むぞ」
僕はしばらく口を開け呆けていて、彼女の咳払いで我に返った。
「……えっと、もしかしなくても君が今までそこにいたドラゴン……ですか?」
若干びびり気味。
「ドラゴンではない紅竜じゃ。あんなトカゲに羽が生えただけの奴らと、同じに扱うでない」
さっきまでの姿、十分トカゲに羽が生えた感じでしたよ?
「婿殿。名前は何と申すのかの?」
「私は仁と……申します、クレハ……様」
いくら人間の姿になった所で、結局正体はドラゴン。
下手に出ておかないと、何されるか分かったもんじゃない。
「やめい婿殿。そんな畏まった言葉遣い、堅苦しくてかなわん。妾と婿殿の仲ではないか。妾の事はクレハでよい」
一方的に拘束されて、一方的に子作りを迫られた仲ね……。
「分かり……分かった。僕は仁だ」
「ジンか、良い名じゃ。さすが婿殿」
何が流石なのか全く分からない、でもクレハは機嫌良さそうに笑みを浮かべている。
その顔は非常に整っていて、不覚にも少し見蕩れてしまった。
ドラゴンの色と同じ真紅の髪は腰迄あって、健康的な小麦色の肌に良く合っている。
強い意志を感じさせる眉に真っ赤な瞳、切れ長の目と艶やかな唇は、妙な色気を感じる。
ドラゴンの時は服など着ていなかったくせに、今は魔法使い風の紅いローブを羽織っている。
風に吹かれて見え隠れするその中身は、膝丈程度の真っ黒なノースリーブワンピース。
見た目は完全に人間で、ドラゴンの名残は何一つ見当たらない。
人間の姿になったのは驚いたけれど、これなら変に萎縮せずに話せるからありがたい。
まぁ子作りの話も、規格や種族が全然違うなんて事もなくなった。
それはいいんだけど……。
見た目は十歳程度。
身長は僕の胸よりやや低いくらい。
もちろん胸は真っ平ら。
完全に幼女でした。
ある意味、ドラゴンよりやっかいな存在になっていた。
◇◇◇
僕達三人はセシリアさんの家に向かうため、中央広場から北に向かって歩いていた。
因みに一緒にいた男の騎士達とは中央広場で別れている。
彼らは城へ戻って報告──僕を城に連れて行くのが明日になると伝えるそうだ。
大丈夫なのかと聞くと「クレハ様関連だから」と苦笑いしていた。
一体クレハはこの国で、どういった扱いをされているんだろう?
昼時を過ぎたからなのか、行き交う人々の数も少し落ち着いている。
北通りと呼ばれているこの道は、主に貴族や富裕層が生活する地区のメインストリートらしい。
確かに、石畳を歩く人達は皆一様に上品な振る舞いで、南通りと違って喧騒は小さい。
「だから紅竜と言っておろうに……。人化出来るのは竜神族の女だけじゃ。無論人化の術を習得しておらねばならぬがの」
ドラゴンは全部人化出来るのかという、僕の質問の答え。
「なるほどね。じゃあ竜神族の男は誰も人化出来ないって事?」
「そうじゃ。それに竜神族の男は力も弱く、ドラゴンに劣る者も多い」
女性上位の種族である竜神族は、紅竜以外にも三種族があり、合計四種族存在しているそうだ。
各竜神族には長老と呼ばれる一族を取り仕切る者が一名、一族の象徴となる竜姫と呼ばれる者がいるらしい。
そのうちの紅竜姫がなんとクレハだった。
クレハが……姫……ねぇ……。
────ん?
先を行くクレハの後頭部を見つめていた時、僕は視線を感じて振り返った。
十五メートルくらい離れた所にいた人間と、視線が交差する。
いや、それは人間じゃなくて獣人。頭に白い犬耳をもった若い男の獣人だった。
獣人は僕と目が合うと、急に体の向きを変え路地裏へと消えて行った。
何だか見られていたみたいだけど、隣にはさっきまでドラゴンだったクレハがいるんだし仕方がないか。
きっと好奇心で後ろを付いてきたんだと思う。
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもないです」
僕が立ち止まっていたのを不思議に思ったのか、先に進んでいたセシリアさんがわざわざ戻って来た。
クレハは何も気付かず、どんどん一人で先に進んでいる。
「行きましょうか」
セシリアさんに促されて、僕達は小走りでクレハを追いかけた。
◇◇◇
「ここが私の家です。狭い所でお恥ずかしいのですが」
北通りをしばらく歩いた場所に、セシリアさんの家はあった。
元の世界で言えばテニスコート二面ほどの大きさかな、結構な豪邸だと感じたけど、こっちの世界ではそうでもないらしい。
白塗りの綺麗な洋館で、庭の手入れも行き届いていて、セシリアさんのイメージにぴったりだった。
玄関の前で、二十代中盤くらいのメイドさんが出迎えてくれた。
ショートカットで切れ長の目をした、クールな印象を受ける美人で、いかにも仕事が出来るメイドさんといった感じ。
セシリアさんは彼女と二人で暮らしているらしい。
メイドさんの服装は地味な黒のワンピースに白エプロンドレスで、元の世界で見たフリル一杯のワンピースではなかった。
いわゆるヴィクトリアンスタイルといったやつで、きちんとキャルティエカチューシャが頭に鎮座している。
やっぱりメイド服は見た目重視よりも機能性重視のほうが、逆に萌えると思う。
最高です。
言葉に出していないのに、なぜかメイドさんに鋭い目を向けられた気がした。
僕とクレハはメイドさんの案内で、応接室らしき部屋に通された。
セシリアさんは着替え。
通された部屋は良く言えば質素、悪く言えば殺風景な部屋で、テーブルと四脚の椅子があるだけ。
家の外観を見た後だから拍子抜けしてしまった。
もっと煌びやかな内装を想像していたから。
でもよく考えると、無駄に派手じゃない所がセシリアさんらしいのかもしれない。
何となくだけど。
クレハは長方形のテーブルを挟んで対面に座っていて、セシリアさんを待っているのか、出された紅茶を無言で少しずつ飲み、一言も言葉を口にする事はなかった。
黙っていれば整った外見も相まって、上品に見えない事もない。
しばらくして、白いワンピースに着替えたセシリアさんがやって来た。
鎧を外した彼女は貴族令嬢と言っていいほど上品で美しく、少しの間見惚れていると、テーブルの下に潜り込んだクレハに、なぜか脛を蹴られた。
「どうかしましたか?」
そんな僕を不思議そうに見ながら、椅子に座ろうと前かがみになったセシリアさん。
一瞬、鎖骨の奥が露になって、僕は慌てて顔を逸らそうとしたんだけれど、深い谷間と黒の下着をばっちり目に焼き付けてしまった。
事故だった。
不可抗力だった。
でもありがとうございました。
「さて、それでは改めて話をさせて貰おうかの婿殿」
「その前に、婿殿ってのはどうにかならない?」
「だから慌てるでない。その意味もちゃんと説明する。そうじゃの……まずは婿殿が一番知りたい事から話すかの」
一番知りたい事、それはなぜ僕を婿殿と呼ぶか。
そこからなぜ僕と子供を作らないといけないのか、というのも分かるはずだし。
「婿殿からすれば異世界になるこの世界の事をの」
「え?!」
息を呑んだ。
クレハは僕の反応を見て、してやったりといった表情を浮かべている。
確かにそうだ、僕はこの世界の事が知りたい。
いつの間にか大きな問題を先送りにして、目の前の問題しか見てなかった。
クレハは、僕がこの世界の住人じゃないって知っているのか……。
と言う事は、僕がこの世界に飛ばされた理由も知っているのかもしれない。
いや、きっと知っているんだろう。
あ、セシリアさん。
目を真ん丸くして僕を見ているけれど、ちょっと今は説明している場合じゃないから無視させてもらうね。