第七話 酒場にて
「ジン様は異世界の方なのですね」
「もうだいぶこの世界にも慣れたけどね」
「婿殿、それ食べぬなら貰ってもよいか?」
「ジン君、ちゃんと野菜も食べないと駄目ですよ」
王都トラキア繁華街。大通りには多数の飲食店がひしめき合い、夜なのに人通りが途絶える事はない。
仕事帰りにちょっと一杯引っ掛けて帰る者もいれば、高級店に接待へと誘う商人、鎧姿に剣を差して少し古びた酒場に入って行く冒険者達なんかも見かける。
それら全てが人間という訳ではなく、エルフやドワーフ、獣人など様々だ。
ここは正に、種族・職業のるつぼのような場所だった。
アンジェリカを倒しフローゼを解放した僕達は、あの後大急ぎで王都へと戻って来た。
急いで戻って来た理由は、アンジェリカの容態。
少しセシリアが傷を深く与え過ぎていたため、ゆっくり帰ると命が危ないと判断したからだ。
殺してしまったのならいざ知らず、一応命は取り留めているので、情報を引き出すためにも見殺しするのはあまり得策ではない。
セシリアの回復魔法でなんとか……というのも考えたんだけど、ある一定以上の傷になると初級回復魔法では効きが悪いらしい。
そしてそれを押してまで回復する気は、セシリアにはなかった。気持ちは分からない訳ではない。僕とクレハはそれ以上何も言わなかった。
そうなると急いで帰るしか手がないので、僕達は帰路を急いだ。
操られていたフローゼだけどその間意識はあったので、アンジェリカの手の内はある程度知っており、もう危険はないとの事でクレハは人化した。
流石に紅竜のまま街道を急ぐと、どんな迷惑がかかるか分からないし。
クレハ・セシリア・フローゼの三人は、休憩を挟まず王都まで走れるなんて訳の分からない事を言い出したけど……もちろん僕には不可能。
ドラゴンフォースをそんな長時間発動させられる自信はないし、フローゼを解放した後発作も起こっていた。
僕を抱きかかえて走るというフローゼの案を黙殺し、気絶している三体のブルードラゴンを使う事になった。
継ぎ馬ならぬ継ぎドラゴンで、代わる代わるドラゴンを乗り潰し、夕方には王都へと到着していた。
それから王との謁見とアンジェラの引渡しを済ませ、僕達は繁華街の『安くはないけど値段以上に美味しくて敷居が高くない』店に来ている。
因みにこの店を教えてくれたのはトラキア王で、王は時々お忍びで来ているらしい。庶民が少し奮発したら来られるような店に王様が来たらまずいだろ……。
店内は満席で非常に賑やかだ。
酔っ払いをあしらいながら給仕をこなす女性達には、エルフがいたり獣人がいたり、もちろん人間もいる。
彼女達が運んでくる、食欲をそそる料理の数々。それらが目の前の丸テーブルに、所狭しと並べられている。
どう考えても注文し過ぎだと思ったけど、実は目の前の料理、既に一度入れ替わっていたりする。どんだけ食べるんだよ、竜神族は……。
店内を満たす喧騒が心地よくて、目の前の料理が美味しくて、果実酒らしき物を知らない間に飲まされていて、そして美女三人(幼女含む)がいて……僕は今非常に楽しんでしまっていた。
この世界に来てこんな陽気な気分になったのは初めてだ、いや、元の世界でもここまで楽しいのは数えるほどしかなかった気がする。
「ジン様ジン様! これすごく美味しいのです、食べて欲しいのです!」
「どれどれ……おお! これは美味い!」
「すいません、これを追加でお願いします」
勢い良く目の前に突き出された肉の塊を、僕はそのまま齧りつく。
見た目はほぼフライドチキンなんだけど、香辛料が特殊なのか今まで食べた事のない味と香りがしていくらでも食べられる。セシリアがエルフの女性を呼び止めて追加オーダーしていた。
こちらの世界の食事は根本的な部分で元の世界と同じで、僕が引いてしまうような料理にはまだ出会った事はない。
芋虫のソテーだったり目玉のゼリーだったりと、想像しただけでもダイエット出来そうなぶっ飛んだ料理は、意外にも存在しないらしい。あくまでセシリアが知る範囲ではという注釈は付くけど。
「ジン様ジン様! これも美味しいのですよ!」
僕はなんだか……物凄くフローゼに懐かれていた。
懐かれているという表現はフローゼからしたら心外かもしれないけど、まるで親戚のお兄ちゃんとして姪っ子に歓待を受けている気分だ。
本人は僕を護る盾として仕えているつもりらしいけど、何だか少しベクトルの違う事になっている気がする。まぁ正直、悪い気はしないんだけど。
クレハは見た目完全に幼女だから除外するとして、セシリアの場合は駄目な弟の面倒を見ている、という感じだと思う。
その点フローゼは、何と言うか……好意を全身で表現していて、そしてちょっと不思議な口調だけど見た目は年頃の女性で……そりゃ普通悪い気はしないだろう。
それに蒼竜の絶滅を回避するため、フローゼと子を成さないといけないという大義名分もあったりするし。
……子を成す事を良い方向に、大義名分と捉えるようになったのは僕にとって驚きだった。
今までは竜神族絶滅回避のため、子を成すという大義名分を押し付けられていると感じていた。重荷や枷でしかなかったんだ。
それが今では、手を出しても誰にも責められないんじゃね? 的な免罪符に思えてきてしまっている。
力のなさ、心の弱さに後悔して、護る存在を持つのが怖かった。そんな仄暗い心に、フローゼを解放出来た自信から光が射してきたんだと思う。
決してフローゼがクレハと違って、そういう対象に考えられる外見をしているからなんて理由じゃない。と僕は自分を信じている。
「どれどれ、妾が食べてやろう」
「クレハに食べて欲しいんじゃないのです! それにそんな所に座ってうらやま……ジン様に迷惑なのです!」
「ジン君、果物もちゃんと食べないと駄目ですよ」
丸テーブルを囲んで僕の右手にフローゼ、左手にセシリアが座っていたのだけど、突然、正面にいたはずのクレハがテーブルの下から現れた。
芋虫のように僕の足をよじ登るクレハ。どうやら膝に座ろうとしているらしいけど、僕は腰を引いて椅子の先にクレハを座らせた。
首から上と両手だけがテーブルの上に出ているという、とても微笑ましい状況にほっこりした。ドラゴンの時は感じないけど、幼女の時は行動も幼い気がする。
「うむ、これはなかなかいけるの。ほれ、婿殿も食べてみよ」
「それ私が勧めたやつなのですよ!」
「分かった分かった、食べるから食べるから」
「ジン君、新しい飲み物置いておきますね」
さっきから結構飲んでいるのに一向に減らないと思ったら、セシリアが追加注文していたのか。
こっちの世界では十五歳になると成人扱いだから、十八歳の僕が酒を飲んでも問題ない。
問題ないどころか成人していて酒を飲めないとなると、馬鹿にされるそうだから困ったものだ。
じゃあ酒が体質的に飲めない人はどうするのかと聞いたところ、「気にしませんよ?」とセシリアに笑顔で言われた。気にしないって……、飲まなくても? それとも体質?
酒ビギナーの僕は一番度数の低い果実酒を飲んでいるのだけど、セシリアが気を利かせるものだから、だいぶ酔いが回ってきている。僕をそんなに酔わせて一体どうする気だ、なんて馬鹿な考えが思い浮かぶ程度には。
セシリアはセシリアで結構な量の酒を飲んでいて、頬を桜色に染めている。
追加注文や料理を取り分けたりと、てきぱきと気を利かせてくれているけど、その瞳は水を湛えた湖面のようにゆらゆらと色っぽく揺れていた。
結構セシリア酔ってないか?
「質問があるのです!」
空腹と乾きを料理と酒で満たした頃、天に龍が昇るような勢いで、フローゼが立ち上がり手を挙げた。
ずびしっ! って感じだった。
「セシリアさんは、ジン様の第一夫人で間違いないでありますか?」
「「「は?」」」
「分かりきっている事を改めて聞くのも変だとは思ったのですが、こういうのはちゃんと確認しておくべきだと思ったのです」
おっとっと、フローゼそれ全然分かりきってないよ。よくぞ確認してくれた。
「フローゼは助けて貰った時から今まで、ずっと観察していたので分かっているのです。フローゼは空気読めるのですよ」
い、いや、自分で空気読める発言は空気読めてない証拠だからな……?
「セシリアさん……いいえ、セシリア先輩はいつもジン様の事を見ていたのです! 気にかけていたのですよ!」
やめて! 何だかすごくいたたまれないからやめて!
恥ずかしさで体をくねらせる僕なんて気にもせず、フローゼは言葉を続ける。
「いつもさり気なくジン様を気遣っている姿を見てもしやとは思っていたのでありますが、この店でジン様に尽くすのを見て確信したのであります!」
確かにセシリアはよく気が付く人だけど……。
移動中も色々と気遣ってくれて、マユに忠告されたような無理をする必要もなく、何も言わなくても甘えっぱなしで……。
あれ? フローゼの言葉を否定出来ない。
「フローゼ、慌てるでない。お主は端的に物事を見すぎじゃ」
テーブルに右ひじを立てて俯き、右手で表情を隠す。人差し指と中指の間には、フライドチキンの骨。
そんな竜が哭きそうなポーズでクレハが嗜める。
「どこをどう見ても婿殿の第一夫人は妾であろう。この体勢を見よ! ぴったりと体を重ね仲睦まじく食事をする。これを第一夫人と言わずしてなんと言う!」
「第一子なのです」
「確かに!」
おでこを「たはー」と叩くクレハ。
お前、背中が煤けてるぜ……。
クレハはやられたとばかりにテーブルに突っ伏す。
何だか小芝居を無理矢理見せられた感は否めないけど、ここは一応否定しておかないと後々ギクシャクしそうだ。
「セシリアはあれだ、クレハに足りない常識や察しの心を補うため旅に同行してくれているんだ。本当にお世話になりっぱなしだよ」
クレハが「ぐふっ」と呻いているがここは無視しよう。
だって真実だしな。はっきり言って、セシリアが同行してなかったら僕達は無事トラキアに辿り着けていたかも怪しい。
セシリアに視線を向けると、はにかむような柔らかい笑顔が飛び込んできてドキッとした。
「ならばジン様はセシリア先輩と、その、恋バナ的な事は一切ないと言うのでありますか?」
何だよ恋バナって……高校生かよ。あ、僕高校生か。
と言うか第一夫人の件はどうしたんだよ。一気に話題のレベルが下がっちゃったよ。
「まぁ……そうだ……ろうな」
一切ないと断言したくないのが男心である。
少し濁して可能性を残しておきたい、それも男心である。
「そうなのですか……どうやらフローゼの勘違いだったみたいなのです」
「ま、まぁ、それだけ僕達は仲が良いって事だろ? 一緒に旅をするんだから仲は良いほどいいだろ?」
我ながら強引に締めに持って行ったと思う。
「そ、そうですよ。だからフローゼ様も私の事を先輩などと呼ばずに、セシリアと呼んで下さい」
「セシリア……。分かったのです! むしろフローゼの事を先輩と呼んでもいいのですよ?」
「調子に乗るんじゃない」
どうもありがとうございました~、と続きそうな僕のツッコミに、フローゼはペロっと舌を出しておどけてみせた。
僕達は笑い合い、その後も食事を楽しんだのだった。
店を出る際、セシリアが全て支払っていたのをフローゼが見つけ「セシリア……先輩なのです」と尊敬の眼差しで見ていた。
そうだよな、お前も自分のお金持ってないもんな。僕もだけど……。
今月は各週末に更新(合計3話)する予定だったのですが、思いのほか早く出来たので更新する事にしました。
今月最低あと2話更新予定です。