第一話 赤面のセシリア
「やっぱりここでもこうなりますよね」
「うむ、トラキアの民は中々分かっておる」
「認めたくないものだな……」
トラキア領に入って四番目の町ソール。
その広場に僕達はいた。
ここソールは、トラキア王都の手前に位置していて、宿場町の装いを呈している。
ここから北に進めば約一日でトラキア王都へ到着するので、急ぐ者以外はここで一泊するのが常識らしい。
夕方この町に到着した僕達は、常識通りここで一泊する事にしたんだけど……。
広場の真ん中に陣取って、満足気に頷く紅竜。
目の前には大量の食料や酒樽、小さな皮袋からは薬草が顔を出していたり、何故か鍋や包丁なんてものまである。
これ全部、町の人からの贈り物。
今まで立ち寄った町や村全てで、僕はこれと同じ光景を見てきた。
トラキアでのクレハの扱いは、まさに英雄。
元々竜神族は敬われる存在なんだけど、前大戦で大活躍したらしいクレハの人気は凄い。
前大戦とは関係ない僕とセシリアも、クレハのお供扱いで丁重にもてなされる始末だ。
「お前がローランドで、無一文なのになぜ十年も暮らせていたのか良く分かったよ」
「妾の竜徳の致すところよのぅ」
人気者には嫌味すら通じなかった。
僕とセシリアは町長のもてなしで、町一番の宿屋へ案内された。
そこは普通の宿屋とは違い、まるで高級旅館のような所で、僕のような服装だと非常に場違いな感じがする。
現在王都で通行規制が敷かれているらしく、南下して来る客足が途絶えてしまい、この宿屋に客は僕達しかいないそうだ。
クレハは竜化を解けないので広場で一泊。
これは今まで通って来た町全てでそうだった。
始めのうちは申し訳ない気持ちで一杯だったけど、クレハにしてみれば竜化した状態が普通なので不満もないらしく、こっちもそれに慣れてしまい、今じゃ全く気にしなくなってしまった。
僕とセシリアはそれぞれ部屋を用意して貰っていて、とりあえず夕食の時間まで自由に過ごす事にした。
自由に過ごすと言っても、正直する事はないけど。
元の世界だったら、携帯を触ったり漫画を読んだりテレビ見たりと色々娯楽はあったけど、こっちの世界にはそういったものは、少なくとも庶民の間には殆どない。
僕は手持ち無沙汰になり、とりあえず風呂に入る事にした。
この町には温泉が湧いているらしく、町の高台にあるこの宿屋の売りは露天風呂。
露天風呂と聞いて混浴を想像するのは僕だけじゃないと思う。
だけど残念ながら、しっかり入り口が男用と女用に別れていた。
脱衣場を抜けると、そこは僕が知る露天風呂のイメージを全く壊さない空間が広がっていた。
岩造りの露天風呂は広々としていて、湯船の中央に大きな岩が鎮座している。
その先にはソールの町を一望出来る景色が広がっていて、魔道具の明かりが美しい夜景を作っていた。
まさかこっちの世界で、こんな夜景を見れるなんてな……。
思いがけない出来事に、テンションがあがってしまう。
体を流した後、丁度良い温度の湯船に浸かり、中央の岩に背中を預けて眼前の景色を望む。
ここって異世界だよな?
何だか嘘みたいに落ち着いてしまう。
ローランドでの出来事以来、僕の周囲は至って平和だ。
モンスターに遭遇もしなければ、盗賊なんかにも会わない。
邪神族なんて、立ち寄った町の話題にすら上らないほどだ。
ここまでの道中、疲れた時はクレハの肩に乗せてもらって楽をしたので、全く苦にならなかった。
「こんな平和でいいのかなぁー……」
「え?!」
突然、直ぐ近くの湯煙から声が上がる。
ぼんやりと、だけど確かに人のシルエットが見える。
というか、今の声は女の人だった。
というか!
「えっと……セシリア?」
「は……い。ジン君……?」
ぎりぎり姿が見える距離まで近づいて来たのは、やっぱりセシリアだった。
「何で? 僕、男用からちゃんと入ったけど」
「私も女用から入りましたけど……」
湯船に浸かったまま、前を申し訳程度にタオルで隠しているセシリアに、僕は駄目だと分かっていても視線を彷徨わせてしまう。
ほんのり桜色に染まった白い肌と、隠しきれない豊かな胸、そして腰の曲線が僕の心臓を強く叩く。
「もしかして脱衣場だけ別々で、中は繋がっているのではないでしょうか?」
あ、そういうパターンね……。
まさか自分が、こんな漫画のようなベタな展開に遭遇するとは思ってもいなかった。
そして混浴に少し期待したけど、実際混浴してみると非常に気まずいという無駄な知識を得てしまった。
「えーと……、どうしよう……」
「どうしましょうか……」
ちゃぷんとお湯が踊る音が、やけに大きく聞こえた。
「「ぷっ……」」
視線を絡め、どうするか考えていた僕は、段々おかしくなってきてしまい、遂に噴出してしまう。
そしてそれはセシリアも同じだったようで。
セシリアは肩が触れるか触れないかのぎりぎりの場所で僕の横に並び、岩に背中を預けて同じ景色を共有する。
「恥ずかしいですけど……混浴みたいですし、変に気にするのもあれなんで、今はこの景色を楽しみましょう。どうせジン君には恥ずかしいところを何度も見られてるのですし……」
最後のほうは自分に言い聞かせるような感じで、セシリアはそんな提案をしてきた。
僕は大きく、息と一緒に緊張を吐き出す。
「……そうだね」
次第に僕の心臓は、ゆっくりと鼓動を刻み始める。
柔らかく体を包むお湯と、目の前に広がる景色、そして気の許せる人、そんな最高の条件に、僕達はしばらく浸っていた。
「せ、背中流しましょうか?」
「い、いや、大丈夫」
「背中、流そうか……?」
「いえ……大丈夫……です」
二人して若干のぼせた。
◆◆◆
夕食は宿屋の食堂、というよりレストランのような場所で提供されると知り、ジンとセシリアは従業員の案内で別館へと通された。
そこは大人の雰囲気漂う、少なくともジンにはまだ数年早いような場所だった。
薄暗い店内を照らすのは、最低限配置された蝋燭の灯りだけであり、テーブル横の大窓から見える夜景が、まるで店内に入り込んだかのようだった。
テーブルには大きめの蝋燭が二本、淡い光を放っており、お互いの顔を薄っすらと照らしていた。
次々に提供される料理に、二人は圧倒されながらも無言で舌鼓を打つ。
デザートを残すのみとなったところで、セシリアが内緒話をするように口に手を当て、前のめりに顔を突き出す。
ジンはそれに釣られたように、何事かと耳を近づけた。
「ここって……高そうですよね」
下世話な話だった。
「確かに高そうだしこんな機会じゃないと、僕は来る事ないと思うけど。セシリアって結構いいお給料貰ってたんだよな? こういった感じの所来た事ない? デートとかで」
「デ! デート?!」
「声が大きいよ」
「……ごめんなさい」
謝りながらセシリアは視線を周囲に向け、誰もこちらを気にしてないかを確認する。
「……デートなんてした事ありませんよ」
後半尻すぼみになりながら、セシリアは恥ずかしさを感じていた。
ローランドに来てからずっと訓練ばかりしていて、騎士団内での恋愛が禁止だった事もあり、セシリアには浮いた話一つなかったのだ。
「そう言うジン君はどうなんですか?」
恥ずかしさから少し語気が強くなる。
「いや……僕もないけど……」
セシリアの表情に気圧されたのか、おどおどとした返事が返って来る。
それを見てセシリアは、少し溜飲が下がった。
「じゃあこれがお互い初デートですね」
「これが初デートなら、セシリアの相手は僕で、僕とデートしてる事になるけど?」
何気なしに口にしたセシリアの言葉に、しばらく考える素振りを見せた後、ジンが言った。
実はセシリアは、そこまで深く考えていなかった。
むしろいつの間にか【デート=レストランで食事】にすり替わっていて、一般的な【デート=好きな人と過ごす】という意味を失念していたのだった。
──どどどうしよう。
一旦落ち着きましょう。
デートというのは好きな人と過ごす事。
私もジン君もデートした事がない。
そこに『じゃあこれがお互い初デートですね』……。
これって少なくとも私は、ジン君の事が好きで、デートだと思っているみたいじゃないいいい!
そこまで考えて赤面した時、デザートが運ばれて来た。
言い訳の間を外されたセシリアは、俯いたまま流れ作業のようにデザートを口に入れていく。
味なんて全く分からなかったし、そもそも何なのかも分からなかった。
食事を終え、二人は部屋へと向かう。
ジンの部屋はセシリアの一つ奥隣。
セシリアが自分の部屋の前で止まりドアノブに手を掛けた時、軽く肩が叩かれた。
「じゃあおやすみセシリア」
「……おやすみなさい」
恥ずかしくてジンの顔を見ないまま。
顔は火が出るかと思うくらいに熱を帯びている。
ジンの部屋の扉が開いて、閉まった。
セシリアも部屋へ入り、後ろ手に扉を閉める。
よろよろとベッドに近づき、身を投げるように飛び込んだ。
「~~~~~~ッ!!」
羞恥から手足をバタバタと動かし、ベッドを泳いだ。
次の日、セシリアはまるで遠泳でもしたかのように、グッタリとしていた。