第二十一話 出来る事
左手の逆手薙ぎ払い。
それを追うように右手で切り裂く。
勢いをそのままに、死に行く者に背を見せ尾鞭が奔る。
なす術のない黒獣達は、クレハの圧倒的な暴威の前に、ただ無駄に命を散らしていた。
密集していたのが致命的。
不幸な事にたった三度、紅い閃光が奔っただけで、百近い数の黒獣が絶命した。
それだけで不幸は終わらない。
暴威を逃れた黒獣に、二つの閃光が容赦なく襲い掛かった。
純白の閃光──セシリアは散見する敵を、白の線で繋ぐように足を止めず、すれ違い様に銀の剣を振るう。
白と黒の閃光──白のエプロンと黒のワンピースを翻し、ポニーナは黒獣達の背から背へと飛び移りながら、二刀の短剣で急所を抉る。
黒獣達は族長の命令だからなのか、逃走する事はなく、無謀とも言える特攻でその身を散らすか、呆然と立ち竦みながら閃光の餌食となるだけだった。
「セシリア! そなた何匹なら連れて行ける?!」
閃光と化しているセシリアへ、頭上からクレハの質問が投げかけられた。
質問の意図をセシリアは瞬時に理解する。
一番足の速いセシリアがジンの元へ向かう場合、黒獣を何体まで引き連れて行っても支障が出ないかという事だ。
もちろんこれには、ジンと族長の間にセシリアが割って入り、ジンを守り抜く事も含まれている。
セシリアは、足を止めず、剣を止めず、黒獣を屠りながら彼我の戦力を瞬時に推し量る。
「五です! それなら十秒は持ちます」
──魔力剣が使えれば……。
自分の力では族長に攻撃が通らないと、セシリアは奥歯を噛み締める。
ジンを護りながら、クレハの到着まで時間を稼ぐとなると、黒獣五体が限界だった。
セシリアの答えに満足したかのように、クレハは再度両手を振るう。
それだけで数体の黒獣が散る。
「ではその時が来たら向かえ、妾もすぐに追う。ポニーナは残って足止めじゃ」
「はい!」
「承知致しました」
純白の閃光が奔りながら頷き、白と黒の閃光は短刀を黒獣から引き抜きながら応える。
既に黒獣の数は百を切ろうとしていた。
しかし刻一刻と数を減らす同胞を見てか、黒獣達の目に狂気が宿り始める。
それはセシリアが致命傷を負わせた黒獣の、静かな断末魔が始まりだった。
「『爆塵花』……」
断末魔と言うにはあまりにも静かな声に耳を奪われ、セシリアは足を止めてしまう。
「なっ!」
息絶えようとしている眼前の黒獣から、異常な魔力の高まりを感じ取ったセシリアは、無理矢理視線を剥がすと後方に全力で駆けた。
数瞬後、背後から爆発音が耳に届き、遅れて衝撃がセシリアの体を押す。
全力で距離を取った事が功を奏し、セシリアに届いた衝撃は僅かで、ダメージと呼べるものはない。
しかし幾ら死の間際だからといえ、最後に自爆するとはセシリアにとって青天の霹靂であり、幾ばくか心に衝撃を受けていた。
急ぎ心を落ち着かせ、周囲に視線を振り撒いたセシリアは、驚きの余り剣を落としそうになる。
少し離れた場所で、先ほどと同じ爆発が連続で起こっていたのだ。
それはクレハがいた場所であり、その巨体が僅かしか見えないほど激しい爆発が巻き起こっている。
クレハの爪撃を受けて辛うじて即死を免れた黒獣達が、一斉に自爆したのではないかとセシリアは予想する。
「クレハ様!」
爆炎で表情が伺えないクレハを案じ、セシリアは悲痛な叫び声を上げる。
いくらクレハでも命を懸けた自爆攻撃の連続に、無事ではいられないのではと焦りを覚えた。
「全く……。面倒じゃのぉ……」
焦げた臭いが立ち込める中、場違いな声がセシリアの焦りを落ち着かせる。
クレハは爆炎が収まった後、何事もなかったかのように佇んでいた。
そしてまた爆発がクレハの足元で起こる。
燃え上がる爆炎の高さは、クレハの眼前まで届いていた。
「この爆風のせいで動きが一瞬遅れるし、爆炎で視界が塞がれるではないか……」
煩わしそうに右手で爆炎を退けながら、器用に左手で黒獣を狩る。
その姿に呆れつつも余計な心配だったと恥じ、セシリアはポニーナの姿を探す。
ポニーナは先程と変らず、黒獣の背を器用に渡り歩いていた。
自爆されていないので、確実に息の根を止めているのだろう。
だがやはりその殲滅速度は落ちている。
余所見をしている場合ではないと、セシリアは気を取り直し駆け出す。
鋭さを増した純白の閃光は一撃で命を刈り取りながら、黒獣の間を稲妻のように駆け巡る。
時にクレハの爪撃を避けた者を背後から両断し、時にポニーナの背後に回った黒獣を横一文字に切り裂いた。
殲滅速度こそ落ちたものの確実に黒獣の数は減っており、残すは三十体程となっていた。
「行きます!」
このタイミングだと思い、セシリアは声をあげると屋敷の裏手へ駆け出した。
それを察知し、背後から六つの気配が追随する。
──一体多い……。
足を走らせながら後ろを振り返り、セシリアは表情を曇らせる。
この一体の差が、致命的な結末を招きかねないからだ。
しかしもう走り出したので止まる訳にはいかないと、セシリアは速度を緩めない。
ここで足を止めて数を減らすのは容易いが、それをしてしまうとジンの元へ辿り着くのに数秒の遅れが生じてしまう。
戦いが始まった時から、ジンの元へと馳せ参じたい気持ちを我慢していたセシリアは、このまま駆け抜ける事を迷わず選んだ。
黒獣を引き連れ建物の角を曲がり、裏庭を視界に入れたセシリアの、その銀の瞳は見た。
木に背を預けふらつきながら立ち上がるジンと、巨体に闇の雷を纏わせ、嫌らしい笑みを浮かべながらゆっくりとジンに近づく黒獣の長を。
セシリアは声を発する事なく、今に至るまで体感した事のない速度で飛び出していた。
背後に感じる五つの気配を置き去りにして。
◆◆◆
ポニーナはそっと左腕を降ろした。
その手にはもう短剣はない。
あるのは右手にのみ。
左手の短剣は、目線の先に転がっている黒獣の後頭部に突き刺さっている。
「さて……」
ポニーナは黒いワンピースと白のエプロンドレスを翻し、自分に殺気を向ける集団を見据える。
その数、十二体。
この場に残る黒獣のほぼ半数が、ポニーナを標的としていた。
「もう数体倒して行って下されば良かったのですが……」
自身の思っていたタイミングより、僅かに早く裏庭へ駆け出した主を思い浮かべる。
「まぁそれも仕方がありませんか」
おもむろに左手を上げ、うなじの麓より背中へと手を差し込む。
戻った左手には右手に持つ短剣と同じ物が、鞘に納まった状態で握られていた。
黒獣達はにじり寄りながら恨めしそうにそれを見つめる。
「女には秘密が多いものです」
左腕を強く振り、左手に持つ短剣の鞘を地面に飛ばす。
ザクッと音を立てて鞘が地面に突き刺さった。
右手と同様に左手に持った短剣を器用に逆手へと持ち替える。
「申し訳ございません、只今主は席を外しております。どうぞお引取り下さい」
ポニーナは優雅に頭を下げる。
「それでは地獄への帰路、お気をつけて」
顔を上げた双眸が黒獣を捉え、冷たい声が告げた。
◆◆◆
僕は────動かない。
そもそも倒す気なんて全くないので、アルドの挑発は無意味なんだよな。
僕の目的というか、役割は至って単純。
数の暴力に負けないようにあえて一対一の状況を作って、後は必死に時間を稼いで生き延びるだけ。
時間さえ稼げれば、黒獣達を倒したクレハ達が助けに戻って来るので、そうなれば僕に負けはなくなる。
一対一と言っておいて、結局後からクレハ達を頼るという少し卑怯な作戦かもしれない。
でも一方的に命を狙われ、数の暴力で奇襲されて、僕の命は風前の灯な訳だ。
こんな状況で公正な勝負なんて、そもそも成立してないんだからしょうがない。
「なんだよ来ねぇのかよ。つまらねぇ奴だなオイ。びびっちまったのか?」
いつまで経っても動かない僕に、どうやら痺れを切らしたみたいだ。
すぐにでも襲い掛かって来ると思って身構えたが、予想に反してアルドはぴたりと動きを止める。
「……ん?」
顔をしかめ視線を彷徨わせ……例えるなら周囲の臭いを嗅いでいるような素振りを見せた。
「くくくくく……ぎゃははははははは!」
なんだなんだ?
突然大笑い。
僕は訳も分からずしばらく呆然と眺めていた。
ひとしきり笑って満足したのか、アルドは哀れむような視線を投げかけて来た。
「お前見捨てられたぞ? くくくく……」
続けて「ぎゃはははは」と不快な笑い声を上げる。
「紅竜達の気配も、俺の一族の気配も近くには感じねぇ。大方逃げた紅竜を追いかけて行ったんだろう。お前見捨てられてんだよ。ざまぁねぇな!」
そんな訳ないだろ。
こいつ本当に馬鹿だ……。
正直僕は、アルドがそれにいつ気付くかハラハラしていた。
気付かれれば、そこからこちらの思惑が看破され兼ねないからだ。
僕が使ったドラゴンフォースを合図(注意を引き付ける意味もあった)にセシリアが魔法を使用し、表で起こっている戦いの光と音と気配が、外部に漏れないよう遮断してもらっている。
光と音と気配をアルドが気付けないようにするためだ。
表で行われている戦いに気付き、黒獣達の数が減っている事を察知したのなら、アルドは躊躇無く僕の息の根を止めにきただろう。
そしていくらドラゴンフォースが凄い固有スキルだったとしても、クレハ達が助けに来るまでの間、僕にアルドを防ぎきる自信はない。
表の気配がない事に、アルドが僕の予想より早く気付いたのには冷や汗を掻いた。
もし予想より早く気付かれ危険になった場合、照明の魔石を空へ投げる手順になっていたんだけど……どうやらそれも必要ないみたいだ。
アルドは盛大に勘違いしてくれている。
考えても分かりそうなんだけどな……。
竜神族の絶滅回避のために、僕は必要不可欠で大事な存在という点が一つ。
もう一つは、クレハは圧倒的に強いので逃げる必要がないという点。
この二点を考えれば、クレハ達が逃げ出す訳ないって簡単に分かるはずだけど……。
それが分かれば、気配が感じられないのは隠しているからで、隠しているという事は知られたくないからでと、答えに一直線なのだ。
「もうどうやってもお前は死ぬ。すっげー哀れだからよ、せめて苦しまずに死なせてやるよ」
アルドはへらへらと笑いながら、おどけた足取りで近づいて来た。
僕は距離を取りつつ、円を描くように逃げ回る。
「おいおい、逃げるなよ」
そんな僕で遊ぶように、アルドは僕をゆっくりと追いかけ始めた。
そんな時間が一分ほど過ぎた時。
「段々イラついてきたぜ」
短気だった。
もうアルドの表情に笑みはない。
一定の距離を取って逃げ回る僕に、鋭い視線を向け始めた。
「面倒くせーから、ちゃっちゃと終わらす──」
その言葉が終わらぬ内に、僕に向かってアルドは猛然と駆け出して来た。
遊んでいたアルドの速度に目が慣れてしまって、僕は本気の速度に面食らってしまう。
回避が遅れた僕は、アルドが繰り出した左腕の横薙ぎを左腕一本で受ける事になって、足を踏ん張ってなかったせいか吹き飛ばされてしまう。
地面を転がりやがて止まった僕は、両手を付いて体を起こしながら自分の体の異変に驚いていた。
痛みと衝撃はあったけど腕は折れていない、痛みも治まりつつあって余裕で動かせる。
自分がアルドの攻撃に耐えられると判明した事で、照明の魔石を投げようとした考えを振り払う。
僕は決して無理をしている訳じゃない。
ただ自分が出来る範囲の事をやっているだけ。
その結果によっては僕が死ぬ事になるのかもしれないけど、それでも出来る事しかやっていないし無理もしてない。
それに結局僕は逃げるだけで、最後にはクレハ達になんとかしてもらおうと思っている。
マユに言われた通り僕は甘えているのだ。
だから僕は自分が出来る事を、自分がやらないといけない事だけは、必ずやり通す。
「なんで死なないんだよお前……」
僕を殺したつもりでいたんだろう、アルドは驚いた顔で僕を見ている。
やがてその驚きの表情も怒りに変り、そしてアルドは低い声で呟いた。
「『黒雷装』」
黒く禍々しい雷が、アルドの体を奔る。
僕は練習場で見た獣人の姿を思い出していた。
あの時の獣人も黒い雷を纏っていた。
これは身体強化の類なんじゃないか。
そう瞬時に判断したからだと思う、急加速で接近し放たれた右腕の一撃を、僕は左後方に跳んで回避する事が出来た。
「また避けやがって、本当にうぜぇ奴だな」
アルドの一撃は、練習場で受けた獣人のとび蹴りの比ではないと、僕は肌で感じていた。
あんなのを受けたら僕はどうなってしまうんだろう。
練習場で受けたのがバイクの衝突だとしたら、アルドのはトラックだ。全く次元が違う。
これはもう無理だと思い、ズボンのポケットにある魔石へと手を伸ばす。
……そこに魔石はなかった。
焦る頭を押さえつけ周囲に目をやると、最悪な事にアルドの後方に落ちている。
きっとさっき転がった時に落としてしまったんだ……。
ここにきて痛恨のミス。
これで僕に残された手は、あと一つになってしまった。
ドラゴンシールド。
相手の攻撃にこちらの攻撃を当てる事により、相手の攻撃を無効化するスキル。
僕はこれに賭けるべきか、それとも力の限り逃げ回るべきか迷っていた。
「のん気に考え事かよ! 余裕だなっ!」
そしてその迷いのせいで、飛び掛ってきたアルドへの対処が遅れてしまう。
まるで練習場の焼き直しのように、僕の交差する腕とアルドの突き出された太い右腕が、激しい衝撃と共にぶつかり拮抗する。
……いや、今回は拮抗じゃない、徐々に圧されている。
胸の痛みはないし、金色の光は健在なのに!
全力で耐えているのだけど、アルドの攻撃は徐々に僕を蝕んでいく。
最後にアルドが力を込めた時、僕は健闘も虚しく吹き飛ばされていた。
振りぬかれた拳と同じ速度で後方に飛ばされ、太い木の幹に体を激しく打ち付けてずるずると根元へ落ちた。
体中に、特に腕と背中に激痛が走る。
腕は折れてはいないようだけど、感覚があまりない。
「しぶといなお前。竜の婿だけあって、ただの人間じゃねぇって事か。でも残念ながら終わりだ」
ゆっくりと、アルドは僕の動きを監視するように足を進める。
その歩みは死への秒読み。
残りカウントは三くらいか。
僕は木に背中を預け立ち上がった。
同時に、最後の手段だと思っていたスキルの欠点に、このタイミングで気付いてしまう。
ドラゴンシールド、これって実力差がある相手と接近戦するのには向いてない……。
一発無効化したところで、次々と攻撃されたらそれで終わりだ。
このスキルは距離をおいて戦う場合や、攻撃を捌ききれる相手じゃないと効果は薄い。
絶体絶命か……まぁ仕方ないか……。
その時だった。
覚悟を決めた僕の横を、純白の閃光が恐ろしい速度で通り抜けた。
「がっ!」
アルドの呻くような声が耳に届く。
そこにはアルドの左目に飛びつき、剣を突き立てたセシリアの姿があった。
「セシリア!」
僕が叫ぶのと、アルドがセシリアの右腕を掴むのは同時だった。
「このくそがぁぁぁぁぁぁぁ!」
底冷えするような咆哮があたりに響く。
右腕を掴まれ剣を手放し、無防備な状態で宙吊りになっているセシリアに対し、アルドがその豪腕を振りかぶった。
「ああああああぁぁぁぁ!!」
僕は声を上げながら飛び出した。
セシリアと、アルドとの間に、遮るように割り込む。
そして、迫り来るアルドの拳を、全力で殴りつけた。
拳と拳がぶつかる。
ゴンッと鈍い音が響く。
だけど、衝撃はない。
不思議な感覚に戸惑う。
例えるならば、ボールをキャッチする時、少し手を引きながらボールの勢いを殺してキャッチした感じに似ている。
完全に勢いを殺しているし、引くどころか向かって行く訳だから、ニュアンス的には違うのだけど。
「なっ!」
僕でさえ戸惑うのだから、やられたほうはその程度では済まないのは当たり前。
アルドは僕でも分かるくらい、大きな隙を見せた。
「一発殴らせてくれるんだったよな?」
アルドと目が合う。
その目は凶悪な獣のではなく、怯える子犬のような目だった。
これで力尽きてもいい。
全力を右手に込め、アルドの腹部目掛け掬い上げるように渾身の一撃を放つ。
肉にめり込む感触が拳から伝わる。
その感触を空に打ち上げるように、拳を振り抜いた。
同時に体の中から力が抜けていって、ドラゴンフォースの輝きも消え去っていた。
立っている力すらなく、僕は力なく座り込んで、高く舞い上がるアルドを見ていた。
僕にこんな力があるなんてな。
でもこれで起き上がってこられたらもう手がない……。
「ほい、キャッチじゃ」
場違いな台詞と共に、巨竜が地響きを上げ着地した。
僕は余りの衝撃に、慌てて地面を押さえる。
どうやらクレハは、屋敷を飛び越えて来たみたいだ。
右手には僕が体験した時と同じように、アルドの命が握られていた。勿論比喩ではなく。
「ぐはっ……。くそが……離しやがれクソトカゲ……」
抜け出す力はなくても悪態を付く事は出来るようで、アルドは口汚くクレハを罵る。
「……なんじゃ、折角ゆっくりと握りつぶしてやろうと思っておるというのに、意外と根性がないの」
さらっと残酷な単語を織り交ぜるクレハに、僕は過去の体験を思い出して苦笑い。
「クレハ様、色々情報が得られそうなので、命だけは残して置いて下さい」
セシリアの口からもそんな発言が飛び出して、僕はもう笑うしかなかった。