第十九話 出発前夜
ギルドからの帰り道、昼時を完全に過ぎ人通りが落ち着いた石畳を歩きながら、僕は特別窓口での出来事を二人に説明していた。
「ドラゴンシールドとは……流石婿殿と言うしかないのぉ。てっきり空想のスキルじゃと思っておった」
「それに固有スキル三つなんて、すごいですよジン君」
腕を組んでうんうんと頷いているクレハと、両手を前で組んで輝く瞳を向けてくるセシリアがそれぞれ口にする。
ドラゴンシールドはクレハですら持っている者を見た事がない、超が付くレアスキルだそうだ。
今僕達の会話が盗み聞きされている心配はない。
セシリアの魔法で僕達の声は、三人以外には聞き取り辛くなっている。
周囲に気を配っているクレハもいるので、万が一にも情報が漏れる心配はない。
「それにしてもドラゴンアイとはどういうスキルなんじゃろうな?」
「クレハでも知らないのか」
「何じゃ、担当官に聞いてこんかったのか?」
「説明出来るのはドラゴンフォースとドラゴンシールドだけって言われたんだよ」
「ドラゴンアイ……想像出来んのぉ」
クレハでも分からないとなると、一体どうやって効果を確かめたらいいんだろう。
「じゃあドラゴンフォースの使い方ってどうやるの?」
「使い方のぉ……。特にない。使おうと思えば使える」
僕の問いかけに、クレハは困ったように眉を下げる。
本当にそんなに簡単なんだろうか……。家に帰って少し試してみるかな。
拳を握り締める。
目に鮮やかな赤が映りこんだ。
そういえば親指の赤い爪は、内出血ではなかった。
爪の下じゃなくて、爪の表面が赤くなっていた。
そして新たに気付いたんだけど、小指の爪が親指の半分とは違い八割くらい黒くなっていた。
何か病気なのかと心配になり二人に聞いてみたけど、二人とも何も知らなかった。
それに病気どころか体の調子はすこぶるいい。
竜力が目覚めたからなのか、間違いなく身体能力が上昇している。
異世界に来て大抵の事を解説してもらえるって、そう小説みたいに都合よくいかないもんだな……
そんな事を考えているうちに、僕立ちはセシリアの家へ戻って来ていた。
今日は何も怖い目に合わなかったけど、やっぱりセシリアの家に帰って来ると落ち着くようで、いつも到着時に玄関から顔を出すポニーナさんを見てホッと息をついた。
◇◇◇
夕食後、僕達は出発の準備をしていた。
いよいよ明日、霊峰フィールズに向けて出発する。
まずはトラキア領内に入ってすぐの、ローランドとの境目近くにある街を目指す。
もちろん一日で辿り着ける距離じゃないので、途中野宿するそうだ。
街に着いたら再度準備を整えて、幾つかの街を経由しながらトラキア王都を目指す。
トラキア王都でクレハの用事を済ませれば、後は霊峰フィールズまで行くだけ。
言葉に出せば簡単そうだけど、実際は二ヶ月くらいかかるんじゃないかという話で、僕は自分の体力がもつのか少し心配になっていた。
不安に苛まれつつ、僕はセシリアに借りたバックパックに自分の荷物を詰めていく。
最初マジックバックを借りる事になっていたんだけど、僕は魔力がないからそもそも使えなかった、もちろんクレハも。
なので僕とクレハはそれぞれ普通のバックパックを使う事にしたんだけど、私物が殆どないので大きく容量を余らせてしまう。
空いた所には食料なんかを入れて、一応荷造りは完成。
背負ってみたけどそんなに重くはないから、旅に支障は出ないと思う。
荷造りの終わった荷物は、階段手前の広いスペースに置いておく。
そこにはクレハとセシリア、それに旅には同行しないポニーナさんもいて、これで全部の荷造りが終わったみたいだ。
「これで一安心ですね。後は明朝出発するだけです」
「セシリアの荷物が一つ多いようじゃが、一体何を持って行くのじゃ?」
「え、いや、色々と不測の事態に備えてですね……」
手を振りながら慌てふためくセシリアを見て、僕は荷物の正体を知ってそうなポニーナさんに目を向ける。
ポニーナさんは僕と目が合うと、そっと視線を反らした。
気になる……。
「ほう。なんじゃ何か隠しておる感じがするのぉ」
おもちゃを見つけたかのように、幼女がセシリアの荷物ににじり寄る。
セシリアは慌ててクレハと荷物の間に体を滑り込ませ、若干涙目でクレハを押し留めていた。
僕も中身は気になったけど、少し可哀相になってセシリアに加勢する事にした。
「まぁまぁクレハ、セシリアにも色々──」
その時だった。
突如、室内に轟音が響き渡った。
それと同時に家全体が大きく震える。
クレハに顔を向けると、真剣な表情をしていて、気配を探っているようだった。
セシリアはすでに自室へ駆け込んでいて、きっと剣を取りに戻ったんだと思う。
「囲まれておる」
クレハが低く呟いた。
セシリアが戻って来たのはそれと同時で、腰には銀の剣。
「──かなりの数がいるように感じますが」
「邪獣族じゃな。どうやら生き残っておる一族で、戦える者全員引き連れて来たようじゃぞ」
「一族全員? それってどれくらいの数になるの?」
「密集しすぎてよく分からんが、二百は越えておるの」
「二百!!」
平然と言うクレハとは違って、僕は血の気が引く。あの黒い獣が二百以上……。
「それ……やっぱり目的は僕?」
「間違いないじゃろう。何故なら妾一人であれば邪獣族の二百や三百捻るのは容易い。妾をどうこうしようと思うならば、他の邪神族の力がないと無理じゃろう」
どんだけだよ竜神族って……。
「失礼を承知で、二つほど申し上げます」
今まで沈黙を守っていたポニーナさんが、静かに一歩前へと進み出た。
その表情はどこか険しく、憂いを帯びていて、今までに見た事のない表情だった。
「まず一つ目でございますが、王都の他の場所でも爆発が起こっております。多分かく乱のためでございましょう。これでは音を聞きつけ、警備隊が駆けつけて来るのは期待出来ません」
淡々と続くポニーナさんの冷静な分析。
彼女の言葉通り、遠くから爆発音が幾つか聞こえて来ている。
「二つ目でございますが、確かにクレハ様であれば敵を殲滅するのも容易いかと思われます。セシリア様もクレハ様が殲滅されるまで耐える事は容易いでしょう。私も、恥ずかしながら逃げに徹すれば不可能ではございません。しかしジン様の場合は……」
数の暴力。
僕を除けば三人とも生き残れるけど、敵は僕を標的にしてくる。それも二百を越える数で。
全員でかかって来られたら、例え皆に護られていても、僕に牙が届く。
「クレハ様、竜化して戦っても無理ですか?」
「竜化した状態で婿殿を守りながらというのは無理じゃの……。竜化は小回りが利かんからの。あやつらは素早いので一撃で殲滅とはいかんじゃろうし。それに……」
セシリアの問いに、クレハは苦い顔を作りながら、何か探るように窓の外へ目を向けた。
「前族長の息子が出て来ておる。今は族長かの? 邪獣族は個人の能力差が小さい種族じゃが、血筋なのかあやつからは他の倍くらいの力を感じる。妾が相手をせねばなるまいの」
重々しい空気が流れていた時、突如屋敷の外から大声が室内に飛び込んで来た。
「紅竜姫とその婿に告げる! 大人しく表に出て来い! そのまま家ごと心中したいのなら話は別だがな」
力強く若い、傲慢さを感じさせる声だった。
「クレハ様、ジン君だけを連れて何とか突破出来ませんか?」
「婿殿を無事に連れ出すとなると、少しきついかもしれんが、可能性はある。じゃがそうなるとセシリア達が……」
「私は平気でございます。どうかジン様をお連れ下さい」
「クレハ様お願いします」
二人は苦々しい顔をするクレハに頭を下げ、すがるように懇願する。
ふざけた台詞を口にしながら。
「そんなのは絶対嫌だ!」
だから僕は頭にきて叫んだ。
「僕を護るために、誰かの命を犠牲にするなんて絶対に嫌だ! 最初から誰かの命を捨てる選択肢なんて僕は選ばない。それなら少しの確率でもいい……全員が生き残るために足掻く!」
多分これは本当の戦いを知らない、僕の甘い考えなんだと思う。
僕は別に勇者になりたい訳でも、英雄になりたい訳でも、善人ぶりたい訳でもない、本心から嫌だっただけだ。
奥底から沸いてくる憤りを、僕は隠す事なく三人にぶつけた。
「だけどジン君!」
「なぁクレハ、邪獣族の二百や三百、一人で容易いって言ったよね?」
セシリアの悲痛な叫びを無視して、僕はクレハに詰め寄る。
「うむ」
「じゃあそこに族長とやらが加わっても平気?」
「問題ない、前族長は他の邪獣族より素早かった、多分今の族長もそうじゃろう。じゃがそれでは妾に牙は通らぬ」
逆を言えば力は他と大差ないって事だよな、良い事を聞いた。
「じゃあ自分達ではクレハに勝てないと、相手も分かっていると思う?」
「相手を分析する能力は高い奴らじゃ。それくらいの事は承知じゃろう。捨て身で婿殿の命を奪い、誰か一人でも逃げられればよいと思っておるのかもしれん」
「じゃあ相手も賭けか」
相手は僕を殺せるけど、自分達が生き残れるかどうかは分からない。
だってここにはクレハがいるのだから。
相手が賭けに出たならば、こちらも賭けに出られるという事だ。
「三人とも、僕の話を聞いて欲しい」
僕の命を懸けた勝負が始まろうとしていた。