第十七話 特別窓口
翌日の昼過ぎ、奇しくも昨日と全く同じ時刻、僕達は再び冒険者ギルドにやって来ていた。
ギルド内は相変わらず賑やかで、整然とした窓口と、雑然とした掲示板やロビーが、僕の目にはとても対照的に映る。
特に掲示板前は、昨日と変らず騒がしい。
胸を触られた女性が、自分の二倍以上ありそうな大男を投げ飛ばしていたり、兎耳と犬耳の獣人が掲示板の依頼書を巡って、醜い女の争いを繰り広げていたり。
依頼書が半分に破れてしまい、女性のギルド職員に怒られていたり。
そんな冒険者ギルドに足を踏み入れ、僕が最初にした事は勿論──。
『心に情熱を灯せ、希望をくべろ、闘志を振り上げ己を叩け、いかなる時も冷静であれば、それが勇気という名の武器になる』
後ろを振り向き目線を扉の上に持っていくと、直接壁を彫って書かれた、あの言葉が鎮座していた。
本当に何でだろう……。
この言葉を思うだけで勇気が沸いて来る気がする。
口に出せば恐怖に負けない気がする。
僕は総毛立つ腕を摩りながら、それでも視線を外せずにいた。
「懐かしいです。十年前に冒険者証を作った時、私あれを大声で読まされたんですよ」
「妾は読まなかったがの」
右にセシリア、左にクレハ、二人とも僕と体が触れる距離で、同じ場所に視線を向けている。
「これ鍛冶職人みたいですよね」
丁度僕も同じ事を考えていた。
もちろん実際の手順とは違うんだけど、鍛冶のイメージとしてはこんな感じ。
火を点けて、燃料もしくは素材を入れて、叩いて、冷やして、剣になる。
心もそうなんだぞ、と言われているみたいだった。
しばらく文字を眺めた後、僕はセシリアとクレハを残して、一人で十三番窓口へと向かった。
十三番窓口はギルドの隅に存在し、窓口前のソファーには誰も座っておらず、少し寂しい雰囲気がする場所だった。
そして窓口にも……誰もいなかった。
窓口には呼び鈴が置いてあり、御用の方は鳴らして下さいと書いてあったので二度鳴らした。
小気味いい音色が輪唱して、建物内へ吸い込まれていく。
余韻がなくなっても誰も来ない。
もう一度鳴らそうか思案し始めた頃、奥から金髪のロングヘアーの職員が足早に現れた。
物腰柔らかな笑みを浮かべたその女性は、間違いなく美人と呼ばれる部類の人だった。
彼女は窓口を挟んで僕の前に立ち、仕切り直しといった感じで姿勢を正し、深く頭を下げた。
「大変お待たせ致しました。失礼ですがご確認させて頂きます。こちらは十三番窓口ですが、お間違えありませんか?」
「はい、間違いないです。本当は昨日来るはずだったのですが、色々あって忘れていまして……すみません。あ、僕はジンと言います」
金髪の女性は「ああ!」と手を合わせ納得したかのように頷く。
僕はそのゆったりとした動作に釣られて、一緒に首を縦に振っていた。
「それでは今から繋げますので、五分ほどソファーでお待ち下さい」
繋げますの意味が僕には分からなかったんだけど、質問する前に女性が奥へ走っていったので、僕はぽつんと取り残され、ソファーで待つ以外の選択肢がなかった。
少し待った後、金髪の女性に連れられて個室へ通された。
そこは窓のない四角い部屋で、中央に長方形のテーブルがあり、その片側に四人掛けのソファーが置いてある。
ランプの魔道具が部屋の四隅とテーブルの上に幾つか置いてあるんだけど、光量が不自然に絞ってあって部屋は薄暗い。
そして一番奇妙なのが──。
「あの魔法陣が光り始めたら繋がりますので、座ってお待ち下さい」
そう言って彼女は部屋から出て行った。
僕は薄暗い部屋に一人ぼっち。
どうやら金髪の美人さんは特別窓口の人ではないみたいだ。
仕方ないのでソファーに座り、テーブルを挟んだ先の床に書かれている魔法陣をボーっと眺める。
なんで魔法陣?
特別窓口の人って、魔法陣から呼ばれて飛び出て来る感じの人?
疑問は尽きないけど、もうすぐしたら繋がるらしいので疑問も解決するはず。
変な所に繋がったどうしよう……やだなにそれ怖い。
……。
…………。
暇だ……。
やる事もなければ、部屋が薄暗いので見るところもない。
手元くらいしかはっきり見えないし……。
ん?
視線を膝に置いた手に落とすと、親指の爪が根元から半分赤く染まっていた。
昨日内出血でもしたのかな?
薄暗いからなんとも言えないけど、赤いマニュキュアを塗っているような見た目だ。
結構鮮やかな赤色だから少し恥ずかしいな……。
家に戻ったら包帯でも巻いておくか。
そんなどうでもいい事を考えていた時、目の前の魔法陣が点滅し始めた。
魔法陣は不思議な文様で描かれている円形で、薄緑色の光をその線から発している。
やがてジジジッと耳障りな音がしたと思ったら、椅子に座った女性が突然魔法陣の上に現れた。
いや、現れたって言うのは違うかも……映し出されたかな。
何故なら女性の姿は、電波状況が悪いかのように時々乱れるからだ。
たまに歪む事を除けば、目の前にまるで本当にいるかのように、鮮明な姿を映し出している。
そんな光景を呆けて眺めていたら、女性と目が合った。
僕と同じ黒目黒髪。
年の頃は僕より上だと思う。
ふんわり丸みのあるショートボブで、大人っぽい色気のある美女。
いや、超が付くほどの美女だった。
白のシャツに黒のベストとパンツというシックな装いで、一見ボーイッシュに見えがちだが、ベストを押し上げる胸の膨らみが逆に女を際立たせている。
「貴方が特別窓口を利用される冒険者かしら? 私はマユ。どうぞよろしく」
トーンの低い抑揚のない声と、能面のような無表情。
「あ、ジンです。宜しくお願いします」
「ではジンさん、最初に伝えておきたい事があるの」
「は、はい」
突然切り出された言葉に、僕は少しうろたえる。
「【冒険者ギルド専任担当官】と大層な名前で呼ばれているけれど、私の事は物知りな観光案内人程度に思っておいて」
「は、はぁ……」
「私達専任担当官は、各地から寄せられた情報と蓄えられた情報、それと担当する冒険者から得た情報を精査して、必要な情報を提供するだけ。利用者を制限しているから、凄いモノだと思われているみたいだけれど、実際はその程度よ」
淡々とマユさんは語る。
「要するに期待しないでねって事」
顔を合わせて一分で、僕はそんな釘を刺されてしまったのだった。