表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/33

第十六話 死の恐怖

 セシリアの家へ帰って来たのは、王都が夕日に包まれた頃だった。

 あの後ギルドの治療室で一旦休んだけど、痛みが再発する事はなく、僕達は帰る事にした。

 夕暮れ時の大通りは忙しなく歩く人達に溢れていて、僕は何度も人にぶつかり頭を下げた。

 どうやら僕は放心しているような、心ここに有らずといった感じで歩いていたそうだ。

 セシリアとクレハに、何度も大丈夫かと聞かれて生返事を返していたらしいけど全く覚えていない。

 

 赤く照らされたセシリアの家を間近に見て、何故だか深い安堵を覚える。

 僕達が玄関に到着した時、それを察知したかのようにポニーナさんが顔を出した。

 お茶を入れると言ったポニーナさんの提案を断り、僕は少し休みたいと伝え、自分に割り当てられている部屋に逃げるように駆け込んだ。

 

 後ろ手に扉を閉めて、その場に立ち尽くし、自分の体に目をやる。

 面白いほどに震えていた。

 家に入る直前から震え始めていて、足を踏み入れホッと息を吐いた後から震えが大きくなっていた。

 悟られないように、出来るだけ体の動きを止めず、大きなリアクションと早足で自室に戻って来たんだけど、果たして効果があったかどうか……。


 汚れた服を着替えて、震える体をベッドに投げ出し天井を見上げる。

 まだ震えは止まらない、むしろ酷くなっている気さえする。

 両手を天井にかざして、右手で左腕を押さえてみるけど、そもそも右手も震えているのだから止められる筈もなく──。


「あははは、なんだこれ」


 自分の意思とは関係なく大げさに震える体を見て、僕は本気で面白くて笑ってしまう。


 体が震える理由、思い当たるのは一つ。

 言うまでもなく、獣人に殺されかけた事だ。

 僕はクレハが助けに入る直前、死を想った。

 初めて迫り来る死の恐怖を感じた。

 でもそれはあの時だけで、今はもう僕の中に恐怖はない……と思う。

 もちろん危なかった、危機一髪だったとは思っているけど……その程度。

 

 死ぬかと思った事なら、今までに何度かある。

 階段から足を踏み外して骨折した時や、自転車を漕いでいて脇道から車が飛び出し、衝突して縦に一回転した事もあった。

 事後に思った事なので、状況が違うかもしれないけど、どちらも死ぬかと思ったのは確か、でも今みたいに震えたりしなかった。

 じゃあこの震えは何だ?

 僕は未だに自分の知らないところで、あの光景に恐怖し続けているのだろうか。

 迫り来る死の恐怖が、僕の心の奥底に、大きな傷跡を残したとでもいうのだろうか。

 震える体を包み込むように毛布を手繰り寄せて、僕は膝をきつく抱いて目を閉じた。


 ◇◇◇

 

僕が目を開けた時、窓から見える景色はもう完全に夜に変わっていた。

 どれくらいの時間が経ったのかは分からないけど、誰も起こしに来ないという事は、未だ夕飯前なんだと思う。

 ふと思い出して体を確認すると、もう震えは止まっていた。

 体の震えが止まった事で、クレハ達の前に出られると、変な方向に安心する。

 震える姿なんて見られたくないし……。

 僕がゆっくり体を起こした時、部屋の扉が静かに鳴った。


「どうぞ」


 扉を開けて入ってきたのは、クレハでもセシリアでもなくメイドのポニーナさんだった。


「体調の方はいかがでしょうか?」

「もう大丈夫です、心配かけてすみません」


 体調とはどの事を言っているんだろう?

 ギルドでの出来事を心配してなのか、僕が帰宅した時に震えに気付いていたのか。


「いえ、それならば何よりでございます、そろそろご夕食のお時間になります」


 退出しようと背を向けたポニーナさんは、扉の前で少し足を止め、こちらに向き直った。


「ジン様、差し出がましい事かとは思いますが、一言申し上げて宜しいでしょうか?」


 僕は何のことか分からず、ただ頷くだけ。


「事の経緯はお聞きしました。帰宅なさった時のご様子も恐れながら拝見しておりました」


 やっぱり見られていたのか……。


「ジン様のいらした世界は平和な世界だとお聞きしております。きっと今回のように死を感じる事などなかったのでございましょう。しかしこちらの世界では、死というのは身近なものでございます」


 誰にも言われなかったけど、薄々は気付いていた。

 剣と魔法、魔物や敵対する種族、そんな物が入り乱れている世界が、元の世界のように平和であるはずがない。


「それと……殺意に当てられた事も、なかったのではございませんか?」


──殺意。

 そうだ、僕はあの時、明確な殺意を感じたんだ。

 表情や動作、そんな分かりやすい物じゃなくて、ただ僕を殺そうとしている想い。

 きっとそれが僕に残った爪跡の正体。

 答えを出した途端、正解とばかりに僕の体はぶるりと震えた。


「今は故あってメイドをやっておりますが、以前私は冒険者をしておりました」


 何となく雰囲気が只者ではない気がしていたけど、元冒険者だったとは……。


「恐怖や殺意を感じた事も多々ございました。始めて感じた時など泣いて逃げ帰ったのを覚えております。皆そうやって強くなっていくのです。死を感じた事がない者などおりません」

「ポニーナさんは……死の恐怖を克服出来ましたか?」

「ジン様は冒険者ギルドの入り口、いえ、室内の方なので出口と言った方がよいのでしょうか、扉の上に書かれている文字をお読みになりましたか?」

「いえ、見ていません」


 入った時は真後ろなので気付かなかったし、出る時も気付かなかった、と言うか僕の記憶は治療室を出てから家の前に戻って来るまであやふやだし。

 ポニーナさんは目を伏せ「そうですか」と続けた。


「『心に情熱を灯せ、希望をくべろ、闘志を振り上げ己を叩け、いかなる時も冷静であれば、それが勇気という名の武器になる』昔の冒険者ギルドでは、よく新人が声に出して読み上げさせられていました」


 その言葉は、何故か懐かしく心に染み渡るように入っていく。

 口にするだけで何か力が湧いてくるような、そんな言葉だった。


「私が恐怖に怯えて心が折れそうになった時、何度もこの言葉に助けられ、自分を奮い立たせて生きて参りました。ジン様のお役に立つかは分かりませんが、覚えておいて頂ければと」

「ありがとうございます、ポニーナさん」


 ……今度冒険者ギルドへその文字を見に行こう。


「いえ、差し出がましい事を申しました」


 無表情で軽く頭を下げたポニーナさんの声は、何故かとても優しく感じた。

 僕はその後、教えて貰った言葉をポニーナさんが再度呼びに来るまで、時間を忘れ何度も何度も繰り返していた。


◇◇◇


 ポニーナさんの食器を片付ける音が聞こえる中、食事を終えた僕達は、神妙な面持ちで顔を突き合わせていた。

 僕の前には、テーブルを挟んでクレハとセシリアがいる。


「あれが邪神族……」


 昼間僕を冒険者ギルドで襲って来た者の正体、それをクレハは邪神族と断言した。


「そうじゃ、邪獣族と呼ばれ、偵察や情報収集を主に行う者達じゃ。邪神族の中では一番弱い種族じゃな」

「あれで一番弱いのか……」


 僕は唖然とするしかなかった。

 死にそうな目に合わされ、ぎりぎりで命を拾ったというのに、相手は邪神族の中で一番弱いとは……。


「でもなぜ邪神族がジン君を?」

「あー、うん、そ……そうじゃの……」


 セシリアの問いかけに、不自然なほど動揺するクレハ。

 目は宙を泳ぎまくり、右手の人差し指はしきりに膝頭を鳴らす。

 左手は頭や頬を掻きながら行ったり来たり、額には大粒の汗が浮いていた。


「心当たり……あるんだよね?」

 

 何だか哀れに思えてきた僕は、出来るだけ優しく語り掛ける。

 あ、固まった。

 何で分かったと言わんばかりに、目を見開いている。

 逆に何で隠せていると思ったんだ。


「妾がローランドを棲家にしている事は周知の事実。邪神族の生き残りに監視されていても不思議ではない……。ただ、人の中に溶け込めるほど、監視能力を持つ者は邪獣族しかおらん。奴らは弱いので……その……」

「油断していたと?」

「うむ……。きっと婿殿と出合った時も監視されており、会話も聞かれていたのじゃろう……」


 僕達の会話の中に、邪神族にとって看過出来ない言葉が含まれていたのかもしれない。

 僕は目を瞑り、あの時の会話を頭に思い浮かべる。

 最初に思い出したのは、一番衝撃だったあの言葉。

 

『さて婿殿。それでは妾と子を成そう』

 

「一番聞かれたらまずい事言ってるじゃん!」


 いつもの分かり辛い例えに使う力を一切発揮せず、短い台詞の中、見事に全てのNGワードが集約されていた。

 クレハの隣でセシリアは苦笑いを浮かべている。


「うう、すまぬ……。此度の襲撃が全部妾のせいじゃったとは……。これは妾の失態、ひいては紅竜の失態、そして竜神族の失態じゃ……」

「いや、責任の所在を広げるなよ。お前の失態じゃん」

「えぅ……」


 奇妙な呻き声を上げて、目の前の幼女は俯いた。

 セシリアが「まぁまぁ」と割って入る。

 僕はクレハに対して、段々と遠慮がなくなってきている気がする。


「それじゃ僕は、これからずっと邪神族に狙われ続けるのか?」

「いや、それがそうとも言えぬ。邪神族は【完全手柄主義】じゃ。邪神族の中でも低く位置付けされている邪獣族にとって絶好の手柄を立てるチャンスじゃ。他に漏らしてない可能性が高い」


 これは希望的観測ではないぞと、クレハは付け加えた。


「ただそれが正しければ、もっと大きな問題が出てくるなぁ」

「もっと大きな問題じゃと?」

「うん。手柄を立てて自分達の地位を確立しようとしているって事だよね? 逆に言えば、地位を確立するための組織が存在しているって事じゃないか?」

「なるほど、そういう考え方も出来る訳じゃな」


 僕の推測が正しければ、邪神族はまだまだ力を残して存在している事になる。


「妾とセシリアが側にいれば、襲って来る事はないじゃろう。襲って来ても返り討ちじゃからの」


 平らな胸を張り鼻を鳴らすクレハを見ながら、僕は今のように恐怖や殺意に怯えていては、これから生きていけそうにもないと、どこか追い詰められた気持ちになっていた。

 藁にもすがる思いで、明日にでも冒険者ギルドに行って、ポニーナさんに教えて貰ったあの言葉を見てこよう。

 何故だかあの言葉を口にすると、勇気が湧いて来る気がするし。


「そう言えば婿殿。特別窓口はどうなったのじゃ?」


 丁度冒険者ギルドに行く事になった訳だし……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ