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幽霊船、異世界を航海する  作者: 七色春日
二章 殉教者のシーサーペント
15/17

正当なる略奪

 朝の食事をトップマスト班の食座がある砲列甲板で摂ろうと考えていたトーヤは食堂でコックから配給食を受け取ると、前に並んでいた艇長(コクスン)を務めるコリーの持っているトレイが人参の二かけらしかないことに気づいてびっくりして足を止めた。


 本人はさめざめと泣いているし、肩はだらりと力なく下がり、一種の諦観が表情には混じっていていかにも悲壮だ。


 コリーは獣人族に該当する希少な虎耳娘であり、しなやかな身体に黄色かかった長髪が腰元まで伸びている。


 どういうわけか毛先が黒く染まっているおり、尻尾もまた黄と黒の虎柄だ。


 水夫服は男物だが上着は袖なしでラッパズボンは短く切られて妙に女の子らしくなっている。


 野性的な風貌ではあるが垂れ目であるし、丸顔は稚気を織り交ぜていて、漂わせている気弱な雰囲気は子虎のように弱々しい。


「減量ですか?」

「寝坊したっす」


 懲罰の一種だとトーヤは察した。血がまき散らされる九尾の猫ムチ(キャットナインテール)を使った鞭打ち刑は実行されたのはトーヤも見たことはないが、年頃の身で食事抜きは堪える。


 とはいえ一日の仕事をこなせずにいては元も子もないので、通常の酢の入りの飲料水ではなく、コリーのグラスは砂糖水になっていた。


 枯れ木のような色をした長机に座ったコリーはトレイにぽつんと転がった人参を凝視した。フォークを掴んだまま微動だにしなかった。ジッと親の仇を見るかのように睨んでいる。


 トーヤは気の毒になってコリーの横に腰かけた。


 なんとか先輩である彼女のプライドを傷つけないようにさりげなく朝飯を分けてやれないものかと一考し、あちこちに視線を飛ばして、誰もこっちを見ている者がいないことを確認した後にささやいた。


「俺、朝から調子悪くて……あんま腹減ってないんです。この塩漬け豚でよかったら食べてくれませんか?」


 一瞬だけパッと表情は明るくなったが――ふいっと顔がそむけられた。


「だめっす。自分はその……それぐらいの肉で交尾させるほど甘くないっす。もう二キロはいるっす」

「なんで俺、いきなり身体を要求したことになってるんだ?」

「マジかよ、トーヤ最低だな」

「リリードさん。突然現れてうそを真実にしようとしないでください」


 リリードが「よっ」と声を発してトーヤの右隣に着席すると反対側のコリーの顔は青白くなった。ぷるぷると全身を揺らして縮こまる。叱られる子供のように両手で頭を隠した。


「ごめんなさい掌帆長、あちきはこの男には興味ありません。媚を売ってません。だから殺さないでください」

「リリードさん。過去にコリーさんに何をやったんですか。完全に時化(海が荒れてる状態)ってますよ」

「なんか敗北が知りたいにゃ、とか言われたから思いっきりボコにした後にロープでぐるぐる巻きにしてシーアンカーごっこした」

「あれは悪夢だったっす」


 海錨(シーアンカー)は荒天のときに用いる(たこ)のようのなものであり、海中に沈めて船を安定させるものだ。


 つまり、リリードはコリーを海中に投げ込んだということになる。その時の恐怖は精神的外傷になってしまっているようで、コリーはガタガタと両手で自分を抱いて震えを抑えようとしていた。


 リリードはサイドテーブルに鎮座していた土鍋を両手で持って傾け、配給酒を大皿にざばざばと流し込んだ。彼女は役職から生のラム酒を飲む権利があったが、色が薄いので水割りだ。三分の一がラム酒であり、残りの三分の二が真水となっている。


 駆けつけの一杯とばかりにずるずると飲みながら肩をすくめる。


「でもよ、あんまり楽しくなかったぜ」

「すいません。次はもっと楽しませれるように頑張ります」

「コリーさん。恐怖で前向きになる方向を間違ってますよ。っていうか、リリードさん。いじめはだめですよ」

「いいだろ。その内、あたしはお前にケツ叩かれたれたりしていじめられることになるんだから」

「うにゃっ! こいつ、そんなひでえ趣味あるんですか?」

「すいません。今から道徳の授業をしようと思います。まず、男女は手を繋いで愛の階段を登っていくものです。いきなり終着点に跳躍しようとしないでください。俺には心の準備が必要だし、将来の道筋というのは誰だって考える時間がいるものです」

「おいおい、こいつ完全に風下にいるぜ。ごたくを並べて逃げきるつもりだ」

「あちきがクラブ・ホールさせましょうか?」


 クラブ・ホールは障害物を目前にし、風下で立ち往生した帆船が最終手段として行う奥の手である。


「待てコリー。あたしはこいつの(ラダー)すら確認したことがねえ。点検なしではそんな一か八かの無謀な挑戦はできねえ」

「わかりやした。おい、新入り。脱げ。舵柄(ティラー)まできっちりとさらすっす。あ、船柄ってのはタマのことだからな」

「止めて。そんな補足いらないから。って俺、なんでそんな命令されてるの!?」

「なぁコリー。タマってなんだ?」

「えっ」

「えっ」


 コリーとトーヤはサッと目顔を交わしてこの話題をスルーすることにした。静かにフォークが運ばれていく。


 リリードは急に黙り込んだ二人を交互に見た後、自分の疑念がなんらかの作用を生んだと気づき、ぶつぶつとなにごとか文句を言いながら硬い肉を噛み締めた。それなりに空気を読んだようだった。


「そういやトーヤ。戦闘配置はどこがいい?」

「え? 戦闘ですか……リリードさんはどこなんですか?」

船首旋回砲(スウィベル・ガン)だ」


 重量五十キロ程度の迫撃砲だ。少人数で操作する短い砲身の代物であり、気軽に撃てる豆鉄砲ではあるが、砲手の腕前次第では強力な武器になりえる。


 海戦の場合は並ぶ舷側砲がもっとも重要な因子ではあるが、いかにリリードが器用でも適切な用法を無視して大砲を連打することができないし、五人分の仕事をすることは不可能だ。個人の能力を発揮する場所としては理に適っている。


「俺も大砲がいいですね」

「じゃあ教えてやる。うん。ゆくゆくはコンビで行けるようにしないとな」

「ええ、そうですね」

「掌帆長、船首旋回砲(スウィベル・ガン)はあちきの配置なのですが……ていうか掌帆長が戦闘で操帆を指示しないのはちょっと……っていうか、大砲だるいって昔言ってませんでしたっけ?」

「コリー。お前って自殺願望でもあるのか?」

「はい。あちきの配置はたった今ドルフィンストライカーに変更になりました。すいません、勘違いしてたっす」


 ドルフィンストライカーは船の突き出た先端部である第一斜檣楼(バウスプリット)の中央部の真下にある支柱で、海面に向かって垂れている棒だ。


 バウスプリットが自重や波浪で反り返ったり、落下したりするのを防ぐの補強の役割を果たしているが、そんな場所に配置されたら棒に無様にぶら下がっている形になる。まったく無意味な配置だと言える。


 トーヤは流石に気の毒になってきたので口を手の平で覆い、左側に座るコリーに身を乗り出して小声でささやいた。


「コリーさん。そんな弱気なのはダメですよ。俺からそれとなく意地悪しないように伝えましょうか?」

「いいっす……お前は可愛がられてるから羨ましいっす。あちきなんてちょっと人の衣服を盗んだだけで尻の皮めくれるまで叩かれたっす」

「それは自業自得です」


 別件については弁護のしようがない。


「違うっす。発情期になるとメスの本能があちきに着飾れと訴えてくるんす。いわば種族的な事情も考慮して欲しいっす」

「この船には女しかいねえから着飾っても意味ねーだろうが。エティールの刺繍下着とか船匠長(カーペンター)の絹のドレスまでパクリがやって、なんでキレるとやばい奴の持ち物に手を出そうとするんだよ」

「強敵の所持品ほど欲しくなるっす。本当に本能なんでしょうがないっす」

「あたしのはなんで盗らなかったんだ」

「怪物と強敵は全然違うものっす。それに掌帆長のはちょっと硬革製品が多いんであちきの売りである可愛い路線とは合ってなかったっす」

「あたしも可愛い路線だよ。ふざけんなよ。この腐れ『ピーッ!』が」

「すいません。あちきの『ピーッ!』はマジで『ピーッ!』なんで。いつでも『ピーッ!』だし、常に準備が『ピーッ!』ってるんで誤解っす」

「本当かよ。お前、前に『ピーッ!』でしてえって言ってただろ」

「性をこじらせてただけっす。自分で『ピーッ!』してみて、もろ刃の剣だと気付いたっす」


 飯の時間なんですけど――トーヤは展開される下品な猥談にうんざりした。年頃の乙女の口ぶりとは思えないし、時折だがすさまじい差別用語も飛び出してくるので心臓に悪い。


「もっとましな話しましょうよ……飯、食ってるし」

「んー……じゃあ、話を変えるけどさ、右舷側三点で海賊船を発見した」

「ふぁっ!」

「……海賊ってマジでいるんですか?」


 フォークに刺したままの塊肉を上下に振り、リリードは顔をしかめて「あーん」と口に入れた。日常の何気ない一コマを告げるような口調だったが、コリーは舷窓に釘付けになった。しかし、彼女が見てるのは左舷だった。


「とはいっても、あたしたちに害のねえ海賊で現在お仕事中だ。識別信号旗だけ見るとだがな。興味あるなら甲板行って来い」

「あ、ああ、あちきは遠慮しとくっす」

「俺は行ってきます」

「トーヤ。海賊イコールお前の獲物じゃねえからな。能力使って戦いに飛び込むなよ」


 腰を浮かせたところでの忠告。戦いの気配を嗅ぎつけたと考えたリリードは物憂いげだった。


 トーヤは静止し、更に微笑を深くした。


「ええ、わかってますよ。俺は海賊の漫画大好きでしたから。ところでドクロマークってマジで掲げてるんですかね? あ、エティールさんに頼んでスマホ充電してもらおう。リリードさん。すいません、俺と一緒に写メ取って欲しいんですが手伝ってもらえますか? ところで雷系の魔術って電圧や電流値の調整できますかね?」




 ◇◆◇



 海賊には種類がある。国に属する海賊と無国籍の海賊だ。


 どちらも被害者にとってみれば卑劣な略奪者に違いないが、時代が変われば略奪も是となる。


 国々は領土を奪い合っているのだから、人々が物資を奪い合っても何もおかしくはない。


 戦時下で敵国の船や積み荷を奪うことを許されたのが私掠行為であり、ならず者や血気盛んな者の活用法の一つである。


 とりわけ、私掠船が海賊船と同義であるが――真っ当な商船乗りはそんな血生臭い船には乗らないし、正当な軍艦乗りはそんな中途半端な船になど乗らない。


 無国籍の海賊はどの国にとっても敵であるが諸島群の湾岸沿いに潜んで生活を営むことが多く、船も沿岸に適した小型の形のものになり、自らの王国からは出ない。


 ヘルビアが望遠鏡で覗いているのはオルト公国の銀円旗を掲げたスクーナーだった。二本マストの縦帆でいかにも速そうな線の細い形をしている。同盟国のものであるので、奇妙な話であるが無害な海賊だ。


 襲っているのは国籍は不明だどこかの郵便船だ。船尾がふくれていてへりに丸みがある。


 舷側板(プルワーク)も木鉄製でいかにも硬く遠洋航海に最適なキャラック船だが――競り負けたようであらゆるところの索具が断裂して垂れ下がり、メイン・マストがへし折れている。発見とほぼ同時に戦闘はもう終わっている。接舷攻撃をしたのか二つの船は近い位置取りだ。


「うーむ……」


 ヘルビアはカカトを鳴らして足踏みした。さほどでもないが違和感がある。


 オルト公国の船が公海で敵船を拿捕しているのはなんの問題もない。針路上に入っているが、波間に落ちただろう漂流物で船が破損する恐れがあるので迂回してもいいのだが。


「リリードさん。そのボタンです。ええ、そこ、そこに触れるだけでいいんです」

「これか? うぉ、音が鳴ったぞ。なんだこりゃ」

「それでいいんですはい。じゃあ俺は今から麦わら帽子被るんで、ピースしたらあの海賊旗を背景にボタンを押してください」

「いいけどよ。トーヤなんかすげえ笑顔だな。そんなに嬉しいか? じゃ押すぞ。ん、音が鳴ったな……これでいいのか?」

「ありがとうございます。ほら、こんな感じで撮れるんですよ」

「すげえ! マジですげえぞこれ! もっと撮ってみようぜ!」

「あっ、せっかくなんで一緒に撮りましょう」

「ああっ! って、な、なんだ……肩に組まなきゃいけないのか? おいおい、照れくさいぞなんか、あ、あたしあんまりこういうのは慣れてねえ」

「ああ、俺の青春がここにあるって気がする。中身が粗暴でも可愛い金髪娘と写真が撮れるなんて嬉しい」

「なんか納得できねえ単語があったが、今からほっぺたにチューしてみるから記録に残せよ。船で自慢したい」


 腹立たしい。


 舷側で身を寄せ合って遊んでいる二人を見てヘルビアは純粋な怒りを覚えた。別に二人は当直時間ではないのである程度、何をしていても構わないはずだ。


 それなのに強い破壊的な感情が胸に渦巻いている。


 若い男女が気安く触れ合って楽しい時間を過ごしているのは本来ならば微笑ましいはずだが、どうしてか歯ぎしりするほど許容しがたい。


 見苦しい嫉妬が渦巻いているのだろうか。


 いや、そんな馬鹿なことはありえない。決して口に出したり、伝えたりすることはないだろうがリリードは親友であるし、トーヤはまあ少し思慮が足りないところを除けば乗組員としては優をつけてもいい。


 であるならば、今までの人生の不遇が関係しているのか。そういえば最近、幸福を感じていない。


 最後に幸せだと思ったのは大陸共生銀行の貯金額が一年ほどバカンスをしても平気なくらいになったことか。


 共和国連盟の国債や新興国の造船業への投資信託は順調に推移しているし、これも大変満足のいくものだった。金銭の充実は生活の充実でもある。


 若い身空で金にばかり執着してしまっているが、養わなければならない部下たちもいる。定期的に給金を支払らなければならないし、仕事のない日が続いても餓えさせないようにせねばならない。


 つまり、これだけ神経を張って自分は頑張っているのに、目の前で部下がお気楽に遊んでいるのをしゃくに障るのだ。だから自分はいらだっている。


 ヘルビアは結論を出すと口を開いた。


「リリード」

「イエス・サー」


 トーヤの首に両手を回して絡んでいたリリードは呼びかけに素早く反応し、名残惜しさなど一切感じさせない足取りでヘルビアの元に駆けつけた。


 唖然としたトーヤは焼き魚が目の前で消失したドラ猫みたいな顔をしていた。その間抜けな表情が面白く、ヘルビアは失笑した。


 胸に爽やかな風すら感じてしまう。すっきりとした気分になりながら誰にもわからないように小さく、満足げにうなずいた。


「あの船をどう見る?」

「片方は『闇夜に踊る剣旗』をかけていますね。自分たちが正当な私掠行為をしていると証明しているつもりでしょう。船首角帆(バウスプリットセイル)台形帆(ドライバー)の形見るに商船ではなく、艦寄りですので……近頃流行の半民半軍の戦闘船でしょうか。確かに順風や横風ならばあの船は素晴らしく速いでしょうが、間切り(タック)するには難しい判断が必要です。あの三角帆では逆風なら速度は出ません。たとえるなら、ドラゴンの顎を持ったヘビです」

「もう片方は定期船(ライナー)と思われるが」

「黄色の船殻や舷門の形、反りを見る限り東方の国で流行している船かと。防御力重視の砲門付きの亀のくせに斬りこみ防止網(ガーディアンネット)を張り忘れているので戦闘に不慣れな商船でしょう。アドレア国に郵便船に似ていますが、西風の神の船首像(フィギュアヘッド)はどの国でも見かけるものですので可能性は五分です。あたしから船長へ疑念を呈するとすれば、両国は古くからの同盟国です」

「私も同じ見解だ。そうなるとあの私掠行為は適法ではないわけだ」

「我々は味方同士の殺し合いに出くわしたということになります」


 さて、どうするか。


 どちらか一方に味方をすることもできるし、このままやり過ごすこともできる。無難なのはやはり見て見ぬふりをすることだ。


 こちらは軍艦でもないので救助義務は発生していないし、無用な正義感をふりかざして複雑に絡まっている問題に首を突っ込むこともない。


「そういえば、海賊にやられた方ってどうなるんですか?」

「そんなの昔から決まってんだろ。男は全員ぶち殺されるか、海賊に加わるかだ。女も死ぬか海賊と結婚するか足の腱ぶった切られて娼館に直行コースだ。積荷は根こそぎ奪い取られて船も売り飛ばされる」

「えっ、マジっすか」

「トキミズ、軍艦乗りは戦時協定に縛られるが、海賊にそこまで規律を遵守している者は少ない」


 二人の言葉に嘘偽りはないようだった。残酷な運命に直面した郵便船をトーヤは目を向けた。


 やがて悲しみを表情に浮かべ、目を伏せてぎゅっと閉じた。目を開けた後も甲板の木の割れ目を見下ろしていた。


 影のあった表情は移り変わり、何かを決意したように唇を引き締める。


「船長、ちょっと俺に短艇(ギグ)を貸してもらえませんか?」



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