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幽霊船、異世界を航海する  作者: 七色春日
二章 殉教者のシーサーペント
14/17

妖精船と死んだ男の話

 火海の西方をぷかぷか浮いた妖精船が航行していた。


 一見すると潮流に押し流されている縦幅五メートルばかりの流木に過ぎないが、この種は海中に根を張り巡らせて海を漂うことに成功したただ一つの希少な植物種でもある。


 陽光を受ける上縁と海水に沈む下縁と分かれているが、一週間周期で上下は反転する。単純に乾かすためためであり、腐食の原因となる固着した貝類をブラシでこそぎ取るためである。


 反転前に伸びた枝葉は伐採され、つなぎ直されて添え木となる。


 その仕事を担当するのがリュース・フェアリーという名の妖精種である。体長は十センチほどの小さな個体だ。


 彼らは大木の(うろ)の内部でコロニーをつくっている。樹木(リュース)とは共生関係であり、一説によれば彼らが船旅に出るようになってから適応進化したともされている。


 通常ならば流木は例外なく海の底に沈む。浮力として木の内部にある気泡が海水に浸食されていくからだ。


 歴史上、樹木(リュース)の発見例は少なく乗組員は数十人規模から百人ほどされているが、船乗りも滅多に見かけることもなく、見つけても妖精種として人気はなく――外見がヒゲ面のオヤジそのものなので――高値で売り飛ばすこともできない無価値な存在だ。


 流木船はリュース・フェアリーとって我が家であり、仕事場であり、家庭である。


 今日も今日とて気ままにブラシで樹肌を磨いたり、ハサミで余計な枝を剪定したり、暇つぶしでオールで船の方向を変えたりして遊ぶ。


「おいスコル。あんま枝を落とすんじゃねえぞ。土地を売るようなもんだからな」

「大丈夫さハティ。さっき、一人落としたからスペースは広くなってる」

「なら安心だな。ところでデブッチョのボッスのやつが見当たらないんだがどこに行ったか知ってるか?」

「俺も探してるんだけどわかんねえ」


 真っ赤な頭巾を被った二人は腕組みし、首をひねって仲間の姿を探したが見当たらず、結局は探すのは止めた。性格的に飽きっぽかったし、深く考えるということが苦手だった。


「えんやこーらーさー、よーほーよーほー」

「よーほーよーほー……リンゴが食いたいリンゴが食いたいー」

「おいスコル。そろそろゲロ油を塗ろうぜ」

「ちょっと待てハティ! 今気づいたんだけどボッスがいねえ!」

「あれ、ほんとじゃねえか。どこ行ったんだろうなあいつ」

「わかんねえ! まあいいや。ゲロ油塗るか」

「よーほーよーほー」

「よーほーよーほー」


 小壺を傾けて紫色のどろっとした粘着性の油を樹肌にだらだら流す。


 先端から後端まで隅々とモップで塗りつけていく。彼らがいかに短絡的な思考を持っていても、枝葉には決して塗るような真似はしない。


 船が枯れれば沈没するからだ。


 特殊な妖精油が木目の細部まで染み渡った、内部の気泡に対して飽和の働きをするせいで樹木(リュース)の浮力を維持することができている。


「あれ? ボッスがいなくね?」

「俺らの船にそんな奴いたっけ? どんな奴だった? タマのサイズはどうだった?」

「なんか身体もタマもガリだったと思うけどわかんねえ。わりぃ、俺の勘違いかも」

「よーほーよーほー……なんか暑くね?」

「ん? 太陽があちぃのは仕方ないだろ。あいついつも無意味にキレてるんだよ。近寄りたくねえ奴だ」

「そうじゃなくてよ。海水が熱いんだ。飛沫が顔にかかったとき、おかしいと思ったんだ」

「あん? どら……マジだっ! すげえぜハティ! 大発見だ! 海もキレてきたんだ!」

「マジかよ。なんかむかつくもんでもぶち込まれたのかな?」

「なんかやばくね。ぼこぼこ海面が沸騰してるんだけど。おいおいおい、足が熱くなってきたぞ」

「船長! おいじじいっ! この辺の海火山とかあったけ! じじいっ!? どこいった!?」

「じじいは前に釣りエサにしちまったよ! フグが釣れて楽しかったじゃねえか!」

「思い出したぞ。あのときは最高に楽しかったな! いや、そんな場合じゃねえ。とにかく逃げるぞっ! さぁごろつきども、顔を出せ! 一斉によーほー!」

「よーほーっ!」

「よーほーっ!」


 洞から一斉に数十名の髭面たちが現れて、一生懸命オールを漕いだ。


 少しでも遠ざかろうと必死になり、その努力のかいもあって、流木はついにその海域から脱出した。


 彼らが去った場所の海底には積み重なるように木材が重なっていて、砲弾でできた穴だらけの船が仰向けに転がっていた。


 そしてその傍らには巨鱗をまとった紫色の大蛇がひょろっと伸びた顎髭をぴくりと跳ねさせ、片目を開けて侵入者が立ち去ったのを気配で感じ取り、再び眠りについた。




 ◇◆◇




 号笛が鳴るとトーヤはメイン・横静索に飛びついた。


 昨晩、船に戻ってからろくに眠っていなかったせいか段索の一つを踏み外した。一瞬背筋がひんやり冷たくなったが、それがいい気つけ薬になった。


 自分に対して罵りの言葉をぶつけてから手足を交互に走らせる。<レイス・ザ・フォール号>は西から吹いてきた気まぐれな陸軟風に乗るつもりでいる。離岸流までこぎつければ速力は増すだろう。


 元々はトーヤはフェアマストの班に形式的とはいえ組み入れられていたが、配置換えが行われた。おおまかな配置表を決めるのは副長であるエティールで、理由が欠員の補充だった。


 船の中央にそびえる巨大なメインマストはどの帆柱よりも幅のある構造になっている。帆桁(ヤード)もフェアマストとは違って厚みがあって頑丈そうだ。


 何よりも違うのは大横帆(メンコース)がある。船を運ぶ帆として中核となる。


 トップ台に立つとトップ台長である骸骨水夫のスコットが指先を上に向けた。登れという合図、たとえほどくだけだとしても複雑な湾内停泊用飾り縛り(ハーバーガスケット)の縄さばきを知りたかったトーヤは喜んでもう一つ上のトップ・ヤードに向かった。


 トーヤが登ると骸骨達もぞくぞくと登ってきた。端部は舷側を乗り越えた海の上にある。落下すれば甲板ではなく海に落下する。


 落ち方を間違えれば気絶して溺死するし、帆走している最中に落ちれば海の機嫌によって生命は左右される。


 ねずみ色の足袋を履いた両足で帆柱をてくてくと歩き、終端に到着すると足下にある転桁索(ブレース)の頑強な縄目がほつれているのに気付いた。


 索具(リギン)は消耗品だ。定期的に交換しなければならないし、タールを塗って塩水や陽射しから護らなければならない。場合によっては帆布を使って巻き重ね(パーセリング)して補強する必要がある。


 当直が終わってから所属することになるメインマストを上から下まで一周しておこうと思った。


 掌帆長であるリリードの点検範囲でもあるかもしれないが自分の仕事道具の調子について自分の目で見ておくべきだと思った。どんなものにも癖や曲りがある。それに帆船というものに同じ形で同じサイズの帆などただ一枚もない。


「前の夜、気味の悪い幽霊どもに混じって中央部(バント)に行っただろ」


 後ろからついてきたスコットがひょこっと顔を出すと口を開いた。トーヤは表情のないしゃべる骸骨の方が気味が悪いと思ったが、口に出したりはしなかった。幽霊たちとは最近はパントマイムで意思疎通を取っている。ロープの形造り遊びと同じで、退屈な時間のいい娯楽になっていた。


「ええ」

「縮帆のときはその選択は正しい。だが、畳帆や帆を展開するときは中央に近づくな」

「アイ・サー」


 帆端に比べれば中央部は仕事量が多い。帆柱に綱が伸びていく場所でもあるため操縄術が精確であることが求められるし、責任も重い。


 トップ・ヤードで小滑車(テークル)が逆回りし始めた。


 横並びした骸骨水夫たちが括帆索(ガスケット)の戒めを解いて帆を張ろうとしている。足場索(フット・ロープ)に足を乗せ、帆端から上半身を乗り出して寄り掛かる。


 たわんでいた帆が真上から袋状に伸びたリーチラインに従ってゆっくり落ちていく。


 風で裏を打ったり、ねじれたりした帆を殴って調整しながらトーヤは慎重にロープを操った。やがて帆はいっぱい垂れ下がり、甲板で帆耳索(クリューライン)が引き絞られて帆の下隅がピンと張った。


「トーヤ、ペンキが剥げてねえか?」

「え?」


 作業が終わった矢先のことだった。後支索から降りていく骸骨水夫に続こうとしたところでスコットが指摘した。


 トーヤが足場索(フット・ロープ)に重心を預けると、吊り縄が重さで下降した。目線を下がったので帆桁に両手を乗せて塗装された部位に顔を近づけた。


 色褪せてまだらになっているが、それほど欠けは目立たない。


「スコットさん。別にどうってことないですよ」


 帆端には通常、ペンキが塗られる。夜間での移動の際、うっかりと足を踏み外して転落することを防止する意味合いもあるし、シンボルカラーとしての役割も果たしている。


「ケニーが逝っちまったから俺の相棒がいなくなっちまった。お前がケニーの代わりになった。だけど、お前はケニーにはなれない。疾強風(フレッシュゲール)のときに頼りになる男じゃねえからだ」


 トーヤはスコットの頭骨を見つめた。固定したまま目を逸らさなかったが、スコットは海に視線を投げかけたままだった。周囲に人気がなくなるのを見計らっていたのだと悟った。


 矜持を刺激される話題ではあるが顔をしかめたりはしなかった。


 話をしたいという意図はまだ終わってはいない。勇気が足りないというなら刃向うつもりでいたが、技術が足りない可能性もあるので黙るしかなった。班長が頼りにならないと判断したのなら、それに従うしかない。


「お前は“予期せぬこと”に対応できるかどうか試されるときがくる。檣楼員(トップ・マン)として、冷静に荒波に対処できるかどうかだ。ロープ一本切れただけで船が横転することだってある」

「任されるようになってみせますよ」

「本当にか? 本当にそう誓えるか? ぼうやから男になれるか?」

「誓いま……うごぁっ!」


 くどくどとした説教の理由がでん部から訪れた衝撃で判明した。揚げ旗(ハリヤード)に吊り上げられた出航旗がトーヤの尻に突き刺さったからだった。厳密には旗ではなく、旗をロープで運ぶ役割をしている松材の木輪であるのだが。


 涙目になったトーヤはスコットが肩を揺すっているのを見て怒りが込み上げてきた。


 いっぱい食わされたのだ。真剣な対話のふりをして罠にはめられた。帆がはらみ、遮蔽物となって甲板上から真上が見えないことを知っていたのだ。


「予期せぬことだったろ」

「ぶっ殺すぞ、てめえ……」

「それは不可能だ。俺はもう死んでるからな。ケニーも死んでいた。結局のところ、誰も彼もくたばっちまってるんだ。だからお別れは辛くねえ。自然なことだからな。俺はお前を憎まないし、誰も憎ませねえ。そんなこと、つまんねえからな」


 スコットは背を向けた。スコットはケニーの親友だった。自分よりも失った痛みは強いはずなのに、許そうとしてくれている。


 背中は小さく寂しげだった。声をかけようとした。声をかけるよりも静かにした方がよいときもあるとトーヤは感じ取った。


 ルド・エルムの沿岸沿いを二人で眺める。この島に来なければ運命は変わっていたかもしれない。夜の捜索に自分が加わらなければ……そう考えたが、無意味なことだった。


 数分経つと右舷側のボーラインが引かれてボルト・ロープが軋み始めた。横帆が張っていく。吊り錨架(キャットヘッド)に船尾錨がかけられる。ぎこちなくだが、<レイス・ザ・フォール号>はうねりにしたがって回頭し始めた。


 出航で忙しく立ち回っていたリリードがメガホンを持って怒声を飛ばしてきた。


「遊んでんじゃねーよ! 降りてこいドン亀どもがっ! あたしの横で船長がキレてきて、なんかちょっと気まずいんだよ!」






 ◇◆◇





 

「我が神の名において死後は苦しみや悲しみとは無縁となり、魂の翼がどの階層にも囚われず自由になることを約束する」


 儀典が行われる場所である中央部(ウエスト)で横列になった骸骨水夫たちは黙祷を捧げた。沖合で行われた水葬はしめやかにつつがなく進行した。


 骸骨水夫たちが数人掛りで帆布で包まれた遺骸を<レイス・ザ・フォール号>の舷側から滑り落とした。内部に石がつめ込まれているため、浮かび上がる心配はない。


 最初はトーヤは生まれ故郷の島にケニーの骨を埋めることを主張しようとはしたが、島民の侮蔑の視線を思い出して口をつぐんだ。


 事件は住民たちの間で一気に知れ渡り、幽霊船の存在が発覚すると討伐しようとする動きが巻き起ころうとしていた。精々二日、三日の猶予しかなく、物資もまとままらず補給に労働力のすべてをつぎ込んでも精々船倉の角が埋まるくらいしかならなかった。


「さようなら、ケニーさん」


 骨は海へと沈んだ。ケニーの消えた海面は何もなかったかのようにたゆっている。短い間ではあったが繋がりを感じた。最初に親切にしてくれた人でもあった。もう二度と会うことはない。魔術は解けてなくなってしまった。


 自分がやらずともヘルビアが処断したかもしれないが、悲しい結果になってしまったことは否定できない。


 司式者をやっていたヘルビアがすたすたとトーヤの元に歩いてきて、すぅっと目を細めながら片手を腰を当てた。


「トキミズ、船長室に来てもらおう。話がある。無論、許可なく外出した件だ」

「はい」


 こってり絞るぞ、と脅されてトーヤは泣きそうになったが身から出た錆びであって、リリードに手を引かれておめおめと船に戻ってしまったので拒否は不可能だった。


 今からでも海に飛び込むべきかどうか悩み、光の反射してきらきらとした海面を見やった。もしや自分もケニーと同じ運命を辿ることになるまいかと危惧した。


 ついでとばかりにそのまま主甲板で並列している一同にヘルビアは振り返り、命令を続ける。


「エティール。午前は砲術訓練をせよ。実弾訓練も許す。腕のいかんによっては配置換えも検討せよ」

「アイアイサー」

「リリード。球面三角法で現在地からルド・エルムまでの距離を算出せよ。簡単な距離だろう? 二鐘以内にこの宿題を片付けなければ夜に天文観測法の問題を追加で出す」

「うげっ……アイサー」

「コリー。西北微西に針路を変えろ。そうではない。当て舵をするときは帆の風圧角も考慮に入れろ。なんのために曲がるときに反対に舵を切ると思っている。先ほどのように船首像の冥界の君(プルートーン)を酔っ払いにしないためだ。もちろん、わかっていると思うが無様にぶれさせるという意味だからな」

「ふにゃー」

「アリサ……む、あいつがどこに行った? 我が船の主計長(パーサー)はどこにいった。ぬ、いる? あ、ああ……前に戦闘で死んだのだったな。すまない。骸骨姿になっていたから気付かなかった。泣くな。お前は骨だけでも充分に可愛らしく美しいぞ。そうとも、私と負けず劣らずのままだとも。な、なななぁ、トキミズ。お前もいちころだろ?」

「えっ、ええ、ええ……ええ」


 奥ゆかしく両頬に手の平を当てて身をよじる骸骨水夫は他と違って上半身に花柄のシャツを着ている。骨盤から女であることは多少の医学知識があるものが注視すればわからないわけでもないが、トーヤにとって違いは服装だけだ。生前はヘルビアと並ぶならばさぞや神秘的な美女だったのかもしれないが、現在は知るすべはない。


 戸惑いの「ええ」が肯定の「ええ」に聞こえていることを切に祈った。


 ヘルビアはアリサの肩甲骨に置いた手を離し、引きつった作り笑いを打ち消して拳を口元に運び、咳払いした。


「よろしい。では何か火急の件があればすぐに私を呼ぶように」


 ヘルビアが船尾楼に歩き始め、ちらっと顔を向けてきた。


 慌ててトーヤは駆け足で後を追って船長室に着くまでの間、沈黙しながら後ろに控えていた。


 船長室――幅広い空間だ。ベッドの上に海図が散らばっており、プランターに新しい植木が加わっていたが、角切りとなった船尾舷窓から見える景色は解放感がある。


 執務椅子に着席したヘルビアは両手を組んでトーヤを見据えた。赤い目をまじまじと向けられ、トーヤは突っ立ったまま緊張して言葉を待った。


 なんらかの罰則を与えられる可能性もあるし、場合によっては退船させられる可能性もある。いくらリリードが心遣いをしてくれたとしても決定には逆らえまい。


「さて……私の術を破ったなトキミズ。術返しはこたえたぞ。お前は自らの能力を知っていて私に告げなかったな。そして、それは私利私欲のためだな」


 喉がつまった。術返し――ケニーを倒したときのことだろうか。ケニーはヘルビアの『死者の挽歌(ソウルミュージック)』によって仮の生命を得ている。


 食ったモノは人の魂かと思ったが、ヘルビアの魔力だったかもしれない。或いは、その両方か。疑問を消すいい機会だ。


「質問が」

「なんだ」

「俺はケニーさんの魂を奪ったのですか?」

「魂が何でできていて、どんなものかなどは私は知らないが……お前が奪ったのはケニーの霊力と私の魔力だ。魂の外殻といったところか」

「外殻?」

「原初のものになったと考えればいい。人格は消え失せ、存在は露と消えた。完全なる死を迎えた形になる。どこの誰にも干渉されることはなくなり、誰もがそうなるように決して元の形には戻らん」


 回りくどい言い回しだったが、死んだということだけわかった。死霊術師(ネクロマンサー)でも手の届かないところへ行ってしまったのだ。


 泣き言が喉元までせりあがってきたが、こらえた。これ以上、悲しむのは止めにすべきだ。いつまでも情けない顔を浮かべた馬鹿が強い男のはずがない。


「俺の亡霊……ルジェロって人なんですけど。話を聞く限り、船長のその……お兄さんなんですか?」

「確かにルジェロ・ラースは私に兄だ。私の認識では、世界一の馬鹿野郎だった」


 組んだ両手の指が微動した。力が込められて指先が白くなっていた。硬木の机の足がぎしっと軋む音が鳴った。瞳の赤色が増したような気がした。あらゆるところに込められた力が強くなっている。


「それで、自らの能力のことをなぜ私に告げなかった」

「船長は俺のこと……嫌っていたから、きっと俺が手にした力も奪ってしまうと思いました。俺は……船乗りとしての能力もなくなってしまうのだと考えました」

「船乗りとしての能力は経験を積むことで得られるものだ。いかに平時でロープがうまく結べたとて、大時化、大寒波、大暑、そして暴風(ストーム)の中でも同じことができなければ意味などない。私の知る限りただ一度もお前はそれらをこなしていないぞ」

「船長、俺には」

「何もない、とでも言いたいのか。手も足もついている。五体満足で健康であればどんなことでもできる。後は勇気さえあればいい話だった」


 勇気か――思い返せばわかりやすい敵に立ち向かう勇気はあっても、親しい人たちと面を向かって話し合う勇気はなかった。


「しかし、まあ……戻ってきたのは評価してやる。私もまた安穏と惰眠をむさぼっていたわけなのだから、責任の一端はある」


 完璧にやり込める気はないようで、アメとムチらしく小さな慰めを与えられた。


「お前は役立とうと情報を持ってきたわけだし、仲間殺しの不名誉にも甘んじた。まあ……今夜の夕食に付き合え」

「アイアイサー」


 船長の摂るような食事への招待は今までのいさかいを水に流そうとする姿勢を示したもので、トーヤはいちにもなく了承した。というよりも断るということはできない。


「話が戻りますが、ルジェロが船長のお兄さんなら解呪するんですか?」

「したいが、できん。私の手には負えん」

「お兄さんとは不仲だったんですか……どんな人だったんですか?」

「仲はまあそれなりに良好だったが……兄はその、身内の恥というか……自由奔放で戦闘狂で色狂いだったのだ。常軌を逸するほど好戦的であり……力に取り憑つかれて狂った首なし騎士(ディラハン)の模範みたいなものか。五年前、私が十二の時に死んだが……思い返せば凄まじい生命力のある男だったな。当時の私は子供で、兄のズボンの裾を引っ張りながら航海していたが」

「元が首なし騎士(ディラハン)が俺の亡霊なんですか? クリームパンの中に更にクリームパンをぶち込んだみたいな感じなんですが……俺、大丈夫なんですか」

「お前の深層にいるのは存在そのものが天変地異とされる亡霊なのでまったくもって大丈夫ではない」

「すげえやばいのいる感じに聞こえるんですが……俺って突然死したりしないっすよね」

「するかもしれんが、できれば人のいない未開地で死んでくれ」

「……」


 もっと俺に優しくしてください――トーヤは膝をついて懇願したくなった。


 誰にとっても嬉しくないニュースだ。能力が強力であればいいというものでもない。ましてや源泉となる者が害を為す存在であるならば。


「いざとなればだが、私も覚悟しよう」


 長く重いため息が吐きだされた。ヘルビアはテーブルの上の紅茶のカップに手を伸ばし、一口飲んだ。


 どういうわけか、湯気立つカップが今まであったかのように存在していた。この船の怪奇現象にはトーヤも慣れてきたので、どこの誰が運んできたか尋ねたりはしなかった。


「助けてくれるってことですか」

「いや、お前を冥界へ突き落す」

「普通にひでえ! それって覚悟するの俺だけじゃん!」


 両手で後ろから絶壁に突き落とされるイメージがトーヤの脳裏に横切った。そんなあっさりとした死は受け入れがたい。いい厄介払いである。


「死者の門をこの世に開くのは大変な労力なのだぞ。次いで言うなら、術者も死ぬ。禁術に該当するのだ。高位の死霊術師(ネクロマンサー)にとって最初で最後の奥の手になる」


 なんにせよ心中になっちまうじゃねえか。ふざけるな。愛し合ってもいない男女が一緒に死ぬなんて冗談じゃない。いいや、愛し合ってて一緒に死ぬなら余計に馬鹿げているが。


「せ、船長……悪い方向に考えるのは止めましょうよ。俺は能力をコントロールできてるし、自制もしていけますし、悪事も働いたりしません」

「確かに……トキミズは紳士として行動しているようではある。船でのお前の噂話は概ね、良好ではあった」

「納得してもらえて俺も嬉しいです。ところでどんな噂話なんですか?」

「あまりに紳士であるので、実は同性愛者ではないかという説がある。詳しく聞きたいか?」

「船長、俺、今から数日間くらいこの船の女の子に軽くですが、性的なことをしようと思います。本意ではないので許してください」

「……軽くだぞ」


 片眉が跳ねられ、黙考の末に念を押されたが許可を得た。


 元凶は突き止め次第、男を見せてやろうとトーヤは誓った。汚れた誓いだった。


 気が楽になったのかヘルビアは饒舌にルジェロのことを話してくれた。


 内容のほとんどは悪口を伴っていたが人物像を描くに参考になるエピソードを聞くことができた。


 大陸の東南に位置するグルードと呼ばれる小国の生まれで職業傭兵隊(エトランジェ)で生計を立てていたが、共和国連盟と帝国との戦争が始まってから参戦度合に拍車がかかった。


 あらゆる妖魔が魔術師たちによって戦争に徴用され、辺境の秘種族が大手を振って血まみれの剣をかざした。それらとしのぎを削り、生き残り続けるのはたとえ天賦の才に恵まれた戦闘技術を持つものとて難しかった。


 ましては金目当ての傭兵は捨て駒のように使われる。国に忠誠を誓った正規軍とは違う。


 国に尽くす青年が死ねば多くの民は悲しみ、慰労金が必要になるが傭兵はその場限りの金だけで済む。うまくいってルジェロは生き残れたとしても仲間はバタバタと死んでいく。


 気心が知れた者も、兄弟同然だった者も、まだ幼い少年だとしても。


 悲劇は力を求める土台となった。自由奔放で快活だったルジェロは深刻な顔で術師として駆け出しだった妹に告げた。


 ――なぁルビー。何か、とっておきの秘術みたいなものはないか。


「最初に埋め込んだのは駿馬の霊魂だった。足は速くなったが、それだけだった。兄とって私の術は便利な付与魔術(エンチャント)みたいなつもりだったのだろう」

「どうして傭兵稼業なんて続けてたんです。友達が死ぬくらいなら辞めればよかったんだ」

「トキミズ、例えばの話になるが学もなく、貧乏で資源のない国が豊かにするためにはどうしたらいいと思う?」

「皆で働けば……なんとかなるんじゃないですか」

「私の故国でもあるが、国民は大陸の中で抜きんでるほど働き者というわけでもないが、怠け者でもない。しかし土地は不毛であったし、鉱山は枯れていたし、便利な通商航路が存在するわけでもなかった。工業国として特許(パテント)で稼ぐこともできなければ、特産物もろくなものはなかった。だから貧しき我々の王は決断した。人を売ろうと。お前の言うとおり、労働力を売るしかなかったのだ。その時、もっとも効率の良い外貨の獲得手段が戦争だった」


 ヘルビアは胸ポケットからぴかぴかの金貨を摘まんだ。縦に執務机に置き、指で弾いて机の上を回転させた。ころころと転がって机の端から落下する。


「思えば、俺の居たところにもそういうのありました」

「どの時代、どの時世、どの世でも同じだろうな……仲間を思いやっている頃の私の兄は性格は腐っていたが、まだ正気だった。首なし騎士(ディラハン)になってからか、次第に敵を倒すときに残酷さが加わっていった。手に入れた強力な能力は敵を倒すことに役立ったが、味方を護れるような力ではなかった。戦争の終盤では卑劣な裏切りに合い、昨日までの敵と組むことになり、昨日までの味方と殺し合うことになり……末端の傭兵など世情に従うしかないが、心が磨り減っていったのだろう。最後の姿は人間としての原型を保っていなかった。内部の化け物に侵食されてしまったのだ」


 戦争、傭兵、卑劣な裏切り。物騒なワードが連続した。ヘルビアにとっては過去の現実であるだろうが、トーヤにとってはどこか遠いところであったような気持ちになる。


「船長、よかったらお兄さんにお会いになりますか?」

「むっ……いや、うむ。会えるのなら、会おうではないか」


 ヘルビアはためらい、咳払いして両肩を揺すって居住まいを直した。背筋を再び伸ばし、瞳はまっすぐ。


 両肩がぶるりと震えたが、表情には期待の色がある。


 トーヤは背後を振り返った。意識するようになって理解したが首筋のところに気配がある。だから後ろを振り向けば会えるような気がした。


 ――拒否する。


「あ……? おい」


 素っ気ない拒絶の一言だけが頭蓋骨を反響した。ルジェロはそれっきり気配を消してしまった。


 元々、部屋の隅で壁にもたれて力なく座り込んでいるようなイメージだったが、今回に限っては部屋からも出て行ってしまっている。


「どうした?」

「話したくないみたいで」

「なるほど、そのまま立ってろトキミズ」


 ヘルビアは執務机から立ちあがると片手を広げた。


 白い手の平に球体のようなものが出現した。徐々に白みを帯び、紫電がほとばしり始めている。バチバチとしたスパーク音。


 ヘルビアは真顔だ。つかつかと寄ってくる。


 トーヤは本能的に危険を覚えた。


「船長、もしかして、俺に危害を加える方向で考えてませんか?」

「純粋な魔力を少々ぶつけるだけだ。少し痛いが、我慢しろ。私自身は攻撃系の魔術は使えん」

「嘘だ! 皆、船長が一番攻撃力あるって言ってた!」

「根も葉もない嘘だ。私はか弱い乙女だ。病弱でもある」


 すがすがしい笑顔をヘルビアは浮かべた。にっこり、と擬音がついてもおかしくはない。


 ふっ、とヘルビアは息を吐き出して腕を伸ばした。縛られていた白髪のポニーテールが跳ねる。胸に光球が叩きつけられた――『魔力』を『食う』――あとかたもなく消失した。手の平に溶けた雪のように溶けて消えた。


 自分の手応えのなさにヘルビアは驚き、感触を確かめるように手をまじまじと見つめている。


「船長?」

「なるほど、確かに『悪食(デットイーター)』だ。多少の魔術は効かんようだな」

「いいことなんですか?」

「私はどうやら、首輪すらはめることができないようだ」


 心なしか消沈しているようだった。


 左から右に眼球を動かし、中央に戻すとトーヤは両手を小さく開いた。


 首輪をつけられてペットにされるのも悪くなさそうだが、できるなら遠慮しておきたい。


「いや、魔術で縛らなくても俺は金で雇われてるんで逆らいません」

「単に金が欲しいならば対抗魔術師(カウンター・ウィザード)になればいい。解呪専門のな。そうそうお目にかかれん希少種ゆえ儲かるはずだ。修行できるように魔術師教会に推薦状を書いてやってもいい」

「俺、あんまり頭よくないんで……そういうのって医者とかそんな感じですよね。ていうか力加減があんまりできないんで」

「力加減か、どれ」

          

 手を取られ、握られた。思ったよりもすべすべとした柔らかい手だった。指の間に入り込んでくる細指が気持ちいい。間近で見る顔の造作にはやはりどきりとさせる。


 瑞々しい肌は白く、顎先までのラインまでもが端麗だ。


「魔力の循環を見る限り、変調はなさそうだな。時期にコントロールできるようになるだろう」

「は、はい……そうですか」

「トキミズは私から離れた方が幸せな人生が歩めるかもしれんな……逃れるように大海など出ず、陸地で安穏な日々を過ごせるだろう」

「船長、ところで魔術師協会って生意気なクソガキと陰険なジジイがいるイメージなんですが、合ってますか? っていうか男女の比率とかどうですか?」

「む、大体そんなところだ。比率は……うーむ、二十人ばかりのクラスで女は私だったな」

「俺、この船で一人前の船乗りになります。それが俺の子供の頃からの夢なんです」


 トーヤは小学校の卒業文集にパン屋さんになりたいと書いたが、虚言を用いた。再び勉学に励むのが嫌だったこともあるし、男子校みたいなところにぶち込まれるのは身が砕けても嫌だった。魔女っ娘がいないなら用などない。


 それに『悪食(デットイーター)』は自分の能力でもない。いずれ消えるか、なくなってしまうものだと思っていた方が楽だ。


「お前はまったく、現金だな…」


 苦笑されて手が離された。妙に名残惜しかった。今、打ち解けてきている気がしている。だからか、調子に乗ったように軽口を叩いてしまった。長話に気安さを感じてしまったのだ。冗談にしては悪すぎるものを。


「俺は船長のお兄さんと一緒にいるんですから、俺のことをお兄さんみたいに思っていいですよ」

「トキミズが私の兄か……愚かにも死んだ私の兄か」


 思い悩むようにヘルビアは自らの唇を手の平で撫でた。表情に影が差した。背中がくるりと向けられる。期待したような反応ではなかった。てっきり、胸か頭でも突かれるか、最悪で冷たい視線を食らうだけだとばかり。


 いくらなんでも不謹慎だったか。しかし、その内、亡霊とはいえ自分の兄と対話することだってできるはずだ。


「あっ、船長」

「むっ……あっ、ああ。すまないが、一人にしてくれ。少し考えることがある」


 一礼して船長室の戸口を出た。無礼とは思いながらも好奇心に身を任せてそのまま閉じた扉の前にしばらく立ち、耳を澄ませた。


「……さま」


 聞こえてきたのは声を上擦らせていて、濁音での呼びかけだった。


 深く悲しむような響きがあり、涙声での嘆きが続いた。


 それは容易に人が触れてはいけない心のひだの裏にある繊細な部分の発露だった。


 トーヤは己の浅はかな行動を後悔し、頭をゆっくりと振り、足音を立てないようにその場から静かに離れた。




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