偽りにして、身に焦がす才能
リリードはヘルビアに対して忠実ではあったが、彼女が性格的に不寛容なきらいがあることを承知していた。
能力の使用による事故は魔術の暴発と同じで起こりえることだ。事情は多少は汲み取ってやり、立ち直る時間与えてやるべきだ。
船員を規律で縛る海事慣習法を乗組員に徹底させるのは何もおかしいことではないし、日常生活についての項目も多いのも女所帯なら仕方ない。
船長という立場上、厳格でいて公平ではあることが強いられていることはわかってはいるのだえてやるべきではないかと思っていた。
が。
「リリードさん。トーヤさんの亡霊が誰か知ってますか?」
「あぁん? エティール。ていうか、なんでお前がついてくんだよ。とっとと帰れよ」
「補給作業を手伝ってあげたじゃないですか」
「コリーにぶん投げただけじゃねえか」
「後でビーフジャーキーあげるって約束しましたよ。喜んでました」
「それだけでこき使われるから泣いてたんだよ」
海賊船長の帽子を被ったエティールが後ろについてくるので、嫌でも目立った。
実際に海賊船長がいたとしても、ここまであからさまな馬鹿はいない。
ならず者とてそれくらいの分別はあるものだ。
雑踏を行き交う、通行人から物珍しげな視線がぶつけられてくるので、リリードは気が散った。
バザールは活気で満ちていて、赤や黄色の目立つ民族衣装の住人たちが商売に精を出している。屋台を組み立てて調理器具の加工品を売っている者もいれば、ござを広げて特産品らしい木綿糸や絹糸の塊を並べている者もいる。
エティールはわくわくとした顔だった。宝石箱の中身を見せたがる子供のような印象だ。
「トーヤさんの媒体を知りたいですか? 知りたいですよね?」
「いや、別に……有名な剣士かなんか? いるんだよな、ちょっとでかい魔物倒しただけで名前の前に閃光とかつけちゃう奴。うちの船長なんて魔術師の間で死体安置所とかつけられててキレてたけどさ」
「そんなんじゃありませんって! あのルジェロ・ラースですよ! 『仰天四奇』の一人。朽ち果てた沼色の怪物。悪食の美食家です!」
『仰天四奇』という呼び名は世情に疎いリリードの記憶からはすぐに浮かんでこなかった。
だから難しい顔をして思案しなければならなかったが、別に畏怖を感じているというわけでもなかった。
しかし、エティールは勘違いしているのかどこか満足げだ。
リリードは基本的に鈍感なので流行に関心もなく、博学でもない。それでも物覚えはいいほうで、単語は目にしたことがある。
なんとか記憶を掘り起こすとヘルビアとエティールが購読している<世界の魔術師図鑑>という怪しげな書籍の誌面に載っていて、特集も組まれていた。興味本位でちらりと読んだような気もする。
内容的には――あらゆる法則から外れた奇怪な者たち。
自然の一部であったり、生ける機械であったり、疫病の代名詞であったりもした。いずれも共通点があるとすれば帝国と共和国との長い戦争史の一ページを飾り、詩歌に登場して場末の吟遊詩人や酔っ払いに歌われ、何人かは賞金首としてハンターギルドの帳簿の最上位を占めていることくらいか。
詳細な生態までは字面は読まなかった。差し当たって覚えているもので『悪食』の項目には挿絵があり、海面の上っ面に流れたコールタールというもので人間とは思えないような扱いだったが。
「確か……あの泥みたいなのが船長の兄上様だったか」
「泥とはなんですか。泥とは」
「泥だろ。あれ」
「確かに泥みたいに変身したこともありましたけど……まあたまに人間とは思えなかったですけど……そういう言い方はないですよ」
ふくれっ面のエティールは認めながらも、心情では否定したいのか腕組みしながら体の向きを変えた。
やがて目を細めて過去を懐かしみ始めた。関わりがあるのは知っていたが、初耳でもある。
「私は……好きでしたよ。ルビーにも私にもとても優しいお兄さんでした。頼りがいがあって、仲間想いで、素敵な人でしたよ。私が死霊魔術を学ぶきっかけをくれた人でもあります」
「ふーん……っで、なんでトーヤの亡霊の正体をお前が知ってるんだ?」
「魔術師ですから、私」
胸を反らして自慢げに振る舞う。魔術師は変わり者が多いイメージだが、間違っていない気がした。
「その魔術とやらでトーヤの居場所わかんねえか?」
「もうっ、リリードさん。魔術師がなんでもできると思わないでくださいよ」
「役立たずが」
「ひどぉーい。あ、焼き芋屋さんですよリリードさん。寄っていきませんか。ああっ、そんな、足早に去ろうとしないでくださいよー!」
◇◆◇
つかみかかってくる水兵たちは嬉々としていた。
ひょろい青年を規律と上下関係でがんじがらめになった軍艦乗りにできる残酷な喜びを発散している。すなわち自分たちと同じく――中には稀有な志願兵もいるだろうが――肩を狭めるほど窮屈で汚水の臭いが充満した下層甲板に押し込む腹積もりだ。
トーヤは迫りくる無数の手から逃れるために後方へと飛びのいた。
その際、腰のナイフに手をかけかけたがぐっとこらえた。少なくとも相手が徒手空拳で来ている以上は刃物を抜いてはならないという、まったくなんの益にもならない自負心を持っているせいだった。
「観念しな!」
熊のような顔をした毛むくじゃらの男がトーヤに片手を伸ばした。
手には円状の短棒が握られ、肩を打ち付けてやろうという意図があった。トーヤは左半身を内側にひねり、相手の一撃を数センチのところでかわして真横に回り、伸びきった肘に掌底を入れた。
男がたたらを踏んで身体が泳いだところで前蹴りを横っ腹に叩き込む。内臓にめり込む感触が足先に伝わった。
「うぐえ」
よろめいて後ずさる。
立ち替わりに二番手の男はストレートに顔面を殴りにきた。振りかぶっての素直なテレフォンパンチだった。訓練もされていな動き。
あえて――やる必要などなかったが、一息で距離をつめ、腹にもぐりこんで顎先を拳で跳ね上げた。身体能力の向上を試したくなっただけの一撃だったが、顎が砕ける音が耳朶を打った。
命令に従っただけの水兵を看護室に送りにすることには抵抗を覚えつつも、トーヤは次を求めて集団に向いて身体を開いた。
敵は相手はただ者ではないと気付いて躊躇していた。遠巻きに囲むだけにして足を止めてしまっている。
トーヤが格闘術は訓練した時間は数時間に過ぎない。それなのにいっぱしのストリートファイターを気取っている。ここまでの喧嘩の資質など以前はなかったはずだ。
後ろ首にある首なし騎士の縫い針模様を指でなぞった。興奮で荒くなった呼吸を整えた。この才覚はルジェロと名乗ったあの骸骨から頂いているものだろうが、悪くはない。使い勝手もいい。
恐ろしい暴力の才能ではある――開いた五指を見る。
自分の手だ。何一つとして変わってはいない。ぎゅっと力を込めて握りこんだ。望まざるにせよ俺が手に入れたものだ。俺にこの力は必要なものだ。
わだかまりを捨て、トーヤは認めた。
ルジェロの力がなければ溺れるリリードは助けられなかった。こうして我を通すのにも欠かせない。幼子をあっさり殺すような非情な軍艦乗りなどになりたいと思えなかった。
受け入れると更に体重が軽減されたような心地になった。足に羽が生えたような気がして、早く動きたくて――戦いたくてうずうずとした。
どこまでいけるものか試したくなってきている。
「何やってんだよ。小僧に手間取りやがって。俺が抑えてやりますよ艦長」
集団の中でもひときわ大柄な男が一歩前に出た。
鍛え抜かれて増大した筋肉が制服を押し上げているせいかごつごつとした巌のようでもあった。刈り上げた髪と大きすぎる頭部が合っておらず、三角帽子が滑稽な形で収まっている。
トーヤを見下ろしながらも不遜な仕草で鼻先で笑った。肩章は金線が一本ほど走っている。水平たちのどこか薄汚れた格好とは違って身だしなみが整えられている。戦闘に特化した海兵隊員であることは間違いない。
操船技術に重きを置く水兵ではないのだ。
「ロール君。彼は能力を出し惜しんでいます。全力で行ってください」
「ええ、艦長、しかしそれだとこいつ……死んじまいますぜ」
座ったままのアイザックは無言で要注意人物リストと書かれた黒手帳を胸ポケットから取り出し、ロールの名前をさらさらと筆ペンで書いていく「げっ」とうめいたロールはあたふたしながら両手を振った。
立身出世の妨げになることは一切するつもりはないし、艦長は気分次第で乗組員をムチを浴びせることができる存在だ。命令に速やかに忠実に実行しなければならない。口答えなど許されるはずがなかった。
「すんません。返事はサー・イエス・サーのみでした。はい」
「小生は帝王陛下の配下が命令を遂行することを期待しています」
「アイアイサー」
粗暴そうな巨漢がぺこぺことしているのがどうにもおかしく、トーヤは半分笑っていたがすぐに笑みを消した。
向かい合うロールの身体には白光に包まれたからだ。薄手の透明なカーテンがあらゆるところに貼りついているようにも見える。それらのヒダは手足にぐるぐると巻きつき、徐々に厚みを増していき軽甲冑のような形状に変化した。手甲や足甲となり、関節など身体の要所を防護する形となっている。
トーヤは知らず、また見ることもできなかったが『身体強化』の魔術文字の刻印がロールの肉体に刻まれていた。
のそりと動き、準備体操でもするように肩をぐるんと回すと、弾丸が射出されたような勢いでショルダータックルが襲ってきた。
対応しきれなかったトーヤの身体は勢いよく弾き飛ばされた。空中にふっ飛ばされながら地面が遠くなっていることを認識する。
侮っていた。
飛ばされながらダメージを測った――リリードに殴られた時はもっと痛かった。アレに比べればまだマシだ。
ロールは巨体ゆえに足音こそ重量感を伴っていたが敏捷に追走してきた。
衝撃で飛行していたトーヤが樹木に衝突して動きを止めると、両足をがしりと握った。
体が持ち上げられる。逆さになって髪の毛が流れ、土が真下にくる。
背中を打ったせいで横隔膜が痙攣してうまく呼吸ができない。
身体が重力に従って降下する。勢いがつけられて地面に叩きつけた。
目が白黒した。口から血の味がした。胃袋に収まっていたものが飛び出ていった。
子供が人形をばたばたと意味もなく地面に打ちつけるような動作が繰り返される。
硬い地面にぶつかる度に意識が飛びそうになる。髪の毛が砂まみれになり、温かい鮮血が飛び散った。
頭に血が昇り、目の奥が真っ赤になった。手も足も、背中も頭も、わけのわからない激痛に襲われる。痛みがすぐに憎悪にすり替わった。
――相手は得体も知れない魔術を使っている。ならばなんの遠慮をすることもないではないか。
ここまで痛めつけられた俺が何をしたって許されるはずだ。
「いってえんだよっ!」
腕が頭の位置まで来たところでロールの側頭部を蹴り飛ばした。
ロールは予想外に打たれ、目を閉じた。握力が弱くなったところで脱出して着地する。相手の胴体がすぐ目の前だった。
追撃の拳をがら空きの鳩尾に叩き込んだ。全力でのナックルは効果は少ない。相手はよろめきもしなかった。硬い肉体を殴った気配がない。綿の塊を殴ったような感覚。
相手の魔術の鎧を貫くには肉の拳では通じない。
自分の禍々しい能力を使うべきだ―――生きた人間に試したことのないことのない呪われた力をくれてやる。
「……むおっ!」
心の中で唱えた呪文は『隠剣』。名付けたわけではなかったが自然に出た言葉を脳裏に思い浮かべると能力が発現した。
手から生まれた黒剣をロールの肩の付け根に突き刺した。
ぶっ殺してやる――怒りが腕から生える黒剣の数を増やした。
どすどすと無数の黒剣が胸部に突き刺さる。ロールの動きは停止して、顔が青白くなった。頬が急激にこけ、血の気は失せた。足がぐらぐらと揺れ始めた。目玉がぐるんと上向き白目になった。
「あぁぁぁ……」
「あ」
ロールの意識はなくなっていた。
後ずさることなく後ろ向きにどさりと倒れていく。トーヤは手の中の黒剣とロールを交互に見た。生命を略奪する漆黒の剣はぎらつきもせず、光沢があるわけでもなく、ただの物体のように存在している。
倒れたままロールはぴくりとも動かなかった。
死んでいるかもしれない。だが、殺されていたかもしれない。呼吸の様子はない。不吉な波紋が心を震わせ、占領しようとしている。
「仕方ありませんね。御せるのならばと思いましたが」
部下の失態にアイザックはこたえた風もなく片手を上げた。空気が変わった。捕える姿勢だった兵隊たちもまた恐怖を憤怒へ変えていた。
身内がやられすぎたことで頭にきていた。彼らは彼らなりの正義を行使しようとしている。
じゃきじゃきと並び立つ銃口。弾丸と火薬が銃身に詰め込まれている。
戦いに夢中になっていたがいつのまにか長銃を放つ陣形が出来上がっていた。
窮地にトーヤはぼんやりとしていた。どういうわけか――懐かしさすら覚えた。
あまたの経験から知っている。知らず、体験もしていないおぼろげな誰かの知識があれらに対したことがあると告げている。
死の残影に面して自然と頭が冷却されて感情が沈んでいく。それなのに身体が熱っぽくてやたらと高揚していた。不可思議な感覚だ。
「銃か……俺を殺す気なんだな。そうなんだな。だったら、正当防衛だよな。全員ぶっ殺したって、いいんだよな……」
――楽しい。
なぜだか、楽しかった。同時に少しだけ悲しかった。せめぎ合う感情の衝突に手先がぶるぶると震わせていた。
小隊長を各としたチーム五人が一列になって掃射の陣形を構成する。
動揺しながらもトーヤは両手を逆さにして側転をしながら後方へと距離を取った。
ぎょっとした歩兵と間合いをつめ襟首を掴んで銃弾の盾にした。
片手持ち上げた瞬間、重なり合う発砲音がした。防弾チョッキでもないせいか手に持つ壁はびくびくと跳ねまわった。
長銃が轟音を奏でて火花を空中にまき散らした。渇いた音を立てて火薬が炸裂して銃弾が亜音速で解き放たれた。
流れ弾が伏せていた哀れな男たちの一人に当たった。肩から血を噴きだして地面に倒れ、苦しそうにうめいている。
子供のすすり泣くような声が聞こえた。
強制徴募された人間たちがトーヤが戦っている内に四方に散って行っている。友達の亡骸から離れられない子供たちが大人に手を引かれていこうとしている。
情況を再確認――敵は散開して二方向から銃を構えている。トーヤを的にして同士討ちをさけながら斜めに位置取ろうとしている。
じぐざぐに走って的を定めないようにした。勢い込んで地面を蹴り、試しとばかりに一人の足元を『隠剣』で薙ぎ払うとその男は足が失ったかのように倒れ、両手で斬られた部分を押さえている。
脂汗がドッと流れ出して鈍痛に歯を食い縛っている。
斬った感触はない――衣服も肉も骨も切り裂いてはいない。が、人体への影響力は絶大のようだった。
ほんの一瞬だけかすめただけなのに、行動不能にできる力がある。ならばあれだけ突き刺されていたロールはどうなったか。疑念は忘れることにした。あいつがどうなったって知ったことか。
体調はすこぶるいい。どこまでも走れる気がした。船上とは違ってぐらつきもせず、斜めにもならず、ただ固いだけの大地はなんと動きやすいことか。
敵は気の毒なほどすっとろい動きをしている。視界は輝かしいほどまばゆい。燃えた火薬の放つ硝煙の臭いを嗅ぐ余裕すらできている。
これが首なし騎士の世界か――いい世界だ。
とてもいい。何もかもがクリアに見えている。
いら立った下士官の怒声が轟いた。
「ティラー隊、抜剣せよっ!」
市街地で派手な銃撃戦は敵方も望んでいないようだった。
トーヤは掴んだ血だるまの盾を投げ捨て、『隠剣』を一本ほど出現させた。長刀の形をイメージする。望み通りの姿に変じた。この剣もいい。どんなものでも通過する。
手応えはないが確実性はある。何よりも生命に対して完璧に無慈悲だ。
舌を舐めずりしながら剣を持つ腕を斜めに振るった。風切り音もなく無音。煙のような軽さでもある。
かかってくようとする男たちの顔には怒気と怯えがあった。囲うために散開している。トーヤは不利になるとわかりつつも動きを止めていた。
これは正当なる防衛だ――かかってくるのだから、仕方なく対処するだけだ。例え魂を奪ってしまったとしても他に手はなかったということだ。何も悪いことではない。そう、何一つとして……。
『土砂降りの雷撃』
西日に影ができた。超低空飛行している小型の暗雲が頭上に訪れていた。
飛来する光球。一つ一つは小ぶりで五センチほどの雷弾が雨となって降り注いできた。トーヤはかわそうとしたが僅かに遅れた。
足下から頭の天辺まで雷撃がまとわりつき、紫電が身体を包むようにまとわりついてきた。発生した熱量のためか噴霧した白もや包まれ、白煙の切れ目を電撃が次々と走った。ぎぎ、がが、というような陰惨な音だけが奏でられている。
短杖を胸に抱えながらもマリンハットを被った若い女の魔術師が生け垣に腰かけたままのアイザックを護るように立っていた。
肩に走った金線は一つ。海尉に相当する。
黒髪を後ろに束ねた凛々しい顔つきのまま、進言する。
「サー。僭越ですが、まるで無知で無力な者を強制徴募して頂きたく思います。奇怪な能力を持つ魔人を部下にするには酔狂というもの」
「小生もあそこまでの人材とは思いませんでした。てっきり見かけどおりの善良さだけがとりえの頑健な若者かと」
「サー。私の魔術師としての腕はそれなりに優れたものです。魔術師学校での成績は優でした。今の不意打ちも完全に隙を突いたと考えてもいいでしょう」
「ええ」
「ですので、どうか全力を尽くすようにご命令ください。どうやらあのぼうやは私のタイプの男のようです」
「なるほど。向こうもロックオンしてますね。相思相愛で何よりです」
ぎざぎざの形の不均衡な――ボロ布の切れ端のような形のものが空中をふわふわと浮遊していた。
トーヤの周りに数十ほど舞っている。
どれもが腕に持つ剣と同じ色をしていて、光を吸いあげるほどの黒を保っている。
――『散らばった残骸の盾』
能力の防護の力はそれなりに優れているようだった。
雷撃を残らず吸い取って闇へと還した。味わった魔力の味は無味乾燥としている。すかすかの塩気のないポップコーンのようだった。
ボロ布の一つを摘まむ、弾力があってうねうねとしていた。術者にとって無害なのは変わらない。手から直接生やさずとも能力は行使できるようだ。
さて、次はどうするか。
先に腰砕けになった者たちを狩るべきか。まだ勇を見せている者を倒すべきか。
好戦的な笑みを見せながらトーヤは姿勢を低くした。
『隠剣』が両腕から生える。もっと食わせてくれ――切なげな誰かの意思が聞こえた。声にもならない願いだった。
望みどおりにしてもいい。望みどおりにすべきだ。
どいつもこいつも食い滅ぼしてやる。後悔する間も与えはしない。自分を襲った報いを受けさせてやる。
熱くなった血潮が物事を冷静に考えるだけの力を奪ってしまっていた。
しかしながら本能的に勝利の近道を嗅ぎ分けた。トーヤは目標を定めた。艦長を始末すれば――敵の頭をもぎ取ってしまえば戦いは終わる。
「サー。我が隊のみで充分です。転進なさってください。実は言うとかねてからお慕い申し上げておりました。結婚してください」
「クラーラ君。そういうこと言うと死ぬと思いますよ。止めて頂けますか」
天上に暗闇が押し寄せて公園全体が暗闇に染まった。クラ―ラは大規模な暗雲を呼んだ。身に宿るすべての魔力を込めているだろう決死の表情だった。
短杖を握る手が不安な心を表すように微動していた。己の武器を頼みとして、一心不乱に精神を集中させている。
俺に魔術は通じねえ――雄叫びのような声がどこからか聞こえた。
戦場でも、対人戦闘でも、暗殺でも、うんざりするほど浴びせられた大魔術を対抗する時がもっとも楽しい瞬間だと亡霊が叫んでいる。
相手のプライドを粉々にぶち壊すのが何よりの快楽だと訴えている。相手が生命を枯らして死力を尽くしてくれることを心の底から祈っている。
トーヤは追認する形で『散らばった残骸の盾』のボロ衣の量を増やした。
トーヤとしてみれば危険を楽しむ性癖などなく、先に攻撃してもよかったのだが限界を試してみたくなっていた。
今日もう死んでもいい。何もかもクソ食らえだ。凶暴で冷酷な自分もくたばっちまえばいい。
アイザックは初めて腰をあげた。
「クラーラ君。小生は既婚者です。申し出は却下します」
◇◆◇
リリードが公園に到達した時は幸運に恵まれたというわけでもなく、物見遊山の地元住民たちが人垣になって集まっているのを見つけたからだった。
人波をかき分けながら前に進むと、くんと血の臭いが風に乗って流れてきた。闘争の臭いがしている。
駐屯兵が円陣を組んでいて、一定の距離を保っていた。何か恐ろしいものに相対して硬直しているかのようだ。
予想はしていたが――広場に転がった幾つかの死体を発見してリリードは顔をしかめた。
死体はエレボスの正式な海軍の制服を着ている者もいれば、安価な水夫服を着ている者もいる。
概ね派手な外傷はなかったが、自分の持ったカットラスで傷ついている者や、味方同士で刺し合ってしまったのだろう重なって倒れている者もいる。
変形した弾丸がところかしこに転がっていた。血の跡のそこらじゅうに飛び散っている。地面が焦げ、陥没して削れている箇所もある。
先ほどまでは戦いの場となっていたのだろう。それも激しい争いになっていたのだ。
目についたのはベンチの背もたれに体重をかけ、ずぶ濡れてなった男の影だった。
片手で顔を押さえながらだらしなく足を開いて脱力している。
知っている男だったのでつかつかと近づくと声をかけた。
「おい、トーヤ。大丈夫か?」
「ぁあ……リリードさん。俺、人殺しだ……くそっ、なんで俺は……」
顔を向けてきた。弱々しい儚げな笑み。すべての力を出し尽くしてしまった哀れな男がそこにいた。
情熱もなく、抗う気力も力強い覇気もない。リリードは素早くトーヤの全身に見回したが怪我は頭部が出血がひどく、他は軽傷のようだった。
髪の毛も土だらけのシャツも皮膚にべったりと貼りついている。ぽたぽたと毛先から地面に水滴が落下し、黒いシミを作っていた。
降雨にやられたとは考えにくい。まるで潜水した直後のようだった。
いや、そんなことよりも。言ってやらなければならない。こういう時、もっとも欲しい言葉を与えてやらなければ。
「……お前は悪くねえよ」
「人殺しが悪くないはずがじゃないですか」
「見たところこいつらは強制徴募しようとしてたんだろ? 連れ去られていたら別の誰かをカットラスで斬り殺すか、ぶっ放した砲弾で粉みじんにしてた。その時の相手は命令に従っただけの善良な人間かもしれない。結局そうなれば人殺しさ。それができなきゃ、お前は軍律破りで絞首刑だよ」
抱き合う男女や家族と無事を喜ぶ父親の姿を横目で見ながらリリードは慰めた。
強制的に連れて行かれるはずだった罪のない町の人間たちはトーヤのおかげで解放されたとも捉えることができる。子供たちが泣きじゃくって無事を喜び合っているのを見ると「よくやった」と褒めてやりたい気持ちもある。
しかし、その成果を告げるのはためらった。正しいことをしたと言うのは簡単だが、取った手段はトーヤにとって決して喜ばしいことではないはずだ。
「でも、リリードさん」
泣きそうな顔を見ると哀切が湧きあがった。抱きしめたいのをこらえながら瞳を合わせた。横から飛び出た金髪がぶつからないように気をつけながら。
「いいか、わからず屋。仕方ねえんだよ。仕方ねえじゃ済まなくても、仕方ねえんだ。殺しちまった奴らは決してよみがえりはしないし、いくら後悔したってどうしようもない」
「俺は」
「お前は馬鹿なことに。本当に馬鹿なことに優しい奴みたいだな。だけどきちんと聞けよ、耳をふさがずにな。いいか、こんなことは取るに足りないことなんだ。これを乗り越えねえと今の世じゃ男にも、船乗りにもなれねえんだ」
地面の一点を見つめるトーヤは立ち直ったかどうかリリードにはわからなかったが、心の整理をつけているのだとわかった。
ダメになる奴もいる――弱虫になって世を恨むだけの奴もいる。トーヤがそうだとはリリードは思いたくはなかった。
船乗りの才能はある。才能とはうまいへただけではないのだ。
勇気をもってマストの上で仕事に立ち向かえることが条件なのだ。仕事でしくじったら次はできるように努力したらいい。恥を恐れず戦えるならいつかは一人前になれる。速いか遅いかの違いだ。生きている限りは可能性があるはずだ。
内部の亡霊がどんなろくでなしにせよ、構いやしない。
職務としてもこの愚かなほど優しい操帆手を護ってやらなければならない。
膝の上に乗った手を取った。リリードの細い両手がトーヤの荒れた手を包むように握った。
「大丈夫だ。あたしが手を握ってやるよ。心配するな。ずっと引っ張ってやる」
◇◆◇
「大丈夫だ。あたしが手を握ってやるよ……か」
屹立する背丈三メートルの水竜を背にレティア・イーサリィはつぶやいた。
リリード達のいる公園から二百メートルほど離れた住宅街の隙間で彼女は過去を思い返していた。
同じ言葉をリリードからもらった記憶がある。
あの時は少しだけ事情が違った。故郷となる街を出るときだった。二人で一緒に船に乗る時に勇気の出ない自分を励ましてくれた時だった。
自然と両手を広げて胸元に持っていった。盲目のレティアは自分の皮膚の色すら知らなかったし、リリードの手の平の精緻な形はもう脳裏に浮かべることはできない。
ただ、温かい体温の感触だけは覚えている。もう二度と手に入りはしないものだともわかっている。
「助かりましたよイーサリィさん」
「助けるにしてももう少しやりようがあったではないか! まとめて鉄砲水で吹き飛ばすとは何事か!」
ずぶ濡れの二人は仕立てのいい服を台無しにしてそれぞれの思いを述べた。
なんとなくえらいっぽい人間だけは丁重に扱ったつもりであり、生きている士官や士官候補生、水兵や水夫は魔術の化身たる水竜の腹に収めて運んだ。
ついでに悪食の首なし騎士も仕留めてしまおうかと思ったが、ケツァルコアトルが嫌がって吐き出した。
ありとあらゆるところに流れる水そのものである妖魔が嫌がるという反応を見せたのがレティアには新鮮だった。よほど、まずかったのだろう。
「だってぇー……街の人が集まってきてたし、あんまり一つのところに居るのもいけないと思ったから早く移動しなきゃ、って思って」
豊満な胸を揺すり、身をくねらせてレティアは言い訳した。
許可された強制徴募ではない。有事の場合は敵船を拿捕して際、敵兵すら徴兵することもあるが数で勝っていた場合の話だ。流石に町の警邏兵がわんさか押し寄せてきたらどうにもならない。
「貴様のぶりっ子は虫唾が走るぞ」
「艦長さんはどう思いますかー?」
「勝てませんでしたか?」
「ここで一対一なら無理ですー」
「では判断は適切だったと思いましょう。幸いにしてこの騒ぎで警邏兵は公園に集まっています。人員の確保は港で行いましょう」
「ですよねー」
「貴様……外人部隊だと思っていい気になるなよっ!」
「クラーラ君。部下を起こしてください。早急に艦に戻りますよ」
「あっ、アイアイサー……」
アイザックは額についた髪を整えた四つ指で品よく後ろに流した。
ふと背後を振り返ったので、レティアはにんまりした。合理的な艦長が彼女は好きだった。扱いやすいという点でもそうだ。
昏倒していた水兵たちは上官のやつ当たりめいた叱責で起こされるという惨事に見舞われたが、そこは軍隊暮らしで慣れたものですぐさま整列した。
一団が場から離れようとするのをレティアは最後尾から見守った。のんきに後頭部に両手をやって追従しようとして、最後とばかりに公園の方を一瞥した。
「リリード……」
――心配するな。ずっと引っ張ってやる。
あの日の言葉は忘れはしない。骨身に染み渡るほど素敵な贈り物だった。生涯忘れることはないだろう。
だが、途中で手は離された。背中を向けられしまった。
対面すれば生死を懸けた戦いになるだろう。死霊術師の船長は自分を葬り去ろうとするはずだし、間違いなくリリードもその意向に従うはずだ。
できるならば自分に有利なフィールドで出会いたい。
当然のことながら戦場とするなら陸地ではなく海上だ。




