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幽霊船、異世界を航海する  作者: 七色春日
第一章 遺骸あさりの幽霊船
12/17

慈悲なき銃弾

 短艇がさざ波の上を滑るように突堤に近づいてきた。


 北から流れてくる灰色の雲と朝霧が混ざって空と海の境目を曖昧にしている。夜気が遠ざかった。


 気温は上昇し、湿度は増していく。港で働く漁師や荷卸し人の粗肌を包む肌着にしみを作り、汗だらけにする大気が漂い始めた。


 夜間や霧の出た早朝に<レイス・ザ・フォール号>の骸骨水夫は順番に上陸する手はずとなっている。


 密航者めいているが大勢での移動は人目につきすぎるせいだ。何人かの生者が同行する内規が存在しており、係留索をもやい結んだ監視役のリリードはわざわざ出迎えにきたヘルビアに丁重に敬礼した。


 しかしながら一人だけだった。周囲に素早く視線をやったがお供の骸骨水夫の姿もなければ、トーヤの姿もなかったので訝しんだ。


 船長を一人で行動させては名目上とはいえ護衛役の意味もないし、不自然だ。


「ケニー・ターンルードを還した。私の許しなく、生者を傷つけた罪による。たとえどんな事情があったにせよだ」

「はい」


 返事をしたものの耳にした情報を信じられずにいたが、ヘルビアはいつもの生真面目な顔だ。また、罰則に関することで嘘を口にすることはまずない。


「また、関連する他の者も私の強いた規定を無視して暗黙した。その上で闇夜とはいえ町を走り回り、“くすんだ白い肌”を人前でみだりにさらしたので一週間の麻痺の刑に処した。時水トーヤについては……昨夜から行方不明となっている。しかしながら騒動を起こしてしまった以上は可及的速やかに出航せねばならない。我々は他国の法規を尊重するが、厳守するつもりはない。ひとまず、魔術師協会を通してだが、抗弁のために法定代理人を立てておく」

「はい」


 くすんだ白い肌――白骨死体が町を歩けば噂を呼ぶ。


 噂は治安機構を呼ぶ。騒乱を起こせば討伐隊として駐屯陸軍が駆けつけてくる可能性もあるし、死霊魔術師(ネクロマンサー)の地位はそれほど社会的に確保されているわけでもない。


 トーヤの脱走もよくある話だ。


 冒険を求めて海に出た若者は窮屈さに耐え兼ね、不便に苦しみ、自由な陸に足をつけると二度と船に乗りたくないと決意することは十二分にあり得る。


 納得できる材料はあったが、リリードとしては納得できるわけではない。理由があっても、そうしたという決定打ではない。


「船長……あたしに行方知らずを捜索する時間を頂けませんでしょうか? 気とは移ろうものです。投げ出したとしても、取り返そうとするかもしれません」

「リリード。お前は補給の指揮をしてくれ」

「いえ、しかし」

「お前は甘すぎる。一日だけ、別の者に捜索させる」


 素っ気ない返事がされ、くるりと背中を向けられる。自分がいない間に何が起こっていたのか。部下を二人も事情も聞かされずに消し飛ばされてはたまらない。


 歩き出したヘルビアの後ろを追いすがった。


「船長。二人ともあたしの友達でもありました。どうして簡単に失うことが許せるでしょうか。ケニーはそれなりに分別のある者でした。それに、見習いが逃げ出したならあたしの責任でもあります」

「補給が終われば……行方知らずを捜索しても構わん。が」


 ブーツがぴたりと止まった。険しい顔のまま両目を閉じた。


「相手が自分と同じ者だということをゆめゆめ忘れるな」



 ◇◆◇



 ルド・エルムの町の真ん中にある森林公園は職を求める人間たちが活用している区域だった。


 日雇い大工や期間工などの人夫をかき集められる交渉役が職にあぶれた男たちに次々に話しかけていた。ごった返す男たちは好みの職を探すため大声で自分の存在を訴え、次に返答を受けるために耳を澄ませた。


 町には職業あっせん所という施設がなく、公共の広場が労働者と雇用者の橋渡しをしていた。


 噴水から離れた囲いとなる生け垣の縁にトーヤは座って両手を組んでいた。


 どこに行っていいかわからなくなり、威勢のいい掛け声が飛び交っていた場所にふらふらと歩き、辿りついただけだ。


 頭は空白になってなんの考えも浮かばない。なのに、胸が重しでも入れられたようにずしりと重くて息苦しい。


 死者とはいえ――考えて、話して、優しく声をかけてくれた人を手にかけてしまった。友情も感じていた。仲間意識もあった。それなのにどうしてたやすく傷つけるような真似ができたのか。


 ろくに理由を聞かず、ろくに事情を知らず、船長を裏切ったときに頭が沸騰した。


 義憤にかられた。正義の味方気取りでこらしめてやろうとすら思った。


 ケニーは自分を弁護しなかった。恐らく、逃げられないと悟ってヤケになっていた。冷静にさせる努力を自分はおこたったのではないだろうか。


 血溜まりにびびり、親身になろうとしなかった。なんという人でなしなのか。義理も人情も見切って仇で返した。


 闘争の結果として二度と戻らぬ永遠の眠りに追いやってしまった――あそこまでやるつもりなんてなかった。捕縛するつもりだった。


 保身が言い訳だけを並び立てようとする。


 きっと、魂を吸い取ってしまったのだ。あるいはそれに代わる生命か何か。誰かの尊いものを食い破った感覚が腕から消えない。


 それでいて――能力の行使には快感をともなっていた。恐ろしかった。自分が恐ろしい。また誰かから魂を奪いたいとすら薄らと頭の隅で思っているのが怖くてたまらない。


「俺は型枠職人だった。どんなことだって器用にできる!」


 威勢のいい声。


 うじうじとした自分とは違う活力。看板を立てて自分が何をできるか雇用者に訴えている者の内、一人が両手を開いていた。履歴が看板に書かれている。何人かが馬車に乗せられ、連れて行かれる様子が見えた。


 林業の頭領が最後尾に立ち、メモ用紙を片手に頭数を確認している。


 ちらりとトーヤにうろんな目を向けたが、しばらく見つめて反応がないのを確認して帽子のつばを摘まんで整え、荷馬車に足を向けた。健康な働き盛りの男がいるとしても、労働意欲がないものを誘うことはない。


 トーヤはポケットの中の刀剣模様の銅貨を何枚か指先でこすり付けた。朝駆けに銅貨を支払ってマンゴーのような果実を一つだけ食べた。


 残りの銅貨は三枚あるので、後三つほど手に入れることはできる。その後はどうするか。考えたくもないことだ。


 午前中を座ったまま無為に過ごすと広場には人気が少なくなった。


 何気なしに片手を持ち上げて腕に力を入れた。肘関節から数センチ上くらいから直角に曲がった隠剣が何本も出現した。


 能力はややコントロールできている。力加減によって刀数はもちろん、伸縮も自在だ。どこまで伸びるかわからないが、手先から一メートル以上は確実に伸びる。


 興味本位で植木に黒剣の曲がった突端を当ててみるとすぐに一部がじわじわと土気色に変色して枯れていく。


 枝葉が朽ちてしなしなと水気を失い、お辞儀をするように地に伏した。


 鉤爪の剣は即効性がある。だが、こんな力があったとしてなんの役に立つというのか。何かを傷つけることしかできないなら、工作に使える水兵ナイフにも劣る。


「気持ち悪い力だ」


 考えてみれば――いい気になっていたのだ。


 自分が特別な存在だとうぬぼれていた。だから、誰にも相談しなかった。


 ヘルビアに話しておけば事前に対策を練られていたはずだ。こんなみじめなことにはならなかっただろう。身にあまる能力を手にして浮かれて愚か者が自分だ。


 意味もない暴力に酔って、仲間を手にかける者などこの先どれだけ信用されるだろうか。


 あまつさえ責任を取らず、逃げ出してしまった。一度悩めばもう船には戻れない。顔を合わせて、正式に拒否されるのが怖くてたまらなかった。


「ほう。変わった魔術を使いますね」


 声は近かった。


 力なく顔を持ち上げると、両手に腰に回した青色の軍服姿の男が佇んでいた。簡素だが縫い目も生地もしっかりとした革のジャケットとズボンだ。ボタンもきっちりと留められ、ブーツは鏡面のように磨き抜かれている


 肩章は金色の筋が幾つも輝き、胸襟には勲章と金モール。更には枝葉模様の装飾剣で帯剣している。ベルトに引っかかったホルスターからは無骨な銃床が凶悪な鉛の光を放っていた。


 垂直伸びた背に痩せこけた頬。平坦な目つきは浮浪者のような退廃感を漂わせていたが、それがかえって折り目正しさと物静かな雰囲気を男に与えていた。


 粗雑な生活感がないので、貴族がいるとしたらこんな男だろうとトーヤは漠然と思った。


「混合属性ですか?」

「いえ、その……俺、魔術は詳しくなくて」

特異者(オリジナルメィカー)ですか。なるほど。世の中には生まれながらにして独自の属性を持つ者がいると聞き及んだことがあります。貴方がそうなのですか」

「いえ、この力はその……借り物でして。俺もよくわかっていないんです」

「ほう、奇遇ですね。私もいつも人の力を充てにしていますよ。これは気が合いそうだ。隣よろしいでしょうか。ああ、芋酒(ウォッカ)もありますよ。どうですか。ええ、毒など入っておりません。これなるはキングペット酒房で製造され、一年に百本ほど生産されぬ数少ない逸品でございます。ぜひご賞味ください。昼間から飲む酒ほどうまいものはございません」


 物静かな見かけとは裏腹に雄弁な人柄のようだった。


 なんか変わった人に絡まれちゃったな――湾曲した銀の瓶(スキットル)を受け取り、口をつけた。


 燃えるような酒は脳髄をハンマーで叩いたような刺激を与えてきた。かぁっと胸が熱くなり、呼吸ができなくなる。胃袋の血の巡りまでが感じられるようにもなっている。


「ごほっ……ぐっ……き、きつい味ですね」


 苦笑いしながら告げると軍人は頬を緩めた。


 世間話をしたいだけの人かと考え、トーヤは受け入れることにした。ちょうど、人と話して気を紛らわしたい気分だった。見ず知らずとはいえ、あまり警戒心を抱いて見せるのもいけないと考える人のよい気質のせいだ。


「ええ、実のところ小生は氷海に行く予定でして、こういったものに慣れておこうと思いまして。必携の品らしいのです。ああ氷海というのは南洋のさらに南方。息が凍りつく空気がひしめき、海には浮氷群のごろごろとしている船乗りにとって禁忌の海域です」

「軍人さんは大変なんですね」


 自分で持っていた腰に下げた革袋の水をあわせ飲んで一息つき、感想を漏らすと軍人は襟元を几帳面に正した。


「なんのお国のためでございます。愛国心さえあれば死地であれ、極寒の地であれ、タールと火炎に埋まる海であっても愛国の旗を掲げながら邁進する所存でございます」

「国のためですか。凄いな。俺は俺のことで手いっぱいですよ。明日の飯の種を心配する日々です。うまくやって明日の飯が確保できても、次は明後日の飯、今度は欲張って一週間後の飯を心配して生きています」

「わかります。小生も毎日、部下が反乱しないだろうかと心配して生きています。士官たちは小生をハブにして宴会を行ったりしてるのです。悲しいです。ええ、と」


 顔色をじろっと窺い、顎を傾けて迷うような素振りを見せたので、トーヤは名乗った。


「時水トーヤと申します」

「小生はアイザック・ホロウと申します。どうでしょう。トキミズさんさえよければ小生の艦にいらっしゃいますか。最近は物騒なご時世で人手不足が深刻でして。このままでは艦を維持することが難しく、非常に悩んでおります」

「人手不足ですか……軍人さんも人手不足になるんですね」

「ええ、任命された後の人事権は小生に一任されるのです。任期までにある程度の人間を募集、確保しなければ任務から外れることもあるのですよ。今回は本国の方で軍艦乗りを集められず、商船乗りを集めたりもしてるのです。なかなか軍艦暮らしというものは快適とは言い難く、志望者は少ないんです」

「なるほど」


 文字通り、渡り船ではあった。


 仲間の骸骨水夫の――あの、ケニーを手にかけてしまったときに見せつけられた眼差し、得体の知れない怪物を見るような態度が苦悩を呼ぶ。


 これから先、<レイス・ザ・フォール号>でうまくやっていけるだろうか。ふとした拍子にまた仲間を害してしまわないとも限らない。


 いいや、単に人に嫌われて生きていく自信がないだけだ。居心地の悪い場所で生活したくないだけだ。不自由な思いをしたくないだけだ。


 自由――ルジェロの幸福論を思い出した。


 怒りや悲しみから解き放たれたくなっている。自由に生きるということは義務を放棄することでもあり、同僚との幸せな時間すらも捨てることになりえる。


 と。かつかつと軍靴の規則的な音が聞こえてきた。


 広場に下士官と海兵隊の一団が現れた。小隊は四隅を抑えるような隊列が分かれている。中心には服装の様々な男たちが周囲を見やりながら怯えて歩いていた。


 塗装職人なのかシミが色だらけの作業ズボンを履いたもの者もいれば、馭者らしくハーフコートに丸帽子を被った老年の者もいる。かと思えば浮浪者のようにボロの身なりで汚らしい蓬髪の男もいた。


 それぞれ怒り狂っている者もいれば、不安そうに助けを求めている者もいるし、ぐったりと力なく下を向いている者もいる。


 士官の一人がアイザックの前に出ると敬礼して、怒っているかと思うほどの大声で報告した。


「艦長! 作戦通りに徴募致しました!」

「はい。ありがとうございます。しかし、やはり人数が足りませんね。我々はどうやら、人夫が集まる時間帯を見逃してしまったようですね……」

「イエス、サー。お時間を頂けるなら、もっとかき集めてきます」

「あまり時間はないので、潮時にしましょう。補給も遅れてしまいましたし、騒動を起こすのは歓迎できません」


 アイザックは人数を目視で数えながら無念そうに両眼を閉じた。


「ふざけるな! 俺たちは船になんか乗らないぞっ!」

「大体てめえら他国の奴らだろうが!」

「人の国で強制徴募(ブレスギャング)なんて許されると思ってんのか! ここは中立地帯だぞ!」


 威勢のいい何人かが勇気を奮って叫んだ。即座に下士官が銃を引き抜いて突き出した。その冷たい刃と無感情な対応に男たちは怯み、口をつぐんだ。


 恐怖感で目がいっぱいに開かれており、暗い銃口を覗き込んでいた。


 かき集められた集団の中で幼い少年のグループがいた。三人とも十歳を過ぎたところで、身を寄せ合い手を取りあって縮こまっていた。


「アイザックさん。あんな小さな子供まで徴兵するんですか」

火薬運搬兵(パウダーモンキー)ですよトキミズさん。まあ大体は雑用係や鼓手(こて)として使います。火薬を運ばせたり、小太鼓を叩いて合図をさせたり……とても簡単な仕事させるだけですから心配しないで下さい。それに子供に関してだけは人道に則って孤児院から引き取ったのです。どんな子供であれ、大人であれ、身体が不自由な方であれ、皆さまには二年の軍艦暮らしで栄光あるエレボスの市民権を差し上げます。勿論、拿捕賞金もあれば給金はもちろん、寝床と衣服、三度の食事も提供しましょう。規律は厳しいですが、肉体も精神も養われることは疑いようがありません」


 正しいことなのかどうかトーヤには判断がつかなかった。


 それぞれの正義があるし、事情もあるのだろうと漠然と受け止めただけだ。


 二列縦列に並ぶように下士官が命令をくだした。のろのろと強制徴募に捕らわれた哀れな男たちは並列し、会計手が名簿に名前を記していった。


 白昼で広場を堂々と占拠しての大量の誘拐に対して、番兵は姿を見せなかった。


 外交問題が起きる可能性があるからだ。ただ数十人の人間が消えるだけで――他国に“雇われて”いくだけで国は血みどろの戦争に手を染めなくても済む。


 ほんの十分にも満たない手続きが終わるまでの間、トーヤは何も言えずにいた。どの男たちも悲壮感を漂わせていて、運命に従って精肉所に連れて行かれる子羊のようにさえ思えた。


 戦艦における陸者(ランドシーマン)の仕事はリリードから聞き及んでいたが、水夫になれる者以外はもぐら暮らしを強いられるという。主に下層甲板を仕事場とする陽光を見ない不自由な者たちのことだ。


 海上に居る癖に海の素晴らしさを知らずに生活するはめに陥る。ときには戦闘に巻き込まれたことさえ知らずに砲弾で木端微塵になって死ぬ。


 自分はどうか。二等水兵くらいになれる自信はあるか。それなりにある。


 やってやれないことはない。軍属になることは理不尽という刃を胃袋に収め続ける仕事でもある。上の命令に服従し、良心を投げ打ち、多大な忍耐を要する。


 だが、得るものもある。安定した生活が手に入り、名誉もある。


 アイザックのような愛国心も身につくかもしれない。無頼の徒として生きるのは心細い。巨大な何かに尽くして生きるというのもそう悪くはない話だ。


 たとえ祖国ではないにせよ大勢の人、国民のためとやらに奉職するというのは素晴らしいことではないか。


「ぼ、ぼ、僕は嫌だ! 船なんか乗りたくない!」


 荷馬車に乗りこませるために小隊の陣形の一部に欠けができたところを見計らって少年が一人だけダッと駆け出した。


 連れの二人の子供が驚き、届くはずのないのに手を虚空に伸ばした。


 兵隊の制止を振り切って公園の出口に目指している。一心不乱に走ってはいるが子供の足はそう速くはない。


「あの者は船員名簿に記しましたか」

「イエス、サー。砲弾管理係り見習いになります!」


 樫の木のグリップを握ってピストルを握ったアイザックはゆったりとした動作で少年の背中に向けて銃口を定めた。トーヤは「あっ」と声を出した。


 そしてまさかと思った。まさかそんな、十歳ほどの子供を撃つっていうのか。いやそんな、よしんばそうだとしても麻酔弾か何かに決まってる。


 パンッと渇いた音がした。銃口が火を噴いた。


 炸薬が弾け、弾丸が射出された。螺旋を描いた銃弾は少年の頭蓋骨を砕いて脳みその一部を吹き飛ばした。


 少年は急に糸を切られた人形のようにかくかくと膝関節を動かし、どさりと倒れた。


 公園の外周で遠巻きに野次馬をしていた婦人たちが悲鳴をあげた。


 女の頬に飛び跳ねた血がべったりとくっついている。すぐに失神して路上に背中をつけた。周囲の野次馬たちが動揺してざわざわとざわめき始めた。


「アイザックさん」

「脱走は死刑です。少年であれ、青年であれ、老人であれ、軍人は一切の余地なく軍人なのですから。それにより国の定めた法により死刑なのです。小生は法の仕える者として一切えこひいきなどしません。ところでトキミズさん。できれば志願兵という形はいかがでしょうか。それならば階級が上がりやすくなりますよ」

「ありがとうございます。でも、せっかくの誘いですが俺は辞退させて頂きます」


 こめかみにしわを寄せて目を閉じ、トーヤが立ちあがると二人の軍人が行く手に立ち塞がった。長銃を肩に乗せて構えている。厳めしい無表情の体格に優れた男たちだった。


「残念です。しかし、どうならあなたは水夫のようだ。手の皮を見ればわかります。練達した船乗りは戦艦には欠かせないのです。強制徴募させて頂きます。そう不幸なことではないと暮らすうちにわかって頂けますよ」

「俺、抵抗しますよ。正直、暴れたい気分でもあったんです」

「斬り込み隊員には適合してます。大丈夫ですよトキミズさん。礼節と暴力は同居できるものです。幸いにして我々は全員、その術を教えることができる」


 丁寧な物腰での脅迫は残酷でいて、口触りもなめらかで柔らかかった。




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