六六転じて九九となる
さあ、主計と待ち合わせしている駅前に到着です。以世は自転車を置きますと(放置ではありません!)辺りを見回してみます。
主計、あの格好なのでしょうか。流石に駅前だと目立ちそうですが…。
不意に目の端にふわりとした何かが見えた気がしました。そちらを見てみると、髪の長い人の後ろ姿が見えます。生きてる人ではなさそうです。着物を着ていました。その人は切れ長の目で面倒くさそうに以世をちらりと見やると、スッと消えてしまいます。
ゆーれーだー。みちゃったー。何ともいえず微妙な顔をしていると、近くでクラクションが鳴らされました
「おーいこっち!」
錦の声です。近くに止めてある軽自動車のライトが不自然に光りましたから、多分あの車でしょう。というか、車の屋根に二反田が乗ってこちらを見ているのでまず間違いないでしょう。
二反田、その、こ、こんばんは…。
「はい、いい夜でございますな」
ちょっと言いたいことが色々あるのですがあまりに自然に堂々とされては突っ込むに突っ込めません。
「そいつそこ好きなんだよ。ほっといていいぞ以世」
錦は窓をあけつつそういって後部座席を指差しました。後ろに主計も乗ってます。
主計はあの忍者みたいな服の上にスタイリッシュな黒いジャージを着ているようでした。戸を開けて中に招いてくれます。
「以世、どうかしたのか?」
中に入るとなにやら心配そうな顔をされました。色々顔にでているようです。なんでもねーです。
「…そうか」
「つーかお前今日大丈夫なわけ? その、なんつーか、うん。何なら帰ってもいいんだけど」
錦はバックミラー越しに以世をみました。大丈夫です。心配いりません。
「なにかあったんですか?」
「何かっつーか…」
主計は前の席に手を突いて錦に尋ねますが、錦は困ったように以世を見るだけでした。
ちょっとお話しただけ。以世は主計に対して適当に誤魔化しますがあまりうまくはありませんでした。ですが主計は少し怪訝そうですがそんなのに誤魔化されてくれましたから、なんだか悪い気持ちになってしまいます。
「本当にいいんだな」
錦は確認をとるとアクセルを踏みました。
「じゃあいくぞー」
錦は安全運転でした。車ははこの前の場所とは反対に向かっているようです。
「ああいう狩り場が何カ所かあるんだよ。今日は別のとこ」
確かに周りの妖怪を集めるなら複数個所の方が効率がいいかもしれませんね。錦の話を聞きながら以世は天井を見上げます。気になって仕方ありません…。外から見たらシュールだろうなあ…。
「どれ、奴も風になってくるか」
そういうと六波羅はうきうき気味で二反田のいる天井上へするりと向かってしまいました。壁ぬけかあ。以世は思わず天井を触ってみます。通れません。
「以世、それは無理だと思う」
知ってます! ちょっと気になっただけです! 主計につっこまれるとやたら恥ずかしくてしかたありませんでした。
車は郊外へと向かい、林の中に入ります。少し奥に入ってから車をとめました。
「いるな」
錦はシートベルトを外しながら前方を睨みます。フロントガラスの向こう、木々の隙間から開けた場所があるのが見えます。そこにそれらはいました。以世は思わず目を逸らします。
錦は運転席から下りると、車のトランクを開きました。錦の武器が入っているようでした。
主計もジャージを脱いで扉をあけようとし、以世を振り返りました。
大丈夫。何か言われる前に以世は頷くと、自分で扉を開けました。六波羅は偉大な術師なのだそうですし、大丈夫です。多分、きっと、恐らくは。
「以世、明日も休みであろう。明日はマンガ喫茶にでも…」
やっぱり不安です。
「おっしじゃあ以世、無理はしないように。主計、以世の援護頼むぞ」
「はい」
悠長に会議してて平気なのでしょうか…。妖怪たちがこっちに来たりとかしないんでしょうか…。以世びびってますね。
「平気だ、あそこの木に御札貼ってあるだろ」
え、どこ…。以世がみつけられなくて困っていると主計が指をさして教えてくれました。
「以世、あそこ」
本当だ。以世はいくつかの木に御札が貼ってあるのを見つけました。
「三つのの結界だな」
「流石六波羅。あの御札は広場をぐるっと囲むようにいくつも貼られてる。札の囲む円の内部からはあいつらは出てこれないんだ」
「狩りの時にはいつも貼られておりますゆえ、中にはいるまで危険はございますまい」
あ、二反田が降りてきています。
「しかし某結界師のような使い方ができればなあ」
六波羅の呟きに錦が呆れたように答えます。
「それは高望みしすぎたろ」
できないのか…。以世はほんのりがっかりしてしまいました。
「じゃ、そろそろいくぞ」
錦が鞘を払い、主計の腕が変質します。以世は不安げに六波羅を見上げますと、ばちこーんとウインクをされました。不安募りまくりです。
「なに、以世は奴の言葉を復唱すればよい」
言葉を?
「そう、中に入ったらこうだ。六六転じて九九となれ!」
前と同じじゃないですか。
「まあそうだがな、それさえ唱えれば奴があれらを一掃してみせよう」
また鯉が…?
「まあそんなかんじよ」
適当ですが今は六波羅の言うことを聞くほかないでしょう。
錦は躊躇い無く結界内部に駆け込みますと、容赦なく妖怪を一匹切り捨てました。主計もちらりと以世に視線を送ってから結界に踏み込み、内側から更に以世を見ています。以世は一つ深呼吸をすると、思い切り中に踏み込みました。
「さあ行くぞ!」
後ろで六波羅が高らかに言いました。うざい!
主計は前方に走り出します。手近な妖怪をあっという間に三枚に卸すと、瞬く間に移動して次の妖怪へ腕を振りかざします。
「さあ、以世」
六波羅は大していつもと変わらぬ様子で以世を促しました。
何が起こるか分かりませんが、やるしかありません。以世は大きく息を吸い込みました。
六六転じて九九となれ!
漫画的に言うとカッとでも言うような光の洪水の出現に、以世は思わずひるみます。
すぐに光は止みましたが、何事かとこちらをみた錦と二反田、そして主計がやたらと驚いた顔をしていました。今、光以外に何かおこりましたかね…以世がそう思ったときです。
くおーん! 横から聞いたこともない雄叫びとすごい風圧を受けて以世はよろけました。
見ると、巨大な爬虫類の一部が見えました。
ぎゃあ!
以世が驚くと、それは動いて大きな目を以世に向けます。
大きな目は真っ直ぐに以世を見て、ゆっくり一度まばたきしました。
周りを見るとうねうねと長い、鱗に覆われた胴体のようなものが見えますが、これは…?
…どらぐーん? どらぐーんです! 手足の小さな東洋で言う龍がそこにいました。
…六波羅?
以世が恐る恐るその龍の鼻に手を当てて尋ねると、龍は気持ちよさそうに目を細めてから返事をするように鳴きました。そしてばちこーんとウインクをされて以世は困惑します。どうしよう、これ六波羅だ。
主計達は急いで此方にやってくると、辺りを警戒しながら口々にいいます。
「これはまた妖怪よりも妖怪らしいものがでましたね」
「龍はどちらかというと神格でしょう」
主計と二反田が感心したように結構さらりと会話をしていますと、錦は慌てて以世に声をかけました。
「おいなんだそれ!」
えーと、六波羅みたいです。以世がそういうと錦は信じられないという顔で龍こと六波羅のことを見ました。
「まじか…家神って変形すんのか? お前も?」
「お館様、私はロボではありませぬゆえ」
どちらかというと変身な気が…。妖怪達を見てみると、此方のことを遠巻きに見ていました。大きい六波羅を警戒しているように見えます。いえ、どちらかというと…?
ばふっと風圧を感じたと思って振り返ると、どうやら六波羅が素早く瞬きをしたようでした。遊んでいるのかばっさばっさ瞬きをしてきます。
ちょ、やめ、乾く! やめろってば!
ようやく瞬きがやんでまともに六波羅を見たとき、六波羅はによによ楽しそうに笑っているように見えました。龍なのに…。
六波羅は頭を起こして妖怪たちの方へ頭を向けてからちらりと以世を見ます。なんだろうと思う間もなくぐねりとうねってすごい早さで妖怪に向かって行きました。
猫バスのような目も開けられない風です。風音の中に六波羅の咆哮が聞こえました。やっと目を開けたときにはその場の妖怪は一体も残っていませんでした。
「まじか」
錦の呆気にとられたような呟きが聞こえます。六波羅はゆったりした動きで以世の元に戻ってくると、頭を地面につけて休憩し始めます。
いえ、以世を上目遣いでちらっと見てきます。これは、あれか。仕方がないので鼻の上の所を撫でてやると、不満そうにぐるるると言われました。猫か。爪を立ててかいてやると大変満足そうな顔をしました。
「強い強いとは話に聞いてたけど、これが六波羅か」
錦は何かを考えているようでした。
「やれやれ」
考えている錦の方を向いて以世の手がお留守になっている間に、六波羅は元の坊主もどきに戻ったようでした。なんだか変な顔で口をもごもごすると、口元を隠しながら何かぺっと吐き出します。
「…妙だな」
六波羅は疲れきったようです。その上苦い表情の相乗効果で不機嫌そうでした。
何が妙なのでしょう?
「いや、気にするな。それよりも以世、奴がこれだけ頑張ったのだから褒美の一つや二つや三つや四つくれてやってもよいのではないか?」
ふふんと自慢げに言う六波羅をうざいなぁと思いながら、以世は首を傾げて言いました。
風が凄くてどう六波羅が頑張ったのかさっぱり見えなかったのですが。そのおかげでやっつけた実感がまったくありません。
「言葉通り一掃したではないか!」
しましたけど…皆は見えました?
「いや、全然。…そういや昔も以千代さん本人が退魔士みたいなもんだったから六波羅全然出張ってなかったしな」
と錦。
「よくわからなかったけど、すごかったんじゃないのか?」
主計意外と適当です。
「よい風でございましたな」
二反田は話になりませんでした。
…お前すごいの?
「以世…」
非常に微妙そうな顔をする六波羅はやはりどことなく調子が悪そうです。
大丈夫か?
以世がそう聞くと六波羅は少し驚いたようですが、嬉しそうな顔で以世の頭を撫でる素振りをしました。
「なに、久々に働いたからな。基本にーとの奴には少々こたえただけのことよ」
確かに普段の六波羅はうるさいだけでなにもしませんがね。
「言ったな。歴史のてすとの答案くらいは手伝えるぞ」
ずるはいけません!
以世が怒っていると、「テストかぁ」と錦がこぼしました。
「お前どうしてもテスト手伝ってくれなかったよな」
「お館様、テストというものが己の力を試すためのものならば一人で乗り越えねばなりませぬ」
「へーへー」
錦は血振りをして刀を鞘にしまうと、電話で殲滅連絡をすませてから両手を頭の後ろで組んで車の方へ歩き出しました。
「帰るぞー」
みんなで車に乗り込み、二反田が屋根の上の定位置に収まったことを確認すると錦の軽は来たときと逆の道を走ります。その間錦は少しも喋らず何かを考えているようでした。
主計の腕って時間がたつと元に戻るんでしょうか、それとも自分の意志で戻せるものなんでしょうか。以世は、浴びた返り血を持参したタオルで拭いている主計を(正確にはそのタオルに書いてある企業名と電話番号を)眺めながら主計の腕に思いを馳せたり思考がずれたりしていました。
…この妖怪の血、もっと生物っぽい色でなければもう少し気持ち悪くならないんですけどね。うぷ。
「家の近くまで行くか?」
いきなり錦に尋ねられて、以世は慌てて首を振りました。自転車取って帰らなければ。
「そっか」
もうすぐ駅かというときに、錦はまた口を開きました。
「次から狩りはお前等二人に任せようかと思うんだけど、どうだ?」
えっ。唐突な提案に以世は反射的に無理です! と後部座席から身を乗り出して言いました。
「まあそりゃそういうわな」
ですよねー、とでも言うように錦は乾いた笑いを上げました。ですが錦は言います。
「でも正直仕事して五十君と百歳探してプラス狩りは体力的にきついんだわ、これが」
それはきつそうです。以世だって学校行ながらだってきついですから。
「六波羅があれだけ強いなら速攻で片が付く。主計もいるし、いけると思う。狩り場への足は用意させるから心配ない。どうだ」
どうだといわれても…以世は主計に助けを求めて視線を向けました。
「俺は大丈夫だと思う。六波羅様は強いし、以世一人なら守れる自信がある」
頼もしいことを言っています!
「じゃあ決まりってことでいいな」
決まってしまいました!
以世があうあう言っても錦は頼んだぞと笑います。
「市民を守るのが警察官の仕事なんだけどな、ホシあげんのも警察の仕事なんだ。それが市民を守ることにも繋がる。俺はそっちに集中すっから、パトロールは頼んだぜちびどもー」
錦は豪快に笑いながら言いますが以世は不安でしかたありませんでした。その日は駅前でみんなと別れてとぼとぼ帰りました。
ばれないように自転車をおいて、こっそり家に帰ってくるのに成功しました。自分の部屋の前に六波羅様の部屋に入って座り込むと、六波羅もよいしょと座ります。
「疲れたか」
そうですね、以世自身は何もしていませんがなんだかがっつり疲れてしまいました。
「九九鱗は当主の力を多分に借りねばならぬからな」
そうなのですか?以世が尋ねると六波羅は深く頷きました。
「倒れるかとも思ったが、流石は以千代の子といった所だな。術師の才があるのではないか?」
あの場で以世が倒れたらどうするつもりだったのでしょうこいつ。
「主計が運ぶだろう、あやつ以世が心配で仕方がないらしいからな」
いやいやいやそういう問題じゃないですからね。以世は言いますが六波羅はかかかと笑います。
「あれもすっかりしょたこんやろうに成り下がったな。しかし前より人らしくなりおった」
誰のことです?
「何、気にするな。こちらの話よ」
何をいっているのかよくわかりませんでしたが…まあサブカル的な響きなので放っておきましょう。
「以世、早く部屋に帰れ。またここで寝ては疲れがとれぬぞ」
六波羅の言うことはもっともです。今日はこのまま部屋に帰って寝てしまいましょうか…。
それにしても、今日も妖怪は気持ちが悪かったです。どれも人体をモチーフにしたオブジェのような外見で、みんな動いて生きているみたいですものね。妖怪というとお化け屋敷にでてきそうですけれど、あれらはどちらかというと洋画のモンスターみたいです。
そういえば、妖怪達は九九鱗の六波羅のことを遠巻きに見ていましたっけ。まるで怖がっていたように見えましたが…。見たかんじ感情とかあるのか首を傾げる感じですが、妖怪達も何かを考えていたりするのでしょうか?
簡単に拝んでから部屋に帰ると、六波羅は先ほどの以世の疑問への答えなのか首をゆっくり横に振りました。
「あまり気にするな。いいことはないぞ」
変なコメント…。
ああ、そうでした、まだ寝るのはだめです。だって以世は、まだ六波羅に大事な話をしてもらってません。やつから話を引き出さねば…。
そう思ってはいましたが、以世はうっかりそのまま眠ってしまいました。
以世は不思議な夢を見ました。暗い暗い穴の底で自分より少し年下くらいの女の子が一人で泣いているのです。着ている着物は昔はいいものだったに違いありませんが、今は時間がたったのか色褪せてぼろぼろです。
どうかしたの?
以世が尋ねると、女の子は嗚咽混じりにこう言いました。
「悲しいのです。ずっと一人で、寂しいのです」
何故悲しいのですか? なぜこんな所に?
尋ねても女の子は答えてくれません。さめざめと泣きながら「お兄様…」と兄を呼ぶだけでした。以世は困りました。泣き止んでくれないかと色々試してみましたが無駄でした。何かこの子に関することでもお兄さんに関することでも、周りに手掛かりはないものでしょうか。
あたりを見回そうと振り返った以世の目に、白い何かがぎらりと光って見えました。
白くて長い二本の刀が、鋏のようにクロスして以世の首に刃を添えられています。
あっと思った時にはもう刃は助走をつけて…。
以世は叫びをあげて飛び起きました。
「なんだ、どうした以世」
普通に自分の部屋でした。六波羅は驚いたのか以世の顔を覗きこんでいました。
なんだかすごくいやな夢を見た気がします。そう六波羅に言うと、以世は汗に濡れた寝間着の中に風を送ろうとぱたぱた襟首をあおぎました。
「ほう、どんな夢だ」
もうあまり覚えていません。ただ…。
「ただ?」
誰かに置いて行かれた子がいた気がした。そんな気がします。
「…ほう」
以世は汗のせいか夢のせいか、背筋がぶるりと震えました。