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籠目の星へ願う  作者: きぬがわ
18/20

霧を穿つ

 くっそー!!!

 以世はでこぼこした獣道を自転車を押して走りながら雄たけびをあげました。

 自分は何もできないやつだとわかっていたのに、感情だけで突っ走るべきではありませんでした。そんな大事なことを忘れていて、現在戦闘もできず逃げに徹しているだなんて馬鹿以外の何物でもありません。

 いつもこうです。悔しいことが起こると「こうすればよかった!」と後悔ばかりしてやっと思い出すのです。自分が無力だということを!

 六波羅がどれだけ自分の力になっていてくれたのか、いかに自分が庇護されるだけの存在だったのか、痛いほど突きつけられて、以世は奥歯が砕けそうなほどかみしめました。

 自分の落ち度から逃げるように、以世は走って走って走って走って、そして突然現れた何かを車輪で踏みつけてしまいました。

 ぐにっという柔らかい感触と、きゃいんというような苦しげな鳴き声をきいて、以世は思わずぎっくりして急ブレーキをかけて止まってしまいました。

 なんかひいた!

 慌ててひいてしまった何かを振り返ると、暗い中で何か生き物が見えた気がします。目を凝らしますと、そこには目を渦巻にして伸びている子ぎつねが一匹。

 きつねひいた!!?

 立ち止まるな、という主計の言葉を思い出して少し迷いましたが、以世は自転車をその場において子きつねに駆け寄りました。抱き起しますと、子きつねはすぐに気が付いてぷるぷると頭を振って以世を見上げます。思ったより元気なようでよかったです。しかし、このきつねさんどこかで見たことがあるような…?

 こん。

 少し見つめあってから以世ははたと気が付きました。

 このきつねさん、モモのところの頭のいいきつねさんでは!?

 その言葉に、きつねはそうですとでもいうようにもう一度こん、と鳴きました。きつねは以世の鼻に自分の鼻を摺り寄せて挨拶をすると嬉しそうに尻尾を振ります。きつねはイヌ科、以世はそんなことを思い出していました。

 モモのきつねさんがここにいるということは、モモも近くにいるんですか?

 期待を込めて尋ねましたが、きつねさんはぶんぶんと首を振って否定します。

 もしモモがいたならば百人力だと思ったのですが、世の中やはりそううまいこといかないもんですね…。がっかりして肩を落とした以世ですが、きつねさんはそんなことお構いなしにするりと以世の腕から地面に降りると、ズボンの裾に噛みついてぐいぐいと引っ張ります。引っ張っている先は獣道から外れた茂みの中でした。

 一体どうしたのでしょう。聞いてみても、きつねさんは以世を一生懸命引っ張るだけです。

 どこかへ連れて行きたいのでしょうか。でも急がなければ、主計が引き留めているものが追いついてしまいます。

 こん!

 以世が迷っていると、きつねさんは痺れを切らして以世の裾をはなして、近くの茂みへ大きなジャンプをして飛び込みました。しかし、すぐに入ったばかりの茂みから顔をだし、も一つ鳴いて奥へ消えます。

 どうするべきか。迷っている暇はありません。

 主計はなんて言ってました? 一人では、無理。

 以世は勢いよくきつねさんの消えた茂みへ飛び込みました。きつねさんはすぐそこで止まって待っていてくれたようです。以世の姿を確認すると、すぐに走り出しました。

 奥へ、もっと森の奥へ。

 きつねさんを追って、追って、道なき道を枝や草を払いのけながらできる限り全速力で進みます。そのうちに、かなり遠くで動物のような、誰かの雄たけびのような、低い叫び声が聞こえた気がしました。

 もう一つ茂みを突破したとき、視界が開けました。そこはあまり大きい木が密集していないすこし開けた場所になっていました。きつねさんの目的地はここのようです。座って以世のことを待ってくれていました。

 上がり切った息を整えながら、以世はきつねさんに聞きます。

 それで、ここに何が…?

 それを聞こうとした以世に対して、きつねさんは「静かに!」というように尻尾をぺしりと地面にたたきつけました。

 そしてきつねさんはゆっくりと近くにある一番大きな木に近づくと、以世からは見えない反対側の根元へ消えて行ってしまいます。

 追いかけて気の裏を覗きこんでみると、そこでは小さな女の子が膝を抱えて座り込んでいるのが見えました。

 女の子は怖いのか、寒いのか、あるいは両方か、ひどく体が震えています。

 こん。

 きつねさんが話しかけるように一つ鳴いて、その子のむき出したの肩へ頭を寄せました。

 むき出しなのは肩だけではありません。その子は森の中にとても似つかわしくない薄い病衣姿でした。白い脚はなんと裸足です。そのまま森を動き回っていたのか血と泥で汚れ、疲れきっていました。

 きつねさんに促されてゆっくりと顔を上げるその子は、まるで死人のように青ざめた顔をしています。しかし、その子は以世のことに気が付くと、その顔をさらに青くして以世の顔を見上げます。

「六の当主…!」

 そう呼ばれて、以世は目を丸くしました。

 こんな小学生くらいの小さな女の子は知り合いにいないと断言できます。ご近所にもいません。いえ、ご近所にいたとして、こんな特殊な呼び方をするはずがありません。

 君は一体…?

 尋ねる時間はない、とでもいうように、きつねさんが鳴きました。

 移動を求められているようです。ですが、女の子は足のけがでとても歩けそうにありません。

 遠くでまた、何かが叫んだ気がしました。

 行かなければ。

 以世は、彼を見上げるきつねさんに力強くうなずきました。

 乗って。以世がしゃがみこんで女の子に背中を向けると、女の子はうろたえたようです。

急いでいかなきゃいけない。行かないと、追いつかれてしまう。

標準的な体力の以世でも、一応は男子です。小さな女の子を背負って走るくらいはできます。ですが、いきなりのことに驚いた女の子はその場から動きませんでした。

「で、でも」

 いいから!

 以世の剣幕に押されたのか、女の子は困惑しながら以世の背中にそっと手を置きましたが、一体どうしたらいいのかわからないのかそのまま固まってしまいました。

「ひゃっ」

 その両手を取って肩につかまらせて、以世は一気にその子を背負って立ち上がります。

 また、叫ぶような声が聞こえました。また近づいています。

 きつねさんは以世がきちんと少女をおぶったことを確認しますと、すぐにまた二人に背を向けて走り出しました。

 先ほどからずっと走りっぱなしですから、ずいぶんと疲れてはいましたけれど、以世は必死に追いかけます。

 追いかけても、追いかけても、大して風景は変わりません。どこまでもどこまでも続く森の中で、まるで果てが見えませんでした。

 いいえ、もしかして、本当はここに出口なんてないのではないでしょうか…?

 そんな以世の不安が伝わってしまったのか、女の子が以世の肩を吹くだけぎゅっとつかみました。その途端、以世ははっと息をのみました。

 事情は分からないけれど、以世よりもこの女の子の方が不安で怖くてたまらないはずです。それなのに、ずっとお兄さんの以世が弱音を吐いてどうするのでしょう。

 大丈夫。走りすぎて足がパンパンですが、以世はにっこり笑って言い切りました。

「…え…?」

 以世の言葉に、女の子は呆けた小さな声をあげました。

 大丈夫、どうにかする。だから安心してほしい。

「…お前は…」

 その時、うんと近くで大きな大きな叫び声が聞こえました。あまりに大きな音量、そして、ひどい反響で声の主の方向が一向にわかりません。

 先を行っていたきつねさんが素早く以世の後ろへまわり、今まで彼らが来た方向へ威嚇をするように唸り始めます。

 まるでその闇の中に、目と鼻の先に、何者かが潜んでいるかのように。

 ふと、以世は自分の行く先に何かがあるのに気が付きました。暗いのに目が慣れているからと言って、すぐにそれが何かわかるわけではありませんから、目を凝らしてよく見てみます。それは、自転車のように見えました。

 いいえ、ようにではありません。自転車でした。それも、乗り捨てたはずの以世の自転車です。

 なぜこんなところへ。全く別の方向へ進んできたはずだというのに、知らず知らずに戻ってきてしまったのでしょうか。

 以世が顔をしかめて言うと、女の子が真剣なようすで口を開きました。

「これは、お前のものなのか?」

 以世がこくりと頷くと、女の子は大きな大きなため息を一つつきました。

「…やはり逃げるのはもう、無駄だな」

 あきらめた声でつぶやいた女の子は、先ほどより強く以世の服を握りしめました。

 なぜ、そんなことを?

 以世は静かに尋ねますと、女の子は泣き叫ぶように言いました。

「森が閉じている。これは結界の一種だ。このまま歩き続けても、閉じられた空間の中をさまよい続けるだけだろう。…今の私では、これを破ることはおろか、風穴を開けることもできない」

 なんだか訳知り顔ですね。以世の呼び名といい、この結界の話といい、この子は普通の女の子ではなさそうです。

 以世はふむと首をかしげました。

 では、ここは上っても上ってもずっと上り階段というような、そういった怪談めいた場所であるということですね?

「ま、まあ正しいが…気の抜ける例えだな…」

 それで、君は今はできないけれど、この状況を作ったり破ったりすることが以前は出来たわけですね?

「…そんなことを聞いてどうするつもりだ」

 決まっています。コツを教えてもらうつもりです。

「え?」

 ざくりと、以世達の背後、きつねさんがいる方向から、何かの足音が聞こえました。重いその音は、獣か他のものなのかはよくわかりませんでしたが、人間ではないことは確かです。

 もうぼんやりしている暇はなさそうですよ。

 今まさに、以世達の後ろに、危機が迫っていそうじゃありませんか。

 というか多分振り返ってみてみたらその途端怖すぎて吐くような何かがいるに違いありません。

 手がないのなら作るしかないのではないですか? やってみないよりは、やってみた方がいいと思うのです。だから、以世に結界を破るコツを教えてもらえませんか。

 以世は女の子にいうというよりは、自分自身に言い聞かせるように言っていました。

「そんなほいほいと使えるようになるほど簡単なものじゃない!」

 ではこの後自分たちはどうなるかわかりませんが、とにかくあれに追いつかれておしまいですね。

 以世がそういうと、女の子は押し黙ってしまいます。

 ごひゅう。

 先ほどから聞くまいと思っていた荒い呼吸がすぐ後ろに迫っている気がしました。聞き覚えのある音です。それはその場で立ち止まったまま、じっとこちらのことを見ているようでした。

 振り返るな、という主計の言葉を思い出しながら、以世は天を仰ぐように深呼吸をしました。

苦しげな息が、聞こえる。

「六の当主…いや、以世だったな」

 なぜ、女の子が以世の名前を知っているのかはなはだ疑問ではありましたが、それを聞く気はありませんでした。

 ここはおそらく不思議の森なのです。なんでも起きます。ある正体不明の怪物を倒すのには、ある特定の武器が必要だという話があるそうです。以世は特定の何かに対抗できる武器なんて、いえ、目の前の何かに対抗できる武器なんて、何一つ持っていません。

 ですが、だからといって以世は逃げてばかりなのをよしともできませんでした。

 ———振り返っては、いけない。

 しばしの沈黙ののち、女の子は声を低くして言いました。

「君はあれにそっくりだな。あの時に負けず劣らぬ大博打だ。…できなかったら死ぬと思いなさい。いいね」

 以世は無言でうなずきました。

 女の子は以世の肩へ祈るように額を当てた後、思ったよりもずっと力強い声で以世に言いました。

「下ろしてくれ」

 でも、と言いかけましたが、女の子に手が自由にならなくてはと言われて以世は渋々女の子を地面に下ろしました。足が地面に着いた途端、女の子は痛みに顔をしかめましたが、すぐに前を睨み付けます。

「息を整えて。力を抜きなさい。目の前に壁があることを感じられるかい?」

 以世は女の子に言われたとおりにします。しかし、目を開けても閉じてもあたりは真っ暗です。壁があるかどうかなんて、わかりませんでした。

 しかし、深呼吸をして注意深くあたりに何かがないか、何か感じるものはないか、探してみることにします。

 風が木々をゆする音がします。

 誰かの苦しげな喘ぎ声が聞こえます。

 森の中の生き物という生き物がすべて息をひそめているのを感じます。

 何者かが激情を抑えつけている気配がします。

 自分があたりを見ている。

 自分が誰かに見られている。

 だんだんとそんなことを感じ取れるような気がしてきて、以世は不思議に思いました。

 いえ、それよりも考えます。

 この人は誰でしょう。

 自分を見ているこの人は一体誰なのでしょう。

 いえ、誰だと思うことの方がおかしいのです。

 この人のことを、以世は知っています。

 知っているのに、今の以世には何もできません。

 今の以世はどうにもできないのです。

 以世は本当に役に立たない自分が悔しくて、奥歯をかみしめて感情に耐えました。

「森を覆う異物がある。…霧にしよう。黒い有害な霧が森を覆っている。私たちは、それに阻まれてこの場を迷うことしかできない」

 女の子が以世の心を誘導するように静かな口調で言いました。

 そうすると、目を閉じているはずの以世の目の前に、さっとネガのように色を反転した森が現れた気がしました。

 すぐ目の前に立ち込める霧が自分たちを邪魔している…。

「目の前の霧を晴らしたい。君は何を使う?」

 その問いに、以世は即座に風、と一言で答えました。

「いいだろう。一陣でいい。君の風で、あの霧を薙ぎ払う。飲まれてはいけない。ほんの少しでいい。針で突いた穴程度でいい。風穴を開ける。そのためには、君の風の力を集めなくてはいけない」

 一点集中。

 以世は自分の掌に風を集めるイメージで両手を自分の目の前に掲げました。

「君の風は霧を散らして穴をあける。その穴からは、新しい風が流れ込んでくるだろう」

 そう、そしてその流れ込む風が、穴をさらに大きくするのです。

 以世はすっと目を開いて、目の前にある霧を睨み付けました。

「穿て!」

 女の子の一言を合図に、以世は集めた風を両手で押し出すように霧へ打ち出しました。

 以世の集めた小さな、しかし力強い風の球は、弾丸のように飛び出していきました。しかしすぐに霧に飲まれてしまったように見えてしまいます。

「…だめか」

 女の子が一言こぼすと、以世は力強くいいえと返しました。

 びしりとどこかに亀裂が入ったような音がした瞬間、嵐のような大風が、以世達を正面から襲いました。あまりの強風です。以世はとっさ前から女の子を抱きしめて風からかばいました。

 その時、以世は今まで自分の背後に広がっていた光景を正面から見てしまいました。

 以世の後ろで構えていたきつねさんの向こうには、鬼がいました。

 大きな大きな鉄色の鬼はぎらぎらと光る九つの丸い目で以世のことを見下ろしています。その手には、白い毛皮が赤く汚れたあの大きな狼が掴まれていました。

 —―—ああ。

 主計が本当は何から逃げろと言っていたのか、以世はそのときわかってしまったような気がしました。

 鬼に対峙していたきつねさんが急に以世にとびかかります。その途端に、以世にはきつねさんが鬼に掴まれた狼並みに大きく立派になったように見えました。驚いている暇もなく、以世はきつねさんに襟首を咥えられてしまいます。

 ぐえっ。

 首が思いっきり締まっていますが、きつねさんはお構いなしに猛スピードで鬼から距離を取り、全速力でその場から離れました。

 ひらり、と。

 以世達がその場から消えるのを待っていたかのように、その場に何かが降り立つのが見えました。それは、鬼に引きずられたままの大きな狼にそっくりでした。

 しかしそれが見えたのは一瞬だけで、すぐに茂った枝葉で視界がかき消されてしまいます。

 首が締まったまま高速で移動すること数分、女の子のことは意地でも放しませんでしたが、そろそろ息が限界です。

 なんだか苦しさが逆に気持ちよくなってきたところで、以世は突然べしゃりとめちゃくちゃに固い地面に激突しました。

 痛い…。

 一体何が起こったのかよくわからないまま身を起こしますと、横にいたきつねさんがもうだめといわんばかりに地面に寝転がっていました。そのサイズが化け狐という呼び名に相応しいくらいに大きくて、以世は一瞬それがあのきつねさんだということに気付くのが遅れました。そのきつねさんは段々と空気が抜けるようにサイズが小さくなっていきます。

 きつねさん、大きくなったり小さくなったりできるなんて、とても便利ですね…。

 一体ここはどこでしょう。あたりを見回すと、ずいぶんと開けた場所に出ていることがわかりました。夜中であることは確かなようですが、コンクリートの地面、背後にはどこかの家の生垣、すぐそばを走る電車の音…ここは明らかに病院の近くの森ではありません。

一体ここはどこなのでしょう。

 混乱したままでいますと、腕の中にいた女の子が恐る恐る目を開けたようでした。

「…? ここは?」

 女の子にもわけがわからないようです。

 とりあえずあたりに危ないものはないようではありますけれど…。

 二人で顔を見合わせていると、後ろで誰かの足音が聞こえました。

「何やってるんだ? 君たち」

 聞き覚えのある声。以世は声の主を振り返りました。

 その男の人は座り込んだ以世と女の子をかかがんで見下ろしながら、不思議そうに紫に色のついたメガネの向こうでぱちくりと瞬きをしています。

 見たことのあるそのお兄さんの背後には、これまた見たことのあるビルが建っています。

 そこは、拝み屋のビルヂングの目の前でした。


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