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籠目の星へ願う  作者: きぬがわ
11/20

街を見下ろす人

 その日は雨が降っていた。

 見通しのきかぬ霧雨の中、私はその日も静かにこの街を見下ろしていた。籠目の星にかけたという願いは未だに成就していない。しかして本当にその願いが叶う日が来るのだろうか。気の遠くなるほど待ったが、大きな動きはまだない。私にはその日がくるとは到底思えなかった。

 雨のおかげで街は霞み、ほぼ見えぬに等しいが眺めてきた時の長さのおかげで街並はすっかり記憶に焼き付いている。だがしかしあの中を歩く想像をしようといつも思考をこらすのだが、何分相手は小さな景色、建物や道の詳細を知らぬ私には空想の散歩さえとうてい無理なことだった。

 ぱしゃりと水たまりを踏む音が聞こえた。足元に住まうあの方の血族さえここには滅多に近づかぬというのに、一体このような場所にだれが何用で参られたのか。私は足音の主を見やった。

 子供だった。まだ五つにも満たぬような幼い子供が、一人傘も差さずにこちらを見ていた。…私を見ていた。

 珍しいこともあるものだと感心する前に、私は子供の瞳に目を奪われた。ひどく不安げな、しかしその奥に潜む強い光は、陰謀謀略とよからぬことばかりを企んでばかりいたあの人の濁りきった目ばかり眺めてきた私にとって酷く懐かしく、美しいものに映った。今となってはその人も懐かしい人の一人になってはいるのだが、思えばあの人は本当にろくでもない人物だった。あんな男に縁が繋がったのが運の尽き。しかしこうなってしまってはもはや手遅れだ。諦めて今まで通り大人しく街を眺めているしかない。

 しかし今問題なのはこの子供だ。

「童」

 私はそう子供を呼ぶが、子供は不審そうに辺りを見回してから急に凛々しい顔になってこう答えた。

「おれはカッパじゃない」

 そうじゃない。ワッパ。子供。なんだかとぼけた子だ。

「…おいで。一体此処へは何をしに?」

 どうやら子供は一人らしい。子供は辺りの様子を窺ってから少し私に近づいて答えた。先ほどの凛々しさはどこへ行ったのか、表情は暗い。

「じいちゃんが、帰ってこないから…」

「おじいさま?」

 子供は頷いた。

「おばあちゃんが、泣いてたんだ。こっそり。じいちゃんがもう帰ってこないかもって、ひとりで」

 子供は続ける。

「おばあちゃんはじいちゃん大好きで、おれも妹も大好きだから…。もしかしたら、ここかなって。もしじいちゃんがいなくても、なんとかなるかもって」

 子供は必死に語っているが、少しわかりにくい。

「何故ここだと?」

「じいちゃんがいってた。ロクハラサマがいないとき何か困ったらここにいけって」

 そう子供はその真っ直ぐな瞳で私を見据えながら言った。

「ここにくれば、××さまが力を貸してくれるはずだってじいちゃんが」

 妙な雑音で私の名だったはずの言葉がかき消された。戸惑う私の心を置き去りにして、私は静かに答えている。

「そうしたいのは山々だが、それはできない」

「…なんでおじちゃんがそんなことを言えるんだよ」

 おじちゃん…少なからず心に傷を受けた。私が他界したのは二十代だったというのに、子供は残酷だ。残酷すぎる。

「…何故ならば、君の目の前にいる男が君の探し人だからだ」

「じいちゃんは、その人はロクハラサマの仲間だって」

 子供はずいと身を乗り出すように私へ数歩近づいた。

「それってかみさまってことじゃないの?おじちゃんはただの幽霊でしょ?」

「そう、その通り。私はただの幽霊だよ。…ただの年季の入った地縛霊だ。ここから動くことはできない。だから、君のおじいさまを探してやることはできない」

「…助けてくれないの?」

「すまない」

 子供はひどく途方に暮れた表情をして俯いてしまった。手伝ってやりたいが、私は杭が打たれているので移動することができないのだ。

「…風邪を引かぬうちに帰るといい」

 子供はふるふると首を振ると力強く顔を上げた。何かを決意したような強い想いのような物を感じてどきりとする。

「俺はじいちゃんを探さなきゃ」

「それはいいが…もう暗くなる。家に帰りなさい」

「だめ。じいちゃんが帰ってこないと、おばあちゃんがずっと泣いちゃうから。…一通り探したけど、あとじいちゃん、どこに行きそうかな…」

「…探すあてはあるのか?」

「ない!」

 清々しいまでの回答に、私は思わず噴き出した。

 今なんで笑われたのか全くわからないというふうにむっとしてしまった子供に笑いを堪えながら謝るが、逆効果だったようだ。子供はそっぽを向いてしまった。

 しかし私はこの子供の後先考えず今を生きている様子がひどく気に入ってしまった。あんな人ではなくこんな子が主であったら…。

 そんなことを考えるのは不毛なことこの上ないが、もしそうであったなら、私も少しは人生を楽しめたかもしれない。はらはらして寿命が縮まりそうではあるが。

「…何か困ったこと起きたなら、またここに来なさい。出来る限り力を貸そう」

「借りれなかったからいい」

 この子供、結構厳しい。

「…ではおじいさまを探す上で二つ私と約束してほしい」

「約束?」

「そう、おばあさまの為の約束」

 そういうと子供は首を傾げた。

「一つは危ない所には行かないこと。もう一つは日が暮れる前にきちんと家に帰ること」

 子供は不満げだ。

「じいちゃんを早く見つけたらばあちゃん喜ぶのに…」

「しかしもしおじいさまを探すために君が遅くまで戻らなかったり怪我をしたりしたらおばあさまはどう思う?」

「…心配する」

「そう。君はおばあさまを心配させるような男ではないね?」

「…わかった、約束するよ」

「よし、いい子だ」

 私は子供の頭を撫でてやろうと手を伸ばしかけるが、自分がすでに死んでいることを思い出してそのまま手を引っ込めた。

「さあ、早く帰りなさい。日が暮れてしまう」

「…うん」

 子供は私に背を向けて歩き始めると、いくらかもいかぬうちに立ち止まった。

「××さまは、ここで何をしているの?」

 まただ。雑音で私の名がかき消された。

「…ただここで、街を見ているのだ」

 そう、今はそれ以外なにもしていない。

 子供は首を傾げるが、私は苦笑するしかできなかった。

 いつの間にか霧雨はやんでいる。約束を果たしてもらえるねと、私は子供に家路を急がせた。

 誰もいなくなったそこで、私は街を見下ろす。

 …先程から私の名だけが思い出せない。知っているはずだというのに、

 まるでそこだけ記憶からはぎ取られたかのように思い出す糸口さえ見つからない。

 あの子供は私のことをなんと呼んでいただろうか。私はあの頃己のことをなんと呼んでいただろうか。

 思い出そうとすればするほど、雑音が酷くなっていく。

 …私は一体、誰だっただろうか。




 以世は目を覚ますとくるまった布団の中でもそもそとうごめいていましたが、やがて枕に顔を埋めて空気が抜けたように脱力しました。

 …なんだかひどく懐かしい夢を見た気がする。以世は寝起きのぼんやりとした頭で今の今まで見ていた夢を思い出そうとしました。

 祖父がいなくなった頃の夢でした。

 そういえば、祖父から裏山に誰かがいるから何かあったら頼れとかなんとか言われていたような気がします。一度だけ頼った気がしますが大して何もしてくれなかったような気がします。その夢でした。

 誰でしたっけ、あれ。あそこ、裏山のどこでしたっけ。なんだか思い出せそうで思い出せません。

 …話したほかにも、なにかなかったでしたっけ…?

 ふと時計を見ると、針は六時を指していました。あんまりな時間に以世は固まってします。窓の外は薄明るいです。祖母とうどんを食べた後部屋でのんびりしていたはずなのですが、いつの間にか寝てしまったようでした。

「以世…やっと起きたか。昼寝から続けて朝まで眠りこけるなど、なかなかできることではないぞ」

 ふわーっと浮いて以世の前にやってきた六波羅の言葉を聞いて、以世は関節がさびたように鈍い動きで六波羅の方を見ました。ままま、まさか今は朝の六時なのですか…? 以世が尋ねますと、六波羅は深く「うむ」とうなづきました。なんてことでしょう、午後からいろいろやろうと思ってたはずなのに!

「まあ嘘だが。今はまだ日が落ちたばかりだぞ」

 嘘かよふざけんな! 六波羅に投げつけた枕が六波羅をすり抜けて壁に激突します。

「以世は意外と学ばぬな。前にも同じことをしたではないか」

 確かにこの前も座布団をすり抜けたような気がします。六波羅は愉快そうにふぉっふぉっふぉと笑って以世を馬鹿にしました。以世はそのうちこいつをぎゃふんと言わせてやると心に強く誓います。

 それにしてももうこの時間では慈善病院へ行く送迎バスはなさそうですね。確かあそこの診療受付時間は六時まででしたから…。病院には明日の学校帰りにすることにしました。

 それからすぐに祖母から夜ご飯ですよと呼ばれて食堂に行きますと、やはり食事は祖母と以世の二人分だけでした。どうやら壱世は夜も少し遅くなるようです。

 食事を済ませて部屋に戻りますと、以世はぼんやり考えました。

 …裏山に行こうかな。

 思い立ったら吉日といいます。以世は軽く支度をして家を出ました。祖母には夜の散歩に行ってくると言ってあります。

「いきなりどこへ行こうというのだ?」

 六波羅の問いかけに以世は一言裏山ですと答えました。以世の突然の思いつきに六波羅は首をかしげました。

 以世は六波羅と初めて会ったときに登った道を辿るように進みます。

 唐突といえば唐突なので六波羅が変に思うのも仕方がありません。ですが以世はなんとなくあの高台にいた誰かが今もいるのか気になったのです。前六波羅と登った時はそんなことすっかり忘れていましたからあまり気にしませんでしたけれど、あの時はそれらしい人影はありませんでしたし。六波羅が龍で送ってしまったお兄さんは全く別人だったように思えます。龍のお兄さんは現代の寝巻のような恰好でしたが、昔あった男の人はもっと昔の…そう、武士のような恰好をしていましたから。

 裏山って、誰かいますよね? お堂のような建物と六六鱗の塚を通り過ぎたあたりで、以世が六波羅に尋ねますと、六波羅はよく知っているなと微笑みました。

「以吉から聞いたか」

 こくりと以世は頷きます。昔祖父の話を頼りに裏山の見晴らしのいいところで誰かおじさんに…今思うとお兄さんだったのかもしれませんが、男の人に会った気がするのです。六波羅に言うと、そうかと目を伏せました。

「そうさな…。前に共に裏山に登ったろう」

 確かに上りましたね。わけのわからないまま六六鱗がお兄さんと一緒にいなくなりましたね。以世はできるだけ棘を込めて言いましたが六波羅にはそんな棘は全然通用しませんでした。

「そう、それだ。その話をした場所に、妙なものがあったのを覚えてはおらぬか」

 妙なもの…。六六鱗とお兄さんの他になにか変なものありましたっけ? 以世はしばらく考えてから思い出しました。…端っこの方に、掘り返された塚が…。

「うむ、それだ」

 あそこに武士のような男の人がいるんですか? 以世が聞きますと、六波羅は首を横に振りました。

「奴もさらりとしか見なかったが、あそこにはもう何もおらぬ。何者かが何事かのために塚を掘り返し、あそこにいたものをどうにかしたのだな」

 どうにかって、どうなったんですか?

「さてな。消されたか、それとも…」

 六波羅は少し考えるような仕草をしますが、すぐになんでもないような口調でいいました。

「しかし問題は誰が何のために奴の土地で好き勝手をやったかだな」

 六波羅はいなくなった塚の主のことは心配じゃないんですか。以世がじっとりとした目で六波羅を見ますと、六波羅は肩をすくめます。

「なに、あれなら元気にやっているさ」

 まるで会ってきたような言い方ですね。ここまで詳しいならやっぱり知り合いなんですよね?

「まあなあ、あれは奴のぱしりだからなあ」

 可哀想な人なんだなあと以世はあまり覚えていない塚の主のことを思い浮かべました。そういえばイケメンだった気がしますね。なんかこう、華やかな顔立ちで、俳優さんみたいな…とそこまで考えたところで以世はあれとあることに気が付きました。

 名前を覚えていないのです。なんとか様、と祖父は言っていたはずなのですが…そのなんとかがどうしても出てきません。

「あれの名前?」

 塚の主をパシリにしていたという六波羅に聞いてみますと、彼はなんだそんなことかとでも言うように言いましたがその続きは出てきませんでした。どうしたのですか? 以世が聞きますと、六波羅ははっとしたように以世を見ました。

「ああ、いや…忘れた」

 え。以世は意外な答えを受けて口を開けたまま六波羅を見てしまいます。

「あれの名前をすっかり忘れてしまった。なんだったか」

 どうやら本当に忘れてしまっているようです。六波羅は「あれも違うこれも違う」と名前を並べ立てては首を傾げていました。塚の主は不憫な人ですね…。

「以世も人のことは言えまい」

 ぐうの音も出ません。

 でも前にその人とあったとき、話したほかにも何あったような気が…。祖父がいなくなってから十一年程たっていますから、記憶が曖昧です。

 …九。以世はぼんやりとした記憶を手繰り寄せます。

 九の字ついてませんでした? その人の名前。

 以世はそう言いますが、六波羅全くピンとこないようでした。

「九…はて、どうであったか…」

 そこで以世はそこはかとない不安と嫌な予感に襲われました。

 …六大呪家って本当に七までで終わりですよね? 八とか九とかあったら怒りますよ。以世が六波羅をじっとりした目で見ますと、六波羅は呆れたように苦笑しました。

「そのような家ありはせぬよ」

 本当ですかね…。

 ふと以世は人の声を聞いたような気がして足元を見ていた顔をあげました。ような気がする、ではありません。人の声が聞こえます。その声は何かを歌っているようでした。足を止めて聞いてみます。

「…この声は」

 かごめかごめのメロディのようです。よく聞こえないのですが、なんだか歌詞が違うように思えました。どうやら声は以世達の目指す開けた高台の方から聞こえてくるようです。声は高くもなく、低くもなく、女性とも男性とも判断が付きません。

 いつも以世の後ろをついて歩いている六波羅が珍しく以世の前に立って進み始めます。以世も六波羅を追うように歩き始めました。木々の隙間を抜けて、視界が開けます。高台へやってきた二人の目に入ったのは、大きな三日月を背景に街を一人見下ろすの誰かの後ろ姿でした。

 塚の主であるなんとか様でも、前にここから龍に乗って行ったお兄さんとも違います。その髪の長く、引きずるほど長い裾の着物を着た人はその場に座り込んで楽しげに歌っていました。

 かごめ、かごめ。かごのなかのほしは…。

 ふと、こちらに気が付いたのかその人が歌を中断して以世達を振り返ります。その振り向き様を見て以世はあっと声を上げましたが、月に透けて見えるその人がこちらへ視線を向けると以世はいやうーんと内心首を傾げました。

「ああ、珍しいお客様だ」

 その人は突然の来客である以世達を見ても全く驚く様子はなく、むしろ歓迎するように片手を以世へ伸ばしました。優雅なその動きは、まるでお姫様がその手にキスを許す動きのようにも見えました。

「おいで」

 以世は振り返るその人を見たときに物凄く知り合いの誰かに似ていると感じたのですが、正面から改めてみると一体誰に似ていたのかさっぱり分からなくなってしまいました。

 月の光で体が透けているため、おそらくこの人は人ではないのでしょう。通りすがりの幽霊でしょうか。

 その人の中性的な姿から滲み出る妖艶さに、以世はどきりとしてがっちり合った瞳をそらしてしまいました。その様子を見てか、その人はころころ声を立てて笑います。

 ゆらりと突然以世の前を六波羅が歩き始めました。おいと声をかけても六波羅は月の麗人から視線を外しません。やがて六波羅はその人の前に跪いて囁くように言いました。

「このような場所に星月の比売神が降臨なさっていたとは、盲点でございました」

 口調がいつもと違いますけど。六波羅の豹変ぶりに以世は目を点にします。

「先ほどから貴方様から目を離すことができない。悪いお方だ、私に何かまじないをかけたのですね?」

「安心しろ、それはお前のただの思い込みだ」

 六波羅の熱っぽい視線と言葉を受けて、その人は心底おかしそうに笑いました。

「つれないお方だ」

「そんなこと気にすることはないさ。お前にそこまでの興味がないだけだからね」

「…もし私が生きている間にこのような形でお会いすることができたならば、きっと私は貴方様を幸せにして見せましたのに」

「くだらないことを言う男だ。どうせするのならもっと面白い話はできないのか?」

 その人は六波羅の言葉に対しばっさりと切り捨てるような言葉を返しますが、その語調は決して冷たいものではありませんでした。むしろ面白い芸を楽しんでいるような様子です。確かに六波羅のナンパは以世から見てもなんだか面白く映りました。

「私の名などは貴方様のご興味を引かれるものとなり得ますか?」

「名乗りたいなら名乗ればいいさ」

「ありがとうございます。私は六波羅と申します。そちらにおりますのは私の子孫であり、現在私が守護するべき存在、名を六波羅以世と申します」

「私にかまけて全く守護をしていないじゃないか」

「ご勘弁を。貴方様を前にしては、使命など吹き飛んでしまいます」

 吹き飛ばされては困るのですけれど。以世はなんだか微妙な気持ちになりました。六波羅ってこういうやつだったんですね。

「…貴方様の御名を、お聞かせ願えますか?」

 六波羅にそういわれて、その人はそうだなと少し考えるように口元に人差し指を一本置きました。絵になる人だなあ、と以世は思いながら二人を眺めます。

「…鈴城と」

「これは手厳しい」

 六波羅と鈴城はお互いに笑っていました。しかし完璧に以世は置いてけぼりくらってますね。

「鈴城様、鈴城様はこのようなところで何をなさっていたのですか?」

 投げられた問いかけに、鈴城はとても愛おしそうな顔をして街を見下ろしました。

「街を、見ていたんだ」

 その言葉を聞いて、以世はなんとか様のことを思い出しました。そうです、鈴城のインパクトが強すぎてうっかり忘れていましたが今日は掘り返された塚を見に来たのでした。

 以世はあたりを見回します。それは高台の隅の方にありました。

 前は遠目に見ただけでしたが、近づいてみるとその塚石が掘り返されたせいで横倒しになっているのが見えました。ぱっと見るだけで深さ一メートルほど掘られた穴と、掘り起こした土が固まっているのが見えて、掘り返されたのはかなり昔のようだということがわかりました。

「それに興味があるのかい?」

 気が付くとしゃがんで塚を見ていた以世を六波羅と話していたはずの鈴城が見下ろしていました。以世は驚いて小さく声を上げます。そんな以世の様子を見て、鈴城は笑いました。

「鈴城様、そのような些細なこと気にせずともよいのですよ」

「お前と話してはいないよ」

 些細なとは失礼な。

 鈴城からばっさり切り捨てられて六波羅はぶーぶーと口をとがらせながら一歩下がりました。こんなに素直な六波羅は珍しいですね。美人パワーは偉大です。

「何故、ここを?」

 そう鈴城に問われて、以世は答えます。昔、ここにいた男の人が何故いなくなってしまったのか気になっているのです。

「そうか」

 鈴城は割と興味がなさそうな様子でしたが、少し考えてから言いました。

「行方以外に、その男に興味はあるかい?」

 行方以外というと? 以世が聞きますと、鈴城は楽しそうに笑って口を開きます。

「その男がどこに行ったかはわからないけれど、酷い男だったということは知っている」

 愉快そうに話すその人が動くと、さらりとした髪がこぼれます。まるで液体みたいなこぼれ方です。

「恋仲だった女を貶め、恨みが募った女を鬼にした。しかもそれをその手で斬り殺したとかなんとか」

 鈴城はそのゴシップを世間話のように語ります。

「女の敵だな。そんなやつは消えてしまった方が世の中のためだとは思わないかい?」

 その話を聞いて以世はそうかもしれないと思いましたが、しかし何か違和感を感じます。昔あった時はそんな人には見えなかったのですが。なんだか以世の想像と大分違いますね。まるで六波羅のようです!

「待て待て待て! 奴はそこまではやっておらぬぞ!」

「ほほう、そこまでは」

「いえ、ですから鈴城様!」

 必死に鈴城に身の潔白をアピールしようとする六波羅ですが、鈴城はそんな六波羅のことを滑稽そうに笑っていました。うーん、なんだかいろんな意味で強そうな人ですね、鈴城は。

 以世は塚石をよく見てみます。何か文字が彫られていたようですが、六六鱗の塚と同じように風化していてもう文字はただの窪みと化しています。読めそうにありません。

 九…九…。あの人の名前、なんでしたっけ…。鈴城はその人の名前を知っていますか? 以世が尋ねてみますと、鈴城はなんだそんなこととつまらなそうな顔をします。

「知らぬよ、くだらない」

 ちょっと期待したのに…と以世はしょんぼりしました。それにしても人の名前をくだらないなんて言い方をされると少し寂しい気持ちがしますね。

「鈴城様は何故このようなところにおられるのですか?」

 六波羅が相変わらず鈴城に見惚れた顔で鈴城に尋ねますと、鈴城はもうすっかり興がさめた様子で六波羅へ視線を送りました。

「答える義理もあるまい」

「…しばらくは、こちらに?」

 そう言った六波羅の目が鈴城に釘づけです。六波羅は相当鈴城がドストライクだったんですね。しまりのない表情です。

「…そうだな。しばらくここにいることにするよ」

 鈴城はすっと以世の横を通り過ぎて、そのまま先ほどと同じ所に座りました。

「…また私に会いたくなったら、ここにおいで。相手をしてあげるよ」

 そういって笑う鈴城の笑顔に、以世はどっきりしてしまいました。美人は心臓に悪いですね。赤くなっているような気がする顔をぶんぶん振って熱を冷ますと、以世は六波羅にもう帰ろうかと言いかけて、呆れてしまいました。どうしてって六波羅はさっきと同じ格好のままじっと鈴城を見続けていたからです。

 おい六波羅、帰るぞ。

「もうか? もう少しよいではないか以世…」

「そろそろ私も飽きた。さっさと帰れ」

「鈴城様まで!」

 鈴城に邪険にされた六波羅は肩を落として以世の隣に帰ってきます。

 じゃあと以世は鈴城に挨拶をしますが、鈴城は街を見下ろしたまま「ああ」と答えただけでした。気分屋さんなんですね、鈴城は。

 六波羅は後ろ髪引っ張られまくりな様子でしたが、以世は構わず歩き始めます。消えてしまう距離まで離れてしまう前にきっと戻ってくるでしょう。予想通りその内諦めて以世と一緒に家路につきます。

「あのつれない様子がいい!」

 確かに鈴城さんはとんでもない美人さんでした。あんまり綺麗な人が近くにいるとどぎまぎして精神衛生上よろしくないような気がします。六波羅も「鈴城様ー」と幸せそうにぼんやりしていますし…男のサガってやつなんですかね。

 家に帰ると九時を回っていました。居間で牛乳を飲んでいると壱世が帰ってきます。なんだかいつもより気合の入った服を着ていまして、以世は本当にデートだったのか…とまだ見ぬ相手が実に心配になりました。

 おかえり、と以世がいいますと、壱世はぎくっと肩を震わせました。みるみるうちに恥ずかしそうに顔が赤くなっていく壱世の様子は初めて見るものでした。

「た、ただいま。じゃっ」

 さっさと部屋へ逃げていく壱世の後ろの姿を珍しいなぁと見送ってから、以世は鈴城を夢想する六波羅を見ました。惚れた腫れたは以世にはまだよくわかりませんね。

 そろそろわかってきた方がいいような気もするんですけどね。

「…時をかけてもわからぬものはあるものさ」

 そういう六波羅の表情は何かを思い出しているかのような、とても優しいものでした。

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