2章『識者は黙し、意図は見えず』:6
飛鳥達が出撃準備のためにその場を立ち去っても、やってきた御影はそこを離れはしなかった。
ただ難しい表情を浮かべて、未だでかでかとスクリーンに映り続ける小守と名乗った男を睨みつけている。
「会長、これは……」
「ええ、何かありそうね」
耳元に口を寄せて小声で話しかけていきた隼斗に対して、遥は視線を動かさずに小さく頷く。彼女が見つめていたのは、小守ではなく御影だった。
(……らしくない)
彼女が感じていた引っかかりは、あくまでもそれだけだ。
御影が難しい顔をしていることは珍しいとはいえ、彼が研究者である以上、遥はそれを何度か見たこともある。だから重要なのはそちらではなく、彼がさっき放った言葉にあった。
(御影博士は研究に関しては積極的には干渉しない姿勢を貫いていたはず。あくまでも名義やコネ貸しと、あとはアドバイザー的な立場で協力してくれていたのに……)
彼が何かを命令してくるということ自体はっきり言ってかなり珍しい事態だ。それに加えあの有無を言わさぬ圧力、彼という人間に最も似つかわしくないと言っていいほどのものだった。
何かがある、と。
そう確信するのに、迷う理由はどこにもなかった。
遥と御影の間にはそれなりの信頼関係がある。それはアーク研究所の所長と副所長という立場から生まれたものではなく、互いに足りないものを補って初めて成立するアーク研究であったからだ。
遥には研究を進展させる頭脳があり、御影にはそれを支える資金を引き出すだけの才名がある。
逆に言えば、遥ではスポンサーでもある東洞相手に研究の有用性を示せても、それを実行に移すための資金提供を求められるだけの実績が無く、対して御影にはアーク研究でも専門的な分野で活かせるような知識や技術はほとんどない。
遥はまだ一介の学生であり、また御影はあくまでも考古学者ないしは地質学者であると、互いの立場などをよく理解しているからこその信頼関係なのだ。
だからこそ御影は研究に対して何かを強制したことはないし、遥も御影をないがしろにして事を進めたことはない。
(だとすれば、この状況……)
身内びいきな部分があるのは承知の上で、御影は誰かしら、あるいは何かしらから強制を受けているのではないだろうか、と遥は予想する。
いずれにしても、パイロットに危険の伴う実験すら嫌がる御影が、今回のような怪しい依頼を受けろと命令などするはずがない。それも研究所の実質的な管理者である遥の意志を無視してだ。
御影の視線を辿った先にあるのは、画面に映った無表情な小守の顔だ。
(私の知らないところで、国と何らかの密約が交わされていたのかしら……)
そう仮定するなら、人質は――
「アーク・アストラル、でしょうか」
遥の思考を読んだかのようなタイミングで、隼斗は小声でそう言った。
「隼斗……」
「依頼を断れない理由としては、最も妥当なものではないかと」
アプローチの方向性は異なるだろうが、どうやら隼斗も遥と同じような結論に行きついたらしい。そうなってくると、ただの予想でしかないその考えが現実味を帯びてくる。
「この事態、国が一枚噛んでいるのかしら」
「状況から察するに防衛省の可能性が高いですね。エンペラー暴走事件のときも自衛隊が出張っていましたし、以前バーニングの安全性について説明したときも複数の部署の人間が来ていたとはいえ、中心となっていたのはやはり防衛省管轄の組織だったようです」
「となると国土交通省の外局である海上保安庁の人間から連絡が来たと言うのは、恐らくブラフ……」
「まさか海保からの依頼でアークが戦うようなレベルの荒事になるとは普通は思わないでしょう。そういう意味では、深く考えさえしなければあえて断る必要のある依頼とは思わなかったはずです」
「けれど彼は戦闘が起こる可能性は否定しなかった」
顎に手を当てて、遥はより深く思考していく。
海保というブラフを使っての防衛省側からの依頼だと考えれば、確かに依頼を受けさせる気があるのだと理解できなくもない。しかし小守と言う男は戦闘の可能性を否定しなかったし、やけに含みのある言い回しをしていたようにも感じた。
そのせいで遥達が余計な警戒をしていたのだから、わざわざごまかしをしたにしてはディティールがあまりにもお粗末だ。
「戦いはまず起こると考えて、やはりその点に嘘はつけないとから、ということではないでしょうか」
「……確かに、御影博士を介して無理にでも要求をのませるつもりなら、その部分を否定する意味はないわね。そうなると……」
遥は顎に手を当てて考え込むと、やがて一つの推論を立てた。
「海保であることがそもそも嘘だとするなら、ホライゾンを発見したのは自衛隊。ならホライゾンに搭載されているというステルスユニットの存在もまた嘘の可能性が高いわ」
「しかし、そんなのは調べればすぐにわかることでしょう? 今この瞬間だけ僕らを騙せればいいという考えだとして、そこに生まれる利益は一体……」
何かしらの思惑があるのは間違いないと、隼斗はそこを探るように思考を巡らせる。しかし遥はまた別の視点で考えていた。
(このやり方、どこか見覚えがある気がするわ)
まるで嘘をついているように見せかけて、その体裁を保ちつつ狙った相手にだけ的確に状況を伝えようとする、そんなやり口だ。
たとえるなら、アストラルの研究は始まっていないから安全性の証明はできないが同時に暴走する危険もない、などとデタラメを言った自分達と同じようなやり方。
だとするならば、だ。
「……騙そうとしている相手は、本当に私たちなのかしら?」
「なるほど、状況の演出は対外的なもので、僕らにはその真実を知らせようとしているのなら……」
「海保というのは私たちだけに向けたもので、外に対しては普通に自衛隊がホライゾンを発見したことになっているはずよ。そして領空侵犯に対しての警告を受けても立ち去らないホライゾンに対抗する形で、アストラルが出撃している……」
「アークの出撃を含めて、確かに妥当な対応をしているようにも見えますね。しかし……」
「ええ、出来過ぎているわ」
突発的な事態だったエンペラー暴走時でさえ、その対応をこの研究所のアークに任せることへの対応の速さに、遥はどこか作為めいたものを感じていた。事態の突発性は今回も変わらないが、何よりも今回は国内での問題に収まらないだろう。少しでも対応を誤れば、即座に国際問題へと発展しかねない。
それに対して、あくまでも学生でしかない少年少女がパイロットであるアークを動員するという異常事態。
そして何より目的さえ分からないアークの周りに堂々と艦船を展開して、十数分ものあいだ勧告を続けていた彼らの対応。
「一体、どこまで計画されているの…………」
それを知るはずの御影はさっきから一度も口を開かない。答えを求める遥の視線にも気づいてすらいないようだった。
隣に腰かけた隼斗が心配そうにこちらを見てくるが、遥は首を横に振って大丈夫だと目で訴える。
「会長……」
彼自身も不安なのだろう。しかしそれを押し隠して遥のことを気遣う隼斗の姿に、彼女は少しだけ心の余裕を取り戻していた。
彼女では知り得ない領域で進む事態には少なからずの不安はあったが、現状で危険な立場にあるのはアストラルで出撃準備をしている飛鳥だ。
(……どうか無事でいて、アスカ君)
目を閉じて心の中だけでそう祈る。今の彼女にはせいぜいそれぐらいのことしかできない。
その時、少し離れた場所から英語で話す声が聞こえた。
「そう騒ぐな、星野飛鳥なら大丈夫だろう」
「でもよー……」
諭すように語りかけるのがバーナードで、不満げに食い下がっているのがアルフレッドだ。
よほど思考に没頭していたのか、遥の耳にはバーナードの言葉以前の会話は聞こえていなかった。
「少しはおとなしく待っていられないのか? ついさっきカッコつけて送りだしたところだろうに」
「つかつかよく考えたらこれおかしいって! なんかうまくいえないけどいろいろ変だってこれ!」
「落ち着け何が言いたいのかよく分からんことになってるぞ」
隼斗から説明を受けてある程度状況は理解しているのだろうが、飛鳥を送りだしたときはそれほど深くは考えていなかったのだろう。それでしばらく彼なりに考えた結果、何かしらの事態の異常性に気がついたのだ。
違和感を言語化できないあたり感覚で動く彼らしさが出ているが、逆に言えば直感で事態の異常性を見抜くセンスを持ち合わせているとも言える。
対してバーナードは落ち着いたものだ。場馴れした様子は見せているが、立場上他人の思惑に振り回される経験も少なくはないのだろう。
騒ぐアルフレッドとそれをなだめるバーナードという相変わらずの構図に、それを眺めている遥は軽く吹き出してしまう。
「そもそも俺達の機体は持ってきていないし、あったとしてもフラッシュは空を飛べんだろう。どうやって手を貸すと言うんだ」
「そりゃ、そうだけど…………んむむむむむー!」
「地団太を踏むなやかましい。……大体、星野飛鳥は全力のお前に勝ったんだ。その力は誰よりお前が良く知っているだろう」
「…………確かに」
「なら大丈夫だ。アイツの力は、くだらないしがらみを守るために使われる権力に振り回されるような、そんなチャチなもんじゃ決してない。信じてやれ、それがアイツにとっての力になるだろう」
当たり前のように言ってのけるバーナードだったが、それは飛鳥のことをよく見てその考えを想像したからこそ言える言葉だった。飛鳥を高く評価しているからこその言葉に、アルフレッドもまた頷かざるを得ない。
そしてそれは遥も同じだった。
「…………信じることが、力になる、か」
エンペラー暴走事件のあとに、飛鳥が言った言葉は何だっただろうか。――――そう、「信じてもらえるようになりたい」だったはずだ。
そして遥は今回「いってらっしゃい」と、信頼を持って彼を送り出した。
「そうね……。彼なら、きっと大丈夫よね」
自分の中での飛鳥に対する評価が変わっていることに、遥はそこで初めて気付く。そしてその考えを認めたとき、のしかかっていた重荷のようなものが消える感覚がした。
「まったく、アスカには敵わないな……」
遥の横顔を見つめていた隼斗が、ポツリとそう呟いた。
「……隼斗?」
不思議そうに首をかしげる遥に、隼斗はぎこちない笑みを返した。目を合わせず首を横に振って、彼は自分の心を隠して言う。
「何でもないです。それより、僕も出撃の準備だけでもしておきますよ。この後どうなるかわかりませんし」
「え、ええ、お願い」
隼斗は頷いて、そこからおもむろに立ち上がる。
そこで振り向いた彼の視界に映っていたのは、スクリーン上に表示されたカメラ映像の中で、派手な水しぶきと共に飛び立ったアストラルの背中だった。




