2章『識者は黙し、意図は見えず』:3
くるりと背中を向けて意気揚々と歩きだした飛鳥だったが、三歩目でぴたりと止まると、頭を掻きながら振り返った。
「……アストラルって今どこにあるんでしたっけ?」
「締まらないわねぇ」
くすっと小さく笑った遥は、ケータイをポケットから取り出しながら、ソファの外側をぐるりと回って飛鳥の方に近付いて来た。
「頭部集中演算ユニット……、メインコンピューターの方を弄っていたはずだから、3番ハンガーかしら。隣のテレポーターに移動しておくように連絡しておくから、そちらに向かってちょうだい。場所はここだけど……」
ケータイのディスプレイにマップか何を表示させたらしき遥が、それを見せようとさらに一歩踏み込んでくる。
「いや、それは大丈夫……っと?」
その場所ぐらいはわかる、そう断ろうとして伸ばした飛鳥の手を払って、遥は飛鳥の耳元に口を寄せる。
「気をつけて」
「――――えっ?」
戸惑った声を上げた飛鳥の視線は、遥がスクリーンの側から身体で隠すようにしたケータイの画面に注がれていた。そこには
『この話、いろいろとおかしい部分があるの。たぶん国家レベルの大きな意志が働いているわ』
だから気をつけて、と。そういうことなのだろう。
その意味を、飛鳥は改めて深く考えた。
彼はもう一度、今度は真剣な表情で頷く。それを見た遥は満足したように微笑んだ。
「いってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
少しは締まる感じになったかなとややご機嫌に歩きだした飛鳥だったが、またしてもその三歩目で足を止めた。
ただしそれは自分の意志ではない。
彼の肩が、後ろからがっちり掴まれていたのだ。
「兄ゥ~弟ィ~!」
地獄の底から響くような怨念じみた声でそう言ったのは、目一杯の負のオーラを纏ったアルフレッドだった。
「え…………」
これには振り返った飛鳥も思わず頬を引きつらせた。
そしてアルフレッドをまたいだその向こうでは、肩をすくめて呆れ顔のバーナードと、申し訳なさそうな表情を浮かべた隼斗がいた。
アルフレッドとバーナードは日本語が分からず事情を呑み込めていなかったはずだが、どうやら飛鳥の気付かないうちに隼斗から事情の説明を受けていたらしい。
となると、アルフレッドの口から出てくる言葉は一つである。
「お前、スケートやるって約束はどうなったんだよ!」
「やっぱりかよ……」
なんというか、どこまでもマイペースなアルフレッドの態度には、飛鳥も苦笑するより他にない。
確かに今日スケートを一緒にやろうと約束はしていたが、その時はこんな状況になるとは全く予想もしていなかったのだ。
「どうなったのかっつっても、どうしようもねぇだろコレ……」
今からスケート行くんでやっぱパスしまーす、など言えるわけもない。というかこんな状況では、最初からスケートの事を意識していたとしても断れるようなものではないだろう。
事態の深刻度を考えれば飛鳥のリアクションは至極もっともなのだが、アルフレッドからすればそんなことお構いなしといった様子だ。
「なぁーんーでぇーだぁーよぉー!」
「今さっき隼斗から説明受けたんだろ……」
「んなもん知るかぁー!」
「言ってること無茶苦茶だぞオマエ!!」
両手を上げてダダをこねるアルフレッドの発言に、流石の飛鳥もややぶち切れ気味に見える。ただもう飛鳥もネタとして受け取っているのか、語気こそ粗いものの顔は笑っていた。
対してアルフレッドは冗談のつもりではないようで、その場でじたばたしていた。
「いやもう、ホントどうしろと……」
疲れた様子で額を押さえる飛鳥の前で、バタバタ暴れていたアルフレッドの襟元がひょいと持ち上げられた。
「およっ?」
「いい加減にしろ、フレッド」
片腕で同年代の男を軽々と持ち上げるというぶっ飛んだパワーを見せたバーナードだったが、表情やら肩の落とし具合やらから酷く脱力しているのが伺える。
だがその視線が一瞬、スクリーンに写された小守とホライゾンに注がれたのを見て、どうやら脱力の原因はアルフレッドだけではないらしいと飛鳥は推測した。
「離せよ、バーニィー!」
「静かにするんなら今すぐにでも解放してやる」
「だぁぁ……、わーかったよぉ」
シュンとしなびたアルフレッドの襟をパッと離すと、バーナードは腕を組んで深くため息をついた。
何も考えていないらしいアルフレッドはともかく、バーナードは隼斗に話の一部始終を聞いて思うところがあったのだろう。
バーナードはアルケインフォース社というアメリカの軍需産業に関わる企業に所属し、そこが持つアークのライセンス所有者でもある。アルフレッドや飛鳥に比べても、軍なり国なりに関わる機会も多いのだろう。その彼が呆れ顔をしているのだから、今回の件にはやはり歪なところがあるということだ。
不安を募らせる飛鳥に向かって、バーナードは両手をひらりと広げて見せた。
「バーナード……」
「いろいろと思うところはあるだろう、他人事だが俺もそうだ。……ただこういうところで恩を売っておけば、いずれ得になることもある」
「……まぁ、言われてみれば確かにそうだな」
「それにおかしなところがあるとは言っても、どうやら状況を把握できていないのは…………。まぁ、お偉いさんには聞かれたくない事情の一つや二つあるんだろう。心配する必要なんてないだろうさ」
「どういうことだ?」
「見えるところから見れば、大きな動きはもう決着がついているってことだ」
はぐらかそうとするバーナードの言葉。その真意を測りかねて、飛鳥はしかめっ面になる。
バーナードは肩をすくめると、傍らのアルフレッドの頭をポンと叩いた。
「とりあえずこの阿呆が騒がないようにはしておくから、安心していってこい」
「んだとぉー! だれがアホだっつーの!!」
「逐一反応するお前のことだ。ここには無理を言って立ち入らせてもらっているのを忘れたのか? あんまり迷惑をかけるようじゃ追い出されても文句は言えんぞ」
「ぐっ、ぬ……」
眉の間にしわを寄せると、アルフレッドは悔しげに呻く。構う様子もないバーナードは、瞑目したまま手だけで「早く行け」と追い払ってくる。
だが飛鳥は緩く首を振ると、改めてアルフレッドに身体を向けた。
「あー、アル」
「……んだよ、兄弟」
不満げに口を尖らせるアルフレッドの顔を見て、飛鳥は思わず噴き出した。まったく黙っていればスポーツマンなイケメンで通るのに、いろいろと残念な奴だ。
飛鳥は片手を腰に当てて、反対側の手をひらりと払った。
「さっさと片付けて、さっさと帰ってくるよ。――――誰のどんな思惑があったとしてもな」
「言ったな、兄弟」
「ああ、言ったさ。そんじゃ、騒がず静かに待ってるんだな」
やっとこさ落ち着いたらしいアルフレッドに背を向けて、飛鳥はすたすたと歩いていく。
遥から受けた忠告は未だに腹の底に重くのしかかっているが、アルフレッド相手に恰好をつけた手前、今更になって怖気づくのはナンセンスだ。
「あっ、と……。私、オペレーター室に行ってきますね」
足早に去っていく飛鳥の背を見送りかけて、一葉は慌てて立ち上がる。
遥が何も言わないので忘れかけていたが、飛鳥が出撃するということは一葉がオペレーションをしなければならないということである。
遠ざかる飛鳥の背を追って駆けだした一葉。
その背を横目で見送って、遥は小さくため息をついた。
飛鳥が3番ハンガーのところに辿り着いたころには、アストラルは既にその隣のテレポーターの中に収められていた。
どういうわけかテレポーターの中に入るとアークの転送システムが使えないらしく、コックピットは外部操作でハッチを開けて乗り込まなければならない。
コックピットのハッチは背中側と、人間でいうところのみぞおちのあたりに一つずつ、合計二つある。
ただ前面のハッチは内部から操作しないと開かないというよく分からないシステムなので、こうして直接乗り込むときは背中側のハッチを使わなければならないのだ。
背中側のハッチを開いてコックピットに乗り込んだ飛鳥は、後ろを向いていた直立型シートに背中を預ける。
途端にぐるりとシートが足元ごと反回転し、大型モニターがある方向に身体が向いた。
手元にあるタッチパネルに掌を押しつけながら、飛鳥は静かに呟く。
「さってと……ライセンス認証、システム起動っと」
コンソールの操作を受けたアストラルがシステムを起動させ、正面の大型モニターにその経過を表示させる。
【Ark-System_Standby...
Please_Wait_Booting...
...
...
System_version.4.26_
Complete_】
またぞろバージョンが上がっているが、これは飛鳥達が話していた『例のシステム』を導入するにあたってアストラルが自ら設定したマイナーバージョンだった。
遥曰く、アストラル、というかアークは外部からシステムの変更を行われると、自らマイナーバージョンの設定を行うらしい。どういう理屈で、またどういう基準に基づいてそれが行われるのかは不明だ。
また何らかの理屈でシステムの検査を行っているらしく、プログラム的に問題が無くてもシステムの導入に失敗することがままあるらしい。
飛鳥からすれば何のこっちゃという話だが、これが結構アーク研究においてネックになる部分のようだ。
起動準備のための操作を適当に行いながら、飛鳥は息を吐いてシートに身体を押しつけた。その時、画面の端に小さなウィンドウが現れる。
『勝手ですけど、通信を開かせてもらいました』
「ああ、いいですよ。こっちからオペレーションは頼むつもりだったんで」
『そうですか、それならよかった』
一葉はふわりと微笑むと、手元に置いていた紙の資料を手にとる。
『アスカくん、起動準備は完了しましたか?』
「いや、まだです。……なんか新しいシステム入れたせいか、最適化か何かに妙に時間かかってるんすよね。一応ジェネレーターは出力してて、数値も90%ラインで安定してるんで、テレポーターは起動できますけど」
『いえ、まだならまだでいいんです』
要領を得ない言葉に飛鳥が首をかしげていると、一葉は手に持っていた書類を飛鳥、というかカメラに向かって掲げた。
『新システム、まだシミュレーターでしか使用していないでしょう?』
「あー、まぁ確かに……」
『それに二つもシステムを新規に構築したのですから、おさらいはしておくべきだと思いますよ。起動が完了するまでの間でいいですので、もう一度システムの確認をしておきましょう』
「そっすね」
一葉の提案を受けて、飛鳥は頷く。
書類に書かれたシステムの説明を要約しながら話す一葉の言葉を聞きながら、飛鳥は以前行われたシミュレーターでのシステム検証のことを思い出していた。




