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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第4部‐彼方の瞳‐
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1章『少年の夏は追われて終わる』:2

 8月の終わりと言えば、暦の上では晩夏どころかもはや秋である。

 ところで秋と言えば食欲の秋だったり、読書の秋だったり、芸術の秋だったりといろいろある。まぁ要するに気候的に涼しくなり始めて過ごしやすくなったのだから、いろいろやってみろよということだろう。

 ――――しかしながら、である。

「ぜんぜん涼しくなってねぇよ」

 そうぼやいたのは、頭にかぶった帽子のつばを掴んだ飛鳥だ。ちなみにこの帽子、アメリカでショッピングモールに行った際に衝動買いしたものである。

 衝動買いというか、あちらに行く前に買っておくのを忘れていたので、改めて購入したといった方が正しい。

 ともあれ最新のスポーツウェアの一つであるキャップを身につけ、一応の暑さ対策ぐらいはしてきた飛鳥。故に外の風を浴びてちょっとぐらいは気晴らしでもできるかと思っていたが、どうにもこの暑さはそんな次元ではないようだ。

 というより頭だけ半端に快適で逆に変な感じがする。


 飛鳥は今、課題を中途半端にほっぽり出したまま、いつぞやと同じように河川敷を歩いている。

 あれからしばらくなんとか問題と向き合ってみたのだが、これが恐ろしいほど捗らない。十数分も問題を睨みつけて記入できたのが、たった一つの基本式だけだったのだから、彼がどれほど集中できていなかったかが伺えるだろう。

 そのままグダグダと続けていても仕方がないと見切りをつけた飛鳥は、こうして適当に出かけることにしたのだ。

 家の机の上には全然進んでいない課題の山が積み上げられていることも、この時ばかりは全力で頭の隅に追いやってしまう。そうでなければ気晴らしにもならないからだ。

 行き先は家に一番近いところにあるコンビニエンスストア。適当に飲み物でも購入するつもりだ。

 これといって必要なものがあるわけではないが、どうせ出かけるなら何か目的があったほうがいいからでもある。飲み物を買うだけならそれこそ自販機でもいいわけだが、そこは気分の問題だ。

 コンビニまでは家からゆっくり歩いて徒歩15分ほど。

 こう書くと妙に田舎っぽく見えてしまうが、実際そうなのだから仕方がない。

 今彼がいる場所は河川敷、もとい堤防の上の道なのだから道を挟んだ一方は川だとして、もう一方は閑静な住宅街。この炎天下だというのも理由の一つには違いないが、とかく街並みに活気がないのだ。

 田舎と言うと過剰かもしれないし、郊外というのがイメージしやすいものかもしれない。

 そんな場所に住んでいるものだから、コンビニまで行こうと思うとそれなりに歩かなければならないのだ。

 場所としては7月末の模様替えをした日に、昼食を食べに行った商店街のちょうど入口あたりにある。そこまで行くだけなのだが、橋を渡ったりする関係上妙な遠回りが必要で、結果15分もの時間がかかるのである。

 交通の便は少し悪いが、かといって住むに困るようなわけでもない微妙な立地の自宅を顧みて、飛鳥はそっと溜息をつく。

 商店街は橋を渡ってすぐのところにあり、歩いて5分弱で突き抜けられる。

 閑静な住宅街から足を伸ばして商店街に入り、そうして反対側に出れば一転わかりやすい都会の景色が広がっている。そちらは新しく開発された方の街並みなのだそうだ。

 しかし一方だけが妙に進んだ開発の関係上、ちょっと小奇麗な商店街を挟んで片や郊外、片や都会と少々やかましい街の作りになってしまっている。

 星印学園は飛鳥の住んでいる方――言うなれば田舎側――にあるので普段は彼も商店街でも突き抜けて行くことはないが、それでも鉄道の駅が都会側にある以上たまにはそちらに行かなければならない。

 飛鳥はどうにも都会側の空気感というものが嫌いだった。

 マイペースな事がある意味で一つのアイデンティティとなっている彼にとって、周囲があわただしい雰囲気に満ちているというのはどうにも落ち着かない。

 それよりは、いま彼がいるような静かな街並みの方が性に合っていると言えるだろう。

 そんな自分の性格をよく理解しているからかだろうか。飛鳥は澄んだ空から降り注ぐ陽の光をほぼ全身に浴びつつ、高い不快指数から目をそらすように口笛を吹いてみる。

 静かな川辺に、澄んだ高い音が響く。

 唇を軽くとがらせながらあたりをぐるりと見渡した飛鳥の視界に、そのときふと薄い青色のものが映り込んだ。

 空や川の色ではない、もっとべったりとした人工的な水色だ。

「……? なんだ?」

 河川敷、というか堤防の下側の道の脇。そこに生えていた背の高い草の隙間から、それは小さく覗いている。

 頭の片隅に妙な引っかかりを覚えた飛鳥は、ほとんど無意識に進行方向をそちらへ向ける。あまり手入れされていないらしい草地に足を踏み入れた途端、硬い草の葉が足を覆うウェアの上からチクチク突き刺さった。

 急な角度の坂を、飛鳥は歩こうにも歩けずに一気に駆け降りる。

 そして彼がその目に写したのは、切れはしだった水色の本当の形。

 朽ちかけた、安っぽいプラスチックのベンチだった。

「これ、もしかして…………」

 それは確かに何の変哲もないただのボロいベンチだったが、しかしそれだけではない何かを飛鳥は感じていた。

 生い茂る草をかき分けて、そこに埋もれたベンチに手を伸ばす。付着した砂でざらつく表面を掌で払って、ところどころ茶色く変色したそれに恐る恐る腰掛ける。

 その瞬間、飛鳥の耳にギシギシという嫌な音どころかミシリという致命的っぽい音が聞こえて、慌てて身体の重心を自身の両足に寄せ直した。

 不安定な姿勢のまま顔を上げ、そこからの景色を瞳に映した飛鳥は、

「そっか、やっぱり……。ここ、あの日のバス停か」

 そうポツリと呟いた。

 思い出されたのは、7年前の夏休みの終わりの日にあった出来事。今しがた夢に見ていた彼自身の記憶そのものだった。

 そこから今までの事を、飛鳥はなぞるように追憶していく。

 

 泉美が日本に残れるようにと足掻いていた飛鳥だったが、それから1年と経たないうちに今度は彼自身がアメリカへと連れて行かれていた。

 そこで飛鳥はスケートをやり始めたのだが、それがやっと上達の兆しを見せ始めた小学6年の夏頃に、彼はまたもや日本へと連れ戻されることになる。

 日本に戻ってきて中学に入学したころには、もう既に飛鳥が今いるバス停は無くなっていた。

 もともとからして何のためにあるのか分からないほど寂れたバス停ではあったが、近くに広がる住宅街にはバスの運行に楽な広くまっすぐな道はあまりなかったので、この近隣に住む人間のために河川敷に設置されたものだったのかもしれない。

 いずれにしても利用者が少なかったからか、あるいは飛鳥がよく利用するスーパーマーケットもある大通りができそちらにバス停が置かれたからか、彼がアメリカへ行っている間にこのバス停は無くなっていた。

 その辺りから中学3年までほぼ一年おきに日本とアメリカを行き来していたこともあって、生活というか精神的に安定しなかった飛鳥は、こんな寂れたバス停のことなどまるで忘れてしまっていた。

 だからこの場所にベンチだけが取り残されていたことなど気付かなかったし、そもそもここがバス停だったということに思い至ること自体がなかったのだ。

 あれから7年経った今日に至ってやっとその存在を思い出し、あまつさえ草に埋もれたベンチまで見つけてしまったのは、やはりあんな夢を見たからだろうか。

 ならば何故、今になってあんな夢を見たのか。

 夏を終わりを唄う蝉の声に耳を傾けても、飛鳥の記憶を覆う陽炎は晴れる気配すら見せなかった。


「よし」

 唐突に目を見開いた飛鳥は、空の眩しさに目を細めながらも、勢いをつけて椅子から立ち上がる。ズボンの尻の部分についた汚れを軽く手で払って、目の前に伸びる広い道路の真ん中に立った。

 揺らめく正面の景色を見据え、目深にかぶった帽子のつばを掴んだ飛鳥は、不意に姿勢を低く落とした。

「だったら…………。せっ!」

 短い呼気と、スニーカーの靴底が地面を蹴る音が重なった。

 やにわに走り出して、あたかも陸上の短距離走のように一切の加減なくそのスピードを上げていく。

 突き刺す太陽が熱した黒い地面から立ち上る水蒸気が、まるで熱の壁のように彼の行く手を遮ろうとする。それらを大きく振った両手で切り裂いて、加速し続ける彼の身体が風を纏う。

 追い風を向かい風に変え、蒸し焼きにしようとする大気をも薙ぎ払い、全身を包んでいた周囲の暑ささえ置き去りにした。

 轟々と耳を打つ風の音が全てだった五感が、次に感じたのは中からわき出す熱だ。

 腹の中心から心臓へ逆流したそれは流れるべき血液を押しのけ動脈に乗って全身を駆け廻る。炙られた細胞が悲鳴を上げ、痛みに似た感覚を神経に叩きつける。

 とばっちりを受けた二つの肺が軋みを上げ、燃料不足の脳味噌が仕事を放棄。頭にわだかまるだけだった痺れのような感覚が、途端に疲労の名を冠して全身の筋肉にしみわたっていく。

 湿った吐息が、堪えようと噛みしめた歯の隙間から漏れだしてしまう。視界はまるで霧がかかったように白く、やけに鮮明な蝉の声以外の音は聞こえず、鼻孔は夏の熱気に焼かれて感覚を失い、舌は乾ききってざらついた感触だけしか感じない。

 それでも踏み出した数歩目が地面に触れた途端、体の重心が崩れて飛鳥は足をもつれさせた。

 バタバタと両手を忙しく振りまわしてなんとか転ぶことだけは避けた飛鳥は、そのまま両ひざに手をついてぜぇぜぇと肩で息をする。

「くっ、はぁ、はぁ…………っが、は……あっ!」

 ひりつく喉と肺はもはや痛みのレベルで、飛鳥は顔を上げることすらできずにせき込むような呼吸を続けた。

 その肩が大きく上下する度に、髪を伝って頬を流れた汗が鼻の先端から地面へと滴を垂らす。


 ややあって、全力で鼓動を続けていた心臓がほんの少し落ち着いた辺りで、飛鳥はやっとその顔を上げた。

 背中を押す強い風に振り返ったその先には、ただ果てしなくまっすぐに続く道だけが見える。駆けだしたとき傍にあったはずの朽ちかけのベンチは、今になって7年の時を渡ったかのようにその姿を失っていた。

 被っていた帽子を脱ぎ、張り付く前髪を汗の滴と一緒にかき上げた飛鳥は、自分が駆け抜けたまっすぐな道を見つめて呟いた。

「へっ、存外遠くまで来れるもんじゃん。それに、あの日よりもずっと速いしさ。……なんだ、俺もそれなりに変わっちゃいるってことか」

 飛鳥は悪戯っぽく口の端を釣り上げて、どこか得意げな顔をする。

 汗を吸って張り付く髪のうざったさも、全力疾走をした後の形容しがたい爽快感の前になりを潜めていた。

 記憶の中の自分よりもずっと速く、記憶の中の自分よりもずっと長い距離を走り抜けられた。それは7年という期間が生んだ当たり前の変化ではあったが、それでも悔しさに地面を殴りつけることしかできなかった自分からの変化なのだ。


 ――――今なら追い付けるだろうか。過ぎ去ってしまったあのバスの背に。


「はっ」

 飛鳥は鼻を鳴らして、自分の脳裏をよぎった疑問をあざ笑う。ことさら小馬鹿にしたような態度を取ることで、その考え自体を突き放すかのように。

(あいつはもうとっくに行っちまっただろうが。いまさら駆け込み乗車なんてできるかっての)

 吐き捨てるような言葉を頭で呟き、それでも飛鳥は笑みを浮かべていた。

 そうできるだけの余裕が、今の彼にはあったのだ。

 被りを振って、脱いでいた帽子を頭にかぶりなおした飛鳥は、

「さて、と。じゃ改めてコンビに行こうか」

 無意味にそう口にした後、もう一度進行方向に向けて歩きだした。

 どうにも既に気晴らしが済んでしまったような感覚があるが、ここまで来てUターンをするということもないだろう。対岸側は商店街の入り口にすぐ近くである橋は、もうちょうど目の前にあるのだ。

 と、川に掛かる橋を見上げたところ、その下にあるスロープの辺りで見覚えのある背中を見つけた。

「ん、あれは、愛か? …………うん、そうだな間違いない」

 小柄な少女の背と、やや小さい歩幅から飛鳥はそう確信する。かれこれ1ヶ月近く会っていないのだが、それでも何故かすぐに見つけられる独特の雰囲気が彼女にはあった。

 そして確信と同時に、自分の家では今も中途半端な状態の課題が広げられていることが何故か思い出される。

 かくり、と飛鳥は首を横に傾ける。

「う~ん、なんて言うかこれはあれだけど……。いいや、それもありでしょ!」

 指示後だけの意味不明なひとり言だ。さらに言うや否や、飛鳥は再度全力で駆けだすという奇行に走ってしまう。

 ズダダダダダダダッ! などと非常にやかましい音を立てながらタイル張りのスロープを一気に駆け上がった飛鳥は、ちょうどそれを上りきった辺りで先ほどの少女に追いついた。


 少女の名は如月愛キサラギアイ

 国内でも有数の名門である鞍馬大学から派生した、鞍馬脳科学研究所。そこが所有する、世界で26機しかない古代兵器アークの内の一機のライセンス所有者という稀有な立場にいる女の子だ。

 ――――が。

 彼女は今、突如現れた汗だく男を前にして混乱の極みに達していた。

「ういっす、愛。――お前さ、鞍馬んとこの研究に協力してんだろ? 大学とかもよく行くのか?」

「……………………」

 こくり、と。

 一応間違ってはいない質問に、愛は茫然としながらも首を縦に振る。

 それを見て満足そうにうなずいた男は、ふと真剣な表情を浮かべてまっすぐにこう尋ねた。

「じゃあさ、お前数学得意か?」


「………………………………………………………………??」


 ――中学3年生、如月愛。

 たぶん、人生で一番首を横に傾けた瞬間であった。

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