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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第4部‐彼方の瞳‐
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1章『少年の夏は追われて終わる』:1

 霞がかった思考が時間とともに鮮明さを取り戻していく。黒一色だった視界に光が、眩しさを伴って色を取り戻す。カメラのピントを合わせるように、ぼやけた視界がしっかりとした輪郭を手に入れる。

 頬に触れるざらついた感触に、自分の置かれた状況を思い出した飛鳥は、ゆっくりとその頭を持ち上げた。

「ん、く……。っぁあー! ――――っと、はぁ、寝ちまってたか」

 頭を軽く振って、飛鳥はテーブルの上に広げたプリントの束を眺める。夏の定番とはいえ、流石に気が重い量だった。

 夏休みはラスト1週間と少し。目の前に広がっているこの地獄は、正しくは課題という。


 アーク共同研究のためにアメリカへ行ったのは、夏休みが始まってからすぐのこと。

 海外旅行というようなものではなく、表向きには学校活動の一環だし、裏の意味ではアークの研究開発のための技術交流。遊びのようなものが入り込む余地はなく、それをわかっていたから飛鳥は課題などというものは持って行かなかった。

 飛鳥にとって課題とは、眺めるだけで腹にくるようなストレスを感じるものだ。ただでさえあまり時間的に自由にならないのだから、自らあえてストレスの種を持ち込むようなことはしなかった。

 しかし彼にも予想外だったのは、その共同研究の期間がかなり長かったことだ。

 彼の予想では2,3週間程度だと考えていたのだが、実際には1ヶ月以上の期間がかかっていた。普通は研究開発と言えばこれだけの期間でも非常に短いぐらいだが、これはアーク研究である。

 それに遥からの事前に、夏休みの2週間ぐらいは残るという説明もあったのだ。しかし向こうでアストラルがバースト・ドライブ発動という予想外の覚醒をしたため、予定を少し延長して研究を続けることになったのだ。

 いろいろ発見はあったようだが、それについてはまた別の話として。

 こうして彼らが日本に返ってきたのが、ちょうど2日前のことである。

 2日前の夜に家に帰ってきた飛鳥。仕方がないこととはいえ旅疲れもあってか、昨日に関してはほとんど課題などに手をつけることはできなかった。

 そして夏休み終了が1週間に近い今日になってやっと、こうして山積みになった大量の課題に手を出せるようになったというわけだ。

「クッソが、終わんねぇよこんなもん!」

 やけっぱちになった飛鳥は思いきり頭をかきむしると、手に握っていたシャープペンシルをいずこかへと投げ飛ばす。とばっちりを受けたシャープペンシルが壁にぶつかって芯を折る。

 ため息一つ。

 テーブルの上に置いた時計はちょうど14時30分を指していて、すなわち1時間以上も眠っていたことを暗に告げていた。

「時間ないってのに、寝てちゃいかんだろうが……」

 自嘲の呟きで状況を再確認して、もう一度、問題用紙という名の現実と向き合う飛鳥。

「うわ、問題濡れてんし……。つかヨダレたらして寝てたんかよ俺は」

 見れば、目の前に広げた数学の課題プリントの、ちょうど問2の辺りに染みが出来ている。寝ている間にこんなことになっていたのだろうと考えて、だらしないなと自嘲した。

「でも、今更になって何でこんな夢を……」

 キン、と頭に走った鋭い痛みに、飛鳥は片手を額に押し当てた。

(あの時のことは、もう……)

 課題をやっている時に、夏の終わりを強く感じたからだろうか。彼にとってその記憶は、夏の終わりと共にあった。

 陽炎に覆われた、隅に追いやった記憶――――



 記憶の少女の名は、本郷泉美ホンゴウイズミ。彼女は飛鳥と同じ小学校の、同じクラスに在籍していた少女だ。

 飛鳥が見た離別の記憶、その夢は、小学3年の夏休みの終わりのことだった。

 事情は親の離婚。飛鳥の記憶が正しければ、それで間違いはない。

 何のことはない、よくある話だろう。それが我が身に起こる出来事かということを除けば。

 ありきたりな家庭の事情で、泉美という少女はこの国を離れなければならなくなった。行き先は彼女の母親の実家だった中国。そして当然ながら、彼女は小学校も転校しなければならなくなる。

 まだ日本国内なら、ある程度大きな休みを見つけて元の学校の友人と再会することもできただろうが、国境を跨ぐとなれば話は別だ。

 長い間、二国間が軽く緊張状態にあったのも理由に挙げられるだろうが、何にせよそう気軽に行き来できるようなものでも無かった。

 だから泉美はそれをいやがっていたのだ。

 少なくともクラスの友人の前では、そんな様子はおくびにも出さなかったが、それでも飛鳥には分かってしまう。

 今になっては彼にとってのコンプレックスでもある、人の顔色をうかがう行為。しかし当時に限って言えば、泉美の気持ちに気付けたことからも、彼にとってプラスに働いていた。

 お節介焼きという自覚があったかということまでは思い出せないが、いずれにせよ彼女の力になりたいと飛鳥は考えた。

 どう考えても他人が首を突っ込むような事情ではなかっただろうが、当時の彼はそこまで思慮深くはない。思い出せばバカなことをしたと言えるようなことも、その時ばかりは真面目も真面目だった。

 具体的にどんな方法を取ったのかと言えば、軽いところでいえば彼女だけでも日本に残れる手段はないかと調べてみたり、迷惑なのでいえば彼女の家に乗り込んでみたりといったところ。

 飛鳥の見る限りでは、それこそ家庭に何か問題があるようには見えなかった。泉美とその母親は仲が良かったように見えたし、母親自身も、突然やってきた飛鳥にも悪い顔はしないような人当たりの良い女性だった。

 だから飛鳥は話ができる余地はあると、ひいては泉美の引っ越し自体を無くせるだろうと認識したのだ。

 しかし事情はそれほど単純ではなかったらしく、再三にわたる説得の末、向こうから譲歩される形で、夏休みの終わりまでこの日本に残れるようにとしたのだ。

 そして、それが飛鳥にできた限界でもある。

 ずっとこっちに残れるように、とは飛鳥が彼女と勝手にした約束だ。幼い故に深く考えてはいなかっただろうが、ここで飛鳥は絶対という言葉を使ってしまった。

 だが現実はそう甘くはなく、確かに小さな影響を与えることこそできたものの、絶対といった約束自体は全く守れてはいなかったということ。それが、当時の飛鳥にとってはこの上なく悔しかった。

 過ぎ去るバスを追った彼は地面に這いつくばって、自分の無力さを嘆き、自分の弱さを恨んだ。

 きっと、飛鳥は彼女を救えなかったのだろう。


 彼の目指すヒーローの姿が明確になったのは、その時ではなかっただろうか。


 画面の中のヒーローとは違う、せめて自分の目の前にいる人を必ず救うことのできる、そんな強い存在。

 おぼろげな記憶と共にあるが、飛鳥の想うヒーローとは確かにそういう存在のことだったはずだ。



「なんでこんな…………、やけにしっかり思い出すもんだな」

 まぁ本気だったからな、と飛鳥は追憶の原因をそう結論付けた。

 ならば、当時の飛鳥は彼女のことをどう思っていたのだろう。

「たぶん、好きだったんだろうな、アイツのこと……」

 だとすれば初恋かもしれない。ふとそんなことを考えて、急に熱を持ちだした顔を飛鳥はあわてて掌で扇いで冷やそうとする。しかしどうにも血が上ってしまっているようで、どれだけ仰いでも一向に冷えてこない。

 冷房を目いっぱい効かせた部屋の中で不自然な汗をかきながら、飛鳥は自分のひとり言からの羞恥心にセルフで悶える。

 脇の辺りがかゆくなる変な感覚を振り払おうと、飛鳥は投げ飛ばしたシャープペンシルを拾い上げ、再び机の上に広げた数学のプリントと向き合う。

「………………」

 そうして微動だにせず問題分と向き合うこと数分。飛鳥は唐突にペンを机へ叩きつけると「うがぁー!」というよくわからない叫びを上げて、そのペンを追うように机に突っ伏してしまった。

「全っ然問題が頭に入って来ねえ!!」

 さっきから余計なことばかり考えてしまって一向に手が動かない。集中しようとすればするほど関係の無いことを片端から思い出してしまってかなわないのだ。

 朝何食ったっけ? や、昨日の夜は何の番組見たんだっけ? などというとりとめもない思考が次から次へと頭の中にわき上がり、それが『なら今の自分は彼女の事をどう思っているんだ?』という突然頭をよぎった自問から意識をそらすためのものだったと自覚したあたりで飛鳥の頭はパンクした。

 課題のことなど、この数分間では合計でも10秒と考えてはいなかっただろう。

「わかんねぇよ、今更そんなこと」

 ペンを持たない左手で、突っ伏したままの頭をひたすらガジガジと掻きむしる。

 湯気が出るという言葉が比喩ではなくなるかと思うほど熱っぽくなった顔を、課題というこれ以上ない厳しい現実に押し付けて、一旦落ちつけとひたすら心で念じる。



 彼女が去ってしまっても、しばらくは連絡を取ることはできた。

 こんな時代なのだから、ちょっとした時差のような小さな問題こそあれ、互いの顔を確認することはさほど難しいことではない。

 だから引っ越し以前に仲の良かったクラスメイトとは、割と頻繁に連絡を取り合っていたらしい。

 とはいえ飛鳥としてはどの面下げてというものだったし、全くと言っていいほど連絡はとらなかった。泉美はそれほど、――いやきっと怒ってはいなかっただろうが、飛鳥からは情けなくて顔を見れなかったというものあった。

 泉美の側から飛鳥が指名されることもなかったので、飛鳥は泉美と話をしたのは夏休みの終わり、バス停でかわした言葉が最後だった。

 そうして時が経ち、鮮烈だった記憶が陽炎の揺らめきに消えていき、しかしその思いだけは深く飛鳥の心に刻まれたまま。

 一年ほど経った頃だろうか。飛鳥自身もまたアメリカへと旅立ち、そちらでの生活にようやく慣れ始めた頃のことだ。

 泉美の友人で、飛鳥とも顔見知り程度の中で合ったクラスメイトの女子がわざわざアメリカにいる飛鳥に対して電話でこう尋ねた。

『星野くん、泉美から連絡あったりしてない?』

 思い当たる出来事などなかった飛鳥は、特に迷うことなく無かったと答える。釈然としない様子ながらも、一応は納得した様子でその女子は通話を切った。

 これは飛鳥が後に聞いた話になるが、どうやら泉美が日本を去ってから一年ほどが経った頃、彼女からの一切の連絡が途絶えたというのだ。

 何か事情があったのかもしれない、と飛鳥は思ったが、またぞろおせっかいを焼こうにも太平洋は大きすぎて、それ以上に連絡がなくなったということ以外の情報が何一つなかったことが、飛鳥にそれをためらわせた。

 妙な引っかかりを覚えつつも、しかし手の届かないところで進む時間に、やがてその感覚さえ薄れていく。



 そうして今、飛鳥はその時のことを思い出しながらも、手元に広げた課題と向き合わざるを得ないような状況にいた。

 それはもう、7年も前の話だった。

 広げた課題に鼻先を押し付けていた状態から、寝返りを打つように飛鳥はぐるりと顔を横に向ける。

 壁に掛かったカレンダーが夏休みもあと一週間ぐらいしかないぞ、と無言で告げていた。

 それを眺めながら、飛鳥はポツリと呟く。

「アイツ今頃どうしてんだろうな……」

 

 零れ落ちたため息が、問5の表面を優しく撫でた。

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