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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第3部‐閃光は海を越えて‐
81/259

after 新たなる影

 中国、遼寧省。

 遼寧飛機航空工業、本社高層ビル最上階にて――――

「入るわよ」

 そう言って灰色の扉を押しあけたのは、明るめの茶色に染められた髪をポニーテールにまとめた一人の少女だった。

 少女は後ろ手に扉を閉めるとその場で一度立ち止まり、腰に片手を当てて鋭い目で前方を見据えた。その視線の先にいるのは、手元のタブレットを覗き込む小太りの中年男性だった。

「コードHか、よく来てくれた」

 顔を上げた男性を、少女はぎろりと睨みつける。

「その名で呼ばないで。本郷泉美ホンゴウイズミと、以前名乗ったはずだけど?」

「悪かった、訂正しよう。だからこっちへ来たまえ、本郷君」

 汚らしい笑みを浮かべて手招きをする男性を視界から外して、億劫そうにため息をついた泉美は男性の対面へと足を進めた。だが彼女が机から1m程離れたところで歩みを止めると、男性は露骨に顔をしかめる。

「で、何か用?」

 そんな彼の態度はすべて無視して、泉美は単刀直入にそう尋ねた。男は一つため息をつくと、とある文章を映し出したタブレットを差し出した。

「計画の日程が決まった。一ヶ月後だ」

「へぇ、早いじゃない」

 タブレットを手元に引き寄せると、泉美はその画面に表示された文章に目を通す。そこに書かれていたのは、日本海上におけるアーク・ホライゾンによる哨戒計画の内容だった。

「相変わらず哨戒だなんて嘘ついちゃってまぁ、恥とかそういうものは無いみたいね」

「領空侵犯程度なら認めるとはいえ、侵略作戦となど書けるものか。公式資料として残るのがまずいということぐらい理解しているんだろう?」

「えぇ分かってるわ。だいたい、この計画に関しては私も深くかかわっているわけだし。ただ情けないと思うのは本当よ」

「……君は相変わらず口が減らないな」

「それほとんど初多面の人間に言う言葉じゃないわ」

 泉美がこの男と出会うのはこれで2度目だ。故知でもあるまい、相変わらずなどという言葉を使われるのは彼女としても心外だった。

 計画書に書かれていた内容に目を通していく限り、泉美の考えていたものと大きく違うところは無い。目的は日本側に圧力をかけること。そしてそれと共に彼女の『個人的な目的』を達成すること。

「その作戦では、海上保安庁及び海上自衛隊による警告を受ける可能性がある。……といっても、連中は実際に領空を侵犯するまで攻撃はしてこないだろうがな。いや、侵犯したところでこちらが攻撃行動を取らない限り警告でとどめてしまうだろう」

「それを見越して領空侵犯までしてしまおうってことだったわよね。けれど今このタイミングで、ここまで日本を強く牽制する必要はあるの?」

「なに、貿易摩擦の解消に一役買ってくれという依頼を受けただけだ」

「綺麗な言葉をそんな汚い口でよく言えたものね。ポケットにはいくら入ったんだか。実際に始めちゃったら、勝てる見込みがあるとは思わないけど?」

 タブレットを机の上に置きながら、当然のことのように泉美はそう尋ねた。だが男はそれを鼻で笑う。

「ふん、所詮あの国は戦争なぞできんよ。民意がそれを認めない。そういう民族だ」

「追い詰められた猿は何をするか分からないって言葉があった気がするわ」

「奴らとて猿ほど愚かではないのだよ。そして利口だからこそ扱いやすい。……いずれにしても、奴らとは武力のやり取りをチラつかせるだけで交渉を有利に進めることができる」

「今の防衛システムはアークには無力。そして私たちはアークを軍事目的に開発している……」

 退屈そうに首の後ろを掻きながら、泉美は顔を俯けた。男はニヤリと口の端を釣り上げた。

「そう、だからこそそこに差が生まれる。あの国は未だに対外進攻用の戦力を持つことができない。国を上げてのアークの兵器開発などできはしないのだからな」

「アメリカと共同研究が行われたらしいけど」

「……何が言いたい?」

 顔を俯けたまま唐突にそんなことを言った泉美に、男は怪訝な表情を浮かべる。泉美は顔を上げると、つまらなそうに片手をひらりと払った。

「日本とアメリカが手を組んでくる可能性の話」

「ならばロシアが動くだけだ。……それに所詮は企業が技術開発のために研究しているにすぎない。万が一にも、我々に勝てるものではないな」

「考慮してるならそれでいいんだけどさ」

「あぁ、そして我々には君とそのアークがいる。我が国最強のアーク、アーク・ホライゾンがな」

「……光栄ね」

 それだけ言って華やかな笑みを浮かべた泉美は、すぐに男に背を向けた。

 計画が予想通り一ヶ月後に行われるということが確認できた以上、この部屋にいる理由はもうないからだ。

 だが彼女がドアに手を掛けたとき、男は低い声でこう言った。

「我々を裏切ればどうなるか、分かっているだろうな?」

 ドアノブを掴んだ手が、ぴたりと止まる。

 浮かべていた微笑がすっと息をひそめ、凍りついたような無表情が彼女の顔を覆う。振り返った泉美は、何の感情も宿さない視線を男に向けた。

「アンタこそ、私兵一万人程度で私のホライゾンを落せるだなんて考えてないわよね?」

「っ…………」

「わからない? じゃあいっそ、今日にでもアンタの資産の三分の一を灰にして思い知らせてあげようかしら」

「……わかっているならば構わん」

「それはこっちのせ・り・ふ。……ねぇ、噛みつく相手ぐらいは選んでよ。汚い死体は見たくないの」

 歯噛みする男にそれだけ言ってのけると、泉美は黙って部屋の外に出た。直後に拳を机に叩きつけたらしきバンッという激しい音が聞こえるが、泉美は振り返ることは無かった。

 そのまま数歩進んで廊下の向かいの壁に背中を付けると、はぁ、とため息をついて胸をなでおろす。

 天を仰ぎながら、先ほどとは違う柔らかく小さな笑みを浮かべた。

「でも、やっと帰れる。……アイツは元気にしてるかしら」

 それは、ただ少女らしい笑みだった。


 例えばとある少年の知らないところで、世界はこんなにも動いている。

 この世界に渦巻く思惑は、両手の指ではまず足らない。

 無知であることはある意味で幸福だ。

 ただし、世界の深淵に触れようというならば、愚かであることは決して許されるものではない。

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