3章『バースト・ドライブ』:6
飛鳥が施設を出たとき、空の端は既に夕日の色を滲ませていた。
腕時計を見ればこっちの時間で午後5時を過ぎた程度。アルフレッドとの模擬戦を始めたときで既に午後3時は回っていたので、かれこれ1時間ぐらいは意識を失っていたことになるのだろうか。何にせよ気絶癖が付いたらいやだなぁ、と飛鳥は余計なことを考えながらひたすら敷地内を走っていた。
一度飛鳥は自分の足で行っているので実感として分かるが、アルフレッドがいるスケート練習場まではなんだかんだで距離がある。
それがどういう理由かは飛鳥自身も理解していないのだが、アルフレッドのもとに行くまで、何を話すかを考えておきたくなかったのだ。彼ともう一度向かい合って、その時に思いついたことを話したいと考えていた。
いつの間にこんなに長時間走れるようになったんだろう、などとくだらないことを思っているうちに、いつのまにやらコンクリート製のハーフパイプまでやってきていた。
飛鳥が見上げた時、ハーフパイプの縁に腰掛けてアルフレッドは一人で傾いていく太陽を見つめていた。
手元に無造作に置かれたスケートボードには触れずに、ただぼんやりとしている。飛鳥は黙ってハーフパイプ横の梯子を上るとそちらへ歩み寄った。
「フレッド」
昼間に話した時の快活な雰囲気は感じられない。どこか寂しげにさえ見えるその背中に、飛鳥はそう声をかけた。アルフレッドは一瞬そちらを振り返ろうとして、けれど再び視線を前に戻した。
「負けたよ」
ほんの少しだけかすれた声で語るアルフレッドの背中からは、その表情をうかがい知ることはできなかった。
「お前の本気は本物で、オレの全力よりも凄かった。だから認める。……オレには確かに才能って呼べるものはあって、他の奴らより環境に恵まれている部分も少なからずあったんだ」
「…………」
「認めたくなかったのさ、ずっと。たとえオレに才能があったとしても、全力を注いできたのは間違いないから。たとえ親父がMSCのトップだとしても、オレはあるだけ全部スケートに使ってきたのは間違いないんだ。それを全部才能とか、環境に恵まれてたとかで片付けられたくは無かったんだよ」
「…………そうか」
それ以上、飛鳥は何も言わなかった。今はアルフレッドがその気持ちを話してくれている。自分は黙って聞く番だと、彼はそう感じていたからだ。
「誰もかれもが悪気があってそんな言葉を使ってるんじゃないってことぐらいは、昔から分かってた。でもさ、やっぱ割り切れねーもんは出てきちまって、納得できねー気持ちがしこりになって残るんだ。そういうのから目を逸らしたくて、ひたすらスケボーだけを見てやってたら、いつの間にかプロになってた」
「そうだったのか……」
「ああ。けどさ、そこで気付いたんだ、オレの隣には誰もいねーって。いるのは上か下ばっか、上の奴はただ勝たなきゃならない相手で、下の奴らは住む世界が違うって向こうから勝手に線引きしてやがった。アイツは特別だからってさ、そういう目で見てくるんだ」
アルフレッドは空を仰いで目を閉じると、そのまま仰向けに寝転んだ。その傍らに座りこんで、飛鳥もぼんやりと空を見上げる。潮風が髪をなでるたび、ほんの少しだけ余裕が戻ってくる。
アルフレッドが突っかかってきた理由ぐらい、今の話で飛鳥は十分に理解していた。彼にだって譲れないものがあって、悪気があったわけではないとはいえ自分がそれに触れてしまったということ。まさしく彼の言うとおりだった。
「オレはさ、なんてーか、ライバルみたいな相手が欲しかったんだ。常に全力じゃなきゃ勝てねー、あるいは全力でも勝てねーそういう相手がさ。オレに全力で挑んできてくれて、オレも全力でそれにぶつかれる相手が欲しかったんだよ。……だから一線引かれるのが嫌だった。勝手にオレの場所を諦めるんじゃなくて、全力出して挑んでくりゃいいじゃねぇか! オレだって頑張ってここまで来たんだ、アイツらだってやれるはずなんだって! ……そうやって、オレの全力を高めてくれる奴に会いたかった」
「……だから、お前は俺にああ言ったのか? 俺の全力が、お前の全力に及ばないって」
「ああ。あれは悪かった、もっと言い方他にあったよな、ごめん。……でも、ああやって言えばお前は本気で戦ってくれるって思ったんだ。そしてそれは思った通りだった。お前はオレの全力に食らいついてきて、その上でオレを超えていった。だからオレはオレの本当の全力に辿りつくことができたんだ」
「それは俺も同じだよ。フレッドが俺の本気を求めてくれたから、最後の最後で諦めずに立ち上がれた。俺の本気に、バースト・ドライブに至ることができたんだ」
アルフレッドもまた飛鳥と同じく戦闘中に適合レベルがAに至った。アルフレッドの本気というのも、恐らく飛鳥との戦いの中で到達したバースト・ドライブのことを言っているのだろう。
それならば自分も同じだと、飛鳥はそう言った。だがアルフレッドは自嘲気味に笑うと首を横に振った。
「だけど、アスカの本気はオレの全力より上だった。結局オレはスケートでも、環境とか才能とかに救われてただけなんだよな。……ははっ、情けねーぜ」
「…………違う」
「……アスカ?」
拳を握りしめて歯を食いしばった飛鳥が呟くように言った言葉に、アルフレッドは首を飛鳥の方に向ける。固く閉じていた目を開いて、飛鳥はアルフレッドをまっすぐ見つめた。
「違うだろ、フレッド。お前が頑張ったのは絶対に事実だろ? お前に才能があったって、環境がよくたって、結果を残せたのはお前が全力だったからだろ?」
「そりゃそうだけど……。お前が本気で、それでも環境が悪くて続けられなかったスケートでオレはプロになったけど、スタート地点の同じアークでの戦いでオレは全力を出し切って負けたんだぜ? だったら……」
「違う、俺は本気なんかじゃなかった!」
「……えっ?」
絞り出すような声で紡がれたのは、アルフレッドにとって全く予想外の答えだった。怪訝な表情を浮かべたアルフレッドは身体を起こすと、飛鳥の方に向き直った。
「……今日フレッドとの戦いで、俺は俺の本物の本気を知ったんだよ。言葉だけじゃない、心の底から腹の底から出てくる、ありったけの本気を知ったんだ。……それで気付いた、あの時の俺は本気じゃなかったって」
「……どういうことだ?」
困惑した表情で、アルフレッドは続けて尋ねる。拳を握って、真剣な顔で飛鳥は答えた。
「俺はガキの頃、今日みたいな本気でスケートに挑んでたわけじゃなかったんだ。環境が悪くなったとき、俺がほんとに本気なら絶対に続けてたんだ。だけど俺はやめちまった。自分が本気じゃないのを、環境のせいにしてさ。自分の熱が足りなかっただけなのに、自分以外の何かのせいにしてたんだ!」
「アスカ、お前……」
「情けないのは、俺の方だ…………」
それだけ言って、飛鳥は俯いた。
彼は思い知ったのだ、自分の本気がどこまで行けるものなのかを。適当なところで諦めて、できないことを才能が無いとか環境が悪いとかのせいにして、そんなのは全部嘘っぱちなのだと自分自身で思い知ったのだ。
本気の先に言い訳は無い。
自分を平凡だと割り切っていた飛鳥という少年がいた。そんな彼が何の小細工もない対等な戦いの先に、一つの分野を極めた少年に勝つことができたという結論が出た今、飛鳥の本気にはそれだけの力があったのだと図らずも証明されてしまった。
きっとそれは彼だけではなく、どんな人にでも言えることなのだろう。本気を出せばやれるなど、どれほど月並みな言葉であろうか。そんな言葉の真意すら今になって初めて気づくことができたのだから、飛鳥は悔しさに歯を食いしばるより他なかった。
だが、アルフレッドは首を横に振った。
「でも、アスカは気づけたじゃねーか。お前の本気はすげーんだって、今はお前が一番よくわかってるだろ。だったら情けなくなんてねーよ、お前はすげーんだよ」
「フレッド……」
思わぬ言葉に、飛鳥は顔を上げた。その目をまっすぐ見据えて、アルフレッドは笑みを浮かべる。
「だから本気でいてくれよ。オレの全力をもっともっと引き上げてくれる相手でいてくれよ。お前がオレに挑んでくる限り、オレはどこまでだって行けるんだ。……だからアスカ、もう一度、スケート始めてみようぜ。今のお前なら、お前の本気なら、きっとオレの居る所まで来れるからさ!」
アルフレッドはそう言いながら、思いきり身を乗り出していた。飛鳥が思わず身体をのけぞらせるほどの勢いで語るアルフレッドの目は、例えばサンタクロースを語る子供のそれよりも輝いて見えた。
なんだかんだ言って、アルフレッドの求めるものはそこに帰結するのだろう。自分の大好きなスケートという分野で、自分のライバルとして互いに高め合って行ける相手。その可能性を飛鳥に見たアルフレッドは、今こうして熱く語っているのだろう。
それらすべてを理解したうえで、けれど飛鳥は首を横に振った。
「いや、やめとくよ」
「っ! なんでだよ、アスカなら絶対できるって!」
「……たぶんさ、今の俺がここまで本気になれたのは、それがアークだったからだと思うんだ。あの日の俺がこの本気をもってスケートに挑めば、もしかしたらフレッドと同じ舞台に立てるかもしれない。だけど今の俺はきっと違う。アークが、今の俺の求めるものを持ってるんだ」
アークの力は絶大、それはもう今更だ。そしてその力は飛鳥の目指すヒーローという存在に近付くきっかけになると、彼はそう感じていた。
もはや子供の理屈ではない。今日の戦いで、意図せずして人工島の半分を消し飛ばしたことで飛鳥は確信していた。アークは尋常なものではないと。
アークの合同研究が『軍基地』で行われているのは何故だ。その研究のためだけに島の一つを使い捨ててしまえるのは何故だ。遥が冗談めかして言っていた言葉も、一葉がアストラルを拒んだ理由の一つも、今は現実味を伴って飛鳥の心に突き刺さっていた。
だからいつか戦いが起こった時、飛鳥とアストラルの力で身近な人を守ることができるのではないかと、傷付く何かを救えるのではないかと、彼はそう考えていたのだ。だからアスカは、今はアークに全力をぶつけたかった。
「だから、俺はアークに本気でありたい。俺がありったけの本気を出せたのは、アストラルが俺の本気に答えてくれたからでもあるからさ。だから、今はスケートには本気になれない」
「そっか…………」
ぐいぐいと詰め寄っていた身体を戻すと、アルフレッドは浮かせていた腰をどかっと下ろした。残念そうというか寂しそうにため息をつくと、その顔を俯けてしまう。
内心丸出しなアルフレッドの様子を見て、飛鳥は苦笑いを浮かべる。やがてそっと視線を外しながら、赤くなった頬を爪でひっかいて飛鳥はこう言った。
「ま、まぁ、趣味でぐらいなら、また始めてもいいかなとは思ってる、けど……」
「…………」
しどろもどろに飛鳥がそう言った途端、バッとアルフレッドが素早く振り向いた。数秒ほどの間ひたすら無言でじーっと飛鳥の顔を見つめる。視線に耐えきれずに飛鳥が首を思いっきり横に向けたところで、アルフレッドは飛鳥に向かって飛びかかった。
「うお――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!」
「だああぁぁぁ!?!? なに、なんなんお前!? あばっ、ちょ、うげ! 離れろ暑いわ!!」
「アスカ―――――――――――――――――――――――!!!!!!!!」
「ぎぃやぁぁぁああああああああああ!?!? やめ、ばかっ、顔近付けんな気持ち悪いぃ!!」
顔面がひっつきそうなほど全力で抱きついて来るアルフレッドを引き剥がすと、ハーフパイプの下に落ちないようにととっさに配慮しつつ、かつ乱暴に突き飛ばした。
後頭部をコンクリートに軽くぶつけたアルフレッドが「いてっ!」とか行っている間に、飛鳥は思いきり後方へと飛び下がる。後頭部をさすりながら身体を起こすアルフレッドを、縄張りに入られた野良猫のような目で睨みつけた。
「お、おまっ、お前マジで何がしたいんだ! 冗談抜きで死ぬかと思ったわ!!」
「いやー、感極まってつい」
「感極まったら男に抱きつくのかお前は!? いやもういいからしばらくそれ以上近づくんじゃねぇ!!」
何が悲しくて金髪青眼のイケメンに抱きつかれなくてはならないのか。未だ鳥肌が立ったままの腕を抱えて、飛鳥は警戒心をフルにした状態で視線をアルフレッドに向けた。
なんだかんだ言って、アルフレッドは単純にスケートを一緒に楽しむ相手ができたことも嬉しいのだろう。
たとえ高め合うというほどではなくとも、飛鳥がスケートの上達に取り組んでいるということがあるだけで、アルフレッドのモチベーション向上にもつながるということなのかもしれない。
――と、アルフレッドの気持ちは飛鳥にも少なからず理解はできる。理解はできるが、生理的なダメなものはダメなのだ。
アルフレッドが立ちあがってゆっくりと飛鳥の方へ歩み寄ろうとするが、飛鳥は素早くぎろりと視線で押しとどめた。ビビり倒している飛鳥を遠目に見ながら、アルフレッドは露骨に肩をすくめる。
「わかったわかった、もう飛びかかったりしねーからそんなビクつくなって」
「……ホントだな?」
「大丈夫、約束するって。だから安心しろって、兄弟」
「……は? 兄弟?」
「おう!」
唐突かつ意味不明な発言に、飛鳥は思わず口を半開きにした間抜けな表情になってしまう。対してアルフレッドは、何の根拠があるのかやたらと自信たっぷりに頷いた。
「……兄弟ってどういうことだよ?」
「スケートやってる奴はみんな仲間だって言っただろ。だからさ、スケート楽しんでる奴はみんな兄弟なのさ」
「お、おう……?」
これでもかと炸裂するアルフレッド節に、飛鳥の理解はまるで追いつかない。そんな彼のフリーズしかけの思考になど一切配慮せずに、アルフレッドは笑みを浮かべて続ける。
「というわけでオレとお前は兄弟だ。だから俺はこれからお前を兄弟と呼ぶぞ!」
「えっ、いや、まぁ、別にいいけど…………」
「うん。だからお前もオレを兄弟と呼べ」
「はぁ!? なんで俺まで? やだよそんなん恥ずかしい!」
「だったらなにか特別な呼び方な。ライバルの証にさ」
「もうフレッドって呼んでるだろいいじゃんかそれで……」
「えー、でもそれみんなそう呼んでるからつまんねーよー」
「激しくめんどくせぇ!!」
愛称はそれなりに仲の良い相手だから十分だろうと思い飛鳥は答えたのだが、アルフレッドは子供のように駄々をこね出してしまった。その面倒くささときたら、飛鳥の心の声が叫びとなって漏れるほどである。
一切譲る気はありませんという風なアルフレッドの表情を見て、飛鳥は苦笑しかできなかった。
「じゃあ、アル……アルって呼ぶよ。それでいいだろ?」
「おう! 良いな、それ!」
単純にアルフレッドの愛称フレッドを元の名前から引いて残ったモノ、というだけなのだが、アルフレッドはやけに気に入ったようでひたすら満面の笑みを浮かべていた。何か呼び方というものに強いこだわりでもあるのだろうか。
びょんびょんと跳ねるような動きで、しゃがみこんだ飛鳥の元へとアルフレッドが近づいてくる。飛鳥が反射的にギロリと視線を向けると、アルフレッドはおどけた表情で両手を上げた。
とりあえずはさっきの約束は守るつもりなのだろうと思い、飛鳥は歩み寄ってくるアルフレッドから視線を外した。
「と見せかけてドーン!!」
「わああああああああああああああああああ!!!!」
またしても飛びかかられた。
コンクリートの上で重なったままぐっちゃぐちゃになる男二人という非常にシュールな絵面を数秒間展開すると、やがて二人とも沈黙してむくりと身体を起こした。
髪の毛がぼさぼさになった二人は数秒顔を見合わせると、
「ぷっはは、くっだらねーぜ!」
「あっははは、ホントだよな!」
二人揃ってひとしきり笑い続ける。
何も大したことどない。それどころか、まるで面白いことですらない。それでも彼らは、息が苦しくなるほど全力で笑っていた。
そうして笑って、二人深く息を吐いた。アルフレッドが真剣な表情になって、飛鳥をまっすぐ見る。飛鳥も、その目を正面から見据える。
「兄弟、お前は俺のライバルだ」
「ああ、俺もアルをライバルだと思ってる」
「サンキュー。……だからよ、次は必ずオレの全力で勝ってやるぜ。覚悟しとけよ?」
「オーケー。受けて立ってやる」
そうして互いを認め合って、二人はもう一度握手を交わす。
――――その日飛鳥は、酷く恐ろしい夢を見た。




