2章『閃光は海を越えて』:5
というわけで、飛鳥達はすぐ近くのカフェテラスのようなところに来ていた。空軍基地になぜこんなものがあるかは謎だが、そういう需要もあると言われてしまえば納得してしまうから不思議だ。
今は全員で大きめの白いテーブルを囲んでいた。
「そうか、どおりで流暢に英語を話せるものだ。少し発音に気になる部分もあるが、それにしたって自然だ」
「こっちにいて言葉覚えたころは相当小さかったですから。日本語の方を話せるようになってから何年も経ってたってほどでもないですし」
感心したように頷くジョージに子供のように純粋な瞳を向けられて、飛鳥ははにかんだようにそう答えた。
難しい話は研究が始まってからでいいだろうということになったようで、最低限フラッシュのパイロットとは顔合わせするべきだろうという話になっている。ただ彼も今は機体の収容のために少し離れた施設に行っているらしく、こちらへ来るまで少し時間がかかるとのことだったのだ。
そんなわけで、今はジョージも交えて雑談に興じている。一葉のことを考えればジョージも含めて日本語で話すべきなのだろうが、どうにも発音にそこまで自信が無いらしく、英語での会話を続けることになった。その過程で、日本人にしてはえらく流暢に英語を話す飛鳥にジョージが興味を持ったのだ。
「ちゃんと覚えてるので小学4年辺りからの3年間と中学2年の間の1年だったかな。英語自体はもっと前から話せたんで、もっと小さいときにも居たことは確かなんすけど」
「ほうほう、となるとこっちにも友達がいたりするのかい?」
「ええ、まぁ。流石にもう連絡の取りようもないんすけどね」
苦笑いして指先で頬を掻いていると、ジョージはおどけたように肩をすくめて見せた。
「国境線まで跨いでしまえば、1年2年で疎遠になってしまうこともあるか。……ボクもそんな感じだったように思うし、案外自然なのかもしれないな」
「あら、それは私の母のことかしら?」
そう尋ねたのは遥だ。最初ジョージに会った時のような悪戯っぽい笑みは浮かべていないし、おそらく単純な興味なのだろう。とはいえ、踏み込まれた側のジョージは気まずそうに眉を寄せているが。
「まぁ、そうだね。本当に風のように現われて、風のように去って行った人だった。未だに彼女に出会ったこと自体が夢だったんじゃないかと思えるほどだよ。……いっそ開き直って聞いてしまおうか、亜紀さんは今元気にしているのかい?」
「さあ? 母は相変わらずいろんな国を飛び回っているみたいだし、連絡なんてしないからどこにいるのかなんてわからないわ。紛争に巻き込まれた程度で死ぬようなタマでもないでしょうし、どこかで生きてはいるんでしょう」
「なんかとんでもなくぞんざいな扱いじゃないっすかね……」
月見亜紀、話に出ていることからもわかる通り、遥の母親である。遥曰く海外旅行が趣味だとかで、それに加えて男性経験がとんでもないことになっているとか。
悪く言ってしまえば男遊びが激しいのだ。それが遥の父親が誰かさえも分からないことの原因の一端でもある。
現在も遥が居場所を知らないとなるとこの場で他に知っているものなどまずいないわけで、ジョージは少し落胆した様子でため息をつく。澄んだ空を見上げながら、昔を懐かしむように目を細める。
「彼女は、本当に綺麗な女性だった。……うん、ボクはかつて彼女ほど女性らしい女性を見たことはなかったよ。東洋的でも、西洋的でもない雰囲気をもっていて、けれどもただ美しいと、そんな風に思える人だったなぁ」
「あら、所帯を持っている男性が、それも相手の娘の前で話す内容ではないわね。けれど紳士の恋バナ、興味があるわ。聞かせてちょうだいな」
ジョージの呟きを耳にしてか、どこか楽しそうな表情を浮かべた遥がグッと身を乗り出した。いや、間違いなく楽しんでいる。
当事者的なポジションの遥からすれば父親でもない相手と自分の母とのそういう話は非常に微妙な話題のはずなのだが、どうにも彼女は興味以外の一切を抱いていないようだ。
そういった話は慣れていないのか、ジョージは恥ずかしげに海に目を向けた。
「彼女と出会ったのは、ボクがMSCを立ち上げて4年程がたったころだったか。今の妻との間に子供ができる前で、会社の方がうまく波に乗れていなかったころだ。経営がうまくいかなくて妻と喧嘩して、情けないことにボクはそのまま家を飛び出したのさ。そうして港の近くの酒場で鬱憤を晴らしていたときに、偶然船から降りてきた彼女を見かけた。……いやぁ、あれは一目ぼれだったね。あの瞬間だけは自分に家族がいるという事実を完全に忘れていたよ。ボクは迷わず彼女に駆け寄って、一緒に飲もうと誘ったのさ。ま、その時はもっとキザな言葉を使っていたが」
「へぇ、その言葉も聞いてみたいけど、その後はどうしたのかしら?」
「あー、まぁ未成年には教えられないこと、かな。過程がどうだったかははっきり覚えていない。ただ、それは燃えるような恋だった。たったの数時間でボクの全てを本気にさせてしまうほどにね。……それから2日ほどは一緒にいたんだったか、最後に朝焼けの海を二人で眺めている頃に、頭の冷えた妻から電話がかかってきて解散だった。……でもどうしてかなぁ、別れることに何の名残惜しさも感じなかった。それこそまるで夢から覚めるかのように。だからボクは、彼女が本当に居たのかどうかさえも分からなかったほどだったよ。そしてそれさえも、当時のボクにとっては何の不安にもならなかった。それよりももっと内に猛る熱を感じていたのさ。……まぁそれで何かが吹っ切れたのか、その日以来経営は一気に回復して、そのまま世界トップシェアを獲得した今のMSCに繋がっている。そうだね、言うなれば、ボクにとって彼女は勝利の女神だったのかもしれない」
「へぇ……」
手を組んで真面目に話を聞いていた遥はそう言って頷くと、横目にチラリとジョージを見た。
「恥ずかしい話ね」
「き、君が話せと言ったんじゃないか! ふぅ、もうこの話はいい。流石に息子に訊かれたくはないし、話題と、ついでに話相手も変えてしまおう。というわけでアスカ君、君が昔この国にいたころ、何かスポーツはやっていたかね? ほら、ボクはスポーツ用品メーカーの社長だからな、話題としては適当だろう」
若干強引に話題を変えようとするジョージに、飛鳥は思わず噴き出しそうになる。どう考えても立場は相手が上なので流石にそんな失礼なことはしないが、謎の弄りやすさに飛鳥もつい悪乗りしかかってしまった。というか遥に至っては、口元に手を当てて肩を震わせている。つまり笑っていた。
肌が白い分はっきりとわかる顔の赤さを気の毒に思った飛鳥は、とりあえずその話題に素直に乗っておくことにした。
「スポーツっすか……。まぁ野球とかサッカーとか遊びのレベルならいろいろやってましたけど、一番本気で取り組んだのはスケートですかね」
「ほう! そうかそうか、スケートか! なるほど、それはいい!」
突然何かに納得したように、ジョージはうんうんとうなずいた。どこか嬉しそうでもあるその様子に、飛鳥は困惑の表情を浮かべる。そんな彼の様子などお構いなしに、ジョージは立て続けにこう訊いてきた。
「じゃあそれは今も趣味として続けているのかい? そう、スケートをだ」
「あ、いや……。今はやってないです。中学入学のときに日本に戻ったきりで、中学で一度アメリカに来た時も少しだけやったんですけど、今は全く。関心自体はあるんですけど、もう自分でやろうかってところまではどうにもいかなくて」
「ほう、そうか。それは残念だ……。まぁ確かに、日本ではマイナースポーツの類だし、競技人口も場所も少ないから仕方がないのか。いやしかし残念だ」
なぜそんな態度をとるのかは飛鳥には想像もつかないが、ジョージは心底残念そうに何度も首を横に振っていた。感情が身体の動きに大きく出るのは、そういう国民性だったか。
ともあれいつまでそんな態度をとっているほど彼も子供ではないのだろう、軽く息をはいて、爽やかな笑みを向けてきた。
「ともあれ、関心があるならそれでもいいだろう。だとすれば、これは君にとってもサプライズになるかもしれないしね。……よし、やっとアルフレッドも来たようだ」
「アルフレッド……?」
どこかで聞いたような名前に飛鳥が怪訝な表情を浮かべる中、ジョージは自分が座っていた席を立ち、ちょうど遥の背後の方へと数歩歩いた。つられて、飛鳥達の視線もそちらへ吸い寄せられる。
ふわり、と季節はずれなほどに爽やかな風が吹いたような、そんな錯覚が飛鳥を襲った。
そこには、青いTシャツにベージュの短パンというかなりラフな格好をした、金髪碧眼の美少年が立っていたのだ。
顔立ちは端正というより他にない。西洋人らしく目鼻立ちははっきりしていて、どこか中性的な印象もある。雑に切られたようにも見える短めの髪も、大雑把さよりも活動的な雰囲気を醸し出していた。
「えっ」
そして呆けたように口を開いた飛鳥は、その少年のことを知っていたのだ。
ジョージは彼の元まで歩いていくと、その肩に手を回し、自慢げにこう告げる。
「紹介するよ、僕の息子、アルフレッド=マクスウェルだ。飛鳥君や隼斗君たちと同じアークのパイロットなんだ、仲良くしてやってくれ」
父親にひっつかれたアルフレッドは若干鬱陶しそうにしながらも、
「なんだよ親父、堅苦しいな。……まー、今紹介された通りだ。よろしく」
「星印学園地下研究所副所長、月見遥よ。よろしくね、アルフレッド君」
そう言いながら、ジョージは目の前にいた遥に片手を差し伸べた。流石に椅子に座ったままでは失礼だと考えたのか、腰を上げた遥も笑顔で握手を返した。
同じ感じで隼斗とも、戸惑った様子の一葉とも握手を交わしたアルフレッドは、最後に飛鳥の前にやってきた。
「コードFのライセンス所有者、アルフレッド=マクスウェルだ。フレッドでいい、よろしくな」
「あ、え、その、えっと……」
「うん?」
明らかに挙動不審な態度を示していた飛鳥を見て、アルフレッドは首をかしげた。そしてその数秒後「はは~ん」と芝居ががった笑みを浮かべた。
そして口をぽかんと開けたままの飛鳥に向けて、それまでのラフな感じとは少し違う大人びた笑みを向けてきた。そう、まるで営業スマイルのような笑みだ。
「プロスケーターのアルフレッド=マクスウェルでもある。どうだい、これで分かったんだろう?」
「あ……」
その瞬間、飛鳥の頭の中でとてつもない量の情報が駆け巡った。
そう、彼は数日前に雑誌で見た、アメリカプロスケート界期待の新星、アルフレッド=マクスウェルその人だったのだ。
アメリカでスケートをしていたころの飛鳥が目標としていた人物でもあり、そしてプロになったと知った時、心から賞賛した相手でもある。
あこがれの人と言ってもいい相手が、全くの偶然として目の前にいる。
ややあって、
「えぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?!?」
と飛鳥は思わず絶叫した。
あまりの音量にアルフレッドは顔をしかめてとっさに耳をかばう。
「っ、おいおい耳元で騒ぐなよ。しかし、やっぱそういうことか」
「いやいやいやいや、ウソ、マジで!? あの、あのアルフレッドか!? スケートの!? プロの!?」
「だからそうだって言ってんじゃねーか、騒がしい奴だな」
ギャーギャーうるさい飛鳥に軽く肩をすくめながらも、一歩下がったアルフレッドは腰に片手を当て、堂々とした態度でもう片方の手を差し出してきた。
「ま、俺のファンなら誰でも歓迎だぜ」
白い歯がきらりと光る。
口の端をニヤリと上げるその笑みは、いつかネットの動画で見たインタビューを受けているアルフレッドのそれと全く同じだった。
頭の中をまるっきり混乱に呑まれた飛鳥は、何かを言うことも無く、差し出された手を茫然と握り返すのだった。




