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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第3部‐閃光は海を越えて‐
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プロローグ boy's memory

 うだるような熱気と湿気が全身を不快感で包んでいて、耳に届く乾いた音だけが俺にとって唯一の爽快感だった。

 目をつぶって、小さく深呼吸をする。頭に成功のイメージを思い浮かべ、心音のリズムとそのイメージを重ね合わせて行く。

 3度吸って、3度息を吐いた時、そのイメージが重なった。

 間髪いれずにスッと空気を肺にとりこんで、俺はクォーターパイプの角を蹴り飛ばす。同時に足元に滑り込んだボードに両足を乗せ、ほぼ真下を見ている状況から来る恐怖をぐっとこらえる。

 一秒と経つ前に、円形になった床部分で加速されたボードが俺を乗せて前へと飛び出した。浮遊感と入れ替わりで襲い掛かる強烈な重さを足で吸収して、身体を低くかがめる。

 ブワッと風の壁を貫いた途端、俺の身体を包んでいた不快感が吹き飛んだ。高速で風を切る感覚、ボードのローラーが回転する乾いた音、それらは全て快感となって俺の全身を呑み込んだ。

 飛べる、と思った。

 小さなのぼり坂へとまっすぐ突っ込んだ俺のボードは、速度を落とさずその坂を登りきる。そしてその頂点へと達したその時、

「やっ!!」

 掛け声を上げ、俺はボードを強く踏み締めた。舞いあがる身体と、その足に張り付くようにして飛翔するお気に入りの赤いスケートボード。

 小さな体で必死に掴み取った、小さな大空。

 頬を撫でる風、足元から迫りくる浮遊感、にわかに全身を駆け巡った熱。体中が発した快感を脳が受け止めきれず、飽和したそれは笑みとなって俺の口からあふれ出している。

 空を舞う感覚の中で、俺は流れるように両足をかがめた。追従するボードの前部分を踏む左足の元へ右手を寄せ、ボードの端を強く強く握りしめる。

 インディー、成功だ!

 それはほんの一瞬だったのか、それとも数秒という長い時間だったのか。弾けるような何か、叫びたくなるような何かが、俺のつま先からつむじまでを電撃のように駆け巡った。

 そして訪れる落下。重力が俺を小さな大空から引きずり降ろそうとする。

 逆らいたかった。

 だけど、坂道からその速度で飛び上がっただけの俺には、重力を拒否する力なんてなかった。

 一瞬でも長くボードを掴んでいたくて、だけどそんな俺の気持ちなんて知ったことかとばかりにコンクリートの地面がじわじわと近付いてくる。

 はじかれたようにボードから手を離してすぐに、空転していたローラーと灰色の地面が激しく擦れ合った。とたんに足元からバットで殴ったような衝撃がかけ上ってくる。

 それを両足で綺麗に飲み干してクールに着地、と考えたところで、どういうわけか俺の背中を地球が思いきり引っ張ってきた。

「うわぁ!?」

 ブンブンと腕を振りまわしてみたけど、予想外の方向から加わった力に逆らいきれなくて、俺は背中を地面にしたたかにぶつけてしまう。

「いでっ!!」

 前進しようという力は衰えることはなく、ついさっきまで俺に空をくれていた力が今度は地面を転がそうと躍起になっていた。

 ゴロゴロと何度か地面を転がってやっと俺の身体がうつぶせに静止したころには、お気に入りのボードは遥遠くに投げ出されていた。

 地面に両手をついて、なんとか身体を起こす。

「ちっくしょー、また失敗したぁ!」

 地面をバンと叩いて苛立ちをそっちに押し付けようとしたけど、叩いた掌が痛くて結局それにイライラしてしまう。

 これで7度目の失敗だ。

「おーいアスカ、無理すんなって。そんなんばっかやってたら、いつか怪我するぞー」

「うるさいなぁ、怪我怖がってたらいつまで経っても成功しないよ!」

「本当に上手な人は怪我しないって父ちゃん言ってたぞ。怪我するのはへたくそってことだろ」

「怪我してでも成功させなきゃうまくなれるわけないじゃん」

「そうは言うけどなぁ……」

 ポリポリと頭を掻きながら、黒いボードを小脇に抱えた糸目のトニーがこっちに近付いてきた。俺は不満そうな顔をしたまま、遠くに飛ばされたボードを取りに行った。

 後ろから付いてくるトニーの足音を聞きながら、俺は足元のボードを掴み取った。

 その場でボードに乗らなかったのは、もう一回挑戦するにしてもまたクォーターパイプの上に戻らないと行けないからだった。

 ボードを抱えてすぐに後ろに振り返った俺は、ついてきていたトニーとすれ違うようにしても説いた場所に戻ろうとする。

 そんな俺の腕を、トニーが慌てて掴んだ。

「アスカまたやるのかよ?」

「次はできる」

「それさっきも言ってたぞ」

 トニーは呆れたようすでそんなことを言ってきた。当然俺はその手を振り払って、またクォーターパイプの方に駆けだした。

 いい加減言っても聞かないと思われたのか、トニーはこっちに近付いてこようとはしなかった。

 クォーターパイプに上って、足元にボードを置いた。さっきと同じように何度か深呼吸して、リズムを感じたところで前へ飛び出す。 

 視界の端に不安そうにこっちを見ているトニーが映ったけれど、俺は気にしないようにしていた。

 また重力が俺を引っ張る。ただそれは背中側ではなく、前へ、前へ。十分な速度を手に入れた俺の身体は、一直線に小さなのぼり坂へと突き進む。

 俺の身体は、再び空を舞った。


「だからやめとけって言っただろ~」

「だぁー!!!! なんで成功しないんだよ!!」

 呆れたように言うトニーの隣で、俺はひたすら地団太を踏んでいた。計八回の失敗。流石にそろそろくじけそうだった。

 半泣きになりながら奥歯を噛みしめていた俺の肩を、トニーがポンと叩いてきた。

「やっぱ俺たちだけじゃ無理だって、できる人がいないからなんで出来ないのか分かんないもん」

「そりゃそーだけど……」

「今度俺の兄ちゃんも連れてくるから、その時教えてもらおうぜ。俺もアスカより苦手だし、オーリーも出来ないぐらいだし」

「しゃーねーなー、分かったよ」

 ふてくされて答える俺の方をいつものとぼけた顔で見ながら、トニーは他のところで練習をしているスケーターたちの方を見ていた。俺もつられてそっちを見る。

 単純に、皆うまいと感じた。

 だけど、それはやっぱり年のこともあるだろう。あちこちにいる人たちは皆俺よりも年上だろうし、体格も大きい。周りより下手なのは悔しいけど、多少は仕方ないと思ってもいた。

 それに比べてトニーはそんなことを気にした様子はなく、ぼーっとしたままこんなことを言った。

「皆うまいなぁ、いろんなトリック連続で決めてるよ」

「それは皆俺たちより大人だからだろ、俺たちだっていつかできるようになるし」

「まーな。けど、それだとしたらアルフレッド・マクスウェルは凄いよな」

「あるふれっどまくすうぇる?」

 聞いたことのない名前に、俺は首をかしげる。するとトニーはどういうわけか、そんなことも知らないのかよとでも言いたそうな目で見てきた。

 けど俺が不満げに睨み返したら、そんな表情も引っ込めてしまった。

「俺たちより一つ年上のスケーターだよ。なんか高校生とかも出てる大会に混じって参加して、すごい活躍してるんだって。この前の大会とか3位だって聞いたぜ。40人も参加してたのに、すげーよな」

「3位!? 周り皆高校生とかなんだろ? すっげぇな……」

「そこそこ有名なんだけど、アスカ知らなかったんだな」

「まぁ、俺基本的にストリートしかしないから大会とかでたことないし」

「出ても勝てないけどな」

「うるさいよ!」

 余計なことを言われて怒った俺が肩を軽く小突くと、トニーは過剰に痛がったそぶりを見せながら一歩後ずさる。そこに俺がもう一度拳を振り上げると、両手を上げてごめんごめんなどと言ってきた。

 上げた拳を下ろすと、トニーが息を吐いてまた近づいて来る。

「だったらさ、今度大会出てみないか? 一ヶ月後にある奴なんだけど、そのマクスウェルって奴も出てくるんだってさ。会えるかもしれないだろ?」

「会ってどうするんだよ……。それに、その大会年齢制限のない奴だろ? そんなジャンプもできない奴が行くようなもんじゃないじゃん」

「だったらそれまで猛練習だって。ほら、大会までにめちゃめちゃうまくなって、大活躍してやろうぜ」

「できるかなぁ。ま、でもそう言うことなら頑張るよ。よし、そんじゃあもう一回ジャンプの練習だ!」

「だから今それは無理だって~」

 のそのそと追いかけてくるトニーを笑いながら振りきって俺はまたクォーターパイプへと向かう。

 今度こそ、小さな空を手に入れるために。



 ――――俺が急遽日本に戻らなければならなくなったのは、それから2週間後のことだった。

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