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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第2部‐暴君、出現‐
49/259

4章『誰がための力』:8

 一葉との特訓を終えた数日後、飛鳥達は相も変わらず地下研究所へと来ていた。

 ただし、少々メンツが異なる。異なるというか、増えているのだ。人数が多いこともあって、研究所でも普段いる休憩室とはまた別の応接室にも使われる場所に集まっていた。

 各々適当にソファに座るなどしたところで、そのうちの一人が声を上げた。

「さて、呼び出した人はみんな揃っているわね。なんだか関係ない子も混じっているけど」

 まずは遥。

 エンペラー暴走事件以後なにかと忙しそうにしていた遥だったが、どうやらそういう事務仕事の類が先日やっと落ち着いたらしい。それに関していくつか報告があるとかで、関係のある人間を召集したとのことらしい。

「いつもの3人と、プラスアルファってとこですか。珍しい人もいますね」

 そして呼び出されたうちの一人、隼斗。

 彼は事件以後はアーク関係の研究に従事していたわけではなく、基本的には遥の仕事をサポートしていた。この理由には、事件以後バーニングがしばらく政府のもとに置かれていたことが挙げられる。これはエンペラーが暴走したことから、同様に動かすことのできるバーニングの安全性を確かめるためだ。

 とはいえアークの調査には専用の特殊な機材が必要になる。当然アークの研究を直接は行っていない政府がそんなものを持っているわけもないので、まともな調査も行えないままバーニングは返却されていた。

「私は、珍しい人?」

 首をかしげて尋ねたのは、呼び出されていないはずの愛。

 以前言った通りまた来ているわけだが、当然というかなんというかやはりアポはとっていない。ただそれに関しては遥達も慣れたもので、もはやいるのが当たり前とばかりに誰も何も言わなかった。そもそも気が向けばと最初に断っていた時点で、それをしないことは明白だったともいえる。

 そんな彼女はあの日以来、初めてここにきている。エンペラー暴走事件の詳細はまず愛から鞍馬脳科学研究所に報告がされ、その後は政府からも情報が開示されたのだそうだ。愛は基本自分のことは語らないので、鞍馬がどう対応したのかはこの場ではまだ愛しか知らない。

「お前もここにいるのは珍しいけど、それよかこっちだろ……。なんでこの人いるんすか」

 どこか緊張した様子で、しかし呆れたようにそう言ったのは飛鳥だった。

 彼は当然関係者なので、遥に呼び出されていた。

 アストラルに関してはちょっとした偽装工作と口裏合わせによってエンペラー暴走事件には関与していないということになっており、バーニングとは異なり星印学園地下研究所が持ったままだった。しかしどの道大規模な実験はできないので、あくまでも研究所内でおとなしくしているしかなかったのだ。

 その上VRシミュレーターに関しても、隼斗がしばらく遥の手伝いに専念しなければならないということから、ならばせっかくだから使えないときにしっかりメンテナンスをしておこうということになっていた。

 そんなわけで飛鳥は頑張ろうと思った矢先に躓いてしまい、今はかなりフラストレーションがたまっているのだった。

「何か不満そうだな、星野。あと先生に対してその態度はないだろう」

 問題はこの人物、飛騨弾一ヒダダンイチだ。

 目鼻立ちがくっきりしているが、茶髪のショートカットに切れ長の目のせいかどこか不良っぽさを感じさせる男性である。長身な上に一人だけ座らずに飛鳥の座っているソファの傍らに立っていて、なおかつ周りは皆学校の制服なのにもかかわらず一人だけポロシャツにジーンズとなるとやたらと目立つ。

 実は彼、この学園の数学教師である。

 教師陣のなかではかなり若い方で、大学を卒業してからそう経っていないとのこと。教師歴自体も短いというかほぼ無いのだが教えるの自体は結構上手で、年齢も近いことから生徒たちには割と人気があるのだ。

 そしてそんな彼が何故ここにいるかということである。

 もしや秘匿にしていた研究所の存在が外部に露見してしまったんじゃ? と思うかもしれないが、実際はそんなことではないようで、

「飛騨先生は実は東洞関係者でね、教師側からこの研究所に所属する学園の生徒をサポートするための人員なのよ。今回は彼にも一応関係のある内容だから、私がここに呼び出したの」

「まぁそういうことだ、残念だったな不審者じゃなくて。オラオラァ」

「一言も言ってねぇよんなこと! ってあがががが!!!! 首締めんな、冤罪だー!」

「何をやってるんだか……」

 たわむれる二人を見て、隼斗は呆れたように溜息をついた。

 実は飛鳥は飛騨のことが苦手なのだ。それは授業がつまらないからなどということではなく、この教師、スキンシップが激しいのである。

 会話のノリが友達というか、教師と生徒がするような雰囲気にならない。話していても肩を組んできたりというのが、少なくとも男子生徒相手だとためらうこともなくやってくる。

 生徒によってはそのフレンドリーな態度はウケがいいのだが、先輩後輩や生徒教師といった立場は明確に線引きするタイプの飛鳥からすると少々慣れないのだ。

 首に回された飛騨の腕を引き剥がして、飛鳥は遥に助けてくれと言わんばかりのすがるような視線を向けた。しかしどうにも意思が伝わっていないのか、遥は可愛らしく首をかしげて、

「仲いいのね?」

「どこがっすか! うっとうしいんですけどこの人!」

「もう少し言葉を考えろ星野コラ」

「あだっ!?」

「はいはいどうどう」

 スッパァン!! と飛騨が気持ちのいい音を鳴らして飛鳥の頭をはたいた辺りで、流石に見かねた遥が止めに入った。飛騨は遥に爽やかな笑みを向けると、謝罪の言葉一つもなく腕を組んで口をつぐんだ。飛鳥が向けている怒りの視線もどこ吹く風だ。

 飛騨は邪険に扱われるからか、むしろ飛鳥に対しての絡みはしつこい。飛鳥としては授業の時や必要があれば話をする程度でいいのだが、どうにも飛騨はそれが気に行っていない様子だった。この二人、根本的に相性が悪いのである。

 微妙に雰囲気が悪い二人に嘆息しながら、遥はこう切り出した。

「さて、なにはともあれ召集した人間とあと愛の5人が揃ったところで、この前のエンペラー暴走事件に関連すること、そして今後私たち星印学園地下研究所がどう対応するのかについて説明をするわ」

「あー、あの遥さん。たぶんもう一人あとで来ると思います」

「……もう一人?」

「まぁそう言うことだと思っておいてくれればいいんで。ちょっと報告しただけですから、話続けてください」

「……どういうことなの?」

 怪訝な表情を浮かべた遥だったが、飛鳥が説明する気が無さそうなのを見て取ると、気を取り直して続けた。

「えーと、まずは神原財団のこと。おおかたの予想通り、財団自体は解体されることになったわ。財団の資金がどうなるかはまだ検討中みたいだけど、いずれにせよ神原はもうアークの研究はできなくなったということよ。ただ、神原が所持していたアークの研究施設に関しては政府が購入、管理するみたい」

「となると、アーク・エンペラーは浮くわけですけど、それの管理はどうなったんですか?」

 隼斗に尋ねられた遥は、そちらではなく全体を見渡した。これは遥の手伝いをしていたため隼斗は結論を知っているからであり、飛鳥達のために情報の補完を求めたからだ。

「エンペラーは破損したままアメリカへ一時的に預けられることになったわ。……実際のアーク研究の最先端は日本なのだけど、今回の件で立ち入り調査が行われることも決まったし、そんなところに預けるわけにもいかないもの。だから次点でアメリカってところかしら。向こうは国が研究にしっかり関わっているから信用度も高いんでしょう」

 この辺りはやはり国ごとの事情が現れているだろう。日本は対外的な問題から国主導のアーク研究はできないが、アメリカについてはそういうことはない。逆に、アーク研究が世界で一番最初に始まったのは日本だが、アメリカはやや出遅れ気味だった。そういう意味では、アメリカよりもアーク研究の技術が進歩している国はいくつかある。

 しかし日本と友好な関係を気付いており、なおかつアーク研究において技術的交流がある国となると数は限られる。その中で技術的に最も上なのがアメリカとなると、この采配に間違いは無い。

 その辺りの事情もちゃんと理解しているらしく、遥も特に異論はないようだった。

「妥当なところでしょう。ちなみに、アメリカの方では特に研究がおこなわれるわけでもなく厳重に保管されるらしいわ。神原がいろいろとおかしな改造をしたことも含めて、再度の暴走の危険も考慮してるらしいわ。ま、パイロットもいないのにまともに動くはずもないのだけどね」

「そうだパイロットって、エンペラーのパイロットだった伊集院なんとか……でしたっけ? そいつはどうなったんすか?」

「ああ、そうね、それも言っておかないといけないわね。……彼に関しては病院でカウンセラーの治療を受けつつ、学校には復帰するらしいわ。ただし、元の学校では以前と同じようにイジメを受ける可能性が否定できないのと、家庭環境が改善した様子はない。あとはエンペラーのパイロットに正式登録されてしまったことも含めて、一般的な生活を送るのは難しそうなの。そんなわけで、彼にはアーク関係者のバックアップ体制のある中学に転校することになったわ」

 そこまで遥の説明を聞いて、愛は眉を寄せた。

「それって、ウチ?」

「そう、愛の通ってる中学よ。鞍馬と関係のある中学でもあるし、同じ立場であるあなたもいるのだから、まぁこれに関しても妥当でしょう。事件の一要因ではあるけれど、彼自身に悪意があったわけではないわ。できる限りのサポートはしてあげてちょうだい」

「…………わかった」

 深く何かを考えた様子を見せた愛だったが、最後には嫌そうなそぶりも見せずに頷いた。

 遥も満足そうに頷くと、少し真剣な表情を浮かべた。

「で、神原宗二についてだけど、これは私しか知らないはずだからかいつまんで言っておくわ。……彼については警察が数日捜査したうえで、ついに足取りはつかめなかったみたい。証拠も何もかもが完璧に消されていて、捜査のしようもなかったのだそうよ。容疑者ってわけでもないから指名手配はできないし、いずれにせよもう国内にはいないでしょうね」

「なるほど……。しかし会長、個人でそこまで完璧な逃亡ができるでしょうか? 証拠も何も残っていないということは一般的な手段での海外渡航ではないのでしょうが、それにしたって……」

「……ええ、だから何らかの組織がそれを手引きしたのかもしれない。神原は財団の資金の一部を持ちだしていた可能性もあるし、恐らくはアーク研究に関わる技術や情報も同様でしょう。なら、それを求める組織があってもおかしくないわ。対応が早すぎるとは感じるけど、あるいは事件前から準備自体は進めていたのかもしれないしね」

「……キナ臭いですね」

 手を組んだ隼斗が鋭い目で虚空をにらみつけた。それが何を考えているのか飛鳥には分からなかったが、その視線はゾッとするほどに冷たいものだった。

 対して遥は何も感じていない様子で、やはり呆れたよう肩をすくめた。

「ほんとにね。ま、それは私たちには直接関係はないわ。神原が今後何かやらかすかもしれないからそれの注意はしておけって政府からのお達しはあったけど、それこそ何をしろって話だものね」

「じゃあ、俺たちは今後どうなるんですか?」

「現状維持で、できるだけおとなしくしておけとのことよ。屋外実験は控えるべきでしょうけど、それ以外は自由にやっていいんじゃないかしら。ただ、一カ月後に研究所へ立ち入り調査が行われるから、それから数日間は一切実験等ができないことになるわ」

 一か月後と言うと、夏休みが始まって1週間程の辺りだ。授業が無いので普段よりも長くアークに関われる機会なだけに、その間に実験ができないのは少々もったいない。

 そんな気持ちが顔に現れていたのか、遥は飛鳥の方を見て小さく笑った。

「そんなわけで、われわれ星印学園地下研究所メンバーの今後の予定よ。まず、バーニングは実験的に取り付けていた装置やシステムを、安全性の確証のある物に変更するわ。そのメンテナンスの関係で、バーニングはしばらく動作実験ができません。と言っても、バーニングに関してはもうかなり研究は進んでいるしそこまで痛手でもないけれど。そういうわけだから、いいわね、隼斗?」

「僕は構いませんよ。シミュレーターを使った訓練ぐらいはできるんですよね?」

「そっちに関しては明日辺りから再開できるわ。研究所内のサーバーや量子コンピューターも含めてのメンテナンスだったから長くかかっちゃったけどね」

「なら、異存はありません」

 言葉通り不満の無さそうな隼斗の承諾を受けて、遥は軽く頷く。

「で、アストラルに関してだけど、アストラルは一カ月後の立ち入り調査の前にアメリカへ移送することになったわ」

「アメリカ、ですか?」

「ええ。アーク研究に関して協力関係にあるアメリカの企業『MSC』に依頼して、立ち入り調査が終了するまで施設の一部を間借りさせてもらうことになったの。『MSC』は、アスカ君も知っているわよね?」

「マックススポーツカンパニーでしたっけ、スポーツ用品メーカーの」

「正解」

 マックススポーツカンパニー、つまりマックス社は世界最大手のスポーツ用品メーカーだ。会社そのものに特筆するところはないが、アーク研究を行っている企業では珍しく機械製品などの工業に関わっていない企業である。

「アストラルは先の一件に関してはそこにいなかったことになっていて、政府もそう認識してくれているわ。それに加えてアストラルはまだ本格的な研究が始まっていないことになっているの。つまり調査が必要なのは建前上バーニングだけ。だからそれを利用して、調査の期間もアメリカへ持って行って研究をしてしまおうということになったわ」

「盛大な嘘っすよね、いいんですかそれ……」

「だって真実を公にしたって誰も得しないもの、そういうのを正しいとは言わないわ」

 エンペラー暴走事件に対する星印学園地下研究所が行ったアクションは、その大部分が偽装されているのだが、実はこの偽装工作はかなりずさんだった。間に合わせと言っていいだろう。

当然そんなものに政府が騙されてくれるわけがないのだが、これらは既に口裏合わせが済んでいる。そのため公式の記録にも今回の事件はバーニングが単騎で出撃し、暴走したエンペラーを鎮圧したことになっている。

 政府はアーク研究に関わっていないとはいえ、技術開発が国の発展に繋がることぐらいは当たり前に理解している。そのため研究を積極的に妨害するような真似はしないし、むしろ見えないようにそれを推奨するスタンスを取っているのだ。

そういった理由から、政府は星印学園地下研究所の申し訳程度の偽装工作にまんまと引っ掛かったふりをしているのである。

 汚い手段ではあるが、遥の言うとおりクソ真面目に真実を公にしたところで得をする人間はいない。嘘も方便とはよく言ったもので、これについては必要な嘘だった。

「そして私たち研究所の主要メンバーは、アストラルの移送と共にアメリカへ行くことになっているわ。技術者たちは政府への説明で大部分が残らなければならないのだけど、ここにいない数人が同行するわ。で、これだけのメンバーが皆一緒に渡米って流石に変でしょ? 詰め寄られたら言い訳出来ないっていうか。技術者連中は東洞財閥名義にしてビジネスとして行っちゃえばいいんだけど、私たちは学生じゃない」

 そう言った遥が指さしたのは、飛鳥の傍らで立ったまま船を漕ぎ始めていた飛騨だった。全員の視線が一斉に集中すると同時にハッと目を覚ました飛騨は、おそらく何のことかも理解していないままに自信ありげに頷いた。

「だから古代技術研究会の活動の一つとして、メンバー皆でアメリカで古代技術に関連するものの調査や研究をしましょうってことにしたわ。そして、教師側のバックアップ要因である飛騨先生がその付き添いというわけ。部活動じゃないから顧問はいないのだけど、校内組織の活動で海外へ行くとなると一応管理する人間も立てておいた方がいいからね。彼がここにいる理由はそれ。暇だったというのもあるけど」

「なるほど、そういうことだったんすか。けど同好会の名前って出しちゃっていいんですか? これまでずっと隠してやってきたと思うんすけど」

「もともとこういうときのために設立した同好会だし、必要な時には使って行かなきゃね。とまぁそんなわけだから、隼斗とアスカ君、あとは飛騨先生は時間があるときに渡米の準備を進めておいてね。これで、私からの連絡は終わりよ」

 話し疲れたのかソファの背もたれに身体を預けた遥が、首だけを愛の方に向けた。

 視線に気づいた愛が、軽く首をかしげた。

「なに?」

「鞍馬って今回の件にはどう対応したの?」

「黙って、政府指示に従ってる。今回は目立った行動もしてない。解決は全て東洞の功績」

「面倒事押しつけておいて、何が功績なんだか……。ま、いいわ。そんなことだろうと思ったし」

 脱力した遥が天井を仰ぎながら軽く目を閉じる。

 用は済んだとばかりにその場から立ち去っていく飛騨を横目で見ていた飛鳥が、入れ替わりに部屋に入ってくる男性を見ていた。

 飛騨に会釈して入ってきた、茶色いスーツに白衣をはおった眼鏡の男性が覇気の無い声を上げた。

「もう話は終わったかい?」

「あ、御影博士! お久しぶりです」

 目を開けてその男性をみとめた遥が、そんなことを言いながら立ち上がった。

「博士はやめてくれ、今はもうそんな大したことはしていないんだから」

「謙遜しないでください、御影さん」

 照れくさそうに頬をかく男性。見れば、隼斗や愛にいたっても彼に注目していた。

 何の変哲もないどこにでもいそうな男。顔はそう年をとっているようには見えないが、髪の毛は白髪交じりだ。雑に切られたぼさぼさの髪と、特にこだわりなどは感じさせない顎髭のせいでひたすらにだらしないという印象を与える。高級そうなスーツはしっかりと着こんでいる割に、羽織っている白衣はよれよれとアンバランスな雰囲気を纏っていた。

 どう見ても大物ではない。しかし、遥が「さん」づけで呼んでいる段階で、既に只者ではないということだけは理解できた。

「あの~、遥さん。その人は……?」

「あぁ、そういえばアスカ君は初対面だったわね。彼は御影五郎ミカゲゴロウさん。元考古学者で、世界で最初にアークを発見した人よ。今はこの研究所の所長なの」

「御影五郎だ、よろしく。あぁ、今は学者をやっているわけではないから、博士とは呼ばないでくれるといいかな」

「どうも、星野飛鳥です。よろしくお願いします」

 差し出された手に握手を返しつつ、慣れない敬語で応えた飛鳥。

 柔和な笑みを浮かべていた御影だったが、ふと顎に手を当てて何事かを思案した。

「星野飛鳥君と言えば、確か新しいアストラルのパイロットの子がそんな名前だったようだが……」

 御影は顔に似合わない子供のように澄んだ瞳で飛鳥をじっと見つめると、不思議そうな顔をして、

「……同姓同名か?」

「いやそれ俺です。俺がアストラルのパイロットです」

「…………ふむ? ……………………あ、そうかそういうことか! いやーすまない、記憶にある名前と一致した人を見るとまず同姓同名を疑ってしまう癖が抜けていなくてね。これは失礼なことを言ってしまった、申し訳ない。なるほどどおりで…………。しかし君がアストラルのパイロットか。うむ、頑張りたまえ」

「は、はぁ……」

 もはや返事など聞かないまま満足そうにうんうんと頷く御影に肩を叩かれて、飛鳥は戸惑ったように頷いた。となりで遥が「変わった人でしょ?」などと楽しそうに聞いてくる。

 遥は心なしか嬉しそうに御影の方を振り返った。

「アメリカへの連絡と移送の手続き、ありがとうございました。私ではどうにもうまく話がすすめられなかったので……」

「仕方ないさ、副所長とは言っても君はまだ学生なのだから。長い間ここの運営も任せきりだったし、いい加減私も仕事をしなければ示しが付かないからね。当然のことをしたまでだ」

「それでも、お礼は言わせて下さい。……ところで、御影さんはどうして今日はこちらに?」

「オーストラリアの研究所の手伝いをしていたんだが、そちらが一区切りついたからつい先日日本に戻ってきていたんだよ。そして今日の午後には研究所にも戻ってきていてね。署長室にいたら見知った顔が同好会か何かの部屋の前で困った様子を見せていたんだ。話を聞く分には、君に会いたいとのことだったから僕が招いたんだが。……ほら、もうは入ってもいいんじゃないかな?」

「話があるって、一体誰が…………」

 御影に招かれて部屋のドアをくぐったのは、一人の少女。

 首を傾げる遥の前に現れた彼女は、穏やかな笑みを浮かべた。

「ここで会うのは久しぶりですね、遥」

「一葉!? どうしてここに! …………まさか、最初にアスカ君が言っていたもう一人って……」

 怪訝な表情でそう尋ねる遥に対し、飛鳥は黙ってうなずいた。

 額に手を当てて一歩後ずさった遥を見て、一葉はクスリと笑った。

「驚いてます?」

「そりゃ驚くわよ、だってあなたは……」

「ええ、そうですよね。以前逃げ出したのは、私自身なのですから」

 一葉は神妙な面持ちでそう語る。過去を懐かしんでいるようにも見えたが、それが楽しい思い出なのだとは傍から見ている飛鳥にはどうしても思えなかった。

 遥は珍しく緊張した様子で、次の一葉の言葉を待っている。

 一度深呼吸をした一葉は、意を決してこう告げた。

「私はもう、逃げません」

 それは明確な宣言。飛鳥に告げたあの時と、彼女は同じ目をしていた。

「一葉……」

「あの日のことを思い出すのは、今もまだ怖いけど……。でも逃げ出した私の代わりに彼が、アスカくんが今はそれと戦っている。だけど私は、私が感じた怖さを誰かに押し付けたままにしたくないんです。……私が逃げ出したことは、きっと遥や他の人たちにも小さくない迷惑をかけたのだと思います。けど、それでも許してもらえるのなら……」

 不安そうに揺れる一葉の瞳が、視界の隅に飛鳥を捉えた。飛鳥はそれに気づいていて、だから力強く頷いて見せた。一葉の顔に、ほんの少しだけ笑顔が戻る。

 遥に向けて、その手を伸ばした。

「どうかもう一度、協力させてもらえませんか?」

 遥の眼が、驚きに見開かれた。

 きっと、そんなことは予想もしていなかったのだろう。

 一葉はパイロットになることを辞退して以降、研究所には全く関わらなかったのだ。いや、関われなかったというべきか。ふとした拍子に思い出される恐怖は、恐らく今も彼女をしばりつけている。

 それを分かっていたから、遥は一葉に深くは関わらなかったそうだ。互いに研究所の仲間というだけではない、友情とも言える確かな信頼を感じていたのに、二人揃って遠慮しあっていたのだろう。

 それは気づかいで、だから優しさではあったけど、その二人の関係は決して優しいものではなかった、と。一葉はそう飛鳥に語っていた。

 だから踏み越えたのだ、勇気を持って。上塗りの優しさを引き剥がすために。

 一葉の意思は確かに遥に伝わっていた。だから彼女は、めいっぱいの笑みを浮かべていたのだ。

 一葉が差し出す、その手をとった。

「当然よ、もう一度あなたの力を貸してもらうわ」

 どこまでも尊大に、どこまでも彼女らしく、遥はそう答えた。

 飛鳥はその姿に目を奪われていた。新入生の前に立ち、一人壇上で語っていた生徒会長の姿。

 今の遥は、あの日と同じ姿をしていた。飛鳥がその心を奪われた、銀色の髪のなびかせた彼女だけの輝きを放つその姿を。

「ありがとう、遥」

 駆け寄って抱きついた一葉の背を軽く叩きながら、遥はただ優しい笑みを浮かべていた。

 チラリ、と隼斗に目配せをする飛鳥。

 隼斗も気付いたようで、微笑みながら頷き返した。

 二人に水を差さないように愛の手を掴んで立ち上がった飛鳥は、立ちすくむ御影に軽く会釈をすると、隼斗も連れだって部屋から出て行った。

 あの二人には、つもる話もあるだろう。



 飛鳥はその足で研究所を出て、夕焼けに染まる空の下を愛と並んで歩いていた。

 どうやら家には電車に乗って帰るらしく、駅までの途中のわかれ道までは飛鳥と同じ道なのだ。

 遥と一葉のことを思い出して満足感を感じると共に、意識のうちににやつくした飛鳥が自分の頬を軽くつねっていると、傍らの愛がこう尋ねてきた。

「アークに乗る理由、見つかった?」

「ああ」

 ポケットに親指を引っ掛けていた右手を顔の前に持ってきて、ぐっと拳を握りしめた。

「俺がアストラルに乗り続けることで、守れるものがあるんだって確信したんだ。俺が逃げないことで救われるものがあるんだって分かったんだ。だから俺はアストラルと向き合い続ける。俺の意思で」

「……そう」

「それにやっぱり、強くなりたいとも思う。その力は誰かが傷付こうとしてるときに、それを守り抜けるだけの力になると思うんだ。そして、あの人の役に立つ力でもあるはずだから」

 まっすぐ前を見て、飛鳥はそう告げた。

 曖昧な未来のビジョンに、まっすぐ拳を向ける。それがたとえどんな壁であろうと、立ち向かう勇気を持って。それは、今日の一葉が示してくれたことだった。

「ならもう、心配はいらない。アスカは、きっと大丈夫」

 飛鳥の暮らすアパートとのわかれ道、大きな交差点を背にした愛は大人びた表情でそう言った。

 夕日が作る長い影が、その場でくるりと回る。

 背を向け歩き出そうとした愛に、飛鳥は無意識に手を伸ばしていた。

「なぁ、愛。……お前はどうして、アークに乗るんだ?」

 肩を掴む飛鳥の手に自分の手を触れながら、愛は振り返ることもなく答える。

「失くしたものを、取り戻せると思ったから」

 消え入りそうな声に、飛鳥は言葉を失った。

 そんな彼の様子に気付いているのかいないのか、愛は淡々と続ける。

「私がアークに乗り続けていれば、きっといつか全部が元に戻る。壊れちゃったものもいつか戻ってきてくれるって、信じてる」

「…………」

 何を言えばいいのかも分からないままに、飛鳥は口を動かしていた。だけど、言葉にはなってくれなかった。抽象的な愛の語った内容が喉を締めつけていた。

 振り返った愛が、笑う。

「お姉ちゃんとお母さん、今どこにいるか分からないの」

 けれどそれは、彼女がいつか見せた可愛らしいものではなくて、哀しい、ただ哀しい笑みだった。

「愛、それ、お前……」

「だけど、いつかそれも終わるから。全部終わったら、きっと元に戻ってくれるから。だから、私はアークに乗り続ける。それだけ。……バイバイ、アスカ」

 手を振って、小走りで立ち去っていく愛。

 その背中が見えなくなるまで、飛鳥はずっと立ちすくんでいた。

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