3章『暴君、出現』:5
「お帰り、隼斗。意外と早かったわね」
飛鳥が研究所に帰還してから1時間と経たないうちに、隼斗も研究所へと戻ってきた。当然バーニングも一緒にだ。
1時間経ったとはいえ飛鳥が戻ってすぐは遥も他の研究員もあわただしくしていたので、いつもの休憩室に腰を落ち着けたのはついさっきのことだった。
隼斗は十数枚程度の書類の束をガラステーブルの上に置くと、遥の対面のソファに座った。その左手側には飛鳥が俯き加減で座っており、右手側には愛が無表情で背もたれに身体を預けていた。
全員の顔をチラリと見渡し、隼斗は小さく息を吐いた。
「今日の内に東洞、というかこの研究所関連に探りを入れるつもりはないみたいです。まず即時に対応しなければならない案件から、ということで神原のことに最優先で対応するってことみたいです。詳細はその書類を見てもらえればわかると思いますけど」
言われて、遥はテーブル中央の書類を手元に引き寄せた。ざっと目を通すようなスピードで、十数枚の書類をぱらぱらとめくっていく。1分半程度で、全てに目を通した彼女は顔を上げた。
「なるほどねぇ……」
「どんな内容だったんです?」
尋ねたのは隼斗。
意外なところからの質問に、遥はキョトンと首をかしげた。
「読んでなかったの?」
「疲れて目を通す気になりませんでした。向こうでもいろいろとくどい質問を繰り返されましたし。……それより、内容はどうなっているんですか?」
「そうね、私がさっき電話で確認していたことも踏まえて要点だけ抑えて伝えるわ。いい?」
促した隼斗はもちろんのこと、遥の左手側にいた愛も無表情のまま小さく頷いた。だが、その愛の視線の先にいた飛鳥は、俯いたまま何も答えなかった。
「アスカ君?」
「…………」
「アスカくーん」
「うおわっ!?」
すいっと下から覗き込むようにした遥に、飛鳥が露骨に驚いて飛び上がった。状況を理解していないのか、顔を上げてきょろきょろとあたりを見回している。
遥はそんな彼を心配そうに見つめると、
「アスカ君、大丈夫?」
「え、あ、はい、大丈夫っす。続けてください」
「そう、ならいいのだけど……」
パタパタと手を振る飛鳥を訝しげな目で見た遥だったが、すぐに視線を外すと気を取り直して書類を両手でつかんだ。
飛鳥はそれを見て、再び顔を俯けていた。意識が完全に内側を向いているのか、ぴたりとロックされたままの愛の視線にも気付いた様子はない。
「さて、じゃあ今回の件についての政府判断の概要を簡単にまとめて話すわね」
一呼吸おいて、遥は手元の書類をめくった。
「まず今回の事件の原因だけど、東洞や鞍馬の研究結果の一部を踏まえて調査した結果、やはり初回起動前の過度なシステム改造による精神最適化システムの暴走、それに伴うパイロットの一時的な精神分裂状態によるものだそうよ」
「あそこまで暴走するほどの精神分裂って、一体どんな改造をすればそうなるんでしょうね」
「まぁそれは置いておいて、パイロットに関してまず話をしましょう」
遥はさらにページをめくると、パイロットだった少年のプロフィールを指でなぞりながら話を続ける。
「パイロットの名前は伊集院正太郎。性別は男性。13歳の中学2年生よ。両親が創始円教団に入信していて、今回の集会に出席したのも両親に連れられてのことだそうよ。というか今回の集会は子供連れ限定って、愛が持ってきてくれた情報でも確認していたわね」
遥はさらに書類をめくるって複数枚の資料に順々に目を通しながら、
「本人にこれといった特殊性は無し。ただ、相当な人数の中から選別されただけあってエンペラーとの適合レベルはかなり高かったみたい。けどホントにそれだけね、とりたてて関係のありそうな内容は見当たらないわ。強いて言うなら学校、家庭環境かしら」
「家庭環境?」
一見関係のなさそうな内容に愛が首をかしげてそう尋ねる。
「ええ。最近の創始円教団がカルト化してきているのは皆知っているわよね? っと、アスカ君は詳しくないのかしら?」
「俺は……、すいません。創始円教団って名前自体は知ってたんですけど、詳しい話は全くです。簡単な説明ぐらいは隼斗に聞いたんですけど」
飛鳥が苦笑気味にそう答えると、遥はクスリと笑って手元の書類をいったん閉じた。
「あまり深い話をしてもしょうがないから、簡単に説明があったのならその補足をしましょうか。創始円教団は8年ほど前の世界恐慌、当時の大きな企業のトップたちがその恐慌への対策のために手を取り合った集まりが前身とされているわ。それ自体は恐慌を凌ぎ切ったあとに解散されたのだけど、一部の人間たちがその思想を残そうと宗教法人として立ち上げたのが今ある創始円教団よ。厳密には宗教というより思想団体と言った方が近いわね」
一気にしゃべって少し疲れたのか、遥は手元のグラスの麦茶を煽った。その様子をぼんやりと眺めながら、飛鳥はふと思ったことを訪ねる。
「その創始円教団の思想って奴は何なんですか?」
「一言で言うのは難しいのだけど、端的に言って『経済を動かす人、要するにお金を多く使う人ほど価値のある人間だ』と言ったところかしら」
「……既に狂ってんじゃ?」
「もともとはもっとマイルドよ、今がそうなっているというだけ」
ばっさり切り捨てるような飛鳥の呟きに、遥も苦笑気味に肩をすくめた。見れば、隼斗も苦笑いを浮かべていた。遥は再びテーブルの上の書類を手に取ると、ぱらぱらとめくりながら話し始める。
「ともあれ、現在はそんな感じにカルト化してきているということ。そしてその陰にあったのが神原財団、創始円教団を母体とする財団法人よ。アーク研究を行っていたのもそこでね、近々アーク研究で得た技術を使って何らかの事業を展開するつもりだったみたい。まぁ今回の件で頓挫した形にはなるけど」
書類をめくる遥がどことなく嬉しそうなのは、彼女は神原財団ないし創始円教団が嫌いだからだ。要するにざまあみろといった感じなのだろう。そんな彼女が、ふと気がついたように顔を上げた。
「えっと、本題から外れかけたから話を戻して、エンペラーのパイロットの伊集院君。彼の両親も教団のカルト化に影響されていたらしいわ。共働きだったのもあって、彼は家では一人でいる時間が長かったみたい。あとはまぁ、両親の思想の問題から学校でもイジメられていたって」
「それって重要な話なんですか?」
そう尋ねたのは隼斗だ。
話題がパイロットの少年にとってもかなり個人的なことになってきたからか、少し嫌そうな顔をしている。
「それなりに、よ。今言ったことから多少推測できるのだけど、パイロットの彼には普段から頼れる人がいなくて、心に隙間があったというか、精神的に弱っていた部分があったんでしょう。…………彼、エンペラーに搭乗した時点で軽い催眠状態にあったらしいわ」
「催眠? アークの精神最適化システムの影響ではなく?」
隼斗の問いに、遥が頷いた。
「ええ、搭乗した時点で既にそうなっていた可能性が高いようだから、おそらくアークに無関係のところででしょう。集会のときにパイロットに選ばれて、その前後で何かされたか、会場全体の空気に犯されたか……。ともかくエンペラーに搭乗している時、パイロットの少年は外界からの暗示に酷く影響されやすい状態だったみたい。この精神状態な上に、間違った調整をされた精神最適化システムから干渉を受けたせいで、今回の暴走を引き起こしたと考えるのが妥当でしょうね」
「両親が創始円教団に傾倒していたとするなら、彼がパイロットに選抜されたところで異を唱える者もいなかった可能性だってあるか。いや、それどころか両親が自分の子を推した可能性すら……。金に目がくらんだ結果がこれか、神原め」
憤怒の表情を浮かべる隼斗。彼にしては珍しく、ひとり言の語気も荒い。
「イヤな話…………」
鞍馬研究所は脳科学を専門としている。そこに所属している愛も今回の暴走事件の原因について何か思うところがあるのだろう、彼女らしくないことに眉を寄せて不快そうな表情をしていた。
「とにかく分かっていることは、パイロット登録に際して、この伊集院君に対して正しい説明がなされてはいないということよ」
「またアークは、大人の都合で子供を振りまわすのか……」
膝の上で手を組んで、ギリリと奥の歯を食いしばる隼斗。思うところがあるのか、他人事とは思えないほどに感情が顔に表れている。
部屋の中に、曖昧な静寂が満ちていた。
隼斗はしばらく顔を俯けて何事かを呟くと、ややあってその顔を上げた。
「会長、彼のライセンス登録はまだ仮登録のはずですよね。それを解除することはできませんか?」
その提案に少し驚いた表情を浮かべたものの、遥はすぐに苦々しげに首を横に振った。
「残念だけど、それは無理よ。リミットである100時間以内に意識不明の伊集院君が目を覚ますとは限らないし、そもそもエンペラーは撃墜されてその機能を停止させているわ。被撃墜時に発生するペナルティもまた100時間の機能停止、そしてこの間は仮登録の取り消しもできない。彼はもう、実質的に本登録を済ませてしまっているのよ」
「……くそっ!」
思わず口をついた悪態を、膝に振り下ろした右拳でたたきつぶす。膝にジワリと熱が広がるが、今の彼はそうでもしなければ自分の激情を押さえられないとさえ感じていた。
「隼斗……」
心配そうに呟く遥。大きく息を吐いて、隼斗は首を振った。
「わかりました。ならばせめて、彼がもう二度とアークと関わらないようにしてください。たとえエンペラーを今後一切起動させることができなくなるとしてもです」
「隼斗、あなた……」
「今回の件だって、下手をすれば死人が出ていました。たとえ精神に異常があったとしても、もしその殺人に自分が関わっていると知ったら、その子は一生それを抱えていかなきゃならないところだったんだ。器物損壊で済んだのはただの奇跡に過ぎない。それ自体を望んだわけじゃないなら、アークなんて関わるべきじゃない。……だからどうか、彼にはもっと当たり前の日常を送ってもらいたいんです。そのためのサポートをしてもらえませんか?」
真摯なその態度と視線に、遥は深く頷いて返した。
「ええ、分かったわ。無理を押してでも、彼の今後の生活は保障するように東洞や政府と掛け合うわ。それでいい?」
「ありがとうございます」
隼斗はそう言って、やっと穏やかな表情を浮かべた。
それに笑顔で応えると、視線を手元の資料に戻した遥は、ややうんざりした様子で呟くようにこう言った。
「今回の件、単純な知識、技術の不足というだけでは片づけられないかもしれないわね……」
何か思案するような顔をした遥。
そんな遥の様子を見ながら、隼斗が彼女の手元にあった書類を引き寄せながら訊いた。
「たしか、教団のカルト化が顕著になりだしたのって、神原財団が外部にも有名になりだした頃とほぼ一致していたはず。これってやっぱり……」
「今の教団を実質的に取り仕切っているのは、神原財団。教団の資産を元にしているから、自分達に都合がいいように資産の管理形態と信者の思想を作り変えていたって。たぶん、カルト化はその弊害」
「狂信的になれば盲目的になり、盲目的になれば教団の言うことに従うだけになる、といったところか。神原財団が裏から教団を操っていたはずだし、となると今回の事件も神原財団の人間が起こしたんですよね、会長?」
遥は頷き、隼斗が持つ資料を覗き込んでこう言った。
「ええ、そうよ。……だけど、ねぇ」
「何か気になることでも?」
「主犯格、犯罪行為というわけじゃないから単に警察が捕まえた相手なんだけど、神原財団トップの神原宗二じゃなくて、その秘書の山岸助という男だそうよ」
「それって…………」
「当然スケープゴートでしょ?」
事もなげにそう言うと、つまらなさそうに遥は上げていた腰をどかっとソファに落した。
「神原宗二はあくまでも財団のトップ及び創始円教団幹部として活動していただけで、アーク研究の深い部分には関わっていなかったっていうのが、この山岸という男の証言からも明らかみたい。状況証拠に物的証拠、全部ひっくるめて考えてもその男が単独で研究を間違った方向に主導していた線が濃いって。馬鹿馬鹿しい話ね。とりあえずは器物損壊とか適当な罪状で拘束したまま事情聴取しているようだけど、これ以上有用な話しはでてこないだろうとのことよ。つつけばつつくだけキナ臭い物はでてくるみたいだけど」
「となると神原本人は体よく部下に罪をなすりつけた形になるわけですか……。ところで、その神原宗二は?」
「行方不明、足取りが一切つかめないそうよ。さっき言った通り神原は何も悪いことをしていないことになっているから、血眼になって捜索するというわけにもいかないみたいだし。国外へ逃亡したか、あるいは何らかの組織が匿ったか、いずれにしても黒い部分は抱えたままというわけね。財団の資産の持ち逃げは証拠としては残っていないけど、そのうちの何割を個人の資産と誤魔化していたかも不明だもの」
何とも黒々とした話に、部屋全体の空気が重くなったように感じられた。それを払拭しようと思ったのか、隼斗が話題を変えて切り出した。
「しかし今回の起動実験ですけど、神原財団がここまで焦って行動した理由は何なんでしょう? パイロットを選定して三時間もたたないうちに機体に乗せて起動だなんて……。もう少し慎重に行動できていれば、暴走の被害を小さくできた可能性もありますけど」
「アークは兵器よ。いくら狂信的とはいえ、冷静になって考えれば候補の子供の親が止める可能性が高いでしょ? だから集会での空気とか勢いとかを利用したかったんじゃないかしら。今日を逃せばまた数ヶ月と後ろにずれ込む見積もりをしていたとか」
「なら、それも気になる。今日でなければならない、その理由」
真剣な表情で尋ねる愛に、隼斗や遥が二人揃って考え込む。黙って考え込んでしまった3人を見ながら、飛鳥がボソリと呟いた。
「俺がアストラルのパイロットになったから、とか?」
「……あ、そうね、それがあったわね」
遥は合点がいったと手を打って大きく頷いた。
「アーク技術をひっさげて産業に打って出ようとしていた矢先に、東洞がアストラルの研究を本格的に開始したから、先行してシェアを獲得しようとしたとか。こんな感じかしら」
「アストラル、そんなに重要? 東洞にはコードBもある」
「バーニングは技術的に私たちの文明と近しい部分が多いから、研究しやすいのと同時にアークらしい特殊な技術とかが手に入れにくいのよ。ほら、バーニングには重光子兵器とか搭載されてなかったし」
「つまり、バーニングと違って特殊技術の塊であるアストラルの研究成果が市場に出回る前に先行して……ってことですか? まぁ、焦る理由としては妥当ですけど、いずれにせよ数ヶ月単位でものにできるような技術ですかね」
至極当然な疑問をぶつける隼斗だったが、そういったことにより詳しいはずの遥が迷わず首を横に振った。
「アーク研究の進展は異常の一言に尽きるわ。例を出せば、アーク研究が本格的に始動した10年前からたったの5年足らずで実用化されたテレポーターとかね。それも集中的にそればかりを研究したわけでもないのによ。物によるけれど、数ヶ月単位で実用レベルに到達する技術もあるかもしれないわ」
「つまり神原は東洞に触発されて……ってとこですか」
「恐らくそうだけど、本当にそれだけかは分からないわ。あまりにリスキーすぎるし、裏で何らかの意志が働いているとも考えられる。だけど、現状では全て予測の域を出ないわ」
言われてみれば確かにそうなので、少し納得のいかない部分はありながらも隼斗は渋々と言った様子で頷いた。彼も東洞側の人間として何か感じている部分があるのだろう。
どことなく重苦しくなった空気を振り払うように、遥はパンと手を叩いた。
「はい、この話はおしまい! 今回の件で同情に値するのはエンペラーのパイロットの子ぐらいよ。そっちに関しては我々でできるだけのサポートをするつもりだから、皆は気にしなくてオッケーよ」
「わかりました」
適当なところで割りきったらしき隼斗が最初に立ちあがった。ソファに座ったままの3人をぐるりと見渡す。
「じゃあ、バーニングの調整でなにか話しがあるらしいので、僕はそっちに行ってます。お疲れ様でした。アスカも如月さんも、お疲れ」
「ああ、またな」
「…………」
そっけなく答える飛鳥と、相変わらず無言で頷くだけの愛。
ほんの少しの沈黙ののち、愛がおもむろに立ち上がった。
「……帰る」
「はいはい、お疲れ様~」
「今日のこと、鞍馬には私から報告しておく。あと、たぶんまた来る」
「次はちゃんとアポ取ってからにしてちょうだいね。最初ちょっとびっくりしたんだから」
「気が向けば。じゃあアスカも、バイバイ」
適当に答えて、二人に向かって小さく手を振った愛はそのまま部屋から立ち去ってしまった。閉まる扉を横目に見て、嫌な沈黙に支配される前に飛鳥はさっさと立ち上がった。
遥に軽く頭を下げて、部屋のドアに手を掛けたところでその背中に声がかかった。
「待って、アスカ君」
「…………」
「アークの研究に本気になってくれるのは嬉しいわ。だけど、そのために焦ってアスカ君自身が危険な目にあってしまったら意味が無いの。アークに乗れるのは私たちぐらいの年代だけで、アークは戦闘でこそ性能を引き出せるものなのは事実よ。だけどだからこそ、私たちは君や隼斗の安全は絶対に守らなければならないの」
「それは……」
「だから、アスカ君。無茶をするのだけはやめてちょうだい」
「…………わかってますよ、それぐらい」
怒ったようにそう言って、飛鳥は勢いよく扉を閉めて立ち去った。
分かっているけれど、納得できない。その気持ちはやがて苛立ちとなって彼の感情をよどませていく。
人々があわただしく駆けまわる研究所の中を、飛鳥は一人逆らうように大股で歩いていった。
「はぁ、うまくいかないものね……」
そうして誰もいなくなった部屋の中で、遥は小さくため息をついたのだった。




