1章『持つ者、持たざる者』:6
とある休日。
その日は、創始円教団の集会の日。
創始円教団の、海岸近くのとある私有地に2つあるホールの、大きい方のホールに正太郎たちは入場した。
ホールに入ってすぐの場所には、撮影や録音の禁止が示された看板が立っている。
入場時に手渡されたカードには席の指定もされていたようで、裏面に書かれていた『K-23』の番号の席まで移動していく。同時に手渡された彼の両親も、そのすぐ隣の席のようだ。
他にも多くの家族連れがいる。
普段の集会なら大人だけなのだが、どういうわけか今日に限っては小中学校や高校に子供がいる家庭は必ず子供も一緒にというルールがあったのだ。
座るまでもなく上質そうだとわかるソファに、正太郎は腰かけた。
前の席との幅は広く、彼の身長であればめいっぱい足を延ばせるほどだ。正太郎の父が足を組んでいたが、それでも人の通行に支障をきたすレベルではなかった。
散発的に人が通る以上は流石に足をぶらぶらさせているわけにもいかず、正太郎は退屈を感じながらも黙って舞台の方に目を向けた。
ホールは半円型で、中央の舞台に向かっての下り階段のような構造になっている。全体としては非常に広く、席の数は優に1000を超えているほどだ。
そして舞台には何か巨大なものが灰色のカバーを掛けられた状態で、その中央に鎮座していた。
半径30mほどの半円の真ん中に居座るそれは、高さが10mほどもあった。不透明のカバーのせいで内側の様子は見えないが、縦に長い何かだということは伺えた。
それは流石に人用の出入り口から搬入できるようなものではない。わざわざ縦に積まれたコンテナなどでもない限りは、舞台背面の搬入口から中に入れたもので間違いないだろう。
舞台の背面には大きなスクリーンがつりさげられている。空間投射ディスプレイが発達した昨今では映画館ぐらいでしかお目にかかれないものだが、やはりこういった前時代的な物が好きだという人間は少なくない。
そしてスクリーンを引き上げたその裏側の壁には、縦一直線の大きな亀裂がある。端的に言えば背面は壁であると共に、巨大な扉でもあるということだ。
普段は締まっているが、屋外から巨大なものを搬入する際には壁が大きく開いて、そこから直接搬入できるようになっている。
正太郎の座る席は、縦で考えれば真ん中ぐらいの高さだ。舞台からの高さはそこそこある方だが、それでも灰色のカバーの頂点は見上げる位置にあった。
しばらくぼんやりとそれを眺めていると、エントランスにいた人の大部分が入場したのか大ホール内のざわめきが一際大きくなっていた。ざわめきの原因は当然人の話し声だが、ほとんどの人が灰色のカバーを掛けられたものに視線を向けていた。
正太郎の両親は興味なさげではあるが、正太郎はその中身が気になっていた。
しかし、どんなものが入っているのかに漠然と思考を巡らせ始めたその時、耳障りなブザー音と共に部屋の照明が一斉に落ちた。
周囲に満ちていたざわめきが波が引くように静まる。
静寂が大ホールを埋め尽くした時、舞台の中央に向けて3つのスポットライトから光が放たれた。
浮かび上がるのは、濃紺のビジネススーツに身を包んだ中年の男。
光を浴びると同時、男は一歩前へ出た。
オールバックの黒髪は、掘りの深い端正な顔立ちを際立たせる。ピンと伸びた背筋はその年齢にそぐわず、あらゆる所作が気品ではなく覇気を感じさせる。
男は静かに息を吸い、そして口を開いた。
「本日はお忙しい中、お集まりいただき感謝します」
中途半端な敬語。
できそこないの下から目線は、上にいるものが無理に身をかがめたときのそれと同じで、根本的な見下しが言葉の端に表れている。
男はスーツのネクタイを軽く掴むと、ホールの人々に向けて一礼した。
「私、創始円教団幹部及び神原財団最高責任者、神原宗二と申します」
その男こそ、神原財団のトップだ。
創始円教団の異常性の発端、そして現在の創始円教団を実質的に牛耳る組織、その長。
もし本来の教団の姿を知る者がいれば、そこでヤジの一つでも飛ばしていたかもしれない。だがこの場にいるのは、今の教団の形をよしとしてしまった者たちばかりだ。
現にホールの人間の、特に大人たちは舞台上の宗二を食い入るように見つめていた。
しかし、はっきり言って正太郎には興味がない。
自分に一切の愛を向けない両親、その原因となった教団のことなのだから恨みを持っていても何らおかしくはないだろう。だが、正太郎は両親そのものに負の感情を向けることはあれど、教団に対しては特別何の考えも持っていなかった。
それは決して自分の知らない物に悪意を向けたくないなどという綺麗事ではなく。単に教団があろうとなかろうと正太郎の両親に大した違いはなかっただろう、というある種の諦観からだった。
ぼんやりとした視線を、舞台上の男に向ける。
(いつまでかかるんだろうな……)
暗闇の中で、辛うじて見える腕時計を視界の端にとらえながら正太郎はそんなことを考えていた。
しかし、どこぞの演説よろしく延々と話すだろうと思っていた彼の予想は、次の一言で裏切られることになる。
「さて、本来ならばここで長々と前置きをするところですが、時間もあまりないことですし、いきなりですが本題に入らせてもらいましょう。……お連れのお子様たちには難しい話は退屈でしょうし」
神原のジョークに会場から笑いが上がる。しかし、よく考えなくでもわかることだが、皮肉以前にここにいる子供をまとめて馬鹿にしている。
隣で小さく肩を揺らした父を横目に、正太郎はため息をついた。
神原は舞台の中心で、両手を軽く広げながら話を続ける。
「私は創始円教団の幹部でもあるわけですが、本日は神原財団の最高責任者としてここに立っております」
これから話す話題に繋がるのか、まず自分の立場を明確にする神原。
「現在、我々神原財団は新たな活動の場として先端技術産業への進出を目指しています。そのためにも日夜技術開発にいそしんでいるわけですが……ところで皆さん、一口に先端技術と言っても多種多様な技術が存在することは自明であると思われます。しかしその中でも、その時代の真の最先端、あるいは時代を象徴する一つの技術というのは確かに存在していることはご存知でしょうか」
迂遠な言い回しをしながら、神原はぐるりとホールを見渡す。
本題を、と切りだしておいて引きつけつつ、脇道に逸れた情報から話していくパターンだ。
さほど難しい話はしていないので正太郎にも多少は理解できるが、高学年でもさすがに小学生にはやはり少し難しい話かもしれない。
正太郎は暗闇に慣れてきた目で、椅子の上で早くも居眠りを始めた小学生らしき男の子をほほえましく眺めながら、神原の言葉に耳を傾ける。
「あるいはラジオのような通信技術であったり、あるいは車のような交通手段であったり。遺伝子操作などのバイオテクノロジーが集中的に発展した時代もありました。考えなくても分かることですが、市場が最も活性化していた技術というのは、時代時代で大きく移り変わっています。そしてやはり、今の時代にも最も大きな発展を見せた技術があります。それが何か、皆さんならお分かりですね?」
この場にいるのは、企業の社長だったり上役だったりとこういった経済の話に詳しい人間が多い。ある程度その事実を前提としているのか、余計な説明のない神原の話は流れるように紡がれていく。
この集会においては誰かの演説中は口を開いてはいけないというルールがあり、例外として舞台上の人間から声を掛けられた時は答えてよいことになっている。
しかし質問に答えは求めていないのか、大部分の人間がその問いの答えに考えを巡らせ始めた辺りで、神原は興奮した様子でホール全体を見渡しながら続けた。
「そう、光学技術です。もう少し具体的に言えば、軍用レーザー技術でしょうか。14年前に開発された軍用迎撃レーザー『アマテラス』は、その高すぎる性能から輸出の解禁と共に世界各国に爆発的に流通していきました。その詳細については割愛させていただきますが、当時は『アマテラス』を含む光学技術が、世界経済の中心であったということは疑う余地もありません」
そこまで言ってから神原は一呼吸置くと、声を落とし、どこか憂いを含んだ表情を浮かべた。
「しかし、この世界はいつの世も栄枯盛衰であります。アメリカのエネルギー革命に端を発した世界恐慌、その絶大な不景気から日本を立ち直らせるきっかけとなったあの光学技術ですら、今の世界市場を見ればその影響力が弱まっていることは一目瞭然でしょう。未だ世界に恐慌の爪痕が残る中、日本を支える最先端という名の柱が折れてしまえば……、あとは皆さんのご想像通りの結末が待っていることでしょう」
経済の話はやはりダイレクトに響くのか、正太郎にはホール全体の大人が息を呑んだように感じた。
「この場にはあの世界恐慌という一つの戦いを、企業の経営者という最前線で経験した方も少なくはないでしょう。あの時この国の経済が再生しなければどうなっていたか、あなた方には想像に難くないはずです」
恐怖を煽る語りをした神原は、視線を下に向けホールの静けさの質が変わるのを待つ。
ホール全体に満ちていた生温い無音を緊張感を孕んだ静寂が上書きしたとき、神原は俯けていた顔を上げた。
一転して、熱意と自信を感じさせる力強い声が、静寂の壁を薙ぎ払った。
「だがしかし、絶望することはありません。経済が流動的であるならば、衰退する物があると同時に発展するものもあるということ。つまりは次世代の最先端、それが必ず世界に存在するということ。……そして何よりも、我々はその技術をこの手に持っているのです」
重い空気がたったそれだけの言葉で跡形もなく砕け散る。ギャップ効果を利用した計算づくの希望が、スポットライトの光以上に舞台上の神原を強く鮮明に照らし出す。
あちこちで、身を乗り出して話に聞き入る者まで現れ始めた。
ホールに存在するあらゆる者の視線を一身に受け、神原は両手を広げた。
「それは何か。バイオテクノロジー? 否。VR技術? 否。あるいは通信技術? それもまた否。そう、我々神原財団が持つ次世代の最新技術…………それは、新たなるエネルギーなのです!」
その言葉と同時、ホール全体に戸惑いに満ちたざわめきが広がった。
それもそのはず、世界に甚大な被害を与えた世界恐慌は、アメリカの企業が掲げた『新たなるエネルギー』の開発こそが根本たる原因なのだから。
波のように襲い掛かる期待と不安に、ホールにいる人間は瞬間的ではあれど自らの判断能力を失ってしまう。そして無意識のうちに、眼前で語るこの場で唯一動じていない様子の神原に決断を依存させてしまう。
神原は、そこで不敵な笑みを浮かべた。
「皆さんの不安は全く妥当なものであり、そこに不安を感じるのはあなた方が人間として優秀であることの証明ともなるでしょう。しかし、しかしだ。我々が掲げる技術に、そのような心配は一切無用! なぜならば、我々の言う『新エネルギー』とは、以前のエネルギー革命時に掲げられた『高効率なエネルギー』などというちゃちなものとは一線を画すからだ!」
敬語を取り払い、熱のこもった言葉はホールにわだかまる不安を根こそぎ取り除いていく。
「我々が掲げる技術とは、すなわち無限エネルギー! 一切のリソース無しに永久にエネルギーを供給することが可能な、夢物語のような技術が今、我々のもとに存在している!!」
ホール全体を一層強いざわめきが駆け抜ける。だがそれは嘲りや不安感から来るものではなく、純粋な期待感、あるいは希望。
舞台真上の光源が強い光を放ち、神原とともに灰色のカバーが掛けられたモノを強く照らし出した。
間違いなくその瞬間、神原はその場にいる全ての人間の感情を掴み取っていた。そう確信した神原は、上げていた声のトーンを落とし、最後の詰めにかかる。
「そして我々は、無理を押してこの場にそれを持ちこみました。とある理由からこの国では秘匿とされたテクノロジー。何よりも皆さん自身の目で見、耳で聞き、肌で感じ、そして確信してほしいのです。この技術が、本物であるということを」
神原は、ゆっくりと歩みを進め、灰色のカバーが掛けられたモノの傍へとたどり着いた。
そして己の右手を、水平に持ち上げる。
「それではご覧いただきましょう、新たなる最先端、この『アーク・エンペラー』を!!」
指を鳴らす軽快な音と共に、空気を叩いて灰色のカバーが後方へとはじけ飛んだ。
ホールの人間が、一斉に息を呑む。
宙を舞った灰色のカバーが、静かに舞台の上へと舞い降りた。
現れたのは、紺青の巨人。
コードE――――『アーク・エンペラー』
深い青色を基調に黒や金のラインで彩られた巨人の姿は、その大きさも相まって異様な威圧感を醸し出す。だがそれ以上に、巨人の身体の周囲をマントのように覆う先のとがった6つの金属板が本能的な恐怖を強引に呼び起こす。頭部に戴いた金色の王冠のようなものが、圧倒的な力の象徴のように感じられる。
端的に言って、威圧。
エンペラーの名にふさわしい、一方的かつ絶対的な力の存在感。
技術どうこう以前に、それはその威容でもって存在の証明を終えてしまう。この巨人が一歩動いた時点で、その技術は本物であると保証されるかのような、理不尽な存在。
水を打ったように静まり返ったホール内に、ざわめきが戻り始める。
ホール全体が周囲の人間とささやきあう者たちで溢れ返る。それぞれは確かにささやき声程度の大きさでしかなかった。しかし数百人規模の人間が一斉にそれをしたとなると、ホール全体に響く音量となる。
茫然自失としていた正太郎も、湧き上がる喧騒に意識を引き戻された。隣を見ると、正太郎の両親が感心したようにほう、とため息をついていた。
ややあって舞台の上、多くの視線を集めるエンペラーの隣で、神原は右手をそちらに差しのべつつ話し始める。
「これはアークと呼ばれる26の古代兵器、その一つであります。厳密な時期は定かではありませんが、13年ほど前にこの国のとある地質学者がトルコで最初の一つを発見したことを皮切りに、世界各国で次々に発掘された超古代文明の遺産であり、我々のそれを遥に凌駕する高い技術の集合体でもあります」
ざわめき以上に強く響く神原の声に、ホールの喧騒が一気に弱まる。それでも細切れにその他の声が聞こえてくるが、神原に気にした様子はない。
「これはあくまでも兵器であり、それ故にこの国では『公に』研究をすることは禁止されてきました。しかし、あくまでも公に、です。この日本内には計4つのアークが存在し、それぞれ水面下での研究が進められてきました。そしてそれは我々神原財団と、このアーク・エンペラーも同様なのです」
数百人の聴衆を前にして堂々と自らのグレーゾーンを明かした神原は、しかしその堂々とした態度を崩さない。誤魔化す必要などないと言うかのように、断定的な言葉を次々と紡いでいく。
「このエンペラーを研究するなかで、我々はあらゆる特異な技術と対面しました。現代に生きる人間には想像もつかないような技術と向き合い、原理の一端に触れることができたもののなかに、無限エネルギーという一つの可能性があったのです」
そして、本題へとつながる。
「アークが主として持つ動力機関は、一切のリソースを必要とせず半永久的にエネルギーを生成するという革新的なものでした。そこに我々は目を付け、研究を続けた。我々の産業進出における新たなるフィールドとしての可能性をそこに見たのです。……しかし、全てがうまく運ぶわけではなかった。たった一つの致命的な問題を突きつけられると共に、研究の限界というものを見せられたのです」
声を落とした神原だったが、会場の空気が彼の醸し出す雰囲気に引っ張られかけたと見るや、反対に勢いよく顔を上げた。
「このアークが本来の力を発揮するには、決定的に足りないものがあったのです。……だが、我々はそこで終わらなかった。研究に研究を重ねた結果、アークの技術を解明するのに必要な最後のファクターにたどりついたのです」
そう――――と、神原は続ける。その一言が、この場の意味を決定づけるものであると、唯一彼だけが知っていた。
「求められたのは、このエンペラーに選ばれた、真にこの機体の力を引き出すであろうたった一人の『子供』の存在なのです!」
「一人の、子供……?」
正太郎は呟くと共に、自分や他の少年少女がこの集会に集められた意味を悟った。
つまり、この場に集められた子供たちの中から、そのエンペラーに選ばれたという一人を見つけるための集会。
それを理解したとき、正太郎のなかでこの集会に対する認識がひっくり返った。主役は小難しい話を聞きたがる大人たちではなく、それに連れられここに集った自分を含む子供たち。
正太郎が思わず身を乗り出したのと、神原が再び話し始めたのは同時だった。
「このエンペラーに見出された方の存在を以って初めて我々の研究は完成する。それはすなわち、この創始円教団と我々神原財団が経済の中心に立つということ。そしてそこに属する全ての人が、この世界における価値ある人間になるということ! そしてその最後にしてもっとも重要な要因となった彼あるいは彼女は、この世界で最も価値のある人間と言えるでしょう!!」
おぉ、という歓声が上がった。
それには大人たちのものだけでなく、教団に深く関わっていない子供たちのものまで含まれていたことに、気付く者がどれほどいることか。気付きに至らないままに、彼等は希望の目の前に引きずり出される。
それが兵器のパイロットになることだという事実が、その場にいる全ての人間の頭から抜き去られていた。
ただ一人、神原宗二という男を除いて。
深い、深い笑みと共に、
「どうでしょう、皆さん。考えてみてください。皆さんのお子さんが世界で最も価値ある人間であったならば、その親であるあなた方にはどれほどの価値があるでしょうか。ここに集う学生諸君、君たち自身で想像してほしい。君たち自身が世界で最も価値ある人間だったならば、この世界は君たちにとってどれほど素晴らしいものであるかを」
わっ、という声が上がった。
歓声。
希望、期待。
声。
声。
声。
声。
割れんばかりの喝采に対し、神原という男は静かに問う。
「皆さん。選ばれたくは、ありませんか?」
否定など、あるはずがない。
狂喜はもはや狂気であり、千を超える手が打ち合う衝撃波がホールの内壁をこれでもかと殴りつける。
耳をつんざくような悲鳴があった。空気を割るほどの叫びがあった。それらは全て喜びだった。
次々と立ち上がる大ホールの人間達を見ながら神原は、傍らのエンペラーに手を伸ばす。
「ここに私の意思はない。それ以前に人の意思は存在しない。このエンペラー自身が、自らの力を最も引き出す人間をこの中から見つけ出してくれるのです」
エンペラーの胸の中心から、紫紺の光が放たれる。解析用レーザーのような縦一直線の光が、ホール全体をぐるりと駆け抜けた。
光が当たった瞬間、静電気のような痛みが正太郎の全身を突き抜けた。他の子供たちも同様のようで、皆一様に光にあたるたび身体を震わせていた。
唐突な痛みに目をきつく閉じた正太郎は、少ししてその瞼を持ち上げた。
自分な訳がない。彼はそう思っていた。自分が価値ある人間な訳がない、と。
きらびやかな装飾を纏う一縷の可能性を、正太郎はあり得ないと切り捨てていた。
あるはずがないと思うのは、そうありたいということへの裏返しであると、己自身で気付いていながら。
だから彼が最初に感じたのは、景色ではなく違和感。
違和感の理由は視線と光。大ホールにある全ての人間の視線が、スポットライトの光を浴びる正太郎に向けられていた。
そう、この大ホールでただ一人、暗闇を穿つ光に包まれた正太郎という少年に。
「え……………………?」
事態を呑みこめない正太郎に、舞台上の神原が手を差し伸べた。
「そこの君、名前を教えてくれるかな?」
「えっ、は、はい……伊集院、正太郎……です……」
マイク越しに語る神原と違い、正太郎の声はひどく小さい。だが、結末を静かに待つホールには、そのかすれた声もよく響いていた。
理解不能の、いや、理解はできているが感情が追いつかずに固まってしまった正太郎に、神原が語りかける。
「君は今、世界で最も価値のある人間に選ばれた。わかるかい? 君は選ばれたんだ」
「僕が、選ば……れた?」
徐々に徐々に、押しとどめられていた感情が息を吹き返していく。
身体が、形容できない震えに包まれていく。
うまくかみ合わない奥歯が、カチカチという音を鳴らす。それさえも、正太郎には認識できない。
そんな彼に歩み寄る、一つの影。
父親だった。
「正太郎……」
「とう、さん…………?」
(どういうことだ。理解できない。どうしてあの人がこっちを見ている。いつも自分の言葉にまるで耳を傾けなかったあの人が何故自分から話しかけてきたんだ。なんであの人が僕に興味を向けている。価値のない僕にあの人が目を向けたことなんてなかったのに。何故―――笑顔を向けているんだ)
意識が破裂する。歯止めをかけるべき理性が、沸騰する感情に押し流される。脳のギアの歯が音を立てて砕け散る。ショートした思考回路が火花を散らし、ピントの合わない視界が眼球を震わせる。
そんな彼に、正太郎に、父が優しく語りかける。
「お前は、お前はやはり価値のある人間だったのだな。……今まで気付いてやれなかったのが、悔やまれるよ」
「え、それ、は……」
数秒の無言。クールダウンした脳が本来の機能を取り戻し、慌てて事態の理解を始める。
そうして辿り着いた、一つの答え。
(僕が、僕が…………父さんに認めてもらえるような、『価値のある』人間に……)
その時、目を見開く正太郎を舞台の神原がまっすぐ指さした。そして彼は、ホール全体に向けて宣言する。
「さあ皆さん! 今ここに、世界で最も価値のある少年が生まれました。どうか、どうか盛大なる拍手を!!」
言葉と同時、パチパチという拍手の音がさざ波のように広がっていく。
広がり、跳ね返り、共鳴し、巨大化する。
会場全体が豪雨のような音に包まれる中、正太郎の母親が、感極まったように息子を抱きすくめた。
「すごい、すごいわ、正太郎!!」
彼の母親同じように、会場中からわき上がる賞賛の声。
評価するためのありとあらゆる言葉を一身に受け、正太郎は浮遊感のような奇妙な感覚に包まれていた。
(なんだ、なんだろう、この感覚…………)
フワフワと、地に足がつかない。
自分の何かが、自分が持っていた世界への認識のようなものが、その価値観が、正統性の保証を失くす。
神原宗二という男は、そんな少年に向かって、騒音をものともしない力強い声でこう尋ねた。
「さぁ、伊集院正太郎君。このエンペラーに乗って、君の価値をこの世界に示そうじゃないか」
ブチリという音が聞こえた。何かが壊れる音だった。
カチリと言う音が聞こえた。何かが変わる音だった。
正太郎の価値観が、歪みの渦に飲み込まれる。けれど、正太郎はそれを受け入れた。
あまつさえ、涙をも浮かべながら。
「はい、やります。僕が、価値ある人間になれるなら――――――」
修正:7年前→14年前




