1章『持つ者、持たざる者』:4
顔についた傷は、当然のことながら授業を受けている間に完全に治るなどということはない。
夕食の席で、いやに豪華な食事を取りながら、正太郎は時折電撃のように走る皮膚の痛みに顔をしかめていた。
それはありきたりな家族の食卓のはずで、けれどそれをありきたりというには些か欠落しているものがあった。
会話だ。
誰も何も話さない。
正太郎の母親ではなく、雇われたシェフが作ったディナーは、間違いなくおいしいはずだった。おいしいはずなのに、それはただひたすらに味気ない。
無言の部屋で、何よりも気持ちが味を感じない。
ただ食器同士がぶつかり合う耳障りな音と微かに響く咀嚼音だけが、広い部屋が静寂に呑まれようとするのを辛うじて防いでいた。
そこにいる3人の誰もが、お互いがそこにいると本当に認識しているのか疑問に思えるほどに孤独であった。
だから正太郎も同じ。結局彼は、家庭だろうが学校だろうが、どこにいようとも一人であることに変わりはなかったのだ。
愛の対義語は無関心だというが、彼がまさしくそれだった。
だから、カチャカチャという音に紛れてトーンの低い声が聞こえたとき、正太郎はかすかな期待を抱いてしまった。
「正太郎」
「なに、父さん」
呟くような声で名を呼ばれた正太郎は、目線を手元の食事に向けたままそう答えた。
正太郎の父は、そのときは、そのときだけは確かに正太郎の方に目を向けて、
「正太郎、日曜日には予定を入れるなよ」
そう言った。
そう言っただけだった。
正太郎を見て、正太郎の顔中の傷を見て、なお彼の父はそう言っただけだった。
最初から分かっていたことでありながら、それでも正太郎は父に対し失望の感情を抱いた。
「……どうして?」
「教団の集会がある。日曜はお前も連れて行く」
有無を言わせぬ物言いに、正太郎は唇をかみしめた。反論の一つでもしてやりたいところだが、正太郎の父は間違いなく聞く耳を持たないだろう。何よりも、正太郎の言葉を聞く『価値』がないと思っているのだから。
「わかったよ」
ふてくされたようにそう言って、正太郎は目の前のスープに視線を向けた。
どうしてこうなってしまったのだろうか、と正太郎はぼんやりと考える。
だが、考えるまでもなくそれは両親が教団と関わったことに起因していると結論した。
創始円教団は、端的に言えば金を以って世界を動かすことは結果として飢える人を救うことにつながるのだから、経済を大きく動かす人間こそが善であり、贅沢は善行の一つの形だという考えを基礎とした集団だ。経済を世界を繋ぐ大きな輪であると考え、それをより円滑に動かすことが万民へ救済をもたらすのだ、と。
狂ってはいるが、胡散臭い神様とやらに信仰を捧げて、何かを失った人からさらに財産をむしり取るような宗教もどきよりはいくらか論理的だ。
死後の世界だとか生前の罪だなんだとオカルティックな事を一切言わない辺り、やはり宗教というよりは思想団体と言った方が適切だろうか。
だからというわけではないが、少なくともこの集団がこの集団である限りさほど世間に対して悪い影響を及ぼすようなものではなかった。
もとが一時期起こったデフレーションの際に、大きな財産を持つ者たちが集まって『自らが使うことでまず経済を動かすきっかけとなろう』と行動を起こした人々の集団なのだから。
実際それは市場に現れる商品の過剰な価格低下に少なからずの歯止めをかけることに繋がったし、その後のデフレーション脱却の際に経済活性の大きな力となったことも確かだ。
そうである以上、その時点では異常というよりむしろ社会に貢献していたともいえる。
だが、やはり大きな財を持つ集団にはそれを独占しようという輩が現れることが常である。
『神原財団』―――それが、歪みの元凶たる存在の名称。
神原宗二という男が立ちあげた、創始円教団の莫大な資産をもとにした財団だ。
創始円教団はあくまでも宗教法人であり、それ故に組織として営利目的の事業は起こせない。デフレーションへの対策の際は集団として意思を統一し、行動を起こすのはあくまでも個人だった。
だが、お布施と称して教団に資金は集まる。教団そのものの思想に従い、集会などを開いてある程度資金の放出は行われていたが、いかんせん金持ちばかりが集まる集団、とてもではないが吐き出しきれない多額の資金が積み上げられていくこととなった。
それを使うことこそ善とする教団そのものが、資金を溜めこんでしまうという事態は好ましくない。
だからこそ、教団とは別にその資金を運用する集団が求められた。営利目的に使えない以上、創始円教団自体ではある程度しか資金が動かせなかったからだ。
それ故の財団。宗教法人の産業への進出。
寄付、という方向性も確かにあっただろう。しかし、基本として創始円教団は労働の対価としての資金にこそ使う価値があるとしている。彼らが産業という方向性を選んだのは、そういった理由からだった。
あくまでも別組織という体を取り、しかし財源は創始円教団に依存した歪かつグレーゾーンな組織。
教団が理想とする『使う側』であった神原財団は、やがて基盤となる教団そのものをも掌握していく。
権力の逆転が起こったのだ。
十年もの時間をかけて行われた転換は所属している人間にすらその事実を気取られぬまま、やがて教団の資金は完全に神原財団のものとなる。教団は財団が求める資金を求めるだけ供給する都合のいい財布へと姿を変えた。
それ以降は、もはや暴走と言って差し支えない状態だった。
莫大な資本を元手にひたすら既存の産業を侵略していく神原財団は、教団の本来の思想にまで歪みを作った。
金を使い経済を回すという思想は、金を使うこと自体が個人のステータスであるという異常な思想へと変貌を遂げる。お布施と称して集められる資金は、数多の『狂った金持ち』たちの見栄によってことごとく肥大化していく。
そして、その異常性の一端が、とある一つの家庭を決定的に破壊した。
それがすなわち、伊集院正太郎の家庭であった。
だからこそ、壊れる前の数年間には確かに『家庭』と呼べるものがあったはずだった。
正太郎にとって、教団のことになど興味はないし、その裏でどんな悪意がうごめいていようが関係はない。関係はないが、それが正太郎の家族を狂わせた一端であるいう事実は確かにそこにあった、
昔の記憶に幸福かを問うても意味のないことではあるが、正太郎にとっては少なくとも今よりは、幸福とは言わないまでも楽しい日々であったことは確かだ。
彼だけでなく、彼の両親だって数年前までは食卓に会話はあったし、笑顔はあった。それを失った今の生活を両親は幸福だと考えているのだろうか、正太郎にとってはそれが疑問であった。
価値ある人間という言葉に踊らされた今の彼の両親に、果たして本当に人間的価値があるのか。
疑問は尽きないが、そんな哲学は誰かが答えてくれるようなものでもない。
ただ少なくとも、自分は両親にとっては価値のない人間なのだろうなと、皮肉にも正太郎はそれだけは迷いなく結論することができる。
価値である金を生み出さない、見せびらかすための『媒体』としての自分。正太郎の両親にとって、彼という人間の価値はそこに帰結していた。
おおよそ家族とは思えない歪な関係が、言葉を交さぬ3人をどうしようもなく強く結びつけている。
それでも、正太郎は自分たちが家族であることを信じていた。そして、家族は助けてくれるものだとも。
(伝えたら、どうなるんだろう……)
学校で受けているいじめの事が、ほんの少しだけ頭をよぎる。
忘れかけていた身体の痛みがここぞとばかりに暴れ出す。正太郎は全身を駆け巡る火のような衝撃に、一瞬だけうめき声を上げた。
痛みは瞬き程度の時間ですぐに引いてしまう。しかめた顔を元に戻して、視線を上げた。
けれどそこにあったのは、やはり他の何かに目を向けることもなく黙々と食事に向かう両親の姿だった。
(当たり前だ……。分かってたことじゃないか)
先ほど、正太郎の父は間違いなく正太郎の傷を見ていた。彼が傷の痛みに耐えていたことに気付いていた。
そしてその上で何も言わなかった父が、今更うめき声の一つに耳を傾けてくれるはずなどなかったのだ。
だから正太郎は何も言えない。
いじめのことを話したところで、結局両親は何もしてくれるわけがないのだから。
学校側が正太郎に何も干渉しないのは、あのいじめが正太郎の両親に伝わることで学校に対して圧力がかかることを恐れているからだ。極端な話、傷跡から両親がそれを察しても、最悪学校側はいじめと認知していなかったことにすればいいのだから。
正太郎の通う中学は私立であり、言うなれば個人や組織がそれを経営している。
正太郎の家庭が金持ちでさまざま企業の株式も多く保有しているとなれば、それを少なからず恐怖するのはある種当然と言える。
つまり学校側としては正太郎を守るために彼の両親が動くのを恐れているわけだが、とんでもない。
まずあり得るはずがないのは、この家庭の様子を見れば一目瞭然なのだから。
結局正太郎は、誰からも救われないままこの日々を生きていくしかないのだ。
(それが価値のない人間の宿命なんだろうな。僕が何の価値もない人間だから、誰も僕を助けてくれないんだ)
自分の弱さを棚に上げて、正太郎は向ける当てもない憎しみを心に滾らせる。
しかしそうでもしなければ、彼の脆弱な心はその形を保つことすらままならない。
(誰だっていい、僕の言葉を聞いてくれる人はいないのかな……)
世界は今も理不尽で、ここから先も不条理だ。
残ったスープは当然のように冷めきっていたが、それでもこの家族よりは温かいと感じられた。
少々誤字があったので修正。
『明後日』→『日曜』




