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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第2部‐暴君、出現‐
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プロローグ want small happiness...

 夏の日差しが黒いアスファルトに突き刺さり、陽炎が遠方の景色をカーテンのように揺らめかせる。

 セミが鳴くにはまだ少し早い季節で、だから僕の周囲は人が生み出す音で満ちていた。

 そういえば、ニイニイゼミが鳴き始めるのは6月の下旬だったっけ。そうだったなら、ここから聞こえないどこかではセミの声が聞こえているのかもしれない。

 まぁ、そんなことはいいか。

 いつものように学校へ向かう僕の足取りは、決して重いものではない。むしろステップを踏み出しそうなほどに軽いものだった。

 平凡という言葉を使うと、なんとなく退屈なものに聞こえてしまうのは不思議だと思う。だけど人と違う人生が必ずしも幸せだとは限らないし、人と同じ人生がつまらないとも限らない。

 だからきっと、今この世界の僕はそれなりに幸せな人生を送っているのだろう。

 当たり前のように学校へ行って、当たり前のように授業を受けて、当たり前のように談笑して、当たり前のように遊んで、当たり前のようにバイバイを言って、当たり前のようにまた会うんだ。

 そんな当たり前の生活を当たり前に送れることの、一体何がつまらなくて、一体何が不幸だというのだろう。

 そうして頭の中で思考を回しながら、僕は歩みだけを学校に進めていた。

 毎日通る道だから、身体は無意識にでもそこへ向かってくれる。そこへ行くことは何も不快じゃないから、歩みが遅くなるなんてことは決してない。

 高台の上の校舎は、そこを回り込むようにして伸びるこの道からはまだ見えない。巻き付くようにぐるりと高台を回る坂道を、周りの景色を眺めながら歩いていく。

 もう幾分か登っただろうか。

 左側に並び立つ木々は変わらずの姿を見せているけど、右の車道の向こう側の景色が随分遠くまで見えるようになっている。

 灰色と緑と黒と、あとはいろんな色で塗り分けられた街並みだ。僕の住まう家もよく探せば見つけられるだろうが、それをしているほどの時間は流石に無い。

 僕はぼんやりと右に向けていた視線を左に移した。

 いい加減に花が散って久しい桜の木。満開のころにちょうど入学式があって、新入生たちを春の色が迎えていたことを思い出す。僕の年もそうだったし、次の年もその次の年もそうだった。雨が降ることもなく、ぽつりぽつりと細切れの雲が浮かぶ、ちょうど良い晴れの天気だったのを覚えている。

 暖かな日差しを照り返しつつ、綺麗な色の花弁を揺らしながら新入生たちを迎えていた桜の木々達。そんな彼らも、今は緑の葉を太陽に向けて精一杯伸ばしていた。

 狭い道のちょうど歩道側に覆いかぶさるようにして手を伸ばす木々は、自然のひさしとなって僕らを夏の太陽から守ってくれている。

 そんなちょっとしたことがなんとなく嬉しくなって、僕は小さく微笑んでいた。

 ふと前方に目を向けると、遠くの方に黒塗りの門が見えた。まだもう少し距離があるけど、ここからでも大勢の生徒がそちらへ向かっているのが伺える。

 少し前まで隣を歩いていた見知らぬ生徒の背中は門のすぐ近くにあるぐらい、僕の足は遅い方だ。

 だからだと思う、声をかけられたのは。

「おはよう、伊集院君!」

 少しキーの高い女の子の声と共にポンと右肩を軽く叩かれた僕が振り返ると、そこには見知った顔が並んでいた。

「よう、正太郎」

「ういっす」

 手を上げながら軽く挨拶してきたのは、僕と同じクラスの友人たちだ。最初に声をかけてきたのも同じクラスの子だった。

「おはようみんな、良い天気だね」

 僕も微笑んで返す。片手を上げると、皆も同じように手を上げ返してきた。

 定番となりつつある朝の挨拶を済ませると、誰からともなく歩き始める。学校まではほんの100メートル弱だが、向かう教室も同じなのだから一緒に行くのは自然だろう。

 割と急な上り坂だった道もいつの間にか緩やかになっていて、学校が近付いていることを足でも感じていた。

 僕と会う前から盛り上がっていたらしい内容を、皆は楽しそうに話していた。僕も何度か話を振られて、それに答えたりして。

 授業がどうとか、宿題がどうとか、昨日見たテレビがどうとか。そんな他愛もない話を、教室に着くまでずっと続けていた。

 僕の通う中学は近隣のそれに比べればかなり大きな学校だから、校門をくぐってからも教室に着くまでに5分かそれ以上かかる。3か所に門があるからどこを通るかによっても多少時間は変わるけれど、僕が普段使っている場所からならそのぐらいの時間はかかる。

 そうやって雑談を続けながら、僕たちは教室に入った。

「おはよう!」

 僕が教室に入るなり皆に聞こえるようにそう言うと、教室で談笑していた内の何人かがこっちを振り返って同じように挨拶をしてくれた。僕には誰が、という特別仲のいい友達がいるわけじゃないけど、クラスメイトは皆明るいから全員が打ち解けあっている。

 各々談笑に戻る他の生徒たちを見て、僕はこのクラスでよかったと少し場違いなことを考えていた。

 自然と笑顔になりながら、僕は自分の机に鞄を置くとその足で後ろのロッカーに向かう。

 基本的に教科書にしてもノートにしても普段は家に持ち帰っているのだけど、資料集のようなものは必要じゃなかったらロッカーに置いたままにしているからだ。

 ロッカーの鍵を開けて中から社会科の資料集を取り出すと、僕はそのまま自分の席へと戻った。

 僕の後ろの席では、学級委員の男の子がその隣の男子と何やら雑談をしていた。授業が始まるまで10分弱だったけど、特に何かすることもないので僕はその話に加わる。

 最初の授業である社会科の用意をしながら、他愛もない話を続けて数分。

 開いたままだった前側のドアを通って教室に先生が入ってくると、声で溢れていた教室は波が広がるように静かになっていく。席を立っていた何人かの生徒が一斉に自分の席に戻り始める。

 全員が席に着いたあたりで、社会の担任の初老の先生が全体を見渡した。

「はーい、それじゃあ授業を始めるよ~」

 朗らかで間延びした声に笑いそうになりながら、僕は小さく咳払いをした。

 この学校では授業開始の号令は学級委員ではなく日直がすることになっている。そして今日の日直は僕、伊集院正太郎イジュウインショウタロウの番だ。

 皆に先駆けて、一人席を立つ。

 先生と目が合うと、僕は小さくうなずいた。

 よし、授業開始の号令をかけよう。


「起立!」

 僕の号令と椅子を引きずる音と共に、皆が一斉に立ち上がった。


 ―――さあ、『今日』が始まる。

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