1章『時期外れのクリスマス』:2
星印学園では文化祭、そして陸上の1年生大会の全国大会と大きめのイベントが続いて、その後はほとんど間をおかずテスト期間に突入した。
文化祭からこちら、慌ただしい日々が続いていたことを考えると、12月で忙しいのは必ずしも師と呼ばれる人間だけではないようだ。
とはいえ忙しいのはテストが終わるまでの事である。それ以後はテスト返却やら成績表の受け取りが終われば、そのまま冬休みとなる。
そして、2学期の終業式を翌日に控えた日のことだ。
テストは既に終了していて、その返却も昨日と今日の二日間で完了している。放課後のホームルームでは仮成績表が配布され、今はそのホームルームが終わったところだった。
テスト勉強はいつもほどほどにやるのが飛鳥なのだが、それは今回も同様だった。
勉強量が必ずしも成績の点数に直結するとは限らないものの、少なからず相関関係にあるのも確か。いつも通りの勉強をした飛鳥は、いつも通りクラスの真ん中ちょっと下辺りの成績を維持していた。
ペラっと紙を広げる。
「やっぱこんなもんか」
特に感慨もなく、飛鳥は受け取った仮成績表を眺めて呟いた。
これまで飛鳥は、中間試験後に配布されるものも含めた全ての時点で、成績の全教科平均がクラス平均より少し下辺りの点数となっている。このまま卒業までずっとほどほどの低空を突っ走りそうな感じだった。
彼にとっては可もなく不可もなくといったところで、何の感情もわかない概ね予想どおりな結果である。
無表情に薄っぺらい紙切れを二つに畳んで立ち上がろうとしたところ、飛鳥は肩を軽くぽんと叩かれた。
「ねぇアスカ、あんた平均何点だったの?」
振り返った飛鳥は、肩越しに彼の手元を覗きこもうとしていた泉美と目が合った。
「……まぁ、ほどほど?」
少なくとも良かったわけではないのもあって、飛鳥は思わず点数を隠してしまう。いつも通りであるのは間違いないのだが、自慢になるような結果ではなかったからだ。
泉美はそんな中途半端な答えを返す飛鳥を鼻で笑った。
「それ意味無くない? 隠すのは勝手だけど、どのみち明かすことになるんだし」
「どのみちってどういうことだ?」
「え? あれでしょ、毎回成績の見せ合いやってるんでしょ? 由紀に聞いたよ」
「はぁ……」
泉美が言っているのは、完全に恒例行事として定着してしまった成績見せあい会の事だ。しかしながら、これは決して楽しいイベントなどではなく、
「基本的に高得点組が半笑いで低得点連中を煽るだけのクソイベントじゃねぇか、俺は今回はやらねーぞ」
「なにその負け犬理論。笑えばいいの? あざ笑えばいいの?」
「黙ればいいと思う」
すげなく答えて、飛鳥は教室から立ち去ろうとする。しかし彼が一歩目を踏み出した瞬間、素早く伸ばされた泉美の手によってガシッと腕が掴まれてしまった。
「待った待った、逃げるの禁止よ。ほら、現実には立ち向かわないと」
「それっぽい事言っとけば正当化できるとでも思ってんだろお前……」
そんな飛鳥の疲れ切った苦情など意にも介さず、泉美は彼の腕を抱えて教室の前の方へと引っ張って行く。うんざりした表情の飛鳥だったが、結局は抵抗もせずに引きずられて行った。
泉美からの告白を飛鳥が断ったこともあって、文化祭明け直後はお互いにぎこちない態度を取っていた二人だが、泉美の方は早々に切り替えてしまったのか、テスト前にはそれまで通りの態度になっていた。
ただそれまで通りというには、今腕を抱えているような、露骨なスキンシップが微妙に増えている。良いか悪いかはまた別として、飛鳥はそのせいで多少彼女との距離感を測りかねていた。こうして勝手されているのも、強く拒否できないからなのだ。
事情はともかく、成すがままの飛鳥は伊達の机を囲んでいたいつものメンバーの元へと引っ張られていった。
集まっていたのは隼斗と伊達、そして美倉だ。前回の成績見せ合いをしたときと同じメンバーで、違いは泉美がいる事くらいだった。
「連れてきたよー、由紀」
「あ、泉美。……星野君も?」
「不思議そうにこっち見るな。どう見ても強制連行だろ」
がっつり掴まれた腕を軽く持ち上げて、飛鳥はため息と共に首を横に振った。
泉美は飛鳥に逃げる意思が無いのを確認すると、抱えていたその腕を離して美倉の方へと歩み寄った。
「由紀、点数どうだった?」
「私はいつもどおりだったよ。泉美は?」
「あたし前回から超伸びてた。いえーい!」
「い、いえーい」
控え目に肩の高さに掲げられた美倉の掌に、大きく振りかぶられた泉美の手が打ちつけられる。
文化祭前後で、このクラスの人間関係にもいくらか変化が有った。特に泉美の周りのそれは顕著で、泉美の事を毛嫌いしていた水城と仲直りをしていたりもする。美倉と互いに名前で呼び合うようになっているのもその一つだ。
いかにも女子らしいテンションのやりとりをする二人は置いておいて、飛鳥は隼斗と伊達の方へと足を向けた。
「よっす」
「おお、アスカ。お疲れさん」
「別に疲れてないけど……。まぁ、これで2学期も終わりか。冬休みに補習も追加課題もなくて助かった」
肩をぐるりと回して、飛鳥は軽い調子でそう答えた。
星印学園では成績の悪かった生徒には、長期休暇の間、教科ごとに追加課題が出されるようになっている。もっと点数の悪かった生徒は補習を受けなければならないのだが、こちらは余程の事が無い限り受ける機会は無い。今回も飛鳥にはその辺りの補填を行う必要はなさそうだった。
長期休暇は通常の課題も出るのが常だ。冬休みはその量も控えめだが、夏休み等はそれなりの分量の課題が出される。そこに追加課題が加われば、目に見えて大変さは増すだろう。
1,2教科程度なら追加課題の量も知れているので、数日に分けてやればどうとでもなる。……と普通なら思うだろうが、そもそも真面目に毎日課題をやるような人間は成績で悪い点数など取らないのだ。せいぜい最後の一週間が慌てふためくから絶望に打ちひしがれるに変わる程度だろうか。
ともあれ今回も飛鳥は痛い目を見ずに済んだということで、少々脱力気味だったのだ。
「今回は簡単だったしね」
あくまでも余裕の表情で、隼斗は片手をはらりと払って言う。
飛鳥は眉を寄せた。
「マジで? 俺またいつも通りだったんだけど」
「そうかな? 今回は範囲も狭かったし、勉強量は少なくて済んだと思うけどね。手ごたえ自体は有ったんじゃないかい」
「手ごたえなぁ。まぁ、有ったような無かったような……」
テストを受けていた時のことを思い出そうとしても、どうやらテスト終了の開放感で記憶ごと吹き飛ばしてしまったらしく、思い当たる記憶はなかった。
だが返ってきたテストの方はやや凡ミスが多かった記憶がある。それで大体いつも通りの点数だったのだから、逆に普通に解けていた問題は多かったということになるかもしれない。確かに、いつもより簡単だったのだろう。
「へぇ、アスカはいつも通りだったか……」
記憶をたどっていた飛鳥の傍らで、席に着いていた伊達はニヤリと笑った。
「うん? 何かあったか?」
「いや別に。それより、早くやっちまおうぜ」
怪訝な表情を浮かべる飛鳥を軽くあしらって、伊達は折り畳んだ仮成績表を机の引き出しから取り出した。
その言葉が聞こえていたのか、少し離れたところで喋っていた泉美と美倉もこちらへやってくる。二人はならんで、伊達の机を囲むような位置で立ち止まった。
さて、揃った以上はやる事は一つだ。
「それじゃあ……せーの、でいいんだっけ?」
「なんでもいいからさっさと済ませよう」
首を傾げる隼斗の言葉も飛鳥はローテンションに答えて、ポケットにつっこんでいた仮成績表を引っ張り出した。
「じゃあ、せーの」
気の抜けたような隼斗の掛け声に合わせて、飛鳥達5人は一斉に机の上に仮の成績表を叩きつけた。
手がどけられると同時、飛鳥は思わず素早く視線を走らせて他の人の点数を確認してしまう。
「む……」
彼はふと眉を寄せた。
隼斗と美倉は相変わらず高得点をたたき出しているが、それに関しては予想の範囲内だ。
目に留まったのは泉美の点数。前回の2学期中間では、飛鳥より上とはいえ僅差だった。しかし今回の泉美の成績は、飛鳥よりも明らかに上どころか、隼斗や美倉と比較しても遜色がないレベルの物だったのだ。
釈然としない気持ちで顔を上げた飛鳥はそこで、それはもうこれ以上ないほどに嫌味ったらしい笑みを浮かべた泉美と目が合う。
「ふふん」
これでもかというほどに胸を張って見せた泉美は、上から目線で鼻を鳴らした。
「ぬぐっ……」
視覚と聴覚両方から「おい馬鹿にされてんぞ」と教えられて、飛鳥は思いきり顔をしかめた。
その反応に満足したのか、あるいはもうひと押ししたくなったのか、泉美は悠々とした足取りで飛鳥の方へと歩いてくる。
わざわざ顔をしかめたまま固まっている飛鳥の肩越しに彼の成績表を覗きこんで、さらにわざとらしく目を見開いてこう言った。
「あれ、アスカ? 点数低くない?」
「……いつも通りだよ」
ギリギリと奥歯を軋ませながら答える飛鳥。泉美は余裕の笑みを浮かべながら、励ますように彼の肩をぽんと叩いた。
「いつも通りでこれか~、まぁ別にいいんだけどね~」
「ぁ゛ー、うっぜぇ…………」
喉奥から絞り出すように不快感をぶちまけても、泉美はやっぱりどこ吹く風だ。この態度を取っているのが伊達だったなら、既にどてっぱらに肘打ちの一つでもお見舞いしているところだった。
しかし泉美は前回こそ点数が悪かったが、それには2学期の途中から入って来たため試験範囲の授業を一部受けていなかった、元居た場所の関係で他の生徒と同じようなカリキュラムでは教育を受けていなかった、といった事情がある。
それを踏まえて考えれば、今回の泉美の点数が彼女の地力としては正しい点数だと見ることができるだろう。
とはいえ、前回僅差だったのがあっさり負けてしまっては悔しくもなる。目に見えてテンションの下がった飛鳥は荒んだ心を癒すために、自分より点数の低そうな伊達の方へと目を向けた。
「むぅ……、負けた」
椅子に座った伊達はむすっと腕を組んで、横目に飛鳥の成績表を眺めている。
どうやら伊達は伊達でいつも通りの結果だったのかもしれない。そんな予想というか期待というか、とにかく変な安心感を抱きながら伊達の成績表に目を向けて、
「まぁ! この調子なら次は勝てるな!」
「バッ、バカな!? 伊達が補習どころか追加課題すら無しの点数だと……!? こんな……こんなことが……」
一転満面の笑みを浮かべて元気良く宣言した伊達の成績表。そこに並んだ数字は、あろうことか飛鳥の成績表に記されたものと大差ないものばかりではないか。
飛鳥はまるでこの世の終わりでも見たかのような、愕然とした表情を浮かべた。
いつもなら追加課題は確実、下手をすれば補習ギリギリという点を取っている伊達が、どういうわけか飛鳥とほとんど変わらない点数を取っているのだ。
驚きのあまり言葉を失ってしまう飛鳥を放っておいて、伊達はその成績を見つめていた美倉と話し始める。
「伊達君、どうだった?」
「ほら見ろ美倉、めちゃくちゃ点数上がってた!」
「ホント? やったね、伊達君」
両手を合わせて、笑みを浮かべる美倉。伊達もつられたように笑って、ぐっと親指を立てて見せた。
「おう! これも美倉のおかげだ、サンキュー」
「ううん、そんなことないよ。伊達君が頑張ったからだと思うよ」
「まぁ俺も頑張ったけど、ほら、勉強教えてもらったのもあるしな」
「それもそうだね。じゃあ、どういたしまして」
美倉と伊達はそんな調子で話していたが、それを聞いていた飛鳥は少し納得がいった様子だった。
「なんだ伊達、美倉に勉強教えてもらってたのか?」
「おう、大会終わった辺りからテスト終わりまでな」
少なくとも伊達が誇るようなことではないだろうに、伊達はやけに自慢げな表情でそう答えた。
「はぁはぁなるほど。どおりで妙に高い点数取るわけだよ」
「確かに私は教えたけど、それでも伊達君はちゃんと勉強したんだよ? だから……」
「わーってるよ! 惚気かうっとうしー!」
即座にフォローを入れようとする美倉の言葉を素早く遮って、飛鳥は当てもなくぶんぶんと拳を振り回した。
飛鳥にとってはあとから当人から聞いた話になるのだが、伊達は大会の終了後に美倉に告白をして、二人は付き合うことになったのだ。
伊達はともかく美倉は真面目な性格だった。恋人ができたからといってそれが変わるような事もなく、節度を守った交際を続けているらしい。そのため学校などでところ構わずベタベタしたりはしていないのだが、今のような時折見せる「私たち心通じ合ってるんで」的な態度が一人身の飛鳥には鬱陶しくてたまらないのだ。
しかめ面で天井を睨んでいた飛鳥の肩に、唐突に腕が回された。
「あん?」
と苛立った様子で顔を向ければ、先ほどから引き続きいやらしい笑みを浮かべた泉美と目が有った。
「なんだったらあたしが、あたしが勉強教えてあげよっか?」
「いっらねぇよ!!」
舌を思いきりブン巻いて答えながら、飛鳥は肩に回された泉美の腕を振り払った。
あまりの苛立ちからしかめ面は変顔の域に達しており、邪険にあしらわれたはずの泉美は腹を抱えてケタケタと笑うばかりだ。それに飛鳥はさらに苛立ちを募らせる。
「なんだか加速度的に俺の周りの人間関係が面倒臭くなってやがる……」
とりあえず気持ちを切り替えようと、飛鳥は全員に背中を向けて深呼吸する。
2,3息を吸って吐いてを繰り返したところで、横合いからポンと肩を叩かれた。
「大丈夫だよアスカ。僕もしばらくこのポジションだから」
自分を指さしながら爽やかにそう告げる隼斗。
その顔をジト目で数秒見つめた後、飛鳥はぼそっと呟く。
「……今はその優しさすらうざい」
「酷くないかい!?」
予想外のリアクションにあんぐりと口をあける隼斗を見なかったことにして、飛鳥は深くため息をついた。
「はぁ……。俺も、ちょっとは勉強頑張るか」
そうして、彼は3日で忘れるだろう決意をするのだった。