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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第7部-始祖の末裔-
195/259

1章『時期外れのクリスマス』:1

 肩をゆすられる感覚に、遥は深い眠りの中から引き戻された。

 酷い耳鳴りが、彼女のこめかみを貫いている。

 顔をしかめて頭を押さえたまま、遥はその場で上半身を起こした。

「大丈夫ですか?」

 薄眼を開けて声の方を伺うと、そこには心配そうな表情を浮かべた隼斗の姿があった。

「うなされていましたが……」

 被りを振った遥は、一つ息を吐いた。

「少し、昔の事を夢に見たみたいで……。でも大丈夫よ。ごめんなさい、心配掛けたわね」

「いえ」

 まだ心配そうな表情は完全には消えなかったが、隼斗はいくらか安心した様子で遥から視線を外した。

 寝ころんでいたソファに改めて座り直した遥の隣に、隼斗はゆっくりと腰を下ろす。

「会長はまた泊まり込みで研究を?」

「ええ。文化祭のあとにすぐテストだったりで、あまり集中してできなかったでしょう? その分も埋めるつもりで研究をしていたら、家に帰れるような時間でも無くなっていたものだから、そのままここで休ませてもらっていたのよ」

 寝起きだというのに、遥の口調はしっかりしている。

 うなされるほど嫌な夢を見ていたのだろうに、疲れた表情すら見せない。それが余計に不安を煽るのだが、そちらを伺う隼斗は表情に出さなかった。

 肩を並べてソファに腰掛けた二人の間に、ふと沈黙が下りる。

 日も当らない地下の研究所だが、どことなく早朝らしいまどろんだ空気があった。そんな雰囲気に当てられてかぼんやりとしていた隼斗に、遥がおもむろに尋ねる。

「隼斗はどうしてここに?」

 視線を寄こす遥に、隼斗はいつも通りの微笑みを返した。

「なんとなく、会長が居そうな気がしたもので。昨日の様子だと、きっと泊まり込みで研究をしているだろうと」

「ふふっ、やっぱりバレてしまうものね」

「それなりに付き合いも長いですから」

「そうね」

 何気ない会話だが、遥は肩を震わせて楽しげに笑う。

 文化祭からこちら、ずっとせわしなく働き続けてきたので、久しぶりに落ち着ける空気を感じていたのだ。

 少しは休めばいいのにと隼斗は思うが、それを言ったところで遥が改めた事はない。いい加減に身体を壊しかねないからと注意をしてみても、「生まれてこの方、風邪の一つも引いた事はない」と自信たっぷりに不摂生を貫くのだからどうしようもないのだ。

 せめて倒れてしまった時にすぐに駆けつけられるようにしておこう、というのが遥に対してできる最大限のことだった。こうして早朝から研究所に来ているのも同じことだ。

 旗迷惑な話だが、それも遥らしいで済ませてしまうのは、惚れた弱みという奴だろう。

「昔の事というのは、今も思い出しますか?」

 隼斗はふとそんなことを尋ねた。

 遥は首肯する。

「あまり思い出すことはなかったのだけど……。最近は忙しかったから、落ち着いたせいかもしれないわね。といっても、それが夢に見ることの理由になるかはわからないけれど」

「それで、どんな夢だったかは覚えているんですか?」

「……知りたがるのね?」

「気にはなるでしょう」

 そう言って隼斗は肩をすくめる。

 彼は普段ならあれこれ追及しないのだが、遥が具体的な内容を避けているように感じていた。だからこそだ。

 記憶自体は曖昧なのか、遥は小さく首を傾げながら呟くような声音で答える。

「子供の頃の……、あれは確か、ジュニアハイに入学する前辺りの事だったかしら。母さんと二人で暮らしていた頃のことよ。本当に、どうして今更なのかしらね」

 苦笑気味な遥の横顔を見つめながら、隼斗は言う。

「会長は確か、ジュニアハイから寮暮らしでしたか。亜紀さんとはどれくらい会っていないんですか?」

「うーんと……、9歳の時にジュニアハイに入学で12の時に大学、そのあと3年してからこっちに来て2年目だからもう7年になるかしら」

 指折り数えながら語っていた遥は、そこで「ああでも」と首を横に振った。

「そういえば文化祭の準備期間にちょうど、ひょっこりこっちに来ていて、アスカ君に買い出しを手伝ってもらった時にたまたま会ったのよ」

「亜紀さんが、日本に?」

「ええ、仕事だとか何とか。言いたい事だけ行ってまたどこかに行っちゃったけどね」

 ほんの1月ほど前の出来事を、遥は懐かしむように目を細めて語った。

 飛鳥は亜紀のことを『速い』と形容したが、遥が感じているのも同じで、たった一ヶ月の期間でも、記憶は思い出のように遠い彼方へと駆け抜けてしまう。亜紀はそういう人間だった。

 それが良いのか悪いのかは、未だに遥にはわからない。ただこの7年間、遥は母との生活の思い出に浸ることも、寂寥感を覚えることもなかったのは確かだった。

「昔のことを夢に見たのも、久しぶりに母さんに会ったからかもしれないわね」

 先ほどから浮かんでいた疑問に、遥はそう結論付ける。

 難しく考えても仕方がない。何事も意外とシンプルなものなのだと、彼女は知っていたからだ。

「亜紀さんとは話はできなかったんですか?」

「ええ。少しぐらい落ち着いて話でもできたらよかったのだけれど、別の仕事もあったらしくて、すぐにどこかへ行ってしまったわ。その日のうちにまたよその国に行っていると思う」

「なるほど、相変わらずですね」

「本当にね」

 隼斗はやや苦笑気味に、遥は普通におかしそうに笑った。

 隼斗は飛鳥よりも早い時期からアーク研究に関わっていたこともあって、遥と初めて会ったのも随分前の事だ。付き合いが長いと言ったのはそういうことで、雑談の中で遥の母である亜紀の話も聞いた事はあった。

 会ったこともない人間に相変わらずというのはおかしな表現かもしれないが、遥の話に聞いていた亜紀そのままだったものだから、隼斗も思わずそう言ってしまったのだ。

 ふと、隼斗はテーブルの上に無造作に投げ出された紙束に目を止めた。

「これは……」

 何気なく手にとったその紙束には、アストラルのメインシステムの解析情報が羅列されていた。

「昨日はこれについての研究を?」

「ええ。ただ、結果は芳しくなかったけれど」

 隼斗の取り上げた資料を横から覗き込んだ遥は、そう言って表情を曇らせる。

 見る限り、丁寧にまとめられた提出用の書類というよりは、研究の途中で得られた情報をまとめて出力しただけのもののようだ。それぐらいまとまりの無い煩雑な情報だった。

「現時点でアストラルが保有しているコードは、アストラル自身のコードAを含めても合計で10個。これでもかなり解析は進んだ方だけれど、意味の無い虫食いの文章が連なるばかりね」

「メインシステム以外には、何か分かった事は?」

「それは色々ね。推進系の構造のデータも出てきたみたいだし、重光子制御技術の基礎も解析できたという話だわ。ただ後者はともかく、前者は東洞としては今のところ扱い辛いテーマになりそうだから、保留かしらね。やっぱり、アークは推進系に特筆するほどの技術はないから」

 古代技術の一端を軽々とそう断じて、遥はソファの背もたれに身体を投げ出した。

 両手の指をからませながら、悩んでいるような声音で続ける。

「断片的な情報なら、ある程度まとまって手に入るものもあるのよ。サードイブの遺伝子データもそう。だけどもっと全体に通じるような部分の解析が進まないと、根本的に情報が繋がらないわ」

「それがアークのメインシステムにある、と。プロジェクトアーク、でしたか? やはりそれが重要な情報なのでしょうか」

「恐らくはね」

 遥は首肯する。

「アークそのものの根幹に関わるものだと見て間違いないわ。プロジェクトアークに関わる部分だけ突出してセキュリティの強度が高いの。バーニングやホライゾンはおろか、ある程度のコードを集めたアストラルからすら全く情報を引き出せないほどだから」

「では解析は勧められないということですか?」

「残念だけど、今はそうなるわね。量子コンピューターを使ってもリアルタイムに変化する多重暗号化に全く追いつけなかった以上、力技での解析はまず無理と考えていいでしょうね。となれば……」

「あとはより多くのコードを集めるしかない、と」

 遥は何も答えず、腕を組んで深く息を吐く。瞑目したまま呟くように口を開いた。

「けれどそのためには戦うしかない。真実を知るためには、戦って勝つより他にないの。…………だとしたら私たちは、一体どこへ向かおうとしているのかしらね」

 ため息が、遥の口元からもれる。

「それを知ることに何の意味があるのか、これを明確にしない限り、私達としては今以上に深い部分に手を出すことはできないでしょう」

「東洞だから、というビジネス的な話ですか?」

「それもあるわ。けどモラルの事もあるでしょう」

「それは、そうですが……」

 東洞は軍事開発を行なっているわけではない。東洞に限らず日本のアーク研究機関は、必要に応じて最小限の武装強化を行うこと自体はあっても、軍事開発それ自体を目的に研究を行なうことはない。これに関しては研究が始まる前に瓦解した神原財団も同じだ。

 だから遥の言う事はもっともなことである。

 だが遥の口からアーク研究に対する自粛のような言葉が出たということに、隼斗は驚きを隠せないでいた。

 口をつぐんだ隼斗は、瞑目したままの遥の横顔にその視線を向ける。

 始めて出会ったころの、無邪気な知識欲を感じさせる少女の面影はどこか薄らいでいた。サードイブの遺伝子データ解析を行なって以来、遥はアーク研究に関わる選択をより慎重に行うようになっていた。

 憂うように寄せられた眉に、微かな胸の痛みを覚える。

 隼斗はこれまで遥の判断にはあまり口出しをしてこなかったが、今は彼女にばかり重荷を押しつけたくはなかった。

「それでも、知ろうとするのが僕らの役目ではないでしょうか?」

「……これ以上はわがままよ」

「それは……サードイブの事ですか?」

 遥は隼斗の方には顔を向けずに、無表情のまま小さく頷く。それを見て、隼斗は嘆息した。

 アークの根幹システムの研究ならともかく、サードイブに関連する事を研究することは、星印学園地下研究所を管理している東洞グループの方針に沿うものではない。

 遥の言う通り、サードイブに関する研究はただのわがままになる。そちらに割ける人的、及び経済的なコストは他の研究の余剰分がせいぜいだ。

 ただビジネス的な話を抜きにしても、遥には率先して戦闘に向けた研究を行うことに抵抗がある。何より戦うのが遥本人ではないということが、彼女にその決断を躊躇わせる理由だった。

「その気持ちは、僕もわかります」

 そう言って、しかし隼斗は首を横に振った。

「だけどそう簡単に割り切れることでもないでしょう? なら、知ろうとすること自体を止める必要なんてありません。分からないのが不安なら、知るための努力をしましょう。そのために戦う覚悟は、僕にはあります。だから一人で抱えないでください。僕だって、ずっと一緒に研究してきたんですから」

「隼斗……」

 顔を上げた遥に微笑みを返して、隼斗はソファから立ち上がった。

「あまり、無理はしないようにしてください。……それでは、また放課後に」

 軽く会釈をして、隼斗はその場から去っていく。

 その背を見送る遥の表情は、どこか自嘲的な笑みにも見えた。

「優しいのね、隼斗も、アスカ君も……。でも、だからなのよ」

 呟いて、遥もまたそこから去って行った。

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