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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第7部-始祖の末裔-
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プロローグ the distant past

「遥も来週から寮生活ね」

 そんな母の言葉で、私は聞いていたラジオを止めた。

 家事をしながらの何気ない一言ではあったけれど、趣味ではない音楽を流し続けるラジオよりは、いくらか有意義に聞こえたから。

 私は椅子の上で身体を横に向けて、キッチンに居る母の方へ顔を向けた。

 母はいつも通りエプロンをつけて夕飯の支度をしている。

 物心ついた頃には、私は母と二人暮らしをしていた。こんな風に背中を見るのも、もう何度目のことだろう。

 けれどそれも来週まで。

 休みが明ければ、私はジュニアハイスクールに進学して寮暮らしになる。そうなれば、こうして母の料理風景を見ることもなくなるだろう。

 少しは寂しさを感じるけれど、これまでだって母が1週間ほど家に帰って来ないという経験も何度かあった。今度はそれが年単位になるだけだと考えると、なんとかやっていけるだろうとも思えた。

「そうね、楽しみ」

 明るく答える事ができたみたい。

 胸につかえる暗い感情は、私の言葉には乗らなかったと思う。もしかしたら母は気付いていたかもしれないけれど、その時は何も言われなかったから。

「そう。それは良かったわ」

 私と同じように、母の言葉からも寂しさとか、そういう気持ちは感じ取れない。

 それを少し悔しいと思ってしまう。だけどそれでも来週からは、母の邪魔にならないで済むという安心感のほうが強かった。

「…………」

 母の事は好きだ。

 ただしそれは家族としてというより、女性として。だから好き、ではなく尊敬しているという言葉の方が近い。

 母は物知りだった。

 私の覚えている限り、私の質問に対して母が「分からない」や「知らない」というような答えを返した記憶はない。どんな疑問に対しても、母はいつも完璧に答えてくれた。

 あえて一言文句を言うとするなら、そのどれもが学術的な内容だということ。例えば空が青い理由を尋ねれば、光の散乱が以下略という返事が返ってくる。

 今ならほとんど分かることだけれど、昔は何の話をされているのか分からなかった。理解するには、分からなかった部分をさらに尋ねてみるしかない。そんな風にして、昔から私は母の知識を少しずつ吸収していった。

 そういえば、答えてくれないことも少しだけあったと思う。たしか私が生まれた場所と、あとは父親のことぐらい。あまり興味の湧かない事ばかりだ。

 だからある意味では私に世界を教えてくれたのは母だった。

 母と一緒に居たいという気持ちは、確かに私の中にある。

 けれど私の存在が母の足かせになっているだろうことも、私は自覚していた。

 私の好奇心は親譲りのものだ。

 その証拠というか、母は昔から旅行が好きだったらしい。昔語りをするときは、いつも楽しそうに私の知らない国の、知らない人達の話をする。でも私がそんな旅行に連れて行かれた事は一度もなかった。全部、私が生まれる前の事だ。

 きっと私のことを気遣って、生活の基盤を一カ所に留めているのだと思う。たまに仕事か何かで帰って来ない事はあっても、それだってさほど長い期間じゃないから。

 母に遠い国の話をしてもらうのは好きだった。だけどその話をしている母の顔を見るのは、どうしても苦しかった。楽しそうな母の表情を見る度に、その枷になっている自分を感じてしまう。

「寮、かぁ……」

 憂うような呟きが、思わず私の口から零れる。

 寮に入る事は母から勧められた。急な話だったけれど、私は迷わず頷いた。

 飛び級もあってまだ10歳にもなっていないけれど、この母に育てられていたのだから、いい加減自分のことは自分でできるようになっていた。自立する良い機会だと、自分なりにも考えていたから。

 寮に入ってしまえば、今以上に母に会う機会は無くなってしまう。

 だけどそれでも、これで母が自由に好きなことをできるようになるなら、寂しいことぐらい我慢できた。

「友達できるかなぁ?」

 寂しさを紛らわせたければ、友達を作ってしまえばいい。ルームメイトと友達になれたら、一人であることなんて気にならなくなるだろう。

「遥なら大丈夫よ」

「うん。そうだよね」

 母もこう言っている事だし、きっと大丈夫。そう思ってしまえば先の事に想いを馳せても、そこに不安はなかった。

 それに学校が身近になるということにも、少しわくわくする気持ちがある。

 何かを学ぶということは昔から好きなことの一つで、何かを考えるということも同じだ。

 だから学校に行くのは好きだった。授業ではすこし退屈を感じてしまうこともあるけれど、特に飛び級したすぐ後なんかは知らない事が多くて凄く楽しい。

 大学に行けば今度は研究なんてものもさせてもらえるみたいだから、それも楽しみ。

 もっともっと色々な事を知って、色々な事を考えられるようになったら、母と一緒に世界を旅してみたいと思う。

 できれば、母にそれを求められる形で。

 今の私は母の娘でしかないけれど、いつか私は、単なる生まれではなく自分で手に入れたもので、母から求められるような人間になりたい。……そうだ、何をしているかは詳しく知らないけれど、母の仕事を手伝ってみるのも面白いかもしれない。

 そんな風にあれこれ想像を膨らませて、私は一人微笑んでいた。

 夢を語ったことは、覚えている限り一度もない。私が想いを馳せる遠い未来は、いつだって明確な目標だったから。

 だから、頑張ろう。

 私はそう思って、テーブルの上に置いたままだった専門書に顔を向け直した。



 それから1年でジュニアハイスクールを卒業して、2年でハイスクールを卒業した。

 飛び級を重ねて入った大学での生活は、慌ただしくも楽しいもので、気分に任せてあちこちの研究室を出入りするのは、私の好奇心を満たすのに十分なものだった。

 だから概ね大学での生活に不満はなかった。

 けれど今の私は、日本の私立高校に通っている。

 新しい研究に携わってみないかと、東洞グループのなんとかという人からスカウトを受けたのが15歳、大学3年のときだった。

 無限のエネルギーを持つとされる、古代兵器アーク。

 心を奪われるには十分な売り文句で、同時に訝しさもあった。普段なら、少しは疑いもしただろう。だけどその時の私はまるで導かれるように、迷わず日本へ行くことを決意していた。そういう感性は大事だと、大学で研究を続ける中で学んでいたから。

 そして東洞が新設した星印学園地下研究所は、その所長として御影五郎氏を迎えた。そう、かの有名なアーク研究の第一人者にして、世界で最初にアークを発見した地質、考古学者だ。

 そんな人と一緒に未知の研究ができるだなんて、とても楽しそうで、そして実際にそれは楽しかった。

 アークの研究に携われるのは、世界でも限られた人のみ。だからきっとアークの事は、母も詳しくは知らないだろう。母にできないことが、私のものになっていくのが、私にとっては嬉しかった。

 もしかしたら、母と一緒に一つのものを作っていくなんて事ができるかもしれない。それはとても充実した日々だろう。楽しそうだ。


 それは本当に私だろうか?


 けれど「サードイブ」の事を知って、私はわからなくなった。

 アークが作られた時代に私と同じ人間がいたことに、私がアークの研究に引き寄せられるように携わったことに、何らの関係があるように感じてしまう。


 私の中にあるものは、本当に私が手に入れたものなのだろうカ?


 この身体を作った遺伝子は、この世界の人間の物ではないのかもしれない。

 アークの適正が見えるようになった体質も、直感だなんて曖昧な言葉では片づけられなくなった。


 アーク研究は、本当に未知を知る行為ナノカ?


 私がこれまで重ねてきた選択は、私ではない誰かのものだったのではないかとさえ思えた。

 何を信じればいいのか、その時になって分からなくなったのだ。


 未知か? 知っているのデハないカ?


 自分の目で見たものを信じようにも、その目が自分のものなのかすら分からなくなっていた。


 何かを思イ出しテイる?

 私はソレヲ知っていル?


 そもそも、だ。


 私トハナンダ?



 夢を見ていたような気がする。

 ノイズまみれの、灰色の夢だ。

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