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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第6部‐彼と彼女の心の距離は‐
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after 『誰よりも速く』

 文化祭を終えて、3週間ほどが過ぎた。

 あれほど騒がしかった学校もいつしか普段通りの空気に戻っていて、お祭り前後の浮足立った様子は、日ごとに迫る定期試験の前に鳴りを潜めていた。

 次に学校全体が活気に満ちるのは、おそらく1週間後から始まるテストが終わった日だろうが、それはまた別の話として。

 日曜日、飛鳥はクラスメイト達と共に、伊達の参加する陸上の1年生大会の観戦に来ていた。

 約束を取り付けていた美倉は当然として、普段から関わる機会の多い飛鳥や隼斗、泉美のほかに、篠原や水城の姿もある。

 篠原はともかく水城まで伊達の応援に来ているのはやや違和感があるが、それも美倉や泉美に声を掛けられたからだろう。

 文化祭前までは泉美の事を毛嫌いしていた水城だが、文化祭でのクラスの演劇で大活躍だった泉美を見て、考えを改めたようだ。水城が一方的に敵視していた事を除けば、趣味も合っていたらしく、意気投合するまでにそう時間を必要としなかった。

 美倉まで含めると若干ちぐはぐさを感じるものではあるが、3人で一緒に話す機会も増えたように見える。

 対照的に飛鳥は文化祭以来、水城に妙に嫌われてしまっているのだが、飛鳥自身思い当たる節が多過ぎて面倒くさくなったのか、早々に考えるのを止めてしまっていた。飛鳥には特に水城と仲良くしたい理由もなかったからだ。

 転入当初の泉美の全方位ヘイトの、自分に向いていた分の一部が水城に移ってしまったのだと考えれば、これでもまだまだ可愛いものだった。

 他にはこれと言って特筆する事はない。

 飛鳥が居るまとまりとは少し離れた場所にも見知った顔ぶれはあったが、どうやらそれは星印学園の陸上部メンバーのようだ。飛鳥達クラスメイトとはまた別に、伊達の応援に来ていたらしい。

 ちなみに伊達は元々100mと200mの二つで練習を積んできたのだが、足を怪我したことから二つの種目での参加は断念していた。2週間のブランクと、リハビリを含めて1週間しか練習期間を持てないということを考慮した結果、彼は200mを棄権、100m一本に集中して1年生大会の全国大会に臨むことにしたのだ。

 スタミナ面での負担が大きい200mでの参加を避け、筋力と走るフォームを取り戻すことに注視することで100mでの優勝を狙う算段である。

 それを決めたのは伊達自身だが、練習に復帰して最初に一度走った直後に200mを棄権すると即座に決意したのは、やはり彼も勝負師なのだと思わせる素早い決断だった。

「そろそろだね」

 スケジュール表と時計を交互に確認した隼斗がそう言った。

「そうみたいだな」

 横から彼の広げるスケジュール表を覗きこんだ飛鳥が呟く。

 全国大会とは言っても当然いきなり決勝が行われるのではなくて、準決勝となる試合もある。

 そして伊達も参加する短距離の100mは、正午過ぎに2組の準決勝が行われた。

 決勝へと駒を進める上位3着には問題なく入り込んだ伊達だったが、素人目に見る限りタイムは芳しくない。

 思わずといった様子で、隼斗とは逆側に座っていた泉美が呟く。

「大丈夫かな、伊達……」

「決勝に全力を取っておいて準決勝は温存気味に走ったみたいだし、まだわからないな」

 しかし1発勝負だからといって、何も最後の一回だけで勝負が決まるわけではない。決勝に向けて体力を温存するということも、一つの戦略の内だ。

 特にスタミナ面に不安の残る伊達にとっては、そのわずかな差が結果を左右する可能性も決して小さくはない。

 準決勝を走るフォームからして全力を振り絞ったようには見えなかったので、やはりある程度温存していると見て間違いないだろう。

 それでも問題なく上位3人の内2着に入っていたのだから、彼の地力の高さがうかがえる。

 そこに加えて、今日の伊達は勝利に貪欲だ。

 もともと伊達は体力配分など考慮せず、全ての一歩に全力を注ぐタイプだった。故に記録面でも素晴らしいものを持っていたのだが、今日の彼は最初から決勝を見据えて一走ごとの体力配分を計算している。優勝ただ一つに狙いを済ました彼の目は、獣のように鋭く見えた。

 やがてアナウンスが響くと、トラックに8人の選手が現れる。

 それぞれが自分のレーンの位置へと進み、スタートブロックの手前で立ち止まった。

 軽く柔軟体操をしたり深呼吸をしたりと、選手ごとにそれぞれのやり方で最後の一走へ向け備えているが、皆一様に真剣な表情をしている。

 ひりつくような緊張感が、静寂を伝って観客席まで届いてきた。

 伊達はその緊張感の中心にいながら、リラックスした様子で肩を揺らしている。

 優勝に対するプレッシャーは決して小さくないだろうが、それを上手く御しきれているように見えた。

「予選のタイムで3位、か……」

 飛鳥の隣で、泉美が深刻そうな声音でそう漏らした。つられて飛鳥の眉にも力が入ってしまう。

 その時、一段下の観客席に座っていた水城が、隣の美倉に向けて茶化すような口調で言った。

「ほら、由紀。やっちゃいなって」

「っ、……うん」

 パンと軽く背中を叩かれた美倉が、一瞬ためらうようなそぶりを見せた後、おもむろに立ち上がった。

「……美倉?」

 怪訝な表情を浮かべる飛鳥の前で、立ち上がった美倉は胸に手を当てて大きく深呼吸をする。

「すぅー、はぁー。…………よしっ!」

 そしてスタートの準備をしようと踏み出しかけた伊達に向かって、

「伊達君――――! 頑張って――――――!!!!」

 手をメガホンの形にした美倉が、精一杯の大声で伊達に向けて声援を送った。

 その声は開場全体に響き渡るほどに大きく、そして力強いものだった。

 開場全体の注目が、一斉に声の主である美倉の元へと集まってしまう。それは観客席だけでなく、これから競技に臨む選手たちも同様だった。

 好奇の視線だけでなく、迷惑そうな視線を送ってくる者たちも居る。その中でも、美倉は隠れようとはせず、伊達の方を見つめて立っていた。

「――――」

 何か、伊達が答えたように見えた。

 飛鳥の場所からでは何を言ったかは分からなかったが、笑顔でガッツポーズをする伊達の様子で、美倉の声援は届いたのだと確信した。

 それを見届けて、美倉はゆっくりと腰を下ろす。

 彼女の大声で一瞬止まってしまったものの、競技はすぐに進められた。

 思わず足を止めていた選手たちも、それがただの声援だった事に気付くと、各々自分のペースを取り戻しながらスタートブロックの前に立った。

 合図に合わせて、足を添える。

 続く言葉と同時に、全員が一斉に腰を上げた。

 刹那の静寂。

 直後に、乾いた音が鳴り響いた。



 表彰式を終えて、飛鳥達は開場の外へと出ていた。

「おつかれさん」

 来る時に来ていたものらしきスポーツウェアに身を包んだ伊達に、飛鳥は軽い調子で声をかけた。

 クラスメイト達は少し離れたところで集まっており、飛鳥はそこから抜けだして伊達の方にやって来たのだ。

 飛鳥が伊達に声をかけるのを見ると、陸上部のメンバーが伊達を残して離れて行った。反省会などは後日するのか、ともかく伊達はクラスと一緒に帰ると思われたのだろう。

 伊達はそんな部の友人達を見送って、飛鳥の方へ振り返った。

「ああ。応援サンキューな」

 その首元には、金色に輝くメダルが下げられている。

 優勝したことを示すそのメダルを見て、飛鳥は小さく笑った。

「さすがだな。有言実行じゃねーか」

「自己ベストには届かなかったけどな。それでも、美倉の前で優勝できて……」

 自慢げに語っていた途中で、伊達ははたと口を止めた。

 しばし考え込むような態度を見せてから、訝しげに伊達は尋ねる。

「おい、俺お前に対しては勝つとは一言も言ってないはずなんだが……?」

「ぁー…………うん」

「やっぱお前あのときどっかで聞いてやがったな!?」

 盗み聞きされていたのかと激昂する伊達だったが、飛鳥は若干ビビりながらもどうどうと彼をなだめる。

「いやほら、好奇心には勝てなかったっていうか、一応は見届けなきゃいけないと思ったていうか、そもそもあの場セッティングしたの俺だったし別にいいかなーっていうか……って近い近い近い! だぁーもういいじゃん別にさーっ!」

 いかにも怒ってますという表情でぐいぐいと詰め寄ってくる伊達の顔面ドアップに耐えきれなくなって、飛鳥はズダダダ、と素早く後ずさる。

 伊達が追って来ないのを確認した飛鳥は、一つため息をついて後ろを伺った。

 そちらでは泉美と水城に背中を押されて、赤面した美倉がこちらへと歩いてくる様子が見えた。

 飛鳥は伊達の方に向き直ると、おもむろに口を開く。

「じゃあ俺達は一本早い電車乗って帰るから。まぁ……あとは頑張れ」

 颯爽と立ち去ろうとしたところで、伊達が慌てて飛鳥を呼びとめた。

「ちょ、マジかよアスカ! フラれたら気まずいとかいうレベルじゃねぇんだけど!」

「いや大丈夫だろ……。つか、はぁ……。ここまできてヘタレてんじゃねーよ馬鹿かお前は」

 悪態をつきながら気だるげに振り返った飛鳥は、ピッと伊達の胸元を指さした。

「自信なら、お前の首からぶら下ってるだろ」

「…………だな」

 胸元で煌めく金メダルに気付いた伊達は、それを手にとって優しく握りしめた。

 飛鳥は再び伊達に背中を向けると、のんびりとした歩調で立ち去っていく。

 それと入れ替わるように、頬を染めた美倉が伊達の前に現れた。

「あ……」

 何かを言おうとして、言葉にならなかった美倉。

 伝わってくる緊張を感じて、伊達は逆に口元をほころばせる。

 決勝で走りだす前よりもずっと激しく心臓が脈打っていたが、掌に伝わる確かな重みが、伊達の心から迷いを拭い去ってくれた。

 顔を上げた伊達は、優しげな声音で告げる。

「応援、来てくれてありがとうな。おかげで優勝できたよ」

 美倉は恥ずかしそうに顔を俯けたまま、スカートの端を両手で強く握りしめていた。

「……それは、伊達君が頑張ったからだよ」

「頑張れたのは、美倉が居てくれたからだ」

「え、えと、その…………」

 迷わず答えた伊達の言葉に、美倉はさらに顔を赤くしてしまう。

 そんな彼女の態度が可愛らしくて伊達は思わず笑ってしまいそうになったが、それをこらえてこう続けた。

「優勝できたぜ。だから約束どおり、話を聞いてほしい」

 伊達の言葉に、美倉は小さく頷く。

 伊達はほんの少しだけ視線を落として、手の中にあるメダルを見つめて、ゆっくりと話し始めた。

「美倉が応援してくれたから、俺は優勝できたんだ。美倉が居てくれたから、俺は諦めずに走り続けることができたんだ」

 金色に輝く勝利の証を、努力の証を伊達は強く握りしめて、自信に満ちた真っ直ぐな視線を美倉に向けた。

「美倉が俺の傍にいてくれたら、俺はどこまでも行ける気がするんだ。お前が応援し続けてくれたら、俺は誰よりも速く走れる気がするんだ。だから美倉、これからも俺の傍で、俺のことを応援していてほしい」

 微かに頷いた美倉は、俯けていた顔をゆっくりと上げた。

 二人の視線が交わる。

 伊達は短く深呼吸をすると、美倉の目を見てこう言った。

「美倉、俺はお前が好きだ。だから、俺と…………俺と付き合ってくれ!」

 答えを恐れる臆病さは、もう彼の中には無かった。

 その真っ直ぐな気持ちは歪みなく美倉の心に届いて、だから美倉も迷うことなくこう答えるのだ。

「はい……!」

 ほんの少しの涙声。

 けれどその表情はどこまでも明るいものだ。


 いつかとは違う。

 曇りのない二つの笑顔が、そこにはあった。

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