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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第6部‐彼と彼女の心の距離は‐
190/259

51:『あの日の記憶、今ある想い』

「…………え?」

 彼女が何を言ったのか理解できない。

 いや、そうだったのは最初の一瞬。

 振り返って見た泉美の、胸の前で右手を左手で包むようにして強く握りしめている姿で、それが冗談などではないことをすぐに理解した。

 だが理解してなお、飛鳥にはそれが信じられなかった。それが事実であることを、彼の心はすぐには受け入れきれなかったのだ。

 泉美は両手を強く握ったまま、吐き出すような声音で続けた。

「人を殺す訓練だったの……。デモが活発化し始めた頃から、テロ組織の襲撃作戦の前まで続いたわ」

 口を開いても、言葉が出てこない。

 茫然自失する飛鳥の耳には、苦しげな声音なのに、やけに淡々とした口調で語る泉美の言葉だけが届いていた。

「抱えていた騒乱の火種をアークによって潰すことは、政府が元から視野に入れていたことだった。その後の他国との戦争もね。……だからあたし達には、敵には迷わず引き金を引けるようになる必要があったの。そのために、デモ活動に参加た結果捕えられた人達を政治犯として、あたし達の手で処刑した……!」

 その過去を語ることがどれほどの苦しいことなのかは、背中越しに伝わる震えから、飛鳥にもほんの少しだが感じられた。

 泉美は自らの肩を掻き抱いて、ポツリと呟く。

「6人、だったわ。…………あたしはその訓練で、6人の人を殺したの」

「…………ぁ」

 どうしてこんな時に何も言えないのだろう。

 沈黙を続けていた飛鳥の表情に、焦りのようなものが浮かぶ。

 受けた衝撃を受け止めきれなくて黙りこくってしまう自分が、今の彼には酷く無力に感じられてしまった。

 泉美はただ、淡々と言葉を並べるだけだ。

「狭い部屋、床に固定された椅子が有って、そこに目隠しをした状態で縛り付けられた男がいるの。3メートルぐらい離れたところに台が有って、その上に銃が固定されていたわ。銃口は椅子に縛られた男の頭に向けられてて、あたしはただ、その引き金を引くの。ルールは目を逸らさない事だけ。……そうやって、あたし達は人殺しに慣れさせられた。そのためだけに、あたしは6人を殺したのよ。……実際にテロ組織が結成されてすぐの襲撃作戦で一定の成果が見られたって、その訓練は終わったけど。その後はさっきも言った通り、小規模なテロ活動の鎮圧をしただけ。ただ、それ以外にあたし達ライセンス所有者の生活は変わらなかった」

 そこまで語って、泉美は脱力気味に背中に体重を預ける。

 触れ合う背中越しに熱が広がったのを感じながら、泉美は無感情な瞳で空を見上げた。

「ある意味、力こそが正義みたいな場所だったわ。強ければそれだけ自由が得られて、弱ければそれだけ束縛が厳しくなる世界だった。だからあたしは中国最強になったの。単純戦闘能力という面でも、作戦遂行能力という面でも。そうして得られた小さな自由を使って、日本政府との橋渡しをしてくれた人間に接触を続け……あとはアスカも知っているとおりよ」

 自らの過去を振り返った泉美は、最後にそう締めくくった。

「…………」

 飛鳥の口からは、まだ言葉が出てこない。

 軍人になっていたのだから、その可能性は考えていたはずだ。人を殺した過去を持つという可能性を。いやその可能性を考えていたからこそ、飛鳥は幼いころの自分の無力を嘆き、少しでも今の泉美の救いになろうとしたはずなのだ。

 だというのに、何故これほどまでに大きな衝撃を受けているのだろうか。何故ここで彼女の心を軽くすることのできるたった一言すら出てこないのだろうか。

 あるいは無意識のうちに、そうではない可能性を信じ込んでしまっていたのかもしれない。

 だとすれば飛鳥は、泉美の口から語られた真実を受け入れ、そして彼なりの選択をしなければならない。

 次に彼が言葉を発するとき、そこにはかつてないほどの重みがあるはずだ。

 それでいて、泉美は静寂を望まなかった。今この場で自分が一人だと思いたくはなかった。

 彼女が全てを打ち明ける勇気を持てたのは、背中越しに伝わる飛鳥の温度があったからだ。

 未だ口を閉ざしたままの飛鳥に、泉美はまるでひとり言のように語りかける。

「それぐらい、かな。もっといろいろあったような気もするけど、全部忘れるようにしてきたから。……ごめん。こんな話、急にしちゃってさ。でも、今更だよね。もっと早く言うべきだったわ。だけど、どうしても言えなかったの。こんなあたしだって言って、それでどうやって接すればいいのかなんて分かんなかったから……。あたしはきっと、必要になれば、躊躇いなく人を殺せる人間。……いいのかな。そんなのが……受け入れられても」

 すがるような声音だった。

 自分は排斥されるべきだと誰よりも思っている泉美自身が、自らが拒絶されることを誰よりも恐れている。そんな二律背反に似た状況が、彼女から決断する意思を奪っていた。

 だから選択すべきは飛鳥だった。彼女はそれを求めていたのだから。

 そう、これは選択だ。どちらが正しいのかの答え合わせをするのではなく、どちらも正しい二つから、あるいはどちらも間違っている二つから、たった一つの答えを自分の意思で選ぶ行為なのだ。

「……っ」

 下唇を噛んで、飛鳥は目を閉じて激しく首を振った。

 ――臆してどうする。言いたい事は、言うべき事は一つのはずだ。

(いや、違う……)

 そうではない。

(人殺しができる人間は排斥されるべきだ? 人殺しができる人間でも受け入れられるべきだ? そんな単純な二択で選んでいい物なのか? 違うはずだ。そんな暴力じみたものじゃない)

 これは学校のテストなどではない。与えられた選択肢にしか答えが無いわけではないのだ。

 この場において最良の回答が、示された選択肢の中に無いのならば――――

 彼は短く息を吐くと、すっと瞼を押し上げる。

「……いいさ。お前はそんな奴じゃない。お前は躊躇いなく人を殺せるような、そんな人間じゃないんだから」

 飛鳥が否定したのは、そこだった。

 泉美が自分を受け入れられない人間だと考える、その前提を彼は否定したのだ。

「本当にそんなことができる人間だったら、友達ですらないクラスの連中を巻き込まないようにするために、あんなに必死になんてなれるかよ。自分か他人かどっちが傷つくんだってときに、真っ先に自分が傷つく事を選べるわけがないんだ。……受け入れられていい。お前は、お前が言うような奴なんかじゃないんだから」

 卑怯な答えだったかもしれない。

 仮に、仮に泉美が彼女自身の言うような人間だったとしたら、泉美は排斥されるべき人間だということになってしまうのだろうか。飛鳥の言葉は、その命題への答えをもたらさなかったのだから。

 けれど飛鳥は、それでも嘘にならない答えを選んだ。泉美は受け入れられるべきだと、その答えを嘘にしないための選択をしたのだ。

 泉美は、小さく笑った。

「あたしのこと、分かるんだ?」

「付き合い長いだろ」

「2ヶ月ちょっとじゃん」

「もっと前のお前も知ってる」

「……そうだったね」

 ぶっきらぼうに答える飛鳥と、落ち着いた口調に戻っていた泉美の視線は、共にグラウンドのキャンプファイヤーへと向いていた。

 揺らめく炎が、周囲の景色をわずかに歪ませる。二人はそこに、あの日の陽炎を見ていた。

 泉美がふと、懐かしむように目を細めた。

「あの日の事は、まだちゃんと覚えてるよ」

「……俺も」

 いつ、とはどちらも言わなかったが、どうしてか、互いにあの別れの日の事を言っているような気がしたのだ。

 夏はとうに過ぎたはずなのに、耳には蝉の鳴き声が聞こえていた。

 燦々と注がれる陽に焼かれたアスファルトの、鼻につくにおいがよみがえる。そこに、走り去るバスが残して行った排ガスの香りが混じった。

 身体を支えるためにベンチに乗せていた掌が、ふと熱を持ったように感じられた。まるで這いつくばったときに、掌に押し付けられた焼けた地面のような熱さだ。

「結局、最後まで大したことはできなかったけどな」

 飛鳥が自嘲気味に鼻を鳴らすと、泉美が突然噴き出してこんなことを言った。

「ぷふっ……、そういえばあんた、バス追っかけて転んでたよね」

「……っ!? っば、な……なんでそれを……」

「だって見えてたもん」

「うあ゛……、よくもまぁそんな恥ずかしいこと覚えてやがったな……」

 まさか見られているとは思っていなかったものだから、その時のことを鮮明に思い返してしまった飛鳥は、羞恥心に耐えきれずに固く目を閉じてしまった。

 左手で額を抑えて天を仰いだ飛鳥。

 彼がそんな風に悶えているのを背中越しに感じた泉美は、笑いながらも穏やかな声音でこう言った。

「でも、嬉しかったよ」

「――っ」

 はっ、と目を開いた飛鳥は、茫然とした様子で額を抑えていた左手を下ろしていく。

 横目にそれを見つめていた泉美。

「なんていうか、ここが自分の居場所なんだなって、そう思えたから。あたしが残ることを望んでくれる人がいたんだってことが、凄く嬉しかったんだ」

「……そうか」

「向こうで訓練をしてる時もさ、それは忘れなかったの。いつかきっと戻れるときが来るって、ここじゃない場所に、あたしの帰る場所がちゃんと有るんだって思えてたのよ。日本に戻ることを決めたのはそれも理由だったわ。アークのパイロットであることからはもう逃れることはできなくても、そうでないあたしの居場所がちゃんとあると思えてた」

 キャンプファイヤーに向けていた視線を、泉美は東の空へ向ける。

 街の光にも呑まれない、闇空に穿たれた星の瞬きを眩しくすら感じた。

「だからこっちに戻って来た時、アスカがライセンス所有者になってたのを知って、それが無くなったみたいに感じてさ……。この6年ずっとそうしてきたみたいに、アークと関わる場所でしか、あたしに居場所は無いんだって思えちゃって……」

 泉美にはその6年の経験から、アークに対していい思い出が無いのは明白だった。彼女にとってアークとは、ただ強制されて関わらされてきたものなのだから。

 アークと関わる範囲でしか自分の居場所が無いということは、つまりはアークに関わるところでしか自分の価値を見出せないということであり、それは彼女にとっては苦しいことだったのだ。

 もし飛鳥がアークの事など何も知らないただの同級生だったら、彼女はどうしただろうか。

 泉美の話を聞いていて、皆を遠ざけていたころの彼女も、そんな自分になら少しは心を開いてくれたんじゃないかと、飛鳥には自意識過剰でもなくそう思えた。

 だがそうであったとしても、飛鳥がアークのことを知らなければ、泉美は今日話したような事は全て自分の内に抱え続けることになっただろう。たった一人で、痛みを胸の中に封じ込めていただろう。

 ならば紆余曲折あったとしても、こうして全てを打ち明けられた今の自分達の方が、何倍もマシのはずだ。

 だからこれでいい。足掻き続けていた過去に、悔いることなど何もない。

 もう泉美だって、孤独ではないのだから。

「もう大丈夫さ。友達、できたんだろ?」

「……うん」

 頷く泉美の頬は、月明かりでもハッキリわかるほどに赤く染まっていた。ただ背中合わせの飛鳥には、それは見えなかったが。

 そこに鏡はなくとも、泉美はそのことに気づいていた。

口元を微かに緩めていた泉美は、どこかさっぱりとした表情でこう言った。

「でも、それもきっとアスカのおかげ。アスカが居なかったら、あたしは今も独りのままだったと思う。だから……ありがとね」

「それは泉美が頑張ったからだろ。自分から皆に歩み寄って行けたからじゃないか。美倉に謝ったのだって、そういうことだろ? 俺は別に、礼を言われるようなことなんてしてない」

「歩み寄れる勇気を持てたのは、アスカが背中を押してくれたからだよ。オーストラリアのときみたいに。それに転入してすぐあんな態度を取ってたあたしに、それでもアスカは声をかけ続けてくれたじゃない」

「……ウザがられてると思ってたけど」

「そんなことない。だってあんたが居なかったら、あたしはもっと辛かったから。皆を遠ざけていて、それでも孤独じゃないんだって思えるのが嬉しかった。あの日と同じなのよ。アスカはあたしを、独りにはしなかった」

 泉美の声に、はっきりと切なさが混じる。

「嬉しかったんだ。アスカがいてくれて、本当に良かった」

 彼女の気持ちは飛鳥にも、背中越しに痛いほど伝わっていた。

 きっとそれは、目を背けることのできない強い想いだ。

 泉美が深く深呼吸をした。決意を固め、勇気を振り絞るための深呼吸だ。

 彼女がこれから何を言おうとしているのか、飛鳥はぼんやりと感じ取っていた。そしてこれ以上、適当な言葉で避けることは出来ないだろうことも。

 右手の甲に、柔らかな熱が広がる。

 沈黙する飛鳥の右手に、泉美の左手が重ねられていた。


「好きだよ」


 夜風が凪いで、言葉が聞こえた。

「あたしはアスカの事が好き。あの日あたしを追い掛けてくれたアスカが、今日まであたしを支えてくれたアスカが、あたしは好きだよ」

 黒髪の少女の姿が浮かんだ。

 必死に掴んだはずのその手を、力及ばず離してしまった少女の姿だった。

 遠ざかる背中を見送ることしかできなかったあの日の少女が今、笑みさえ浮かべて、飛鳥に向けて手を伸ばしてくれていた。救いたいと、飛鳥の中の記憶が叫んだ。

「だから、アスカ……。あたしと……、あたしと付き合って欲しい。恋人になってほしいの」

 陽炎色の思い出が記憶の奥からわき上がって、そして静かに揺らめく。

「…………」

 飛鳥は、伸ばされたその手を――


「ごめん」


 ――それでも、掴むことができなかった。

 きっとその手を取るべきは、今の飛鳥ではなくて。

 今の飛鳥の想いは、ちゃんと彼の中にあるのだから。

「俺、好きな人がいるんだ。その人に認めてもらいたい、釣り合うような人間になりたい。それだけなんだ。だから……、だからごめん。泉美とは、付き合えない」

 だから胸を張って、飛鳥は泉美の気持ちを拒絶した。

 夏の香りが秋風に消えて、いつの間にか、空は暗く染まっていた。

「そっか。わかった」

 強がって、明るい声で答えた泉美。

 どんな想いが彼女の中で渦巻いているのか、その時ばかりは飛鳥にも、想像すらできなかった。

 その背中が、不意に小さく震える。

「……っ、ごめん。あたし、先帰るね」

 小さく嗚咽を漏らした泉美が、ベンチから立ち上がって、そのまま小走りで屋上の出入口へと向かってしまう。

「いず…………」

 呼びとめようとした飛鳥。けれどそれがただのわがままだと気付いて、伸ばしかけた手をひっこめた。

 呼びとめて、その手を掴んで、それで何ができるのだろう。

 今の飛鳥には、励ますことすらできないというのに。

「……………………」

 茫然と見上げた星空は、どうしてか冷たく見えてしまう。

 暗い、ただ暗い夜が広がっている。

「……俺も、帰るか」

 夜風にさらされた自分の背中が、飛鳥には酷く冷たく感じられた。

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