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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第6部‐彼と彼女の心の距離は‐
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48:『韋駄天の矜持』

 伊達と別れた飛鳥は寄り道せずに泉美に連絡を取って合流をしたのだが、どうやらその時には相当作業が進んでいたようで、30分と経たずに簡単な片付け作業は終わってしまった。まだ全ての片づけが終わったわけではないが、通常授業に支障の無い程度には既に済んでいる。残りは後日、時間をかけて終わらせることになっていた。

 各教室に関しては、運び出していた机を戻すことやゴミ捨てなどをそれぞれのクラスの生徒が対応していたらしい。

 実行委員が対応したのは、校舎内での実行委員による設営の撤去と、あとは後夜祭用のキャンプファイヤーのセッティングだ。

 生徒会はこの辺りまで事前に準備していたらしく、文化祭終了と同時に招集をかけた実行委員にこれらの仕事を手早く割り振ったのだそうだ。1時間半足らずで授業のための最低限の環境と、後夜祭の準備までを終わらせることができたのは、ひとえに生徒会メンバーの尽力あってのものだろう。

 しかしそのせいで飛鳥はほとんど何も手伝えなかった。遅れてきたせいで仕事内容の指示を受けなかったため、終始泉美の手伝いをしていたのだが、そもそもの作業の残りが少なかったのもあって何か役に立ったようには思えなかったのだ。

 それでもほどほどに手を動かしているうちに時間が経って、伊達を呼びだした午後7時を迎えていた。

「これでよし、と」

 作業を終えたその場で、壁にもたれかかってケータイを弄っていた飛鳥が、一人呟いて壁から背を離す。

 その時、少し教室を見てくると言って離れていた泉美が戻って来た。

「メール?」

 泉美は歩み寄るなり、ケータイを引っ張り出して操作していた飛鳥にそう尋ねる。飛鳥は「ああ」とだけ短く答えて、ケータイをポケットに押し込んだ。

「んで、お前はクラスの方行ってたんだっけ? あいつら今何やってんの?」

「打ち上げ。誰かお菓子とかジュースとか持ちこんだみたいで、それを皆で分けながら騒いでるよ。意外とキャンプファイヤーに興味ない人って多いのね」

「まぁなぁ。極端な話だけど、キャンプファイヤーがあったとして、だから何するんだっていうわけでもないだろうしさ。……そういう泉美は?」

「あたしはちょっと興味あるかな。でも、フォークダンスだっけ? そういうのはよく分からないわ」

「それ分からないんだったら眺めてるだけになりそうだが……」

 自分で言った通り、飛鳥もキャンプファイヤーがそもそもどういう目的で実施されるのかを分かっていない。とりあえず踊ったりするんだろうという物凄く漠然とした印象だけは持っていた。

「どうせだし、行ってみる?」

 目的があったわけではないだろうが、話の流れで飛鳥を誘ってみた泉美。

 少し悩んだ様子を見せたものの、飛鳥は首を横に振った。

「いや、いい。少し用が有るんだ。俺が行かなくても問題は無いんだけど」

「なにそれ?」

 泉美が怪訝な表情で尋ねると、飛鳥はピッと人差し指を上に向ける。

「なんだったら付いてくるか? 下世話だけどさ、いいもの見られるかもよ」

 不思議そうながらも曖昧に頷く泉美を連れて、飛鳥は部室棟の屋上へと向かった。


 本校舎と同じく、部室棟も屋上が解放されている。

 脇腹辺りまでの高さしかない柵で安全面は大丈夫なのかという疑問はあるが、利用者が少ない、あるいはそもそも屋上に来れることを知っている生徒が少ないからか、安全性に対する疑問の声が上がったことはない。

 肘かけも無いような簡易なものだが、いくつかベンチが設置されているのを見ても、ある程度の人の利用は想定されているはずである。

 やはり認知度が低いことが原因としてあるのだろうが、それには転校したばかりの泉美と同じように、生徒の中には静かに利用できる場所として屋上を使用している者が多いからという理由があるだろう。騒がしくなってもらっては困るため、利用者自身がほとんど口外しないのだ。

 飛鳥は部室棟屋上のドアを開けると、コンクリートの床を蹴って奥へと進む。

 そこからはグラウンドに灯されたキャンプファイヤーの煌々とした光が見えたが、飛鳥はそちらとは逆、校舎裏と呼ばれる側の柵に寄り掛かった。

 細かい説明は一切無しに連れてこられた泉美は、手持ち無沙汰な感覚を覚えながら、とりあえず飛鳥をまねて手すりにもたれかかってみる。

「それで、いいものって?」

 泉美は手すりに両腕を乗せた姿勢で、首だけを横に向けて尋ねる。手すりから下を覗き込むようにしていた飛鳥は、そこに乗せていた手で下方向を指さした。

 自然と泉美の視線がその方向へと吸い寄せられると、そこにジャンパーを羽織った少年の姿が見えた。

 誰なのだろうとその人影を凝視していた泉美は、脇を支えていた松葉杖を見てはっと目を見開いた。

「あれ、伊達? なんで学校に? 病院に居たんじゃ……」

「連れてきた」

 驚いた様子で隣を伺うと、飛鳥は伊達を見下ろしながら口の端を釣り上げてそう答える。

「どういうこと?」

「ああいうことだよ」

 ポケットに突っこんだケータイの輪郭をスラックスの布越しになぞりながら、飛鳥は眼下にやって来たもう一つの人影を見据えた。


 飛鳥達が見下ろす先で、伊達は一人立っていた。

「時間は間違いないんだけど……」

 校舎越しにキャンプファイヤーとそれを囲む生徒達の音や声が聞こえるが、それもどこか遠い。

 グラウンドを照らす仮初の太陽も、その影になる場所に光を届かせることはない。正しく夜の空気に包まれたその空間が、しかし場違いに感じられるようですらあった。

 そこはかとない居心地の悪さが伊達の腹にのしかかる。

「うーん……。……ん?」

 紛らわせるようにキョロキョロと見渡したところで、一人の少女が歩いてくるのが見えた。

 月明かりが辛うじて届く程度の暗い場所では、目をこらさなければそこに人がいることも少し曖昧だ。

 雑草を踏みしめる柔らかい音と共に、現れた少女は伊達の手前2歩のところで足を止めた。

「よう、美倉」

 杖を持つのとは逆の手で、伊達は軽く手を上げて言った。

「えっ……。伊達、君……?」

 暗がりでも表情が見えるような声で、美倉は戸惑った様子でそう答える。

「星野君に呼ばれて来たんだけど……。どうして、伊達君が?」

「俺が頼んで呼んでもらったんだ」

 こういうことだろうと予想をつけていた伊達は、話をこじらせないためにも嘘をついた。いずれにせよ美倉とはちゃんと話しておかないといけないと思っていたし、場をセッティングしてくれた飛鳥に多少は感謝もしている。

「そう、だったんだ……」

 どこか余裕のある伊達とは対照的に、美倉の表情は硬い。

 ついさっき学校に来たばかりの伊達には分からないことだが、美倉はクラスの演劇が終わった後もふと表情を曇らせることがあった。結局のところ、まだいつも通りで居られるほど気持ちを切り替えられているわけではないのだ。特に、当の伊達を前にしては。

 俯いたまま黙りこくってしまった美倉に、伊達は努めて普段通りの態度でこう語りかけた。

「演劇は上手くいったみたいだな。俺は見れてないけど、アスカから聞いたぜ」

「……うん」

「代役もなんとかなってくれたみたいだし、ホントよかった。本郷がやったんだってな。男役とかびっくりしたけど、俺より上手いとか聞いたよ。そうだ、見れなかったけどどんな感じだったのか気になるからさ、もし誰か撮影してたりしたなら、見せてもらいたな。そういうの誰かやってんの?」

「それなら、確か桐生さんが準備してたと思うよ」

「そっかそっか、じゃあまた今度聞いてみるよ。美倉はどうだった? ぶっつけ本番みたいになったらしいけど上手くやれたか?」

「うん。なんとか……」

 いつも通りに、それこそ一緒に机を囲んで昼食を取っている時のようなテンポで言葉を紡ぐ伊達だったが、美倉の言葉はポツリポツリと、途切れがちなものだった。

「…………あー、と」

 思いつく適当な話題を吐きだしきってなお、美倉の顔が晴れることはなかった。それでも言葉を紡ごうとしたところで、目の前の美倉が勢いよく頭を下げた。

「ごめんなさい!」

 いきなりだった美倉の対応に、伊達は言葉を失ってしまう。

 場つなぎのために考えていた話題も頭の中から消えてしまい、伊達はただ黙って美倉の次の言葉を待つことしかできなかった。

 美倉は頭を下げたまま、両手を強く握ってこう続けた。

「私が気をつけてなかったせいで、伊達君に怪我させちゃって……、大会だって有るのに……。謝って済むことじゃないとは思うけど……それでも……ごめんなさい」

 顔を上げることすらせず、美倉はとぎれとぎれの言葉で謝っていた。

 あるいは伊達を見たうえで、同じように謝れるかの自身が彼女には無かったのかもしれない。逃げ出したいという気持ちは、ほんの少しだろうが有ったのだから。

 握る手も、絞り出されたような声も、どちらも震えていて。

 だから伊達はすぐにこう返した。

「謝らないでくれよ」

 屈めていた腰を恐る恐る伸ばす美倉に向けて、伊達は落ち着いた声で語りかける。

「怪我をしたのは美倉のせいじゃない。俺が勝手にやったことなんだから」

「でも、私を助けたせいで伊達君が怪我をしたんだから……」

「それでもだよ」

 なおも謝罪を続けようとする美倉を、伊達はその一言で制した。

「俺がやったことなんだよ。自分で決めて、自分でやった。頼まれたから助けたんじゃない。自分じゃなきゃ出来ないからって話でもない。本当にただ俺がそうしたいと思ったから、俺はあの時、美倉を助けたんだ。怪我をしたのだって、全部自分の責任なんだよ。だから美倉が謝る必要なんてない」

「けど…………」

「いいんだ」

 罪悪感からだろうか。目の端に涙すら滲ませる美倉に対して、伊達は気丈にも笑ってみせた。

 彼とてショックを受けなかったわけではない。彼にとって陸上というものは、自分が最も輝ける舞台であり、目一杯の力を尽くすことができる大切なものだ。その大会を近くに控えた状態で、足の骨を折るという怪我が何を意味するのかは、それこそ彼自身が一番よく知っている。

 だが悔いは無いと語ったのもまた、彼自身なのだ。

 確かに伊達の右足は彼の体重を支える役目を果たせない。走ることなど当然出来ないのだから、しばらくはトレーニングも出来ない。決して万全とはいえないコンディションで大会を迎えなければならないのは明白である。それは大きなハンデとして、競技に臨む伊達にのしかかる事になるだろう。

 言うまでもなく、伊達はそのことをわかっていた。その上で笑ったのだ。

 彼がほんの少しでも不安を見せたら、ほんの少しでも後悔などしようものなら、俯く美倉は自責の念から逃れられなくなるだろう。そんな風にはなってほしくない。

 しかし同時に、伊達が美倉を許しても美倉は自分自身を許せないでいたのだ。俯けたまま唇を噛むその姿が、内心をかき乱す後悔と自責の重さを端的に表していた。

「…………っ」

 何かを言おうとして、引きつった喉では言葉を紡げなかった美倉は再び口を閉じる。そのもどかしさに美倉自身が苛立ちすら感じ始めたとき、ポツリと、小さな声の呟きが聞こえた。

「ほんと、これだから俺はお前のこと……」

 呆れたように笑った伊達は、浮かべていた気丈な笑みを崩して続ける。

「俺は美倉のこと、助けられて良かったと思ってる。確かに大会で勝つために練習はしてきたよ。だけどさ、そのために自分を庇って美倉を助けられなかったとしたら、俺は後ですげー後悔したと思う。でも俺はちゃんと美倉を助けられた。あのとき俺の足は迷わず動いてくれたんだ。……そりゃ怪我はしたよ。でも俺はそれで良かったと思ってる。怪我をしたのが俺で、いや、美倉じゃなくて本当に良かったと思ってるんだぜ」

 トンと胸を叩いて、伊達はそう告げた。美倉はゆっくりと顔を上げたが、その表情はまだ暗い。

「うん…………」

 その美倉の態度に伊達は何事かを決意した。松葉杖で身体を支えながら、一歩ずつを踏みしめて美倉の元へと歩いて行く。

 美倉はふらつきながら歩み寄る伊達を視界に収めて、掠れた声でこう言った。

「けど、伊達君は大会があるのに、私のために怪我をしたのに……。いいんだって、そんな風に許されることじゃないよ」

「……それを決めるのは、俺じゃダメか?」

「そう、かもしれないけど……っ! だけど、私が悪くないなんてこと絶対にないもん。伊達君が許してくれっても、私は自分を許せない……」

 いつの間にか声はまた震えていて、引き攣る喉から必死に言葉を紡ぐ美倉の視界が、溢れんばかりの涙に滲んだ。

 美倉にとって、伊達の怪我は自分の不注意が原因のものだった。伊達が陸上に全力を注いでいた事も、大会に向けてトレーニングを重ねていたことも、そして彼の怪我が大会に悪い影響を及ぼすことも、全て原因は自分だと考えていたのだ。

「美倉」

 肩を震わせる美倉の眼前までやって来た伊達は、真剣な表情で続ける。

「なぁ美倉。怪我をしたことを謝られてるなら、俺はそんなの全然謝ってもらわなくていいんだ。こんなの大した怪我じゃない、2週間も有れば治るって医者が言ってたぐらいなんだぜ? 杖があれば歩くことだってできるんだ、こんな風にさ。確かに走れはしないよ。でもそれだけなんだ」

「……でも、2週間は練習だって出来ないんだよ。それからすぐに大会になるのに、そんなの伊達君だって…………」

「違う、そうじゃないんだよ」

 そこで言葉を切った伊達は、小さく深呼吸をした。

 きっと今がその時だ。そう、格好をつけるその瞬間なのだ。

「美倉、俺はまだ負けてないんだぜ」

「――っ」

「だから謝んないでくれ。まだ負けてないんだ。謝られたら、もう負けるって決まったみたいじゃないか」

「そんな……そんなつもりは……」

「わかってるよ。だからこそだ。それでももし自分が悪いって、俺が大会で負けたとして、その原因が自分だみたいに考えてしまうなら……」

 今にも零れそうな涙越しに伊達を見上げていた美倉。見ているだけで胸が張り割けそうだった。まるで散り際の花を見るようなどうしようもない切なさが、痛みとなって伊達の胸を貫くのだ。

 だから伊達は空いていた右腕で、美倉の華奢な身体を抱き寄せた。

「勝つよ」

「あ…………」

「必ず勝つ。誰よりも速く走って、俺が一番でゴールする! たとえどんなハンデを背負ったって、今度の大会で、俺が一番速いんだって証明してみせる! 絶対に負けない、絶対だ」

 必死に涙をこらえようとして身体を震わせている美倉を強く抱きしめて、伊達は迷いの無い口調でそう言った。

 勝負の世界に絶対はない。どんな奇跡だって起こりうるし、どんなアクシデントが襲ってくるかわからない。故にどんな勝負でも結果を確約せず、しかし常に全力を尽くすのが陸上選手としての伊達の流儀だ。

 だがそれでも今美倉が苦しんでいるのならば、最後までわからないはずの結果を確約し、そしてその言葉を決して嘘にはしない。必ずという言葉を、絶対という言葉を、結果を以って現実にする。それを成し遂げる覚悟を持つことが、男としての伊達の矜持だった。

「伊達……君……」

 抱きしめられた美倉の身体の震えがとまり、そして彼女の眼から涙があふれた。

 飛鳥から借りたジャンパーにしがみつくようにしている美倉の頭を、伊達は胸元へと引き寄せる。

「だから謝んなくたっていいぜ。俺が勝つんだから。謝られる理由なんて何一つないんだ」

「っ…………」

「それでもまだ責任を感じるなら、償いたいとかそういう風に思うなら、応援してほしい。地区大会の時と同じように、全国大会でも俺のことを応援しに来てほしい。そしたら必ず、美倉の前で1位を取るよ」

「うん……うん……」

「勝って、表彰台の真ん中に立つ。それを見ていて欲しいんだ。……それができたら、一つだけ、話を聞いて欲しい。大事な話があるんだ」

 最後の言葉だけは伊達も酷く緊張して、美倉の返答を待っていた。

 泣いていたはずの美倉は、やはり涙を流したままだったが、それでも下手くそな笑顔を作って見せた。

「うん、聞くよ……! 聞かせてほしい……絶対に勝って、ちゃんとその話を聞かせてほしい。だから、伊達君……。頑張って!」

「ああ!」

 伊達は力強い声で答えて、声を上げずに涙を流す美倉をずっとずっと抱きしめ続ける。

「ありがとう」

 消え入るような小さな声は、きっと二人が同時に発したものだった。

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