47:『償いの方法』
星印学園の最寄りの大きな病院。
その大通りに面していない方の自動ドアが開くと、松葉杖をついた一人の少年が現れた。
「抜け出して来たけど、本当に大丈夫なんだろうなぁ……」
不安げに眉を寄せながら背後を伺う伊達の格好は、病院の患者が着ている病衣そのままだった。正式にも明日退院にはするということもあって、外出もしないだろうしとわざわざ私服を用意しなかったのだが、何故か飛鳥に呼び出されたものだから、こうして病院を抜け出す羽目になったのだ。
晩秋の晴天を赤く染め上げていた夕焼けも、広がる群青に端へ端へと追いやられた午後6時。長袖だろうと薄手の病衣では少々肌寒い。
松葉杖をついた姿勢では腕を抱えることもできずに、伊達はしかめっ面で小さく身震いをした。
「んで。出て来たのは良いけど、これからどうすりゃいいんだ……?」
飛鳥からは午後6時に裏口前に来いとしか言われていない。裏口というのは伊達がいる、この小さい方の出入り口なのだが、果たして周囲に飛鳥らしき人物の姿は見えない。
どうすればいいのかと途方に暮れていた伊達の前で、現れた一台のタクシーが滑らかな動きで静止した。
「よう伊達、上手く出られたみたいだな」
ドアが開くなり、現れた飛鳥が軽い調子でそう言った。
見つかると少々面倒なことになるため、なんとか看護師や医師の眼を逃れて病院から出てきていた伊達は、その態度に少しムスッとした顔になる。
「ああ大変だったぜ。つかアスカ、呼び出しておいて遅れんなよ」
「2分だろ、いくらなんでも心が狭すぎるぞ……」
伊達に指摘されて、飛鳥は気だるげに肩を落とした。
遅刻者当人が言うべき言葉ではないが、普段なら5分遅刻しているところが2分遅刻なのだから、彼の体感的には予定より3分早く到着していることになっているのだ。つまるところ遅れてないのだからあれこれ言われたくないとかそういうことだ。全く身勝手なものである。
ちなみに飛鳥は文化祭が終わってすぐにアルフレッドと合流して学校を出た後、一度帰宅して少し身支度を整えてから、一緒に夕食をとった。これといって特筆するようなことが起こったわけではないが、海の向こうの友人と一緒に食事を取ると言うのも、アメリカでの共同研究以来のことだ。
そして空港に向かうアルフレッドと別れて、飛鳥は伊達のいるこの病院へとタクシーで向かったということである。
伊達はため息をついて、おぼつかない足取りで飛鳥の方へと向かう。
「大丈夫か?」
「松葉杖とか使ったの初めてだからさ、あんまり上手く歩けないんだよ」
右足にギプスをしている伊達は、わきに抱えるようにした杖を見ながらそう愚痴った。
飛鳥も骨折の経験などないので、不便さの程度は想像するより他ない。ただ伊達が終始鬱陶しそうにしている辺り、楽なものではないのだろう。
「……ま、いい。とりあえず目立つし、向こう着いたらこれ上から羽織っておけ」
「ジャンパー?」
小脇に抱えていた上着を伊達に押しつけた飛鳥は、ピッとドアの開いた後部座席を指さす。
「んでさっさと車に乗れ。話は中でいいだろ?」
「ああ、わかった」
伊達を促して乗って来たタクシーの後部座席に座らせると、続いて飛鳥もその隣に乗り込んだ。
「すみませんけど、また学園の方に戻ってもらえますか?」
「はーい、わかりましたー」
運転手である初老の男が間延びした声で答えるなり、結構な勢いで飛鳥が座っていた側のドアが閉まる。
再び滑らかな挙動で走りだしたタクシーの後部座席で、適当な松葉杖の置き方に苦心していた伊達が尋ねる。
「アスカなんか当たり前のようにタクシー往復させてるけど、金は大丈夫なのか? 俺は今サイフも持ってないんだぞ」
「いいよいいよ、これくらい俺が払うって。結構金はあるんだ、使い道もないし」
伊達が処理に困っていた杖のグリップ側をひょいと掴んで、自分の膝上に横倒しにした飛鳥は、ポケットから取り出したケータイを軽く振ってそう答えた。
飛鳥は一人暮らしをしているということもあって、親からの仕送りの内の生活費を細かくケチるなどして自分で扱えるお金を少し多めに作っている。またそれだけでなく、彼の行っているアーク研究は企業の研究に対する協力であるため、あくまでも謝礼というような歪曲した形だが、実は給料が支払われているのだ。
というより後者の額が非常に大きい。この辺はさすが国内最大企業と言うべきか、あるいは危険手当的なものまで含まれているのか。いずれにせよアーク研究の中心である飛鳥に支払われている額は、彼が両親から生活費として与えられている額の軽く5倍以上はあるのだ。
そういった理由から、たまに自炊をサボる程度にしか浪費をしない飛鳥は、どうしてもお金を余らせてしまっていた。こういう時ぐらいはケチらず負担してもいいだろう、と飛鳥は考えていた。
伊達は多少申し訳なさそうにしていたものの、そもそもこれは飛鳥が無理矢理呼びだしたようなものなのだ。それを考えて、伊達は頭を振った。
「……どうかしたか?」
怪訝な表情で隣を伺う飛鳥。
素直に答えるようなものでもないと感じて、伊達は話題を変えることにした。
「文化祭、クラスのみんなはどうだった?」
「良かったぜ、思ったより凄かったよ。お前の代役も特に問題なく出来てたしな。気になるなら動画でも見せてもらえばいい、誰かしら撮影してただろうし」
「ああそうだな、そうするよ。……そういえば、結局俺の代役って誰がやったんだ? お前か?」
「俺にできるわけないだろ。というか、言ってなかったっけ?」
「代役はなんとかするって宣言だけはな。その後どうなったかは聞いてないぞ」
「そうだったっけ……。昨日見舞いに来た時に伝えてたもんだと思ってたけど」
いろいろと気が回っていなかったんだなと自覚して、飛鳥は短くため息をついた。
「お前の代役は泉美だよ」
「へぇ……ぇえ? え、えっ、は? 本郷? え、どういうことだ? なんだ、わけわかんねぇぞ? 本郷は実は男だったとかそういうことか?」
「なんでそうなる」
頭の上でひよこがぐるぐるしているのが見えるような伊達の反応に軽く吹き出してから、飛鳥は改めて答える。
「普通に女子が男役って形で出演しただけだよ。あいつは元々全員分のセリフ丸暗記とかやってたから、それこそあいつ以外には居なかったし。それに役に当たってる奴に代役させて配役をずらしたりしたら、そっちの方が酷いことになるのは目に見えてるだろ?」
「まぁ……そうか。んで、本郷も上手くやれてたのか?」
「ああ。っていうか泉美に関しては、他の奴らよりも上なぐらいだったぜ。うん、たぶんお前よりも? やっぱりあいつ演技上手いわ。周りに教えてる時からそんな感じだったけど」
「ふぅん。…………なんか失礼な言葉が聞こえた気がするが、まぁ上手くいったならそれでいいや」
「多少女子がロミオやるってことで物珍しいような見方はされてたと思うけどな。それでも十分な出来だったと思う」
付け加えられた飛鳥の言葉に、伊達は満足気に頷いて答えた。
ふと、伊達は気になったことを尋ねてみる。
「そういやアスカ、当たり前みたいにこっち来てるけど、お前実行委員の仕事ないのか? 片付けとか」
「ああ、それか。そっちは泉美に任せてある。あいつの代わりに実行委員の仕事入ったりしてたから、その貸しってとこかな。ま、学校に戻ったらちゃんと仕事はするよ」
伊達の言っている内容は、アンコールを受けていたバンドの演奏が終わったタイミングで、去り際に泉美から同じことを言われている。そこで自分がいないのがバレないように上手くやってくれと無茶な要求をした飛鳥に、泉美は「オッケー、黙っておいてあげるわ」などと悪戯っぽく答えていた。
ひとまずは彼女に任せたとはいえ単に押し付けたようなものでもあるので、飛鳥も早めに作業に戻らなければならない。後には後夜祭のキャンプファイヤーも控えているし、いろいろとやることは多いのだ。
その後も途切れ途切れの会話を続けているうちに、彼らを乗せたタクシーは約30分ほどかけて星印学園の東門の前に到着した。
先に料金を支払ってから飛鳥は車外に出ると、伊達が立ち上がって松葉杖を持つのを手伝う。走り去るタクシーを二人で見送ったところで、伊達がふと口を開いた。
「あれ、来たのはいいけどさ、そもそも俺何するために呼ばれたんだ。クラスの打ち上げかなんかか?」
「いやそうじゃない。後でわかるよ」
「っていうかさ、俺どうやって病院に戻ればいいんだ? ケータイはあるけど金ないんだけど」
「あー……。あ、そうだ」
悩んだ様子を見せかけたところで、飛鳥は何かに閃いたようにポンと手を叩いた。
彼は上着のポケットから財布を取り出すと、迷う様子もなく紙幣を一枚抜いて伊達に手渡す。
「ほい。同じ距離の片道だし、それで一応足りるだろ。タクシーは適当にケータイ使って呼べるだろうから、それで帰れるな?」
「お、おう……」
伊達は戸惑った様子でそれを受け取ると、途端にジト目を飛鳥に向けた。
「お前ちょっと金使い荒くないか?」
「いいだろ、こういう時ぐらいさ。大事なことなんだよ。」
「にしてもこれはなぁ……」
手に握らされた5000円札を見て、伊達は受け取り辛そうに眉を寄せていた。
相変わらず細かいところを伝えようとしない飛鳥の態度に釈然としない気持ちになりながらも、伊達はひとまず受け取ったお金を、飛鳥から借りたジャンパーのポケットに押し込んだ。
「今度返すよ」
「……好きにすりゃいいけど」
もともと勝手に呼び出していたのだから、金銭的なものも含めて負担は飛鳥がするつもりだったが、学生としてはそれなり以上に大きな額を渡されて何も思わないという物でもない。伊達の心中を察した飛鳥は、断るでもなく曖昧に答えた。
「それで? 結局俺はどうすればいいんだ?」
ついぞ説明しなかった内容を再度聞かれた飛鳥は、肩をすくめてほんの少しだけ内容に触れる。
「話しとかなきゃなんない相手、いるだろ?」
「話って……ああ、そういうことか」
「さっさと言うことは言っておいた方がいい。後回しにしたらそれだけ言い辛いことも出てくるだろうしさ」
曖昧な言葉でも伊達が理解したことに気付いた飛鳥は、それだけ言って話を打ち切った。
飛鳥はそこでケータイの時間を確認すると、顔をしかめた。
「っと、もうこんな時間か。悪い、押し付けっぱなしってわけにもいかないから、俺は実行委員の仕事手伝ってくるよ。お前は……そうだな、7時に部室棟の裏に来い。それまではまぁ、適当に隠れてりゃいいだろう」
「ホント適当だな」
「うっさい。……俺が面倒見れるのは、たぶんここまでだ。あとは上手くやってくれ」
「…………おう」
何か言いたげな空白が気になったが、それでも肯定の言葉が聞こえたからと、飛鳥は伊達を残してその場から歩き始める。
グラウンドに積み重ねられている大きな木々は、恐らくキャンプファイヤーのものだろう。
後夜祭の時間が、生徒達だけの時間が、だんだんと近付いてきているのを感じた。
実行委員の仕事のため校舎に戻る中、飛鳥は一人ポツリと呟く。
「お節介、か。……悪いな、こんなことしか出来なくてさ」
か細い彼の声は、肌を撫でる冷たい夜風にかき消された。