46:『舞台を終えて』
飛鳥のクラスメイト達が1時間の演劇を終えると、講堂は盛大な拍手に包まれた。最後に舞台に並んで一礼をした演者たちが、皆一様に晴れ晴れとした表情をしていたのが、飛鳥には強く印象に残っている。
西野が言っていた通り喜劇調に改変された物語は、駆け足気味ながらもしっかりと観客の笑いを誘いつつも、押さえるところはしっかり押さえた無駄の無いものだった。
舞台上の生徒達の演技は、2週間という短い期間で仕上げたものとは思えないほどにうまく、同時に学生らしいぎこちなさを含んだものだった。それも改変された物語では笑いどころとしてまとめられていて、観客の反応の上々だったように思う。
全体的に文句の無い高いクオリティを見せつけるものだった。
それまでの講堂での出し物を全く見ていない飛鳥には決して断言できるものではないが、それでもここで行われた演目の中でも、トップクラスのものだったのではないだろうか。
舞台袖へと下がっていった生徒達を拍手で送った飛鳥は、そこで隣のアルフレッドを伺った。
「思ったより凄かったよ」
「他の奴ら見る限り、確かにそうっぽいな。……うーん、残念だぜ。日本語わかんねーからなぁ」
「あ、そういう問題があったか……」
舞台上の人間は、当たり前だが日本語で演技をしている。
最近はケータイでもリアルタイムで音声を翻訳してくれるアプリケーションも出来てはいるのだが、まだまだ変換に時間がかかる上に、この講堂のような音が響く場所では単語をかなり間違えるので、変換されてもワケがわからないことになる。そうでなくても、最初から精度は決して高くはない。要するにまだ実用レベルではないのだ。
ただ、内容がわからなくとも演技の雰囲気程度は伝わっていたらしい。アルフレッドは満足気にうんうんと頷いた。
「まぁでも、なんとなくは分かったし、結構良かったんじゃねーか?」
「なんだそれ」
アルフレッドの適当な応対に苦笑を浮かべて、飛鳥はその場から一歩だけ踏み出した。
「兄弟?」
「クラスの連中が気になるからさ、そっち確認してこようと思うんだ。アルはどうする、一緒にくるか?」
「オレ?」
飛鳥の提案にアルフレッドは少し悩んだ様子を見せた後、首を横に振った。
「いいや、オレは終わるまでここに残っておくよ。このあとまたバンド演奏あるんだってさ。アンケートで点数の高かったところにアンコールがかかるって話だから、興味あるんだ」
「そっか、わかった」
「兄弟はこの後どうするんだ? もう仕事か何かは終わったんだろ?」
「あー、それなんだけど、今日まだ予定有るんだよ」
「予定?」
文化祭はあと30分程度で終わるのだが、何の予定があるだろうかと、アルフレッドは首を傾げる。
もともと飛鳥と遊びに来ているようなものだったアルフレッド相手であるので、飛鳥は若干言い辛そうにしながら答える。
「準備の時に怪我した友達がいて……って、そっちは聞いてるんだっけ? それで、見舞にな」
「見舞か。それじゃあさすがに文句は言えないな」
「見舞じゃなかったら文句言ったのかよ」
良識のある対応かと思わせて微妙におかしなアルフレッドの言葉に、飛鳥は苦笑する。アルフレッドは肩をすくめた。
「そりゃそうさ。あー、でも、これで帰るのもなんか癪だし……。そうだ、この文化祭っての17時までだったよな? 終わったら飯食いに行こうぜ」
「飯? いいけどアル、飛行機の時間は大丈夫なのか?」
「終わって飯食ったらちょうどいい時間かな。いいだろ?」
「俺は構わないよ。オッケーわかった、それじゃ終わるころにまたこっちにくる。んー、入り口前で待っとくよ」
「ああ、頼むぜ。それじゃ、行ってこいよ」
「おう」
アンケートで選ばれた5人組のバンドメンバーが舞台上に上がるのと入れ替わるように、飛鳥は講堂から抜けだした。
飛鳥が講堂裏に着いたのは、最低限の後始末を済ませたクラスメイト達が出てくるのとほぼ同じタイミングだった。
「お疲れ様ー! すっごい良かったよね!」
「完璧だったな。見たかよあの拍手喝采さ! 絶対俺に向けられてたぞあれ!」
「それだけはない。絶対にない」
「でも、拍手凄かったよね。それに本郷さん、練習時間少なかったのに、他の人より上手かったもん。ミスもないし、さすがだね」
「そう、かな……。でも、あたしは一人でそれなりに練習してたし、前日にかなり詰めたから。前日練習もリハーサルもなしの美倉さんの方が、ぶっつけ本番でミスをしないっていうのは凄いと思うよ」
「だねー。由紀もホント凄いよ!」
「……うん、ありがと」
互いの健闘(?)を誉めたたえながら校舎裏の階段を下りてくるクラスメイト達。何か称賛とは違う言葉が混じっていたような気がしても、それは気のせいということにしておくべきだ。
揃って階段を下りてきたクラスメイトに、飛鳥は駆け足で近寄って声をかける。
「よっ、お疲れ」
「あ、アスカ」
ひょいと片手を上げる飛鳥に気付いて、泉美も同じようにして返した。
どうやら役を与えられていた生徒が中心になっているのか、舞台上に見たメンツが先に出てきていたようだ。大道具や小道具は、これから片付けがあるのかもしれない。
泉美だけでなく、篠原や水城そして美倉の姿もあった。
美倉と水城は二人で話しこんでいるので、飛鳥の足は自然と泉美達の方へと向かう。
「完璧だったんじゃないか? 練習の成果あったじゃん、泉美」
「飛鳥は時間的に後半しか見られなかったんだっけ?」
「仕事変えてもらったんだ、遥さんに。都合ついたから最初から見てたよ」
「ああ、そうだったんだ。……完璧じゃないわ。最初でちょっと演技間違えちゃった」
謙遜をしているようには見えない態度に、飛鳥はキョトンと首を傾げた。
「最初って、あの入ってくるところだよな。何かおかしかったか?」
「うん。あそこはロミオは悩みを抱えて入ってくるところじゃない? でも張り切っちゃって、堂々とし過ぎてたかなって。もっと元気の無い感じを出さないとだめだったと思うのよね」
「細かいなぁ……。でもさ、代役とはいえ主人公役が女子って形だったから、あそこで男っぽく振る舞ったのはインパクトあったし逆に良かったんじゃないか? 俺はむしろ開き直ってるぐらい堂々としてたのがわかりやすかったと思うぜ。感じ方は人それぞれだろ」
「……そう? まぁ、それならいっか」
やや不満げだった泉美も、飛鳥の言葉に納得して笑顔を浮かべた。
どうにも彼女のストイックさには、過剰な部分があるように感じられる。こうやって皆がやり遂げた後の余韻に浸っている時ぐらいは、素直に同じように喜んでおけばいいのだ。結果も悪いようなものでは全くないし、むしろ誇っていい内容だったのだから。
「美倉も、上手くやれてたな」
チラリと横を見て、飛鳥はそう言った。
視線の先では水城と美倉、他女子数人が和気あいあいと談笑を続けている。美倉もまだ少し表情に陰りがあるものの、舞台に上がってだいぶと吹っ切れたのか、笑顔も見られるようになっていた。
「そうね。美倉さんもミスとかは無かったし、直前練習だけでしっかり合わせてたのは凄いよね」
「ああ。やっぱアイツじゃなきゃ、って奴だな。……お前の言葉、信じて良かったよ。おかげでいい舞台が見れた」
「あたしの……? ああ、あのこと。そんなの、ただ美倉さんが頑張っただけだよ」
少し離れたところに居る美倉を、泉美は慈しむような目で見つめた。
飛鳥が言っているのは、美倉がちゃんと戻ってくるかという皆の不安に対し、泉美が大丈夫だと断言したときの事だ。あの言葉があったから、美倉には本番での代役を立てず、彼女の復帰を信じて待つことができたのだ。
ギリギリになってやっと美倉が来たことを思えば、かなりリスクの大きな、賭けに近い選択ではあったが、こうして今の彼女らにできる最高の舞台を魅せることができたのだから、きっと正しい判断だったのだろう。
「それでそれで? 星野、俺には何かコメント無いのかよ?」
なんだかちょっぴり湿っぽい空気になりかけたところで、その場にいた篠原がせがむような態度でそう言った。
相変わらず清々しいほどに空気を読まない奴だ、と飛鳥は肩をすくめつつ適当に返す。
「篠原は……。まぁ、普通だったよ。ミスはしないけど、特に凄かったわけでもないし。うん、コメントが難しい」
「はぁ!? なんだよそれ! 俺完璧だっただろ!」
「じゃあ一応聞くけど、お前的にどこが良かったんだよ」
「それはお前……あの、えっと…………どこだ?」
「お前がわかってねぇんじゃねーかよ!」
などと無駄な会話を繰り広げつつ、講堂から響くバンドの演奏が止むまで、彼らの談笑は続いた。