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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第6部‐彼と彼女の心の距離は‐
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41:『夕暮れの病室』

 生徒会として仕事のあった遥と別れた後、校門へと向かっていた飛鳥が講堂裏を通りかかったとき、そこにクラスメイト達が集まっているのが見えた。

「ん?」

 何事だろうと歩み寄れば、明日の演劇で舞台に立つ生徒が中心であることに気付く。野村や桐生といった大道具のメンツも居たし、当然ながら泉美の姿もあった。

「何してんだ?」

 特徴的なポニーテールに声をかけると、青い布を手に持った彼女が振り返る。

「あ、アスカ。どうしたの、こんなところで?」

「たまたま通りかかっただけだけど……これは、何の集まりなんだ?」

 ぐるりと周囲を見渡して尋ねてみる飛鳥。

 泉美は手に持っていた青い布を持ち上げて見せた。

「これからリハーサル。昨日もやったんだけど、大道具が一つ無かったり、あたしの立ち位置が曖昧だったりでうまくできなかったからさ。だから無理言って、今から1時間だけ練習時間をもらったのよ」

「無理言ってって……」

 伊達が怪我をしたことはまだ伏せてあることだし、怪我の原因が何だったかということの口裏合わせもしていない。事故云々の話をしてしまってはボロが出る可能性もあるのでないだろうか。

 飛鳥がそんな不安から眉を寄せたとき、横合いから聞き慣れた声がした。

「僕だよ」

 軽い調子で言ったのは、生徒会役員の腕章をつけた隼斗だった。

「なんだ隼斗か。なら大丈夫そうだな」

「割と大変だったけどね。誰に迷惑がかかるわけでもないし、もう少し自由にやれたらいいんだけど」

 脱力した様子で首だけを向けた飛鳥に、肩をすくめた隼斗はそう愚痴る。

「飛鳥は今何を?」

 歩み寄った隼斗が尋ねた。

「何って、通りかかっただけだよ。そんで見かけたもんだから来ただけだ」

「リハーサルは見て行かないのかい?」

「今はいい。本番で見るよ」

 それだけ答えた飛鳥は、視線だけで周囲を再度見渡して、泉美に小声で話しかける。

「美倉は、ここにはいないのか?」

 首を横に振った泉美は、自分のケータイを取り出して素早く操作すると、飛鳥にそれを見せた。

「いないわ。何度か連絡はしてるんだけど応じてくれないの。クラスの誰も見ていないって話だから、そもそも学校に来てないんだと思う」

「他の奴らは連絡してみたのか?」

「水城さんや篠原君も連絡は取ってみたけど、ダメだったって。あとは女子が何人か連絡取ったらしいけど、それも全部同じだったみたい」

「そうか……」

 慌てた態度は見せないように答えつつ周りを伺うと、しかめっ面の水城の姿が見えた。

 水城はあくまで練習でなら美倉の代役が出来ると言っていたが、本番でもこれまで同様の一人二役は無理がある。脚本の見直しからすればなんとかなるかもしれないが、そちらはそちらで現実味が無い。

 伊達は怪我をした以上どのみち舞台には立てないが、美倉はそうではない。ならばせめて本番のある明日には、美倉はこの場に居てもらわなければならない。

 不安げな表情を浮かべる泉美の肩に、飛鳥がポンと片手を乗せた。

「大丈夫だ。俺に任せろ」

「アスカ……」

 飛鳥を見上げた泉美は、唇を噛みながらも頷いた。

「うん」

 挑戦的な笑みで返していた飛鳥に、傍らに居た隼斗が真剣な表情で尋ねる。

「信じていいんだね、アスカ?」

「もちろん。それに、少し考えがある。たぶんそれでいけるはずだ」

「そうか。ならそれを信じよう。……おっと、渡しそびれるところだった」

 隼斗は慌てた様子で上着の内ポケットに手を突っ込むと、4つ折りにした紙きれを手渡してきた。

「これは?」

「シフト表だよ。アスカ、会長に貰うのを忘れていただろう?」

「ああ、それか。サンキュ。……じゃ、俺はもう行く」

 迷いなく頷いて、飛鳥はその場で踵を返した。

 歩きだした彼の背中に、泉美の大きな声がかかった。

「アスカ! 本番、楽しみにしててよ!」

「おう!」

 振り返らずにそう答えて、飛鳥は校門へ向けて足を進めた。



 学校を出た飛鳥が向かったのは、伊達が入院をしている病院だった。

 面会時間にもまだ余裕はあったので、何か問題が起こるわけでもなく、飛鳥は伊達のベッドがある部屋に辿り着く。

 カーテンで6つに区切られた部屋の一番奥、窓際のベッドの方に近付いた。

「あれ、アスカ?」

「よっ」

 カーテンを開いたままだった伊達と目が合うと、飛鳥は軽く手を上げて手近なパイプ椅子に腰掛けた。

 入院してから既に一日が経っている。そのためか伊達の服装も制服から、病院らしい格好へと変わっていた。

「もう文化祭は終わったのか?」

「まだ1日目だ」

「そりゃわかってるよ」

 相変わらず返しの雑な飛鳥の態度に、伊達はベッドに座ったままケタケタと笑った。

 椅子に背中を預けた飛鳥は、ギプスを巻かれた伊達の足を見ながら言う。

「そっちはどんな感じなんだ?」

「足首がやられてた。でも大した怪我じゃなかったぜ。3日もあれば退院出来るぐらいだってさ」

「3日ってことは明後日か。……つっても、退院出来るだけでそれで治るってわけじゃないんだろ?」

「そりゃさすがに骨折れて3日で治りはしないだろ。大体2週間ぐらいはかかるんじゃねぇかな」

 そう答える伊達に、まるで深刻そうな様子は無かった。ただ飛鳥には一つ気がかりなことがあったのだ。

「伊達。お前の言っていた、陸上の1年生大会の全国決勝だったか。あれっていつだったっけ?」

「アレは……。……12月の、第二土曜と日曜だ」

 その答えを聞いて、飛鳥は思わず下唇を強く噛んだ。

「1週間しか無いってことじゃねぇかよ……っ」

 今日で11月の中旬だ。怪我が治るまでに2週間かかるとすれば、完治して走れるようになってから、たったの1週間で全国大会を迎えることになってしまう。

 伊達はもともと1年生と言わずやっていけるだけのスピードを持っていたようだが、2週間という空白はあまりにも大きい。

 スポーツの世界では、1日休めば取り返すのに3日掛かると言う。2週間もの間、一切走るということが出来ない状態で過ごして、その後1週間で1年生大会とはいえ渡り合えるほどに調整をするというのは、生半可なことではないはずだ。

「そのこと、美倉には?」

「言ってねぇよ。ただ大会の日程は美倉も知ってるし、気付いてるかもしれない」

「……今日、美倉は来てないのか?」

「あー、うん。っていうか今日来たのは俺の親とお前だけだよ」

「そうか」

 思わず深くため息をついて、それから舌打ちをしてしまう飛鳥。その態度に思い当たるところがあったのか、伊達は恐る恐るといった様子で口を開いた。

「もしかして美倉、学校の方にも……?」

「ああ、今日は来てないらしい。ついでに言えば、誰も連絡を取れないみたいだ」

「そんな……」

「たぶんお前の怪我も大会のことも、気付いてたんだろう。そのショックかもな。あの様子を見りゃ、まだ切り替えられて無くてもおかしくは無いし」

 沈黙が下りる。

 お互いに言葉に出来ない気まずさに呑まれかけたところで、飛鳥が膝に手を吐いて頭を下げた。

「すまん、伊達。今回のこと、俺にも責任はある」

「……あの、アクエルでのことと、なんか関係あるんだよな?」

「覚えてたか……。ああ、その通りだ。あの日から俺も関わり始めたことに、美倉を巻き込んじまった。あいつが最近様子がおかしかったのは、たぶんそのせいだと思う。もっと早くに気づいてりゃよかったんだ」

「アスカ、お前……」

「俺達の中で完結させていられたら、美倉を巻き込むことは無かったし、お前がそんな怪我する事もなかったよ。っち、ああ……、くそ。やっぱりそうだ。あのとき俺の足が間に合ってりゃ、せめて怪我するのは俺達の中で留められたってのに……」

 そう言って歯を食いしばり、顔を俯けた飛鳥。遥の前では気丈にいられても、やはり怪我をした当人である伊達を前にして『仕方なかった』と言えるほど、飛鳥も勝手な人間ではなかった。

 だが俯く彼の言葉を聞き遂げて、どういうわけか、伊達は怒ったような表情になった。

「ふざけんな」

 驚いて顔を上げる飛鳥の視線の先、伊達は自分の胸元を親指で力強く指し示した。

「美倉を助けたのは俺だ。お前じゃない。たとえお前があの時追いつけるぐらい速く走れたとしても、それでも美倉は俺が助けた。わかるか? 美倉が危ない目に遭うのなら、俺が誰よりも早く駆けつけてあいつを守る。俺はそう決めてるんだ。謝られたって知ったことじゃねぇ。この怪我は、俺がそれを貫いた証拠なんだよ。だから後悔なんてこれっぽっちもしてねぇぞ」

 彼だからこその言葉。伊達は一分の迷いもなく、ただ真っ直ぐにそう言ってのける。

 その姿に、飛鳥は自分の奥底にうず高く積まれた罪悪感の山が、風に飛ばされる砂の城のように崩れ落ちて行くのを感じていた。

「へっ、カッコつけるじゃねーか。そういうのは本人の前で言いやがれ」

「それでも、これが俺の本心だよ」

「わかってる。まぁあれだ、俺が女なら惚れてたね」

「そりゃまぁ…………気持ち悪いな」

「ふん。言うと思ったわクソッタレ」

 悪態をついて、飛鳥は肩の力を抜いた。そしてもう一度、伊達を正面から見据える。

「……いけるのか?」

 訊くべきではないことだ。だがどうしても、飛鳥はそれを訊かずにはいられなかった。

「わかんねぇ」

「伊達」

「でもやるよ。やるしかないんだ」

 深刻さなどまるで感じさせない声で、伊達は簡単にそう言いきった。

「走れるんだ。なら走るに決まってる。結果なんて所詮その先に有るだけのもんだ。陸上も勝負事だからさ、勝つか負けるかどっちかしか無くて、それは実際に走ってみなきゃわからねぇ。それは俺がいま怪我してようが、怪我してなかろうが一緒なんだ。だから勝てるかどうかなんて、例え俺が万全でも約束はできない。必ず勝つって言う時は、カッコつけなきゃならない時だけでいいんだよ」

「そうかい、ならさ……」

 そう言って飛鳥は、伊達が枕元に置いていたケータイを引っ掴んだ。

「あ、おい!」

 慌てて伸ばされた伊達の手をひょいひょいとかわして、彼のケータイを勝手に操作する。

 ひとしきりごちゃごちゃと弄ると、椅子から立ち上がって、持っていたケータイを伊達に投げ返した。

「カッコつけてみせろよな」

 キャッチした伊達がケータイを見てみれば、宛先を美倉に設定されたメール画面が表示されている。

 飛鳥は半身の姿勢で、伊達の手元のケータイを指さした。

「あいつのこと、任せるぜ伊達」

 しばし呆然と画面を見ていた伊達は、それからくすりと笑って頷く。

 飛鳥は満足そうに鼻を鳴らしてから、改めて真剣な口調でこう言った。

「それと明日、午後の6時に迎えにくる。退院はまだだろうけど、まぁ、バレないように適当に病院抜け出せ。裏口の方で待っておくから、遅れんなよ」

「……何かあるのか?」

 キョトンとした表情で尋ね返られて、飛鳥は恥ずかしげに頭をがじがじと掻き毟る。ため息を一つ吐いてから、最後にこう続けた。

「察せアホ。……それじゃ、俺はもう行く。後は頼んだぞ」

「おう」

 去っていく飛鳥の背中を見送って、伊達はケータイに視線を落とす。

「美倉……」

 夕日が零した朱色の光が、病室を赤く染めていた。

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