37:『模擬店』
「おーす、篠原ー!」
頭の上で大きく手を振りながら、飛鳥は少し離れたところにたむろしていた篠原達に声をかける。
雑踏と呼んで差し障りない人の流れの向こう側で、和気あいあいと話をしていた篠原が顔を上げた。
彼はキョロキョロと周囲を見渡すと、すぐに手を振る飛鳥に気付く。一緒に居たクラスメイトの西野と桐生に何かを伝えるそぶりを見せると、二人を先導してこちらへとやって来た。
「よっ、星野、本郷さん。一緒に回ってたんだ?」
「ああ、仕事が終わるタイミングでばったり出くわして、そのまま流れでな」
「へぇ。んで、どこ行った?」
尋ねられた飛鳥は、片手に持っていたパンフレットをパラパラとめくりながら答える。
「えーと、何だっけ。1Cのなんとかって映画のジオラマと、2Aの錯覚部屋と、あとは茶道部だな。他にも回ったはずだけど、覚えてるのはそんなとこ」
「そうかそうか。っつか、茶道部? 星野が? ぜんっぜん似合わないんだけど」
「うっせぇ笑うな」
篠原が声を震わせながら小馬鹿にしたように語るものだから、飛鳥も思わず頬を引きつらせてしまう。
手首を返してパンフレットを折り畳んだところで、篠原が続ける。
「そうだ、お前ら昼飯食った? 俺たちこれからその辺の模擬店で適当に食おうかと思ってたんだけど」
「いいや、まだだ。俺らも模擬店で済ませるつもりだったから、校舎の方も飲食店はスルーしてたし。で、ちょうど見かけたから昼飯誘おうと思ってたとこ」
「なら話は早いな。いいよな、西野、桐生?」
とりあえずと、後ろに居た二人に尋ねる篠原。相変わらずローテンションな桐生はともかく、西野は黒ぶち眼鏡の奥で楽しげに目を細めていた。
飛鳥と篠原は頷き合うと、どちらともなく歩き始めた。
模擬店、つまり屋台は大体2カ所に分かれて配置されている。
飛鳥達がいるのは、校門から校舎までの間にせまい間隔で並んでいる、一応のメインである屋台群だ。もう一方は校舎を跨いだ反対側、運動場に面した場所にずらりと並んでいる。
大体人の多いところというのはそれら2カ所の屋台エリアと、あとは飛鳥達が準備期間中に設営した野外ステージの周辺だ。
野外ステージは中庭に設けられており、ちょうど校舎を跨いで校門側と運動場側を行き来するためにほぼ必ず通る必要のある場所となっている。大したことの無いパフォーマンスでもそれなりに人が集まっているのは、そういう場所の事情もあるのだ。
人混みが作るガヤとは毛色の違う、一定のリズムを持った鋭い音が微かに聞こえた。エレキギターか何かを、激しく掻き鳴らしている音だろう。建物への反響や雑踏の音に乱されてはいるが、確かな技巧を感じさせる音の流れだった。
激しいギターソロの音の直後、中庭の方から歓声と拍手の音が轟き、人ごみから少し離れた場所の階段に腰掛けた飛鳥達の元まで、その熱を運んでくる。
「盛り上がってんなぁ」
そう言って、篠原は手に持ったフライドポテトにかじりついた。
模擬店めぐりをしている途中で、運悪く彼の所属するバスケ部の先輩につかまってしまい、半ば強制的に購入させられたものだ。
部活をちょくちょくサボっていたのが祟ったようで、無理矢理というよりは先輩が言った冗談半分の「買え」に対して、篠原自身が断り辛さを感じて買わざるを得なくなった結果だった。
飛鳥はさりげなく篠原が持つ紙コップからフライドポテトを引っこ抜いて口に放り込む。
「今やってんのはなんてバンドなんだろうな、上手い……っぽいけど」
彼も音楽はよく聞く方だが、かといって造詣が深いわけではない。先ほど聞こえたギターソロの部分を上手いとは感じたものの、それがどのレベルかは判然としていなかった。
その辺は篠原も同じなのか、特に感慨なさげに答える。
「さぁ、何だろうな。とりあえず普通に野外ステージなんだから、生徒が勝手に組んだバンドだろ? 特に名前なんてないんじゃね?」
篠原の注意が中庭の方に向いた瞬間を狙って、さらに一本のフライドポテトをさりげなく引き抜いて口に放り込んだ飛鳥。
「そんなもんかもぐもぐ」
「そんなもんだろ」
またしてもカップの中身を持って行かれていることに気付かない篠原は、飛鳥の適当な返事に同じく適当に相槌を返していた。
篠原ばかりと話しているのも何なので、前の段に座っていた二人にも飛鳥は声をかけた。
「西野と桐生はなんか部活やってんの?」
今更聞くのかというような内容だが、ふと思いついた質問がそれだったのだ。篠原が部活の先輩にからまれていたのを見たからかもしれない。
「僕は入ってないよー。だから文化祭は暇になりそうだったんだけど、たまたま篠原君に会って良かったかな」
おっとりとした口調で、西野はそう答える。
彼はクラスでも目立たない方で、クラスの演劇で台本を担当するとなった時、飛鳥に至っては若干「誰だっけ?」となっていたほどだ。割と皆そんな感じだったことを考えると、クラスメイトに特別仲のいい者がいるわけではないらしい。
「まぁ俺も暇だったから助かったけどな。この雰囲気を一人で歩きまわるのはやっぱキツイし」
篠原が顔をあげて、眼下に見える人ごみを指さしてそう言った。
その隙にひょいとフライドポテトを奪いつつ、飛鳥は西野に向けて尋ねる。
「そういや西野、演劇の台本やってたけど、文芸部とかじゃなかったんだな。ほとんど内容新しく作ったようなものだったし、アレを短期間で作るのは慣れてないと難しいだろ」
「一応、趣味でちょっとだけやってから。あと、そんなに大変じゃ無かったよ。人物像は最初からでき上がっていたから考えなくて良かったし。喜劇調に作るのは大変だったけど、元々1時間じゃ全部を描写するのは無理だから、一部は削ってテンポを上げる必要もあったんだ。そうなると、シリアスの方が逆にやりにくいから」
口調は落ち着いて、しかし流れるように西野は語った。
「へぇ、趣味でなぁ」
飛鳥は感心したように頷く。
台本それ自体からも感じられたことだが、こうして論理立てた説明を受けてみて、やはり未経験者がなんとなくでやってみましたというレベルではないことが改めて認識できたからだ。
「んじゃ、桐生は?」
尋ねられた桐生は、一拍遅れて飛鳥の方を振り返った。
「私は茶道部だよ」
相変わらず気力の無い表情と芯の通った声のミスマッチっぷりが強烈だが、ごくごくたまに彼女と話をしている飛鳥には、さほど気にならなかった。
どちらかと言うと、中身の方にインパクトがある。
「えっ、桐生って茶道部だったのか? マジで? それはえらく……」
驚いた表情のまま続けようと思って、飛鳥はふと口をつぐんだ。
黙って数秒桐生の顔を見つめて、先ほど立ち寄った茶道部の部員たちが来ていた着物か何かの姿を重ねてみる。
「…………違和感無いな」
違和感が無いのが違和感、と言わんばかりに釈然としない表情になる飛鳥。そんな彼の横から、篠原が割り込んできた。
「へー、意外だなぁ。茶道部って、部室で和風喫茶みたいなことやってるのだよな?」
「うん、そうだよ」
「それじゃあ、桐生もそこで接客するってこと? おお、超見てみたい! 何時にシフト入ってんの?」
ズイっと顔を突き出して詰め寄る篠原。
混乱から抜けた飛鳥が適当にフライドポテトを抜きとるのにも気付いた様子の無い篠原に、桐生は首を横に振って答えた。
「面倒だから教えない」
「えー、なんでだよー」
篠原は不満げに喚くが、桐生は我関せずとばかりに前に向き直ってしまった。
篠原はため息をついて、手元のカップに視線を落とす。
「ちぇー。……って、あ! なんかすっげぇ減ってる!?」
遅れて手に持ったカップに意識を向けた篠原は、そこでやっと自分のフライドポテトがいつの間にか減っていることに気付く。
飛鳥は笑いをこらえながら、口に残ったフライドポテトを呑みこんで言った。
「んぐ、ごくん。……マジかよ大変だな」
「おい星野、間違いなくお前だろ」
「まさか何を根拠に」
「あたし見てたけど?」
あくまでもシラを切るスタンスの飛鳥だったが、直後に一つ上の段に座っていた泉美が割り込んできた。
振り返るまでもなく呆れ顔が伺えるような泉美の声に、飛鳥は思わず頬を引きつらせる。
その態度はもう自白したも同然だ。篠原は鼻息を荒げて喚く。
「やっぱりお前だったんじゃねぇか!」
「ちっ、バレたか……。しょうがない、返してやるよ。オエッ」
「吐くんじゃねーよ汚ねぇな!!」
「嘘だよ冗談に決まってんだろ。……ほれ、代わりにこれやるよ」
いかにも渋々ですといった態度で、飛鳥は手に持った紙コップを差し出した。
篠原が持つものよりも一回り大きい紙コップの中には、爪楊枝の刺さった唐揚げが一つだけ残されている。
篠原は紙コップの中を覗き込むと、即座に爪楊枝を掴んで一つ残った唐揚げを取り出した。
「おっ、ラスト一個じゃん。ラッキー!」
これみよがしに口を大きく開いて唐揚げに被りつく篠原。
直後、飛鳥がニヤリと笑った。
「さて、確率6分の1、激辛揚げのお味はいかがかな?」
「エ゛アッッッカァーーーーーーーーーーーーーッッッッ!?!?!?」
人間が発音しちゃダメなタイプの悲鳴を上げた篠原は、舌を突き出したままその場でのたうちまわる。
「エ゛アッ!? ッア゛!! ブアアアアアアアアア!!」とかなんとか喉に穴でも空きそうな程に叫びたおした篠原が落ち着いたのは、優に3分ほどが経過した頃だった。
「や、やりやがったな星野……」
自前の炭酸飲料を飲み干す勢いで煽った後、口元をぬぐった篠原が恨みのこもった視線を向けてきた。
飛鳥は努めて平静な態度で、肩をすくめて見せる。
「やりやがったって言われてもな。一応ほら、アレだよ、ロシアンルーレット的なアレだから。だからなんてーの? まぁ、お前の運が悪かったんだよ。間違いない」
「嘘くさいなぁ……」
またしてもシラを切ろうとしてジト目の篠原に睨まれた飛鳥だったが、今回は故意を裏付ける根拠が無いのだからダンマリが正義だ。
飛鳥が食べていた唐揚げは野球部の模擬店で販売されていたものの一つで、『ヒーヒーからあげ』とかいう絶望的なネーミングセンスの商品だった。
その中身は先ほど篠原が実践した通り。
6つある唐揚げの内一つが激辛で、それがどれかは食べてみるまで分からない……という謳い文句だが、香辛料の量が多過ぎるのか、パッと見で明らかに色の違うものがわかってしまうのだ。そうして飛鳥が意図的に避けていた一つによって、先ほど篠原が見事にノックダウンされたというわけである。
篠原のリアクションを見るに、おおよそ遊びですまないレベルの辛さだったようだが、そういうのも含めて文化祭という物の醍醐味、とはならないだろうか。
そんな感じであれやこれやと騒がしくしながらも昼食を済ませたところで、飛鳥はポケットから取り出したケータイで時間を確認する。
「おっと、そろそろか。悪い、俺実行委員の仕事あるから、ここらで別れるわ」
「あ、アスカ!」
飛鳥がそう言って腰を上げかけたところで、泉美が彼の手を掴んだ。
「待って。さっき変わってもらったし、あんたの代わりにあたしが行くよ」
「いいよ別に。お前明日も舞台と直前練習で時間とられるだろ? 今日の内に回れるだけ回っとけって」
「でも……」
「だから気にすんなって。俺も終わってからか明日かで、適当にタイミング見つけて文化祭めぐりはするから。そんじゃ、俺はこの辺で」
飛鳥は振り返らずに、キザったらしく肩越しに手を振って歩きだす。
何か言いたげな泉美の隣で、篠原がのんきに「がんばれよー」などと手を振っていた。