36:『文化祭めぐり』
開始早々超満員!……とは当たり前だがならなかった。
しかしそうであってもそれなりに盛況なのではないだろうか。そう思える程度には、人の行き交いは活発だった。
制服を着た星印学園の学生だけでなく、恐らくは父兄だろう学外の人々、他校の生徒らしき私服の少年少女などと客層もそれなりに広い。
星印学園はまだ新設の高校な上2学年しかなく、学園全体の規模に比べて生徒数が少ない。そのことから入場チケットのようなシステムは導入されていないわけだが、ちょうどいい人の集まり方をしているように感じられた。
実はこの文化祭では、敷地内に有るVNAT、つまりはケータイの数と個々の識別から、総来場者数や現在の敷地内の人数を大まかに割り出すシステムが試験的に導入されている。それによれば開始から1時間半ほど経過した現在、敷地内には800人を少し超えた程度の人がいるらしい。生徒だけでは500人にも満たないことを考えれば、ずいぶん多くの来場者がいると言えるだろう。
そういうわけで、飛鳥達も結構忙しく対応していた。
「すみません。そのパンフレット、一つもらえますか?」
生徒の父親というほどの年齢ではない、兄と考えればしっくりくる年頃の青年が、長机越しに飛鳥に声をかける。
「はい、どうぞ」
飛鳥が事務的に手渡すパンフレットを受け取った青年は、その場でパラパラとページをめくって、それを飛鳥の方に示した。
部活の出し物が並ぶリストの中から一カ所を指さして、彼はこう尋ねる。
「あの、この『茶道部』が出し物をしている所って、どこですか?」
「茶道部ですね?」
椅子から軽く腰を浮かせて、差し出されたパンフレットを覗き込んだ飛鳥は、校舎側に人差し指を向けた。
「茶道部の出し物は部活棟でやってます。部活棟は本校舎の、向かって左側にありますよ」
「向かって左……。はい、わかりました。ありがとう」
くいくいと手首を曲げながら説明する飛鳥の言葉に頷いて、青年はパンフレット片手に軽快な足取りで去って行った。
椅子に座り直した飛鳥が隣を伺うと、ちょうど中崎も手が空いたタイミングだったようだ。
「いやぁ、思ったより人多いっすね」
「まだ1時間半も経ってないのに300人だもんねぇ。ピークはお昼過ぎって考えると、生徒まで含めると1000人超えちゃいそうだ」
「結構大変っすわ」
「祭りだ祭りだ、賑やかのは良いことよ」
愉快な言動で中崎は答える。喋りながら両手をぱたぱたと振り回すなど、何かと身振りの激しい少女だった。
どうも班長という立場もあってか、総務班として仕事をしている間は多少キャラを作っていたのだろう。見る限り、今の彼女の方が素のように見えた。
彼女はあごに手を当てて、ふと首を傾げる。
「でもちょっと予想より多いかなぁ。追加で持ってきたパンフレットがそろそろ無くなりそーだ」
「俺が行って持って来ましょうか?」
「いんやいや、私らの担当はもう終わるから、次のシフトの子に来るとき持ってくるように頼んじゃうよ。ちょうど連絡先知ってるし」
「それ時間外労働っすよ」
「どうせお給料出ないじゃん?」
にっこり笑って、中崎はケータイを取り出した。そういう問題じゃないだろう、と飛鳥は思うが、まるで気にした様子もない。
恐らくはメールだろう、素早く端末を操作した彼女は再びポケットにケータイをねじ込んだ。
肩をすくめる飛鳥だったが、その脇から声が聞こえた。
「アスカ?」
「あっと、すんませ…………お?」
来場者かと慌てて振り返った飛鳥は、腰に手を当てて立っている泉美の姿を見つけた。
「よ、遅かったな」
ひょいと片手をあげる飛鳥に、泉美は戸惑った表情を浮かべる。
「あんた何で……って、あ! それ、あたしの仕事じゃない!」
「ん? ああ、うん。そだよ」
「ごめん、忘れてた……。っていうか、連絡くれたらよかったのに」
「気にすんな。俺も連絡忘れてた」
恩を売るのも面倒とばかりに、飛鳥はとぼけた態度で答える。
彼らしいが、泉美はため息をついていた。
「ごめん、ありがと。短いけど、残りはあたしが入るから」
「いいよ別に。あと10分だぞ、大して変わんねーって。いいから適当に見て回って来い」
「そんなのダメに決まってんでしょ」
「なんでだよ」
「なんででも」
「どういう理屈なんだそれは」
「いいから。あたしがやるから」
「人の話聞けっつーの……」
泉美の律義さが若干鬱陶しくなり始めた辺りで、唐突に中崎の声が聞こえた。
「ならこうすればいいよー」
「えっ?」
何事かと飛鳥が振り返ろうとした瞬間、彼の肩を中崎が横から突き飛ばした。
バランスを崩して椅子から弾かれながらも、たたらを踏んでなんとか転ぶのは避けた飛鳥。
驚いた様子で中崎の方を伺うと、彼女はびしっと敬礼をしてこんなことを言った。
「お勤め御苦労さまだぜ、後輩君。というわけで、ちょっと早いけど上がっていいよ。存分に遊んで来るとヨロシ」
「……どういうことですか?」
「そのままの意味だよー。あとはこの総務班長中崎にお任せあれってね。ほれ、しっしっ。独身モノにいちゃいちゃは目の毒なのさ」
言葉通り手を払って飛鳥達にどっか行けとジェスチャーする中崎。どうやら、気を使わせてしまったようだ。
しかしここは好意に甘えておくべきだろう。こんなところでいつまでも揉めていたって逆に迷惑になるだけだ。それに今から泉美に任せても、仕事の説明を終えたころには交替の時間が来てしまうし、何の意味もない。
「い、いちゃいちゃなんて……っ!」
慌てて否定しようとする泉美を手で制して、飛鳥は軽く頭を下げた。
「すんません、お言葉に甘えさせてもらいます」
「おーけーおーけー。……あ、お礼なら随時受け付けてるよん。綿あめを所望するのだ! シフト外で会ったら奢ってちょーだい」
「はぁ、まぁ、考えておきます」
「よかろう。では後輩君、健闘を祈る!」
そう言って、中崎はビシリと親指を立てて見せた。
何と戦うのかは知ったこっちゃないが、健闘を祈られてしまったので飛鳥もサムズアップで返す。中崎は満足そうに頷いた。
何か言いたげな泉美の肩を押して、飛鳥は中崎に背中を向ける。
後ろ髪を引かれる思いではあったが、背中から聞こえる中崎の快活な声に、罪悪感もいくらか薄らいでいくようであった。
そんなこんなで、図らずも一緒に学校を回ることになった飛鳥と泉美。
ずらりと並んだ屋台を眺めながら歩いている間、ずっと申し訳なさそうにしていた泉美だったが、本来のシフトの交替時間である10時30分にはいい加減気持ちを切り替えて、校舎に入るころにはいくらか笑顔が見られるようになった。
飛鳥が去り際にさらっと持って行ったパンフレットを二人で覗きながら、適当に面白そうなところを順次回っていった。
例えば、粘土細工で直近に流行ったアニメーション映画のシーンを再現したジオラマだったり。
「細かっ!?」
「すっごい。見てよこの猫、耳のところの毛の作り込みがすごいことになってる。よくやるわねー」
「オイちょっと待て、これ動いてね?」
「どれ?……あー、ホントだ。腕振ってるじゃん」
「モーター仕込んでんのか……? つか気合入りすぎだろ」
例えば、教室を丸ごと使用した、目の錯覚を利用した遠近感の狂う部屋だったり。
「うぉえっ、早くも吐きそうになって来た……」
「ちょっとあんた大丈夫? かく言うあたしもだいぶ平衡感覚おかしくなってきたんだけど。やっぱり錯覚部屋で10分耐久とか単なる馬鹿企画だったんじゃないの」
「…………」
「アスカ?」
「……はっはっは、どーだ泉美! 目をつぶれば余裕だこんなもん!」
「わかったから壁に話しかけるのやめなさいよね。っていうかそれ反則だからあんたの負けってことで、約束通り屋台で一品奢りね」
「はいはい、いーですよ。もう限界だし、口からゲロ吐くぐらいなら財布から金吐くわ。で? 何がお望み?」
「水泳部のスペシャルジャンボパフェ」
「おやつは300円までだっつってんだろ!」
例えば、次元が1個ずれたかのような雰囲気のメイド服を着た『少年たち』だったり――
「そんなもんいねェよッ!」
「目の前で呼びこみしてるのが間違いなくそれ……ああ、顔を覆うほど認めたくない現実なのね」
「俺の精神衛生をぶっ壊しに来てるようなもんはここにはない! 断じて!」
「わかったから頭振り回すのやめなさいよ、危ないでしょ」
「うわぁ腕つかまれたぎぃやあああああああああ!!!!――――イッテェ!?」
「あたしなんだけど殴るよ?」
「殴ってから言うんじゃねぇよ!」
例えば、ごくごく普通に茶道部がお茶を振る舞っていたり。
「傷ついた心に緑茶がしみるー」
「大げさ過ぎるでしょ」
「超癒されるんじゃー」
「年寄りみたいなこと言わないでよ恥ずかしいから」
「このまま今日が終わればいいのにー」
「ふざけんな。ほら、もう行くわよ!」
エトセトラエトセトラ……。
そうして短い時間ながらも、文化祭をほどほどに満喫していた飛鳥達。
自分は裏方と割り切ってどこか斜に構えていた飛鳥も、いざ実際に回ってみると無意識のうちにテンションが上がっていたようで、普通の話し声ですら二回りは音量が大きくなっていたようだ。
そのせいなのか若干空腹を感じ始めていた飛鳥は、泉美を誘って屋台で昼食を取ることにした。
ガッツリ食べるならクラスでやっているような大掛かりな飲食店の方がいいのではないかとも考えたが、これも風情というものだ。
屋台に向かうため校舎から出たところで、飛鳥達は数人のクラスメイトの姿を見つけた。
「お、あれ篠原達じゃないか?」
「えーと、そうね。篠原と西野君と……桐生さん? 珍しいね」
「ま、メンツはなんでもいいさ」
せっかくだ、彼らも巻き込んでしまおう。